あったぼこしゅ

あったぼこしゅ

月ハ笑ウ


 見つかるはずのない恋をした。
 辿りつくはずのない恋をした。
 満月と火星が重なって満月が赤く染まる恋をした。
 初めての恋をした。


 夏休みが始まり、第一回目の課外の日。たった二週間の課外だがぼくには長く感じられる。
 しかし、長いと感じるものに限って「あっ」という間に過ぎてしまうのが定番だ。
 眠いのを我慢して、今! 布団という天国から下界に降り立つ! ・・・。といっても僕の寝床はベッドではなくて布団なので降り立つ事はできない。むしろ、「這い出してきた」という方が正解だろう。
 まだ眠気眼のぼくには天の光は眩しすぎる。それを利き腕の左手で隠しながらグズグズと制服に着替える。
 ぼくの学校の制服は、とても平凡な学ランで、中学校とまるで変わりがないのでわざわざ制服を買わなくてすんだ。ちょっとした親孝行だ。
 着替えが終わると大きな背伸びをした。これは「今日から二週間辛いだろうけどガンバレ」という自分に対するエールみたいなものだ。
 それが終わると二階にある自分の部屋から出て十三段ある家の階段を下りる。何とも不吉な数字だ、夜中に増えたりしなければいいと思う事がある。
 一階に着くとそのまま洗面所に行き、顔を洗い、歯を磨いてから玄関に向かう。朝食は摂らない。まさに代表的かつ平凡的な不健康児。
 家から駅までは約十五分、そこそこ近いので自転車ではなく徒歩だ。自転車でもいい距離だが僕は上手く乗れないので遠慮している。
 カラスが今朝出された生ゴミをつついているのを横目に、本を読みながら色々な障害物を避けて歩くのがぼくの毎朝の日課だ。
 特にぼくの家の周りは路地が入りくんでいる上に道幅がとても狭いので障害物を避けて歩くのも苦労する。
 駅に到着すると左ポケットから定期を出し、改札にいる駅員に見せながら挨拶をする。あとニ、三分もすると電車がホームの中に入ってくるだろう。
 しかし、ぼくの予想は激しく裏切られた。もう電車はホームの中に停まっている。ぼくは少し小走りで後ろから三両目に飛び乗った。と同時にドアが閉まった。
 剣呑剣呑。少し汗をかいてしまった、運動不足が仇になった一瞬だった。
 夏休みのせいだろうか、車内には空席が目立つ。ぼくはいつもどおり所定の位置に立った。その所定の位置とは後ろから三両目と四両目の結合部分の近くにある優先席(進行方向に向かって右側)の左から二番目の吊革だ。
 未だ座ったことがないのが自慢。
 ぼくは奥から二番目の吊革にぶらさがりながら、流れていく景色を見る。いつも変わらない風景。のどかな住宅街、その合間に見える田園。まさに「平和の象徴」だ。
 その「平和の象徴」を幾度となく見ているのに飽きないのは僕が毎日その風景を見ながら考え事をしているせいに違いない。その飽きない風景から目を離し、何気なく後ろから四両目に目を向けた。
 やはり、ここもいつもと変わらない後ろから三両目と四両目を繋ぐ扉。扉は所々銀色が剥げて地の灰色が見えている。よく見ると、ノブの約五センチ下に「バカ」と、何か鋭いもので彫られていた。新しい発見だ。
 それにしても、何が「バカ」なんだか・・・。この文字を彫ったヤツの知能が垣間見る事ができる。その上、器用さも。どうすれば激しく揺れる結合部分で文字が彫れるのか。ぼくはものすごく不器用なのでちょっとは見習わなければいけない。
 そのまま視線を持ち上げて、扉の約五分の三を占めている窓に視線を移す。それには多くの人間の指紋が窓に付着していた。もし、列車内で殺人事件が発生したら犯人が特定できなくなるくらいだ。生々しい通勤ラッシュの名残。
 ぼくが電車に乗り込む駅の二つ前は結構大きな駅なので、ほとんどの人がそこで降りてしまう為、ぼくが乗り込む頃はガラガラなのである。
 後ろから四両目の右側の優先席にはいつも、窓際族と思われるサラリーマンがいる。が、今日は違っていた。
 どこの制服か分からないような一般的なセーラー服(夏なので半袖)。そのセーラー服から伸びている病的に白い腕。髪は肩から十センチばかり出ていて、後ろ髪は全て揃えてある。指紋で曇った窓でも分かるような髪のつや、長いまつげ、きめ細かい肌、綺麗な横顔。
 ものすごい速さで心臓が血を送り出している、心筋梗塞を思わせるような胸の痛み。何だろう、この胸の痛さは。初めて感じるような痛み。
 あのいつもの窓際族はどこに? もしや変身・・・。そんな事が現実にあっていいはずがない。そんな変態性欲がこの世に生きることを許されているはずがない。あの窓際族があんな綺麗な彼女だなんて信じてはいけない。騙されるな! ぼく! 騙されるな! 現実にも、非現実にもこんなことはあってはいけない。
 ぼくは周りの人の目も気にせず邪気を祓うように首を激しく、そして大きく振った。脳がその行動に合わせて動く音がするような気がするほど振った。
 そんなことをしているうちに、ぼくが乗ってきた駅からすでに二つ目の駅が過ぎ、三つ目の駅に到着。車掌さんが電波に乗りやすい声で駅名を車内にいる人々に伝え、ドアが開き、彼女が出て行く。それまで変な考え事をしていたぼくは、彼女が電車を下りていくのに全く気がつかなかった。ぼくの目が急いで彼女の後を追う。
 やはり綺麗だ、可愛いなんて言葉は彼女には合わない。多分、いや確実に世界で一番綺麗だ。「世界美女コンテストで最年少にして今世紀最高の美女」って感じだ。
 また下らない事を考えているうちに、今世紀最高の美女な彼女が改札口を通って出口へと消えて行く。
「あぁ・・・」
 思わずため息が洩れる。
 行ってしまった、こんな悲劇があっていいものか。絶対に、確実に、明確に、こんな事があってはいけない。こんな苦しい事はあってはいけない。しかし、こんな事を考えていてもしょうがない。このまま彼女についていってもどうしようもない。もし、今ぼくが彼女に思い切って告白しても、「誰? 私あなたみたいな人知らないわ」と言われてしまうのがオチだ。なので、ここは気長に待つ事にしよう。そうだ、これが一番正しい答えだ。もし会えなくても降りる駅は知っているのだから何とか探しようがある。これが最善の処置ってヤツだ。
 そうやって一人で納得しているうちに、電車のドアが閉まった。明日も今世紀最大の美女に会えることを神様や仏様、ご先祖様、最後にはギリシャ神話の神様達にまで願いながら二つ先の駅へ向かう。

