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テーマ: たわごと(27734)
カテゴリ: 忘れられない人々
「お前がデモで捕まったら、お父さんは警察辞めないといけなくなるんだよ。」
そう、父は語気を強めて言った。

1970年6月の日米安保条約自動延長の前に、安保反対のデモが日本各地で行われていて、特に東京では毎日デモがあった。高校三年の春、クラスでも一緒にデモに行かないかと学友たちを誘ったりした。どうしても、アメリカのベトナム戦争、そしてそれに加担している日本を認められなかった。そんな訳で、毎日のように父と口論していた。怒鳴り合いに近いこともあった。

母は、今も読書が好きで私が帰国すると必ず何冊か字の大きめの本を買って上げている。今回、水木しげるさんの本を買った。母がその内容の話をしていたとき、父は突然歌いだした。やはり、私は芸人の家系に生まれたようだ。

水木さんが、戦争で南方のラバウルに送られたということを知った父は、「ラバウル小唄」を歌い出したのだ。父は、病気になってから酒もたばこも止めた。酒も入っていないのに歌いだした。何度も何度も1番だけを歌っている。母と3人で笑ってしまった。

その内、この父が泣きだした。1人で涙している。父は、中国大陸に行っていて、南方にいってはいなが、戦友とこの歌を歌っていたという。どこに居ようと気持ちは一緒だったのだろう。

父が一体、何を考えていたのか、なんで泣いているのか、私は訊けなかった。





毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
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Last updated  2010年10月30日 06時11分18秒
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Re:父は、南方ではなく中国へ戦争に行ったのだが、、、、(10/29)  
aimao さん
ラバウル小唄を泣きながら歌ったと言うお父さんは、
会えなくなった戦友、或いは散って行った戦友、そして当時の情景が走馬灯のように浮かんで来たのでしょうね。
昔のことの方がより鮮明に心に頭に残っているのでしょうね。。。悲しく辛い思い出だったことでしょう。
お父さんが歌っているのを目の当たりにしたら、もらい泣きしちゃいそうです。
親孝行して下さいね。 (2010年10月30日 12時25分14秒)

Re:父は、南方ではなく中国へ戦争に行ったのだが、、、、(10/29)  
私の父は、ガダルカナルの生き残りでした。
この島で負傷して、野戦病院のある島に移されて
生きて帰れたと言っていました。
「ゲゲゲの女房」は、この南の島の話しあたりから
見始めて、最終回まで毎朝観てしまいました。
やはり、日本人の中には今でも戦争体験が残っているの
ですね。
昨年亡くなった父親を身近に感じました。
(2010年10月30日 20時50分46秒)

Re[1]:父は、南方ではなく中国へ戦争に行ったのだが、、、、(10/29)  
aimaoさん
>ラバウル小唄を泣きながら歌ったと言うお父さんは、
>会えなくなった戦友、或いは散って行った戦友、そして当時の情景が走馬灯のように浮かんで来たのでしょうね。
>昔のことの方がより鮮明に心に頭に残っているのでしょうね。。。悲しく辛い思い出だったことでしょう。
>お父さんが歌っているのを目の当たりにしたら、もらい泣きしちゃいそうです。
>親孝行して下さいね。
-----
はい、ありがとうございます。

父は、今、話すことはすべて昔のことばかりになっています。何度も何度も同じ話をします。私は、聞いているだけですが。ラバウル小唄、私も口づさんだりしています。 (2010年11月01日 16時02分42秒)

Re[1]:父は、南方ではなく中国へ戦争に行ったのだが、、、、(10/29)  
湘南のカモメさん
>私の父は、ガダルカナルの生き残りでした。
>この島で負傷して、野戦病院のある島に移されて
>生きて帰れたと言っていました。
>「ゲゲゲの女房」は、この南の島の話しあたりから
>見始めて、最終回まで毎朝観てしまいました。
>やはり、日本人の中には今でも戦争体験が残っているの
>ですね。
>昨年亡くなった父親を身近に感じました。
-----
そうでしたか、大変な激戦を経て奇跡的に帰られたのでしょうね。言葉では言い表せないほどの経験をされたことでしょう。どんなに正当化しようとも、戦争は人と人との殺し合いですね。

TVを観られたのですね。私は観ていません。
父は87歳で、もう戦友も殆ど他界しています。今は家族だけです。私もできるだけのことをしたいと願っています。
(2010年11月01日 16時07分26秒)

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