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昨日、ほんのかすかに雪が降りました。ほわり ほわり 豪雪地帯の皆さんに申し訳ないような、ささやかな雪でした。 「あ、雪だ!!」って、絶対、言いますよね。そして、しばし、見入って、「綺麗ねえ。」ともう一回。 おっ、、今、少しずつ読んでいる、「よみがえる万葉人」永井路子著に、大伴旅人の素敵な歌を発見。 我が園に 梅の花散る ひさかたの 天より雪の流れ来るかも 永井先生によると、口調がいいだけの、どうということのない歌だそうですが、私は、梅の花盛りを控えた1月の末に、雪とこの歌に出会ってとってもハッピー。 しかし、実は、大変なことも起こっていますよね。エジプトの内乱です。そのせいで、今朝の日経平均は大幅ダウン。私は、朝から、PCの前で頑張っていました。しかし、ザラ場は、小動き。こういう時に、下手に動いてやられるのが、いつものパターンです。 心静かに、別のことをしようとします。とりあえず、メモ帳を立ち上げて、昨日の雪を思い出して、うたを作ろうとします。すると、別のことに集中するので、イライラしないって訳。 私は、大体、昼間はこの調子で、トレードとうたと、家事を中途半端にこなしながら過ごしています。 ★ 不意打ちのやうに 粉雪舞い始む 予兆か夢か 受け止められず 雪と株価の暴落と、なんか、コラボった歌ができました。
January 31, 2011
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時折、テレビでお料理を作っている、和食の笠原将弘、知ってる?彼は、いい男なんです。☆送料無料☆ DVD/趣味教養/笠原将弘の賛否両論あるでしょうが~ようこそ僕の和食へ/CSHP-1お母さんを高校3年生で亡くした時はまだ、幼くて、からだばっかり大きかったのですが、ベッドの淵で大声で、「おかあさん、おかあさん、」と呼び続け、いっとき息を吹き返したのですが、、、、 それから、次にお父さんを亡くして、一人っ子ですから、ほんとに寂しいことになってしまったのでした。 しかし、こうして、一人前になって、立派になって、ほんとによかったです。 彼の父親は、私のいとこです。男儀のある人でした。かっこよかった。なんで、あんなに早死にを・・・ まあくんのお店、「賛否両論」は、予約のとれないお店で有名になりました。ありがたいことです。先日、久しぶりに家族で食事に行きましたが、やっぱり美味しかったわあ。 頑張ってね。 まあくんへ 予約のとれない場合、遠くに住んでいらっしゃる場合、ラー油鍋とやらを作ったそうです。昨日、みんなで突っつきましたが、美味しかったですよ。よかったら、まだまだ寒いので、あったまってください。oisix とコラボらしいです。http://www.oisix.com/shop.gift--Wsh1-5857__html.htm お店のホームページはこちら 「賛否両論」です。http://www.sanpi-ryoron.com/ 本もいろいろあります。【送料無料】コツまみ ★ おいしくて 少し懐かし 君の味 ・・・・・・・・・・・
January 30, 2011
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河野裕子の歌が好き、と書いたことがありました。 たん・たん・短歌 枯葉の季節になった。ミシガンの冬はすぐそこまで来ているらしい。この時期にいつも思い出す歌がある。 たとえば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらって行ってはくれぬか 作者は河野裕子。彼女のごく若い頃の作品である。「たとえば君...」というどこかつき離した呼びかけと、「ガサッと」という効果音をほうり込んで、当時、そして今も斬新な感じの歌だが、その内容にはズキンと胸が痛む。あんな時代もあった。っていうヤツかもしれない。 「たとえば君...」そこの君、ちょっと君、誰でもいい、たとえば君でもいいから私をどこかに連れていってというのである。ただし、親だけは不可。親の甘い庇護を含む現状から自分というものを丸ごとひっさらってくれる外からの手を期待しているのだ。そして、どこにも所属できず、若いくせにどんどん若さを失っていく不安におびえ、ここじゃない所でならやり直せそうな気がしていた。しかし、泣く程ではない。この歌には、そんな自意識の強い夢見がちな女の子が見え隠れする。 