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さようなら、益田競馬場、場外発売所。 の 多摩の黒酢 です。2002年に経営難で廃業した益田競馬場(島根県)。日本一小さな競馬場だったようです。(私は行ったことが無いです。)その後、場外発売所になっていたそうですが、ついに2024年1月26日に場外発売所での馬券発売も終了したそうです。(コロナ禍以降は、赤字経営だったようです。)再掲載:
2024.02.01
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「無事是名馬」と言えばノボトゥルーって感じでした。 の 多摩の黒酢 です。G1を勝ち、12歳までJRAで出走して引退、元種馬だったノボトゥルー(牡25)が亡くなったそうです。園田のチャリティーで購入したパネル(再掲載):引退馬券(再掲載:14着)
2021.12.11
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元祖二刀流馬・アグネスデジタルが亡くなりました。 の 多摩の黒酢 です。芝・ダート合わせて、G1レースを6勝した元祖二刀流馬・アグネスデジタル(牡24)が亡くなったそうです。再掲載(はずれ馬券): 4着ポストカード: 香港カップ
2021.12.09
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会社のトイレの液体せっけんのにおいが臭いです の 多摩の黒酢 です。7/28から小倉開催が始まります。[再掲載]
2018.07.24
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流石に暑くて、アイスクリームを買ってしまった 多摩の黒酢 です。はずれ馬券ですが、はずれに見えない馬券ってありますね。
2018.07.23
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多摩の黒酢です。今日の会社帰りに、いつもの様に、JRに乗ったが2度も緊急停車した。理由は、地震警報機が作動したらしく、安全確認のために合計20分ほど停車した。平行して走っている阪急電車は全くストップしていないのに、JR西日本の緊急管理システムは、一体どうなっているのでしょう。結局、地震は無く完全な誤作動だったようだ。今週の日曜日は、香港で国際G1レースが開催される。参戦する外国馬は、ジャパンカップやジャパンカップ・ダートよりも豪華なメンバーであり、同じ東アジアで開催される国際G1レースなのに、この格差は何なんでしょう。JRAの国際的な評価が低すぎますね。その香港競馬では、昔、競馬場で馬券と同時に宝くじ(競馬くじ)が発売されていた。ロトくじ(LOTTERY TICKET・六合彩)と呼ばれており、1等の最低賞金は500万香港ドル、最高賞金は3800万香港ドルと規定されている。そんな宝くじの最低賭け金は、なんとたったの2香港ドル。下記は、イギリス領・香港競馬1973年10月6日開催『ロトチケット』(競馬くじ券)。 上記は、38年前の物であるが、香港は、1977年7月1日、イギリス領から中華人民共和国に戻されたわけで、上記のロトチケットは、歴史的な資料である。
2011.12.09
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多摩の黒酢です。大阪から岐阜(妻の実家)への旅行に行って来ます。(ブログの更新は遅れます。)今日は、笠松競馬場へ行きますので、後日アップします。◆古い馬券◆姫路競馬場(昭和52年1回6日5R・連勝複式4-5) 2011年度の姫路競馬場の開催は無い予定です。兵庫県競馬組合開催は、園田競馬場のみです。改修中の姫路城の近くに、姫路競馬場があるのが、未開催の理由かもしれませんが、園田競馬場に比べて、姫路競馬場は集客率が悪いので、このまま廃場になってしまうかもしれませんね。
2011.09.23
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多摩の黒酢です。今日は年休をいただきました。(4連休です。)明日から、久々に妻の実家(岐阜県)に行きます。妻がバイトなので、妻の代わりにお土産等を購入してきました。ちなみに明日は、笠松競馬場へ立ち寄ってから、妻の実家にうかがいます。正直、私が岐阜で知っているのは、『鵜飼』と『岐阜城』と『笠松競馬』くらいです。◆古い馬券(笠松競馬場)オグリキャップが笠松競馬場を走っていたのが、1987年(昭和62年)ですので、下の2枚は、それより古い馬券(かなり薄い紙製で、パンチ穴式)です。大きさは、横12.5cm 縦5cm。 かなり細長いです。◆昭和44年 連勝単式馬券(枠単2→5) 第14回6日 9レース 主催は、「岐阜県営競馬」になってます。破損無効が左端に記載されてますが、有効期間の記載はありません。◆昭和47年 連勝複式馬券(枠複4-5) 第13回1日 7レース 主催は、「岐阜県地方競馬組合」になってます。破損無効、有効1年と右端に記載があります。裏面に競馬場のハンコも押されていませんし、紙に透かしも入ってませんので、偽造とかされなかったのかな?◆古いマークカード(笠松競馬場)
