ステイメンの「徒然なるままに」

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2016.06.12
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カテゴリ: drama
小田原攻囲戦 布陣概略図

 今週の第23回「攻略」ではどうなっていくでしょうか?

 本能寺の変を切っ掛けに三大勢力が争った「天正壬午の乱」以来の課題であった「沼田問題」が豊臣政権の裁定により解決したはずだったのに、「脳筋」猪俣邦憲が名胡桃城を落としたことを口実にしてついに関白秀吉が「北条征伐」を決意し、全国から21万という前代未聞の将兵を動員しました!

 秀吉より、北条征伐の作戦立案を任されたのは、石田治部少輔三成!三成は大将として近江中納言秀次を指名し、その後見役に後北条との取次役であった勘助家康に依頼します。
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 北条征伐の軍勢は、大きく2手に分けることにし、主力は東海道をそのまま東下し、一路小田原城へと進軍します。一方、上杉景勝、前田利家が率いる北方隊は、東山道を通り関東各地に配されている北条方の支城を攻め落としながら小田原城へ向かいことになります!
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 そして、本来であれば徳川の与力大名である真田は、本来ならば勘助家康がいる本軍の先鋒に加わるべきなのですが、勘助家康を信用しきっていない治部少輔三成は、万が一家康が北条に寝返ったときに戦上手として名高い真田まで連れていかれては困ると思い、あえて昌幸を北方隊に配置しました!
 家康:「お待ちあれ!真田は徳川の与力でございます。」
 三成:「それゆえ『此度は』と前置きしてございます。

 三成:「上杉どのはまず上野に攻めいっていただかねばならぬ。上野と言えば真田!」
 昌幸:「なるほど(^^)v某は徳川どのの与力。しかしながら殿下のご命令とあれば、これは仕方ありませんな。やりましょう( ̄ー ̄)ニヤリッ」
 秀吉:「前代未聞の大戦になるぞ。楽しみじゃ!」
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 これは、勘助家康に遺恨を持つ安房守昌幸にとっては願ったり叶ったりの配置です!さらに言えば、「徳川の与力大名」という立場も事実上白紙になったことを意味します!

 上方勢の陣構えは以下のとおりと伝えられています。

  主力:豊臣秀吉、徳川家康、織田信雄、蒲生氏郷、黒田孝高、宇喜多秀家、細川忠興、小早川隆景、吉川広家、堀秀政、池田輝政、浅野長政、石田三成、長束正家、立花宗茂、大谷吉継、石川数正、増田長盛、高山右近、筒井定次、蜂須賀家政、大友義統、加藤清正、福島正則。約17万。
  水軍:長宗我部元親、加藤嘉明、九鬼嘉隆、脇坂安治。約1万。
  北方隊:前田利家、上杉景勝、真田昌幸。約3万5千。
 推定兵力は都合約21万!
 現在の陸上自衛隊の総兵力が15万であることを踏まえて考えると、とんでもない大兵力であったかがよく分かります!しかもこれに、豊臣政権に恭順した佐竹氏、小田氏、大掾氏、真壁氏、結城氏、宇都宮氏、那須氏、里見氏など関東勢も加わります! 
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 天正18年(1590)4月、氏政の四弟氏規が3,600の将兵とともに籠もる韮山城を除き、箱根の駿河側に位置する山中城などの後北条側の防衛ラインを悠々突破した秀吉軍は、総勢18万を超える大軍を展開させ小田原城を完全に包囲します。そして秀吉は箱根山にあり後北条氏の始祖である伊勢盛時(北条早雲)の菩提寺である早雲寺に全軍の本営を置きます。

