2004.8月 夏の京都旅行~前編~




【京都初日、醍醐寺周辺のお寺さん。】


いよいよ、今年に入ってから“初”の京都へ行って来ましたぁ~♪
京都へ着いて、大きな荷物はキャリーサービスを利用して、早速、行動開始です~!

この日の予定は、醍醐のお寺さん巡り。
今回巡る予定の3寺の拝観時間が、16時~16時半まで・・・って事なので、ちょっと急いで移動です~。


地下鉄に乗って、小野駅まで行き、最初に訪れたお寺さんは、
真言宗山科派の大本山、勧修寺(かじゅうじ)



昌泰3年(西暦900年)に醍醐天皇が、生母の菩提を弔うために創建された、永い歴史を持つ門跡寺院です~。

書院の中を拝観する事は出来ませんが、キレイな佇まいをした建造物ですよ~♪



勧修寺の庭園は、観音堂の前には広々とした芝生が広がり、周りの山を借景にしての、氷室池を中心にした池泉廻遊式庭園です~。

私が訪れた時には、まだ、蓮の花が咲いていましたが、
訪れたのが昼間の一番暑い時間帯って事もあって、グッタリ気味の蓮の花でしたわ~。お疲れ気味なのね~。ふふふ。



勧修寺のお庭にあった紅葉。
ほんのりと色づき始めてる・・・?


勧修寺を後にして、次に向かった先は、真言宗善通寺派の大本山、随心院(ずいしんいん)

正暦2年(西暦991年)仁海僧正が曼茶羅寺を建てた事に始まり、
仁海僧正は、亡き母が牛に生まれ変わっている事を夢に見て、
その牛を尋ね求めて飼養しましたが、まもなく牛は死んでしまいました。
悲しんだ仁海は、牛の皮に両界曼茶羅を描いて本尊にしたそうです~。
その後、名を随心院と改め、後堀河天皇の時より、門跡寺院となったそうです~。



随心院は、平安時代の伝説の美女、小野小町が晩年の余生を送った邸宅跡とも伝えられいて、拝観の入り口横には、百人一首でも有名な歌碑があります~。

“花の色は、うつりにけりな、いたづらに、わが身世にふる、ながめせしまに”

私が、小学生の時に一番初めに覚えた百人一首が、この歌だったのよね~~。ふふふ。



寝殿造りの本堂の前には、広々とした庭園が広がります~。
広々とした空間が、暑さを一瞬忘れさせてくれる様でしたぁ~。



私が本堂前に行った時に、一組の夫婦が寝転んで寛いでいました~。ふふふ。
ワサワサとした喧騒もなく、静かな空間が広がるこの場所には、こんな風に寛ぎたくなる・・・そんな雰囲気が漂います~♪


この日、最後に向かった先は、真言宗醍醐派の総本山、醍醐寺(だいごじ)
山上を上醍醐、山麓を下醍醐と呼び、総称して醍醐寺と呼ぶそうで、一山全体が世界遺産となっています~。



参道を歩いてると、ジリジリとしたこの暑さが堪えます~・・・。
“日陰が欲しい~~!”って思いながら歩いておりました~。ふふふ。



長承3年に造立された仁王門。
両脇には、金剛力士像が睨みを利かせています~。

6年ほど昔(?)桜の咲く季節の頃、ここを訪れた時、参道には人・人・人・・・の波だったけど、この日は、人もまばら。
しかも、拝観料も取られず・・・春と秋以外は、入山無料とは・・・知らなかったわ~!ふふふ。



国宝、金堂。
金堂は、慶長3年(1598)に豊臣秀吉が“醍醐の花見”を催した際に、紀州の満願寺から移設してきた物なんだそうです~。

こぅ言う建造物を、たかが・・・っと言ってしまったら失礼ですが、
花見のためにと、今の時代の様に配送機関が発達していないこの時代に、移設を命令してしまうなんて~・・・。
時の権力者のする事は、私の様な一般市民には意味不明だったりするわ~。へへへ。



国宝、五重塔。
天暦5年(951)に、醍醐天皇の冥福を祈るために建立されたそうです~。京都に現存する最古の木造建造物になるそうで、高さ38mもあるそうです~。



その先を進むとある弁財天。
この日は、本当に天気も良くって、池に反射して映る朱色の色が、とてもキレイでした~。
でも、ものスゴ~ク暑く感じた瞬間でもあったけど~・・・ふふふ。