 学校に到着。
 下駄箱で履きなれたスニーカーから、つま先の辺りが緑色の上履きに履き替える。四階にある自分の教室に向かう途中、何人かの先生とすれ違ったので軽く会釈をした。するとそれを返してくれた。
 教室に着くといつもの見慣れた顔がたった一つしかなかった。と、言ってもぼくには友達が一人しかいないので、見慣れた顔は一つしかなくて当たり前だった。
 だが、寂しくとも何ともない。例え友達が一人しかいなくても、その人がいればぼくは多分、いや絶対に死ぬ事はないだろう、ぼくが死のうとすれば必ず、確実に助けてくれる。ぼくは信用しきっている、というより恋していた。女の子に恋するよりも早く男の子に恋してしまったみたいだ。
 しかし、何か違っていた。彼女に対する感情と、友人に対する感情が何か違っていたのに気がついた。それでも、あまりよろしい事ではない。どちらか一人に決めた方がいいのだろうか、人生最大にして人類最大の悩みである。
 宛てもなく彷徨っていたぼくの視線を友人に向けながら教室に足を踏み入れる。友人はいつもより早く来ていた。よほどする事がないのだろうか、かなり前の文庫本を読んでいる。
「よぉ、おはよう」
 読んでいた文庫本から目を放して友人がぼくより先に挨拶をした。
「ん、おはよう。今日はいつもより早いんだな」
 ぼくはいつもどおりの眠気百パーセントで挨拶した。
「ん~。今日くらいは早く来て、お前を待っててやろうかと思ってさ」
 どこか自慢気だ。
「気味が悪い・・・」
「おい、どういう意味だ?」
 そう言うと友達は、にかっと笑って見せた。ぼくはこの笑顔がたまらなく好きだ。
「そうだ」ぼくは思い出したように言った。「そういえば今朝電車の中で・・・」その言葉を冒頭にして今朝あった出来事を全部、何も残すことなく自分の気持ちも加えて話をした。すると友人は難しい顔をして
「一目惚れ・・・ってやつか?」
 いつもの笑顔はどこへやら、ぼくはこんな神妙な面持ちをした友人を初めて見る。友人のこんな顔を見るのなら言わなければよかったと激しく後悔した。
 ぼくは友人に体の全身系を集中させながら、ゆっくりとした口調で話した。
「そうかもしれないな、そんな経験した事ないけどな」
「なぁ、どんな気持ちだ? 一目惚れってやつはさ」
 真剣な眼差しでぼくに問いかけてきた。
 しかし、どうやって答えればいいか分からない。どうしようか、はっきりと分からないと言ってしまおうか。それとも、わけの分からない日本語を並べてやり過ごしてしまおうか。
「いや、何か・・・分からないけど」
「けど?」
 目が輝いている。嘘はつけない。この際、意味不明でいいからあの時感じたままに言ってしまおう。
「世界美女コンテストで最年少にして今世紀最高の美女みたいな感じだった」
 多分この気持ちは伝わらないと思うが、本当の気持ちを言ったので、どことなくスッキリしている。
「どんな感じだ?まぁ、そこら辺はなった奴にしか分からないんだろうけどな」
 納得したらしい。
「おっ、そろそろ座った方がいいな」
 友人がぼくを促した。
 本当だ、もう少しで先生が教室に到着する。まだ立っていたぼくは急いで友人の右隣の席へ座る。
 ぼくの机が五センチだけ友人の机に近づいた。