 日本一統後に予定されていた「唐入り(明国攻め)」を視野に入れたいた関白秀吉は、今回の北条征伐もその「予行演習」と位置づけていた模様です!少なくとも秀吉側近の大谷刑部少輔吉継と石田治部少輔三成はそう考えて、黄母衣衆の一員として参陣していた源二郎信繁にその考えを語ります。
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 その後、諸将を本営に参集させるよう関白秀吉から命じられた信繁は勘助家康のもとに出向きます。家康は信繁を茂みに連れていき、連れ小便をしながら、信繁に自分が秀次の後見役とされたのは次女「督姫」を左京大夫氏直に嫁がせている所為で秀吉が自分を信用していないからではと愚痴をこぼします。
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 家康:「殿下は、まだこの家康をお信じにならぬようだのう。わしを総大将になさらなんだ。心配はご無用と、折あらば殿下にお伝えしてくれ。」

 やがて本営に参集した諸将に対し秀吉は、この戦が後北条氏だけではなく、会津の芦名を滅ぼすなど猛威を振るう「奥州筆頭」伊達藤次郎政宗をはじめとする陸奥・出羽の諸大名たちも相手にしていることを示唆します。
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 この話の直後、秀吉は家康を立小便に誘います。
 秀吉:「……徳川殿、この戦終わったら、お主に北条の領地、すべて任せようと思っておる。関八州をやる代わりに、江戸に移ってもらうから。駿河や三河はもういらんだろ。」
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 秀吉からの思わぬ「国替え命令」に唖然とする勘助家康(;゚Д゚)(゚Д゚;(゚Д゚;)ナ、ナンダッテー!!これが後世「関東の連れ小便」として語り継がれることとになるわけです。

 一方、史上空前の大軍に囲まれた北条氏政ですが、事前に領内に対し万が一の時に備えて15歳から70歳の男子を対象にした「根こそぎ動員」体制を整えていたため、小田原城には主力5万余を集結させた上で籠城を決めこみ、その上で長期戦を考えていました。

 嘗て、永禄4年(1561)の長尾景虎(上杉謙信)、永禄12年(1569)には武田信玄と戦国を代表する名将2人を籠城戦で退けた実績を自負していたから当然の戦法でしょう!
 しかも上方勢は所詮「寄せ集め」であり、戦が長引けば北条の味方につくものも現れると予想しての戦略でした。
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 特に相模守氏政は盟約を結んでいた伊達政宗に期待しており、政宗が大軍を率いてきたタイミングで討って出ようと目論んでいたのですが、当主の左京大夫氏直も板部岡江雪斎も今さら関白に刃向かう者はいないと感じていました。

 その頃、大坂城では、秀吉からのmailが届き、茶々が秀吉のもとに向け出発しました!一方の北政所「寧」は正室としての仕事があるので病身の大和大納言秀長とともに残留することになります。
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 そして、安房守昌幸が参加した北方隊は、上野国碓氷郡にある松井田城を手始めに上野にある後北条氏の支城を次々と攻め落としていました。その松井田城で景勝と酒を酌み交わす昌幸。二人とも今回の関白秀吉による小田原征伐に内心で納得がいかない様子です。
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 そんな二人を見た源三郎信幸は、秀吉は「惣無事」を実現させ日本から戦を無くそうとして動いているので、それこそがこの戦の「大義」ではないのかと二人に意見します。

 次に北方隊が攻めるのは武蔵国の忍城。安房守昌幸は忍城攻めを任せてほしいと景勝に志願します。景勝が了承すると、何とそのまま信幸に丸投げ(;゚Д゚)(゚Д゚;(゚Д゚;)ナ、ナンダッテー!!。

 作戦を思案する信幸に、「北条と手を組めば秀吉にも勝てる」と残留組の出浦昌相が声をかけてきます。しかし、能力が覚醒しつつある源三郎信幸はこの出浦の策を一蹴します!
 その上で、再び世を戦国乱世に戻そうとする出浦の考えを危険と判断し、そんな出浦と切り離すため佐助に対し、しばらく信繁のもとへ行くよう命じます。

