タコ社長,オーストラリア・メルボルンのスローライフな日々

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カテゴリ: 幼少年期
「タコ、グラントハイツに連れてってやるよ。」
4つ年上のシゲさんがそう言った。私は小学校3年生になっていた。

「グラントハイツにはな、アメリカ人が住んでるんだ。面白いぞ。行くか?」
私は二つ返事で行くことにして、自転車に乗った。外国を見られると思ったらドキドキしてきた。

東京は練馬の向山町という所にあった警察官住宅に住んでいた。どの家も、貧しさを競っているような昭和30年代半ばの年のことだ。その家から自転車に乗って30分くらい行くと、今までに見たこともないような別世界が待っていた。広い芝生。黄緑、桃色、黄色の板塀の家々。隣との距離がしっかりとられていて、しかも塀も垣根もない。そこに、アメリカがあった。茶髪、金髪の子供たちが甲高い声を上げてキャッチボールをして遊んでいた。

これが私のアメリカ、海外の初体験となった。もう、病み付きになってしまった。暇さえあれば、この世界に浸っていたいと疼く思いが消えていかない。そして、9歳のときここで初恋の人ラビンに出会った。

今、ここは上に伸びる巨大な光が丘団地となっている。

  • img098.jpg


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Last updated  2012年08月22日 00時31分25秒
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Re:アメリカを見た日  
ペガサス さん
私の家の近くには、関東村と呼ばれていた広大な米軍家族住居地域があって頑丈な金網で隔離されていました。見た目豊かな世界だったけどこちら側も高度成長期で、追い付け追い越せのムードだった。 (2012年08月22日 09時12分14秒)

Re[1]:アメリカを見た日(08/21)  
ペガサスさん
そうですか。グラントハイツも実は許可無くしては入れない所でしたが、柵がない所があってそっから勝手に入っていました。MPにみつかると捕まえられました。

この頃の日本はまだまだ貧しくて、見るもの全てが新鮮でした。 (2012年08月22日 16時35分03秒)

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