 約三時間後。
 初日の課外は無事終わった。いつも通り、友人を誘い帰りがけに遊びへ行こうと思う。
「なぁ、どこか行かないか?」
 友人の方から誘ってくれた、ぼく気持ちを察してくれたのだろうか。ぼくは満面の笑顔で首を縦に大きく振った。
 ぼく達の遊ぶ場所、というより話す場所の方が正確だ。その場所はいつも決まって駅前のデパートの三階にある飲食店街の「キキキラキラ」という喫茶店だ。そこで時間の許す限り話しをする。
 ぼくは、いつもオレンジジュースを注文して、友人はアップルジュースを注文する。大抵は、ずん胴のグラスで出されるが、客が多い時はワイングラスで出てくる時もある。が、無論。文句を言うつもりはない。なぜなら、グラスが変わったところでぼく達の会話に何も支障がないからである。
 五十回に一回は、必ずデパート内にあるゲーセンへ行き、無駄遣いをする。たまには楽しいものだ。その楽しさは友人がいればこそなのだが。
 教室を出て階段を下り始めると、突然友人が口を開いた。
「俺、行きたい所あるんだけど?」
「どこ?」
 間を置かずに聞き返す。
「図書館」
 友人は簡潔に答えるとぼくの答えを待った。
「そう。ぼくは君と一緒にいられればそれだけでいいよ」
 ぼくがそう言うと、友人は少し照れくさそうにしてはにかむように一回だけ小さく頷いた。
 友人は地元出身なので自転車通学だ。遊びに行くときはいつも二人乗りをする。勿論、ぼくが運転手で友人が乗客だ。
 友人曰く、図書館は『駅の近く』らしいので、ぼく達はまず駅に向かった。それから友人の指示通りに自転車を漕いで行く。
 まず、駅から一本横にずれた国道のダンプ道路のわずかな歩道を疾風の如く駆け抜けていく。
 どうにかしてこの危険な道を抜けたい。もう十台近くのダンプカーがぼく達の横を走って行った。その度に、後ろにいる友人の事が気になってしょうがなかった。じっとしていてくれればいいのだが、友人はそんな落ち着いた人物ではない。とても心配だ。横を走るダンプカーに触りかねない。よい子も悪い子も普通の子も真似をしてはいけない行為だ。
 まぁ、そんな事故もなく無事に国道沿いの何とも危なっかしい場所に友人行きつけの図書館はあった。
 意外にも綺麗な所で自転車置き場も駐車場も完備してあった。
 友人に言われるままに自転車置き場に駐輪し、きちんと鍵をかけ、友人の誘導の下、市立図書館に入っていった。
 友人は真っ先に館内の一角にある「金東徹底(かなとう てってい)」という作家のコーナーに向かった。あまり有名ではないが、コーナーができているくらいなので、本は驚くほど出版している。
「俺、この人の本好きなんだ」
 そう言うと、本棚から一冊だけ抜き取った。『悲しみの底は哀しみ』というタイトルだ。表紙は水色よりもっと薄い色だけで、何の絵も写真もない。ただ水色のタイトルとそれよりもっと薄い色があるだけだった。
 友人は何かを探すように本をパラパラとめくった。
「ここがね、一番好き」
 開いたページの好きな部分を指で指しながらぼくに見せた。
「『見つからないものを無理矢理見つけてはいけない。本当に探しているものを見失ってしまうから。時には、休むことも大切だと思う』か・・・・・。何で好きなの?」
「こんなこと言うと変な人っぽくなっちゃうけど・・・。引き寄せられる気がするんだ、その言葉にさ。言葉には命があるっていうだろ? 俗に言霊って言うけど。その人の書く本の中に登場する言葉達には全部、一つ一つ命がある気がするんだよね」
 ぼくにはさっぱり分からない。
「・・・理解しがたいな」
 はっきりと、きっぱりと言った。こうゆう話はきちんと感想を述べたほうが正解だ。
「うん、分かるよ。自分でも何言ってるのか分からないからね。そうだ、お前も読んでみたらどうだ? 俺のカード貸してあげるからさ!」
 『悲しみの底は哀しみ』を元の場所に戻してからその一段下にある『右を見る羊』を抜き取りぼくに表紙を見せた。
 そして今までにないような笑顔を見せる。ぼくはその笑顔を裏切れず、満面の笑みを浮かべて友人に、
「そうしようかな」
 と言った。