ところが、ある日彼女に答える人が現れた。何てラッキーな。お相手は永田和宏氏。京大医学部教授で歌人で、しかもハンサム、しかも年下というまさに理想の恋人でしょう。そして彼の歌。 あの胸が岬のように遠かった。畜生!いつまでおれの少年 気のせいか、男の人の方が素直みたい。そして二人は結ばれて赤ちゃんが生まれた。その結婚生活は......。 君を打ち子を打ち灼けるごとき掌よざんざんばらんと髪とき眠る 恐いですね。まだまだ、情熱は失われていないというべきか。ただ、生きている限りいくらシチュエーションを変えても生活はついてくるのだ。白雪姫にも、シンデレラにも、裕子さんにも。そして、この歌は子育てしている時の私自身の姿でもある。 しかし、勿論彼女だって毎日お岩さんみたいに暮らしているわけではなくて、むしろ同時代のフェミニズム歌人から「幸せな歌ばかり作って。もっと問題意識を持ちなさい!!」と糾弾される程幸せな人なのである。そこで永田氏の歌。 食えと言い、寝よと急かせてこの日頃妻元気なり吾をよく叱る それぞれ作った時期も違うし、本来の相聞歌ではないのだろうが、並べてみると結構面白い。 さて裕子さんは今でも枯葉の季節になるとどこかへさらわれてしまいたいと思っているのだろうか。 たったこれだけの家族であるよ子を二人あひだに置きて山道のぼる
January 29, 2011
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たん・たん・短歌 和英辞書で引くと、英語では恋も愛もloveであるらしい。本当は別にあるのかも知れない。どなたか、どうぞ教えて下さい。 しかし、日本語では、恋と愛は明らかに違うニュアンスを持っていると思う。恋の方が激しい感じ、刹那的、突然訪れ、真っ逆様に落ち込む感じ。誰かを好きになる、それが恋のイメージ。 そして愛はもっと熟成した感じ。男女の間だけでなく、親子でも兄弟でも、物に対しても感じることができる。 「私は、おじいさんから頂いたあの机に恋してるのよ。」とは言わないけれど、「転勤で手放す時は涙が止まらなかった。」と愛情表現することはあるでしょう。日本語では「恋がいつか深い愛に変わり......。」と言うけれど、英語ではそれをどう表現したり、または、そういう感情の変化が一般的にあるのかしらと思う。翻訳物にはよく、「二人の恋は実らなかったが、よい友人になった。」なんて書いてあるけど、愛と友情もまたちがうはず。 実際、結婚前は恋で、結婚後は愛というような、恋が実って愛となるような感覚もある。すると、恋は花で愛はフルーツかしらと哲学的に考えてしまった。 さて、先月号のニュース・レターに「チョコレート革命」のことを載せて頂いて、あの2冊はどなたかのお手元へ旅だったようです。ひなの巣立ちを知った母鳥の気分。 そして、一方、ここアメリカでは、ほしいと思っても日本の本は簡単に手に入らないので、読んでみたかったという声も聞こえてきました。そこで、私の好きな歌をいくつかご紹介したいと思います。 明治屋に初めて二人で行きし日の苺のジャムの一瓶終わる 冒頭の一首である。非常に具体的なイメージの湧いてくる歌で、京橋の明治屋の古い建物、狭い入口、レジまで見えてきそうだ。 俵 万智は大阪出身、大学生の時、東京に住むようになった。私はこの一首から、大勢の少女の姿が見える。大学に受かって、希望にあふれた瞳で一人暮らしを始め、初めて恋をした少女たち。 ちょっと古めかしい場所を訪れるのもデートコースである。そこで服や靴でなく、買ったものは苺ジャム。明治屋の苺ジャムである。赤くて、甘くて、せつなくて、胸がキュンとなってしまう。しかし、その一瓶が終わってしまった。作者は何も結果について触れていないけれど、食べ終わったからまた買いに行ったのだろうと思う人はいないだろう。ここは象徴的に、この恋も終わったと見るのでは。 いや、恋は終わっていないのかも知れない。しかし、一瓶が終わっても二人の間には結果として実るようなものが何もないのかも。彼女は、相変わらず根本的には孤独で、空になったジャムの瓶を捨てもせず見つめているのかも知れぬ。 この歌集はそうして始まっていく。 空瓶を見つめる少女は、やがて恋の痛みも喜びも知るようになる。 幾千の種子の眠りを覚まされて発芽してゆく我の肉体 赴任して、家族で暮らしていると、もとより恋とは無縁の状況である。恋なんて遠い日の記憶の断片かも知れない。むしろ、私の子供達が近い将来親元を離れていった時、辛い思いをしないように祈りたくなる。もう、既に、主役は交替しているのだ。残念のような、ほっとするような......。 そう思いつつ、読みすすむと17歳で夭折した山田かまちという少年への歌に出会う。 過ぎてゆく時間よ戻れ手のひらに「待っています」とぼくは書くから 幻を射止めるために矢を放つ青く乾いている秋の空 是非、中高生にも読んでほしい。痛々しくて、はかなくて、しかも、親は無力である。その親へ、こんな歌もある。 故郷とは生地にあらず「家族」という花ことば持つ花咲くところ
