四&五ノ巻



四ノ巻

 月明かり、淡く輝く丑の刻。長良川の中流がまるで鏡のように月をぼやかす。そんな河原に若い男と娘は、立っていた。二人の名前は義龍と帰蝶。この美濃の領主、斉藤道三の子供である。

いつもはやたら帰蝶に優しいはずの義龍も、今日ばかりは違っていた。鋭くものを言う眼差しは、まだ幼さの残る帰蝶の顔をしっかりと見つめる。
 一方の帰蝶は、特に今は顔を合わせたくなかった、思いも寄らない追っ手に、なんと言ったらよいか分からずに、顔をそらせて口を開こうとはしない。
 いくらかの沈黙の続く後、先にしらみを切ったのは帰蝶だった。帰蝶は何も言わずにじっと自分の顔を睨み付けてくる、義龍に話す言葉が見つからずにその場から立ち去ろうと、疾風に跨ろうとしたのだった。そんな帰蝶をきつい眼差しと共に、引き留める声を上げて腕をつかむ義龍。彼の顔は、帰蝶にウムとも言わせない程の威圧感があった。
「帰蝶待て。何処へ行く気だ。オマエは俺と一緒に父上の下へ帰るぞ。」
ガッチリと大きな義龍の手を、自分の腕から引き離して、義龍をにらみ返す帰蝶。
「兄上。無礼を承知で申し上げます。この帰蝶めは兄上のおっしゃることに有無も言わずに従って参りました。しかしながら、今回ばかりは父上の下には帰りませぬ。いや、帰れませぬゆえ。」
「何を・・・ もし父上の言い分が気にくわなかったのならば、俺が父上に・・・」
帰蝶を安心させて帰り路につかせようと、義龍は微笑みを浮かべながら言うものの、帰蝶はそんな兄の心つかいを無駄だと言うかのように、話しを食い込ませてくる。
「違うのです。私は父上の言い分には全く反対するつもりはございません。いえ、反対する権利はないと思うております。」
「帰蝶・・・ ではなぜ帰らぬ!」
「この目で! 私自身で、織田信長と言うものが、いかがなものなのかを知りたいのです。尾張のうつけは本当にうつけの塊なのか・・・ 何も知らぬままで嫁いでも、たぶん私は信長様をすばらしい夫であるとは、一生思えない気がするのです。だから、お願いします。私を尾張に・・・何もおっしゃることなく行かせて下さい。そして、父上には何とぞ、その事は・・・。それが、兄上様にする最後のお願いとなることでしょう。」
まだまだ現実というものを知らない幼稚な理由。だが、確かにただでさえ気性の高い父、道三の愛娘であるため、このまま嫁げば、夫の頼りなさのあまりに信長を殺してしまうようなことも、帰蝶ならしかねないだろう。そして自分も短き人生を己で絶つ。だが、ここで帰蝶を行かせて、もしも身に何かあれば、間違いなく父道三は正気を失うだろう。
そんな複雑な考えが、義龍の脳裏に次々とわいては、混乱を極めているのだろうか。彼はしばらくの間、帰蝶の顔は見るものの、全く話し出そうとはしなかった。
帰蝶は見つめてくる兄の顔を真剣な眼差しで見つめては返答を待つ。
 そんな彼女の顔を見て、義龍は一度にこやかに微笑むと、帰蝶に自分の思いを語りはじめた。
「やはりオマエは紛れもなく美濃の蝮の子だよ。好奇心おおせいで、肝が据わりすぎている。あと、何もかも自分で確かめなければ済まないところは、俺と似ている。」
「兄上。それはほめておられるのか、ちゃかしておられるのか、全く分かりませぬ。」
少しだけふくれっ面を見せながら、義龍の言葉に突っ込むように返す帰蝶。一方の義龍は、そんな帰蝶の健気さに満面の笑顔で笑ってみせる。
「全く。そなたはいつでも、何処でも、誰に対しても自分の思ったことを、はっきり申しすぎる。これではうつけ殿とて、呆れてしまわれるやもしれぬな。」
「兄上・・・。」
「帰蝶。父上のことは案ずるな。俺が何とか上手いこと言っておいてやる。あと、尾張へ行くのならばこれを持っていけ。」
そう言って渡されたのは、義龍がいつも持っている守護刀。そして文だった。帰蝶は突然渡された文が不思議に思えて仕方がなかった。
そんな帰蝶の様子を見て、義龍は文について話し始める。
「どうせ、このようなことだろうと思ってな。城を出る前に書いてきたものだ。良いか? この文は尾張の城の家臣に渡せ。織田三郎信長殿、家臣、平手正信殿にと。俺からだと言うことは絶対に言うなよ。文が平手殿には無事に渡されない可能性が高くなるからな。」
そう。普通、他国からの文は、全て使者によって届けられるため、帰蝶の身なりからして使者には見えない。そのため、嘘っぱちの文と思われて処分される確率の方が高くなるからである。
「分かりました。肝に命じておきます。では、兄上。助けて頂き有り難うございました。雪の解けた頃に稲葉に帰ることをお約束いたします。」
「うむ。オマエも城までの道のりは十分に気を付けよ。あと、何かあったときには平手殿を頼り、俺に文をよこせ。」
「はい。」
帰蝶はそう短く返事すると、疾風に跨り、再び尾張に向けて馬を走らせ始めた。