 十四回、かったるい朝が来た。
 十四回、細くて狭い路地を通って駅に向かった。
 十四回、車両の後ろから三両目に乗り込んだ。
 十四回、三両目と四両目の連結部分、進行方向に向かって右側の優先席の奥から二番目の吊革にぶら下がった。
 十四回の後もきっと変わらない「平和の象徴」。
 十四回の間、あの美少女はいなかった。


 今日は課外最後の日
 学校に着くと、友人が美少女のことを聞いてきたが、ぼくは友人の反応を気にすることなく俯いて黙っていた。それを察したのか、友人はその後も何も聞かなかった。その代わりにぼくがこの前借りた本の感想が気になっていたみたいで、聞かれたが、まだ一ページも読んでいないと正直に答えた。
 課外が始まっても、ぼくは顔を机に向けたまま、色々なことを考えながら三時間を過ごした。
 確かに神様達にお願いをしたのに。明日もあの子に会えますようにと、お願いしたはずなのに。あの日から一度も会えていない。やはり神様達はいないのだろうか。ここで神様達を恨むのはお門違いだろうか。恨むべきはぼく自身なのだろうか。誰にも問うことはできないし、誰も恨むことはできない。ぼくが勝手に憧れ、願っただけだから。何でぼくはこんなに落ち込んでいるんだろう。友人が側にいてくれるのに、いつでも触れられる距離にいるのに。今までこんなことはなかった。こんなに苦しいのは、悲しいのは初めてだ。何を落ち込んでいるんだろう。初めて会った人なのに、もう一度会いたいなんて思うのは尋常じゃない。ぼくにとって危険信号だ。
 こんな状態のぼくを見かねたのか、自転車通学の友人が電車通学のぼくを 家まで送ってくれた。
 家に着くとぼくは友人を自分の部屋に招き入れた。
部屋に入ると友人がいるのにも関わらず、すぐに部屋の片隅にある二人掛けのソファーを一人で占領する形で横になった。ぼくは天井を眺めている。
「どうしたんだよ。すっげー落ち込んでるだろ?」
 友人が切り出した。
「・・・自分でも何でこんなになってるのか分からないんだ。変だよね」
 ぼくは表情を変えないままで言った。
 何を思ったのか、友人が四つん這いになって寝ているぼくに近づいてくる。少しも躊躇わない様子で、ぼくに覆いかぶさってきた。ぼくは驚いた、友人がこんなことをするとは予想できなかったからだ。友人が僕の耳元で呟く。
「なぁ・・・俺じゃ駄目なのか? 俺が側にいるだけじゃ駄目なのか? 俺は・・・お前が好きだ」
 友人が下にいるぼくに告白した、一瞬の間も置かずにぼくは答える。
「ぼくも好きだよ。だけど、あの子に感じる感情とお前に感じる感情がどこか違うんだ」
 再び、友人の反応を気にせずはっきりと言った。ぼくは友人の体を起こし、抱きしめた。それに反応して友人もぼくの背中に腕を回してぼくの胸に寄りかかった。
「ごめん」
「分かってたけど、やっぱり女の子には敵わないんだな」
 少し涙声だ。ぼくは友人の背中に回している腕を更に力を入れて抱きすくめた。
「ごめん」
「謝るなよ」
「もしかして、泣いてる?」
「泣いてねぇよ・・・」
 そう言ってぼくの体を突き放し、立ち上がった。
「俺・・・帰るよ。送らなくていいから・・・じゃあな」
 赤い目をしながら部屋から出て行った。罪悪感も感じなかった。

