人生いろいろありますよね~

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子供に助けられた 命


『今の 病状と これからの 治療について 説明しますので 家族の方と聞きに来て下さい。』

家族の方って 言われても、旦那は 2号に付き添ってるし・・ 仕方ないので 旦那には 2号の点滴が終わったらとりあえず 私の病室まで来てくれ と伝え 私一人で話しを聞きに行くことに・・

そして・・・ホワイトボードのある小さな部屋へ・・・

そこで先生は 「あなた一人?」と、私に聞きつつ けげんな顔をしながら説明を始めました。

そこで 受けた説明は 

病名は 『咽頭口蓋炎』←(確か こんなんだったとおもうけど違ったたらごめんなさい)
喉の奥にある 食道 と 気管 のところに 食べ物を振り分ける(?)ビラビラがあって そのビラビラが とても腫れていて 今 まさに くっつこう としている ところだったらしい。

簡単に 言えば 後 少しで 窒息するところ・・・

それからの 説明は まずは 効きそうな薬を点滴すること。 そして 様子をみる。
それが 効果がなかった場合 手術をするということ。
そして その場合 場所が 喉 なので 痕が 残るということ。
手術を するとき 場合によっては 『気管切開』をすること・・・
『キカンセッカイ???』
この 気管切開 について 先生は 「喉の下の ここら辺に(指差しながら)穴あけますから・・」と 努めて あっさりと・・・
私 「痛いんですか?」 先生 「麻酔しますから 痛みは・・大丈夫でしょう」 私 「痛くない? それならいいです」  
と、訳のわかんない 会話・・・

今考えれば 気管切開 なんて(すごいことだった) ・・・と思うのですが・・・



緊急入院したのが 夜中の12時過ぎ・・

私が 気になってたのは そのままにしてきた 自宅(なんせ、子供の具合が悪くあわててきたので 洗い物もしてないし 部屋もそのまま・・・)
そして上の子 1号の幼稚園・・・
旦那に 送り出してもらうことはできても お弁当は・・・

本当 主婦は 現実的ですよね・・・

そこで・・・ほとんど 眠れなかった 私は これからしばらく私が いなくなることで 子供たちの生活を どうすれば いいのかと 一晩中考え・・・

朝7時に公衆電話に向かいました。

まず、実家に連絡・・入院したことを母に伝え 驚いて でんわの向こうで唖然(多分)としている母に 自宅の片付けと 下の子2号の面倒を お願いすること。(1号の面倒は旦那の実家)

幼稚園に連絡・・
「1号の母です・・実は 今 入院してしまって・・・」
先生も絶句・・・私は しばらく父親が 子供の用意をするので 忘れ物があったり 至らないことがあるかもしれないのでよろしく と伝え・・・

仲の良かった 幼稚園ママに電話・・・
「私、入院しちゃって・・・」 またまた 絶句・・・
しかし、子供のお弁当は任せとけ!といわれ 感謝!

とにかく 気になっていたことを とりあえず片付けてからの 入院生活 の始まりでした。


そもそも 具合が悪い つらい という自覚症状が なく入院してしまった 私は 同じ病気の人が 亡くなったと 言われても ピンとこなかったし、ただ 毎日の 診察 のほかは 暇な時間が流れていくだけでした。

主治医の先生のほかに とてもやさしい先生がいて 何回か診察をしてくれました。その先生が 退院する少し前に

 「だいぶ良くなりましたね。良かったです。実はね・・syakiraraさん・・あなた 後 一週間 来るの遅かったら 危なかったんですよ・・・今 治ってきたから言えるんだけど。  主治医の先生は すごく 勘のいい人だから 見つけられたけど 普通に風邪だと思って 内科に行ったら 多分 見つからなかったよ。」と 静かに にこにこしながら 言いました。

退院して しばらくして たまたま見た雑誌に この病気が載ってました。 そこには やはり 病院でもなかなか みつけづらいこと。 急に窒息してしまうので 突然死 としてかたづけられて いるケースが多いこと・・

もし、あの日 2号が 具合が悪くならなければ・・・
もし、一回目の病院の点滴が効いていたら・・・
もし、くるったように パパ パパ と泣かなければ・・・
もし、あの主治医の先生が当直でなかったら・・・

私は 旦那を呼ぶことはなかったし、 もちろん 診察を受けることはなかったです。

けど そのたくさんの偶然が 無ければ 今 私はここにいなかったはずです。

2号は 私の 命 の恩人です。


ありがとうね!2号チャン!



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