最後は、戻って来て三宝院へ~。
三宝院の庭園は、慶長3年の醍醐の花見の際に、秀吉が命じて造らせたもので、秀吉自ら設計・施工をしたとも言われてるそうです~。

前回訪れた時は、それ程“良い”って思わなかったんだけど、
今回は、ゆっくり観る事が出来たって事もあるのかなぁ~・・・この日は、素敵なお庭だと感じました~。

ただ、写真を撮る事が好きな私には、庭園内の写真撮影禁止って言うのが、ちょっと淋しいのよね~。ふふふ。

内側からは撮れないけど、参道側から見える唐門(勅使門)
2枚の扉には、豊臣家の家紋、両脇には菊紋が浮き彫りに配されていています。この門は、国宝なんだそうです~。





この日、3つのお寺さん巡りをしたんだけど、汗はダラダラ・・・。
かなり、バテましたよぉ~。ふふふ。

でも、今回お世話になるホテルへチェックインをして部屋に入ると、なんとツインのお部屋。
もちろん、私が予約しておいたのはシングルのお部屋だったのに、
ツインのお部屋をホテル側が提供してくれたのよ~~♪
これは、かなり嬉しいサービスでしたぁ~♪

こぉ~して、私の今回の旅行は、幸先の良いものとなったのでした~~!ふふふ。

明日も早起きしなくちゃ~ならないから“早く寝よう~!”って思っていたんだけど、無理やり眠る事をしなくっても、ベットに横になると“あっと言う間”に夢の中へ~~・・・となり、初日の京都は更けてゆくのでしたぁ~~。ふふふ。






【京都二日目、比叡山延暦寺とちょこっと滋賀巡り~。】


京都二日目の今日は、8時55分発の三条京阪からのバスに乗って、
比叡山延暦寺へと向かいました~。
前から一度訪れてみたいお寺さんでしたが、なかなか行く機会がなかったので、今回の旅行の中で、もっとも楽しみにしていた場所です~。楽しみ、楽しみ~~♪

バスに揺られる事、約1時間。
“意外と近くなのね~!”って言うのが私の印象でしたぁ~。



天台宗の総本山延暦寺は、標高848年の比叡山中の深い杉木立の中に包まれています。
現在の比叡山延暦寺は、東搭・西搭・横川の三つの地区に分かれ、世界遺産に登録されています~。

平安時代、仏教勢力が強くなるのを嫌った桓武天皇が、都の鬼門を守る様にと最澄に命じ創建以来、この延暦寺の繁栄が始まったそうです~。
その後、国家鎮護の大寺院として隆盛を極め、白河法王が、鴨川の氾濫と同じく、
“我が意のままにならぬもの”として、その横暴を嘆くまでの勢いになったそうです~。

そして、元亀2年(西暦1571年)の織田信長の焼き討ちと繋がってゆきました。
その焼き打ちによって、建物の大半を焼失してしまったそうです。



まず私を迎えてくれた、大講堂。
昭和39年、山麓の坂本の讃仏堂を移築した物だそうです~。

その先を進むと・・・



木立に包まれた先には何とも言えない“ズシリ”と心に響くものがある、そんな雰囲気が心にも、辺りにも漂う、そんな場所だと感じましたぁ~。



延暦寺の中枢となる、国宝・根本中堂です~。

伝教大師(最澄)によって、延暦7年(西暦788年)に創建され、その後、何回も災害に遭いましたが、復興の度に規模も大きくなっていったそうです~。
現在の建物は、徳川家光の命にて、寛永19年(西暦1642年)に竣工したものだそうです~。

この先は写真撮影禁止となっています~。
中へ入った瞬間、その様子を見て、ちょっと鳥肌が立つ程、威厳に満ちた場所だと感じましたぁ~。
回廊を通って仏堂まで行くのですが、今まで私が見てきた寺院とは、ちょっと違います~!
木々が繁り、緑が鮮やかぁ~~!

そして、ご本尊の秘仏の薬師如来を祀る宝前に進むと、根本中堂創建以来1200年もの間、一度も消えた事のない
“不滅の法灯”が光り輝いていました~。

別に私は信心深い訳ではないんだけど、歴史の重みを感じる瞬間でしたぁ~♪



それでもどぉ~にか中の様子を撮りたい~!って思うのですが・・・
でも、どぉ~やっても無理~!でしたわ~。ふふふ。


シャトルバスに乗り込み、次に向かった先は西搭と呼ばれる地区へ~。



杉木立と苔の緑が鮮やかで、とても眩しくてキレイでしたぁ~♪



にない堂です~。
左側が常行堂、右側が法華堂を廊下によって繋いでいます~。
弁慶が両堂を繋ぐ廊下に肩を入れて担った・・・との言い伝えから“にない堂”と呼ばれているそうです~。



西搭の中心のお堂になる、転法輪堂(釈迦堂)です~。

現在の釈迦堂は、延暦寺に現存する建築物の中で最古の物になるそうです~。
大津の三井寺の園城寺の金堂であったのを、豊臣秀吉が文禄4年(西暦1596年)に西搭へ移築したんだそうです~。
この時代、こぉ~言う建物の移築って、ちょくちょくしていた事だったのかしら~?


