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『帝国の終焉』 人には誰にも独特な悪癖、と呼べるものがあるだろう。いたって標準的で普通の人間を自他共に認められている僕にもそれはある。いやむしろ、そうであるからこそ僕には“悪癖”がある、と言えるのかもしれない。 悪癖は大まかに分類して二つのカテゴリーに分けることができる、と僕は思う。他人に迷惑をかけるものと、そうでないものだ。しかしながらこれは、「悪癖審査会」なるものがあって厳格に分割されているわけではなく、心がけ次第でどうにでもなる問題だ。いらだったときに動く右足も、歩きながら吸うタバコも、酒を飲みすぎてひどく吐くことも、時と場所などを考慮に入れれば、迷惑に感じる人間は減少し、その数をゼロにすることだって不可能な話ではない。 だから僕は自分の悪癖を初めて自覚したその日から、誰かに迷惑をかけたり、いやな気持ちにさせたりしないように、僕なりに心がけてきた。そしてそれは一応うまくはいっている。でもその点に自信があるからといって、僕はこの悪癖を誰かに話したりすることはできない。僕が行っている行為はきっとひどく人の道に反したものであるだろうし、それを知られてしまえば僕の人格が疑われてしまうのは必至であるからだ。僕は日々、その恐怖と闘いながら、悪癖を繰り返す。歯車はぐるぐると回り続け、それはきっと、おそらく、絶対にとまらないのだ。 ここ数年、僕の仕事が休みのほとんどの日にその悪い癖が出る。 昼前に目が覚めると、熱いシャワーを浴び、髪を丁寧に洗い、いつもより念入りにひげを剃る。風呂場を出てしっかりと体についた水滴を拭き、新品のパンツを履いてスーツに袖を通す。 愛車にキーを差し込んでエンジンをかける。さあ今日はどこへ行こうか。もちろん行く当てなんてない。僕と車はゆっくりと動き出す。 食事は途中でコンビニに寄って買う。サンドイッチとコーヒーが好ましい。ピクニックのようだ。でも僕はあまりに晴れている日には少しがっかりする。素人は雨が良い、と考えそうであるが、これは大きな間違いだ。うっすらと曇っていて、場合によっては少しだけ雨が降り出しそうな、そんな日が僕の好みだ。 時間的に最も良いのは目が覚めてから3時間半で目的の場所を見つけたときだ。距離的にも申し分ないし、時間帯も良い。 僕は少し離れたところに車を停めて(歩いて15分程が良い)、車の中で最後の準備をする。内ポケットから真っ黒なネクタイを出し、それをゆっくりと締める。携帯電話の電源を切る。そしてバックミラーを見て自分の顔を確認する。その顔は間違いなく、知人の、それも数年間会ってはいないけれど、それなりにお世話になった知人の葬式に参列する男の顔だ。よし、お葬式の始まりだ。 ほとんどの場合、車から出た瞬間から僕は一言も発さない。何度か会釈をし、香典を納め、適当な名を記す。後は座って、または立って、ひたすら何かを聞いていればいい。簡単なものだ。 人は本当にいろんな場所で日々、死んでいく。ちょっとしたコツさえ掴めば、どんな日にどんな場所で人が死ぬものかがわかってくるようになる。それでも大体の地区を回ってしまうとある程度は拠点を変えなければならないために、僕はこの数年でこの悪癖のために二度引越しをした。そしてその間に、僕がどれだけ車を走らせても葬式にめぐり合えなかった日は、僕が覚えている限りでは二十回ほどしかない。そんな日には僕は、僕のガールフレンドの誰かを誘って、とびきり高くてうまいものを食べに行く。僕が誘った女の子は、とびきり高くてうまいものを食べることができてとても幸せそうに見える。だから僕だって幸せな気持ちになる。「今日は誰も不幸せそうではありませんでした。」 一言で葬式、と言ってもそれには様々なバリエーションがある。とても悲しいものから、少しだけ安心して笑みがこぼれそうになるものまで様々だ。こんなことを言っても信じてはもらえないかもしれないけれど、悲しい葬式に立ち会ったときはとても悲しい気持ちになるし、泣いてしまう時だってある。 葬式は、同じく“式”と名のつくものでも、結婚式のそれとは大きく異なる。僕の知る限りでは結婚式と呼ばれるものは、大体変わりばえのしないつまらないものだ。料理は派手なだけでまずいし、誰の話を聞いてもちっとも面白くない。意識を集中しなければ、僕と新郎(ときとして新婦)がどんな関係にあったのか、さらには一体どんな人の結婚式なのかですら忘れてしまう。二ヶ月と三週間前に出席した結婚式と、今日のものがどう違うのかなんて僕にはほとんどわからないし、ひょっとすると会場を間違えて赤の他人のものに出席したところで、僕は最後の最後までその事実に気がつかないかもしれない。ひどい話だ。 でも葬式は違う。陳腐でくだらないスライドによる説明がなくたって、亡くなったのがどんな人だったかはわかる。彼(ときに彼女)の生い立ちや妻(ときに夫)との馴れ初めがわからない代わりに、その人の人生の中心を通っていた軸、とでも言うべきものがわかってくるのだ。それにたとえ、坊主の話がつまらなくたって、仲人のそれよりはよっぽどましだ。 どんな葬式も結婚式とは違って、忘れられない印象深いものではあるが、その中でもとりわけ印象深く、決して忘れられないものは、確かにある。その理由は僕にはわからない。それはとりわけ特異であったというわけではなく、奇妙であったというわけでもなかった。ただ、そこには他の葬式にはない、何らかの終焉が存在しているように感じられた。
2006/10/02
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その日、空はうっすらと曇っていて、道路が少し濡れていた。僕が目を覚ます前にわずかに雨が降っていたようだった。 僕はいつもどおりに当てもなく車を走らせ、途中でローソンに入って野菜のサンドイッチとブラックの缶コーヒーを買った。車の中でそれを食べ終えて、コーヒーを飲み、タバコを10本ほど吸ってもその日は葬式が見つからなかった。CDは回転し続けるのに飽きたようであったし、僕のお腹だって空いてきた。やれやれ、こんな日もある。 僕は半ばあきらめて、今夜の食事に誰を誘って何を食べようか考え始めていた。僕は無性に中華料理が食べたかった。高級な油で高級な食材を炒めた、とびきり値が張ってとびきりうまいやつがいい。誘うのは、最近ひょんなことから仲が良くなった秘書課の女の子にしよう。彼女は、とびきり美人というわけではなかったが、若く、背が高くてスリムで胸は小さかった。僕は彼女の唇が、中華料理の油で濡れるのを見てみたかった。中華を食べた後は、おしゃれなバーへ行き、マタドールを飲む。彼女はきっと酔っ払って(酔っ払ってなくても酔っ払ったふりをするだろう)僕と寝たがるだろうし、僕だって彼女を抱いてみたくなるはずだ。ふむ、悪くない。 そんなことを考えていた矢先、一瞬頭の上のほうで、右折しろ、という声が聞こえた気がした。残念ながらとびきり高級な中華料理は、また今度の機会になりそうだった。 その葬式は見るからに暗いものだった。いや僕には、実際に見なくてもそれが暗いものであるのはわかった。勘違いしてほしくないのは、“暗い”葬式が必ずしも“悲しい”葬式であるとは限らない、ということだ。(逆に“悲しい”葬式はほとんど必ず“暗い”ものであるが。)この場合はそれに当たるものであった。車の中から一瞬見ただけでも、家は木造の古い平屋で、庭は荒れ果てていることがわかった。車を降りる前に、僕は一息ついて気持ちを落ち着かせた。どう考えても今日はこのまま車を停めずに引き返し、秘書課の女の子と寝るべきだった。でももちろん僕にはそうすることができなかった。僕には、誰かの死を見取る責任があった。それはおそらくは僕の勘違いだろうが、少なくとも僕にはそう感じられた。 いつもどおり、香典を納めて記帳をしようとした僕は、その日うまく適当な名前を思い浮かべることができず、本名を書いてしまった。僕は偽名を書くことにひどい違和感と罪悪感のようなものを感じた。その理由はすぐにわかった。 僕の後ろに並んでいたのはどうやら刑事らしかった。僕にはそれがすぐにわかった。僕は仕事で何度か刑事と一緒になったことがあるが、彼らはみな決まって同じ容姿をしているように、僕には感じられた。何日も洗っていないスーツにはタバコの臭いが染み込み、寝不足とストレスが肌に出て、彼らは実際の年齢よりひどく“老い”を感じさせる人種だった。僕にとっては最も葬式で(葬式でなくても)会いたくない人たちだ。故人の家族にとってだってそうだろう。 彼らは二人組だったが(大抵彼らは二人組で行動する)、二人とも猫背で、いかにも不健康そうに顔が焼けていた。僕の目には二人の顔までが同じであるように映った。もしかしたら双子の刑事なのかもしれないな、と僕は思った。それならドラマのように捜査の方針でぶつかり合うことだってないし、好みだって同じはずだから、張り込み途中で片方が買い物に行ったときに、もう片方が袋の中身を空けた後で、「アンパンは粒あんだろうが!!」なんて怒られる心配もない。やれやれ。 亡くなったのはどうやら一家の主であるようだった。年齢はおそらく四十台半ば。いかにも粗野で乱暴で大酒飲み、といった顔の男だった。この手のタイプはおそらくギャンブルも好きだろう。そんなことは僕でなくたって、二時間ドラマを見たことのある人なら大抵わかる。 妻らしき人物はそれより少し若く、そばにいる三人の子供たちはとびきり幼かった。妻子は泣き崩れることもなく、ただそこにいた。そう、ただそこにいる、といった感じであった。よく見ると妻の顔にはあざらしき痕があり、子供たちはみな妙に痩せていた。親族らしき人たちがひそひそと耳元で何かを囁きあっていた。何となく刑事がやってくる意味がわかった。暗くていやな葬式だ。 僕は焼香を済ますと外に出てタバコを吸った。僕のそばで近所の住人らしき中年の女二人が話をしていた。二人は当たり前のように黒装束を身にまとっていたが、その佇まいや仕草からは「慈しみ」のようなものではなく、明らかな「好奇心」が見て取れた。 二人の話によると故人は僕の思ったとおり、粗野で乱暴で大酒飲みだった。ギャンブルの話は出てはこなかったが、もしやっていなかったのだとしたら、それは単に金がなかったからだろうな、と僕は思った。 「きっと奥さんがやったのよ。」 まるまると太った方の女が言う。こんな女には絶対に高級な料理なんて食べさせたくない。 「しっ、声が大きいわよ。」 痩せた方の女が人差し指を立てて唇につける。そして僕の方をちらりと見る。僕はもちろん、何も聞こえなかったふりをする。僕の聴覚が異常に発達していることなんてここでは誰も知らない。 「転んで階段から落ちるなんて都合が良すぎると思わない?」 「でもひどく酔ってたらしいしね・・・。もう誰にもわからないわ。」 「きっと刑事が私たちの家にも来ていろいろと聞くのよ。『夫婦仲はどうでした?』とか、『旦那さんはきちんと仕事をしてましたか?』とか。きっとベテラン刑事とハンサムな若い刑事のコンビよ。」少し間が空いて今度は痩せた方が話し出す。きっと今の間で痩せた女は『ベテラン刑事とハンサムな若い刑事のコンビ』なるものを想像していたのだろう。僕も挑戦しようとしたが、どう頑張ってみてもそれはうまくはいかなかった。 「でも・・・殺されたとしても仕方なかったんじゃない・・・?奥さんひどく苦労してたみたいだし・・・。殴られたり。奥さんのパートのお金もほとんどむしり取られてたみたいじゃない。暴君だわ。」 「それで奥さんが逮捕されたら気の毒ねぇ。子供たちはどうするのかしら。」 聞いていて僕はひどく気分が悪くなった。二人の中年をギロリ、と睨みつけたが効果はなかった。気がつくと空はどんよりと曇り始めていて、今にも雨が降り出しそうであった。車に戻って僕は携帯電話の電源を付け、秘書課の女の子に電話をしてみた。七回目のコール音で彼女は電話に出た。彼女はテレビを見ながらストレッチをしていた。僕は、今から4時間後にとびきり高くてとびきりうまい中華料理を食べに行こう、と彼女に言った。 「いいわ、行きましょう。」少し考えて彼女は答えた。 「昔の宮廷に出てくるようなやつがいいわ。皇帝が食べそうな。とびきりおいしくて、とびきり健康的で、それでいてとびきり高カロリーなやつ。」 僕は帰りの車の中でネクタイを緩めながら、皇帝が食べる料理を想像してみた。でもうまくはいかなかった。きっとすでに帝国は崩壊し始め、終焉を迎えているのだ。僕らはその影響が僕らの国に及ばないように、手立てを考えなければならない。目下のところ、僕がしなくてはいけないのは、中華料理店に予約の電話をすることだった。
2006/10/02
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テレビのニュースなどで数年前の事件の裁判が報じられたりすると、ふと「ああもうあの事件は2年も前のことなのか・・・」なんて思うことがある。きっと僕だけじゃなくて誰にでもあることだと思う。そんなときにはそのころは自分が何をしていたかを思い出す。もちろん細かいこと(例えば3年前のある日に僕が何を食べていたかなど)は思い出せるはずもないし、思い出そうとも思わない。かと言ってあまりにもおおまかなこと(3年前僕は大学生でした)を思い出すほどに僕はまだ老け込んで過去の人間になってしまったわけではない。僕が思い出すのは大抵ある一人の女の子との思い出と、彼女への僕の思いだ。 彼女とは僕がまだ20代に入って間もない頃に出会った。それはあっという間に終わりを告げたのだけど、彼女は僕にとって初めてのガールフレンドであった。その後も僕は彼女のことを思い続け、再び彼女が僕のガールフレンドになったとき、彼女は僕が初めて本気で愛した女性になった。そしてそれは僕の学生時代かつ若かりし時代の(ありとあらゆる意味で大学院は除く)最後の恋になった。 その頃、僕とそして僕たちはとても無邪気で無垢で無遠慮であった。確かな未来なんてどこにもなくて、それでもそれと同じくらい迷いもどこにもなかった。ただ見えない希望と確証の何一つない明日があった。僕らと、僕らの未来にはまったく何の障害もないと信じていたのだ。 街を一人で歩いていたり、家で一人ビールを飲んだり、一人で電車に乗ったりすると突然、隣に今でも彼女がちょこんと立っていたり座っていたりするような感覚に襲われることがある。そして一度目を閉じて再び開いたとき、彼女はもちろんそこにはいなくて、僕は自分がずいぶん大人になってしまったことに気がつく。不意にポケットの奥や引き出しの隅から出てくるその思い出は、僕に若かりし日々の甘酸っぱい感情を運んでくるのだ。僕はそれをどう処理すればいいのだろうか? 彼女との別れを経験して以来、僕は自分でも信じられないほど、自分と自分の未来と人生についてクールで合理的になった。不確かなものは結局、どこまで行っても確かにはならず、無邪気で無垢で無遠慮な希望はいつか終わりを告げる、ということに僕は気がついてしまったのかもしれない。だから僕はその日から、たとえその手段は不確かなものであっても、確かな目的を立て未来を手に入れるために努力を重ねることにした。きっと人はこうやって若くなくなるんだ、と自分を納得させながら。それでも、いや、だからこそ僕は最後の若かりし日々を忘れえないのだと思う。 数時間前、かつて暴力的なまでに若く幼かった僕が変化していくのを間近で見ていたガールフレンドが僕にふと、僕にかつての恋人の事を聞いた。瞬間、僕はひどく動揺した。僕はこれまで僕の思いを自分の胸の内のみに留め置き、それを素直に披瀝することはなかったからだ。僕の中でそれは最低限の「ルール」であり「マナー」だった。僕はとっさに彼女の質問をはぐらかした。しばらくして僕は彼女の質問と自分自身に対して誠実でなかったことを恥じた。僕はもちろん、かつてのように昔の恋人を愛しているわけではない。しかしながらかつてとは異なり、僕は今、昔の彼女との思い出と彼女との日々を心から愛している。これを明らかにすることが結局、「確かな」ことなのかどうかは僕にはわからないけれど。 いつか「生きるということは変わるということだ」なんて誰かがしたり顔で言っていたのを思い出した。それでも僕が明け方に飲むビールとタバコの味は、あの日と何も変わらないように感じられた。
2006/09/15
