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アル・ジャズィーラ攻防戦2~


統括政府の優れた“ネット”はそれ以下で飛ぶPLO軍機も逃すことはなかった。
導師アル=ファトフは空軍の一時的な解散を心の中で決めていた。
ちょうど彼らの持つ主砲は高射砲に向いていることもあった。
空を飛べない戦闘機など意味がない。
強力な反対者はいるが、あの山猫が消してくれるだろう。

まさか、自分が戦争の指揮官になる可能性など考えたことがなかった。
伝説と化した曾祖父ビン=ラディンに似ている、といわれてずっと育ったが、それは単に顔だけであって、困ったことに性格はすべてが神格化されている曾祖父と比べようもない。と思ってきた。
ただ、軍事的な才能は今一つだと思い込んでいた彼は、彼なりのやり方で、野心に燃えた時期もあった。
“組織”に近づいたのも、その“儀式”へ参加したのも、曾祖父がなしえなかった夢に対して一歩でも近づこうと思っていたからだ。
ただし、曾祖父がしようとした“軍事的”ではなく、“政治的”に彼は夢を成し遂げたかったのだ。聖地エルサレム、メッカの領有。
それが、杉野正誘拐事件で棚ぼたのようにその夢があっけなくかなってしまった。
このことが彼の人生の目的をしばらく失わせたことは事実だ。
結局乱世に生きる男だったのだろう。彼は平和な世の中で生きるすべを一般人より知らなかったのかもしれない。
しかし、それにしてもなぜ彼が結局は自ら望んでもいな“かった”“はずの”戦争に首を突っ込むことになったのだろうか?
連合政府側に亡命した導師アヤトラのような人生も選ぶこともできたはずである。
仲の良い妹もできたように一つ間違えたら彼も亡命できたはずなのだ。
何故それをしなかったのだろうか?
イスラム社会の中で、妹が結婚相手を裏切って亡命する、ということはそれだけ兄の人生を縛ってしまう、ということもあっただろう。
しかし、それならば隠遁生活をすることで反省の意を世間に表すこともできるはずだ。
それなのに、彼はこれ以降、自ら望んでいるかのように戦場の最前線に立っている。
曾祖父と同様彼もあまり自分のことについては書き残していないし、周りの人間も彼の心の中のことを書き遺していない。
なので、これは単に推測にすぎないのだが、強力なライバルの存在が彼の心に火をつけたのではないだろうか?
アマンダ=シュナイダー=ヨーゼフその人である。彼女がいなければ彼も最後まで戦うこともなかったかもしれない。そういえば、彼の曾祖父も、当時、勝ちようもないと思われていたアメリカ合衆国に最終的にはただ一人で戦いを挑んでいた。
これもアル・アッタードの常に主張するDNAなのだろうか?
今となっては彼の心情はこの小説の中で何とか推理していくしかないのだろうが、この時点では彼はまだ、政治的な解決をあきらめていないかに思える。

すでに90を超えた月の導師アブドッラーにカートとの対談を持ちかけてみたり、この頃にはすでにフィクサーとしても有名となっていたジャーナリストのセリムにも杉野を通じてのアマンダとの会談を申し出ている。
しかし、この2人はそれぞれの立場で、この申し出を断った。
アブドッラーはウスマーンの時代から統括政府側に残ったイスラム教徒の考え方には疑念を抱いていた。
本来、イスラムとは平和を愛する宗教である。
歴史上もほとんどの場合、自分から侵攻をしたこともなく、大きな侵攻といえば、聖地エルサレムを争った十字軍の戦いと、オスマントルコの侵攻程度である。
それが何を自ら望んで、軍備を整える必要があったのだろうか?
彼らの聖典にもこのような記述もある。

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において。
吐く息荒く進撃する(馬)において(誓う)。
蹄に火花を散らし,
暁に急襲して,
砂塵を巻き上げ,
(敵の)軍勢の真っ只中に突入する時。
本当に人間は,自分の主に対し恩知らずである。
それに就き,かれは誠に証人であり,
また富を愛することに熱中する。
かれは墓の中のものが発き出される時のことを知らないのか。
また胸の中にあるものが,暴露されるのを。
本当に主は,その日,かれらに就いて凡て知っておられる。