 朝が来た。
 なぜか、今朝は目覚めがいい。課外が昨日で終ってしまったせいなのだろうか。折角なので例の本を読んでみた。
 『音楽なんて気休めにしかならない。音という形のないものに人々は助けを求め、それに言葉を付けることによってさらにその効果は増す。例えるなら光だ。太陽の光よりも強い光だ』
 ・・・・・・・・。イマイチ分からない。何が言いたいのか全く、さっぱり、分からない。
 この一文でぼくは読むのを止めた。そろそろ貸し出し期限が来てしまうので、あの図書館に行くことにした。
 いつもより遅めの電車に乗り、いつもの場所で「平和の象徴」を眺め、いつもの駅で降りて、友人と一緒に行ったあのダンプ道路の側にある図書館に徒歩で向かう。そこは相変わらず何とも危なっかしい場所にあった。
 中に入るとカウンターに向かい本を差し出す。
「これ返したいんですけど・・・」
「はい」
 本に貼ってあるバーコードに機械をあてる。
「はい、いいですよ」
 何ともにこやかな笑顔を僕に向けた。その笑顔を振り切るようにぼくは図書館の奥へと足を進める。館内にはほとんど人の気配はない。家に帰っても、何もする事がないのでここで時間を潰すことにした。そこいら辺にある本を適当に読み漁り一つ一つ評価を付けていった。こうして見ると面白い本はなかなか見つけられなかったが、一冊だけ気になる本があった。
 『不思議ちゃん』と言うタイトルだった。