 上方勢が小田原城を包囲してから一ヶ月が経ち、城内では連日重臣達が「開城か徹底抗戦か」の軍議がエンドレスで開かれています。世に言う「小田原評定」ですw
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 そんな中、上方勢を侮っていた相模守氏政は怯えてしまい、現実逃避するために日々蹴鞠三昧!しかも、入浴中に敵が攻めてきたらと思い、一ヶ月も風呂には入らない始末(*´y`*)σ ⌒ ξ~ 
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 そして自分が怯えていると家臣に知れれば士気に関わるので、体の臭さを隠すために、毎日香を焚いています。何とか平常心を保とうとする氏政でしたが、板部岡江雪斎には見抜かれてしまいます。

 江雪斎:「戦を忘れ、蹴鞠に興じるは、誰より戦のことを気にされておられるから。薄化粧は、やつれたお顔を隠すため」
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 それでもなお、氏政は「いずれ伊達が来る。伊達さえ来てくれれば」と呪文のように繰り返し、伊達政宗の援軍に一縷の望みをかけるのでした。

 一方、秀吉の陣では、舞台で出雲の阿国一座が踊り、秀吉も一緒になって踊っています。しかし秀吉に呼び出された茶々は退屈してしまい、源二郎信繁を引き連れ、千利休の元を訪れます。
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 利休の元にある京や堺から運ばせた特上品を眺めながら茶々は、「戦はいつ始まるのか?」という疑問を口にします。茶々はせっかく小田原くんだりまで来たのだから城が焼け落ちるところが見たいと話します。

 そしてさらに1ヶ月が経ち、6月。忍城攻めを任された信幸は苦戦が続いており、報告をうけた三成は想定外の苦戦に苛立ちます。
 三成:「忍城ひとつ落とすのに、どれだけ手こずっておる」
 吉継:「戦は、机の上の軍略どおりには運ばんものだ」
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 まぁ、実戦経験の少なさが災いし、このときの三成は「理屈倒れのシュターデン」もしくは前世である「悪左府頼長卿(失脚時点)状態になっているわけですw
三成の前世w

 もっとも、ただでさえ堅城である忍城を守備しているのはかの「のぼう様」成田長親と甲斐姫のコンビですから苦戦するのは当然と言えるでしょう!さらに伊達政宗の着陣が遅れていることも三成をいらいらさせる原因の一つになっています。

 天正18年(1590)6月9日。ついに伊達藤次郎政宗が着陣します。平均視聴率39.7%という大河ドラマ史上歴代トップを誇る「独眼竜政宗」でのあの名シーンが再現されるかと思いましたが、あっさりしたもので少しガッカリ(´・ω・`)
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 それはともかくとして、奥羽を席巻していた大勢力である政宗が関白に恭順の意を示し、とうとう秀吉に刃向かう者は日本中に後北条氏だけとなってしまいます!

 丘の上から小田原城を見下ろしながら、「北条は滅ぶのか」と信繁に訊く茶々。そんな茶々に対し

 信繁:「そうやって、世の中は新しくなっていくのです。取り残された者は消えていくしかございませぬ」

 一方、頼みの綱であった政宗が秀吉に帰順したという知らせはすぐに氏政のもとに届き、主戦派の氏政は化粧に余念がありません(´・ω・`)しょぼーん
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 その頃、秀吉は小田原城に総攻撃をしかけ、一気に北条を滅ぼす意向を示していました。
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 秀吉:「これより総攻めを行い、北条を滅ぼす」

 しかし、大谷刑部が小田原城に総攻撃をしかける前に、忍城や鉢形城など残っている支城群を先に攻略することを進言します。勘助家康も「さすれば、北条は進退窮まり、小田原城も開城と相成りましょう」とこの案に賛成します。