彼はアル=ファトフにこのような言葉を送ってまずは軍備を完全にといてからの話だろう、そうでないとイスラムの教えにも反することになる、と警告している。
これに対するアル=ファトフの返答は、なかった。
セリムも一応杉野には話は持ちかけたようだが、断っている。
杉野はアブドッラー師の返答をすでに知っていた上に、大体アル=ファトフ自身が本気なのか?とまず、疑念を持ったようだ。
杉野もアル=ファトフの性格は知らないが、その特性は平和な時代に生きる人間ではないだろう、ということぐらいはわかっていた。
その上、可哀そうだが、彼の下にいる人々が平和的な解決など望まないだろう。
最悪の場合、弱気になったアル=ファトフを殺しかねないほどの殺気だ。
こういう集団を相手にするときは、“イコン”となる人が必要な時もある。アル=ファトフはその血筋から見ても、才能から見てもその資格を持つ人物だったのだ。
基本として、連合政府の人間である杉野にとって、別にこの戦争にここまで首を突っ込む必要はなかったはずだ。なのに、なんで、この戦争に、アマンダを出してきたのか?
将来的に太陽系を抜け出す予定の連合政府にとって、後々までの足かせとなりかねない、“組織”とPLOのせん滅がその目的であった。
そうでないと、カートもアマンダも、アル=アッタードも動くわけなどなかったのだ。
人間というのは不思議なもので、それなりの人物が上についていると、戦えると勘違いするものだ。そんな考えを叩き潰す意味も今回の戦争にはある。
可哀そうな話ではあるが、その“イコン”としての適任者であるアル=ファトフにはその任を最後まで完遂してもらわないといけない。
杉野は杉野のこういった考えもあり、非常にシンプルな断りを入れている。
「それを決めるのは私ではなく、アマンダ=シュナイダー=ヨーゼフその人である。」

「いやぁ、統括政府軍はいい身分らしいぞ。何しろ、月の美女たちからたくさんのメールだの電話だのお土産だのをもらっているらしい。」
といったうわさがPLO軍内で流れだしたのはそれからしばらくしてからのことだった。
ついに姿を現した…と思ったとたん、その10隻の潜水艦は何をするでもなく、メッカから遥かにはなれた大西洋上で、ただ、こちらに大砲を向けている。
一応、その艦隊からの通話を傍受したPLOのオペレーターからのうわさだった。
とにかく、アマンダには適当に
「遠浅のためにこれ以上近づけない。」
というような報告を入れて、後は月の美女たちだの映画だのを見て楽しんでいるらしい。連合政府は今回はあくまで表面的にはこの戦争に参戦していないが、かなりの物資を統括政府軍に与えている。
中には月の夜の世界に住む女性たちもたまに統括政府軍を慰問に華やかな服装に高価な酒のボトルを大量に持ってきたこともあり、そのアドレスだの電話番号だのはその時に聞いたに違いない。
統括政府軍内では海軍は“お飾り”としてずっと馬鹿にされてきたことぐらいはPLOの誰もが知っている。何しろ、お金持ちのできの悪いご子息様がたが30歳で除隊になった後にいい職場に入るためにわざわざ徴兵制に応じて、海軍に入っているらしい。
まず、海軍なら前線に出ることもないし、一応軍隊にいた、ということになると社会的にそれなりに尊敬を集めるからだ。
「本当であるとしたらふざけた奴らだな。」
アッ・ザーリヤートも旗艦アル・ムルクでその噂を聞いて失笑していた。
大体、隊長と呼ばれる女の貧相な身なりからして失笑の対象になっていた。154センチ34キロというガリガリの東洋人である。
噂によると、あれで何人か子供がいるらしいが、よく無事に生まれたものだ。
「マッチ棒」
とのあだ名は統括政府軍からPLO軍にも瞬く間に広がった。
舘としてもはた迷惑な話ではあるが、とにかくこうしていろ、といわれている間はこうしているしかない。