January 29, 2011
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昨年12月の日経新聞に、永田和宏の「後の日々」という記事が載っていました。永田さんは、河野裕子さんの旦那様。ふたりは、団塊の世代で、ご夫婦で歌人。 以下は、記事をかいつまんで、「後の日々」は、河野裕子が亡くなって、4か月ほど経った。もう4カ月なのだろうか。まだ、4か月なのだろうか。と、始まる。たつたひとり君だけが抜けし秋の日の コスモスに射すこの世の光永田は、こんな歌を作って彼女を偲ぶ。河野裕子は、死の床でも、うたをつぶやき続け、それを家族の誰かが書き取ったという。最後の一首は、手をのべてあなたとあなたに触れたきに 息が足りないこの世の息が永田は、この一首を彼の手で書き写せたことを幸せだと回想する。その前日には、十数首書き取ったそうだ。長生きして欲しいだれかれ数へつつ つひにはあなたひとりを数ふこのときは、書きながら、何も言えなかったという。 ******** 河野裕子は、大好きな、尊敬する歌人です。いい歌がたくさんありました。少し上の世代の人ですが、重ね合わせるところもありました。あなたの歌にはげまされ、密かに私も歌を作っています。拙いけど、少しずつ。。 ★ ふるえながら また春が来る 朽ちた木の 芽吹きの音を 虫は聞くかも
January 28, 2011
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今日は、マダム・カプチーノと、ペニンシュラでリッチなお食事をして、出光美術館へ琳派展を見に行って、夕焼けに近い皇居を見ながらおしゃべりをし、とってもハッピーな一日でした。琳派展のおまけに、ムンクとルオーの絵が数点、展示されていました。本日の一枚は、ムンクの「嫉妬」この絵、ずっと見たかったのです。ムンクの絵を見ると、不安になります。何故なら、彼が描いているのは、彼の頭の中の光景だと思うから。本来は、隠しておきたい赤裸々な妄想だと思うからです。 人は、念じただけで、願いを叶えることができると思いますか?ふつうは、出来ない。人が創造したものは、人が作れる。と、ジュール・ベルヌは言ったそうですが、呪いも、希望も、懇願も、思いだけで現実のものになることはないでしょう。何か、アクションをしなければね。努力するとかね。しかし、ムンクは、ただ、駄々っ子のように、妄想を繰り返し、それをキャンバスに移していくような気がします。たとえばムンクが女性のヌードを描くときに、モデルが目の前にいたのかどうか、知りませんが、キャンパス上の女性はムンクの頭の中の、「誰か」なのではないか。ムンクは常に報われないので、常に追い求めているのです。さて、この絵は、「嫉妬」彼女は、男性と話をしています。屋外ですから、当然、服を着ているはずですが、ムンクは、その暗い頭の中で、彼女の服を脱がせており、女性の姿は林檎の芯のようです。ムンクは、彼女たちに背を向けて、頭の中で呪います。 嫉妬に色があるとしたら、何色だと思いますか?ムンクの嫉妬の色は、青です。彼は青い服を着て、自分の苦悩だけをじっと見つめます。★ 君の赤い 林檎のドレス脱がさむと 青い上着のムンク俯く(うつむく)
January 26, 2011
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通し狂言 四天王御江戸鏑 (してんのうおえどのかぶらや) 菊五郎劇団の初春おめでた歌舞伎です。 国立劇場で、毎年、1月には、菊五郎劇団が歴史の中にうずもれた、超エンターテイメントな歌舞伎を見せてくれます。 これは、ホントにサービス精神がたっぷりで、眠くなったり、飽きたりしたことがありません。 今回は、大化け物の女郎蜘蛛や、ウサギの耳をつけたAKB48風の子供たちの踊り、果ては、戦場カメラマンの登場など、出血大サービス。 初春の菊五郎劇団には、たぶん、庶民のエンタメとして大人気だった、江戸時代の、本来の歌舞伎の楽しさを再現しようとしているんでしょう。むずかしい理屈や、歴史的考証は、ご法度。平安時代から、現代まで、ワープの連続。。 そして、この世に蘇った、女郎蜘蛛の菊の助の美しいことと言ったら・・・宙づりで、3階まで上がって行くのですが、ぞっとするほど綺麗だったです。彼は、普段は、あまりパッとしないように思うんですが、どうなんでしょうね。舞台では、別世界の人のように美しいけど。。 仕掛けも、面白かったです。鏑矢が命中するところなんて、びっくり。 ★ 初春や 江戸はぞろりと 歩くもの