 義龍と河原で分かれて既に五、六時が経ったのだろうか。日は高く昇りつめて、照り続いている。帰蝶はその後、特に夜盗などにも襲われることなく、無事に尾張の城下にはいった。だが、入り組んだ初めての城下に帰蝶はすっかり迷ってしまい、今自分は目指すべき城に近づいているのか、遠のいているのかさえ、分からない状況にあった。
『参ったなぁ。これじゃぁ手のだしようがないやぁ。』
ただひたすら疾風を引いて城下を練り歩いては、城への道を探す帰蝶。だが、そうも簡単に見つかるのだったら、城下町の意味は全くないだろう。城下町とは元々その領地の主(城)を守るために存在するため、入り組んでいるのは当たり前の事なのである。現に、美濃の稲葉山城の城下町も長良川沿いであるにもかかわらず、小高い丘への道を複雑に隠してあるのが事実。そのため、初めてそのところの城下を訪れた者の中では迷うこともしばしばあるらしい。

あれから半時ほど経つと、帰蝶は急遽城下内で、城で働く者を探して、城まで連れて行って貰おうと言う方法に急遽変更した。だが、城の者言っても、実際にはそう簡単に見つからないのが事実であった。

無茶苦茶に練り歩くよりは、しばらくのに同じ場所へとどまって、城の者が通るのを待つ方が会える確率が高いようにおもえたため、帰蝶は歩かせ、走らせ続けた疾風を休ませるためにも、道のわきに橋でボーっと立っていた。
と、運が実ったのか、身なり服装からして城の者だと分かるものが、馬に乗って歩いていた。だが、どうにも誰かを捜している様子であった。帰蝶は声をかけようか否かを迷い、結局は失礼と思ったが、いつまでも兄の文を持っている訳みもいかないと判断し、声をかけようと呼びかけた。
「あのぉ~」
「大変だぁ! 夜盗だぁ!」
帰蝶の小さな声は、ある町人の一人によってかき消されてしまった。だが、帰蝶はそんなことよりも、夜盗の事の方が気になり、気がついたときには既に声の方へ走り始めていた。
 行った現場で見たものは、夜盗達が女のうでを手にとって、汚らしい面をさらしているところであった。この状況を見て、帰朝は居ても立っても居られずにいた。自分でも知らぬうちに、手を掛けていあい切りを行っていた。閃く刃。そして、飛び散る赤い液体。そして女の叫び、自分のてを握ったままの夜盗の血まみれの腕だけをはらった。そう。帰蝶はためらうことなく夜盗の腕を胴体より切り離したのだった。痛みに腕を押さえて叫ぶ夜盗。帰蝶としては、人を切ったのはこの日が初めてだった。もうろうとする目に力を込めて必死に正す帰蝶。だが、夜盗の呻き声が彼女の意識を奪っていく。
「このアマ! 良くもお頭を!」
夜盗の一人が帰蝶によって腕を切り落とされた夜盗の仇を打たんと、刀を振り上げる。だが、帰蝶は意識がもうろうとしていたために対処が出来ない。はっと、我に返ったときには、既にどうにもならない位置まで、夜盗の刀は迫っていた。だが、次の瞬間倒れたのは、帰朝ではなく、刀を振りかざしてきた夜盗であった。そして、その姿を見たとき、一本の矢が夜盗ののどを貫いていた。
 帰蝶は驚き、矢の飛んできた方向を夜盗ののどを貫いた矢を見て判断して、その方向に目をやった。そこには、馬に跨り弓を引いた男がいた。歳頃は兄、義龍くらいだろうか。まだとても若い。一本にまとめ上げられた、だらしない髪。片方の肩を衣から出し、腰には酒がぶら下がっているのを見て、帰蝶はこの男が誰なのかがわかった。
『織田三郎信長・・・。コイツが私の夫。尾張のうつけ・・・。』
信長は、帰蝶をしばらくの間眺めていると、初めて口を開いた。
「おい、女! 人は切るのは初めてと見受けるが・・・。あまり俺の大事な住まい下で殺生は控えてくれねぇか。血は民が嫌うんでな。 さっさと、その刀をおさめられよ。」

