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横浜に勤務していた頃、横浜中華街が好きで良く飲茶に行っていました。横浜ほど大きくは無いのですが、神戸の中華街にも神戸らしい雰囲気があって違う楽しさがあります。横浜ほど値段が高くないし、庶民的な感覚。これはそんな中華街の入り口。横浜ほど通りが大きくないので食事時には結構混雑します。私はレストランよりジャンク・フード好き。肉まんやシュウマイ、ちまきなど店頭や屋台で売っている小物を買って食べるのが大好きです。そんななかで思ったよりおいしくなかったのはあげパンのようなもの。かなり脂っこくて参りました。
Oct 31, 2005
息子が自転車においていたムシキング・カードを盗まれてしまいました。約100枚くらいあったでしょうか。値段にすれば10000円(ただしゲームで遊んでいるからカードの価値はその半分くらいでしょうか)。盗まれて打ちひしがれている息子に追い討ちをかけるようしっかりとしかりつけました。理由は2つ。まず、盗んだ子は一生自分が「近所の子供から泥棒をした」(しかも名前が書いてある)という後ろめたさを背負っていきます。だから盗まれるような場所においていたこと自体が息子の問題である。また自分が大切なものは家から持ってでないよう、そして理由があってもって出た以上は肌身はなさず持っているよういつも注意しています。なぜなら既にムシキング・カードを一度大量に捕られているから。とりあえず家内には息子をしかりつけないよう(二人で怒ると逃げ道がなくなるから)お願いしてしっかりとしかりつけました。息子のゲーム類は全て没収しました。正直昨晩はほとんど眠ることができませんでした。親としても息子にそんな高額なものを無管理で渡していたことを反省しているということもありますし、男親なので「しかる」ということに慣れておらず辛いという面もあります。昨日の息子の絵日記でお父さんは鬼になっていたようです。まあ男親の勤めですから。眠れなかったのでムシキング・カードをオークションで入手できるようビットだけはかけておきました。
Oct 31, 2005
オーストラリアだなーという雰囲気が漂うでしょ。コアラにカモノハシ。オーストラリアの二大キャラクターなのですが…作りがいまひとつです。近所の住宅展示場で風船を持って立ち尽くすパンダの方がまだましかもしれません。子供たちの反応もいまひとつでした。日本のキャラクターって良くできていますよね。アニメ王国日本にとってキャラクターは日本の文化ともいえます。オーストラリアはキャラクターいまひとつ。ぬいぐるみのできもあまり良いものではありません。ウオンバットなんて、そう言われてもねずみにしか見えないし。
Oct 31, 2005
毎年恒例ですねぇ、外国人といいますがかなり日本人もいます。私も10年以上前に参加しましたがあまりの迷惑さにそれ以降はやめました。網棚の上まで人で一杯でしたから。インターネットで広がったとニュースにはありますが、私の頃は口伝でした。中心は英会話学校。ですから当時は10%位の乗客が知り合いでした。毎年恒例なので連絡が無くてもみんな集まります。毎年怒られていますねぇ。でも仲間に入るととても楽しかったです。悪気はあまり無いのでみんな結構騒ぎながらも乗客の皆さんに謝っていましたよ。電車が止まるたびにみんな飛び出すので車掌さんが威嚇でドアを閉めようとしたり攻防戦でした。今年もすごかったみたいですね。8分遅れだったそうです。一年に一回なので許してあげて欲しいのですが、私が乗客だったら怒るでしょうね(笑)
Oct 30, 2005