2011.09.22
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多摩の黒酢です。今日は、中山競馬場が地震の影響で中止のため、阪神競馬場で11RにスプリングS(G2)と12RにフラワーC(G3)があり、豪華ですが、花粉症と降雪のため、個人的に競馬はお休みです。同じ関西なのに、甲子園は晴れてますが、大阪の北の方は、雪が降ってます。桜のつぼみもかなり大きくなって来ているのに、今日の寒さは3月とは思えません。さて、4/24(日)から、JRAでは5重勝単式馬券のWIN5が発売されます。キャリーオーバーを含め、最高払戻金額が2億円です。これは、5つのレースの勝馬を当てる馬券です。(しかし、残念ながら、インターネットでの販売のみです。)実は、JRAでの重勝式馬券の発売は、今回が初めてではありません。1951年(昭和26年)~1961年(昭和36年)までの間に、3重勝式の馬券を発売してました。[重勝式馬券・昭和29年(東京競馬場 発券)] 基本的には、早朝3レースの勝馬を当てる形式だったようで、1Rの当選馬券を持って、2Rの勝馬投票券を窓口に交換しに行く形式だったようで、例えば、1Rの当選馬券を持っている人が2Rの勝馬投票券へ交換しに行かなければ、「放棄」扱いになっていたようだ。さらに厄介なのは、全3Rの的中者がいなければ、100円あたり75円の払戻が発生していた。例えば、1Rや2Rで外れた馬券でも3Rまでの的中者がいなければ、払戻が発生したわけで、地面に捨てていた馬券を拾い集める回収屋まで現れたそうだ。今回のWIN5では、上記の課題を解決するために、競馬場での馬券発売ではなく、インターネットでの馬券発売にして、1度の5レース分の勝馬を予想する形式にして、さらに、当選者なしの場合は、次回にキャリーオーバーして、当選者なしの場合の払戻を無くすことにした。(ただし、発走除外などの場合は、払戻が発生する。)上記馬券で注意して欲しいのは、左下に「農林省 東京競馬場」となっている点である。戦後の競馬は、農林省管轄(つまり国営)だったが、同1954年(昭和29年)9月から、日本中央競馬会(現JRA)の開催となった。上記の馬券は、農林省開催の重勝式馬券でレアなのである。
2011.03.26
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多摩の黒酢です。数日前のブログで、欲しかった馬券をお安くオークションで落札出来た話を書きましたが、今日は、それを特別公開します。『100年以上前(明治時代)』の馬券です。大きさは、現在のマークシート位の大きさです。オークションで購入してから、いろいろ詳細を調べるのに、少し時間がかかりました。◆特別公開◆鳴尾速歩競馬会の馬券 [明治41年(1908年)] 開催4日目10R 鳴尾速歩競馬会 : 馬券の右下に記載あり1907年(明治40年)8月に設立。翌1908年6月20日から関西競馬倶楽部の競馬場に程近い、鳴尾速歩競馬場(鳴尾東浜)で競馬の開催を始めたが、同年限りで開催は終了。繋駕速歩競走・騎乗速歩競走といった速歩競走を専ら施行していた。馬券発売が黙許されていた1907年に関西競馬倶楽部・鳴尾速歩競馬会の各倶楽部が設立され、それぞれ競馬を開催していたが、1908年10月に馬券発売が禁止されたために競馬の開催が困難となる。1910年5月16日に馬政長官から鳴尾速歩競馬会を関西競馬倶楽部に合同するよう命令を受けたのに伴い、両倶楽部は統合し阪神競馬倶楽部に改称。後の阪神競馬場に至る。繋駕速歩競走(けいがそくほきょうそう、けいがはやあしきょうそう):「繋速」(けいはや)とも呼ばれる。騎手が競走馬の後にある繋駕車(一人乗りの2輪馬車)に乗ってレースをする。平地競走と違い、騎手はジョッキーではなくドライバーと呼ばれ、サラブレッドではなくスタンダードブレッドを初めとしたトロッターが競走馬として使用される。 発祥は古代の戦車競走に由来する。 上記の馬券左下に、「一金拾円也」とあり、当時の10円で馬券(勝馬投票券)が発売されていたようだ。 つまり競馬は、お金持ちの娯楽であった。ちなみに、1907年(明治40年)の貨幣価値として、もりそば1杯が3銭で、現在のもりそば1杯を300円とすると、1907年(明治40年)の拾円(10円)は、“10万円”となる。「鳴尾速歩競馬場」という競馬場や、「繋駕速歩競走」といったレース形態が日本競馬では無くなりましたが、1世紀(100年)経って、紙(馬券)が残っていることが歴史だと思います。
