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○吉本隆明



○「吉本隆明」・メモ。
編集○「吉本隆明」・メモ。(「はてな・ダイアリー」tabaccosen.から転記。)

<戦後最大にして、最高の日本を代表する思想家>皮肉でもなんでもない。真顔で、金やら、銀の帯つけて、一心不乱に書き込む、「大手出版社」。田川建三の『思想の危険について』、サブ・タイトルが、「吉本隆明のたどった軌跡」。懇切丁寧に、思想的核心である、「共同幻想論」「言語にとって、美とはなにか」を、解析する。雑誌・「インパクト」に掲載されたものを、単行本にしたのだという。30年,40年も前の「思考」なのだ。その解析が、吉本隆明という<思想家>の核心であり、基底をなすものであってしても、そして<現在>も、方法としては、その延長上にあるとしても、「時の流れ」の大きさを、思わずにはいられない。○小学校で、教師から問われたものを、30年後に応えても、無意味なのだ。それが、「時間」というものなのだ。それはなぜか。それは、吉本が普遍的な存在ではないことの証明なのだ。加えて、この国の<思想風土>の問題でもある。<その場、その時>を、無視してはなにも存在し得ない。○1995年。阪神淡路大震災・<オーム事件>。はからずも、吉本はこの<事件の論評>で、社会的非難を被った。とある。不運にも、この間、わたしは<死んで>いた。再上京後の、98年からこの辺りのことに接触し始めるのだが。大概の推測は付く。深さといい、土着といい、根元的な思想を言う吉本なら、という判断だ。○それにしても、便利なPCで、「吉本隆明」を検索すると膨大な、<項>が顕れる。こんなんじゃあ、話にならん。ということだ。関連する単行本だけでも、300,400冊にも。<批判の書>もまた。嗤えるほどの物量なのだ。なんか、この「30年間の軌跡」が、日本の経済の肥大化と重なってくる。<物量ごっこ>なら、どこかの「一国帝国主義」のような観ありだ。「まいったなあ~」である。○吉本自身は、この間<闘争の日々>を過ごしてきたのだ。それは思いつきレベルの行為ではあり得ない。なしえない。<批判の書>が、単発銃で狙撃的に狙っても、防御の壁は厚い。核ミサイルの時代に、種子島の火縄銃でもあるまい。て。<狙撃><防御>。一体なにを、話そうとしているのだ。<戦争>だ。一文の是非ではない。一介の物書きの最も弱い部分になる。思考の質などと言っても歯が立たない。物量的な肥大のプロセスは、そのまま出版・新聞・メディア全般のシステムを、組み立てるという営為に転化しているのだ。○<長い物には巻かれろ>。社会生産の主導権を握る<団塊の世代>の思考的な選択肢の貧困さは、吉本の掌中にある。「こんなものじゃあ、なにも壊せん」のだ。だから徹底性の不備を、不足を突くのだ。○思考とは、後追いの検証ではない。のだ。<闘争>、そのものなのだ。だから、戦争が終わった考古学者のように、「正解」をだしても、<後の祭り>でしかない。そうしたものだ。その時代に、そうした思考があった。<国家が幻想である>と、夢想することも。その「産物」なのだ。○さてさて、はてはてだ。<問題>は、これからだ。(笑)○だから吉本隆明が、とつぜん、<ハイパーリアリズム>を、言い、<コム・デ・ギャルソン>に触れ、<糸井重里>との対談をする。アイドル並みの引っ張りだこ。そこについて行けない、<批判の書たち>。時代の寵児が、浮かれついでに、メディアをにぎわしている。などという代物ではないのだ。埴谷雄高の激昂があっても、なんでも構わない。<重層性>を言うなら、思考それ自体の<重層>以前に、視点の、フレーム設定の<自由度>を、設定する必要があるのだ。<批判の書>は、緻密な検証を誇るが、それらはあまりにも「閉鎖的」だ。おっかな、びっくり。なにかを、怖れたところで、手を出しこまねいている。だけのことなのだ。○なぜか。決定的な「差異」は、<表現者>と、<批判者>との「差異」でしかないのだ。それも、「堕」した俗的なレベルのものでしかない。○だから、ポイントはこの部分に当てられなければならない。のだ。のに、そうはいかない。表現者の論理(性)と、自由度。整合性は、論理の生命線だが、同様にそれを、内側から解体する論理が、<自由(度)> にあるのだ。この「揺さ振り」が、現実であり、世界なのだ。○だからこそ、基底的な論理が、<自然>に流れるのを厭うのだ。(中)

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