何の意味があるかはわからないのですが、タイではこの黒い色をした木彫の人形を時々見ます。人種的には黄色人種のタイですから、黒は多分木材の色でしょうか。熱帯雨林であるタイには人形のよい材料となる木材がたくさんあったはずです。残念ながら日本のように切っても植林さえすればすぐに森が元通りとなる温帯と違い、熱帯雨林は切ってしまうと熱帯雨林特有のスコールで表土が流され、植物が育たなくなります。植林には多大な努力と時間がかかります。タイは幸いまだ砂漠化という悲惨な状態まで至っていませんが、かなり禿山が多く気になりました。この人形は「タイの自然を守ろう」と祈っているのかもしれません。
Oct 30, 2005
単なる街灯ですね。私はエンジニアであり科学者ではないので夢が小さい。英語ではプラクティカルという単語が似合う性格です。だからUFOなんて信じません。まあ、未確認飛行物体と言う表現であればいくらでもいるのでしょうが、「外惑星からの飛来者」は信じていません。相対性理論を信じる以上、宇宙で光の速度は超えられない。ただ知識では抑えきれない期待と言うものもあります。ですから青空や夜空を見ています。そしてUFOを探しています。そして時々見かけます。残念ながら多分人工衛星だと思います。写真は信じられません。加工なんていくらでもできる。ですからもしUFOを自分の目で見かけたら…それでも信じないでしょうね(笑)
Oct 30, 2005

40000アクセスを越えました。開設から329日。最初は長めの文章を一日1本でしたが、今は原則短い文章で3本に代えました。私は気移りが激しいので一本に集中するよりこの方が合っているようです。最初一日30件位だったヒット数も200件を越えるようになりました。本当にありがとうございます。折角なので40000をテーマに色々考えたのですが…あまり思い浮かびません。100年間の日数って知っていました?36525日。40000以下ですね。つまり人間は40000日生きることができない。40000ってすごい。人口40000人、市に昇格するのは難しいですね。40000、まだまだ。パチンコで40000勝つ事はいまどき珍しくありません。ところで、今日CRエバンゲリオン(PS2のゲーム)を購入しました。面白いけどパチンコで勝てない理由を実感しています。なかなか近くの店に売ってなかったけど楽天さんなら実質24時間程度で到着。ANAでもらった期限付きのポイントを使って安く買えました。感謝の意味もこめて一応広告しておきます。
Oct 29, 2005
それぞれの国や場所には独特の香りがあるものです。韓国をはじめて訪れたときはキムチの香りで驚きました。アメリカ南部は気温の高い湿地帯と言うこともあって少々泥臭いにおいがしたことを覚えています。私は潮の香りが好きで海の近くに住んでいます。木々の香りも嫌いではないのですが、好みの問題でしょうか。タイに着いたときはなにかの香辛料の香りがしました。ずっとこの香りをかいでいると口が辛くなって食あたりしそうでした…辛い物が苦手なので。それだけにホテルの部屋に飾ってあった花の香りには「ほっ」としました。気がつかないほどのかすかな香りなのですが、見ているだけで香ってくるような気分になります。この枕の上に置いてあった花もゴミ箱にポイと捨てることなく、枕の横においたままにしておきました。
Oct 29, 2005
ガラス窓は日本になかった文化です。日本は木戸、障子、ふすまの文化でしたからね。それだけにガラスの美しさで西洋文化に対抗しようとしても無理です。歴史の長さが違います。洋館の窓(ここはドアかな)は枠を含めどれも美しい。この窓ガラス、異人館とはいえ、かつては普通の家の窓ガラスだったのです。こんな手の込んだ窓ガラス、日本では「子供が割る」と気が気ではない。西洋の子供達は窓ガラスを割ることがなかったのでしょうか。それともこのガラス、見た目よりずっと丈夫なのでしょうか。
Oct 29, 2005
