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月~人類の父、地球1~


明日になるとまたもう少し、変わるかもしれない。

いつもハンカチ片手に額の汗をふきふき話をしている。
的確な言葉は人々の関心は得たが、
相対的に歓心を失わせることも多く、最近は支持率の低下に苦しんでいた。
今日も新聞の第一面はすでにトレードマークとなったハンカチを握りしめたしかめっ面の自分の顔が写っている。
最近は自分のものマネ芸人だの人形だのがTVに登場し、自分でも苦笑を禁じ得ない。

統括政府の抱える第一の問題は食糧問題だった。
南極大陸の土壌がかなり豊かであったこともあって、連合政府が早々に取り組んだ宇宙空間での食料の栽培、養殖に着目するのが遅れたことが大きかった。

その上、連合政府側の技術による放射能除去装置も老朽化が進み、それを作り直す金額の余裕もないまま10年が過ぎ、すでにつぎはぎだけでは済まなくなってきている。

「あの11億人をどうにか月に押しつけられんか…」
“あの11億人”とは依然統括政府の意向に迎合しようとしない元ネクストアルカイダ派の人々である。
テンからみれば彼らの行動は常に常識外だった。
初めて彼らを見たときは生まれ育ったNYを襲った地震の中で、だった。
頭に黒い帽子をかぶり、汚れた姿でNYを走り回るその姿はその昔、祖母から聞いた南京を襲った日本兵を思い起こさせた。その姿は恐怖の象徴そのものだったが、意外にも彼らは紳士的に非常に丁寧に民衆に接した。
その背後にはブルネイや、ドバイの想像を絶する圧倒的な富があったのだが、彼らはそのようにして当初、民衆の心をつかんでいった。
運良く家族全員は生き残れた。妹は当時の地震のせいで足が不自由な状態だったが、その姿を哀れんだ当時のシュケルの副官、アヤトラ・サウードの命により人工移植を受け、完治した。
妹の手術を契機に家族はネクストアルカイダの首都とされたエルサレムへ移住することになる。
テンの父もNYで弁護士として成功しており、金銭的にもそう不自由ではなかったため、手術代を支払うと話したのだが、イスラム社会で尊敬される“導師”の地位も持つこの男の不思議な魅力を持つ笑顔で丁重に断られたことを覚えている。
「この裏切り者!」
とののしられながら、娘の足をもらった、といつもネクストアルカイダに感謝している父母に追い出されるようにしてエルサレムを後にしたのは母国の首都北京が核攻撃にあった時であった。家族は今は月に住んでいる。
当時、華僑と呼ばれた世界中に散らばった中国人たちを除き、この暴挙には数少なからぬ外国に居住している中国人たちを絶望と、激昂ヘと追い込んだ。
シュケル派を最後まで追い詰めたのは統括政府初代大統領のアメリカ人マシュー=ジョーゼフだったが、その下の有能な将官たちの中にはそんな中国人たちも少なくはない。その一人としてテンはいつも最前線にいた。
華僑や、一部の少数民族が考え方の似ているパリ連合に迎合していく中、ほとんどの中国人たちが地球連合軍に身を投じたのには理由がある。
当初、ネクストアルカイダの意志もあり、北京、東京、モスクワ等、イスラムに対しそう敵意をあらわにしない都市は人口地震のターゲットにはならなかったが、その後の戦争では後方基地として地球連合軍をサポートすることとなった。
それを危惧したのがパリ連合の指導者、のちの連合政府初代元首セディーム・シュナイダーであったとまでは確認されている。
問題は彼のアイデアに乗ったとされる一部のネクストアルカイダの中の強硬派によって核攻撃が始まった。(ということだが、現在の連合政府は徹底的にそれを否定しているし、本人は日記には書いているだけだと言明するのみだったが、テンの中では本当はセディームの意思であったのではないか?という疑念が今もぬぐえない。)
それにより地震でダメージをあまり受けなかった都市がどんどん核攻撃にさらされて行った。その中に北京と、上海、世界の軍事工場と呼ばれた大連も含まれた。
「ほかの国はせいぜい2か所なのになぜ中国だけ3か所なのか!」
アメリカでもロサンゼルスとワシントンのみであったのにもかかわらず、中国は3か所、それも2発づつ投下されている。
当時の一般的な中国人たちの怒りは想像するに足りるだろう。
それを境に、ネクストアルカイダの民衆操作も限界に達しようとしていた。
「そこまでする必要があるのか?」
「やはり、旧アルカイダと同じく自分と意見が異なるものは殺していくのではないのだろうか?」
当初は軍事政府などを崩壊させ、民衆の自由を取り戻せた一部の国々の人々ですらネクストアルカイダから離れて行った。
もともと、イスラムの教えは民主主義になれた民衆にはかなり適応が難しいものであった。
酒は禁止、ラムダンや、独自の文化は非合理的なものに感じた。
彼らの支配下にはいるとコーランを唱えさせるように奨励という名の圧力に偏る学校教育から社会人としての生活に対しても不満は募るばかりで、
結局仕事も与えられず、金をばらまくだけの対策も当初は民衆の歓心を得たものの、暇になった成人たちが麻薬や犯罪に手を出し、治安の悪化を招くばかりだった。その上、ネクストアルカイダ自身が始めた核戦争による食料不足により、どんなに金があっても食糧が足りなくなるなど、深刻な問題が出てきたこともあり、ネクストアルカイダ側もそうそういつまでも核爆弾に頼ることも難しくなった。
コスモステーションという画期的な生活空間を発明し、地球を捨てることも辞さないパリ連合側と違い、彼らには地球を離れられない理由があった。

