ひまわり畑☆

ひまわり畑☆

誕生~3歳



何よりも幸せなことである。

でも、反対の中でも生まれてきた・・・・


私の母と父は結婚していない。
父には妻がいて、3人の子供がいる・・・
私の母はいわゆる愛人というやつである。

母が父に言った「子供ができた。」
父は答えた「おろせ。」


それでも母は私を産んでくれた。このことを知ったのは小学2年生。
母と父の関係は物心ついた5歳くらいの時にはすでに聞かされていた。


親戚が『父親は死んだということにしとけ。」というなか、母は私につつみかくさずすべてを話してくれた。
私を一人の人間として扱ってくれた。
ここには母の思いがあった(9歳へ)



おろせと言った父も、戸籍上、私の父であることを認めてくれた。
初めての女の子にうれしかったのかもしれない。




私の名前は父がつけた。

「那津子」

母の田舎である鹿児島の湾をイメージして書いたそうだ。

母のイメージで父が考えてくれた名、私はこの名前が大好きだ。




1歳、おじいちゃんは母が小5の時に亡くなっていた。おばあちゃんは鹿児島で病気にかかっていた、肺癌である。



右も左もわからない、大阪という異郷の地で私をかかえて一人でがんばっていた母を思うと、心から感謝の思いでいっぱいになる。

おばあちゃんの容態もあって、私は1歳の時に一番飛行機に乗った・・・・



2歳の時、おばあちゃんが死んだ。
私はすやすやと寝ていたそうである。鹿児島で、親戚にかこまれて静かに死んでいった。


父方の祖父母には会えない。私の存在すら知らないであろう。





3歳、母の勤める病院にある、保育室で先生にいじめられたららしい。
母が病院に行くのが分かっているのか、小さな力をふりしぼっていやいやをしていたそうだ。



忙しいのに、絶対粉ミルクを飲ませずに哺乳瓶に乳をいれてくれた母。
その先生は、薬局を営んでいるので、その乳を飲ませずに自分の局の粉ミルクを飲ませていたそうだ・・・


幸いにも私には当時の記憶はのこっていない・・・・



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