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アル・ジャズィーラ攻防戦11~
アッ・ザーリヤート率いるPLO陸軍と、それを包囲するアマンダの軍勢を地上からとらえたその様子をみた導師アル=ファトフはこうつぶやいたといわれる。
戦車こそたくさんあるものの、アマンダ率いる騎兵隊がいるロングビーチに入るには重すぎるし、持っているレーザーや弾薬も少ない。
その弾薬はなぜか自分の元に来た海軍のイージス艦の中に入っており、苦笑を禁じ得ない導師だった。アッ・ザーリヤートもここへきて自分より先に妄ろくしたのだろうか?
そのイージス艦の艦長に聞くとアッ・ザーリヤートが乗せておけ、といったので艦載することになったということだが、あのロングビーチの海の彼方にあるイージス艦に保管するものではないだろう。どのように運ぶつもりだったのだろうか?理解に苦しむ導師と館長だった。
「アマンダ将軍のように地下を掘り進むつもりだったのかな?」
と笑っていたとシャルマシュの日記には記されている。ただ、これらの弾薬はのちにアル=ファトフによって非常に効果的に利用されることになるので無駄、というわけではなかったが、少なくともアッ・ザーリヤートから見たら意味のないものになってしまったわけだ。
その哀れなアッ・ザーリヤートから何度も会見の依頼が届いているが、礼儀正しく無視を決め込む導師だった。大体海を通るにしても海戦の影響で海図を書きなおす必要があるほど海の地形も変わったため大型のイージス艦をポーツマス港から出すことも難しかったうえに、地上を通ってドバイに帰るつもりは導師にもその部下たちにもなかった。
アル・ジャズィーラの象徴であるエルサレムや何よりもイスラムの象徴であるメッカにはよほどの誤爆を除き手を出さないというアマンダの言質もえている。ドバイなどは第三次世界大戦でも壊滅的な打撃を受けたはずだが、NYもパリもロンドンも東京も北京ですら無理であった完全な再興を成功させている。
地球を代表する経済都市としてまた復興することだろう。何よりも月の利益を考えて行動するアマンダがめちゃくちゃなことをするはずはなかった。
ドバイ、という地は、地球が戦場としての役割を持つのみになったとまで言われるこの時代でも、南極の諸都市の財政的な地盤の薄さとはまったく違った“場所”だった。
その上、アル=ファトフは約束を必ず守る男として有名だった。彼は温和な性格とその行動で歴史に名前を残していくことになる。
ただし、その約束もよく考えれば必ず彼のメリットがあるものに限られた。その中には彼にとって分の悪いようなものもあったが、“負けて勝つ”という言葉が彼のモットーであるかのようにそれを結局は有利な展開に仕上げていったのは彼の手腕によるものであろう。
おそらく、アル=ファトフがした約束は、彼の中で熟慮したうえで明言したり、明文化していたに違いない。こういうことにかけてはアマンダなどは彼の足元にも及ばなかった。やはり、お嬢様育ちといってよいアマンダと違い、彼は名家の出身であるといえども20人以上いる男子の中からその家の代表者となり、何人ものライバルをけおとしたうえで今の地位を築いている。アマンダが抱えることになる“お家騒動”的な意見の相違は彼の陣営の中ではどのような史実を虫眼鏡で見たとしても皆無に等しい。
意見の相違があるものでもうまく使いこなせるバランス感覚の良さは最後まで彼を助けることになる。
今回の約束も一見本拠地であるドバイを失うようではあったが、メッカは手放しておらず、ドバイも武装解除したのちは彼の手元に帰ってくるはずであった。
今回の約束に関して言うと、おそらく自分とは階層や民族が違うものが集まった陸軍がここで全滅してくれれば、逆の意味で戦いやすいと思ったに違いない。クルド人とスンニ派の問題はそれほどまでにイスラム社会の中のひずみを象徴するものだった。
彼のバランス感覚を持ってしてもかなり手こずるアッ・ザーリヤートをはじめとするPLO急進派、この民族や、派閥を敵によって除くことができれば、しばらくといってもあのアマンダのことだ、長くて半年ぐらいの内政干渉など、なんのことはない。と彼は考えたに違いない。
それにしてもアッ・ザーリヤートがなんと、ずっと隠し続けてきた自分の出生の秘密まで暴いて自分はクルド人だと言っているという噂を聞き、もはや呆れ果ててものも言えない導師だった。