「君は死にたいんだろ?」
 推定年齢十八歳が無表情のまま僕に語りかけた。
「さぁ、分からないね」
 僕はとぼけてみた。本当は何も考えていないだけなんだけど。
「嘘つき。本当は何も考えていないだけだろ」
 見抜かれていた。
 彼女は少し無表情を崩して「はぁ」と呆れ顔で小さくため息をついた。
「なんであちきは、こんな輩といるのでありんしょう・・・」
 そして、空を仰ぐ。
 さらに無表情の中に呆れ顔が混ざり、一気に時代を感じる顔になってしまった。
「何回も言うようだけど、その時と場合によって変わる喋り方やめろよ。複数の人間と話してる気分に陥る上に、どこの時代の人間と話してるか分からなくなる」
 面白いし退屈しないけど。
「面白いだろ。退屈しないだろ」
 また見抜かれていた。ひょっとしてエスパーか、はたまた日本語で言うところの超能力者か。
 僕がそんな事を考えていると彼女がいきなり推定年齢九歳の顔でニカッと笑って見せた。が、すぐに元の顔に戻ってしまった。推定年齢九歳ままでいてほしかった。と、わずかながらに願う僕はちょっと切ない青少年。
 彼女の背景にある夕日がまぶしい。まるで彼女自身が光っているみたいだ・・・。僕はいつからこんなメルヘンチックでロマンチストになってしまったんだろうか。少し悩むべき問題になりつつあるな。
「正真正銘の勘違い野郎ね。国語力がない上にロマンチストか・・・いつから私は仏様になったんだろうね」
 無表情と呆れ顔のブレンドの中に、意地悪で小悪魔的な笑顔を発見した。
・・・・・・。
「なになにぃ降参? 弱いじゃん。てゆうかぁ負けって認めるワケ?まったく使えない男じゃん。何も考えてないし、あたしに図星されるし。もしかして趣味?チョー趣味悪くねぇ?」
 彼女は全ての語尾を付加疑問文にした。まるでどこかの国の、どこかの町の十五歳から十九歳の少女達の話し方に似ていた、というかそのままだった。今度も意地悪で小悪魔的な笑顔。僕は確信した。彼女は読心術を心得ている。
「おまえ絶対、読心能力とかあるだろ」
 彼女に言われる前に思い切っていってみた。
「そんなわけないじゃない、この少年は夢でも見てるのかなぁ?もうそんな年じゃないはずなんだけどねぇ・・・」
 ドカーンと玉砕。
 しかし僕はこんな事で諦める野郎じゃない。
「そんな言葉に惑わされる僕じゃないよ。正直に言ったほうが自分のためだ、さぁ、言うんだ! 君は言わなければいけない!」
 僕はちょっとだけ、明智小五郎の似てないモノマネをしながら、人差し指を名前のとおり人に向かって指した。
「まったく、この坊やはうるさいねぇ。少しは静かにできないのかね。それに人に向けて指を指すもんじゃないよ、お母さんに習わなかったのかい?」
 グッサリ辻斬り。
 鼻で笑いやがった。くそっ、憎たらしい口を利くくせに可愛い。天は二物を与えないとはこの事だと思ったが、今になってはその憎たらしい口すらも可愛く思えてくる。僕は何か悪い病気にでも侵されているのだろうか。
 その彼女の身長は一六〇センチ弱、髪型は普通なボーイッシュ型だが右側の髪だけは二十センチほど伸ばしてある。ピアスは開けていない。それに黒のセーラー服に黒のスカーフ、膝上十センチの黒のスカート(もちろんうちの学校の制服だ)。肌は病的に蒼白く、唇は肌にとても似合う赤、瞳の色は明るい茶色、まつげは最長約一・五センチ(結構長い)。表情一つで年齢が分からなくなるため年齢不詳。全て推定年齢。誰から見ても可愛いただの女の子だ(僕にとっては違うけど)。
 僕が最初で最後に見る、銀河系でたった一人だけの不思議ちゃん『鈴木鈴』(すずきすず)。上から書いても下から書いても『鈴木鈴』だ。
「おまえは死にたいのか?」
 少し間を置いて、僕は冒頭で彼女に聞かれたことを思い出し聞き返した。
 彼女は推定年齢二十歳の笑みで答えた。
「あんたと一緒だったらいくらでも死んでやるよ」



