葉山まなびや物語

葉山まなびや物語

福沢諭吉論





「おまえの名前は諭吉からいただいたんだぞ」と父に言われたことはあるが、
それ以上のことは聞いたことがない。

父が、福沢という男の業績や思想について、どこまで傾倒し、息子の人生にそれを
引き継ごうという願いをもっていたかは、今となっては確かめることはできない。

「いいか、よく聞け、福沢という男は・・・」などと膝を交えて話を聞いたことは
なかったと記憶している。

慶応に行けとも言われてことはおろか、私立というものは、家の経済状況からして
はなから考えになかった。

しかし、自分としては、一文字いただいていることは、何となくつながりのようなものを感じてきたし、ここ数年、学校を飛び出し、自分なりの教育スタイルを求めている
ことが、福沢の教育に対する考え方、実践を改めて知りたいと思っていた。

福沢は、私人としての立場を貫き通した。
公の肩書きは一つもない。

そう言われてみればそうだ。

国づくりにあれだけ貢献し、その業績は誰しも認める福沢が、何の肩書き
も地位もなく一市民のまま慶應義塾を立ち上げ、紙幣の肖像になるまでの
業を為し得たか、その点に着目してみたい。


タイミングよく「横浜開港150周年」という節目の年、「慶應義塾創立150周年」と重なり、福沢諭吉展が開催されたことは、自分にとって幸運だった。
(2009年2月)


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