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■思春期女子と仲直り(2020.2.21)
ビスケットはさくっと反省会したので、
塩ブロック運搬時には仲直り。
本人には謝ろうというスタンスがあるにも関わらず
いつまでも問題が解消されないのは、最近、おいも。 ←第二次反抗期中。
数年前までビスケットも同じ症状だったのだが、 ←やっと祝卒業。
いつもは至って普通に話をしているにもかかわらず、
反省会やごめんなさいの場面になると突然、
・言われたことのオウム返し
・棒読み
・アイコンタクトがない
いわゆる フリーズ状態
だ。
本質的な問題は、このフリーズ状態の時に
どんなに真剣な話や感動的な話をしても、
寝て起きると・・・ 完全に忘れてしまう
ということだ。
本人が完全に忘れてしまうと何が起きるかというと、
まるでデジャブのように、前日と全く同じバトルが起き、
前日と全く同じ会話が行われる。
そして「この会話、もう30回以上はしてるよね。」と言うと、
多分本人は覚えているのか(本当に覚えてないのか)
パニック
になり、烈火の勢いで 逆切れ
が始まる。
ここ数年、奇行や逆切れの多さからゴジラのアスペを
疑っているので、ビスケットとおいもにも、
何らかの脳内的な特性があるのでは、と感じている。
子どもを育ててゴジラを見ていると、
いつも自分の子ども時代を回想してしまう。
うぃりあむは、良くも悪くも家族全員が 個性的
で、
それぞれ非常に自立していて、食事の時間に 議論するのが好き
で、
言い争いになる場面がほとんどない家で育った。
私以外の人間は色々 マニアック
で、母は平日は塾の講師をしながら
週末は、琴と三味線の師範として
さらにトップの師範に稽古をつけてもらう日々。
専門は日本古典なので、大量の読書と
達筆すぎて読めない書道の稽古から、
編み物やら竹細工やらパッチワークまで、とにかく色々忙しい。
父は化学者で、部屋が研究室並みの混雑具合で、
不思議な実験道具や実験物がひしめき合っていた。 ←なんか混ぜて乾かしたヤツとか。
週末はアマチュアジャズバンドの稽古と
ホテルやイベントなどでの演奏の日々。
弟はプログラミングやらゲーム(稼げるくらいの
プロレベルの・・・汗)やらの ←ゲーセンか(笑)。
集まりや強化合宿。この人も良く本を読んでいた。
なんかワタシだけ、あっさり派。。。
日本の中都市という、こどもが自立するには
安全で、交通便利な環境もあった。
小1の時には 徒歩
でどこまでも行き、小2で家族の 夕飯の準備
を任され、
小4の時には 自転車
により行動範囲を広げ、
小5ぐらいで 地下鉄や電車
に乗れるようになった以降は、
母による目的地への送迎(自転車 笑)などはほぼ皆無。
高校生の時には下校時に自転車でスーパーに寄り
献立を考えて食材を買って夕飯を一から料理をしていたし、
大学で免許を取ってからは、父や弟を駅に送って行ったりと
そう言えば、子どもの時に送ってもらったことはほぼないが、
むしろ私は、家族の足になっていた。 ←運転大好き。
そうかといって家族の時間がないかというと、そうでもなく、
旅行や登山、キャンプ
が、親の趣味の一つだったので、
温泉や季節の景色を楽しみに、よく渓谷や山奥に一緒に行った方だと思う。
毎年、 夏
と 冬
に祖父母の田舎へ帰省するタイミングで、
そう言う全国各地に立ち寄ったのだと思う。
↑近年久しぶりに親の登山に付き合ったところ、
さらにパワーアップしていて、鎖場とか平気で行ってた。いつか死ぬぞ。。。
全員がそれぞれずっと、平日も週末も忙しく
立ち代わり入れ替わりの生活の中で、
親に叱られるとか、親のせいにして文句を言う、
という場面を全く覚えていない。 ←あと、反抗期がなかったと母が言っていた。
いまでも母親には、家の中のことも率先して
良くやってくれたし、とても育てやすい子だったと言われる。
大体、親に怒られたり、親に意見されたり、
親に指図されたりされる場面がほとんどなかった。
なんでも自分で決めて、自分で行動していた。
母が復職してからは、家にランドセルを置いて遊びに行き、
自分で時計を見て帰宅し、徒歩や自転車で習い事に行く。
自分でピアノの練習をし、宿題をし、母が図書館から借りて