帰蝶に馬の上より注がれる、信長の視線。元をたどれば、これが二人のこれから歩む、道のりの始まりだったのかもしれない。


五ノ巻

 高く昇りつめた太陽が、照り出す下。信長と帰蝶は目をそらせることなく、ガッチリとお互いを見つめていた。それぞれ興味を引く人材であったのだろうか。それとも、既に何かを悟っていたのだろうか。そんな二人の間に割り込むかのように、一人の武将が信長の横っ面に、馬を付けてきた。
「若。探しましたよ。またそのような格好をなさり、お供も付けずに・・・。いやいや、それよりも少しは朝議に出られたらどうなのですか? こう毎回、城から出られていては、私はどうお父上、信秀様に顔向けしたらよいのか。」
衣で口元を隠しては、泣き真似までする迫真の演技で信長に物言いをするこの家臣。歳頃は見た感じ帰蝶の父、道三とは余り変わらぬようであるため、帰蝶としてはその者に父の姿を重ね合わせてしまった。
『この年代の者は、皆このように狸のようなふざけた性格をしているのだろうか』と・・・。
 一方の信長は、いつものことだというふうに、耳に小指を入れては、全く聞こえぬようなふりをして、軽く流している。
 一方そのような行動に出ている我が殿に、家臣は次なる手をうってきた。
「殿。聞いておいででですか?」
「何をじゃ。」
「何をって・・・。このじぃの言い分をでございます。そのようにじいあの言葉に全く耳を傾けてくれませんなどとは、まさに老いた者を嘗めておられる証拠。少しは年寄りのいたわりというものを知りなされ。」
「しらん。しらん。何が年寄りは大事だの労れだの。じぃはいつもそうじゃ。都合のいいときだけ年老いては、ああだこうだと、わしに文句ばかり言っておる。」
嫌気がさしていることを、顔全体で表現する信長。そんな彼の顔をしっかりと見ては、まだまだ物言い足らなそうな家臣。だが、信長はそんな彼の視線を全くすくうことなく、ひらりと馬の向きを変えては、再び城下の人々の中に潜り込んでいった。一方、『じぃ』と呼ばれていた家臣は、とても大きなため息をついて、織田家の安泰に不安を隠せずにいた。
「まったく。半月後には美濃より御正室をいただくというのに・・・。道三殿に何とわびたらよいのか。。。」
彼はぼそっと独り言を漏らすと、その場から引き上げようとした。だが、その行動は本来の目的を思い出した帰蝶によって妨げられた。
「あの、お待ち下さい。」
その者の行く手を阻むかのように、馬の前に立っては自分の存在を示す帰蝶。その行動によって、家臣は帰蝶に視線をおろさぬわけには行かなかった。
「これは、城下の娘を救ってくださった方ですな。我が殿との見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ない限りでございます。このような高き所からではありますがおゆるし願いたい。」
「いえ、そのようなことは全く気にしておりませぬ。謝るのはこちらの方です。城下を紅に染めてしまい、どうお詫びして良いやら・・・。つきまして、織田三郎信長殿の家臣、平手政信殿に謝罪の意を申し上げたく思います故に、城への案内をお願い申したく思います。」
「それはわざわざ申し訳ない・・・。 申し遅れました。織田三郎信長家臣。平手政信でございます。」
「え? あなた様が平手殿・・・。申し訳ございませぬ。初対面のため何も知らずに。それに、父上や兄様から聞いていて、想像していたような方ではなかった故に・・・。」
「・・・。父上殿と兄殿はわしと面識がおありか?」
「はい。しかし、人目があります故に、この場での名乗りは控えさせていたきたく。」
「わかり申した。城へ案内いたしましょう。どうぞ、あなた様も馬に御騎乗を。。。」
平手殿は帰蝶が引く手綱の先に居る疾風を見て、帰蝶
へ騎乗を促してきた。