このオーストラリアには防波堤なんていうものがありませんから波が高い。これでは子供を連れて気軽に泳ぐ事はできませんね。やはりサーフィンに向いています。実は少し遠浅なので写真のように少し歩いていくことができます。しかし油断は禁物、波は海岸近くで急に巨大化します。つまり予想がつかないのです。さすがに流されるという事は無いのですが、ズボンがぬれる可能性は大です。まあぬれたところですぐに乾きますが。はだしで歩くと気持ちが良かったですよ。ちなみに3歳だった息子はこの波が相当怖かったようです。結局足首くらいの水深が限界。時々高い波が来るとこの世の終わりが来たかのように逃げていました。彼にとってはディープインパクトの津波のようなものだったのでしょうか。
Oct 29, 2005
タイで泊まったホテルです。広いベッドでしょ。会社のディスカウントが効くうえ経費は会社持ちですから海外ではかなりよい部屋に泊まることができます。日本国内の場合はベッドと壁の隙間にカバンさえ入らないような部屋もありますが(笑)日ごろ3歳の娘と一緒に寝るため(娘は夜中に家内と私の横を行き来します)私は狭い睡眠空間に慣れてしまっています。そのため、こんなに大きなベッドでも利用するのは三分の一程度。しかも真ん中ではなく落ちるくらい端っこでないと落ち着きません。広いベッド、意味なし。ちなみにこのホテル繁華街の真ん中過ぎて女性に不評らしく、今回の出張ではホテルが変わりました。「リゾートホテル」とついており、繁華街からは遠そうです(笑)
Oct 28, 2005
谷町筋の紹介も終わり、出張終了までの期間(11月末頃まで)は少しゆっくりしたいと思っています。特に特集を組むわけではなく短編集で。ここのところ仕事の帰りが遅く、少々文章を書くのに疲れ気味。そこで写真加工を楽しんでいます。主に京都の写真を題材に加工しているので、加工写真を見つけたら京都にもこんな風景があるのだなと思っていただければ幸いです。以前から写真の加工は楽しんでいます。デジタル写真の大きな利点ですからね。コントラストを上げてみたり、ステンドグラス加工してみたり、ただの写真では味わえない楽しさ、もしくは失敗写真復活のアイディアとして楽しんでください。
Oct 28, 2005

写真はこちら船は水面すれすれを流れていきます。低すぎて何も見えません。中ノ島の公会堂も見えなければ町並みもいまひとつです。水は淀屋橋に近づくにつれて汚くなっています。このクルーズ、本当に良いのでしょうか。ただシートが指定席でゆっくりと波に揺られて淀屋橋に到着、料金もそんなに高くは無いので移動手段としては悪くありません。さて、大阪はパリだったでしょうか。無茶な質問です。オルセーも、凱旋門も、コンコルド広場も、エッフェル塔もありません。見えるのは…ホームレスの方々の青いビニールテントばかりでした。さあ、御堂筋に到着しましたので長々と紹介しました「谷町筋を行く」は終了です。読み返してみるとあまり谷町筋は歩いていませんね(笑)大阪の町歩きも悪くないでしょ?京都や神戸に飽きたら、いえいえそんな観光地に行く前に、庶民の大阪を歩いてみてください。でも私なら京都に行くな(笑)
Oct 28, 2005
今日の日記は2つ目で終わりにしようと思っていたのですが、ちょっとうれしいことがあったのでもう一つ書いておきます。画像オプションの容量が3倍になりました。どうせなら100倍程度、かつ一枚辺りの容量が上がればよかったのですが、まあやっぱりちょっとうれしいです。一方で画像倉庫に追加できなくなりました。こんなことなら100枚目近くまで登録しておけばよかったー(笑)ですから結果として登録できるのは現在の250枚程度から450枚程度に。倍までは増えませんでした。
Oct 27, 2005
エジンバラ城からまっすぐに道を降りていくと宮殿があるそうです(確かそこまでは行っていません)。この距離が約1マイルであることからこの通りはロイヤルマイルと呼ばれるのだそうです。旧市街とも呼ばれるこの道には古い建物が多いのですが、その多くは記念館なっていたり、おみやげ物売り場になっていたり、景観を壊さないように上手く再利用されています。この通りにあるおみやげ物屋さんはけっこう「こてこて」の商品が多く、日本風に言えば「根性」の色紙とか三角ペナントの類。具体的には骸骨の模型とか、変な刀やTシャツ。ちょっとセンスを疑いました。まあTシャツを買いましたけどね(しかも間違えて子供サイズを…)。