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僕のガールフレンドが1週間ほど実家に帰った。久しぶりに僕は独りになった。ゆっくりと本を読み、自分のタイミングで食事をした。何をするのも僕の自由だった。僕は口に出して「自由」と言ってみた。それはひどく味気なく、そしてつまらないもののように感じられた。 彼女が帰郷している間に、思いも寄らない人物から思いも寄らないタイミングでメールが来た。8ヵ月前に別れたガールフレンドからだった。そのコから僕に連絡をくれるのなんて果たして何ヶ月ぶりになるかわからない。僕は自身が置かれている状況を把握するのに数分を要した。僕にとっては極めて後味の悪い別れを経験して以来、一度も会っていない女の子と数十分後には食事に行く。まず第一に着替えをしなければならない。眼鏡をはずしてコンタクトレンズを入れた。髪の毛のセットも必要だ。僕は数ヶ月散髪を怠った自分をひどく呪った。複雑にうねった癖毛は、どう努力しても僕の思い道理にはその形を整えてくれそうにはなかった。僕はひどく動揺していた。 僕が最後に彼女を見たのはその後姿だった。「バイバイ」と言って僕の部屋を出てから彼女は一度も振り向かなかった。そのとき僕の手にはまだ温もりが残っていた。今はもうそれを感じることはない。 僕が待ち合わせの場所へ行くと、彼女は僕がやってくる方向に背中を向けて立っていた。何度も何度も見たことのある光景だ。懐かしさに一瞬時間が止まったような感覚を覚える。しかし振り返った彼女の顔にかつての笑顔はない。僕は一体、その表情に向かって何を話せばいいのだろうか。 食事をしている間、僕は話すべき言葉を持たなかった。フォークとナイフが皿の中を行き交う音だけが僕たちのテーブルの上を支配した。彼女がなぜ急に僕に声をかけたのかすらわからなかった。もしかすると僕はこう聞くべきだったのかもしれない。 「僕たちはかつて一体どんなことを話していたんだろうか?まずそこから議論してみよう。」 でももちろんそんなことは聞かなかった。彼女も僕と同じような感覚にとらわれているのが僕にはわかったからだ。瓶からグラスに注がれてきれいに泡を作ったビールはひどく味気の無いものに感じられたが、不思議と酔いはすぐに回った。僕は深い深い水の中を必死にもがいていた。いくらもがいても水面には出れそうもなかった。仕方がない、今度はワインを飲もう。 店を出てから彼女を駅まで送る道程。僕は取り留めのない質問を繰り返した。彼女はポツリ、ポツリとそのつど質問に答えた。無駄なことは何一つ言ってくれなかった。思えば、僕は質問してばかりだった。それでも何を聞いても彼女のことはわからなかった。逆に彼女から僕に質問してくることはほとんどなかった。2人はとても遠くへ行ってしまったみたいだった。 駅から僕は家に帰るまでの道、僕はどこをどう歩いたかほとんど覚えてはいない。彼女は僕が知らない間に、僕の知らないところへと行ってしまっていた。それを僕は再確認した。僕も同じように彼女の知らない道を辿ってここまでやってきたのだろう。そしてそうやって歩いて家へと帰るのだ。すべてわかりきっていたことだった。泣いてはいけない。僕が泣かなければならない理由なんてどこにもない。僕は今を精一杯幸せに生きている。それでもそう考えれば考えるほどに、涙が出そうだった。 友人は僕に優しく「よくがんばった」と言ってくれた。その瞬間に僕の中で何かが終わった。大粒の涙が溢れて、それはしばらくの間とまってはくれなかった。 僕は少しずつではあるけれど、いろんなことを整理している。衣服をたたんでちらかった部屋を整理する。もう着なくなったものは箪笥の奥のほうに片付ける。そういった日々の行いを繰り返す作業が、本当に少しずつではあるが僕を大人にしていくのだと思う。 今日までの数日間、僕はうまく寝付くことができなくなっていた。ガールフレンドが帰ってきてこの文章を読んだとき、何を思うかはわからない。不安はある。それでも僕は自分自身と向き合い、ときにはそれと決別するために、今こうしている。僕のこんな身勝手な言い分が彼女にとって言い訳になるかどうかはわからないけれど。
2006/01/12
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久方ぶりに日記を書く。最近になって書くことがなかったわけでも、書く暇がなかったわけでもなかったのだが、なんとなく面倒になって少しばかりかつての習慣から遠ざかってしまっていた。僕の友人の中の何人かはこまめに僕のこの雑文をチェックしていてくれたらしく、これを待っていてくれているようだった。僕だってまだ捨てたものではない。 昨日は鞍馬山を登った。思えば僕がその場所へ行くのはちょうど1年ぶりのことだった。この1年、僕のまわりではいろいろなことが起こった。それでもいまだに僕は僕で、また再び同じ場所へとやってきた。出町柳から叡山電鉄に乗り込み30分ほどで鞍馬駅に着くと、僕の目の前では悠然と山がその姿を称えていた。それは僕に何を語りかけるでもなかった。 山中の木々は赤く染まりだしてはいたが、色鮮やか、というには程遠かった。それでも山は全体的に見て、どう控えめに表現してもとても美しかった。赤く染まりきらない木々もとても堂々としていた。山全体がまるでひとつの作品のようだった。そしてその印象は僕の腹の底に言い知れぬ威圧感を与えた。自然と僕は無口になり、ただ歩いた。僕の横のガールフレンドはなんだか機嫌がよくなさそうだった。 山頂から貴船に抜ける道程は、去年僕とそのとき一緒にいたガールフレンドが進もうとして断念した。夕方を過ぎると明かりのないその道は危険だということだった。そのとき僕らの頭上には夕闇が迫ってきていたのだ。 事実そこは獣道、という表現が適切に当てはまるようなものだった。牛若丸が天狗と共に修行をする光景が僕の眼前に広がった。沈黙とそれが生み出す静寂が僕を支配した。つい今し方目にした秋を知らせる赤は、もう僕の目に飛び込んでは来なかった。秋が終わり、冬がやってこようとしているのだろうか。 深夜4時、寝息を立てる彼女を置いて僕はこの時間を過ごしている。このひと月半、僕に書きたいことや書くべきことがなかったわけではない。むしろそれは以前よりも増したはずだった。ただ僕はできるだけ途方にくれないように、慎重に物事を進めていきたかっただけだった。彼女は体調を崩し、苦しそうにしている。果たして今、僕にできることがどれほどあるのだろうか。僕が彼女を苦しめているのか、それとも僕以外の何かが彼女を苦しめ、僕は何もできないままにただ手をこまねいて見ているだけなのか。結局、僕には何もわからなかった。
2005/11/27
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昔の人はしばしばすばらしいことを言う。きっと実際には現代の人々だってそれなりにいいことを言っているのだろうけど、それらは使い古されていて僕らに強い印象を与えない。この世に生を受けるのならば早いに越したことはない。 僕はめったなことでは怒ったりしない。それでも本質的には短気な人間なので、よくイライラするし、腹が立つ事だって少なくはない。基本的な僕の考え方としては、怒りという感情はほとんどの場合、何も生み出すことはないと思う。何かを失うことはあったとしても。だからたとえすごく腹が立っても苛立つことがあったとしても、それを単純に行動や言動で表現することを控えようと努めている。僕は僕なりに。けれども我慢できなくなるときは確かにある。それを相手に説明し、諭すことができて問題が解決することもあるが、やはり逆にそうでないときだってある。昔の僕ならそんなことにはお構いなしに怒りを相手に、ときにどこか別の人や場所にぶつけていた。怒り、という感情は本質的にはそういうものなのだ。そしてやはり結果的に、非生産的な作業は非生産的な結論しか導かない。やれやれだ。 喧嘩、というものは実に厄介なものである。大抵の場合その現象は、怒りという感情に導かれたり、その感情を導いたりする。だからたとえ僕が怒っていなかったとしても、僕が問題を解決するために多くを説明し、諭そうとすればするほどにお互いの感情が高ぶり、結果としてその終焉をどんどんと遠ざけていく。もしも僕が男で、相手が女性であればなおさらだ。三島由紀夫曰く、男性には「男性独特の探求欲、究理欲、解決欲」があり、それが男女の喧嘩を迷宮へと迷い込ませるのだそうだ。早急に問題を解決させようと男が焦れば焦るほどに、事態はややこしくなり長引いていくのが通例なのだそうだ。ふむふむ。 僕は三島のこの文章を呼んで以降、喧嘩(とりわけ相手が女性の場合には)を早期に決着させようと努力するのをやめた。自分に非があると感じた場合には、素直に謝る。そして相手が自分を許してくれることを要求しない。我々男性はしばしば、「謝ったのだから許してくれ」という単純な議論をし、結局は再び女性の怒りを買う。 「謝っているのはあなたなのにその態度は何なの!!」 一度、素直に謝り、反省の意を示したのならば、相手がそれを理解し納得する時間を与えるべきだ。謝意や反省のポイントがずれていた場合には初めからやり直せばいい。 明らかに相手に落ち度がある場合には、それを責めたり、反省を促したりしないこと。男性は解決を急ぐために、相手に悪かったことを自覚させ謝らせて、それで納得しようという態度を取りがちであるが、結局そのような態度は独り善がりな解決策であって、そんなことを強制された相手はたまったものではない。このような場合には、「さっさと相手を置いてきぼりにして、いたわりの言葉一つかけず、逃げ延びてしまう」ことが得策であるそうだ。僕は三島が言う男性のようにそこまで強くはないが、相手を放っておく、というのは経験的に考えて確かに効果的であるようだ。そうする間に、相手は自分がそのようにされた理由を考え、その時間がやがて反省を促すことになるであろう。しかしながらこの解決法は、いつまでたっても反省しない頑迷な女性が相手の場合や、そもそもにして本来の落ち度は自分自身にあって、相手が悪いと思っているのが僕の身勝手な思い込みである場合には通用しないのであるが。僕の場合、前者のような女性であれば、きっと喧嘩をするような親密な相手にはならないであろうし、後者の場合は、怒りという感情を抑え、ものごとを客観的な視点で見ることができる目を養えば、それが起こる確率は格段に下がるはずである。 僕は数時間前、相手のガールフレンドと同じように、またはそれ以上にひどく腹を立てていた。それでも僕は彼女に直接的に怒りをぶつけることはなかった(と僕は信じている)。僕はただ静かに沈黙を守り、本来は聡明であるはずの彼女が何かに気がつくのを待った。そのときは意外にも早くやってきた。僕が一人で家に帰ると、彼女はそこにはいなかったが、代わりに置き手紙があった。洗い場にたまっていた食器は綺麗に洗われていて、冷蔵庫には2本ほどビールが多く入っていた。やれやれだ。 もとより三島が言うようなことを自然にできる能力が備わっていれば、僕はもっと若いうちから多くのトラブルを回避できたかもしれない。それでもそのようなタイプの男性はおそらく、喧嘩の場合には自分も相手も深く傷つけることがなく幸福である代わりに、男性独特の論理探求の能力に劣るであろう、と僕は信じる。僕はおそらくは論理的思考の塊のような男性で、このようなタイプとは程遠いはずである。それでも偉人の言葉に学んで、自分の欠点を自覚することで、改善に一歩近づくことはできる。やはり昔の人は偉大である。もし僕らが偉人であるならば、生まれてくるのが早いに越したことはないが、凡人であるならば、早くにこの世に生を受けた偉人の言葉に耳を貸し、そこから何かを学ぶのも悪くはないであろう。
2005/10/12
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最近、毎日が充実している。朝、「おはよう」と言って目を覚まし、朝ご飯を食べる。朝食(と言ってもほとんど調理なんてしないが)を用意するのは大抵、僕の役割だ。朝食後にコンビニへ新聞を買いに行き、テレビを見ながらゆっくりとそれに目を通す。その後に掃除をする日もあるし、洗濯をする日もある。のんびりと勉強をして、昼過ぎに眠たくなると昼寝をする。すごく平和だ。 平和であるからといって、生活に刺激がないことにはならない。日々そのものは刺激的ではなくても、それを過ごす僕のココロは刺激で満ち溢れている。ガールフレンドのちょっとした仕草や言動にすごく励まされることもあれば、すごく落ち込むことだってある。だから僕は日々、自分自身で設けてしまった様々なハードルに挑戦して、精進していこうという気持ちになれる。そして毎日いろんな自分を発見していける。僕は人のことをどんどん好きになっていき、そんな僕自身をももっと好きになる。彼女が僕と同じ気持ちを抱いている確信はほとんどないのだけれど、それでもそれを想像することはすごく楽しい。だからときに、そんなことを彷彿とさせることを彼女が口にしたときに僕は、たまらなくうれしくなる。そしてその瞬間に、僕の胸の奥の奥に去来していた不安はどこかへと姿を消していくのだ。たとえそれが真実でなくても、また僕の独りよがりな勘違いであったとしても。僕がそれを真実に塗り替えていけばいいのだから。 ところで僕は今日、夢を見た。最近はとてもゆっくりと風呂に入って酒を飲んでいるせいか、ぐっすりと深い眠りについていて夢を記憶していることはなかった。目が覚めて夢を記憶しているのは本当に久しぶりのように感じられた。 その夢にはゾンビが出てきた。僕はゾンビという存在と、それが登場する映画がとても好きで、眠れない日にはよくゾンビのことを考える。ゾンビに満ちた世界は僕らが今過ごしているものとはまったく違ったものだ。みな思考することをやめ、ただ街を徘徊している。一度死んだ彼ら(この表現が適切かどうかは議論の余地があるが)には、生という概念も死という概念もない。そもそもその世界には概念なんてものも存在していないのだろうけれど。 僕はそんな世界に革命を起こすために、そしてときにはただ生き残るだけのために闘う。もちろん闘わないときもある。そんなとき僕は、僕自身がその世界のどこに位置しているのかはわからないまま、様々なことをただ傍観する。生ける屍が徘徊する日々は、僕らにとってはとても平和とは言えないが、それを眺めている限りではちっとも刺激的でもない。彼らはお互いを傷つけあうことは決してないし、当然自分を傷つけることだってない。 そんな中で息を潜めて何もせずにただ生きていくのなんて僕は御免だ。僕は日々、自分自身に挑戦して生きていきたい。たとえその結果、誰かを、そしてときには自分を傷つけることがあったとしても。もし倒れてしまったときには再び立ち上がればいいんだ。ゾンビのように、とは言わないけれど。
2005/10/08
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時間がたつのは本当に早い。僕の記憶が確かならば、今年の前の年が去年で、さらにその前の年は一昨年のはずだ。こんな風に書いたところで実感なんてまるで湧いてはこない。それでも確実に時間は僕の前を通り過ぎていってもう戻っては来ない。 最近、不思議と古くからの友人たちから連絡が来る。みんなそれぞれに夏を満喫し、ふっと一息ついたところで昔を思い出すのだろう。秋というものはいつだってそんな季節だ。彼らはみな一様に近況報告をし、ひととおりそれを終えたところで昔話を始める。そういえばあのときにはあんなことをした、あそこには誰と行っただろうか、あの女の子の名前は何といっただろうか。取り留めのないただの思い出話だ。しばらく会っていなくても僕らには、記憶という共通の帰るべき場所がある。だから僕らはいつでもまた再び会うことができる。みなあの頃はとても若く、そこにはまだ過去さえもなかった。そんな彼らも今となっては、どこかに置いてきてしまった夢の続きを探して、僕のところに(そしておそらく僕以外の人のところにも)連絡をして自分を蘇らせるのだろう。 僕はいろいろな人と日々思い出話をするが、そんな中でも僕が一番好きな類の思い出話は、僕と相手が初めて出会ったときの話だ。多くの場合、出会いというものはあまりに自然で(だって僕らはみな出会うべくして出会ったからだ)それがいつだったのか、どんな状況だったかなんて覚えていない。それでも確かに忘れられない出会いの瞬間というものはある。だから僕はそれが僕の独りよがりではなく、相手と共にそんな瞬間を回顧し共有できたときにはなんとも言えない親密な空気を感じる。こういうのってすごく素敵だ。 僕の中にいつまでも忘れられない出会いの瞬間がある場合においても、もはやそれを共有することができないことだってある。大抵の場合、それは意識されることなく、とても事務的に処理されていくので、決定的な別れの瞬間というものは出会いほどに多くはなく、忘れられないものとなるだろう。それらのものに関して言うならば、確実にこの先共有されることはなく、もちろん思い出話にはならない。お互いが、決して絡み合うことのない眠れない夜に思い出すのだろう。きっと僕の場合にはビールでも飲みながら。 できればそんなものはこの先、増えていかないにこしたことはない。僕は人並みに、それでいて十分すぎるほどそんなものを積み重ねてきた。ただの思い出話をいつまでも続けていきたい。ある日突然、共通の場所に帰ってみたい。何度も言うようだが、そういうのって本当に素敵だ。 これからも僕は多くの出会いをしていく。そしてそれをきっと思い出話にする。素敵な時間を共有するために。
2005/09/30