階段に置いてくれてある大量の本を、階段に座わって読み、
18時になったら夕飯の支度を始めて、18時50分になると
毎回、父がニュースを見ながら「ご飯まだですか。」と聞き、
私も毎回「夕飯は19時からでしょ。」と答える。
図書館や本屋で、気に入った本を見つけてきて、
作りたいハンドクラフトに必要な材料を、
自転車でデパートの手芸店に買に行き、 ←一緒に行った友達はプチレモンを購入。
自分で型紙を取って作ってみる。
勉強は小5ぐらいまで、確か私の友達五人くらいも一緒に
母がまとめてみてくれてて、小6からは近所の塾に通っていたので
成績表はいままで一度も問題になったことがなく、
私も成績表は見なくてもそういう数字が
並んでいるモノだと思っていた。
そもそも勉強自体、嫌いじゃなかった。
学校の勉強で分からないと思ったことは
スウェーデンに留学するまでなかったし、 ←スウェーデン語が大変でした。。。
塾でも一応、特進クラスに入ってたらしく、 ←塾の勉強はすごく大変でした。
その時の塾友じゅんちゃんは、なんと今でも親友だ。
じゅんちゃんの記憶によると、その塾のクラスには
女子が二人
しかいなかったのだそうだ。
驚くべきことに、その子には私から話しかけたらしい。
当時、自分では寡黙な方だと思っていたのに。
じゅんちゃんはあっさりとした性格ながら素敵な女性で、
さらには面倒見が良く、転勤族だった私が
どこにいてもずっと見捨てず今でも連絡をくれる。
どのくらい面倒見がいいかというと、例えば、
ある日、引っ越し先に 巨大な段ボール
が届き、 ←それを送ってくださったお母様にも感謝。
中身は 大量の漫画
(40冊くらい 笑)と 手作りクッキー
と
すっごい綺麗な字でびっしり書かれた、 熱いお手紙
。
当時、インターネットとかない時代だから、
転校先でこういうのがどんだけ嬉しいか、
今の子どもたちは想像もできないであろう。
彼女は、まったり中学を過ごしつつも難関高校へ進学し、
のんびり遊びながらも名門大学へ進学した後は、
大手証券会社のなんだかよく分からない危機管理部門に配属になり、
その部長からのセクハラぎりぎりの寵愛を受け、 ←そして全く本人は気にしてないという(笑)。
エリート街道まっしぐらの中、なぜか、大手スーパーの
お魚屋さんと結婚して退職。三児の母である。
色々、素敵要素満載の塾友なのである。
ちなみに彼女は、 人生で一度も引っ越しをしたことない
。
結婚してからも実家の離れに住んでいるのだ。
趣味でやってたピアノは、一度も先生からコンクールを
勧められたことなんかなかったけど、 ←完全に対象外 笑
合奏の伴奏
は必ず頼まれて弾いていたし、
マラソン
などのスポーツでも学校対抗の時は
選ばれて選抜チームや選抜練習に呼ばれたりもした。 ←冬の朝練はテンション低かったが。
初心者で始めた 剣道部
も一応、段も取ったし、
県大会にも出たことある。なぜかよく分からないけど、
割と大きめの市大会で準優勝になったこともあった。
自分が表彰式に出る事を意識してなかったため、
他の部員とさっさと帰宅してしまい、
表彰式で部活顧問が探してたらしい。
次の日、なんで帰った(怒)と叱られた、懐かしい。
学級委員も立候補しなくても 自動的に決まるシステム
で、 ←いまでもあるの?推薦制度。
小学校の五年間と中学に入ってからは、
生徒会、各実行委員もいつもの仲間とやっていた。
劇とかは演じる方は、死んでもやりたくないタイプで、
運営委員会とか司会進行とか舞台設営とか照明とかそっち専門で、
ある劇では、小道具(笑)のギロで、 リスがクルミを割る音
もやったことある。
リハではNGを出すことなく、 一発OK
である。 ←出番15秒。
色々上手く回っていた私の人生に転換期が起きたのは、
父の転勤で、東海圏の超ど田舎に中3から引っ越しになった時と、
東京に戻れると思っていた大学受験で、父に東京はダメと反対された時だ。
↑やっぱり、思春期に東京から超ど田舎への環境変化はそれなりに大変。
この二つの出来事は、少なからず私の人生全体に影響した事件で、
大学受験に至っては、やけっぱちで東海圏で進学した大学卒業後、
スウェーデン留学し帰国した時には、すでに親は転勤で東京に戻っていたし、 ←おーい、お父さんどこ?