Oct 27, 2005

写真はこちら大阪城の前から淀川クルーズです。日本のパリを名乗る大阪が実感できるかどうか確認したかったのです。セーヌ川の記憶はほとんど無いのですが。まずはこのガラス張りのビル、最高に気に入っています。空(そら)とビルとの境目がはっきりしない感じがいいでしょ。このビルの写真ばかり10枚くらいあります。大阪城と京橋の間にOBP:大阪ビジネスパークがあります。コンピュータの会社もあって、新人の頃は良く研修に行きました。私は化学工学の出身で、金属の腐食を研究していたのですがいつのまにかシステムに配属になり最初は苦労しました。それだけに企業研修とか、政府が主催する大学の講座などに通った事を思い出しました。そんなことはどうでも良くて…このビルは最も大阪城に近いOBPのビルです。大阪城の全体写真では左手に見えています。最後に「飛行機の標本」…誰かのパクリ。
Oct 27, 2005
空港なんて大体どこも同じ風景です。特にシンガポールとタイはそっくり。シンガポールとタイの大きな違いは言語。タイ語は読めませんねぇ。どこで区切るのかもわかりません。ちょっと教えてもらったのですがすっかり忘れました。シンガポールはほとんどの場所で(なまりはあるけど)英語が通じ、漢字を見かけることもよくあります。だからどんな場所でも困る事はありません。一方でタイは日本と同じく英語が通じない国の一つ。空港を出るとかなり言葉で苦労します。今度は挨拶くらいタイ語で練習していきます。
Oct 26, 2005
神戸の異人館近くにある通りの写真。窓枠など見た目が洋風なのに瓦が使われています。コンクリートが無かった時代、かわらと言う屋根材は木材に比べ強い耐久性があります。しかも現場での組み立て型。クレーン車など無くても簡単に設置できる優れた材料です。今でこそ改善されましたが、瓦は雨漏りだけが問題でしたね。昔はよく使わなくなったなべなどで受けていました。子供たちには一種の楽しみでもありました。今こうして車窓から大阪郊外の家を見ていますが、新しい家ではほとんど瓦が使われていません。ここにも時代の変化があるようです。
Oct 26, 2005

写真はこちらやたらと中国と韓国からの観光客が多かった天守閣を後にします。その後もすれ違うのは海外からのお客さんだらけ、スペイン語、英語、万国博覧会状態です。大阪城を大阪城ホール方面に出ますと急に人が少なくなります。コンサートが無いときの大阪城ホールって静かですねぇ。ストリート・ミュージシャンの音程の合っていないコーラスが共鳴し、不思議な雰囲気をかもし出します。景色の紹介は写真に任せて…。そういえば大阪城ホールのコンサートに来る事はほとんどなくなりました。最後に来たのはディズニー・オン・アイス(笑)その前はディープ・パープル(爆)。いつの話しなんだ?私はそもそも外タレのコンサートにしか行かないのですが、ほとんどのケースが厚生年金会館。大阪城ホールや(倒産しましたが)大阪ドームでのコンサートはほとんどありません。特に大阪城ホールはアリーナからの眺めが悪く、好きではありません。また、そこまでメジャーなコンサートには行かないですからね。しかも子供ができてからは一人で行くわけにもいかないし。
Oct 26, 2005
色々あったのでまだ行きたいという気持ちにはなれないのですが、またパタヤに出張することになりました。去年のシンガポール4回訪問に比べると少ないのですが、一年の間に同じところへはあまり行きたくはないです。折角行くのですから今回はできれば一日長く滞在して少し見聞を広めたいところです。あまりに気合が入らないので、少しパタヤの写真を見ながら楽しかったことでも思い出してみることにしました。