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久しぶりに体調を崩した。眠れない日々が続き、昨日僕は理由もなく(どんなことにも理由はあるが、少なくとも僕に理由はわからない。)激しく嘔吐した。そして発熱。自分の脆さを呪い、その脆さを生んだ僕の自信の無さ、本当に自信を失うことから逃げて努力を怠ってきた半年の時間を少し寂しく、そして懐かしく思った。 いよいよ僕には後がなくなった。こうなると僕は強い。後がなくなって何度も人生を逆転してきた僕の真骨頂を発揮するときがやってきたのだ。陳腐な表現ではあるが、なんだかすごくドキドキするし、血が滾るのを感じる。そう、僕が求めていたのはこの緊張感だったのだろう。こうやって文章を書きながらも背中には冷や汗のようなものが流れ、武者震いさえも感じる。たまらない高揚感だ。僕は数年ぶりに闘う男になるのだ。 どんなときでも時間はあるようでない。だからといって慌ててはいけない。焦らず、地に足をつけて今日その瞬間にできることをする。こういうことって簡単なようで難しい。あせらず、たゆまず、おこたらず。世界はシンプルなものほど困難なようにできているのだと僕は思う。だから最後はシンプルなことをしっかりとこなせる人間が勝利する。これは僕の哲学だ。考え方によれば、勝利する人間はどんなに複雑なことでも、はたから見ればシンプルにこなしているように見える人間なのかもしれない。サッカー界のスーパースターのペレは現在までのサッカーの歴史において最も優れた選手の一人に数えられるが、彼がいったいどういった点で優れていたのか、という議論になると決まってたどり着く答えは一つ、すべての基礎が完璧だった、というものになる。これは大変に示唆に富んでいると僕は思う。 ちなみに彼はあるとき少年に「どうしたらサッカーがうまくなるのですか?」と聞かれて、「ボールが丸いことを理解しなさい。」と意味のわからないことを言った。しばしば天才の言葉はシンプルすぎて凡人には理解できない。
2005/09/24
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最近よく夢を見る。実際には人間は毎日夢を見ているらしいので、(ただ大半は記憶として定着しないらしい)正確に言うなら、最近、僕はよくインパクトのある夢を見る、ということになろうか。昨日の夢は自分でも笑ってしまうような内容だった。 僕の知り合いの女の子たちが、すりガラス越しに着替えをしている夢。すりガラスなのではっきりとその姿を見ることはできないが、ぼんやりとした全体像と色の識別くらいはできる。おそらく向こう側にいる女の子たちだって僕の方からそんな風に見られていることは承知のはずだ。女の子たちは皆一様に白色の下着を身に着けていた。この世にこんなにはっきりとした白色が存在するのか疑問に思うほどの白。小奇麗なウサギをしつこく漂白した後に、さらに洗濯機に放り込み、すごく天気のいい午後にベランダで干したような白だ。僕はその光景を一人で凝視するができなかった。(僕は実際はすごく照れ屋でシャイなのだ。)近くにいた友人はそんな光景には興味がないような態度をとり、視線を移そうとすらしない。だから僕は、僕と一緒にその光景を眺めてくれそうな他の友人の名前を叫ぶ。 夢から覚めて僕は少し恥ずかしくなると同時にとてもおかしさを感じてしまった。確かにそれは助平な夢ではある。知り合いの女の子と性交渉をするような夢であれば、僕であっても背徳的な気分を感じるし、罪悪感のようなものだってあるだろう。しかし、もともと僕はそのような夢はほとんど見たことがない。まして昨日の夢にはいやらしさのようなものは感じられなかった。まるで性に目覚めたての中学生が見そうなくだらない夢だ。やれやれ。 思えば僕は実際に、その夢で見たような純白の下着を身に着けている女の子を目にしたことがない。もっと正確に言うならば、女の子の服を脱がしてそこから純白の下着が姿を現す光景に出会ったことはない。こんなのってあんまりだ。僕は初めて女の子の服を脱がしたその日まで、女性の下着は9割近くの確立で白である、と無根拠に信じていた。少年の無垢で無害で非暴力的な想像力は、暴力的に打ち砕かれたのだ。それ以来、僕は来る日も来る日も厳しい現実を突きつけられ続け、想像力の欠如した大人になった。生きていくのって本当につらい。 断っておくが、僕は白い下着に異常なまでに執着を持つ変態ではない。(少なくとも自分ではそう信じている。)ただ少年時代、僕には僕なりの想像力と神話の世界があり、今でもそのときの記憶がときどき脳裏をかすめる。それだけのことだ。 下着、というものは男性にとって(僕の独りよがりだったらすいません)、神秘的なものである、と僕は信じている。アダルトビデオを借りることに何の抵抗や恥じらいを示さない僕が(たとえビデオ屋の店員が女性であっても)、下着売り場の前を通るときは何かしらの恥じらいを感じ、視線をそらしてしまう。以前、当時付き合っていた女の子と買い物をしていたときに、彼女が下着を見たい、と言い出してスタスタとそのショップに入っていってしまったとき、僕はどうしたらいいのかわからなくなって途方にくれてしまった。店の前で待ち続ければいいのか、僕は僕で違う買い物をしていればいいのか。結局、僕の足は動かなくなり顔は紅潮した。どこまでたっても時間がたたないような感覚が僕を襲った。彼女はとても遠くに行ってしまってもう戻ってこないような気がした。やたらにタバコが吸いたくなった。 先日、ガールフレンドとこんな下着についての話をしていたとき、彼女が不意に聞いてきた。 「あなたはどんな下着の色が好みなの?」 僕の脳裏は夢の中の下着の色のように真っ白になった。そんな質問を女の子にされるのなんて一体何年ぶりのことだろうか。あの時僕はなんて答えたのだろう。一瞬間をおいてやっと僕が発した言葉は「特に好みはないよ。」という素っ気ないものだった。やれやれ。 実際には僕は淡い水色の下着が好みである。それは下着だけに限ったものではなく、どうやら色の好み全般にわたるものであるらしい。ついこの間、僕が部屋の壁に貼ろうと思って購入した、数枚の絵葉書を覗きこんだ僕のガールフレンドによって指摘されて、それは発覚した。聡明な彼女は、僕のこの無言で無意識で非暴力的なメッセージをどのように理解したのだろうか。僕は僕の神話が、再び暴力的な手段で打ち砕かれないことを祈る。 ちなみに先日、僕は生まれて初めてパット入りのブラジャーというものを目にしたが、これはこれで刺激的なものである。たとえ歳をとっていっても、生きていれば日々いろんな発見があるのは確かのようだ。
2005/09/21
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僕はほとんど毎日ビールを飲む。家で、バイト先で、ご飯屋さんで、バーで。どこでどんなビールを飲んでもそれは基本的にはうまいものではあるが、やはりそれぞれに違った味わいがある。 僕が家でビールを飲むときには大抵、それは食事中ではない。誰かと家で食事をしているときは別だが、一人のときは食事中にビールを飲まないのが常なのだ。理由は自分でもわからない。単に料理を作って、それを食べながらビールを飲むのが面倒くさいだけなのかもしれない。僕は二つ三つのことを同時に、または順番にテンポ良くこなしてけるほど起用ではないようだ。家で飲むビールのベストはやはり風呂上がりだ。 外で飲む生ビールはやはり格別だ。僕がもっとも好むのはサントリーのモルツであるが、これが意外にも置いている店が少ない。京都は特にキリンが多いように見受けられる。モルツはビールの本場ドイツでも販売できるほとんど唯一の日本製ビールである。(正確にはもう一銘柄あるのだが。)というのも、ドイツには「純粋令」というものがあって、ビールには水、大麦、ホップ、酵母菌以外を含むものを販売することができないのだ。つまり、モルツはもっとも本場に近いビールの味なのである。米やコンスターチンを含む日本のほとんどのビールは邪道とも言える。 バーなどで海外のビールを瓶で飲むとき、僕はデンマークのカールスバーグを好んで飲む。このビールはまだ鉄道が登場していない頃に、馬車で酵母菌がドイツから運ばれて開発されたビールである。先人の苦労を偲びながら飲むとよりいっそうに味わい深い・・・気がする。 バーでビールを飲むことに抵抗と疑問を禁じえない人も中にはいるであろうが、僕はバーでこそビールを飲むべきだと思う。バーの生ビールは一杯分程度を捨ててから注がれるので鮮度が格段に違う(ように感じられる)。意外と多くの種類のビールを瓶で置いている店もある。おもしろい。 これほどまでにビールが好きな僕も、昔からこのような嗜好であったわけではない。18歳の頃から若干ビールを飲むようにはなったが、それはあくまでも付き合い上のものであった。さらにたいして好きでもないビールをサークルで無理やり飲まされたことで、むしろ僕は徐々にビールから離れていった。そんな僕がビールを好きになったのは、ある女の子との夕食デートがきっかけであった。女の子がビールを飲むのにもかかわらず、男の僕が飲まないわけにはいかない。僕は半ば、心の中で「やれやれ」とつぶやきながら生ビールを頼んでそれを飲んだ。「うまい」 結局、その女の子と僕の付き合いはうまくはいかなかったが、僕は確実に何かを得た。どんな付き合いにも得るものはある。そして月日は流れ、僕は毎日ビールを飲む。毎日僕がビールを飲むようになったきっかけは、このブログでもしつこいほどに書いた失恋によってである。どうやら付き合いだけでなく別れからも得るものはあるようだ。 この話の教訓1.モルツをあまり飲まない人は一度じっくり飲んでみるべきである。2.ビールがあまり好きでない人は恋をいっぱいすべきである。3.こんな話をしたところで女の子にはもてない。
2005/09/20
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実際にはそんなことはないのだろうけれど、我が家に一人でゆっくりと時間を過ごすのは久しぶりのような気がする。しなければならないこと、すべきことは山ほどあるのだけれど、目下のところ今日、この瞬間に片付けなければならないことは無い。強いて言うならば早く寝ることだろうか。けれど、こんな日に限って眠くなんてならない。だから僕は一人、筋トレをし、ゆっくりと風呂に入る。音楽を聴きながらタバコを吸う。今日はビールを飲まない。今日は僕の横にはお酌が特技の女の子はおらず、僕は自分でジョッキにビールを注ぐのが面倒くさいからだ。こんな夜も悪くない。気がつくともう夜明けが近づいてはいる。それでも最近はなかなか容易に夜が明けなくなってきた。秋だ。僕は季節を取り戻したのだろうか。 音楽や生活、物事の見方や考え方。僕はすこしずつ失った多くのものを取り戻してきた。それには多くの人の支えがあった。僕自身の努力なんてほとんどこれっぽっちもなかった。感謝。それに尽きる。 「元気になったんだね。」そう言ってくれる人がいる。もちろん、すこしずつ僕が元のように僕らしくなったとしても、すべてが元どおりになるわけではない。それでも、失ったものの代わり、というわけではないが、僕は新たなものを得て今を生きている。そして昨日が終わり、今日が始まる。 タバコがうまい。さあ寝ようか。
2005/09/19
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ひどく嫌な夢を見た。それはあまりにも映像が鮮明で、気味が悪く、完全無欠の悪夢だった。 僕は比較的よく夢を見るほうではある。それでも目が覚めてからしばらくすれば内容なんて忘れているし、もともと印象に深く残るようなものでもない。傾向として登場人物は前日に会った人、話題に出た人などが多い。しかしながら目が覚めて考えてみると、その登場人物は、現実のその人とはキャラクターやときには容姿さえもまったく異なっていて、僕がどうやって夢の中で人物の認識をしているのか疑問に思うこともある。 僕は今、悪夢から目覚め、その記憶と感覚ができるだけ鮮明なうちに、できるだけ正確に記述してみようと思う。そして僕は最後に祈るのだ。こんな世界が現実にはやってきませんように、と。 その部屋の床は硬いタイルのような床だった。タイルは一枚一枚がとても大きな黒と赤色のもので、それが交互に並んでいた。部屋はとても暗くじめじめとしていた。部屋の隅には水溜りのようなものができていた。僕はその部屋で必死に人形にむかって語りかけていた。その人形はとても気味の悪い顔をしていた。人形とぬいぐるみの中間のようなもので、顔は白く耳は黒くて、唇がやたらに赤かった。もちろん僕がそんな人形に話をするのには理由がある。その人形の中に、2人の女の子が吸い込まれてしまっているのだ。 人形には数体、または数百体に一体の割合で人を吸い込むものがあり、人間の中にも数百人に一人の割合で人形に吸い込まれる性質の人がいる。それらが偶然出会い、人が人形に吸い込まれることを欲し、人形がその人間を欲したときに、人は人形に吸い込まれていくのだ。一度、吸い込まれた人はいつ出てくるかわからない。あるいはそれはわずかに数分の出来事であるかもしれないし、ひょっとすると一生出てこないかもしれない。それは吸い込まれた人と、それを吸い込んだ人形にしかわからないのだ。 部屋にある不気味な人形は、まず僕の愛する人を吸い込み、続いて僕と彼女の共通の友人を吸い込んだ。僕には2人が人形に吸い込まれた理由なんて少しもわからなかった。人形の表に出てくるのは決まって友人のほうだった。彼女は人形の体を借りて話をし、人形は彼女の言葉を借りて僕と話をした。彼女は2人が人形に入った理由をよく考えなさい、と僕に言った。まるで僕に責任があるような言い方だった。でも僕にはまったく思い当たる節は無かった。だから僕は人形の奥に潜んでその姿を見せない、もう一人の女の子を表に出すように友人に要求する。「彼女は出てきたくないのよ。」そう言って友人までもが人形の奥へと入っていく。僕は表情を固め、声を失った人形に対して必死に話しかける。誰でもいいから出てきてくれ、僕と話をしてくれ、と。 隣の部屋にはどうやら僕の妹である2人の女の子がいた。2人は大きさこそ違えど、まったく同じ顔をしていた。(実際には僕には1人だけ妹がいるが、顔も声も実際の妹とは異なっていた。)小さいほうの妹が、僕にむかって1冊の絵本を差し出した。『世界には3つの国があります。金の国、銀の国、銅の国です。金の国の兵隊さんは立派な鎧兜を身に着け、美しく行進をします。銀の国の兵隊さんは少し質の低い鎧兜を身に着け、少し乱れて行進します。銅の国の兵隊さんはボロボロの鎧兜を身に着け、行進は乱れきっています。金の国の子供たちのもとには、世界各国から偉い政治家さんがやってきて色々なことを教えてくれます。』 妹は僕にその本を読み聞かせ、その中に何らかの教訓があるように僕に示した。僕には何の意味もわからなかった。 妹が部屋から出て行くと、今度は僕の母親らしき人物が登場した。彼女は僕に向かって、部屋の外には朝がやってきていて世界は動き出していることを僕に告げた。僕がテレビをつけると、オリンピックの開会式で選手たちが入場していた。それはまるで金の国の兵隊のように規則正しく美しい行進であった。 これが僕が見た夢の大筋だ。文章からは伝わりにくいだろうが、非常に気味が悪く恐ろしい夢だった。僕は幼い頃に何度か怖い夢を見たことを記憶しているが、物心がついてからここまで恐怖を感じる夢を見るのは初めてのことだった。具体的に何かが僕に恐怖心を抱かせるのではなく、その夢の中での歪んでいるすべてのものが僕に恐怖を感じさせた。気味の悪い部屋、人が吸い込まれた人形、顔の同じ2人の妹、意味のわからない絵本、その何もかもが、だ。夢の中で僕は泣き叫びながら、人形に向かって必死に愛する人を呼んだ。彼女は決して姿を現さなかった。誰も僕の話なんて聞かなかった。みな、意味のわからないことをしたり顔で言って、僕の前から消えていった。
2005/09/16
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台風が過ぎ去った。僕の住む京都は直撃を免れて被害はほとんど無かったように思う。僕への影響もほとんど無かった。それでも風は確かに強かったし雨もよく降った。とりあえず洗濯物はたまった。考えようによってはこれも立派な被害だろうか。 僕が大学院の受験に失敗し、転落を始めてからちょうど半年になる。あの日、僕は見えない道程を進む決意を固め、一歩を踏み出した。しかしその決意はわずかなつまずきから早々にくじかれ、僕は再び立ち上がることができなくなっていた。嵐は地面に倒れこんだ僕の真上を通っていき、いつまでもやむ気配は無かった。一つの嵐が通り過ぎていくと、また次には新しい問題が僕を襲った。僕は吹き飛ばされないように地面に突っ伏しながら、時間と嵐が過ぎ去ってくれるのをただ待ち続けた。そして半年の時間がたった。 僕は立ち上がろうと思う。とりあえず頭は上げてみた。地面ばかりを見続けていた僕の目には、僕がこの数ヶ月思い込んでいた以上に空が広く、そして青く映った。僕はこの半年に多くのことを考えながら、多くのことを考えないようにしていた。自分自身に多くの言い訳をして、多くの嘘をついた。 嵐は結果的に僕の周りにあったものたちを吹き飛ばしていった。どんなに悔やんでもそれはもう戻っては来ない。どんなに祈ってもいつか再び嵐はやってくる。でも僕は立ち上がる。ここから僕の逆襲が始まる。僕を軽んじて侮ったものたちに復讐をする日は近い。