2011.02.06
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多摩の黒酢です。冬季オリンピックのメダルは、今日もゼロのようですね。昨日のサッカー(対韓国戦)も、さんざんな結果でした。日本のスポーツ界は、相撲もそうですが、最近ろくなことがありません。さて、久々に古い馬券です。かなり前に入手していたのですが、帰省していて、タイミングを失ってました。■京都・長岡競馬場の馬券(長岡京競馬場)1947年(昭和22年) 第2回3日12R 馬番14(単勝) 戦後すぐの馬券のため、紙質が悪いです。右上の黒点は、スキャナのゴミではなく、紙に含まれている不純物です。長岡競馬場については、以前、自転車で元競馬場跡を走ったことをブログしましたが、すでに廃場しています。長岡競馬場(京都府)1929(昭4)年~1956(昭31)年京都府畜産組合連合会は、京都淀(現:京都競馬場)を借りて競馬を施行する計画で進めた。しかし、淀競馬から馬場使用の許可が下りず、仕方なく近隣に競馬場を造り1929(昭4)年10月1日:京都府畜産組合連合会主催で長岡競馬場が開催される1931(昭6)年:競馬法改正により勝馬投票券に従来の単勝式のほか複勝式が採用される1939(昭14)年:戦争による軍馬資源保護法公布に伴い鍛練馬競走を実施する1947(昭22)年:京都府畜産組合連合会により地方競馬として再開(上記)するも1948(昭23)年7月:新競馬法公布とともに、その運営を京都府等が引き継ぐ事となる京都府営競馬と京北町・美山町・亀岡市・篠村・樫田村・長岡町などで組合を構成し施行されたその後、70回開催されたが1956(昭31)年:当時ブームとなった競輪(向日町競輪)に観客の関心が高まり成績不振により競馬場経営も悪化1957(昭32)年:長岡競馬場は、ついに廃場へと追い込まれる現在、住宅密集地となる京都府乙訓郡神足村大字友岡
2010.02.15
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多摩の黒酢です。古い馬券を入手しましたので、公開します。■昭和21年(1946年)秋季 第1日5R 京都競馬場(日本競馬会)枠を付けて表示しています。 戦後の1946年(昭和21年)10月、日本競馬会が主催する競馬は再開された。これには、畜産業の復興支援の他、当時際限が見えなかったインフレーション対策として浮動通貨の吸収という緊急の目的があり、その為、従来の1人1枚限りという馬券の発売制限が撤廃され、10倍が上限だった払戻金の制限を100倍まで拡大するなどの処置が取られた。だが、まもなく連合国軍最高司令官総司令部経済済科学局公正取引課によって日本競馬会が独占禁止法に違反するという指摘がなされ、1948年(昭和23年)6月に日本競馬会は解散。同年9月からは競馬法に基づき、農林省の管理のもと、国営競馬が行われるようになった。上記の馬券は、まさに戦後競馬が日本競馬会によって復活開催された初日の5Rの複勝馬券である。時期的な価値、そして組織として短命であった「日本競馬会」の印字が非常に貴重な馬券である。 KYOTO KEIBAJOは、英語に出来なかったのか?紙は非常に薄く、紙質も戦後直後ということもあり、不純物が含まれている感じがある。鳥の羽をモチーフにした透かしのような模様が見られる。紙は粗末だが、現代の味気ない馬券に比べると印刷は多色を用いているところが、面白い。
2010.01.22
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多摩の黒酢です。今週は、所有馬の出走がなく、少し寂しいです。私はネットオークションで300円くらいで、「古い馬券」をコレクション用に、買うことがありますが、先日、そのオマケでいただいた馬券を紹介します。前も書きましたが、古い馬券は、例えば「京都○年○回○日○R」と書いてあり、「馬番だけで馬名も記載されていない」ので、そのレースと馬名を調べるのが意外と楽しいです。■1986年(昭和61年)11月9日 京都10R・第47回 菊花賞(G1)エイテイファイブ(牡4) 21頭立て11番人気14着(西浦騎手)[記念複勝馬券/非的中・非ご当地(難波場外 発券)] 馬名の由来は、85か、AT5か?18頭フルゲートではなく、21頭も菊花賞に出走していた時代に、11番人気の馬に500円の複勝を買った人は、余程、この馬に愛着があったのだと思う。ちなみに、この菊花賞を勝ったのは、メジロデュレンである。(同年の有馬記念も優勝)ダービー馬・ダイナガリバーが2着。 1番人気はラグビーボール(3着)。馬齢は数えでカウントしており、菊花賞は4歳(現3歳)馬の出走だった。馬券の有効期間も1年(現在60日)、JRAではなくNCK(日本中央競馬会)です。馬券も今の味気ない色ではなく、非常に美しい色使いだと思います。