メッカとエルサレムである。

この二つの聖地を捨てることをネクストアルカイダ側ののほとんどの人々は考えもしなかった。
パリ連合のように宇宙に出ていれば、シュケルも捕まることはなかっただろうに。
と、荒縄で縛られた一時は世界の半分以上を支配した男の立体写真を見ながらテンはある種の感慨を持たざるを得なかった。
「死は受け入れるがどうしてもメッカに向けて遺体を埋めてほしい」
「地球を離れたらメッカに巡礼ができなくなる」
とのシュケルや、その配下たちの言葉にも唖然とさせられた。
宗教とは恐ろしいものだ。
地球連合側の報復攻撃により放射能づけになったそのメッカにいまだにイスラム教徒たちは何の防備もせずに巡礼をしている。
それが彼らの信仰の証とされている。
あまりに危険なので、老人たちがこの世の最後の仕事としてメッカへ巡礼するのだが、老骨に鞭うつようなそのような行動は死への近道としか考えられず、その上、法律では禁止している困った習慣も最近出来つつあるらしく、それはメッカから持ち帰った砂などを平然と家に飾っておくという信じられない行動であった。子供たちも含め、家族全員がコーランと同じくその砂を大事にしているのだそうだ。そんなとんでもない習慣が出来上がったことを知った他の民族は彼らの居住地区に近づくのも嫌がっている。エイズは克服できたものの、放射能障害に対応する医学もまだ未発達のため、平均寿命も極端に短い。
そういう行動もテンには理解を超えている。
あのアヤトラ・サウードもパリ連合に迎合し、月で天寿を全うしたという。テンは月に住む妹から聞いた。
連合政府に合流したイスラム教徒は全体から見れば数%ではあるが、彼らの宗教的な行動は月では完全に人権として認められているようだ。現元首のカートの二男であるラフマーンの母親も不倫の果てにラフマーンを生んだという事が元でその親族により、で“名誉ある殺人”で合法的に殺されたといわれる。
こんなことは統括政府の支配下では到底認められない。女性のチャドル着用も禁じられている。
あの暑い中で布をかぶるという行動もテンには理解しがたい行動であり、女性たちは喜ぶと思っていたのだが、ほとんどの女性たちはそれを嫌がり、ほとんど外には出ない。
結局女児も外に出ないため、子供の就学率や識字率の低下も問題となりつつある。
そのため11億人の内の相当数が国民としての権利も享受していない分、義務も放棄している。
統括政府の行う教育が気に入らないとの理由で戸籍ですら記載を拒否する親たちもたくさんいると聞いた時はさすがに絶句した。(実際は12億人以上いるのではないかとの試算も出ている)
まるで生きている死者のようだ、とまでテンは思っている。決して口には出さないが。
それでも食べるだけは食べるのが結局はテンの一番の頭痛の種となっているのだ。
つまり、イスラム教徒に対する対処が統括政府の第一の政治問題と言える。
「メッカを月に持って行けないものだろうか…」
テンから見ればとても簡単な話でもこれも口には出せない。
これを口に出してしまうとイスラム教徒はまた第三のアルカイダでも結成するのは目に見えている。その上、それをしようとすると連合政府に頭を下げないといけないということで、到底、プライドの高い保守的な欧米勢力がそれを認めるとは思えなかった。
ということでこのアイデアもとても無理な話であるというのもテンの理解を超えていた。ただ、最近、画期的なアイデアが頭に浮かび、表面上はあらわさないが、テンはそのアイデアにかけることに決めていた。
相当数の官僚や、政党の上位者にはある程度話をしている。
皆には「いい考えではないか?」と好意的な反応をもらっており、
昨日は政界の実力者たちとの話し合いの場を持って、その中で満場一致の賛成をもらうことができた。
今日の新聞の一面はおそらくその席に向かう前のものであるだろうが、今日は昨日ほどしかめつらをする必要はないだろう。
この問題もうまくいけばもうしばらくだ。
その上、その次の問題も片付くことができたなら、次期大統領の座も遠くはない。

