tabaccosen

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○批評の地平(2)



○それまで、並行していたふたつの線が絡みはじめた。それ
らはやがて、交錯し、もつれ合う。先行していたのは、J・
ドゥルースの『差異と反復』のはずだ。68年に、Paris.
で、発行されたものの邦訳は、1992年11月だ。財津理
・訳。河出書房新社。ドゥールス=ガタリのいわゆる<ポスト
モダニズム>論として脚光を浴びていたころのモノだ。たぶん
、「現代思想」などでは、部分的に訳されたモノが、掲載され
ていたのだろう。72年には、ジャック・デリダの『都市のグ
ラマトロジー』の特集も出されているはずだ。

○もうひとつの「線」は、例の北田暁大の『嗤う日本の「ナシ
ョナリズム」』だ。Nhk 出版協会。2005年2月刊行だ。た
またま、河北新報に紹介されていたの記事をみてからのことだ
から、われながら<鈍い>ということになる。このことは、よく
よく、考えておかなくてはならない。対処しなくてはならない
。そのことは一応置くとして、なかなかの「仕事」になってい
る。34歳の<サブカル論>の明快な仕事だ。これに関する<評>
は、別途とする。が、「嗤い」から、スノッブ、そして、シニ
スム。への流れを指摘する。そして最後部では、ヘーゲル研究
家(ヘーゲリアンか)、 A・コジェーヴの指摘する<否定>から
、スノッブへの傾斜が、「形式主義」を、形成してきた。とす
るものだ。・・・この系譜、論理が、日本的な美の形式、<侘び><
寂び>を形成してきたとするモノだ。

○ここに、先のドゥールスが、結論の「差異と反復」で、ヘーゲ
ルの弁証法のなかの「否定」に独自の意味づけをした。となる。

○まずは、このあたりの<交錯>の実質の把捉が先決だが、「形式
主義」以前に、創作と批評との<関係性>にウエイト付けをする立
場からは、安易に「形式主義」に流れることはできない。{・・・}そ
こに、中世後期の多様態と可能性をみているのだから。

○というようなことが、<概要>になる。

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