2010.01.15
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多摩の黒酢です。最近、アラブ(アングロ・アラブ)種の馬の話をしてますが、島根県あった益田競馬場は、園田、福山と並んで、『アラブ馬の3大競馬場』でした。2002年8月、慢性的な経営赤字で休止(事実上の廃止)となった競馬場です。◆益田競馬場の馬券(21年前の馬券)昭和63年(1988年)1月11日(日) 益田競馬場7R・緑ヶ丘特別D(アラブ)トミノダイゼン(牡4)1人気5着(8頭立て)[記念複勝馬券/非的中・ご当地] トミノダイゼン(アア) 103戦15勝 2003年4月1日(地方登録抹消) 父:ダイゼンシルバー 母:トミザン(アア)益田競馬場は、1周1000mと日本一小さな競馬場で、フルゲートは8頭でした。ニホンカイキャロルや、「益田の怪物」ことニホンカイユーノスなどの名馬や、現在、大井競馬場で活躍している御神本騎手などが在籍していた競馬場でした。歴史のある競馬場と思っておりましたが、昭和になってから誕生した競馬場だったようです。(もちろん、私は行ったことがありませんが。)競馬場は無くなっても、ハズレ馬券が残り、歴史を伝えています。
2010.01.13
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多摩の黒酢です。今日は、会社で献血をして来ました。(400ml)風邪が流行っているので、キャンセルも多かったみたいです。その後、夜10時まで残業は流石に「しんどい」です。オークションで各100円で落札した昭和な記念単勝馬券です。ただし、馬名は不明です。 枠を付けて表示しています。■昭和42年 京都競馬場(第4回1日・第6レース 9番・単勝) 左■昭和43年 阪神競馬場(第2回8日・第2レース 9番・単勝) 右 色は白っぽいですが、実際はダンボールの色に近いです。約40年前の馬券になります。(印刷のかすれ具合が、レトロです。)NCKは、日本中央競馬会の略です。(当時はJRAでは、まだありませんでした。)
2009.11.13
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多摩の黒酢です。天気も良く、爽やかな陽気です。 家の周りは、キンモクセイの花の香りがしています。昔あった、ロッテの香水ガム(正式名称を知らず、金色の箱入り)の匂いです。さて、今日は特にネタが無いので、古い馬券シリーズです。■大正15年 福島競馬倶楽部(現JRA福島競馬場)の馬券 枠を付けて表示しています パンチ式になっており、馬番とレース番号に穴が開いています。馬番の所に、斜めに「透かし」が入っており、渋い仕上がりです。数字書体がレトロだと思います。大正15年秋の馬券ですので、この数ヶ月後には、昭和に時代が移ります。
2009.10.19
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多摩の黒酢です。イチロー選手が、メジャーリーグで9年連続200本安打を遂に記録しました。凄い記録だと思います。全く関係ない話ですが、掲載し忘れていた古い馬券がありました。高崎競馬場(2004年12月31日 閉場)の馬券です。枠を付けて表示しています。1枚目は、縦型のロール紙の馬券です。JRA同様に、地方競馬場も「縦型馬券」の時代がありました。 2枚目は、磁気型の馬連の馬券(ハズレ馬券)です。 2004年1月2日 高崎6R C4-10 普通・ダート1400m(右) 1着 6・センターリング(セ6) 早川騎手(2人気) 2着 8・アイエルオーシャン(牝4)内田利騎手(3人気) 7着 5・アスワンノハナ(牝5) 赤見騎手(10人気)おそらく、この馬券の購入者は、赤見騎手のファンだったのかな?調べてみると、2008年11月まで、センターリングは宇都宮から金沢に転厩して走っていたようです。 凄いなぁ。 (生涯成績:148戦13勝)また、アスワンノハナは、2005年3月まで、宇都宮に転厩して走っていたようです。この馬券が発売されてから、約1年後の12/31に高崎競馬は81年の歴史に幕をおろしました。 約60億円の負債を抱えていたようです。2005年のNHK朝ドラ『ファイト』(本仮屋ユイカ 主演)の舞台も高崎市が舞台でした。 競走馬・サイゴウジュンコが懐かしい。酒井法子が、主人公の母役だったので、封印されることでしょう。先日、園田競馬場で撮影した赤見千尋・元騎手(多摩の黒酢 撮影):
2009.09.14