2005/09/07
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いろんな人たちが僕の前を通り過ぎていく。僕の前である人は少しだけ歩を休め、ある人は振り向きもせずに。僕は彼らを必死に呼びとめようとするのだけれど、結局はみな僕の前からいなくなる。僕はただ独りで正しいと思うことを叫んでいるようだった。でも正しいことを口にしたからといって、正しい結果は何ひとつやっては来なかった。僕は何かを根本的に間違えているのだろうか。 朝、僕の部屋から一人の女の子が出て行った。なんだかいつか見た光景のようだった。僕は部屋で独りになり、朝から酒を飲んだ。眠ることも、何かを考えることもできずに、僕はただ体を動かした。もちろんそんなことをしたって何も解決はしない。無為に時間が過ぎてくれるだけだ。 ようやく眠くなった時間になってやかましく携帯が鳴る。そして僕は何年かぶりに女の子に告白をされる。まったくなんて一日だろうか。誰かがすべてを見ていて、僕をどこまでも混乱させようとしているみたいだった。複雑に絡み合った糸をほどこうと努力すればするほど、横から誰かが割って入ってきて再びそれを振り出しに戻している。答えなんてどこにも無い。だから僕は正直に答えが出ないことを告げるしかないのだ。 夜、僕は人を駅まで送って一人になった。その瞬間に激しすぎる通り雨が僕を強く打ち始めた。僕は家まで駆ける気力も無いままにただ雨に打たれる。僕がどれだけずぶ濡れになっても、体にこびりついた激しい憎悪と不快感はちっとも洗い流されはしない。僕がこんなに何かに対して憎しみや怒りを覚えるのなんていつ以来だろうか。 僕は誰も僕を待たない我が家に帰り、今は亡き王妃を想った。長きに渡り僕の横に座り、君臨し続けたあの王妃が今の僕を見ると、なんと声をかけてくれるのだろうか。きっとただ僕に優しく微笑みかけてくれるのだろう。今の僕にできることは、独りでただそんなことを想像することだけだった。でももう王妃はここにはいない。だから皇帝は変わらなければならない。慈愛を捨て、どこまでも残酷になるしかない。結局、僕は誰も幸せにはできないし、その結果ひどく自分自身を不幸にする生き物のようだった。それならばできるだけ多くの人々を不幸にしてやろう。そうすることでしか歴史に名を残せない不器用さを、誰かが理解して救ってくれるまでは。
2005/09/04
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すべてが予定通り、とはいかなかったけれど、僕は今日バイクに乗ってお昼ごはんを食べ、図書館へと行き、夜はおいしい日本酒と焼き鳥を食べた。とても悪くない一日だった。色々飲んだ中で『浪の音』という日本酒の大吟醸が一番の僕の好みだった。 早い時間に家に着くと、僕の連れは早々に眠りに着いた。きっと一日、僕のような男に付き合って疲れてしまったのだろう。黙ってこのまま寝かせてあげよう。 いよいよ8月が終わる。今年も例外なく暑い日が続いた。一度だけ月の初めに行った本州の海の記憶は、僕にいつまでも爽やかさを思い出させた。耳を澄ませばすぐそばから波の音が聞こえそうな気がした。9月にはどこへ行こうか。 一人で風呂から上がった後に、タバコを吸いながらテレビを見ているとアメリカには巨大なハリケーンが上陸したようだった。遠い国では夏なんてどこかに吹き飛ばされて忘れ去られてしまったみたいだった。 僕は一人夏の淵にたたずんでいた。もう一度耳を澄ましてみれば、波の音が聞こえてくる気がした。でも、実際に僕の耳に飛び込んできたのは、僕のベッドから聞こえてくる酔っ払いのいびきであった。
2005/08/29
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別に特別なことではないのだけれど、今年も夏が終わる。ふっとそんな気がした。実際に日は短くなってきているし、気温だって低くなってきている。それでも相変わらずビールはうまい。特別なことなんてどこにもない。 僕は今日も缶を2本、生を1杯、瓶で2本のビールを胃に流し込んだ。僕はこの夏、一体どれほどのビールを飲んだのだろうか。きっとかなりの量になるだろう。年齢別に『この夏ビールを飲んだ量選手権』をしたなら、少なくとも僕は全国大会に出場する権利くらいは獲得できるだろう。 思えばこの夏にはいろんなことがあった。僕は確実に人を傷つけて、少なからず自分自身をも傷つけた。それでも僕は少しずつ前に進んでいるようだった。夏が始まる前の僕に比べれば、僕は何倍もマシになっている。悪くない。 春から始まった僕の奇妙な新生活は結局、僕をどこにも連れて行かなかったし、何も与えてはくれなかった。むしろ僕は多くのものを失った。日常と非日常の区別なんてどこにもなくて、何が正常で何が異常なのかも僕にはわからなかった。僕に関して言えば“普通”や“いつもどおり”などという言葉は、何の意味も成さなかった。ビールの缶をいくつ積み重ねても答えは出なかった。 僕は今、それを再構成しようとしている。リズムを刻んで、規則正しくステップを踏もうとしている。だから僕は毎日、ビールを飲む。タバコを吸う。音楽を聴く。そして再びビールを飲む。きっと“日常”はこうやって終わるのだろう。あとはその始め方を学べばいいのだ。 明日は図書館へ行って勉強をし、夕食を食べる。もちろんビールを飲む。僕がまだ模索しているその始まりは、僕を眠りから覚ます1本の電話から動き出すはずだ。
2005/08/28
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いつもいつも同じようなテンションで暗い文章を書いていても仕方がないので、今日は少しばかり趣向を変えてみて違ったテイストでものを書いてみようと思う。ふむ、悪くない。 僕は自他共に認める愛国者である。この国とこの国の文化を愛し、この国に生まれたこと心の底からを感謝している。なぜならこの国に生まれなければ、きっと僕のような中流階級生まれの人間がこんなに良い暮らしをできるわけはないであろうと考えるからだ。飢えて死ぬ心配はないし、街を歩いていて銃を突きつけられる可能性だって極めて低い。うまいビールだってほとんど惜しみなく飲める。 これだけこの国から恩恵を受けているにもかかわらず、この国を愛せていない人たちがいると僕は本当に悲しくなる。そして僕はそんな人たちを見つけると聞いてみたくなるのだ。「あなたはこの国以外の無作為に選ばれたどこかの国に産み落とされたとしたら、今より素敵な人生を送れていると思いますか?」と。 僕はときとして、半分は冗談で、そして半分は本気で過激な発言をするので、僕のことを“右翼”と呼ぶ人たちもいる。たとえ彼らのイメージと意図が本来のそれと異なっていたとしても、“右翼”という単語は本来、保守主義者のことを指すので、この国とこの国の本質的文化を“保守”したいと望む僕にとっては、なんら問題はない。 もちろん僕は外国なんて好きではない。旅行に行きたいなんて微塵も思わないし、留学なんてさらさらだ。この国ですらろくに行きつくしたり、理解したりしていないのに、他の国に行く意味や意義なんて僕には見出せないからだ。他の人たちにとっては違っても、僕程度のキャパシティーしかない人間にはそんな余裕はない。そんな僕にも唯一行ってみたい“国”がある。台湾だ。 台湾は立派な“国家”である。少なくとも僕はそう信じている。そして素晴らしい親日国だと聞く。日本語が通じる。屋台は安く、うまい。香港が中国に返還されてからというもの、中華屋台チャンピオンのベルトは香港から台湾へと移ったらしい。 僕は「日本や日本人が嫌いだ」なんて言う人たちがいる国に行って、金を使いたくはない。台湾ならばきっとそんなことはないだろう。今、僕の友人が台湾へ旅行に行っている。きっとおいしいものを食べて、すごくご機嫌になっているだろう。もしかしたら少しばかり太って帰ってくるかもしれない。実にうらやましい。志村けんや金城武にだって会えるかもしれない。 考えてみると、僕は海外はおろか国内ですらほとんど旅行などしたことはないようだった。どこに行きたいか少し考えてみた。僕はここ数年、鹿児島へ行ってみたかった。昔ガールフレンドと、そんな計画を立てたこともあった。結局その約束は果たされることはなく、どこか遠くの空へと消えてしまったのだけれど。だから今度、僕のいろんなことが少しずつ整理されていろんな問題をクリアしたときには、鹿児島へ行ってみたいと思う。一人も悪くはないが、できることなら前半部分で書いたような僕の歪んだ考え方を理解してくれる大切な人と行ってみたい。そんな風に僕は思う。
2005/08/22
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友人が大阪の病院で腫瘍の手術をした。以前から予定されていたその手術は命に別状がある類のものではなく、彼は電話でも元気そうだった。しかし、僕はわざわざ東京から手術のためにやってきたこの友人を見舞いに、大阪の隣の駅天満へと向かった。 阪急電車に乗るのは久しぶりのことだった。昔、といってもそんなに大昔のことではないのだけれど、昔僕はよくこの電車に乗り、烏丸と梅田を往復した。阪急電車に乗るのも久しぶりのことではあったが、梅田駅で降りるのはもっと久しぶりのことだった。 京都のど真ん中に住む僕にとって、梅田という街はさほど重要度の高い街ではない。それでも僕は、去年ずいぶんこの駅と街に来たようであった。手をつなぎながら街を歩き、夕食をとり、酒を飲み、手を振って別れた。京都から愛しき人を見送るときも、僕はこの駅までやってきてここでさよならをした。僕は何度、ここで手を振って「さよなら」と言ったのだろうか。僕が彼女に言う“さよなら”はいつも優しさと愛情に溢れていた。それはきっと彼女も同じであったはずだ。でも今、僕にはここで“さよなら”を言う相手はもういない。 病院からの帰り、僕は一人になってJR大阪駅から阪急梅田駅まで歩いた。外は雨が降っていた。数え切れないほどの足音が雨を踏みしめていた。僕は幾度となくこの道を歩いたはずだった。二人で手をつなぎながら、また時には彼女を見送った後、一人で。僕はこの道を歩み、どこへ向かおうとしていたのだろうか。今となっては何もわからない。人ごみの中を歩くのは、僕にとってとても困難な作業のように感じられた。 彼女を送った後、何度となく一人で乗った梅田から烏丸までの電車に、僕はあの時と同じように一人で乗り込み、あの時と同じように本を読んでいる途中でぐっすりと眠った。電車を降りるとそこは日曜の夜の静かな京都の街だった。僕はやっとどこかから戻ってきたような気がした。すでに梅田は僕にとっては終わってしまった街であった。多くのものは失われてしまい、もう決して戻ってくることはなかった。僕は、僕の手元に残ったわずかばかりのものたちを、もう一度再構築しなければならない。この街で。
2005/08/21
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8月16日。僕がこの世に生を受けて23年のときがたった。激動の22歳が終わり、僕のもとに聞き慣れない23歳、という響きがやってきた。おめでとう僕。さよなら、そしてようこそ僕よ。 23歳になった瞬間、1年前とは違って、僕の周りには多くの人がいた。ビールを飲み干すと、みなが僕のために歌を歌ってくれる。1年前に僕が想像していたものとはかけ離れたこの誕生日は、決して悪いものではなかった。そして僕がおめでとうと言ってほしい誰かが僕におめでとう、と言ってくれる。 思えば波乱に満ちたこの1年、僕はそれまでの年とは比べものにならないくらいたくさん笑って、たくさん泣いた。僕は精一杯生きて、今ここにいる。 夕方、僕は去年と同じ道を歩いて、同じ場所で五山の送り火を見た。8月16日という日は、京都に住む人間にとっては、それなりに意味のある日である。四方の山々に火が灯され、我々はそれを目にして、夏が終わっていくのを感じる。秋はすぐそこまでやってきているのだ。三条大橋から大文字を見ると、1年前の出来事がまるで昨日のことのように感じられる。あの日、僕が目にした光景は今年も変わらない。きっと来年も、再来年も変わりはしないだろう。でも僕自身や、僕を取り巻く環境は変わっていき、僕の隣にかつていた誰かはもう今はいない。でも確かに、変わらないものや留まり続けるものはある。だから僕は僕のまま歳をとっていくのだと思う。僕は決して僕がなりたかった23歳になっているわけではないが、だからと言って多くを悲観することはないはずだ。 前日から半年振りに京都に戻ってきた友人とビールを飲む。疲れきっていた友人は店に入る前の宣言どおり、1杯でその手を止めたが、もちろん僕にはそんなことをできるはずはなかった。5杯目の生ビールをもってしてでも僕を酔わせることなどできない。やれやれだ。 23歳になったからといって、ビールがうまくなるわけでもまずくなるわけでもなかった。僕は少しがっかりすると同時に、少しだけほっとした。もう1杯だけビールが飲みたかったが、僕はそれをやめた。明日になってもビールは消えてなくなりはしないし、その姿を変えたりもしない。ビールは明日もビールで、僕もきっと明日も来年も僕なのだ。
2005/08/16
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午前6時。急にカレーが食べたくなった。別に僕にとっては珍しいことではない。僕はカレーという食べ物が大好きなのだ。思えば僕は色々なところで色々なカレーを、それこそ数え切れないほどに食べた。それでも印象に残るカレーは間違いなくある。 僕がカレーを作るときにイメージするのは、昔(といってもそんなに遠い昔ではない)、僕が僕のガールフレンドに作ってもらったカレーライスだ。それはどこまでも基本的で、どこまでも家庭的なカレーだった。そしてとてもおいしかった。親密な味がした。だから僕はビールを飲むのも忘れかけて、お腹がいっぱいになるまでそれを食べた。心の底から「おいしかった」と言い、僕は食器を洗う。彼女は僕がテストを受けている間、おそらくはずっとカレーを煮込み続けていたのだろう。想像して僕はもう一度「とてもおいしかった」と言う。昔の話だ。 僕がカレーを作るときには、いつも誰かのためにそれを作ることを想像して、キッチンに立つ。CDを何枚かチョイスし、たっぷりと時間をかける。まずはたまねぎをみじん切りにし、それをとにかく炒める。みじん切りにしたたまねぎがほとんどその姿をなくすと、今度は普通に刻んだたまねぎを炒め、少しして牛肉のそぼろを入れる。次は人参、ジャガイモなどの野菜の番だ。水を入れ、鶏肉、カレーのルーを入れる。後は鍋の前で考え事をしながら、ただ時間がたつのを待てばいい。でももちろん時間は“ただ”たってなんてくれない。 午前6時半。相変わらず、いやさらに僕はカレーが食べたくなった。だから今日の夕食はカレーに決まりだ。きっと僕にだってカレーを作ってくれる女の子くらいいるだろう。でも僕は、僕のためにたまねぎを炒め、カレーを煮込む。おそらくは。 外では雷が鳴っている。雨が降らなければいいな、と僕は思った。せっかくカレーを作って食べるのであれば、夏のひどく暑い日がいい。煮込みながら鼻歌を歌って汗をかいてビールを飲む。そんな週末の午後が僕の好みだ。
2005/08/13
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ひどく嫌な夢を見た。僕は僕の尊敬する“先生”にひどく怒られ、罵られ、それを聞いていた後輩たちに嘲りを受けていた。だから僕は自分でもはっきりとわかるくらいに歯軋りをして目が覚めた。僕はひどい夢を見ていないときでも、おそらく歯軋りをしているのだろうが、自分でそれをはっきりと感じて目が覚めてしまったのは久しぶりのことだった。“疲れている”なんて一言ではすべてを片付けられそうになかった。 久しぶりに友人が京都にやってくる。半年前に京都から旅立ち、今は東京で日々と格闘している友人。僕は彼の旅立ちの日に、仕事中にもかかわらず大泣きをしてしまった。別れを惜しんで僕は彼と抱き合った。彼の横には彼のガールフレンドがいた。僕が一人、泣きながら家に帰ると、僕のガールフレンドが僕を待っていた。僕は彼女を強く抱きしめた。あれからもうすぐ半年になる。 僕は誰にもどこにも行ってはほしくなかった。それでも結局はみんなどこかへ行ってしまう。彼の横にはもうあのときのガールフレンドはおらず、それは僕もまた同じである。京都というこの土地は彼にとっては“遊びに来る”場所に変わった。僕は相変わらずここにいて何かを待っている。でも待っていたって結局、何も僕のところにやっては来ない。“何か”を待っているうちは“何も”始まらないのだ。夢の中以外では、誰も僕を叱ったり、罵ったりはしてくれなかった。笑われるのには慣れたけれど。 僕もいつかこの土地を離れてどこかへ行くのだろうか。そのとき僕のことを思って涙を流してくれる友人や恋人はいるのだろうか。もちろん今は何もわからない。それでも、“きっと”“おそらく”という言葉は僕にただ希望を与える。僕はそれを胸に今をここで過ごしていく。 そう、あれからもうすぐ半年になるのだ。