 その進言を受け、秀吉は作戦立案を任せた石田治部少輔三成に意見を聞こうとしますが、居ませんw
 信繁:「石田様は、ご自分の陣に引きこもっておられます。戦が長引き、当初の見立てと変わってしまったので、算段をし直しておられるところです」
 吉継:「いかがでございましょう。この際、石田治部に、忍城を任せてみるというのは」
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 秀吉はその策を採用し、治部少輔三成に忍城攻略に加わるように命じ、三成は後事を吉継に任せて忍城攻略の為に出立します。もっともこれが石田治部少輔三成という武将にとって、死ぬまで付きまとう「戦下手」の評判を定着づけることになります。
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 一方、小田原城ですが、氏政がすっかり恐慌状態に陥り江雪斎からも「早雲公以来の名門北条家を滅ぼすおつもりか!」と一括されるしまつです。それでも当主である左京大夫氏直と江雪斎が「降伏&臣従」に向けて何とか説得しようとします。
 氏政 :「降服するくらいなら、城に火を放ち、わしは腹を切る」
 江雪斎:「お二人のお命は、必ずお守りいたします。徳川殿に頼んで、助命嘆願をいたします」
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 氏政は江雪斎に説得され降伏&臣従を受け入れますが、
  1.今後、北条は上杉と同等の扱いとされるべし。
  2.本領は安堵。
  3.以後も豊臣家の重臣として、丁重に扱うように
 余りにも図々しく、北条側でも「虫の良すぎる」と思ってしまう条件を提示してきたため、秀吉は「アホ抜かせ!」と激怒し一蹴してしまいます。
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 それをみた大谷刑部や勘助家康から「戦上手の氏政を生かしておけばいずれ役に立つ」と説得され怒りを鎮めた秀吉は、戻るまでにその件について決着させておくよう指示し、茶々と湯治に出かけます。

 秀吉から忍城攻略を命じられた治部少輔三成が北方隊と合流したのは6月12日。今もって忍城を攻略できない不手際を責め、上杉と真田には鉢形城と八王子城の攻略を指図しました。
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 信幸:「忍城はどうされるのです」
 三成:「私なら、4日で落としてみせる。利根川の水を引き入れれば、忍城は水に沈む」
 三成は、ドヤ顔で水攻めを宣言しました!まさしく「保元の乱」の軍議の折に、鎮西八郎為朝からの「夜討ち」の進言を鼻で笑って却下した悪左府頼長卿を彷彿させる傲慢さですwww
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 そして6月20日。

 大谷刑部と勘助家康は、源二郎信繁に対し、使者として小田原城内に入り氏政を説き伏せるよう命じます。かの「沼田裁定」のときに信繁と論戦した板部岡江雪斎と「親房卿」正信が、氏政の説得役に信繁を推したようです。
 しかし、これはちょっといただけない演出ですな!まぁ近年続いている「大河ドラマ」の「悪弊」というべきものでしょうか。無論秀吉の馬廻風情に過ぎない信繁如きが「説得の使者」の大任に充てられるはずが無いですし、敵方の当主に面会できるはずがありません!
 ちなみに、史実においては黒田官兵衛や徳川四天王、そして内大臣織田信雄などが和平交渉を行っていたようです。

 何はともあれ、信繁は小田原城に入城します。北条家の当主である左京大夫氏直はすぐにでも降参したいと考えていたのですが、北条家中には氏政の意をくんで降伏に同意しない者もいました。
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 板部岡江雪斎が信繁に気をつけるよう忠告したその直後、信繁は数人の侍に囲まれてしまいます。信繁は逃げるが、背後から肩を掴まれます。万事休すと思ったそのとき、振り返った信繁の前に現れたのは、髭もじゃの義兄 ガロード・ラン 義兄の小山田茂誠でした!
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 さて、いよいよ「戦国乱世」の掉尾を飾る「小田原征伐」です。秀吉は余裕かましていますが、机上の空論が通用しないことが分かった三成が過敏性腸症候群になりながら一人で焦りまくっていますw
 それにしても、板部岡江雪斎は有能だな〜。それに左京大夫氏直も「相模のDQN」丸出しだった天正壬午の乱当時より遙かに成長しています!そして何より高島氏政の怪演ぶりはさすがと言わざるを得ませんな!次週で「お役御免」になるのは余りにももったいないですね!

 しかし、今回はラスト10分のチープ過ぎる演出で一気に盛り下がってしまいました!演出陣らスタッフには猛省を促したい!

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Last updated  2016.06.13 01:55:48
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