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多摩の黒酢です。昨日は、日本の歴史というか、政治が大きく動きましたね。1955年の党結成以来、自民党は、約50年間保っていた第1党から転落した。(ある意味、半世紀も第1党であり続けたこと自体が凄いことかも。)折りしも、自民党の初代総裁は、鳩山一郎 氏であり、歴史を感じる結果である。下記は、宇都宮競馬場の馬券です。 (枠を付けて表示します。)宇都宮は、「関東の都」というような意味らしいですね。でも、『宇都宮=餃子』以外に、全く思いつかない。 北関東ブロックを構成していた、足利競馬場、高崎競馬場が経営難から閉場し、最後に残った宇都宮競馬場も2006年3月に閉場したことから、約80年続いた『北関東の地方競馬』も歴史に幕を下ろすことになるのである。「長く続くことの難しさ」を感じる1枚の馬券である。
2009.08.31
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多摩の黒酢です。このブログでも、何度か書いてますが、明日は衆議院総選挙です。普通は、1名の名前を投票カードに記載して投票すると思いますが、それって、『シングルユニット式投票券』ですよね。JRAのマークシートは、通常のマークカード(単勝購入)で最大8頭、ライトカードで5頭まで購入出来ますが、昔は1枚の馬券で1頭(1組)のシングルユニット式の馬券でした。記念単勝馬券コレクターの私としては、今でもシングルユニットの単勝馬券(100円)しか、購入しませんが。。。他の競馬場が、同時に複数頭が1枚で購入出来るマルチユニット式に移行していく中、最後(1998年3月)までシングルユニット式投票券を使っていたのが、足利競馬場(栃木県足利市)でした。平成7年(1995年)の複勝馬券 枠を付けて表示しています。 馬券は、10枚100円で100円単位で発売されるのが普通であるが、1枚100円の表記は、珍しいと思います。足利競馬場は、経営不振等もあり、2003年3月の競馬開催をもって、廃止された。
2009.08.29
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多摩の黒酢です。人と同じように、あと少しで頂点(G1制覇)に届かない馬って、今も昔も応援してしまいます。 「きっと、いつか勝つのでは」とか、「俺は見捨てずに、応援し続ける」とか・・・。でも、やっぱりG1は勝てずに消えてゆく、馬は数知れません。タマモクロスと同じ父(シービークロス)を持つ、ホワイトストーンがそんな1頭でした。強い馬を引き立てる名脇役馬と言えば、いつもホワイトストーンを思い出します。芦毛で、(父)(市)と玄人好みだったと思います。騎手も、柴田政人、田面木博公とシブすぎました。 皐月賞: 8着 日本ダービー:3着 菊花賞: 2着 JC: 4着 有馬記念: 3着(1990年)1番人気 →オグリキャップの引退レースで、オグリ1着そして、1991年の秋の天皇賞(2番人気で、7着) [記念単勝馬券(非ご当地・WINS後楽園 発券)] 枠を付けて表示しています。 丁度、この頃から、単勝馬券に馬名が入るようになったと記憶しています。明日(6/28)は、第50回 宝塚記念(G1)ですが、同じように、そろそろ勝たせてあげたい馬が数頭います。
2009.06.27
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多摩の黒酢です。今朝は、何故かAM4:30に目が覚めました。(最近良くある「虫の知らせ」です。)TVを見ていると、マイケルジャクソンが、病院に緊急搬送されたニュースが。出社後、滅多に来ない妻から、携帯にメールが、『マイコー 死亡(悲)』ご冥福をお祈り致します。栄華を極めたマイケルジャクソンが、没落の人生を歩み始めたのは、確か、1993年頃と思う。その1年前の1992年、1頭の英国・牝馬が世界を圧巻する。名前はユーザーフレンドリー。1992年(3歳時)に、英国オークス、愛国オークス、ヨークシャーオークス、英国セントレジャーの4つのG1を勝つ。この時点で、カルティエ賞・年度代表馬、最優秀3歳牝馬を受賞し、3歳牝馬でありながら、日本のジャパンカップ(G1)に参戦するために来日する。[記念単勝馬券(非ご当地・WINS後楽園 発券)] 枠を付けて表示しています。 当然1番人気だったが、結果はトウカイテイオー(日本)の6着。輸送と馬場適性で敗れたのかもしれません。日本馬の馬名は9文字までなので、10文字の馬券は貴重。その後もサンクルー大賞(G1)を勝つなどして、生涯成績は16戦8勝。今だに現役牝馬として活躍している。(1989年生まれなので、20歳)名牝が世界を驚かすことがあるが、私は彼女が英国の最強牝馬だと思っている。
2009.06.26