January 26, 2011
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昨日は、母と、薩摩焼の沈寿官展に行ってきました。薩摩焼 桃山から現代へ 歴代沈壽官展 三越本店http://www.mitsukoshi.co.jp/store/1010/chinjukan/昨日は、2時から、15代沈寿官さんが、20分ほどトークされるとかで、私たちもそれを目指して出かけたのですが、会場は、すごい、すごい混雑。あまりの人数に、「これは、チャングム展以来だわ。」と、母もびっくり。理由の一つは、先週の日曜美術館の影響もあったかも。とても、面白かったし、本物を見たいと思いましたからね。日曜美術館http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2011/0116/index.html15代は、お話が上手で、ユーモアと厳しい歴史や現実を入り混ぜて、貧血を起こしそうなほど混雑していたにも関わらず、大満足でした。秀吉が焼き物戦争と言われる朝鮮出兵を断行し、初代沈さんが日本に連れて来られてから、沈家の歴史は戦いの歴史だったのですね。これは初代の作と言われているもの。かなり大ぶりの茶碗で、どちらかというと、どんぶりみたいです。当時、日本には陶土がなく、釉薬がなく、あったのは、火だけ。というわけで、「火計り」と、名付けられたそうな。 火ばっかり、only 火 ってことらしいですよ。 他の朝鮮陶工が、日本名をもらい、次第に日本に馴染んで行ったのに対し、島津家は、沈家の改名を許さなかったそうです。それは、当時、島津家が密貿易によって利益を得ていたことに関係があるそうな。沈家は、白い陶器を作ることと同時に、密貿易のための通訳も兼ねていたのだそうです。そして、もし、大事あれば、島津家は密貿易について与り知らぬこと。となるよう、人身御供のような存在だったのですって。それでも、明治に入り、廃藩置県で藩の後ろ盾が亡くなると、沈家に存亡の危機が訪れます。現当主のひいお爺さん12代は、それこそ、死に物狂いで、沈家を守ろうとします。今回の展覧会には、その12代の作品が多く展示されていました。それらは、ありとあらゆる種類の焼き物でした。キャセロールから、ヨーロッパのお城向けの巨大な壺、お土産用のフィギュア、そして、芸術的な、浮き彫りや透かし彫り。その創意工夫には、生き残りをかけて、沈家一族と技術と、伝統を守ろうとした必死の跡が見えます。現在の15代の作品は、非常に洗練されていて、色も形も上品です。 ようやく、いい時代になったのでしょうね。これからも、このすばらしい焼き物が続いていきますように。付け加えると、私たちがよく目にする、輸入用の薩摩焼は、元祖薩摩焼ではないそうです。ヨーロッパの2度にわたる万博で、到底さばききれない大量の注文が来ました。そこで、心ない商人が、その注文をこなそうとして、京都薩摩を、さらに、劣悪な横浜薩摩を作成。港で作ると、コストがかからないというのが理由だそうで、いつの時代も、せこい話はあるんですね。結果、注文はこなせたけど、薩摩の評判は落ちてしまい、ブームは去り。。。確かに、べっとり変てこな絵柄に金ピカの薩摩を見かけるし、それゆえ、薩摩焼はどうも。って思っていました。今回、その間違いを訂正出来てよかったです。1月31日まで、是非、見てほしいです。
January 24, 2011