2005/08/10
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久しぶりにお気に入りで行きつけのkissというバーに行った。初めてそこに行ったときからずいぶんと時間はたってしまったようだった。僕はもうすぐ23歳になる。本当に時間がたつのは早い。 1年前の自分を思い出す。僕は最近、1年前の自分に会って話をしてみたい、と思う。 「来年、君は似合いもしない金髪になって、夜毎、酒を飲み人生に失望するんだ。そして毎日、後悔する。それでも大丈夫、僕(そして君)は生きているし、少しずつ前に進んでいくから。でもこの瞬間を精一杯生きろ。その時間は君にとって(そして僕にとっても)かけがえのないものになる。今の君があるから僕は生きていけるんだよ。」と。 店の中はそれなりに混んでいた。カウンターだけの12席で狭く、バーテンとの距離は近い。照明は暗すぎず、音楽はうるさすぎない。バーテンはおしゃべりなお兄さんで、チャージはない。女の子を口説くには不向きな店。そんなバーが僕の好みだ。ビールがハイネケンだとなおさらよい。 僕は歳をとることに、そうもうすぐ23歳になることにひどく悲観している。心から僕におめでとう、と言ってくれる人なんて僕にはいないから、きっと僕の誕生日はちっともめでたくはない。 でも僕はまだ若い。すべてがゼロになった僕にはいろんな可能性があるはずだ。そう考えよう。 店を出ると外は朝になっていた。僕が見たり触れたりしたかった夜風はもうそこにはなかった。朝の淵には僕の他には誰もいなくて、いつまでも時間は過ぎ去りはしないようだった。それでも実際には時間は確実に過ぎていく。進みだした自転車は僕をどこへ運ぶのだろうか。それでもどこかへ行きたいのなら、僕自身がそれをこいでいかなければならない。少しずつ、ゆっくりと。
2005/08/07
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相も変わらずただ毎日を生きている僕。そんな僕にあってもそれなりに楽しいことだってある。僕にだって何かを楽しむ権利はあるはずだ。 見慣れてしまった夢を見る。それでもようやく僕にはそれが夢であることはわかってきた。夢はいつか必ず覚める。問題はその後にどれだけ現実と向き合えるかだ。僕は僕なりに見えない何かと闘ってきたと思う。でき得る限り。 海に行った。僕は海が好きだ。海の近くの街で育った僕。いつも海から吹く風に吹かれてどこかに飛ばされそうになりながら、僕は必死に踏ん張ってきた。足元ばかりを見ながら。ふっと顔を空に向けたそのときに見えた空は、どこまでも高くどこまでも青かった。そうか、世界は足元にあるのではなく、どこまでも、そうどこまでも広がっているんだ。 僕は初めて本州の海に行った。それは結局同じ海でありながら、僕の知る海ではなった。すべては繋がっているようで繋がっていない。誰かが何かでそれを繋げなければならない。そして誰かが、僕と海に行きたい、と耳元で囁いた。でも僕の回りには誰もいなかった。僕は潮に流されてずいぶん遠くまで来てしまったようだった。 気がつくと僕は眠ってしまっていた。夕暮れの世界は実に美しかった。それは手を伸ばせばすぐそこにあった。 僕は君を忘れない。君と過ごしたあの時間を忘れない。だからこそ僕は前に進んでいくことができるんだ。 海はどこまでも僕の眼前に広がっていた。先なんて何も見えなかった。それでも何かがいつか見えてくる。僕はそう信じたい。だから僕は進めるんだ。君がいなくなっても、誰かの手をとって僕は進んでいく。先の見えない大海原へと。
2005/08/03
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最近よく行く、行きつけのおしゃれなバーへ行く。毎度毎度連れて行く女の子が違う僕。それに触れずにうまく会話をするバーテン。隣にいるかわいい女の子。 「ここ、よく来るお店なの?」「うん、近所やしね。」 世界は実にうまくできている。革命が至る所で起きて、僕が描いたとおりの世界が出来上がる日は、そう遠くないのかもしれない。 僕は日々、悩んでいる。悩み続けている。でも結局、そうしたところで解決する問題なんて何ひとつないし、時間は待ってはくれない。時間は伸びてほしいときにも、縮んでいてほしいときにも、その頑迷さを決して崩しはしない。だから結果として僕らは悩み、苦しむ。 僕は今でも毎日がツライ。でも今日、ある瞬間に一つの考えが頭をよぎった。“ツライ”って一体なんだろう。何が“ツラ”くて、それによって僕はどうなるのだろうか、と。僕の馬鹿な母親が、(彼女は本当に頭が悪くて、尊敬すべき幸せな女性なのだ)よく馬鹿の一つ覚えのように「死ぬわけじゃあるまいし。」と言っていたのを思い出した。馬鹿な女だ。だからこそ彼女は幸せで、時にその言葉は僕の胸を打つ。母親は馬鹿であるが故に偉大である。少なくとも僕の場合は。 閉店まで飲み続けても僕はまったく酔わなかった。女の子の悩みを聞く。彼女を送る。でも僕は今日は、家の前までは送らないし、次の約束だってしない。世界はうまくできていると同時に、それであるが故に複雑である。そしてその住人たちは皆それぞれに地獄を抱えている。不幸は至る所にあって、それは目をこらさずとも見えるのだけれど、幸せはそうではない。でもきっと本当は幸せだって至るところにあるのだろう。それは目に見えたり、手にとったりできる類のものではないだけなのだ。僕は久しぶりに楽しい時間を過ごせたし、うまく何かを演じることだってできた。僕一流のしたたかさだっていつか戻ってくるだろう。 僕には未だ好きな女の子がいるし、その事実は僕をいくつかのチャンスから遠ざけたであろう。でもだからと言って僕は、今まで以上に不幸になったわけではないし、“ツラさ”が増したわけでもない。この事実の一体何が悪いのだろうか。僕には世界で最も愛すべき、素敵な女性がいる。そしてその女の子とはもう会えないかもしれないけれど、それでも僕はまたいつか二人が会える日を信じている。これが僕の真実だ。僕はその間に誰かを好きになる。多くの嘘をつくかもしれない。人を傷つけるかもしれない。そして僕自身をも再び傷つけるかもしれない。だからと言ってなにが僕の身に起ころうか。“死ぬわけじゃあるまいし” 相変わらず外は雨が降っていた。僕はカーテンを開けて外の世界を見た。雨雲はどこまでも続いていて、いつまでも空が晴れる気配はなかった。でも一体“晴れる気配”ってどんなものだろうか。一瞬何か電波のような感覚が全身に走って“晴れ”を感じるのだろうか。もちろんそんなことはないだろう。気配がなくてもいつか雨は上がるし、空だって晴れ渡る。そして僕は僕以上でも以下でもなく、生きていく。死ぬわけじゃない限りは。
2005/07/26
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久しぶりに他人の恋愛相談を聞いた。後輩と悲しい思い出話をした。仕事が忙しくて疲れた。バイト先の社員と飲みに行った。冗談半分で社員になることを勧められた。心が揺れる自分がいた。飲みに行ったときに一緒になったお姉さんが美人だった。彼らを見送って僕は一人になった。洗濯機が回る。ついでに扇風機だって回る。やれやれ、僕は相も変わらずクソくだらない毎日を送って自分をすり減らしている。 気がつけば今、この瞬間は月曜の朝だ。まっとうな大人たちはスーツに袖を通して会社に向かっているだろうし、まっとうな子供たちはテスト勉強の最後の追い込みをしているはずだ。そしてまっとうではなくて、さらに大人でも子供でもない僕はというと、クソくだらない一日、そして一週間が終わり、酒に酔いながら一人パソコンにむかって、僕の日常、そして僕自身と同じようにクソくだらない文章を書いている。やれやれだ。 窓の外ではやかましくせみが鳴く。僕もせみになれたどんなに楽だろうか。ただひたすらに鳴いて、求愛をし、子供を作って束の間の幸せを得、生命を全うする。僕はいったい何であって、何をすべきで、何をしてはいけないのか。何もわからない。僕には言うべき言葉もなければ、言うべき相手も、何かを言ってはいけない相手だっていない。くだらないな、と思ったところで、誰も僕に「そんなことはないよ」なんて言ってはくれないし、もちろん「君の言うとおりだ」と言って相槌を打ってくれる人もいない。 僕は久しぶりに手紙を書いた。その内容は今日のこの文章以上にバラバラで、崩れてしまったパズルみたいだった。僕は誰かに伝えたい言葉はもう決して伝わることはないし、伝わったところで何一つ問題は解決しない。飴細工のような言葉は、すでにすべてが溶け切ってしまって、二度と元の形に戻ってはくれないのだ。手紙は僕にすら読み直されることはなく、ゴミ箱に捨てられた。 こんな日は寝るに限る。僕にはコンタクトレンズをはずす気だって起こらないし、風呂に入る気だって起きない。勉強なんてさらさらだ。僕は携帯の電源を切ってベッドに寝転がる。 『明日になってみれば世界の仕組みが根底から変わっていて、僕の考え方がすべての基準になる。』 そんな夢を見てみたかった。
2005/07/25
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久しぶりに女の子としっかりとしたご飯を食べに行った。以前から行ってみたかった炉端焼きの“蛍”という店だ。ビールを2杯、ワインをボトルで1本、その後バーに移って再びビール、カクテルを4杯。おかげで僕はまたしても道を踏み外した。僕が行きたかった店に、一緒に行きたかった女の子は結局そのコではなかったし、後で行ったバーは僕が好きだった女の子との最後のデートで行った場所であった。だから僕は今日、飲んでいる途中でタバコを頼まれて買いに行ったときにひどく悲しくなって、電柱を強く殴ることになった。今でもこぶしが痛い。でも僕が傷つけた人たちはきっともっと激しい痛みを味わったのだろう。だからといって僕のこの痛みが今、消えてくれるわけではないのだけれど・・・。 誰かに必要とされるのは悪いことではない。自分の存在がはっきりと確認できなくなっているときにはなおさらだ。僕はそうされることで自分の立ち位置を確認できるのだ。しかしながら僕が必要としているのはその女の子ではなかった。僕だっていつまでも過去にとらわれて生きていくわけにはいかない。新しい恋だってしたいし、誰かを、そうまだ見ぬ誰かを幸せにだってしたい。でも僕が必要としているのは君ではないし、僕は君を幸せにはできないんだ。違う。すべてが間違っているんだ。 午前4時。僕はタクシーを拾える場所まで彼女を送って、一人家路に着いた。やれやれ、僕は一体何をしているのだろうか。僕は今、どこにいてどこに向かっているのだろうか。途中のコンビニで缶ビールを買って飲んでみた。ひどく苦い味がするものだと思っていたが、それはまったりと舌に残ってやたらに甘く感じた。こんな日もある。 家に着くと当然のことながら電気は消えていた。僕はそのままベッドに寝転がった。部屋全体に広がった慣れない嫌なにおいが鼻をついた。僕は缶ビールを飲み干して必死になってタバコを吸った。暗闇の中で燃えるタバコは僕に、昔見た蛍の光を想起させた。タバコの火を消して目をつぶってみると、ぽつぽつと小さな光が見えた。僕は昔のように手を伸ばせばそれをすぐつかむことができるような気がした。でも結局、それはただの僕の思い出で、蛍も小さな光も僕の手には収まってはくれなかった。
2005/07/23
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頭の遥かに上のほうで電話がやかましく僕を呼んでいる。僕はその音で現実世界へと引き戻された。やれやれだ。手を伸ばして携帯を手にしようと思ったが、手が届く範囲にそれはないようだった。自分の姿に目をやると、下半身があらわになっていた。上半身にはTシャツが着てある。僕はとっさに隣に目をやった。もちろん隣には見知らぬ女の子なんていなかったし、見知っている女の子もいなかった。現実はドラマのようにはいかない。記憶にある範囲では僕はしっかり女の子を家まで送ったはずだ。酒に酔っていたわけではなかったが、とにかく眠かったのを覚えている。どうやら僕は家に一人で帰ってきた後に風呂に入ろうと思い、パンツを脱いだところで力尽きたようだった。体を起こそうと思ったが、まだ僕は目覚めてはいないようだった。そう、僕はまだ眠っているのだ。 やっとの思いで携帯電話を手にすると例の札幌の女の子から電話がかかってきていた。やれやれ、僕はこんな電話で目覚めたかったわけではないのだ。かけなおしてみると彼女は相変わらずわけのわからないことばかり話していた。かろうじて僕が理解したのは彼女が4年付き合ったボーイフレンドと別れた、ということであった。直接的に僕にかかわりはないが、僕が彼女の前に再登場しなければ、きっとこの別れは発生しなかったであろう。僕はまた一人、不幸な人間を増やしてしまった。いや、この場合は二人か?どちらでもいいが、僕は最近人を不幸にしてばかりいる。誰かを傷つければ僕だって傷つく。僕はそれを意にも介さないようなヒール(悪役)にはまだなれそうもない。 相変わらずわけのわからない話は続いていた。彼女は会話の中で僕がしゃべった後に何度か、「はっきり言って」という単語を使った。彼女が「はっきり言って」と言ったときには、決まって何もはっきりとは言わないし、当然のことながら内容だってよくわからない。そもそも僕には彼女の話を聞く気なんてないのかもしれない。彼女が「はっきり言って」と言うときには、僕に対しての攻撃的な意味合いが含まれているのだ。彼女と議論をする気なんてさらさらないのだが、それでも攻撃的に話をされれば苛立ちを覚える。きっと昔の僕なら完膚なきまでに彼女を叩き潰して、彼女は泣きながら電話を切ったであろう。でも僕は今、疲れている。それに僕は未だ眠っているのだ。僕は電話口で寝たふりをして、何も話をしなくなった。彼女は僕が寝てしまったと思い、電話口から何度も僕の名を呼んだ。うるさい、僕の名を呼ぶな。“僕は未だ眠っているのだ。” しばらくして電話が切れた後、僕は熱いシャワーを浴びた。前日から引き継いだ汚れと疲れは、なかなか取れそうもなかった。僕はいろんなことを洗い流してリセットしなければならない。どれだけ熱いシャワーを浴びても、まったく目が覚める気はしなかった。水滴が飛びはねる音はやがて、だれかが僕の名を呼ぶ声に聞こえてきた。でも実際は誰も僕のことなんて呼ばない。いや少なくとも、僕が僕の名を呼んでほしい誰かはもう、僕のことなんて呼ばない。僕は水を止めることも忘れて、その誰かの名を声に出して呼んでみた。その頼りない声は風呂場の壁にぶつかって下に落ち、僕の体の汚れとともに水に流されていった。僕は未だ眠っているようだった。
2005/07/22