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多摩の黒酢です。古い単勝馬券をあつめており、オマケでいただいた1枚です。1991年の秋開催より、単勝馬券には馬名が記載されるようになりました。[記念単勝馬券(非ご当地・WINS後楽園)] 枠を付けて表示しています。障害4歳以上未勝利(3100m) 7着(8頭立て7人気) 三浦賢治騎手 名前は強そうですが、このレースで引退しました。(13戦未勝利)つまり、本馬の馬名が馬券に残った唯一のレースとなります。(馬券に名を残すのは良いが、名前負けしている感じが。。。)1988年に東京ドームが完成しましたので、1991年当時、すでに、WINS後楽園は、その隣にありました。1991年と言えば、ドラマ『101回目のプロポーズ』かな。
2009.06.25
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多摩の黒酢です。サッカー日本代表が、ウズベキスタンにアウェイで1-0で勝ち、2010年のワールドカップ出場(南アフリカ大会)を決めました。 良かったです4年に1度のワールドカップに、4大会連続の出場ということで、16年以上前は、日本がワードカップ出場は、夢の世界でしたが、それよりも昔(約40年前)の馬券です。◆昭和45年(1970年)の馬券(京都競馬場 発券) 枠を付けて表示しています。■昭和45年第3回京都2日7レース(連勝複式1-5) 連勝複式ですので「逆の順位も有効」と記載があるのも面白いです。当時から、京都競馬場のイメージキャラクターの「白鳥」が描かれています。■昭和45年第4回京都6日3レース(連勝複式5-8) 当時は、200円、500円、1000円といった定額の馬券販売でした。(今は100円単位で、購入可能。)特に1000円の馬券は、『特券』と呼ばれていました。
2009.06.07
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多摩の黒酢です。久々に、古い馬券シリーズです。オークションで入手した昭和33年(1958年)の馬券です。日本中央競馬会が、昭和29年(1954年)に東京と京都で中央競馬を開催してから、4年後の馬券です。私が生まれる10年以上前の馬券です。(約51年前の馬券です。)枠を付けて表示しています。 注目は「連」とは「連複」ではなく「連単」であること。組番号が43と表記されているので、3-4ではなく、4→3であるということ。見た目は薄い紙ですが、偽造防止で透かしのような施しがあります。
2009.06.02
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多摩の黒酢です。大阪は昨晩からの雨が降ってます。 花粉症の私としては、多少症状が緩和してます。阪神競馬場ではジャンプ(障害)の重賞レースが、本日ありますが大丈夫でしょうか。チャリでは、京都競馬場に行けそうにもなく、バス代を出して行く気にもなれず、本日の競馬はTV観戦(グリーンチャンネル)です。久々に古い馬券の特別公開をします。「ブルートレインが、二十余年の歴史に幕を降ろす」というニュースをしてましたが、下記の馬券は、その約4倍の80年以上前の物になります。【特別公開】昭和3年(1928年) 京都競馬倶楽部 大禮記念枠を付けて表示しています。 前も東京競馬倶楽部の「大禮記念」の馬券を公開しましたが、京都競馬倶楽部でも昭和天皇の即位を記念して、「大禮記念」の開催を昭和3年に実施しました。(昭和3年とも、1928年とも表記がありませんが、「大禮記念」の馬券は、レアということで、価値が高いです。 「大禮記念」=歴史の1ページです。)
2009.03.14
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多摩の黒酢です。昨日ブログしましたが、花粉症の治療の為に、耳鼻咽喉科に行くために、会社は年休をいただきました。(年休放棄をしても仕方ありませんし、ある意味、有効活用出来ました。)毎年、花粉症で耳鼻咽喉科に行く時期が少しずつ早まっており、アレルギー物質が変わっていないのかを確かめるために、数年ぶりに血液検査をするはめになりました。(引っ越してから、行き付けの病院が変わっており、データが無いのも理由です。)採血中に、他の患者さんと先生の話が聞こえて来ましたが、同様に「耳鼻咽喉科に来る時期が早くなった」と、その患者さんも言っており、「今年は花粉の量がやはり多い」と先生もおっしゃってました。毎年献血もしているので、採血は違和感ありませんでしたが、検査費支払いの額の多さにビックリしました。(花粉症は、検査しても治るわけでもありません。)そして検査結果が1週間後にしか出ないので、また来週、耳鼻咽喉科に行くはめに。。。