相対世界



どうしても、変化なしなんて事は無い。

なら、時がたつにつれて、考えは全て変わってしまうのか…。
そんなことは無いと思う。
ただ、全てが代わりうる可能性を持っているとは思う。


だからこそ僕はココに今の考えを残しておきたいと思う。
未来に見返したときに、未来の自分を納得させることが出来るように。
過去の自分の考えを分かってあげることが出来るように。

そんな…それだけじゃないけど、ただ、そんなことを考えました。
自分が自分でなくならないように…。


人が勇気を定義したとします。
自分も勇気を定義します。
それは全く別の定義かもしれないけど、それでも物事は上手くいくんです。

人が数学の問題を解くときにXと置いたのに、自分はAと置いても上手く行きます。
でも、人もAを定義します。
自分もXを定義します。
それがごちゃ混ぜになってしまうと、答えが変わってきます。
世界が崩れます。

同じように、自分の勇気の定義が変わったとします。
世界は一気に変わるでしょう。
いや、勇気1つ、ただの「勇気」ならば問題ないかもしれません。
そんな言葉の一つや二つ、日常的に代わっていくものです。

でも…
「価値観」
これが代わってしまったら、人間生だって代わってしまう可能性すらあります。

この世の中は相対的です。
何かを適当に定義して、それに沿って行動していれば、意外にいろいろ上手くいきます。
化学なんかが好例です。適当に数式に当てはめてみると、うまく行ったりするんです。
原子量とか、電荷とか…ホントに分かってることじゃないのに、ちょっと浮んだことに当てはめてみると、今のところ上手く言ってるというだけの話です。
例外があれば、例外も計算できるように理論を拡張すればいいだけです。

同じように、適当に考えたことを貫き通せばその世界で、物事は完結します。
だから、その適当に考えた世界というものを形成する元となる「価値観」が変わってしまうことは危険です。
自分という存在が築き上げてきた自分中心の世界が瞬間的に消えて、新しい何かが誕生するわけですからね…。

もちろん、それは必要なときもあります。
変化は価値の1つだと考えているから…。
でも、どんな定義をしたとしても、自分の世界は成り立つんです。
その中には個人的には作り上げたくない世界というものもあります。
例えば、悲しませた人間の数で自分の価値が決まるような…そんな世界。
例えば、殺した人間の数のみで自分を評価する世界。
そんな極端な例じゃなくても、いろいろあると思うんです。


一人ひとりが持っている、個人の世界…。
それをいくつも含む、全体の世界…。
その全てはあまりにも不確か。
だからこそ、自分の考えていることすらも不確かに思えてくる。

この状況はきっと抜けられないんだと思う。
でも、抜けたいと望む。
そのためにはきっと、知識が必要。
その知識は…あまりにも膨大。
人間には不可能な領域です。
そして、世界を確定させるのもちょっと厳しいものがあります。


それで価値観の変化を、特に悪い変化を恐れているわけです。
ココに何か残しておこう…と。
それはたった今考えたことですけどね。


一部はいつも考えてることですがね。
…大部分か。汗


                2005.04.26 10:00

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