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僕は混乱したり、気分が迷った日には洗濯をする。これは僕が4年と少し前に一人暮らしを始めてから行っている習慣だ。前回洗濯済みの服をたたんで片付け、汗や汚れを吸い込んだ服をきれいにし、しわを伸ばして干す。そうすれば少しは気分が晴れるような気がする。結局、それはあくまでもそんな気がするだけで大抵は、洗濯物と違って僕の心はちっともきれいになんかならないし、しわだって伸びないし、それをどこに片付けたらいいのかだってわからない。さて今日はどうだろうか。洗濯機は思わせぶりに今も回り続けている。 今日は久しぶりに、本当に久しぶりに家で一人で夕食をとった。最後に一人で食事をしたのは一体いつだろうか。かろうじて思い出せるのは、今日の前に一人でこの部屋で食事をしたときに僕が、確かレトルトのカレーを食べて、(僕はカレーが大好きなのだ)ひどく気分が悪くなり、ほとんどそれを食べることなく吐き出した記憶だ。僕はそのとき、大好きなカレーを食べることすらできなくなっていた。それに比べ、今日はしっかりと一人で食事をすることができた。なぜか涙が出てきた。昔、一人で夕食をとっているときによく電話がかかってきた。大抵僕はその電話に出ず、ゆっくりと食事を終わらせて、さらに食後の一服をしてから電話をかけなおしていた。「ごめんね、飯食ってたんだ。」 そんなことを思い出しながら、僕は食事中に携帯電話に目をやったが、もちろん電話は鳴らなかった。 久しぶりに僕は一人ぼっちを実感した。僕は誰にも話すべき科白を持たなかったし、もしそれがあったとしても、誰もそんなものに耳なんて貸さなかっただろう。そう、僕は一人になったのだ。4年間の一人暮らしの生活を思い出してみると、どうやら僕は一人の期間とそうでない期間を、一年ずつ交互に過ごしているみたいだった。僕が一人でいる期間はなんら珍しいものではないのだ。でもそんなことがわかったからといって僕の気持ちが軽くなるわけではなかった。むしろ余計に寂しくなった。僕は、今までの僕が一人で暮らしていた期間に、自分がどうやって生活していたかを思い出そうとしたが、どんなイメージも湧いてはこなかった。それらの記憶はすっかり洗い流され、しわも伸ばされた上にきれいにたたまれて、どこかに片付けられてしまったみたいだった。 僕は、僕の隣で誰かが一緒に夕食を食べているところを想像してみた。きっと僕はビールを飲んで顔を赤らめているだろうし、それを見て隣にいる誰かは僕から3本目のビールを取り上げるだろう。そしてそれを自分のグラスに注ぐ。冷蔵庫の中にはもうビールはない。だから僕はきっと心の中で“やれやれ”などとつぶやきながらタバコに火をつけるのだ。本当にやれやれだ。 気がつくと思わせぶりな洗濯機は答えを出した様子であった。僕はタバコの火を消して飲みかけのビールの缶を置き、おそるおそる彼に近づいてみた。蓋を空ける、という行為を僕が行うのは、ひどく間違ったことのように感じられた。僕は目をつぶって息を大きく吐き出しながら蓋を開け、ゆっくりと両目を開いた。僕の目に映ったものは、案の定、複雑に絡み合った洗濯物だった。今の僕にはそれをほどいていけそうな気がしなかった。
2005/07/18
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朝方に一人でぬるくなったビールを飲んでいて気分が落ち込まない人がこの世にいるなら、僕は間違いなくその人を尊敬できると思う。つまり僕はいまだその境地には到達していないわけで、僕は今、疑いもなくテンションが下がっている。そんなときはうまく眠れない。昔のことを思い出す。今日のちょうど半年前にはこんなことをしていた、ちょうど20週前にはこんなことをしていた、などなど。僕はこういう類のことに関しては異常なまでに記憶力が発達している。思い出してつらくなって、自分の記憶力を褒め称える。不思議な男だ。次から次へと沸いてくる過去の思い出に無理やりふたをするのは難しい。だから僕はこんな日には、もっともっと大昔のことを思い出すことにしている。そうすれば近い記憶を一時的に忘れることができるし、気がついたときには眠っていることもある。悪くない。 必死に昔のことを思い出していると、高校時代のイメージが沸いてきた。これくらい遠くまで来ればもう大丈夫だろう。さてさて場面は卒業式だ。 僕の高校時代の卒業式。僕はこれをきっと、たぶん、おそらく、忘れることはないだろう。それぐらい僕にとっては印象深いものだった。僕の通っていた高校は私服の学校だったので、卒業式にはみんな、特に女の子はおめかしをして出席する。それまでの受験勉強でダサくてもさい格好をして勉強をしていた猿たちが、数ヶ月の自分を消し去るように精一杯着飾る。大学に受かったもの、落ちたもの、進学しないもの、みんなこの日はそんなことは忘れる。結局、浪人生活に突入するものたちは、この日に忘れた決意を思い出すために数ヶ月の時間を要することになるのであるが、ここではその話は関係ないので省く。 男猿たちは決まってみんなスーツなのであるが、女の子は本当にみんな色々な格好をしてくる。ドレスに振袖、チャイナドレス、ナースだっている。なんだここは、多国籍の多目的専門学校か?なんて疑問まで沸いてくる。やれやれ本当に動物園みたいだ。 盛り上がった式も終わり、教室で写真などを撮りながら友人と話をしていると、チャイナドレスを着た格闘家のような女が僕の元に近づいてきた。今にも僕に殴りかかってきそうな表情で。ひどい回し蹴りや香港映画でしか見たことのない技をかけてきそうだ。僕は自分が何かまずいことをしたか必死に思い出したが、何も思い当たるふしはなかった。オレは何も悪くない、さぁ来るなら来い。 「Tにビンタされた。」 彼女が発した言葉に僕は耳を疑った。Tは僕と複雑な関係にあった、例の女の子だ。彼女は高校3年で僕と格闘家と同じクラスであった。僕のせいで僕に対して3年間、歪みきった愛情を抱いていたTは、クラスで僕が女の子たちと仲良くなっているのに非常に嫉妬し、頭がおかしくなっていた。僕はといえば、そんなことにはお構いなしで、Tとはまったくクラス内では会話をせず、都合のいいときにだけ電話をしたり家に行ったりしていた。格闘家Aは元はTの友人であったのだが、3年生になって僕と仲が良くなりそのせいもあってTとの関係は冷え切っていた。女って本当にややこしい。さらにそれをややこしくしたのは僕なのだが・・・。僕は仲が良くなるにつれてAに対して恋心を抱くようになっていた。結局それが実ることがないことを知ってはいたのだが。僕の高校最後の恋は、ひどく複雑なところに迷い込んでいた。そしてTがAにビンタをした。 「なんで?」僕は恐る恐るAに尋ねる。 「知らんっ。」もちろんAの目には未だ怒りの炎が燃え盛っている。 「で、どうしたのよ?」「もちろんし返してやったさ。」 僕は全身に寒気が走るのを感じた。Aは女の子とは思えないくらいに筋骨隆々であったし、それに比べTは小さく細い華奢で見るからに不健康そうなコであった。ビンタの衝撃で首が一周してしまうのではないだろうか、と思った。ちょっとした暴行事件だ。っていうよりやくざ映画だ。むしろホラーかもしれない。それにTがそんな行動に出れば、僕とTとの関係が露見してしまうかもしれないし、そうなればAを初めとするクラスの女の子や知り合いから軽蔑されるのは必至だ。やがて僕の恐怖は怒りへと変わった。Tにはあれほど、言動と行動は慎重にするように言ってあったのに・・・。 今日は祇園祭の宵々山だ。暑い。騒がしい。そして懐かしい。現実に戻ってきた僕は、日付と時計を見て、自分が今いる時間を思い出した。夜はとっくに明けていたし、昼までももう終わってしまったみたいだった。やれやれバイトに行こうか。 どんなに昔のことを思い出しても結局、僕はここにいるし僕の思いはどこにも行ってはくれなかった。ちょうど一年前のことを思い出した。どんなに思い出してもその時間は戻ってこない、ということがまだ僕にはわからなかった。こんどはいったいどれほど昔のことを思い出せばよいのだろうか。
2005/07/15
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確かによく聞くフレーズではある。けれど僕は基本的にはそれを信じてはいない。思えば僕はいろんなことに対して不信であるすぎるのかもしれない。 1ヵ月ぶりに“別れ”た女の子に電話をした。ひどく落ち込んだ。悲しくなった。泣きたくなった。だから僕は実際にひどく落ち込んで涙を流した。やれやれ、生きていくのって本当にツライ。 春は“別れ”の季節だ、なんていうのも、よく聞いたフレーズだ。みんなと同じように僕は、僕らは他の人たちとは違う、と信じていたし、春は素敵な季節になるはずだった。でも実際には春は、やはり僕にとっても平等に公平に、その残酷な姿をさらけ出したし、僕は僕でありながら、他の人たちとなんら変わりなかった。出会いの数だけ、とは言わないまでも、実際にそこに“別れ”はあった。僕はひどく人を傷つけたし、それによって僕は僕自身をもひどく傷つけた。 春は今となっては遠くの景色だ。今日もひどく蒸し暑いし、僕はジーパンではなくハーフパンツを履いている。偉い代議士はスーツを脱いでクールビズに袖をとおす。それでも“別れ”はやってくるし、僕はいつまでも過去の自分に縛られたまま、どこにも行けなくなっている。 最近は僕の周りでも“別れ”が多い。僕は最近、他人の幸せは見たくない。でも他人の不幸せはもっと見たくない。せめて僕の周りの人たちには僕のようにはなってほしくない。だから周りの人たちが僕のように悲しんでいるのを見ると、僕はたまらなくツラくなる。ツライのは僕だけでいい。 話を元に戻すと、僕は「出会いの数だけ別れがある」なんて信じていないし、信じたくもない。僕は最近、もう二度とは会えないと思っていた女の子にも会うことができたし、連絡が取れるようにもなった。人は出会ったからには簡単に別れることはできないと思う。そんなに簡単に離れてはいけない。 結局、僕は「出会いの数だけ別れがある」なんて簡単な言葉で何かを片付けられるほど、強くはないし賢くもないのだろう。たとえ距離は遠くなっても、僕の隣から愛した人がいなくなっても、僕はまたいつか会える日を信じたい。僕は実際にそうしてきた。時間が解決してくれるはずだ。僕にとって“時間”はヒーローのような存在で、ギリギリまで待たせて最後に僕を助けてくれるものだと信じている。僕だってなんでもかんでも信じていないわけじゃない。希望の数だけ失望もあるかもしれない。それでも希望が最初からないよりはマシだ。 暑い。ひどく暑い。明日はきっともっと暑くなるし、もっといい日になるはずだ。少なくとも、僕にとっての別れの季節はとっくに終わりを告げているし、祇園祭だっていよいよ本番になる。僕は少しずつタフになってきている。筋トレも欠かしてない。弱っていくのは肺と肝臓だけで十分だ。
2005/07/13
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「付き合うって一体何?」 電話でタバコをふかしながら話を聞いていた僕は、一瞬答えに窮した。そんな難しいことはブラウン管の中でテロについて賢そうにコメントしている学者や、それが無理なら君のボーイフレンドに聞けばいいんだ。僕はそう思ってタバコの煙を吐き出した。 僕はまだ23年近くしか生きてはいないけれど、それでも年をとるにつれてわかってくることはある。そして逆にわかりかけたと思ったことが、急にわからなくなることもある。このような難しい質問はどちらかといえば後者に属するものだ。それでも、わからないことをわかろうとすることには確かにある種の価値が含まれているはずだ。ふむ、わるくない。 僕は、僕が“付き合って”いたと考えられる時間に思いを馳せた。楽しかった思い出を思い出すことは、必ずしも楽しい作業ではない。それでも僕は逃げなかった。誰かに褒めてほしかったが、誰も僕を褒めてはくれなかった。 記憶の中で僕がしていたこと。いろんな話をした。手をつないで一緒に歩いた。ご飯を一緒に食べた。キスも沢山したし、もちろんエッチだってした。でもそれらのことは、実際にそうするかどうかは別にして、“付き合って”いなくてもできることではあろう。答えへの道程はもっとシンプルな気がした。 少し考えて僕はひとつの結論に達した。“付き合う”というのはきっと「定期的に継続性のある約束を更新・維持していくこと」だと思う。「来週…に遊びにいこう」から始まって、「来年も一緒に花火を観ようね」、「君を幸せにするよ」、「結婚しよう」などなど……。 僕は間違っているかもしれない。最初に言ったようにこれは、非常に難しい質問だ。簡単に答えがでるなら、誰も悩んだり、傷つけあったりしないだろうし、きっと世界はもっと平和になり、テロだってなくなる。 僕は「守れないかもしれない約束はしたくない。」と、言われたことを思い出した。僕が無理矢理に取り付けたその約束は、実際に守られなかった。思い出して、悲しくなった僕は、その悲しみがさっき吐き出したタバコの煙のように空気に溶けて消えていくのを待った。しかし、それは消えてはくれなかった。果たされなかった様々な約束と同じようにそれは宙に浮かんだまま、僕の暗いところを漂っていた。電話口では誰かが何かを話していた。僕の耳にはそれが子供の叫び声のように聞こえた。
2005/07/10
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ここ数日はひどく冷えた。昨日も例外ではなかった。これでは例外ではなく、むしろ冷害だ。つまらん。 こんな冷える日の夕方に川の土手で女の子と二人で座って話をするなんて、まるで高校生みたいだ。そう考えると僕は昔、高校生みたいな高校生で、今は高校生みたいなニートなんだな、と思った。相も変わらずやれやれだ。 こんなにゆっくりその女の子と二人で話をしたのは、きっと高校生の時分以来だろう。僕はさっきから何度「高校生」という単語を使ったのか。5回か?ふむ、まだ使えそうなカンジだな。そんなくだらないことを考えていると、彼女がじっと僕の顔を覗き込む。変わらないな、オレもお前も。 もちろん変わったことも山ほどある。彼女には付き合って4年になるボーイフレンドがいるし、ずいぶん自分やその彼の話をするようになった。話がつまらないのは相変わらずだけど。 彼とは彼女の実家に半同棲状態で結婚の約束もしているらしい。それでもたまに僕のことを思い出して、別れ話になることがあるらしい。彼女曰く、僕の存在は乗り越えられない高い壁なのだそうだ。僕はそれを聞いて“乗り越えられない高い壁”ってどのくらいの高さなんだろう、と考えた。数メートルであればセルゲイ・ブブカと棒、という条件がそろえば割と簡単に乗り越えられるだろう。着地するがわにマットがなければ、大怪我をするのは必至であるが。ということは、その壁は相当な高さだ。そんな壁、いったいどうやって造るのだろうか。公共事業として発注すればかなりの失業者が救われるはずだ。やれやれ、話を元に戻そう。 そんなに長い期間誰かを思い続けるのってどんな気分なんだろうか。しかも連絡する期間としない期間が、ほぼ1年半周期で巡ってくる状況でも絶えず、だ。聞いてみたかったが、僕にだってそれがひどく的外れな質問だということくらいわかった。 彼女の言うとおり、僕が彼女にとっての“運命の人”なのであれば、運命省の官僚はひどく冷徹に仕事をしているはずだ。そして大臣は例外なく悪どい男なのだろう。僕はそんな官僚たちの手によって、僕の運命がどんな風に処理されているのか想像してみた。きっとひどく不機嫌なお偉方が目も通さずにハンコを押しているだろう。 我に返ると、堤防から釣り人がにやにやしながら僕らの方を見ていた。彼に「僕も彼女のように自分の“運命”を見誤っているのですか?」と聞いてみたかったが、もちろんそんなことはしなかった。僕は運命なんて信じたくないんだ。少なくとも今は。
2005/07/09
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まったく文章が浮かんでこない。そしてやたらに眠い。体がだるい。タバコがうまくない。喉がやたらに渇く。昔の良かったことばかり思い出す。こういう状況を人はなんと表現するのだろう。スランプ?いや違うな。スランプは、浮き沈みの“沈み”の部分のことを指すのだろう。“浮き”の部分がない最近の僕にとって、スランプなんてあるはずがない。少し考えてみて他の人が僕のような状態になったら、どう自分を表現するのか想像してみた。ふむ、きっと僕は“体調がよろしくない”のだろう。そういえば昨日は久しぶりに深酒をしてしまった。まぁ無理もない。僕が恋焦がれた生ビールに約1ヶ月ぶりにありつけたのだから。もちろん、僕の深酒の理由はそれだけではなかったけれど。 昨日は2年半ぶりに、ある女の子と会った。面と向かってまともに会話をしたのなんていつ以来だろうか。記憶にない。彼女は僕に対して怒っていた。とても、すごく、非常に、完全に。最後に僕がメールをしたときも、返信の代わりに 「傷つくだけなので二度と連絡しないで下さい。メルアドも番号も消してください。」 なんていう留守番電話が入っていた。僕はその留守電を聞いたとき、ガールフレンドと旅行中のバスの中で、ひどくうんざりした気持ちになったのを覚えている。やれやれだ。 昨日も、僕がやってくるとわかっていれば彼女はおそらく来ることを拒んだであろう。だから僕は友人に根回しをし、僕が行くことを伏せておいたのだ。会った瞬間、彼女は予想以上に困惑していた。というより取り乱していた。なぜだか懐かしくなる僕。5年以上にわたって振り回された女と、振り回し続けた男。くだらない映画になりそうだ。ダメな脚本家なら僕と彼女、一体どっちを殺すのであろう。きっと僕のほうだな、と思った。でも僕は今のところ元気に生きています。やれやれ。 今日はこれ以上書く気力が湧いてこない。何を書きたいのかがわからない。疲れている。ふむ、僕は疲れているんだ。 にもかかわらず僕は、これから僕はその女の子と再び会う。彼女の中では、僕と彼女は“偶然”これから喫茶店で会うらしい。なんだかインチキな占いみたいだな、と僕は思った。彼女は僕に電話をしてきて、ただただ“独り言”でこれから行く喫茶店の場所と行く時間を話していた。「今から着替えて、化粧をして、電車に乗るの。」“そして10年近く前から今までずっと好きな男の子と偶然会ってお茶をしました。”バカな小学生の日記みたいだ。 昔の僕なら意地悪をして占いが当たらないように行動したかもしれない。今の僕はどうだろう。インチキな占い師の予言の時間まであと30分を切った。こんなものくだらない映画にすらならない。