 美濃の河原で義龍と分かれてから、既に七時間が経とうとしていた。帰蝶はやっとの思いで城に到着すると、今までの緊張を一揆にはき出すかのように、大きく息を吐き出した。
 城内に入った帰蝶が通されたのは、来客用の客間であった。そこでのしばらくの時を過ごしていたところ、平手殿が着替えをすませてやってきた。
「お待たせして済まない。さて、先ずはお名前の方をお伺いするが、よろしいかな?」
「はい。大きな声では申せませぬが、美濃主君、斉藤道三が娘、帰蝶と申します。以後お見知り置きを。」
「何ですと? あなた様が帰蝶どの?」

平手殿としては、いきなりの帰蝶だと名乗られても困る、と言ったような顔を見せるだが、それが普通の反応であることは間違いないだろう。
「突然現れて、あなたの主君の正室になる者だと言うのは、あまりにも無防備な発言だとは承知の上。しかし、それが真実なのですから、お受け入れ願いたく思います。・・・。こう、私が話しても信じて貰えぬと思います故、我が兄、斉藤義龍よりの書状をお渡しいたします。どうか御拝見を。」
河原で受けとった義龍の書状を胸元から取り出しては、平手殿にお受け取り頂くよう促す帰蝶。一方の平手殿は少しためらっていたものの、こう渡されている賞状を受けとらないと言うことは、美濃の国に対する無礼だと思い直し、受けとって拝見することにした。
平手氏が読み終えるまでの間には沈黙が流れていたが、読み終えられた瞬間、平手殿はいきなり帰蝶の近くへ寄ってくると、面を伏せている帰蝶の体を無理に引き起こした。
「美濃の姫君様を下座に座らせ、面までも伏せさせるなど、織田三郎信長の家臣としては、恥ずべき行為。どうぞお許し下さりませ。」
そう言って面を伏せる平手氏に、とっさに否を申し立てる帰蝶。確かに今の立場が普通はあるべきなのだが、だがしかし、突然来訪してきた上に、いきなり主君の正室になる者だと言われては、混乱もするし、自分が下座に座る行為は当たり前に属することであるからだ。
「平手殿。どうぞ面をお上げ下さりませ。今回の件につきましては、私の勝手な行動、つまり家出をしてきたことが招いたことですので、平手殿に謝罪を申して貰うなどは、全くと言っていいほどおかしな事でございます。本当に申し訳ない。」
 こう言いながらも、帰蝶は再び面を伏せることはしなかった。なぜなら、自分の身分を平手殿が知ったため、ここで面を下げては、美濃の君主の娘という立場を汚すことになりかねないことにもなり、そしてまた、平手殿からの立場としてみれば、自分よりも身分が上に当たろうかと言うような者に頭を下げられるようなこと、してしまったという罪悪感にかられもしないとも、限らないからであった。
「帰蝶様。この文に記された件。つまり、しばらくの間この城内にて生活なさることを、快く承り申しました。早速殿にもご報告を。」
「いえ。信長様にはどうか内密に。私は信長様のありのままを知りたいがためにここにやってきたのです。なのに、自分が何者かを知っておられては、何だかありのままを見せてはくれないような気がするのです。それに、私としましても、その方が色々と動きやすくございます。だからどうか・・・。」
帰蝶の曖昧ではあるが、確かにその通りである事柄を、平手氏としては、ただ受け入れる以外は何も返答できなかった。
「わかり申しました。では、帰蝶殿は婚約成立の証として、道三殿がよこしてこられた、家臣と言うことでお伝え申しておきます。」
「有り難うございます。」
 夕日が大地を紅に染める頃、信長は城内に戻ってきた。信長の帰りを知った平手氏は、帰蝶のことを家臣という形で伝えると、信長は蝮がよこした監視だと言って、大きく笑っては、帰蝶の籠城を許すのであった。
                   【六ノ巻へ続く】


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