あったぼこしゅ

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Kの部屋


 廊下の幅は、約三メートル。それに沿って、アルファベットが書かれたガラス製だと思われる板がかけられた扉がいくつも並んでいる。かなりシンプルなアルファベットで、修飾はされていなかった。
 右を見ても、左を見ても人っ子一人いない、ちょっと歩き回れば人と会うかもしれないな。そう思って椅子から立ち上がった瞬間、正面の『K』の扉から声がした。
「そこにいるチビちゃん入っておいで」
 明るい声。なにやら不安をすべて吹き飛ばしてしまうような・・・そんな声がした。
 行く宛てもないのでノブに手をかける。先ほど言った通り、不安も吹き飛ばしてしまうような声なので、不安気もなく中に入ろうとする。が、開かない。手前に引いても、押しても、叩いても、蹴り飛ばしても。開かない、開かない、開かない、開かない。
 それから、またあの声がした。
「左に引くのよ」
 ・・・どうりで開かないわけだ。左に引き、やっとのことで開いた。この廊下のように長い道のりだった、気がする。
 部屋の中に入ると、高価そうなアンティークの一人掛け用の椅子とソファとテーブル。その他のクローゼットなどの家具が目についた。
 その一人掛け用の方に、タートルネックで七分袖の袖口が締まっている黒いドレスを着て、手首からの白い手袋をしている。体格に合わないブーツを履いた女の子がちょこん、と乗っていた。足が床に着かないみたいで、大きなブーツを空中でぶらぶらさせている。
「早く入るの。んでもってそこに座るの」
 女の子が目の前にあるソファを細い指で示しながら、あの声で言った。
 お言葉に甘えて座らせて頂くと、どこから取り出したのか、広辞苑並の本を膝の上に広げていた。
「まず、カンガルーの間へようこそ」
「カンガルーの間・・・。え~と、どのような由来で?」
 明後日な質問をしてしまった。
「頭文字が『K』だから」
 あぁ、そうゆうことか。合点いった。ということは他の部屋も・・・?
「ついでに、『A』はアメリカンフットボールの間、『B』はボストンバックの間、『C』はキャンディーの間。全部言う?」
「結構です」
 なぜだか、質問したことを少し後悔してしまった。
「そう。じゃ始めるわ」
 女の子はあの本に目を落とした。そして、その本に書いてあろう言葉を読み上げた。
「名前・イトウユキ。生年月日・二〇四〇年九月十四日。死因・銃殺。享年十五。間違いない?」
 なぜ、知っているのだろうか。僕の名前、誕生日、歳。それに、死因?死因っていうのは死亡した原因だよな。享年っていうのは死亡した年齢って意味だから。っていうことは、僕はもう死んでいるわけだ。あっはっは、死んじゃった。
「本当は笑い事じゃないんだけれどもね、まぁいいわ、あたしにゃ関係ないもの。間違いがなければそれでいいわ」
 まるで心の中を読まれたみたいだった。それから、事態が嘘ではない事を感じた僕は、女の子に言った。
「いまいち状況が把握できないのですけれども・・・」
 僕の言葉を聞いた女の子は、きょとんとしている。
「知るはずがないわね、失礼したわ」
 僕は少し体を女の子に近づけた。
「あたしの名前は名前はモルネート、覚えなくて結構よ。職業は思い出の部屋の主人。以上、質問は?」
「あの・・・僕が持っている疑問になに一つ当てはまらないのですけれども・・・」
「あら?あたしの事が知りたいんじゃなくて?」
「いや、全く」
「興味ない?」
「全くもってこれっぽっちもありません」
「じゃぁ、何が知りたいわけ?」
 モルネートが顔をしかめながら僕に聞いた。僕はしばらく天井を眺めて答えた。
「ここはどこか、この部屋は何をするためにあるのか、僕は何でこんな所にいるか。以上です」
 モルネートはあの顔から元の顔に戻すと、はっきりいった。
「ここは現世と天上の境目。現世であった出来事を忘れてもらうためにこの部屋は存在する。君は死んだからお客様としてこの部屋に呼ばれた」
 まるで台本のを読んでいるようだ。
「僕は、どのような状況で死んだんですか?」
「質問は以上と言ったはずよね」
「ですけれども・・・・・・・・」
「嘘、嘘よ。冗談ですことよ。気になさらないで」
 数秒の沈黙。
「・・・えーと、今までの話から推測すると、この部屋に来てしまうと僕の思い出、記憶が全て消されてしまう。というわけですかね」
「そのとーり。他に質問は?」
「記憶を消す理由は何ですか?」
「例えば、現世に恨みを持った人がいるとするわ、その人がそのまま天上に行ってしまうと、転生したときにそのの記憶が残っているとね、とても大きな事件につながってしまう可能性が少しながらあるのよ。そうすると、閻魔様とか神様とかが忙しくなっちゃうの。ほら、普段でも忙しい方々だからね」
「そういう事ですか」
 僕は納得して頷く。それを確かめるとモルネートは再びあの本に目を落とした。
「そういえば、随分大人っぽい話し方をするのね」
 唐突だった。モルネートは本に目を落としたままだ。
「そうですか?大人達の中に長くいたからだと思います」
「それもあるかもしれないけど、やっぱり元々しっかりした性格なのでしょうね」
「そんなことないですよ」
「まだ自分の事がわかっていないだけよ」
「そうですかね」
「あら、無駄話をしてしまったかしらね。ごめんなさい」
 僕には、モルネートがなぜ謝ったのか分からなかった。
「さて、始めましょう。え~っと。二〇四〇年九月十四日 現日本国ルーブギル市サンドマンス町七九五番地四〇号コウスンビル五階にて誕生 母・イトウリリス、旧姓カネガワリリス 父・イトウケイゴの間に生まれ、長男。父母ともに二〇四七年の空襲にて死亡。間違いない?」
「間違いないです」
 すると、突然何かが、背後から忍び寄ってくるのが分かった。振り向いた瞬間に僕は眠りに落ちた。

