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山歩き&日々足跡(雑感)
人生の目的
・雨にも負け、風にも負け、それでもなおかつ生き続けるための心の中の何か
(何かを人生の目的と名付けてみた)
・人生に目的はあるのか?→私はないと思う。
人生に決められた目的などというものはない。
自分の人生の目的とは何か。などと考える余裕さえない人々も世界中に沢山いる。
・目的なき人生は不安でもあるし、頼りなくふらふらした感じがする。
目的を持ちたいと思うのが自然な人間の心の働きだろう。
・釈迦「人生は苦である。」
もともとサンスクリットの言葉では、「思うとおりにならないこと」
→中国語では「苦」と訳した。
・ブッダ「四苦=生・老・病・死」思うにまかせぬこと、思うとおりにならないこと。
・生まれた以上、生きてゆかねばならぬ。
・人生に目的はあるのか?→全ての人間に上から押し付けられるような、
一定の目的などない。
・人間にはどうにもならない運命がある。私たちが人間として生まれ、この地球上に
「生きている」こと、それ自体が一つの逆らえない私達の運命ではないか。
・私達の自由意志や、努力や、希望など何ほどのこともいのだ。
人は思うままにならぬ世の中に生まれ「思うままにならない」
人生を黙って耐えて生きるのである。
「生きる」「生き続けている」というところに私は人間の最大の意味を感じる。
・「悪人正機」 法然→親鸞→唯円(面授めんじゅ)
人間というのは、本当は何をしでかすかわからない、実に不安定な存在なのだ。
良い人・悪い人などという区別は、無意味なことだ。
・どんなに長引くとも百年前後で、この世界から退場するという運命
を与えられて生まれてきた。
自己の運命と宿命を受け入れた上で、それからどうするか、答えは一つしかない。
それは「生きる」ことである。生きるということは運命と宿命の狭間に身を置き
つつ、それを素直な気持ちで受容することである。
・人生の目的の第一歩は生きることである。
何のためにという答えは、後から付いてくるだろう。
運命と宿命を知り、それを受容して、なお生きること。
それこそが「人生の目的」ではないかと少しずつ思い始めている。
・日本の墓の中には(〇〇家の墓)と書かれた墓標が多い。
これはたぶん中国風の家と一族を重視した考え方の影響だろう。
もともと日本人には、長く墓など造らず、遺体を山野に投げ捨てるのが普通だった。
葬る(ほうむる)という言葉の語源を、放る(ほうる)という説もある。
・人は絆の心強さに感動し、その絆の重さに苦しむ。(肉親の絆)
・言いにくいことだが、肉親の死を一度たりとも願ったことなのい人は、まれにみる
幸運な人と言っていい。親の絆に泣くとき、人はただ肉親の気持ちを思ってなく
だけではない。自分の無力さ、自分の心の浅ましさに泣くのだ。
・(ナムアミダブツ)とは、本来は浄土教系の難物だが、宗派を超えて広く一般に
用いられてきた。ナムアミダブツは、漢字で『南無阿弥陀仏』として中国より
伝えられたが、その始まりはインドである。
日本に渡来したのは、インド仏教そのものではない。
(家)という考え方もその一つである。
・悪人正機を表す言葉 法然→親鸞→唯円 口伝(くでん)…口伝えされたもの。
正確に理解できる弟子にだけ口伝として伝えた。
覚如の『口伝抄』にも、法然→親鸞→如信(親鸞の孫、覚如の師)に口伝された
と記録されていた。悪人正機は、法然から出たと裏づける。
・仏はまず(悪人)を救われる。「心の貧しき者」「悪人」とは、この世でより
多く汗と涙を流しながら生きる人間たちのことだ。
さまざまな重荷を背負いつつ、よろめきながら歩く人々のこと。素直に考えたい。
・「貧しき者」を素直に、この世で恵まれない人々、「悪人」は、つらい思いをして
生きている人と思いたい。
・イエスが惜しみなく愛を注ぐのは、病に悩む人・貧しさに苦しむ人
しいたげられ世間から蔑視せれている無名の人。
・この世でも楽に生き、あの世でも楽に生きるなどということは許されない。
・この世で金と名声を得たものが、死後の平安まで願うとは欲が深すぎるという
ものだ。この世で幸せに恵まれた者はあの世で苦しみ、この世で幸せ薄かった者
こそ、あの世で幸せにという思いが、実は宗教というものの核心に潜む、
原始の力ではあるまいか。
・「人間万事金の世の中」とまでは割り切れない。
しかし、金に困った時の人間というものは、じつにみじめなものだ。
金の世の中を馬鹿にしてはいけない。ともあれ、人間にとって金銭とは人生の目標
であっても、目的ではない。
・ため息ということ自体は、何でもない人間の動作のような気がしますが、
実は人間が生きているということが「あ~あ」というため息をつくような
ことから出発するのではないか。
・深いため息→人間が生きていく上で大事なもの。
・喜ぶことも大事だけれど、悲しむことも大事である。
希望をもっことも大事だけれど、絶望することも大事である。
胸をはることも大事だけれども、また深いため息をつくことも大事である。
・胸の奥から「あ~あ」と深いため息をつくことで、ふっと一種、肩に
のしかかっている重さというものが軽くなるような錯覚、錯覚かもしれません。
でもその錯覚というのは大事なものではないだろうか。
・人生を十分生きることができなかったぶんを自分が代わって生きなきゃいけない。
親孝行はできなかったけれども、両親の死より先立つことなく自分は
長く生きなきゃいけない。(生きたとならなければ!)
・人生に決められた目的はないと私は思う。
しかし目的のない人生は寂しい。人生の目的は「自分の人生の目的」を捜すこと
である。自分だけの「生きる意味」を見出すことである。
「自分の人生の目的を見つけるのが、人生の目的である。」
そのためには生きなければならない。生き続けてこそ、目的も明らかになる。
・確実に見つかるのは、目的ではなく「目標」である。
だが「目標」は達成すれば終わる。単なる記憶に変色してしまう。
しかし目的は色あせることがない。失われることもない。
人生の目的とは、おそらく最後まで見出すことのできないものなのだろう。
・信仰とは求めるものであるが、求めて必ず見つかるというものでもない。
それは、出会うものであり、向こうからやってくるものである。
大きな見えない力を法然・親鸞は「他力」と呼んだ。
たしかな力になるかどうかは、それを一途に信じるかどうかにかかっている。
愚者のように素直に信ぜよと親鸞は言った。
・信仰への幸運な出会いとは、求める気持ちを持ち続けていれば必ずそれが叶う
とは思えない、運命であり、宿命というものだろう。
いずれにせよ「出会うためには、生きていなければならない。」
・弱者や落伍者を容赦なく切り捨てるこの社会にあって、自らの生きざまを
生きるしかないのだ。そのことを前提として大きな愛の場所を探し求めていた
五木寛之が、法然・親鸞・蓮如と出会ったのは偶然ではない。
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