 何となく、本当に何となく。又は、運命的にして偶然的というのだろうか。他の言い方をするならば、この本には何やら摩訶不思議な魔法がかけられているようだった。
 ぼくは閉館十分前までここにある本を読み続けた。永遠と、悠々と、長々と。そろそろ帰らなくてはと思い、今までいた場所や『不思議ちゃん』達に別れを告げ、何時間か前に来た道を引き返す。
 空は結構暗い。雲のせいかもしれない。
 駅に着くとほとんど人は居らず、ぼくだけがぽつんといるだけだった。間もなくすると、電車が駅の中に入ってくる。その中を見ても人はあまりいない。田舎の単線みたいだった。
 やがて、電車が停車して扉が開くといつもの場所に就く。何気なく後ろから四両目方向に目を向けると、あの美少女がいた。
 夢ではないだろうか。幻ではないだろうか。残像ではないだろうか。錯覚ではないだろうか。いや、決して夢ではない、幻ではない、残像ではない、錯覚ではない。十五日前見たときと同じ服装、同じ髪質、同じ肌、同じ横顔。何もが同じだった。胸の痛みさえも同じだった。
 多分、この子は二つ先の駅で降りる。その時はぼくも一緒に降りて告白しよう。人生で二回目の告白。絶対に何を言っているか分からないくらいに、口ごもると思う。知らない奴から突然、告白を受けて不審者だと思われるかもしれない、上手く話せないかもしれない。だけど、それでもいい。彼女の声が聞ければいい。ぼくが彼女に恋をしているということを伝えられればいい。悔いはない。
 やがて二つ先の駅に到着し、扉が開き、予想通り彼女が出て行く。ぼくは彼女の姿を追いかける。
 まだ、いい言葉が見つからない。どうすればきちんと話せる? どうすればぼくは不審者に見られない?
 彼女が、改札を出て駅前の比較的車通り少ない道の歩道を歩く。ぼくはまだ言葉が見つからないがそのまま彼女の後を追う。彼女が青信号の横断歩道を渡ろうとしたその時。
 横断歩道を渡ろうとした彼女にワゴン車が突っ込む。何かに憑かれたように、何かに侵されたように。一直線に彼女の体を轢いた。何もかまわず。振り向きもせず。そこに何もなかったかのように、犬や猫を轢いたかのように、止まりもせず、ブレーキも踏まなかった。
 長く続く沈黙。そして沈黙。永遠に続く沈黙。
 ぼくは彼女の横たわる体に近寄り、彼女を見下ろす。やはり、正面から見ても綺麗だな。長い睫毛、病的に白い肌、その肌に合う唇の色、何もかもが想像した通り、電車の中で見た通りだった。
 ただ一つ違っていたのは、唇から流れ落ちるモノ、頭からも流れているモノ。おびただしい量の血。初めて見る。鉄の匂い。ドロドロとした血が彼女のセーラー服を濡らす。
 生気のない瞳。清輝のない瞳。邪悪そのものを見たかのように瞳孔は開ききって、だけど表情は恐怖に歪むでもなく悲壮に凍るでもなく虚ろそのもの。
 殺人、破壊、破壊、破壊。
 髪がコンクリートの上の血だまりの中でゆらゆらと浮かんでいる。この体のどこにこれだけの血があると言うのだろうか。
 ぼくは右ポケットから先月買ったばかりの携帯電話を取り出した。記憶しているボタンを押す。
『はい。救急ですか? 事件ですか?』
 電話が繋がって、相手が口早に話す。
「・・・女の子がワゴン車にひき逃げされました」
『どこですか?』
「○○駅前の・・・横断歩道です」
『分かりました。すぐ向かいます』
 電話を切る。ぼくはさらに近寄り、血だまりの中へ足を踏み入れ、そこへ膝まずく。身に付けていたスニーカーとズボンが血で染まる。
 彼女の綺麗な顔に手を触れた。とても人間の肌とは思えない。そっと、彼女を抱え、胸の中へ抱き寄せる。現場保存なんか知ったことか。
「ぼく・・・あなたのことが好きです。突然ですみません。別に怪しい者じゃありませんから。十五日前に電車の中であなたを見かけたんです」
 名前も知らない彼女、動かない彼女。ぶつぶつ呟く自分が不気味だ。何語ってんだよ。それに何こんな所で告ってんだ。でも、ぼくは止めない。
「ぼく・・・あなたに恋してるんです・・・だから生きてください」
 ぼくは彼女をさらに強く抱く。垂れている首を上へ持ち上げ空を仰ぐ。
「神様、ぼく・・・恋がしたいんです。お願いです。最初で最後の恋がしたいんです。ねぇ! 神様聞いてるんでしょ! お願いだから・・・お願いだから・・・」
 いつの間にか晴れた夕暮れは、今まで見た空の中で一番美しかった。
そして、その中で蒼い月が笑っていた。


 ぼくは病室の扉を開けた。持ってきた花束を水の入った花瓶に生け、それを窓の側にある机の上へ置き、彼女の方へ視線を移し、にっこりと笑う。それに応じたように彼女も笑顔を浮かべる。頷くと窓の外に視線を移す。
そして、彼女に語りかける。
「今日も空は青いね」
 彼女はまた笑顔を作る。


                        END

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