もし、その噂が本当であれば、あの異常な上昇志向の原動力はここにあったのか・・・
ビスファラシュに対してとった行動も今となれば頷けるし、妹の上に襲った過酷な運命を思い、アラーに妹とおなかの子供の無事を毎日祈るアル=ファトフであった。
言われてみれば、シュケルのもとで有名な将軍であった男のただ一人の男児でありながら、嫡子と認められず、なんと“組織”に預けられて育ったのもここにあるに違いない。
クルド人への差別の感情はこの時代にいたってもまだアラブの人々の心の中に根強く残っていたといわれる。クルド人たちもその差別の対象になることを心底から嫌った。
導師ともあろう人物がさすがに、それをあらわにすることはなかったが、シュケルの軍勢の中でもクルド人と他民族の争いは時に戦場を混乱させることもあったため、怒ったシュケルがそれぞれの民族の代表を呼び寄せ、アッラーフ=アクバル会談を開いたほどだ。しかし、その成果と言っていいのか不明だが、それからイラク崩壊以降、放浪する宗派といわれていたスンニ派とクルド人は戦場が同じだったこともあり、奇跡的な和解に至り、南極でも居住区を同じにしていたほどだが、ほかの民族や宗派はスンニ派とクルド人たちとは一線を画していた。だが、その勇猛果敢な戦いぶりはシュケル軍、ネクストアルカイダ軍の中でも群を抜いており、
「ゴキブリども」
とまで呼んだ、連合軍の元帥がいたと伝えられている。しかし、それはどちらかといえば、パリ連合の優れた軍事開発力を持ってして初めて生かされた類の勇猛さであり、今の状況では蛮勇と評されても仕方がないものの、彼らの勇猛さはほかのアラブの諸族にも影響を及ぼしていたため、その中で脱走を試みようとしたものがいたとしても難しかったに違いない、と後の歴史家たちは評している。
その上、圧倒的な優位にあるアマンダ率いる軍勢がどうやら、捕虜を受け入れないらしいという噂も手伝った。その上、捕虜は殺すとの噂も出、それにおびえたものも多かったといわれる。
通常の戦争であれば、何割かに達するであろう、脱走者がほとんど見られなかったのはこの戦争の大きな特徴になった。
なにはともあれ、“可哀そうな戦争”(ラフマーン談)が始まるのは時間の問題であった。
が、その前にひとつの騒ぎがアマンダ側にあったことをここに記しておこう。
捕虜の問題である。
ドバイの城壁の攻略を命じたアルベルト=ジェイアス大佐の命により、統括陸軍の担架で重傷者が運ばれた、という話を聞いたアマンダは、重大な軍紀違反とのことで、更迭を命じることにした。
それに待ったをかけたのが、ラフマーンだった。
元からラフマーンはこの捕虜の待遇に関しては反対の路線を貫いてきた。
その上、ラフマーンもジョイアスも見解は同じだったが、この場合、自分たちで運んだわけでもなく、自分たちの物資を分けただけであって、問題はないという考えだった。
他の隊長たちもその意見のほとんど賛成したと伝えられる。
少数派ではあるが、テンと、杉野のみはアマンダの意見に積極的な賛成をしている。
理由はやはり、捕虜たちの身につけられるものが1900年代とは全く大きさや性能が違う、というものであった。
もし、陣中深く入った彼らが何をやらかすやらわかったものではない。
ペン型の核爆弾など、彼らの手に入った日には目の当てられない惨状ともなりかねない。彼らは戦争の怖さ、テロリズムの恐ろしさ、というものをアマンダとともに一番知っていた。その考え方はショーンに受け継がれていく。
ワスタシュ、ラトーヤの二人を早々にアッ・ザーリヤートの元へ返したのもそのためだった。そちらの対応もラフマーンからしてみれば不満ではあったらしい。
カートですら、懸念を示したといわれる。しかし、カートの場合は、最近の兵器の発達ぶりや、イスラム教徒独特の考え方、特にPLO派の人々の思考等を考慮した対応だ、との杉野のレポートで納得したらしいが。ラフマーンは違っていた。
「女や、動けない捕虜まで見殺しにすることを禁止するのはやりすぎじゃないのか?」
とのラフマーンの意見によってアルベルトは更迭を免れた。非常にラフマーンとアルベルトは考え方も似ており、気があったようだ。同じく尻に敷かれた状況の愛妻家であり、どちらかというと革新的な民主主義者としての思考回路も同じだった。この2人はこののち、何事かあれば二人で行動を共にするようになる。一方、アマンダも、ショーンと杉野というブレーンをもち、この2人とは考えを異なる生き方を選択するようになる。