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迷宮美術館、見てますか? 今週は、かわいい絵の特集でした。天使といえば、私は、かわいらしい赤ちゃんのイメージがあります。ムチムチした裸の赤ちゃんの背中に、小さな羽根がはえていて、ほっぺは、ほんのり赤く、目が大きくて純粋な、無垢な感じ。 天使みたい。と言えば、そのイメージが浮かんできますが、それは、ムリーリョの宗教画のデジャビュだった??? 私は、小学生の頃は、毎週教会に行っていたのですが、帰りに、小さなカードをもらいました。 このこと、今日、突然、思い出しました。 一番、大切にしていたカードの絵。 迷宮美術館で、発見。ムリーリョという画家の絵だったんですね。 この絵が、好きだったんです。 懐かしいなあ。足がねえ、かわいいんですよねえ。 もう、とっくに、その小さなカードは無くしちゃったし、忘れていたのです。でも、だんだん、思い出してきました。色々な、かわいらしい宗教画。いいえ、当時は、宗教画などとは思わず、その愛らしさが嬉しくて、大切にしたものです。 あ、これも、覚えてる。 ムリーリョは、悲しみと畏れによって、人々の信仰心をあおろうとした当時の宗教画に対し、子供の絵で、心の癒しを求めたのだそうです。それは、恐ろしいほど、辛い子供時代があったから。裕福な両親が亡くなってから、ストリート・チャイルドだったらしいです。しかも、成人してようやく幸せな家庭を持ったのに、ペストで5人の愛する子供たちを失ったのだそうです。 だから、彼の描く天使は、子供たちに似ているとか。 そう思って見ると、泣けちゃいますね。彼は、絵の中で子もたちと遊び、話し、育て、彼自身が癒されたかったのでしょうか。愛する対象を失った、父親の気持がかわいそうで、、、 かわいいとだけ思っていた絵も、その奥行きには、そんな背景があったのか。 私は、知らなかったけど、ムリーリョのおかげで、癒されていたんですね。 ★ ムリーリョも イタリアの地も 知らぬまま 祈りし日々が 我を育みぬ 今日という日に、感謝しよう。。。
January 22, 2011
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デトロイトにいた頃、ウィメンズ・クラブ(?)だったか、在住の女性の会があって、そこで、月刊のお知らせが出ていました。そこに、投稿していたものが、なんと、マイ ドキュメントの片隅から出てきたので、懐かしいのと、保存のために、コピーしておこうと思います。あしからず たん・たん・短歌 昨年10月にデトロイトに越してきて、早速書店に行ってみてところ、俵 万智の「チョコレート革命」が2冊、新刊書コーナーに置かれていた。 俵 万智は「サラダ記念日」でブームになった口語体の歌を作る人で、あのセンセーショナルなデビューからもう10年だそうである。 彼女の3冊目の歌集「チョコレート革命」は「サラダ記念日」以来のヒット作。くるくる動く大きな目でひたむきにはなす様子は10年たっても変わらず、テレビや雑誌でこの本について大いに語っていた。 そして私は風薫る5月までその書店に行くたびに、"もう売れたかな"と書棚をのぞく。しかし、その2冊はずっとそこに「ある」というか存在し続けている。 「さすがにデトロイトは日本人が多いので歌集まで置いてあるんだわ。」と感心していたものの半年も売れていないのを見ると、ここには現代短歌が好きな人はあまりいないのかなとちょっぴり悲しくなってしまう。 私は書店の人ではないのだが「この本の中の歌にとってもいいのがありますよ。」と、どうしても言いたくて長々と書いてしまった次第である。 木曜のドラマ終わればそののちを生きずともよい 椎名桔平 椎名桔平という俳優さんをほとんど知らないのでこの歌は、始め印象に残らなかった。しかし、気がつくと、うまいことを言うなあと思う。 彼は勿論生身の個性を持った人だが、木曜のドラマの中では、あるひとつの人生を生きている。演技であろうとフィクションであろうと彼はその時間をその人生に拘束されている。しかし、そのドラマ後彼は自由で本来の自分に戻るわけだ。 「生きずともよい」という断定の仕方にその男性の負の部分を感じる。わがままなのかもしれない。平凡なのかもしれない。逆に強烈な個性をドラマの中では抑えているのかもしれない。 椎名桔平に限らず、いや、私のよく知っている誰かさんも私の見ていない所では、何もそののちを生きずともよいのではないか。 そして、また、私は次の一首にめぐりあう。 優等生と呼ばれて長き年月をかっとばしたき一球がくる 誰にでも「呼ばれて長き年月」がある。「きれい好き」と呼ばれて長き人、一日家事をほうり出してみたい時がありますか。「明るいのね」と呼ばれて長き人、本当は誰より傷つき易いはずなのに。あるいは疑いもせず、そのように生きてきてそれでもある日...。 しかし、実はこの本辛い恋の本である。実際に歌集を最初から読み進めれば自ずと先の二首にも違った意味が見えてくる。 相手は、椎名桔平に似ているのかもしれない。あの優等生の○○ちゃんがまさかあんな恋をしているなんてと、言われたかもしれない。 妻という安易妬まし春の日のたとえば墓参に連れ添うことの いずれにしても、こういうテーマの歌集を発表した彼女の時代感覚の鋭さに脱帽という感じの一冊である。