第二艦隊の旗艦ドビュッシーは月からの賓客を迎え、さすがのアレクセイ=エリック=シュナウダーも緊張を隠し切れていない。
彼らは一路北極へ向かっている。
アマンダも、アレクセイだけでは少々心細かったらしい。
今のところ、こういう時に頼られる男は2人いるが、杉野は年も年だし、別の任務もあったので、この男が来ることになった。
ショーン=マクレガー。月では杉野の後釜として、情報局部内で活躍しているらしい。次期元首のラフマーンの絶大なる信頼を受けているとの噂だけでも萎縮してしまうのだが、それだけではなく、あのミケーレ=シュナイダーと比べてもそん色のない美男子だ。
その上、杉野正誘拐事件では、杉野とともに事件を解決に導いたあの“死の天使たち”の元一員であり、16歳にして大学を卒業した。
また、あのアマンダ=シュナイダー=ヨーゼフの家庭教師も務めていた、というそうそうたる経歴で、アレクセイとしてもどう話をしていいのかわからない状態だ。
2日一緒にいて、酒よりもコーヒーが好きな男らしいことは何となくわかった。
あと、私用時間にはいつも電話をしていて、何か数学だの科学らしきものを誰かに教えている様子だ。アレクセイ自身あまり勉強には自信がなかったので、何を言っているのかよく理解できないようなことをショーンは誰かに一生懸命教えていた。
「試験まであと3ヶ月なんですからね。この化学式は完ぺきにこなさないとナイチンゲール医科大学なんか入れませんよ。一応あそこはあなたが前いた大学より1レベル高いところですからね。」
と厳しいことを言ってみたり、
「大丈夫ですよ、妊娠中でもちゃんと勉強していたら、全部胎教になるらしいですよ。アマンダのような女の子にはならなくて済む。あそこの大学なら託児所もありますし、僕の同級生も助手として働いています。いざというときは看護学科ですが、先輩のジョシュアもいますから安心して下さい。」
と、進路指導をするなど、いろいろ頼りになる先生ぶりだ。
ビスファラシュには妊娠中の上に大変だと思ったが、同じ経験をしたジョシュアの母と話しあって何としても今年の試験に医科大学に合格させることに決めた。
連合政府内での医科大学は5年制だ。統括政府内では6年制だが、その一年の差はロボットの技術も優れてはいるが、かなり詰め込んだ勉強をするためである。だから、本来であれば、子育てをしながら行くようなところではないのだが、どうしても医師になりたいのはビスファラシュの夢であった。本来は出産してからでもよかったのだが、連合政府内のコスモステーションの役所でイスラムからの脱退を決めた女性には3年間のみ補助が出る。出産を待つと一年間棒に振ることになるのだ。秋からの新学期なので、ほぼ臨月、もしくは出産直後に入学することになるが、この一年間を棒に振るよりはましだろう、との話だった。皆の話し合いで、国の予算がでるその間に一生懸命勉強して、後は家庭教師や、看護助手などをしながら夢をかなえさせるのが一番だ、という結論に達した。あと、ナイチンゲール医科大学なら、最悪看護師になるにしても簡単に進路変更も可能だし、連合政府内でも有数の大学のため就職先も安定している。何よりも設備の生き届いた託児所があるところをビスファラシュが気に入ったのはいいのだが、何よりもレベルが高い。彼女はアマンダとは比べ物にならないぐらい、ショーンから見ても優秀な生徒ではあるが、あと少し、理数系は強化する必要があった。何としても今年合格しておかないと、大学4年からは学費も自分で出さないといけなくなるため、大変なことになる。もう、兄の導師アル=ファトフはそばにいないのだ。子供を持ちながらも彼女は自立しないといけない。元夫のアッ・ザーリヤートが生涯で最大の危機に立たされつつある中だが、彼女は完全にそれを忘れている時が増えてきた。
色々な心の傷がいえてきたのかもしれない。こういった子供の妊娠の仕方をした女性は、統計上では半々らしいが、自分は生まれてくる経緯はともかく、何よりも子供の成長も楽しみなタイプの母親らしい。
兄がいたといえども母も早く亡くし、自分だけの家族、というべきものが今まで彼女の人生にはいなかったからかもしれない。
運よく彼女は自然に母親になれるタイプの女だった。
イスラムにいれば決してかなわなかった夢もかなえられるかもしれない。月の生活も思った以上に快適だ。彼女は最近ジョシュア相手には冗談を言うようになったらしい。
ショーンはそれだけでも安心していた。他に人も頼めたのだろうが、やはり、彼女の今の立場で、よくわからない人物に任せるのは危険すぎるし、彼自身、家庭教師の腕には自信があった。学生時代は家庭教師で食べていたようなものだったし、アマンダ以外の生徒たちのすべてを志望校に合格させている。
アレクセイにとってはその電話の相手は気にはなっていたものの、あえて聞く気にもなれなかったが、もし、知るところになれば、ひっくり返ることだろう。

ショーンはショーンで、今回作戦の同行をする統括海軍潜水隊の複数の艦隊の旗艦をそれぞれ表敬訪問していた。その中で、一番印象に残ったのはやはり、統括軍内で失笑の的になっている第四艦隊のシベリウスの司令官席だったようだ。
「噂は本当みたいだぞ。」
と驚くラフマーンにメールを送っている。それを読んで、
「本当に幽霊船だな…」
と月並みな答えを返しているラフマーンだ。あの絵の前で色々命令される部下の気持ちを思うだけで笑っていいのか、気持ち悪がっていいのかラフマーンにはわからなかったが、そういう意味では単純な性格のジョシュアが爆笑したことは言うまでもない。
とにかくまだまだ氷の山である北極での作戦が成功すれば、アッ・ザーリヤートなどは内規で吹き飛ばせることだろう。アマンダはそれ以前に再起不能にする予定らしいが…ショーンとしてはアマンダの意思に任せるしかなかった。どちらにしても“チャンネル男”アッ・ザーリヤートにとってはかわいそうなことになるだろう。

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