【特別公開】昭和3年 東京競馬倶楽部の馬券(大禮記念)久々に、古い馬券の公開です。 今回の物は、かなりレアな一品です。枠を付けて表示しております。 昭和初期当時は、各競馬倶楽部毎に、毎年2回(春季、秋季)の開催でしたが、東京競馬倶楽部では、昭和3年の開催は春季開催と秋季開催の間に特別開催を実施しました。それが、『大禮記念』です。大正天皇の崩御により、昭和天皇が即位したことを記念して、昭和3年に開催されました。しかし、何故、昭和3年(1928年)だったのか。。。調べてみると、大正天皇が崩御されたのが、年末だったらしく、昭和元年は1週間くらいしかなかったみたいです。(そう言えば、昭和64年も1週間くらいしかなかったような。)約1年、いろいろな儀式(の儀)をして、即位の礼は昭和3年11月10日に行われました。1枚の馬券から、いろいろなことを学べるものです。<追記:2009年3月22日> 目黒競馬場跡: 昭和3年当時は、現在の府中にある東京競馬場ではなく、目黒にある目黒競馬場で、競馬を開催していました。 その跡地が、今でも(円を描くような)道路として残っています。上記地図の中央上に、交差点名にも「元競馬場」と残っています。競馬場が無くなっても、馬券が80年の時を越えて、紙で残っているのは不思議です。
2009.03.03
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多摩の黒酢です。10万アクセスを突破しましたが、引き続いて不定期で古い馬券を特別公開したいと思います。【特別公開】第7弾・京都競馬倶楽部(昭和3年(1928年)・春季3日)の馬券枠を付けて表示しています。 スキャナーで撮りこんだら、青っぽく見えますが、薄い緑色に近い色です。アディダスのような(オレンジ色の)3本線が入っています。(偽造防止?)京都競馬倶楽部は、馬券発売が黙許されていた1907年3月15日に京都競馬会として設立され、翌1908年5月16日に京都市下京区に設けられた島原競馬場で競馬の開催が始まったが、同年10月に馬券発売が禁止され秋季開催は政府からの補助金を受け開催。そして1910年には馬政長官からの命令を受け京都競馬倶楽部に改称し、同年6月18日から倶楽部としての競馬を始めた。1912年末には島原競馬場の賃借期限が迫り、また火災で競馬場が焼失する被害を受けたため、1913年に競馬場を京都府船井郡須知町(現 京丹波町、旧 丹波町)に移転し1923年春季まで競馬が開催された。1923年に(旧)競馬法が公布されたのを機に、1924年に競馬場が京都市伏見区に移転することが決まり同年の競馬開催は中止。1925年春季は阪神競馬倶楽部の鳴尾競馬場を借りて代替開催をしたが、これが競馬法に基づき馬券発売の伴う初の競馬開催となった。そして同年12月1日に現在の京都競馬場が竣工し同月5日から競馬の開催が始まった。※上記馬券は現在の京都競馬場(淀)で発券された馬券である。1936年12月10日に日本競馬会が設立されたのに伴い、1937年1月に倶楽部主催として最後の競馬が開催され、同年5月31日に日本競馬会に統合される形で解散した。
2009.02.26
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多摩の黒酢です。日本映画、やりましたね。「おくりびと」が外国語映画部門、「つみきのいえ」が短編アニメ部門でそれぞれアカデミー賞を受賞しました。「おくりびと」は丁度、祖母の葬儀の時期と重なっていて、非常に印象深い作品です。「つみきのいえ」は、DVDが発売されているようなので、是非全編見てみたいです。(少しだけ、お爺さんの切ないシーンをテレビでやってました。)さて、10万アクセス突破の特別公開、シリーズ第6弾・古い馬券となりますが、◆特別公開「日本レースクラブの大正15年の馬券」枠を付けて表示しています。 見た目からして、レアです。 パッと見で、馬番号が何番かわかりますか?正解は「29番」です。一桁台の馬番の場合は、中央上の赤●に穴を、一桁台がゼロ(10や20)の場合は中央下の赤●に穴を開けて表示する方式のようです。つまり、89番までの馬を表現できるようです。換金されていないので、ハズレ馬券だと思いますが、大正、昭和、平成と3つの年号を経て、私の手元にある馬券です。 戦時中も、ハズレ馬券が、良く保存されていたなと思います。
2009.02.23
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多摩の黒酢です。今日、明日じゅうに、アクセス数が10万件を越えそうです。常連の方々を含め、ご覧いただいている方々のおかげです。いつも不定期で開催している特別公開(第5弾)古い馬券をします。◆特別公開「小倉競馬倶楽部の昭和2年(1927年)の馬券」枠を付けて表示しています。 馬の顔が馬券に描かれているレトロな馬券です。昭和2年ですので、今と異なり、小倉まで行くのも大変な時代と思います。こうして見ると、競馬倶楽部が11もあったので、馬券の絵柄もかなり異なっていることがわかりますね。(過去の特別公開については、「古い馬券」のブログを参照下さい。)まだまだ、古い馬券がありますので、不定期に公開します。