January 21, 2011
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昨日は、学芸大の「ひのや」で、初釜のはずでしたが、なんと、久しぶりに風邪をひいて起き上がれませんでした。娘は、振袖を着たいというので、結局、母に全部頼んでしまい、新年早々、大変だったと思います。 まだ、調子が悪いけど、なんとか、熱は下がり、3連休に、展覧会に行きたかったけど、それも無理で、 う~~ん、今年は、春から、縁起が悪いか、、、なあ? 早く、よくなろうっと。。 まったく、私事だけど、来週からの相場はどうなるんだろう。夢うつつで、そればかりが気になります。 雇用統計は、少し下振れし、今のところ、ドカンと上がるとは思えないけど、だからと言って、調整に入るとも思えない。3連球前に、ノーポジにしたので、急落の恐れはないものの、もし、このまま、上昇すれば、今度はエントリーが難しい。ここからは、買いは怖いという意見と、さらに上値を追うとの意見と、現在真っ二つだし。。。去年、おととしのアノマリーでいけば、来週以降、陰転することになる。 夕されば あのマリーのシグナルに 気付かぬ振りも 春のめでたさ 意味: お正月だからと浮かれて、アノマリーを無視して買いでエントリーしちゃうなんて、おめでたい奴だ。という短歌を作りたかったのですが、熱のためか、頭が回転せず。 助けてくれええ・・・
January 9, 2011
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俳句は、まったく知らなかったのですが、jiqさんのブログを拝見して、急に、面白そう!!と思いました。jiqさんの句も素敵です。 時に、美しいバリトンです。 去年今年幻花となりぬ薄れゆく そして、誰かの句に誰かがつけていく、連句や連歌も魅力的です。 食わず嫌いだったかなあ。と思います。 で、「寺山修司の俳句入門」という本を買いましたので、ウキウキ、読んでみました。懐かしいことに、私が短歌に出会ったのは、寺山修司の短歌集がきっかけだったのです。高校生のリンゴのほっぺの頃、繰り返し読んだものでしたの。 しかし、この俳句入門は、ちょっと、違っていて、非常に理屈っぽくて、ホントに入門??って感じでした。求めていたタイプのハウツーものではなかったってことです。 しかし、好きな句もありました。 蛍来てともす手相の迷路かな 目かくしの背後を冬の斧通る ところで、高校生の男の子は、こんなに母親が好きなのでしょうか。母親の句がいっぱいあるんですが、、、ちょっと、見たくないものを見たような気もします。 ps. jiqさんへ、勝手にブログに書いてごめんなさい。
January 6, 2011
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「相棒」を見てきました。すっごく、面白かったです。 もともと軽いエンタメ系が大好きです。 テレビの相棒は、2年くらい前から見るようになり、昼間の再放送も欠かさず見て、今では、かなりの通になったと思います。 その魅力は、何といっても、あの、もったいぶった右京さんの、細かいところが気になる推理。重箱の隅を突っつくような ヤナ奴に、心から共感を覚えます。しかし、コロンボ(古い?)みたいな、汚いおじさんは苦手で、右京さんのキチンとした物言い、英国紳士風の姿勢が可愛くていいなあ。 アガサ・クリスティのポワロも好きなんですよね。理詰めの美しさを感じます。 で、この映画ですが、 過去の事件がちょっとダサいかも。でも、なんとかやり繰りして辻褄を合せたって感じ。 実は、途中、大事なところで2-3回、ウトウトしちゃいまして、気が付いたら、事件はほぼ解決してまして、 ま、いいか。 さて、本日、私の相棒は、また、単身赴任のため、出発しました。気をつけてね。よく、運動するんですよ。 とにかく、健康は、気になります。 ★ 旅立ちの 朝も変わらぬ 家族なり 行ってらっしゃい!!!
January 2, 2011
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