一人暮らしがダメとか言うのが反対理由の一つだった気がするが、
弟は親が東京に戻った後も、進学先の
名古屋の大学に通うため一人暮らししていた…。 ←うん、満喫してるね。
当時は特に何も思っていなかったが、
今、回想すると、なんだかな、と思う。
親に感謝する気持ちは変わらないが、
長女なんてこんな扱いである。
こんな感じで完全に独立した子ども時代を過ごしていた私は、
その後も漂流を続け、かくかくしかじかで、
今は、このS国の超ど田舎で、二児の母である。
毎日がただただ忙しい、 自分以外の雑用
で。 ←どうしてこうなる?
徒歩10分のところにコンビニがあり、
それ以外は 家と原っぱのみ
。
良村では自転車で歩道を走行していけないのだが、
坂の多い車道を自転車で走るのは大変危険なため、
基本的に 自転車に一人で乗る子どもはいない
。
どこに行くのも親に車で送ってもらい、
高校生になったらみんな免許を取って、運転を始めるのだ。
それまでは、 初デート
も 初夜遊び
も全部親に車で送ってもらう。
中2と中1のビスケットとおいもも、もれなく、
登下校、習い事、スポーツの試合遠征、
友達との外出、買い物、99%、私の車送迎だ。
ビスケットは、
過去3回、徒歩で最寄りのコンビニに二人で行き、 ←一人は怖いらしい。
過去2回、バスで5分の村の中心地で行き、
過去10回、自力でバスを乗り継いで登下校した。
↑しかし、冬は暗くて寒いから(16時半下校)という理由を許可したゴジラがタクシーを手配。
過去1回、電車で1時間の大都市から自力で帰宅した。 ←遊びの帰り。
過去2回、近所の公園に友達と遊びに行ったことがある。
おイモに関しては、上記の コンビニ1回のみ
である。
この状況下に極度のストレスを感じているワタシだが、
そのストレスを爆発させる、起爆剤は、
・寝坊した朝の「ママ、急いで」 →あなたが急ぎなさい。
・自分たちがやりたくて始めた楽器の練習をしない →練習しないないなら辞めなさい。
・「ママがやれと言ったからやってる」 →なんでも始める前に、最低三年続ける約束はどうなった。
・時計を見ない →日本では長年出来ていた。
・頼まれたから迎えに行ったら「ママには頼んでない」 →まず感謝しろ。そして感謝しろ。
・こんなところに置いておいたら忘れるよと注意すると
忘れるわけないと逆切れし、そして忘れ
「ママ、持ってきて」 →クリスマスプレゼントとiPadは持って行った。水泳セットは却下。
・成績表がジェットコースター →なんとかならない?心臓に悪い。
・学校のトラブルを解決してほしいと号泣され対応したところ
「ママが一々うるさいから先生に目を付けられる」 →もしもし?
・自分がママと似てないと思っていて、有給とって駆けつけた授業参観で、
「友達に、あの人お手伝いさん?って言われたー」 →一度滝つぼで修業しなさい。
いやー、ワタシどれも一度も親に言ったことない。
自分から、全く異なる概念を持つ生き物で出てくる、不思議。
いつかタイムマシンが開発され一般販売されたら、
ぜひ、ゴジラの子ども時代を見にトラベルしたいものである。
少なくとも、義姉の子ども三人は同じ系統である。
さて、私と親の関係性と、
ビスケット&おいもと私の関係性を見ていて、
絶対的に違うことが一つある。
それは『 距離
』だ。
スキンシップの距離と精神的な距離。
どちらも、比べ物にならないほど、近い。
いわゆる、 めちぇくちゃ甘えん坊
。
子犬みたいに。
私は小3の時、学校から帰ってきて二階に上がった時、
正座して洗濯物をたたんでいる母の膝に座りたいなと
思ったことがあるのだが、この日、座れなかったのを
鮮やかに覚えている。
日本文化というよりは、私の環境や性格なのかもしれないが、
その日を境に、母ともスキンシップはほとんどなかった。
関係が冷えてるというよりは、
わざわざスキンシップ取る習慣がなかったのだ。
しかしビスケットとおいもは、違う。
隙あれば背中に乗ろうとする(そしておんぶに成功する)
もしくはおんぶしてくれようとする、
寄りかかってくる、食卓の下で足をわざと踏んでくる。 ←恋人かっ。
抱き着いてくる、手を引っ張って庭に連れ出し
なんとかバスケの練習相手にしようとする、
こっそり布団に隠れて驚かそうとする、などなど
容赦ない(笑)。
そして、うぃりあむは思う。
・・・可愛い。。。
幸せ。
このような 悪
魔の負のループ
により、
何が起きても、つい許してしまうのである。
そして今日もまた、思春期女子のおいもと
仲直りするわけである。