2005/07/08
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僕の大好きな村上春樹氏がなにかの作中で書いていたように、克明過ぎる地図は時として克明過ぎるがゆえに役に立たない。まったくもって同感だ。 僕の家の向かいに住んでいる、というかかつて住んでいた友人が出張がてら実家に帰ってきた。彼は僕と同じように今年の3月に大学を卒業し、僕とは違って4月から社会人として北海道の北東部の都市、北見で働いている。刑務所で有名な網走の近くだ。彼は僕とは10年の付き合いであり、彼の実家は例のバスケットのゴールが設置されている家だ。 久しぶりに彼の家に入り、世間話をする。近況、仕事についてなど。とはいっても僕には語るべき事項がないために僕が彼に質問をし、それに彼が答えるというのが主な流れだ。その流れの中で僕は自然に聞く。 「女は?」 「いるよ。」あっさり彼が答える。 「!?」 僕が驚いたのも無理はない。彼は中学からそこそこもてる男ではあったが、積極性に欠けるところがあり、いままでまともに女の子と付き合ったことのないチェリー君だったのだ。 「どこに?北見か??」 彼はゆっくりと首を振る。札幌か。どおりで。僕は、彼がこまめに帰ってはきているらしい、という噂を耳にしていたのだ。 「で、どこのコ?いくつ??」 「ぜってー言うなよ。」 聞くと、彼女は現在33歳で以前、彼がバイトをしていた漫画喫茶で知り合ったのだという。そういえば、この間そこに行ったときにカウンターで接客してくれたあの人か・・・。しかもバツ一で2人の子持ちらしい。おいおい、ほとんど初めての女でずいぶんヘビーなのにいったもんだな。彼は旅行代理店で働いていて、先日小学生の修学旅行の添乗をしたらしい。そのときに気付いたらしいのだが、彼とその彼女との間にある歳の差は、彼と小学6年生との歳の差と変わらないのだ。まったく人生なんて何が起こるかわからない。 「先が見えてこねーわ。」彼が言う。 それはそうだろう。彼女は彼の一回り年上で、結婚経験があり、おまけに上の子どもは小学生だ。まだ22、23の僕らに先なんて見えるはずがない。でも、僕はそれでもいいのだと思う。なまじ先が見えてしまったところで、その通りに物事が進む可能性はきわめて低い。というより、ありえない。僕は経験上そう思う。先に地図を描きすぎてしまった場合、それによってかえって道に迷うことがある。僕は実際にそうであった。何一つ、描きすぎた地図の通りに進めないまま、袋小路にぶつかって前に進めなくなってしまった。先なんて見えなくたっていい。一緒に少しずつ描いていって、一緒に少しずつ進んでいけばよいのだ。 僕は家に帰り、札幌と京都の2種類の地図を広げてみた。2つの地図は決して克明過ぎるわけではなかったが、僕はどこをどう見てみてもさっぱり理解できなかった。まるで3つ以上の地図が複雑に重なり合って見えるように感じた。
2005/07/05
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今日はひどく風の強い一日だった。海の近くに住んでいると時々こんな風が吹く。盆地である京都では味わえない風の強さだ。南の方角にある山を見ると、絶えず流れていく雲が笠のようにかかっている。明日は雨だな、と僕は経験的に思った。 僕の実家は完全禁煙なので、タバコを吸いたくなると僕は外に出て吸うしかない。だからこんなに風の強い日や雨の日はガックリくる。僕の吸うタバコは普通のタバコに比べるとやけに葉が詰まっていて燃えにくいので(他のタバコの25%増量らしい)、風の強い日は吸いづらくて仕方がない。やれやれだ。 ろくにタバコも吸えないで苛立ちを覚えた僕は、机に向かっても集中が持続しなかった。仕方がない、こんな日もある。呆けながら適当に机の引き出しを開けていると、一番上の引き出しに鍵がかかっていることに気がついた。そういえばこの引き出しを開けた記憶はもう何年もない。ニコチン不足で仮死状態にある脳細胞を必死に働かせた僕は、10分ほどしてようやく鍵のありかを思いだし、その引き出しを開けた。 中は思った以上に整理されていた。お約束どおりエロ本が顔をのぞかせる。これは確か中学のときに転校していった友人が、大量のエロ本をみんなに配ったものの一冊だ。僕はエロ本があまり好きではないし、買ったこともない。このときは仕方なく一冊だけもらってやったのだ。少なくとも僕の記憶の中ではそう認識されている。その下にはなにやら見覚えのない手紙の束が見える。それは僕の記憶の奥底に眠っていた手紙、ラブレターだった。 思えば、ラブレターなどという文化は現在、この国にはまだ残っているのだろうか。中学、高校と基本的に女の子と縁が遠かった(と記憶している)僕ですらもらっているくらいであるから、恋心の伝達手段として昔はやはり主流であったのだろう。それでも内容を読んで差出人や時期などを必死に思い出してみると、それらはおそらく中学校時代のものがほとんどだ。きっと僕らの高校生時代には携帯電話が普及し、メールや電話でのコミュニケーションが主流になったのだろう。時代は確実に動いている。 しかしながら手紙というものはやはりいい。時間がたつにつれて古いものから順番に消去されていくメールにはやはり情緒というものがない。それにデジタルな文字には年月が経過したあとも残る、人間の生々しい感情が欠ける。昔、僕宛に書かれた手紙に目を通すと、当時僕がどんな人間だったのか、どんな女の子に好かれていたのかがある程度までわかる。きっとメールではそういうことは甦っては来ないだろう。 しかし読み返してみると、どれもこれも命令口調だ。いついつに私と遊べ、だとか、この日にどこどこにこい、だとかそんなのが多い。きっと僕は行かなかったんだろうなぁ、と思う。僕は女心が汲み取れるような器用な男ではなかったし、実際今でもそれは変わらない。時代や電子機器と違って僕はひとつも進歩していないのだ。 外は相変わらず風が強い。僕のちっぽけな悩みなんて思い出ごと吹き飛ばしてしまいそうな風だ。手紙が残っていてもほとんど思い出せないことがある。手紙などのきっかけがなければ思い出そうとすらしなくなるのだろう。強い風に吹かれたあげくに翌日には雨に打たれ、ぼろぼろに朽ち果てていくのだ。僕は忘れたくないな、と思った。いろんなことを。忘れてはいけない。だから僕はこうしてくだらない文章を書いているんだ。
2005/07/04
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僕はほとんど例外なく人に与える第一印象が悪い。チャンスさえ与えられれば、僕が決して第一印象どおりの人間でないことはわかるはずなのだが、それを払拭する機会が与えられないままに過ぎていく出会いも少なくはない。少し話をした後に、「怖い人かと思ったけど全然違った~。」「見た目と違っていい人だしおもしろい。」などと言われると、あながち損ばかりではないのかな、などと思ったりする。しかしながら、僕が決定的に自分の人相と、かもし出す雰囲気の悪さを呪うときは間違いなくある。 今日も天気が良かったので、バイクに乗りたいなと僕は思った。土日は近所の大学の図書館が閉館であるし、勉強しに外に出るついでに温泉にでも行こう。そう考えた僕は、バイクにまたがり少し遠出することに決めた。たまには札幌市内から出るのも悪くない。市内を少し出ると道は空いているし、なにより静かである。1時間強も走ると“天然温泉”の看板が見えてきた。ふむこの辺でいいだろう。駐車場は広く建物も新しそうであった。 温泉は実に良い。こびりついてなかなか取れない疲れが静かに溶けていくのを感じる。バイクでなければビールを飲みたいところであるが、今日はそうもいかない。この後は勉強もしなければならないのだ。僕は風呂に入りながらビールのイメージをかき消し、コーヒー牛乳を思い浮かべた。そういえば家を出てからタバコも吸ってないな。そんなことを考えているとやはり喉が渇いてくる。しかしもちろんこんな序盤で出るわけにはいかない。長風呂が好きな僕はかつて一人でスーパー銭湯へ行ったときには、5時間近く風呂に入り続けていたりした。サウナでカラカラに乾ききった体に注入するビールはたまらなくうまい。おい、ビールのことは忘れるんだ。 一人でくだらないやりとりをしながらサウナに入ると、僕は一匹の竜と目が合った。あぁ参った。竜の姿が見えなくなると、次に僕と目が合うのは予想通りのコワモテのおじさま。しかもサウナには1匹の竜と、おじさまと、僕。入り口にいつまでも突っ立っているわけにもいかないので、仕方なく僕は腰をかける。本当ならすぐにでも出て行きたいくらいであるが、そうもいかない。僕は経験上、彼らが必要以上にまわりの動きに敏感だ、ということを知ってしまっているのだ。 サウナは必要以上に熱く感じる。おじさまに動く気配はない。僕も涼しい顔をして彼が出て行くのを待つしかない。熱い。とにかく熱い。もっとしっかり水風呂に入っておくべきだった、思ったその瞬間だった。 「おいっ兄ちゃん。」ほらきた、いつものやつだ。 「はいっ。」丁寧でありながら警戒感のなさを演出した返事。 「なかなか我慢強いなぁ。」いろんな意味で少なくとも僕は今、我慢強くなっている。 「いやぁ熱いっすよ。」“ですよ”と言わないところがミソ。 「この辺のもんか?」「いや京都から・・・。」しまった!熱さで一瞬思考が鈍った僕は面倒なことを言ってしまう。 「また遠いところからきたなぁ。仕事か?」「いや、旅行っす・・・。」 「兄ちゃん、いくつだ?」「22っす。」「22かぁ・・・。」遠い目で昔を思い出すおじさま。 「そのころは怖いもんなんてなかったわ。兄ちゃんも今そんな感じだろ?」いや僕は今、あんたが怖い。 「バイクかなんかできてんのか?」「はい・・・。」また遠い目をするおじさま。熱さは限界まで僕を蝕みつつある。 「オレも昔は走ったもんだ。でも22かぁ、そろそろ落ち着いたほうがいい歳だな。」余計なお世話である。僕はとうの昔から落ち着いている。 「ふぅ~熱いっ。お先に、兄ちゃん。」「ういっす。」 こんな感じに僕はわりと高い確率で、そのスジの人たちに話しかけられたりする。以前コンビニで働いていたときもよくあったし、風呂場でもそれはよく起こる。どうやら、僕は彼らに“同類の若者”だと思われているらしい。やれやれ、そこまでひどい人相か僕は?確かにまっとうな人間は、いい歳こいて金髪にはしないし、日曜の昼下がりに一人で郊外の温泉になど行かない。でも僕が乗っているバイクは完全なノーマルであるし、背中に背負っているのは竜の刺青ではなく、教科書の詰まったリュックで、おまけに走りながら聞いていたのはミスチルのCDだ。怖い人間であるはずがない。 サウナを出て、おじさまがすでに風呂場にいないことを確認した僕は、のんびりと風呂に入りなおした。妙な緊張が溶けていくのを感じた。喉が渇いて早く風呂から上がりたい気持ちはあるが、今出れば確実に再び僕は神経をすり減らさなければならない。ビールだ。ビールのことを考えよう。生唾を飲もうかと思ったが、渇ききった喉はもはやそれすら許さなかった。
2005/07/03
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またしても海へ行った。例のごとく昼からビールと焼肉。 さすがにぼくも今回は乗り気ではなかった。ここ数日勉強は軌道に乗りつつあるし、僕は疲れていた。しかしながら空は僕をあざ笑うかのように澄み切っていて、そっと吹く風は心地よかった。海は僕を呼んでいた。やれやれ、今日で最後にしよう。 7月になったからといって急に景色が変わるわけでもないし、みんな意識しなければそんなこと思い出しもしないようだった。それでも僕にとっては、6月と7月の間には決して戻るとこのできない絶望的な赤い線が引いてあるように感じられた。夏がやってくるのだ。いや、もうやってきているのだ。僕はその線をうまく乗り越えられないままでいた。春の次には夏がやってくるし、経験上次には秋がそして順を追って冬もやってくるだろう。やれやれ。 意を決して僕は上半身裸になり、まんべんなくサンオイルを塗った。受験生に夏はない。でも僕は、夏が僕のすぐそばまでやってきて通り過ぎていったということを、後に意識しなくてはならない。そうしなければ秋は決して僕の元にはやってこないのだ。春の次にいきなり秋がやってくる年なんて僕はしらない。 太陽は容赦なく僕たちに光を浴びせかけた。数時間もすると、確かに夏は僕の元にもやってきている、という刻印が体に刻まれた。筋トレをしておいてよかったな、と僕は思った。以前のようにたるんだ体のまま焼いたのであればただの焼き豚だ。友達に頼んで僕の画像を携帯で撮ってもらう。ふむ、確かに夏だ。 帰り際、来たときより高くなった波は名残惜しそうにしているようにも見えた。なにも無理して目をつぶることはないな、と思った。夏は僕にもやってくるし、海はいつでも僕を待っているのだ。 「またくるよ。」僕は心の中で語りかけてその場を去った。少し背中がヒリヒリした。
2005/07/02
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君ともお別れだ。しばらく会えないのはわかっている。でも僕は君の事を忘れない。だから君もいつまでも僕のことを忘れないでほしい。また必ず会おう。 一年という月日はまるでホールのケーキみたいだ、と僕は思う。1月から始まりぐるっと一周してまたもとの場所に戻ってくる。どんな歴史の教科書を読んだって、2月の次に8月がやってきた年や12月の次に9月がきた年のことは載っていない。そして誰かが毎年、ケーキを切り分けるんだ。でもホールのケーキを12等分するのは難しいから、多少量が変わってくる。君は少し損をしているけれど、2月に比べればマシだ。 君は一年会わないうちにずいぶん変わったみたいだった。いや、もしかしたら僕や僕を取り巻く環境のほうが変わったのかもしれない。でも今となってはどうでもいいことだ。どっちにしても君はずいぶん僕によくしてくれた。君が運んでくる暖かい風や、時々申し訳なさそうに降る優しい雨に、僕はどれだけ癒されたことか。 一年前の君を思い出すと、僕は今でも優しい気持ちになれるし、きっと来年また君に会ったときには、今の君を思い出して僕は強くなれるのだろう。やはり僕にとって君は大切な存在だ。去年もそうであったし、もちろん今年も、来年だってそうであろう。誰かが僕と同じように君の事を「大切な存在だ」って言っていた。そのコが今も同じように考えているとは僕は思わないけれど、それでもいつか君の事を笑って話題にできる日が来ればいいと思う。少なくともそのコにとっても君は「大切な存在だ」ったのだから・・・。 僕も君と同じように進んでいかなくてはならない。たとえ僕が止まっていたとしても、君は同じペースで進み続けるだろうし、また僕に違った顔を見せるのだろう。僕も変わるはずだ。もし、君が僕に会いたくなくなったり、僕が君に会いたくなくなったりしても、僕らが会わないわけにはいかない。君がやってこなければ、深刻な水不足に悩まされる地域ができるだろうし、君がやってくるのを心待ちにしている花嫁たちが悲しむ。彼女たちの涙でも水不足は解消されないだろうから、僕ら男だって泣きたくなる。だから必ず会いに来てほしい。 さようなら愛しい君よ。君に会えなくなるのは寂しいけれど、僕は背中を向けた後、振り返るつもりはない。だから君も振り返らずに進んでいってほしい。だって僕らは必ずまた会えるのだから。でも今はもう少しだけ黙って手を振っていてはくれないだろうか。
2005/06/30
