あったぼこしゅ

あったぼこしゅ

第一話


 最悪のタイミング。この上ないほど最悪にして最高のタイミング。前々から思ってたんだけど、俺ってタイミングの悪い奴だ。もうそろそろ俺の人生は、俺の手によって幕を引いちゃうんだろなぁ。何でもっとやりたいことしておかなかったのかなぁ。ホントに俺って奴は・・・・情けない。そんなことより、明日の英語あたるんだよなぁ。予習・・・・しなくていいか。
 そんな明後日なことを言っている少年が自称しているように、この場にいることは最高にして、最悪の運の持ち主である。なぜなら、今この瞬間に人一人の命が奪われているからで、その場を偶然にも目撃してしまっているからに他ならない。

約五分前
 少年が、勝手に通学路にしている他人の家の庭先を、横切ろうとしたとき、何かが置いてあるのに気づかず無様に、かっこ悪く、顔を中心にスライディングしてしまった。腕は万歳の格好をしている。
 余程痛かったのか、しばらくその状態で悲痛の言葉も出せず横たわっていた。痛みが引いてきたらしく、上半身だけ起こすと周囲に誰もいないことを確認する。が、少年と同じ位の目線に人が倒れている。しかし、不思議なことに誰もが生まれながら備え付けられている首が消えている。それでも、紛れもなく正真正銘の人間。
 その脇に人間が立っている、首はきちんとある。
そのとき、あのスライディングの原因となったモノが予想できた。恐る恐る頭だけ動かすと少年は確認し、元の位置に戻すとあの言葉を発した。
「うわぁ・・・・」
 もう一度少年が顔を地面に伏せる。この一声、というかあのスライディングのときに、死体の脇に立っている人間は少年に気づいた様子だった。
「ねぇ君。早く体を起こした方がいいのではないのかね。ふふん」
 そう言われると、地面に伏せている少年は立ち上がり、学生服や顔についた土も払わず、死体の脇に立っている人間と対峙する。
「あなた、男ですか?」
 あの混乱はどこへやら、まるで宇宙の果てに飛んでいってしまったかのように少年は落ち着いていた。
「君はどっちがお望みかな?」
「男の方がいいですね」
「理由は?」
「俺好みの顔が『殺人犯』になってほしくないですから」
 たしかに『殺人犯』は道で擦れ違う人々を、振り向かせるくらいの綺麗な顔つきをして、髪を可愛らしいリボンで、後ろで一つに結んでいる。その髪は真っ赤だ。加えて、首を覆い尽くすように施された刺青、腰にはゆうに百を超す鍵の束が重たそうに下がっており、右手には、渦を巻いて血が付着した奇妙なナイフ三本を、それぞれの指と指の間に挟んでいる。
 これでは擦れ違う人々ばかりか、警察をも振り向かせてしまう格好だ。
 少年のその言葉を聞くと『殺人犯』はにたり、と笑った。
「『殺人犯』・・・か。懐かしい言葉だよ。しかし、今となっては死語だね。おっと、この死語はというのは死んだ後の死後でも、ひそひそ話の私語でもない、死んだ言葉の死語だよ。ふふん」
「俺も馬鹿じゃないんで大体のところは察しがつきます」
 どうも嫌な感じがする。こいつは普通じゃない。いや、人を殺しているところで、普通とは言えないのだけれども。ものすごくヤバイ感じ。今までに感じたことのないほどの不快感。通り魔に襲われそうになったときよりも。家で強盗に出くわしたときよりも。父親に殺されそうになったときよりも。ここは何億段ヤバイ空気が流れてる。どうにかして、何ごともなかったかのように逃げなくては。
 少年が今まで『殺人犯』と会話していたのは、まるで死体に興味がないように思わせるためであった。少年が試行錯誤している間に、『殺人犯』は少年を足の先から髪の毛の一本一本まで、じっくりと観察する。観察して何やら考え込むように片手を額につけ、その腕を支えるように反対の手を肘に当てている。
そこで口を開く。
「ねぇ、君。ここら辺で『金久保(かなくぼ)愛刹(あいせつ)』という一風変わった名前の持ち主を知らないかね?」
「・・・・・いや、心あたりありませんね」
 少年は考えるふりをしながら表情には出さないものの、頭の中では脳を射抜かれるような感覚に陥っていた。『殺人犯』が口にした名前の持ち主こそが、紛れもなくこの少年だった。
 市内の県立高校に通う極普通の少年。制服はブレザーではなく中学上がりの学生服、ボタンだけを取り替えれば済むようになっている。成績は上の中。身長はやや高く、中肉中背。友人も多く、慕われている。
 今は叔父夫婦のところで暮らしている。叔父夫婦には子供がいないので、愛刹を子供のように可愛がってくれている。
 こいつは何をしようとしている。俺を探して何をしようとしている。こいつは何かしようとしている。
 わけもわからず頭の中で何回も何十回も何百回も何千回も繰り返し自分に問いかけ、答えを見つけ出そうとしていたが見つけ出せるわけがない。
 しかし、混乱する頭の中で一つだけ確信をしていることがあった。
『早くここから脱出しなければ』
 それだけだったが、愛刹にとっては十分だった。そこで再び『殺人犯』が口を開く。
「そう、それならいいんだけれどね」
「そうですか。それでは失礼します」
 一礼をして何ごともなかったかのようにこの家の裏口へ向かい扉の取っ手に手をかけた刹那。『殺人犯』が愛刹を見ずに言葉を発した。
「それではまた会おう。金久保・・・愛刹くん。ふふん」
 その瞬間愛刹は扉を乱暴に開け、走り出していた。
 逃走。
 逃亡。
 そして、家の前。
 辺りを見回しても誰もいない。安心してドアノブに手をかけ右に回し手前に引くと静かにドアは開き足を踏み入れる。玄関には靴が二足、リビングではテレビが点いている様子で、この時間帯にやっているニュース番組の、この頃人気のある女子アナウンサーの声が洩れてくる。
 叔父夫婦の姿はここからでは確認できない。
「ただいま」
 息が上がっている中、いつもの挨拶を短く言って、靴を脱ぎ、廊下に足を滑らせ、真っ先に自分の部屋へ向かう。
 返事はないが気にしない、多分テレビの音で聞こえないのだろう。いつものことだ。そう思いながら二階へ向かう階段を上り、自分の部屋のドアを二〇センチばかり開いた。

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