Oct 25, 2005

写真はこちらさて、近代建築大阪城に到着です。入り口まではガラス張りのエレベータもありますよ。大阪と言う町は巨大な都市でありながら、歴史の中ではあまり目立ちません。奈良、京都と世界でも有数の遺跡都市と言うこともありますが、「敗戦」というイメージが強いからではないでしょうか。大阪、豊臣家はその代表格です。秀吉の悲しさはたった一人が怪物であったこと。徳川の偉大さは家系として非凡であったことでしょう。その象徴がこの大阪城ではないでしょうか。傾きかけた秋の日差しに輝く「新品の大阪城」こそが歴史を物語ってくれるのです。天守閣に登っていないのであまり書くことがありません。
Oct 25, 2005
あした10月25日は娘の誕生日です。長い三年間でした。息子はひどい風邪をひいて40℃越えなんて珍しくありませんでした。娘の場合、頻度は低いのですがひどい病名が続きました。気管支炎(生誕1ヶ月にして入院)、強いアレルギー(「一生治りません」と言われています)、肺炎、喘息。まとめればアレルギーが原因ですぐに気管系がやられてしまいます。卵アレルギーは注意すれば大丈夫なのですが、一番の問題はハウス・ダスト。自分が暴れて埃を出しまくるので、防ぎようがありません。このように書くと病弱な娘に聞こえますが、その行動は男の子と見間違うほどの暴れん坊。病気なんて微塵も信じることができません。お兄ちゃんの行動を真似ますから言葉遣いもひどいものです。今最大の問題は「謝る」ということを教えること。とにかく(誰に似たのか)気が強くて謝ることをしない。そして気管支が弱いのに声帯は強いようで、声がやたらとでかい。娘が怒り始めると近所から苦情が来るほど。次の春からは幼稚園。気管支を強くするため少し水泳かスポーツでもやらせて、少し疲れさせないといけませんね。この一年も元気で育ってね。
Oct 24, 2005
この事は書きたくなかったのですが、どうしてもがまんできず書いておきます。私はホワイトバンドの活動に大いに賛成しています。私もホワイトバンドを買いました(娘がしていますが)。貧困という問題の解決を真剣に考える、それを宣言するのがホワイトバンドです。300円程度の寄付で世界の貧困という巨大な問題が救えますか?富裕層に比べ貧困層は圧倒的に多い、例え300円のうちの200円を1億の人が寄付しても何の足しにもならない。そんな事は最初から「当然のこと」なのです。お金を貧困層に寄付する事は一時的な助けになっても継続はしません。それでは継続的な効果が無いのです。貧困層を助ける非営利団体を補助することが最も重要なのです。それがホワイトバンドの理念です。ホワイトバンドの活動に参加する事はとてもいいことですし、小さな誇りとしてよいはずです。しかしこれは最初の一歩であり、「貧困層の救済を真剣に考える」ということを宣言するスタート地点であり、募金が終わったという最終到達地点と勘違いしないで欲しい。払ったお金が貧困層に「寄付として」使われていないということを批判する。こんなつまらない批判でホワイトバンドのようなよい活動がつぶれる事は避けて欲しいのです。日本国内は義援金を寄付として使うことが多いですね。これは日本のようなインフラが完備されている国内での「復興」への寄付だからこそ意味があるのです。しかし貧困が激しい国で個人への薄い寄付はあまり効果がありません。お金が生活を向上させるためではなく生き延びるためにお金を使うからです。しかしその程度のお金では1ヶ月もたてばまたもとの貧困に戻ります。そこで貧困を改善するため長期的に生活を向上させるための組織を支援しなければ根本的な解決にはならないのです。インフラ、教育、安定した生産活動、これらに投資をする必要があるのです。これであればたかだか200億円のお金でもかなりの効果があります。このホワイトバンドと言う活動方法こそが「世界標準」の活動でありお金を寄付するという日本の方法が金持ち国家の例外です。世界標準を批判する事は日本人として恥ずかしい行動なのです。今回の問題で日本が国際化の道を一つ開くきっかけになって欲しいし、悪い結果に終わって欲しくないということ願ってこの投稿をさせていただきました。この投稿に対して批判がある事は十分承知です。不快になられた方がおられましたら一個人の意見としてご了承ください。