 僕の生まれた世界は戦争だけだった。過去に五度の核兵器の使用で世界大戦をした為、地球上の全ての国が変形してしまった。その上、日本は他の国に侵略され、多くの政治家は殺された。大昔に決められた核兵器云々の法律は僕が生まれた頃は、すでになくなっていた。
 今は、現大統領がどこか分からない国に戦争を仕掛け、ただいまその最中だ。すでに国民の半数が死んでしまっている、という噂が流れ。同時に流れ出した大統領死亡説。国民は絶望と苦しみの中にいた。連日連夜の空爆に、人々は怯え、苦しみ、衰弱し、そして死んでいった。
 その中で僕の両親は死んだ。どこの国か分からない飛行機に爆弾を落とされて沢山の人が死んだ。その中に僕の両親がいた。ただそれだけのこと、運が悪かっただけだ。
 そうやって、無理矢理自分を納得させた、させなければいけなかった。言わば、これは運命にして宿命、宿命にして使命だった。
 その中で一人の少年と出会った。その少年も僕と同じように両親を失い、町の中で暮らしていた。やがて、生活を共にするようになった。まるで本当の兄弟のように支えあいながら何とか生きていた。
「ねぇ、今度兵士の集会があるんだけど行こう?何とか入り込めれば兵士にしてもらえるかもしれないからさ」
 突然だった。僕には断る理由がなかったし、少年が行くといえば僕はそれに従うまでだった。
 一人が寂しかった。苦しすぎて、苦しすぎて、死にたかった。そこに、少年が現れた。何かにすがるように、何かにゆだねるように、何かを求めるように。僕は少年と生きることを決めた、自分勝手に、自己中心的に、自分が地球の中心に立っているように、これも使命だと勘違いをして。
 僕らは集会所の入り口の受付も楽に通過できた。集会に来ると勝手に兵士にさせられるらしいので、僕らには好都合だった。ご飯も路上で暮らしているより食べられたし、寝るところも与えられた。
 この潜入作戦は見事に成功した。と、いうよりは「成功させてくれた」と言う方が正解だろう。そこに集まった兵士になる人たちも、軍の広報部の人たちも、孤児がどれだけ苦しい生活をしているか知っていたからかもしれない。
 それからの僕たちは順風満帆だった。どこかの現場(戦場)に行かされても、他の大人達が護ってくれたし、ご飯も食べられた。何より、少年と一緒にいられることが最高の幸せだった。
 ・・・・・・・・いや、待て。何かおかしい、僕は、なぜ、少年の名前が、全く、完璧に、完全に、これでもかというくらい海馬から抹消されている。僕は何をしていた?僕が忘れるはずがない、忘れていいはずがない。そして、肩を叩かれる感覚。目を覚ますように促される声。
「ねぇ。チビちゃん起きるんだよ」
 僕はいきなり目を覚ます。呆然として肩を叩いたモルネートに目を向ける。しかし、肩を叩いたのはモルネートではなく、なにやら空中に浮遊する謎の生物。
「これなんですか?」
「ペット」
 モルネートはさらりと答える。そして、あの本に目を落とす。
「キミ、忘れちゃったんだね。お友達の名前。大切な、大切なお友達の名前」
 僕はうな垂れて、ただ呆然としていた。何をするでもなく、何を見るでもなく、何を考えるでもなく、ただただ放心しているしかなかった。
 目を覚まして、一時間は経った頃だった。
「キミ、ずっとそうしてる気?だったら止めてくれない?人生前向きに考えないといけないって、キミの五十三人前の人が偉そうに言ってたわよ」
 モルネートが諭すように言った。
「僕に・・・人生はあるんですか?生きているからこその人生なのに・・・死んでしまっては人生も何もないでしょう」
 僕はうな垂れたまま答えた。
「それもそうね。じゃ、また睡魔さんにお世話になっちゃおうか」
 再び同じように眠らされた。