「明日、連合政府からスギノが来る。スギノに相談してみよう」
カートの片腕とまでは行かないが、テンから見てみれば連合政府内での唯一の友人と言ってもいい日本人の杉野正に月でのイスラム教徒の生活ぶりや、地球とのイスラム教徒との共存は可能か、とう聞いてみようとテンは思っている。
ついでに放射能除去装置の件も話してみようと考えていた。
「どうせセディームも考えていたことなんだろう…彼らにも責任は取ってもらわんとな。」
テンから見れば、豊富な人材と経済能力を持つ連合政府はすべてを押しつけて逃げ出したようにしか思えない。彼らの急成長ぶりが何よりもそれを物語っているではないか!
それも口には出せないがいつも思っているテンの本音の一部である。
第二代元首のカートの生活ぶりもテンの不満に火を付けている原因の一つではある。なんせ、あのような放蕩な私生活は到底自分にはまねできないだろう。その上、あの人気。
おそらくは凡人にはやりたくてもできないあの生き方にはカリスマ性は認められる事は理解している。
叔父のセディームに似ているのだろう。あの叔父とは一日に2度見かけたことがある。
2045年の講和会議の時に夕方にレストランで。深夜ではバーで見かけた。
そのたびに連れている女が違っていたことを覚えている。叔父は背はさして高くはなかったが統括政府では見かけないタイプの人間であることは一見してすぐにわかった。
その甥も確かに美男子でその上、背が高いらしい。自分より20センチほど差はある。その上、2020年生まれと聞くが自分より5歳しか変わらないとはとても思えない。親子ほどとまではいいたくはないが、服装などはそれに近いことは認めざるを得ない。
その上、カートという男はあらゆる美女にあの男はメールだの贈り物だのしているらしいが、テンにはそんな暇はない。
そんなテンにも唯一カートにこれだけは勝っている、とい言いきれるものがある。数少ないテンの理解者と言ってもよい彼にとっては非常によい妻である、アクアの存在だ。妻というのは一人いればいいもので、カートのように何人もいるとなるとおそらくは面倒なだけなのではないか?彼女の作る中華料理をはじめとするおいしい料理や、温かい家庭の雰囲気はテンにとっての唯一の逃げ場所でもあった。政治家にとっては家庭ほど大事なものはないということはテンの持論でもある。子供はいないが、飼い犬の北京とカロナイナ(夫婦の出身地から名前をつけた)ともども家族揃ってふっくらしていることもよくマスコミの揶揄の対象となるが、ほかのことは非常に気にするテンもこのことだけは気にしたことはない。
「愛する妻と犬2匹との楽しい生活です。私は何よりも家庭を愛しています。」
選挙期間中、何度も汗をふきふき連呼した言葉が主婦層の心をつかんだらしい。
いまだに「いいお父さん」「いい夫」とのイメージはよいままらしいが、最近はその前に
「政治家には向かないが・・・」
「大統領には向かないが・・・」
という枕詞がつくようになった。最近はしかめつらを良く撮られているが、ソフトで、家庭的な好人物として当初彼は大統領に選ばれたものの、残念ながら、就任して2年。すでにその事実は忘れられそうになっている。
当初、一応は講和時の契約を守っているかに見えるイスラム教徒たちを攻撃する欧米勢力を抑える穏健派として大統領の席に座ったが、結局は彼らの問題はほぼすべて彼らの独特な生活ぶりにある。南極大陸もさして広くはない。少将は譲り合いの精神を持ってもらわないと困るのだ。
「人間なのだから話せばわかる」
と言っていたシュケルをあれほど尊敬していながら、現在のイスラム教徒たちは彼のその言葉を忘れたかのように話してもなかなか理解できないうえにその数少ない相互理解による公約をすぐ破るようになっていた。