これ以降、アマンダとアルベルトはその命の最後まで意見の相違を抱えたままとなった。
その見た目とは逆に極めて民主的で人道的なアルベルトだったが、死の恐怖を免れるために兵士がマリファナ等麻薬に手を出すことにも非常におおらかな態度を貫いている。
特にマリファナに対しては彼自身祖父がアルステムダム出身ということもあり、自身も愛好家であったらしい。実際、煙草よりも常習性はあるものの、体には悪い影響を与えないという正式な研究結果も出ており、このマリファナを麻薬とするか、どうするかはこののちの時代それぞれの政府の見解に任せられた。
その上、ベトナム戦争あたりからアメリカ軍内ではこういう薬に頼るものは多かったというなかなか表に出せない伝統があり、それは結局彼らアメリカ軍が中枢を占めることになった第3次世界大戦でもそうだった。特に煙草が体に悪いことが明らかになった頃、入れ替わるようにマリファナがその座を奪ったといわれる。あの空軍の雄、ジョナサン=カマルも禁煙してからは有名なマリファナや、他の麻薬の愛好者の一人であることもあり、アマンダとしても何とかしてこの悪弊を取り除こうと努力はしているが、アルベルト等、中間職の大佐級がその命令を有名無実化したといわれ、こののち、老齢の英雄たちが勇退していく中、連合政府軍の中でこの2人(ラフマーンも含めた)の対立は徐々に有名になっていくことになる。
ショーンはこのことについてこう記している。
「アマンダの考えることは100年先になると人々の常識になるのだろう。ただし、あのマリファナという植物に対してなぜあそこまで嫌悪感を示すのか理解できないが。」
彼は大体体に悪いものや、記憶を失うようなものを嫌っていたが、別にマリファナに対しては自分はやらないが、別に愛好家を一方的に嫌うことはなかったらしい。セリムも同じ考え方であることが日記からわかることがある。それほどまでにこの時代はマリファナが蔓延していた。イスラム教徒のはずの、アッ・ザーリヤートですら、マリファナの愛好家であった。若い世代のイスラム教徒には酒よりも愛好家が多かったといわれている。保守的なイスラム教徒であるアル=ファトフに嫌われる一因でもあったといわれている。
歴史家はこの時代の一つの特徴としてこの風潮を取り上げるものも多い。
アマンダに言わせれば
「酒が飲めないからあんな馬鹿なものに手を出すんだろう。大体あいつらはマリファナをやった時のことを覚えてないだろう。俺はどんなに酒を飲んでも大体覚えているぞ。」
という理由であったといわれている。とはいえ、1900年代のマリファナとは違い、常習性もその危険性もかなり抑えられたものであった、ということは記しておこう。たばこに変わる、酒と同じぐらいの嗜好品、というくらいの地位をすでにマリファナは築きつつあった。しかし、マリファナだけでは物足りないものが他の麻薬に手を出す例も多く、それが軍紀や治安に影響することもよくあったことから、アマンダや、テン、杉野、舘等が懸念していた、といわれている。
アマンダにとってラフマーンはいい兄ではあったが、実際いい指導者であったかどうか?歴史家はもし、という言葉をよく利用するが、二人が同調するのは子供時代の話の時だけだった、というジョシュアの証言でほとんどの人々は理解をするに違いない、という見解を持つものが多い。
ミケーレとショーン、またはイーサンや父カートまでもがたびたびラフマーンとアマンダの喧嘩の仲を取り持つことに苦心している文献が多く残っているところを見ると、終始、統括軍の圧倒的な優位で推し進められた割には時間がかかった戦争だというイメージが強いのは文民の最高指導者になるべきラフマーンとすでに軍隊の最高指導者になっていたアマンダの意見の相違があり、それを遠いところから鋭敏に見抜き、徹底的に利用した導師アル=ファトフの能力の高さや、それをさらに遠いところから見抜き兄を最後までサポートしたビスファラシュの兄弟愛の深さや、シャルマシュとセリムの友情の深さという二人の女性の働きも大きかったに違いない。
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