Oct 24, 2005
この写真、よく見ていて気がついたのですが息子がハンドルを握っています。こんな車を見るたびにハンドルを握っていた息子、今では懐かしい光景です。娘は女の子だからか、こんな車よりキャラクター系の乗り物が好きです。アン○ンマンとかピカ○ュウとかね。この動かない古めかしい車。もちろん乗車は無料です。しかし結構な人気で、次々と子供たちが乗っていきます。女の子もいますが、やはり男の子が多い。自分が子供の頃はどうだったでしょうか。そういえばおじいちゃんの軽トラックのハンドルを握っている私の写真が残っていたような覚えがあります。昔から子供はハンドルを握って運転する日を夢に見ていたのかもしれません。
Oct 24, 2005

写真はこちらこの「谷町筋を行く」シリーズは司馬先生の「街道を行く」を意識したものではありません。「谷町筋を歩く」にすればよかったのですが、地下鉄を使いましたので…。西○理恵子氏の「まあじゃんほう○うき」程ひどくインスパイアされていませんので勘弁してください。つまり歴史的な考察は一切無し。司馬先生は一歩の重さが違います。そういうことで大阪城の巨大さを楽しみました。秀吉と言う人物は好きではありませんがすごいことは確かです。農民から一代でこの大阪城を建てるにいたったわけですから。しかも朝鮮半島にまで、正確には中国まで責め滅ぼそうとした豪胆ぶり。まあ彼には先に進まなければ成り立たない辛さがありました。なりあがりの場合は止まってしまえばおしまいですから。そんな彼の正に「お城」大阪城。そのすごさはエジプトのピラミッドの石が小さく見える巨石文明です。(実はこれ、秀吉の時代ではなく江戸時代のものだそうです。ここにも実は江戸時代にとって重要な歴史があるのですが割愛します。)城よりもこちらの石の巨大さに感動。推定108トンにして大阪城で4番目の大きさ。つまり更に3個もこれより大きな石がある。しかもこれらの石が平面を作り、他の石とぴったりとくっついている。加工技術も一流です。そんな巨石に驚きながらいよいよ天守閣に向かいます。
Oct 23, 2005
神戸は和と洋が調和している、というか「ごちゃまぜ」です。この階段、ちょうちんもあり和風なのですが、よく見ると北野外国人倶楽部と思い切り漢字で書いてあります。外国、外人と言う言葉は海外では差別用語として扱われ、私が働く会社でも利用は暗黙の内に禁止されています。(実際に人事から指摘される人も…)外と言う漢字が否定形として捉えられ、国にあらず、人にあらずとなるからだそうです。しかし私はあまり差別用語と言う印象を持っていません(それでもほとんどつかいませんが)。海外の人に対する愛着のある日本語ですよね。外国人倶楽部って表現がとっても和風で好きです。
Oct 23, 2005
北海道はでっかいがオーストラリアはもっとでっかい。果てはどこにあるのでしょうか。遠すぎて見えません。とにかくこの砂浜は長い。それなのに海水浴客はあまり見当たりませんね。冬だから。朝だから。これだけ広いとどこで泳いでよいかわかりませんよね…って実は決まっているのです。海岸にふたつの旗が立っていてその間でしか泳いではいけないのです。見張り小屋の位置や海底の形状などで決まるらしいのですが、広~い砂浜の狭~い範囲でだけ泳ぐことができるという不思議な光景が広がります。ちなみに冬でも昼間は泳いでいました。
Oct 23, 2005