もし…もしかしての話だが、許されるのであればメッカあたりの放射能を除去して彼らを移住させるのも手の一つかもしれない。
当初はその考えは彼の中で封印されていた。
それを実行するには連合政府に頭を下げる必要があるからだ。
イスラム教徒よりもそういう面では達の悪い欧米勢力をどう抑えるかが、テンの手腕では無理だ。
しかし、その中に月のイスラム教徒たちも入れることができれば…
月の内情から見てもイスラム教徒と周りの住民はそれなりに折り合いを付けて入るようだがまだ、完全に融和はできていないようだ。
イスラム教徒さえうまくまとめることができれば、地球のプライドを傷つけない形で話は進み、うまくいけば連合政府との平和条約の締結も夢ではない。
悪い話ではない話のはずである。
むしろ最良の選択だとテンは信じていた。
そのアイデアを昨日聞かされた統括政府の実力者たちもそれを信じて極秘ではあるが支持を表明したようである。

「政治的な決断というものは大体当初は最良の選択だと思われていたはずのものが最悪の結果を招くこともある。異論もあるだろうが、歴史がそれを物語っている。数千年たっても歴史は変わっても残念ながら人類は変わらないのだ。」
この言葉は歴史について言及した先章の最後に出てきたイル=ゲインの息子であるソド=ゲインの言葉である。
後、最後にテンという人物の特徴として、彼は日記や、メールというものをほとんど残していない。奥さんに対する「今日は8時に帰る」等のメールは残されているらしいのはほほえましいが、自分の考えや、意見は決して文章に表わすことはなかったと言われている。
このテンの特徴は同時代の人々がそれなりにメールや日記を残していたため、特筆すべき特徴となってしまった。
本人に言わせれば文才に自信がなかったためだろうが、それだけ彼の中に秘密が隠されていた証拠の一つであろう。と、別の意味で後世の中では評価するものも多い。
「”偉大なる凡人”の例は歴史上枚挙に暇がないが、このテンもその中の一人であることは疑いようはないだろう。」
1000年後の学生たちが皆勉強する歴史書には彼の評価は上記のように記されている。

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