山歩き&日々足跡(雑感)

山歩き&日々足跡(雑感)

下山の思想


・私たちには、今、明日が見えていない。逆に言えば、今日一日を精一杯生きる
しかない。
・ちゃんと下山する覚悟の中から、新しい展開が開けるのではないか。
下山にため息をつくことはないのだ。
・よろずの仏に疎まれた者こそ抱きしめる唯一の仏がある。それが阿弥陀如来だ。
・よろずの仏に見捨てられたとしても絶望するな。唯一、そのような人々と共に
生きようと誓って仏となったのが、阿弥陀仏なのだから。
・法然「時間と教養と金のある者たちしか救われない、そんなバカな仏教などあるか!
 (これまでの修行・善行とされたことを一切不要とする。)
・努力、というものも一つのもって生まれた個性かもしれない。
・人は生まれながらにして四百四病を内側に抱えて生きるという禅の考え方は正しい。
 人はある意味で、すべて病人である。私たちの体の中には、その両者が混在し、
しかも時々刻々と変化しつつ年を重ねていく。
・養生に貯金なし、貯金はあっという間に消えてしまうものなのだ。
養生も日々これに努めるしかない。
・私たちは一般に大病を患うか、老年期に達してはじめて「死」を思う。
・老いも立派な病気なのだ。
・浄土とか、天国とか極楽とか、いろいろ呼び方はちがうが、もし本当にそんなもの
 があるとすれば、まず病気がない世界、病の苦しみから解放される場所といって
 もいいような気がする。
・浄土教系の教えは、煩悩を捨て去るのではなく、煩悩をかかえたまま成仏する
 という思想だ。煩悩とは、「身のわずらい、心のさわり」

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