07年大学祭報告(1)

07年大学祭報告(1)


沖大祭が11月1日から4日(1~2日が準備〈夕方が前夜祭〉、3~4日ふぁ祭当日、5日が片付け)まででした。旅の会は今年も大学祭に参加!どうやら5年連続です。先輩に感謝感謝。

今年は、展示発表・販売・ゲームを行いました。いろいろと盛りだくさんの大学祭でした。2006年度の活動のまとめにもなるので、展示発表の内容を中心に大学際の報告をしていきたいと思います。


六月、南部ドライブ



六月三日、旅の会で南部をドライブしました。企画名は、「南部ドライブ城跡巡り~機会がないと一生行かない、だったら今回行っちゃおうじゃないか、そば研究会も同行しますよ編~」です。無意味に長いです。ちなみにそば研究会(通称:そば研)は、ただのそば好きのグループです。

 朝、目が覚めると雨。旅の会が動こうとすると必ずと言ってもいいほど雨が降ります。「またか」と思いつつ、支度をするのでした。しかし集合の十一時前には雨も上がり、やがてジリジリ暑くなりました。

 はじめに向かったのが糸満市大里。到着したのが「南山城跡」です。南山城は承察度(しょうさっと)の時代(十四世紀末頃)にもっとも栄えたお城です。多魯毎(たるみい)王のときに、後に三山統一を果たし第一尚氏の祖となった尚巴志の手によって滅ぼされました。伝説によれば、多魯毎王はダメな王様で、あるとき尚巴志の持っていた金の屏風が欲しくなって南山の繁栄の基礎となっていた大切な泉(嘉手志川=カデシガー)と交換してしまいました。住民からすれば大切な泉を失ってしまったわけです。これをきっかけに住民が離反してしまいます。金の屏風は、尚巴志の計略だったのです。こうして多魯毎はうち破られてしまったのです。史実かどうか知りませんが、一つの国が滅ぶにしてはのどかな話ですね。

 旅の会は高嶺中学校に車を止め、さっそく探索を開始しました。現在の南山城は、一部が高嶺小学校となっています。階段を上ったところに鳥居があります。「沖縄戦当時の弾痕がある」らしいのですが、よく分かりませんでした。石垣が確認された以外は、当時の面影はありません。

 続いて道路を渡って「カデシ川(嘉手志ガー)」にたどり着きました。今も地域と密着しているようで、おじいさんが長靴を洗ってました。「釣り禁止」の看板がありましたが、小魚一匹目にすることはできませんでした。

 嘉手志カーから集落の中を七、八分ほど歩くと、「和解名森(ワタキナー)」にたどり着きました。ガイドブックでも詳しい説明がなかったので、見つけるのに苦労しました。なんでもここは「源為朝伝説」と関係があるらしく、「為朝が娘といちゃついていた場所」らしいです。しかし現在は、モクマオウが数本生えているだけでやや寂しいところです。今では「人目を偲んで恋を語る」ことはまったく不可能です。バレバレです。
 つづいてクーラーで涼みながら喜屋武岬方面へ。糸満出身の某メンバーの役に立たないナビで、「具志川城跡」にたどり着きました。

 城跡は二つの郭で仕切られていて、城門のある郭には「スーフチミー」(潮がふき出す穴)と呼ばれる自然穴があります。久米島具志川城主真金声(まかねくい)按司が、同島の伊敷索(いしきなわ、ちなは)按司の二男である真仁古樽(まにくたる)按司に攻められて久米島を追われ、喜屋武に同名のグスクを築いたといわれています。発掘調査では十三世紀中頃から十五世紀中頃までの中国製陶磁器が出土しているそうです。

 具志川城は、海のすぐそばにあります。なんといっても石垣が見所です。「修復計画中」らしいのですが、崩れそうなので何とかしたほうがいいと思います。なお、この日は朝の雨で地面が湿っていました。靴底にくっついた赤土は、もののみごとに車中にぽろぽろ落ちました。上々の天気とは裏腹に、やや下降気味のドライバーの機嫌・・・。

さて「腹が減っては戦はできぬ」ということで、さっそく食堂に入りました。もちろんそば屋です。以下、そば研の報告「南部に巨大な一歩を残す、そば研」(六月五日付)より一部抜粋。

今回は、糸満市字糸洲にある「百美」に集団で入店。これほどのそば研が、集団で動くことは、ごく稀だ。(そば研と)ばれるわけにはいかないからだ。なにやら学生の仲間が通りすがりに偶然見つけたかのようにして潜入。とにかく、なにやら学生の仲間が通りすがりに見つけた食堂に入ったかのようにして、各人バラバラに注文。百美そば中(五百三十円)、野菜そば(六百五十円)、ソーキそば中(六百三十円)など。うむ、すべては計画通りだ。

 ある者は、外の庭園に見入り、ある者は「トイレ、トイレ」とトイレに行き、ある者はゲームにいそしむ。「そば研っていうか、ただ腹減ったから目に入ったそば屋に入っただけだろ?」甘い、甘すぎる。そんな軽々しい結論でそば研を見切ったと思われては、腹立つ以前にあきれてモノも言えない。そば研とは、そばとそば屋を愛するという崇高な理念のもとに・・・

 やがて、そばがやってきた。と、オイオイオイ、ちょっと待て。なぜ、紅しょうがが、すでに、そばの上に、のってるわけ?ダメでしょ。紅しょうがをのせるか否か、のせるならそのタイミング・量・位置など、つねに変化を大事にして欲しい、それがそば研だ。と、なんとなく白けつつも、とにかく勝負。

 メン。ほぅ、やや細めで固めだが、芯が残っていることはなく、すっと食べられる。で、スープはどうなの?スープは?