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実家に帰ってきて早くも2週間が経過した。当たり前のことだが、すでに僕の部屋には読むべき本なんて存在しない。暇な時間に本棚に目をやると昔の雑誌があった。 7年前のサッカー雑誌を見てみるとこれが以外に面白い。特集記事ではJリーグの当時の新人が載っていた。7年前の新人というと、小野伸二や高原直泰などがそれにあたる。当時彼らは高校卒業直後であり、僕は高校入学直後だ。小野と高原は当時から期待され注目されていた選手であり、大方の予想通り現在では2人とも海外でプレーし、代表にも無くてはならない存在となった。もちろん、当時期待されていた若手選手がみな、彼らのように順調に階段を上っていくとは限らない。「あぁこんな選手いたなぁ」なんていう選手も山ほどいる。今見てみるととてつもなく的外れな未来予想図を描かれている選手もいるし、タイプが変わって成長し続け活躍している選手もいる。なんせ7年と言う歳月が流れているのだ。 期待され、予想され、結果として埋もれていった選手たちは今、何をしているのだろう。スーパースターにはなり損ねたものの、個々のクラブで活躍している選手も多いであろう。少し前の話ではあるが、ファルカンというブラジル人(現役時代ジーコと共に“黄金の中盤”を形成していた人物だ)が日本代表の監督だった時代(加茂監督の前の時代)に代表で10番をつけてプレーしていた磯貝という選手がいた。古くからのサッカーファンであればご存知だろう。彼はファルカン後、代表にも呼ばれなくなり若くして引退した。だが、その後の転身は世間を驚かせた。彼はなんとプロゴルファーになったのだ。今で言えば中村俊輔とまでは言わないが、名波浩(現ジュビロ磐田)がプロゴルファーになるようなものだ。これはすごい。きっと代表のユニフォームに袖を通しているときは、本人だって想像しなかったであろう。 彼らのように一度、プロとして社会に出てフィールドに立った者たちですら、未来の予想なんて当てにはならない。僕らのような一般人の未来なんて誰がわかるだろうか。僕だってもしかしたら来年の今頃は韓国に渡って韓流スターになって日本に逆輸入されているかもしれない。一体誰が「そんなことはありえない!」なんて言い切れるのだろうか。でもまぁ僕は言い切れるけれど。
2005/06/29
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僕はいつものごとく昼過ぎに芝生の上に寝転びながらタバコを吸っていた。今日は完璧な晴天だ。いや今日も、か?だんだんと日にちの感覚が失われてきている。今日の前が昨日でその前が一昨日、今日の次が明日でその次が明後日だ。やれやれ。 大の字になって呆けていると、近くにある大学に通っているらしい学生たちが家の前を通っていく。経営難で評判のこの大学は近年、学部を増設するなどして学生を呼び込んでいるらしい。その結果以前より家の前を通る学生が多くなった。「そして僕はそんなことには関係なくタバコを吸っています。」やれやれ、学生時代が懐かしい。3人組の男子学生が家の前を通ったとき、彼らの会話が耳に入った。 「この通りって家の前にどこもバスケゴールがあるなぁ。」 「バスケ通りだな。」 その通り。この通りはバスケットボール・ストリートだ。 僕らが小学生から中学生くらいにかけて漫画『スラムダンク』が流行し、一大バスケブームが訪れた。もちろん僕も例外ではなく、小学校時代から児童会館でバスケをし、そこで隣の小学校のやつらと仲良くなり、中学に上がってから共にバスケ部に入った。彼らとは今もとても仲のいい友人であるし、最高の仲間である。(実際僕は昨日、彼らと夜中から朝まで公園で飲んでいた。)その仲間たちと部活の日はもちろん、休みの日も四六時中共に過ごした。僕の家の迎えの友人宅にバスケゴールが設置されたのはいわば必然だった。僕らは高校がバラバラになっても、大学へ行ってからもそこでバスケをした。そこでバスケをする僕らを見て、近所の少年たちがうらやましく思い、母親(もしくは父親)にせがんで、バスケゴールを買ってもらったのだ。これは僕の想像だけれど。ともかく、こうして我が家の前の通りは“バスケ通り”となったのだ。結局、僕ら以外の人間がそれらのゴールを使って、バスケをしているところを僕はほとんど見たことはないが・・・。 最近では、僕らもバスケをしなくなってきてしまった。飲みにいくメンバーも徐々に減ってきた。半年に一度の温泉旅行も、以前は車が3台出たにもかかわらず、最近はVOXY一台で事足りるようになってしまった。みんなそれぞれにここを旅立っていくのだ。それぞれに新しい土地で生活をする。好きな女の子もできる。もしかしたら新しい家庭だってできるかもしれない。それでも帰る場所があるというのは素晴らしいことだ。唯一、十代の頃にここから旅立った僕が今ここにいる。いつかまたみんなが集まって少年のようにバスケをする日が来るのだろう。 雲ひとつない空を眺めていると、空と僕との距離なんて全くわからなくなる。そんな青空にタバコの煙をふっと吐き出す。煙は一瞬、雲のように見えたが、海の方向から吹いてきた風がそれを吹き消した。
2005/06/28
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今までに何度、この街に足を踏み入れただろうか。高校時代から飲みに行くとき、カラオケに行くとき、ボーリングをするとき。数え切れないほどだ。カウントしてみたが30を超えたところで諦めてやめた。やれやれ、最近僕は無駄なことばかりしている。 昼過ぎのススキノは、その本来の姿を隠しながらもそれを十分に楽しんでいるようにも見えた。まるで人間みたいだな、と僕は思った。というより、それはとてつもなく大きな生物なのかもしれない。その大きな口の中にどれだけ多くの人間とその欲望が飲み込まれて消化された末にこの時間を迎えているのだろう。考えただけで頭が痛くなりそうだ。無性にタバコが吸いたくなった。そう、タバコだ。本来の目的を思い出した僕はゆっくりと、それでいて注意深く歩を進めた。 昔は気がつかなかったが、やはりこの街はすごい。高層ビルが立ち並ぶ姿は別に珍しい光景でもなんでもないが、驚くべきはその中に入っているテナントだ。性風俗。もちろんそればかりではないが、やたらにそれが目立つ。少し注意してみてみると、どうやらビルごとにジャンルが大体決まっていて、住み分けが行われているらしい。ニュークラブ(他の地域でいうところのキャバクラ)、キャバクラ(他の地域でのセクキャバ)、ピンクサロン、ファッションヘルス、そしてソープランド。大きく分けてその5つのジャンルが巧みに住み分けを行い、共存、競合している。ふむ、実にシステマティックだ。一体どれだけの人間たちがこの街に飲み込まれ、スポイルされているのだろうか。かなりあやふやで適当ではあるが、僕はそれを概算してみたくなった。 一つのビルに大体8つのテナントが入っているとする。そしてジャンルにより、店舗の大小により差こそあれ、平均して15人の女がそこに所属しているとする。120人。その規模のビルが10棟あれば1200人。すこし中通りに入れば、ビルではなく独立店舗でこじんまりと営業している店も山ほどある。一体、どれだけの女たちがこの街に暮らしているのだろう。考えるとまたタバコが吸いたくなってきた。 たとえば、今僕の目の前にあるこのビル。このビルの中ではあと数時間のときがたてば、100人近い男が同時刻に下半身をあらわにし、欲望を吐き出しているのだ。この街全体で考えれば、おぞましいほどの人数が同時刻にパンツを脱いでいるのだ。これって本当にすごい。街全体が開拓前の西部みたいだ。原住民たちが原始的な姿で原始的なことを行っている。非常に近代的に、システマティックに。やれやれだ。 僕は考え終わったところで、やっと決心して残り少ないタバコに火をつけた。舌先に妙な味がまったりと残った。本数を減らすべきだな、と思った。
2005/06/27
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札幌に帰ってきて10日以上が経過した。札幌は言うまでもなく日本で有数の大都市である。大抵のものはこの街で手に入る。したがって僕は生活消耗品を持たずに帰ってきた。ここは金さえあればなんでも手に入る街なのだ。そう、なんでも。しかしながら、帰郷にあたり僕の中で絶対に忘れてはならないものがあった。タバコだ。 僕の吸っているタバコはあまりメジャーな銘柄ではない。これは別に奇をてらっているわけではなし、もちろん格好をつけているわけでもない。21歳になってから喫煙者になった僕にとっては、タバコは別に格好いいものであるという認識はないし、むしろいろんな意味で有害なものであることもよくわかっている。実際、僕は生まれて初めてタバコを口にくわえて吸うその瞬間まで、タバコを好きにはなれなかったし自分は生涯喫煙者にはならないと信じていたのだから。 最初の一服から僕は正しくタバコを吸うことができた。それはぼくにとって味わったことの無い感覚であった。味覚ではなく感覚で感じる“うまさ”。僕は実際に試してみるのも悪くないな、と思った。それから様々な銘柄を吸ってみた。そして僕がたどり着いたのが「NATURAL AMERICAN SPIRIT」であった。アメリカ産のタバコで化合物を一切利用していないことから、アメリカ原住民のインディアンをシンボルにしているのだ。実にいいアイデアとセンスだ。しかもアメリカ人嫌いの僕にインディアンというのはちょうどいい。 このタバコの最大の欠点はその希少さだ。コンビニでタバコが扱われている昨今、ほとんどいつでもどこでもそれを我々は手に入れることができる。しかしながらこの銘柄を吸う僕には、それは当てはまらない。例え偶然自動販売機でそれを見つけたとしても、安心して購入することはできない。ある程度商品が回転していなければ、いつまでも古いものがそこに入っているかもしれない。タバコにも当然賞味期限がある。古くなったものは例外なくうまくない。独特の風味が悪い方向へと向かう。したがって僕はいつも決まった店でタバコを購入し、商品を回転させるのだ。そして今回、必要最低限と考えられる数を購入し、札幌に運んだのだが、僕が考えていた以上に僕の体はタバコを欲していた。非常事態だ。そして僕はそれを求めてすべてが手に入る街、ススキノへと足を踏み入れたのだ。 ススキノ。そこで僕を待っていたのは数千人の女たちだった。
2005/06/26
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雨の今日は僕の命日だ。僕は今日死に、再び生まれた。死ねる、ということは生きている、ということだ。ただ、非常に、完全に死んでいればもう死ぬことはできない。この3ヵ月間、僕は生きてはいなかった。僕は生まれて、死んで、また生まれたのだ。 現実的に僕は今日、死にかけた。走行中のバイクでの初めての横転。その瞬間、僕は恐怖を感じなかった。そのとき、僕は自分が生きていないことに気が付いた。 雨は僕に“再生”を想起させる。一度地上に降り注いだものが舞い上がり、再び地に足を降ろす。現実的には水不足が解消される。芝生に水をやる必要もなくなる。僕の嫌いな土曜の雨も悪いことばかりではない。 英雄は二度死ぬ。なんてこと有名な人が言ったわけでも、どこかの国のことわざにあるわけでもないと思うけど、僕は今そう確信している。僕はもう一度死ななければならない。努力して、苦心して、その結果、達成して死ぬのだ。進もう。雨に濡れながら。
2005/06/25
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海に行った。フェリーで北海道に帰ってきた僕にとっては久しぶりでもなんでもない海だ。先週も朝の3時半に海に行ったし、僕はたとえ真冬であっても、地元に帰るたびに海は見ている。でもやはり夏の、それも昼間の海はいい。 バーベキューにビール、ビキニにレゲエで言うことはなしだ。終盤には花火。さらに暗くなってきた頃に線香花火があれば、あなたのバベコンでの成績は間違えなく“優”だ。 とはいえ、海は同時に物悲しさのようなものも僕に想起させる。どこにでも繋がっていて、おそらくは僕が行きたいと思う場所にまでもその海は続いている。でももちろん、僕がいくら水泳が得意で、昔から体育の水泳の時間のヒーローだったとしても、その場所まで泳いでいくことなど出来はしない。繋がってはいるけれど、そのつなぎ目である海そのものが障壁となって我々の前に立ちふさがるのだ。一種のパラドックスだ。 僕らがバーベキューをしている横では、僕と同い年くらいのカップルがキャッチボールをしていた。うらやましい。そしてうらめしい。僕がキャッチボールをしたいと思う相手は勿論ここにはおらず、そしてキャッチボールをする機会などもはや巡ってはこない。ましてや僕はボールを持ってきてすらいないのだ。足元に視線を落とすそこにはキャベツがあった。キャベツ?網を使って焼き肉をするのにキャベツ??僕はそのキャベツを手にした瞬間に言葉を発していた。「誰かキャッチボールをしよう!」それは僕が自発的に発した言葉ではなく、その悲しきキャベツが僕に言わせた言葉だった。 ぎっしりと実の詰まったキャベツは重く、しかも硬い。キャッチするたびに破片が飛び散る。不思議な光景だ。なぜ僕は夏の海でキャベツを投げているのだろうか?もちろんそこには哲学的な意味も人生の教訓もない。だってそんなもんあるわけないでしょうが。キャッチするたびにキャベツは小さくなり、最後には芯だけになった。僕はそれを思いっきり海に向かって投げた。あの悲しきキャベツはどこか遠い場所に流れ着くのだろうか。いや、きっと数時間後にはこの浜に打ち上げられるんだろうなぁ。 家に帰ると夕食に豚のしょうが焼きがでた。添え物はもちろんキャベツの千切りだ。やはりキャベツは投げるものではなく、食べるものだ。まぁそれでもそこに哲学的な意味も人生の教訓も含まれてはいないけれど。
2005/06/24
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最近、北海道は非常に天気が良い。6月とは思えないほどの気温で、(とは言っても北海道にしては、の話)毎日が日本晴れである。そんな日は、僕はとりあえず家の芝生に寝転ぶのだ。 我が家の芝生は実に美しい。というのも単身赴任の親父が毎週、単身赴任先から実家に帰ってきて丁寧に手入れをしているからだ。親父が芝生を手入れする光景は近所ではもちろん、僕の友人の間でさえ有名であり、ジョークとしてもしばしば使われる。 その芝生に寝転んで煙草を吸っていると、親父が芝生に愛着を持って手入れをする気持ちもわかる気がしてくる。きれいに生えそろった青々とした芝の上に寝転んで空を見上げると、いつもより気持ちのいい風が流れているような気がする。そんな日は妙に煙草がうまい。そしてビールが飲みたくなる。それもキンキンに冷えたやつが。 『隣の芝は青い』なんてことわざがあるけれど、僕の家の芝はこのことわざには適していない。だって「青く見える」のではなく本当に、非常に、完全に、青いのだから。 そんな芝生も寝転んでよく見てみるとところどころ、生えそろっていないところがある。最初は刈りムラかと思ったがどうやらそうではないらしい。一面に広がった芝であっても、発育が均等ではないらしいのだ。だからきれいに刈った芝でも、週末が近づいてくるにつれて、ムラができる。ふむ、おもしろい。 さっきのことわざの話に戻ると、僕はどうも『隣の芝は青い』ということわざには同意しかねる。だってたとえば、大好きな女の子と付き合っているとき、そのコって世界一素敵な女の子じゃないだろうか?僕はそうであったし、そう思えないとやっぱり付き合っていて楽しくなかったりするんじゃないかなぁ、と思う。したがって実際の芝生を見てみても思うように、経験上僕の中ではあのことわざには続きがある。 『隣の芝生は青い。でも我が家の芝生はさらに青い。』さて芝生に水でもやりながらビールでも飲もうか。
2005/06/23
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まずは簡単に自己紹介から。 僕は現在22歳で、今年の3月に大学を卒業したフリーターです。終わり。 もちろんこれだけでは終わらないけれど、現在の状況を書いてみるならこんなもんだ。妙にむなしくなる。ここから先を書こうと思うならば、もうすでに通り過ぎてしまった過去の出来事を書き並べなければならないことになる。そう考えると、人っていう生き物は過去の積み重ねで生きているんだなぁ、なんてつくづく実感したりする。 この間読んだ本の中に「昔の恋人にもらったものや写真などはすべて処分すべきだ」なんていう記述があった。これは非常に難しい問題だ。これに比べれば、世界の食料不足も、北朝鮮の核問題も、ましてや日本の郵政民営化なんて完全に瑣末で安易な問題に思えてくる。 僕の基本的な考え方はこうだ。「捨てることはいつでもできるが、一度捨ててしまったものを拾うのは難しい。」でもこれはあくまでも“基本的な考え方”であって僕はしばしば基本に反したことをして後悔する。 時間がたった後になって、あのときの自分がいるから今の自分があるんだなぁ、って思えるときが来たときに、過去の遺物は手元にあったほうがいい気がします。「私は過去は振り返らないの!!」なんて人には不必要なのかもしれないけれど・・・。でも人ってそんなに強くないんじゃないかな。少なくとも僕はそんなに強くはない。
2005/06/22
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