またまたシャトルバスに乗って移動、横川と呼ばれる地区へ~。




朱色の色も鮮やかな舞台造りの横川中堂です~。
ちょっと今まで巡って来た延暦寺の中にあって異色な感じがしましたぁ~。ふふふ。

ここで思った事が一つ・・・。
延暦寺を観て回るなら根本中堂を一番最後に拝観するべし!かな~~。ふふふ。
あの感動は、最後に味わいたい・・・が本音でしたぁ~。ふふふ。

でも、初めて訪れた比叡山延暦寺は、大満足~~~♪
また、絶対に再訪したいです~~。


シャトルバスに乗り込んで東搭まで戻り、坂本ケーブル乗り場まで歩きました~。



坂本ケーブル乗り場の見晴台から望める、琵琶湖。
この日、天気は、ものスゴ~ク良かったのに、ちょっと白くけむってる感じだったのが残念~!


行きは京都からバスで比叡山へ入りましたが、帰りは坂本ケーブルで下りて、ちょこっと坂本~大津巡りをしてみる事にしましたぁ~♪
比叡山を下り歩く事、10分程で日吉大社に着きましたぁ~。



ここ日吉大社は、全国約3800の日吉神社などの総本宮なんだそうです~。
広い境内には、東本宮と西本宮を中心に社殿が点在します~。
東西の本殿は、日吉造りと言って独特の建築様式になるんだそうです~。



西本宮の重要文化財の楼門と、国宝の本殿になります~。

御祭神、大己貴神(おおなむちのかみ)は、天智天皇が668年の大津京遷都にあたって、大和国三輪山(大神神社)より御神霊をお迎えし大津京を始め、国家鎮護の神として祀られたそうです~。
国土を開拓、統治なされた神なんだそうです~。



東本宮の重要文化財の拝殿と、国宝の本殿になります~。

東本宮の御祭神、大山咋神(おおやまくいのかみ)は、神代の昔より比叡山に鎮座する地主神なんだそうです~。
御神名の“クイ”と言うのは、山の樹木や、その麓の田畑の五穀をグイグイと伸ばして育てて下さる御神徳を指し、五穀豊穣から家庭日常生活の守り神なんだそうです~。


日吉大社を後にして、京阪坂本駅まで歩きました~。



白い壁に石垣が続き、城下町の様な雰囲気が漂う町並みでしたぁ~♪
町のいたる所をキレイな水が流れていて、子供達が水遊びをする風景が、あっちこっちで見られました~♪


京阪坂本駅から電車に乗り、大津の三井寺へと行きました~。

三井寺は、686年に創建1300年以上の歴史を持つお寺さんだそうです~。
正式名称は、長等山園城寺と呼ぶそうです~。



暑くてフラフラになりながら辿り着くと、仁王門が見えて来ました~。



この頃には、暑いし足も痛くなっていて、この階段は、かなりしんどかったぁ~~!ふふふ。



国宝、三井寺の総本堂になる金堂。

度重なる戦火に見舞われ焼失してしまったそうですが、
現在の金堂は、豊臣秀吉の正室、北政所によって、慶長4年(西暦1599年)に再建された物だそうです~。



近江八景の一つ“三井の晩鐘”として有名な鐘なんだそうです~。
その音色は、京都の平等院、神護寺の鐘と共に、日本三名鐘に数えられる程なんだそうです~。
どんな音色なのか聞いてみたたいわ~。





この後、本当は、もぉ~一ヶ所周りたかったんだけど、
肌は、ジリジリと焼ける感じだし、あまりの暑さにもぉ~バテバテでした~!
このままだと“絶対倒れる~~!”っと思ったわ~。ふふふ。
ここは、大人しく京都のホテルに帰ろうって、いくら私でも思いました~。ふふふ。

ホテルに帰って、シャワーでも~っと服を脱ぐと、見事に日焼けしておりました~・・・トホホです~。
あんなに暑ければ日焼けもするだろうけど~、この日焼けが、来年のシミになるのか・・・って考えると怖いかも~!ふふふ。

シャワー後は、ホテルのベットに倒れ込む様にしてお昼寝・・・って言うより、夕方寝をした私。
夕方寝をしたにも関わらず、夜もしっかりと早寝をして、二日目のこの日も更けてゆきましたぁ~~。ふふふ。



~後編へ続く~


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