こうしてそば研が真剣極まりない勝負に熱中する中、隣ではそばをみるなり、冷や水をトポトポトポと入れてる奴が。ムムッ。こんなところにそば研とは到底思えない、ネコ舌野郎が!どこかの回し者かもしれない。

スープはといえば、これがまた上々。メン+スープの一体感が心地よい。なんというか、バランスが絶妙。紅しょうが事件で、いったんはケリがついた勝負と思われたが、何のなんの、なかなかやるものだ。三枚肉。柔らか。それ以上に言うこともなし。隣で、箸を入れる紙の裏側にあったパズルに熱中するものあり。ネコ舌野郎は、一向にそばに執着する様子はない。後半戦に入り、コーレーグースーを。あれ?あんまり辛くない。こんなもんかなと思いつつ、最後の一滴まで飲み干し、完食。一言で、うまかった。


 食後、三三一号線をひたすら東へ進み、次の目的地である「糸数城跡」へ向かいました。平和学習で有名な「糸数壕(アブチラガマ)」入り口近くを右折。とたんに最悪のガタガタ道。すぐに城跡の石垣が目に飛び込んできました。ここは「沖縄最大のグスク」(敷地面積としては首里城より大きい)です。

 糸数城は、十四世紀に築城されたものらしいです。近くにある玉城城を居城とする玉城按司が、自らの三男を糸数按司にして築城を命じました。写真でも分かるように、城壁は立派な石積み、「沖縄の万里の長城」ともいわれています。しかし落城はアッサリだった!城の増築中に国頭地方へ用材を求めに行った比嘉ウチョーという武士の頭の留守を見計らって、真和志地方で勢力を誇っていた上間按司が、城を急襲したために敢えなく落城したそうです。ちなみに「比嘉ウチョー」は、今から六百年ほど前の人物で、怪力で名の知れた巨漢で、武勇の達人だったそうです。このウチョーも糸数城落城の際の戦いで戦死してしまったそうです。

 ここの見所はなんといっても延々と続く石垣。迫力あります。この時は「整備中」だったためか、城壁の全貌がどうなっているかなど分からず残念でした。上から眺めてみたい気もします。なお、敷地内には糸数按司の墓もありました。ちょっと目立たない場所です。

 ところで、ここは旧玉城村、現南城市です。「琉球ゴルフ倶楽部」の周辺には、垣花城跡、ミントングスク、玉城城、糸数城をはじめ、わずかな範囲に八ヶ所ものグスクが存在しています。そのため「ゴルフ倶楽部」の周囲の村道は「グスクロード」と名付けられています。そのわりには案内板が目立たず、不親切でした。何度も史跡の入口を通り過ぎてしまいました(ブツクサ・・・)。

 まずたどり着いたのが「垣花樋川(ヒージャー)」。ここは日本名水百選にも選ばれているところで、有名な泉です。百五十メートルほど石畳の坂道を下って到着。溜まった池では子どもたちがパシャパシャ、眼下には青い海が。こんな風景が別世界で格別でした。昔から利用されていたらしく、女性が使う場所(イナグンカー)、男性が使う場所(イキガンカー)、馬を洗うところ(ンマミシガー)とわかれているということです。どこがどこか、よく分かりませんでしたが。また行ってみたい場所です。

 垣花樋川のすぐ近くに「垣花城跡」があります。ここには御嶽があり、「琉球国由来記」によると、神名「アフィハナテルシカサノ御イベ」というそうです。ヘトヘトになって山道を登っていくと、あちこちに石垣を見ることができました。ただ破壊されたのか自然に崩れたのか分かりませんが、どこがどうつながっているのかはよく分かりません。

 次が「玉城城跡」。沖縄で最も古いグスクです。「琉球国由来記」によれば、琉球創世神であるアマミキヨが築いたと記述されているらしいです。「神様って城造ったりするかな?」という疑問は、この際ナシとします。玉城城は意外や大きく主郭・二の郭・三の郭まであったそうです。しかし二の郭・三の郭は沖縄戦で爆撃を受けたり、基地建設の資材として使われたりしたため、現在ではありません。登りきると、眼下には「琉球ゴルフ倶楽部」が一望できます。ここは昔は「混成サービスグループ(CSG)」と呼ばれる米軍基地でした。「正体不明の部隊」が出入りしていましたが、返還前にCIAのスパイ基地であったことが明らかになりました。今では、宮里藍や横峯さくらが、ガッポリ稼いでいるところです。変われば変わるものですね。

 その後、北部出身のメンバーのリクエストに応えて、斎場御嶽へ向かいました。「有料になる前に」(今年七月より有料化)というのが本音だったというのは、この際秘密にしておきます。

途中、ニライカナイ橋に立ち寄りました。実はサークル有志が、沖大からニライカナイ橋まで歩いたというのは、ウソのようなホントの話です。「歩いた」というメンバーを思い浮かべると、ホントにウソみたいです。

 以上で、報告終わります。


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