2009.02.22
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多摩の黒酢です。久々に、古い馬券馬券です。特別公開(第4弾)「日本レース倶楽部の昭和3年(1928年)の馬券」です。枠を付けて表示しています。 眩い黄色の馬券です。 模様も非常にレトロな感じがします。日本レース倶楽部は、日本初の西洋式競馬の施行体で、1862年に設立された『横浜レース倶楽部』が前身です。1888年 日本レース倶楽部が根岸競馬場において1枚1ドルの馬券を発売。(日本における初の馬券発売)日本競馬会の発足に伴い、1937年10月に解散しました。横浜にあった根岸競馬場は現在、廃止(休止)になっている。例えば、東京競馬倶楽部が東京競馬場(府中)で残っているのに対し、日本レース倶楽部は残っていないため、上記は貴重な馬券と言える。
2009.02.19
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多摩の黒酢です。特別公開・第3弾「東京競馬倶楽部の昭和3年(1928年)の馬券」です。 第2弾の時にも書きましたが、馬番号が「22」となっておりますが、22頭立てのレースではなく、当時はクラス毎に各馬が番号を持っていたようです。右端の方が『すかし』のようになってます。昭和3年は、通常の2季(春季、秋季)以外の開催も特別にありました。その馬券は、また後日のブログで。。。
2009.02.14
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多摩の黒酢です。実家に法事で帰省します。伊丹空港から秋田空港への飛行機は朝イチしかないので、自宅から伊丹空港までの時間を考慮すると、AM6:30には自宅を出ないとなりません。さて、特別公開の古い馬券“第2弾”をブログ掲載致します。◆昭和3年(1928年)の阪神競馬倶楽部の馬券 外枠を付けて、掲載しています。詳しいことは、第1弾の方に記載しますので、そちらをご覧下さい。今回追加で特記したいのは、昭和3年に『2色刷り』の馬券がすでにあったことです。すばらしい印刷技術を駆使していることです。また、馬番号の所に「68」とあります。 1レースに68頭の馬が走ったわけではないそうです。当時は、出走するクラス毎に各馬に馬番号があったそうです。
2009.02.07
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多摩の黒酢です。10万アクセス突破記念で、お宝公開しますとアナウンスしてましたが、2月じゅうには突破出来そうなので、少しずつ公開していくことに致しました。今回は第1弾です。 ※次回公開は無期(筆者都合)で公開します。約80年前の馬券です。(私の父も生まれる前の馬券です。)とても古い(骨董品)ので、きちんとスキャナして画像を保存しようとしております。 中山競馬倶楽部(昭和3年:1928年 秋季2日9レース)の馬券です。 JRAの前の「日本競馬会」が1937年に創立されるまで、11の社団法人・競馬倶楽部が日本にはありました。 その1つが現在の中山競馬場の元となる『中山競馬倶楽部』です。当時(昭和3年)は、『単勝馬券』のみの発売でした。1枚20円ですが、現在の貨幣価値に換算すると、3万円~3万5000円くらいです。現在は100円から馬券購入出来ますが、当時はお金持ちの社交だったと思われます。 [参考] 昭和3年の貨幣価値: 白米 10kg: 2円30銭 → 4000円(現在) 1470倍くらい 豆腐1丁: 5銭 → 100円(現在) 公務員の初任給: 70円 [参考] 第1回 日本ダービー(昭和7年): 1着賞金: 2万3500円 配当(単勝): 39円(20円あたり)当時は、春・秋の2回(各3日間)の開催でした。英語が馬券に入っていて、外国人も馬券購入していたようです。日本語(漢字)が右から左なのがノスタルジーです。 馬番は、パンチ穴になってます。また、細かな模様が施されており、当時の印刷技術の高さがうかがえます。 → 現在の馬券は芸術性というか、美しさが全く無くなってしまったように思います。<大きさ> 現在の馬券(平成21年) : 85mm(H)×53mm(V) 中山競馬倶楽部(昭和3年):140mm(H)×75mm(V)
2009.01.31
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