「おいっ!起きろってば!」
 激しく肩を叩かれ、耳元で馬鹿でかい声がした。今度はモルネートでも、変な生物でもないみたいだ。
「早く行かないと遅れちゃうよ!」
 あの少年だ。未だに名前が思い出されない。僕は森の中にある小さな池のほとりに天を仰いだまま寝ていたみたいで、そこは少年の他に誰もいなかった。しかし、約百メートル先に大人たちが歩いていくのが小さく見えた。多分その集団に遅れてしまうという意味なのだろう。僕はすぐに立ち上がり、その集団に追いつくように少年と同じ速さで走った。
 やっとのことで集団に追いつくと、列の一番後ろに付いた。
 大人たちの服装を見ると、現場の帰りなのか所々汚れがあった。特に目立つのが赤い色だった、その人のものなのか他人のものなのかは分からないが、本当に小さなシミでも、そればかりが大きく見えていた。泥よりも、服よりも、着ている大人たちよりも、そのシミは何段、何十段、何百段も存在感があった。隣にいる少年の服を見てみるが、泥一つ付いていなかった、僕も同様だった。また大人たちが護ってくれたようだ。
 森の中を五時間ほど歩いたところで休憩がもらえた。歩き疲れてヘトヘトになった僕と少年は大きな木の下に行き、水を飲んでいると、枝の間から何やら筒のようなものが見えた。
 その瞬間プシュッ、という小さな音がして、少年は僕がいる反対の方向に倒れこんだ。眉間から一筋の赤い液が流れた。
「アキラ? アキラ? アキラ・・・アキラ・・・アキラ・・・・・・・・」
 そうだ、アキラだ。ミナモトアキラ。そう名乗っていた。一番初めに会った時に可愛い笑顔で元気に、ハッキリとした、澄んだ声で言っていた。
 僕が倒れているアキラに近寄ろうとすると二発目の音がして視界が暗くなった。もう何も感じない。痛みさえもない、喜びさえも、悲しささえも、哀しささえも。

 辺りが急に明るくなり、あの部屋に戻った。今度は自然に起きたみたいだ。
「これで分かったわね」
 僕は頷いた。もの凄く、憂鬱だ。倦怠感とは違う、感じたことがないくらいの憂鬱。
「天国か地獄か分からないけどお友達が待ってるわよ。だから、早くいきなさい」
 モルネートはそう言って、僕が入ってきた扉と正反対にある赤い扉を指で指しながら、言った。僕はその扉を数秒、眺めてから立ち上がり、そこに向かった。
 赤い扉の前に立ち、ノブに手をかける。そこで、手を止めてモルネートを見る。
「これ、引き戸じゃないですよね?」
 そう尋ねると、モルネートは笑って答えた。さっきの憂鬱な気分はすっかり消えている。
「引き戸よ」
 僕も笑って、赤い扉に向き直る。ゆっくりとそれを左に移動させると、扉の隙間から眩い光が煌々と漏れていた。
「あっ・・・そうだ。言い忘れていたわ」
 モルネートが突然思い出したように言った。僕は少しだけ驚いて首だけをモルネートの方に向かわせた。
「何でしょう?」
「生まれ変わるまでの少しの間だけ、記憶の一部残してもらえるように頼んでおいたから」
「え・・・・大丈夫なんですか?」
「えぇ。私は優秀な住人だから、少しくらいは融通が利くのよ」
 得意げな顔をしたモルネートが言った。
「ありがとうございます」
 僕は心の底からお礼を言った。
 それから首を元の位置に戻すと、あの光の中に一歩足を踏み入れた。すると、アキラの姿が光の中に浮かんだ。
「一緒に行かない?」
 アキラが光の中から誘う。まるで、集会に行くときのような感じだった。勿論、僕には断る理由はないし、アキラが行くといえばそれまでだ。僕は扉のノブから手を放し、アキラの方へ歩み寄る。すると、自動的に扉は閉まった。
「また会えたね」
 僕がそういうとアキラはあの笑顔で幸せそうに頷いた。


 部屋には一人の少女がアンティークの椅子に腰掛けている。膝には広辞苑並の本を広げて、つまらなそうに足をぶらぶらさせている。
 しばらくしないうちに静かに赤い扉ではない方の扉が開き、ヘルメットを被った兵士が姿を現した。
「よく引き戸だってわかったわね」
 兵士は静かに少女の正面にあるソファに腰をかける。少女はそれを無視して、あの本に目を落としながら口を開いた。
「まず、カンガルーの間にようこそ。突然だけれども、死ぬ前に男の子を二人殺しているわね。人を殺した奴は有無を言わせず地獄行きなの」
 兵士はさっきと変わらずソファに腰をかけたままだ。
「そっちの赤い扉から出ていってね」
 兵士は表情を変えずに扉に向かい迷いもせず、開け、漆黒の闇に足を踏み入れると扉が自動的に閉まった。
「ふぅー」
 それを確かめてから少女は溜息を吐く、その瞳はどこか切なげだ。
そしてあの不安も吹き飛ばしてしまうような声が、それほど間もなく、部屋中に響いた。
「そこにいるチビちゃん入っておいで」

                     END

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