写真はこちらさあ出口に向かうのですが、その前にもう少し懐かしい写真を何枚か紹介しましょう。このフロア、実によく造り込まれています。今でも場末の温泉場に行けばこのような雰囲気が残っている…いや、さすがにもう無いのかも。これは私が知っている日本の、日本らしい文化。ネオンサイン、狭い路地、ランプ、ちょうちん、小旗。日本って本当に気軽に文化を捨ててしまいますね。こんなに日本らしい風景なのに、今は日本のどこにもありません。滅び去った歴史…そんな風景なのでしょうね。出口には大阪万博のタイムカプセルがありました。こんなところに。一階のレストランで少し遅めの食事です。ノスタルジックにカツカレー。暖かい(暑い?)木漏れ日にまぶしい思いをしながらデジタルカメラの写真の整理をして次に向かいます。いよいよ大阪城です。
Oct 22, 2005
夜景で有名な場所は日本にたくさんあります。函館、横浜、実は最近私の生まれ故郷である呉も夜景の街として努力しているようです。しかしそれらの中でも神戸は特に夜景がきれいな町です。ビーナス・ブリッジからの眺めに勝てる場所が日本に多くあるとは思えません。今回はそんな山並みからの眺めではなく港近くの夜景。神戸は夜景を演出するためかなりの努力とコストを払っています。「電気代がもったいない」なんていわないでください。実際、夜景を保つため、年間100万ドル(約1億2000万円)位は払っていてもおかしくないですね。
Oct 22, 2005

写真はこちら歴史博物館、次の階は…もう近代。明治維新の頃です。家内と先日話をしたのですが、昭和生まれの私達にとって大正は大昔。そうすると平成生まれの子供達にとって昭和は大昔の「歴史時代」なのでしょうか。明治時代は私達の江戸時代の感覚?そう考えれば明治は既に近代とは言わないのでしょうか。ここは勉強のフロア&一つ下の階を上から眺めるフロアです。眼下には戦後の文化が…。ちくしょう、懐かしい。今の子供達が写真でしか見たことのない世界が広がります。私ももちろんここまで古い時代は知らないのですが…不思議と懐かしい。ここの写真を見て懐かしさを感じたあなた…昭和生まれの仲間です。
Oct 22, 2005
これ、ビルの写真に見えますね。事実私もこのビルが気に入ったので写真に撮ったのだと思います。エンジニアですからビルのような構造物は好きで、特に意味も無く写真を撮っています。今回写真を選んでいてこの写真を見ていたところ、ビルの前にクレーン車のようなものが2台あります。工事中かと思ったのですがよく見れば逆バンジー。さすがオーストラリアって本場はニュージーランドか。誰も使っているところを見かけませんでした。使っていれば気がついたはず。もしかして個人の所有物?あ、その場合上がったが最後降りられないか。
Oct 21, 2005
私たち「写真好き」はまるでマリオネットのように異人館の管理者に操られているのかもしれません。「はい、こっちへ来て写真を撮って」って。最初からこの場所を撮影するように仕組まれている?罠でしょうか。それ程完全な被写体、適当に撮ってここまでちゃんと写ると…悔しいですね(笑)こんなウッドデッキがあれば大人も子供も毎日楽しく遊べますね。私のマンションもウッドデッキ風にしていますが、日ごろの管理が悪くはだしで歩くと足の裏が真っ黒になります。私の家にもここの管理人さんが住み着いてくれないかなぁ。
Oct 21, 2005

写真はこちら一つ下の階に進みますと大阪の町文化。少し時代が飛びすぎているような気もします。大阪城、商業の町。ビル自体、博物館としては高額な建造物なのに、展示が少々安っぽいのが寂しいです。展示品を作るときにバブルがはじけたのでしょうか。正直芸術と言うようりは漫画といった雰囲気。だんじりも展示されていました。今は泉州に残るだんじり祭ですが、かつては大阪中にあったことがわかります。装飾が今とほとんど同じ。伝統は生きているのですね。文楽人形など大阪の芸の文化も説明されています。工芸品や美術品は少ないのですが、昔の庶民の生活を物語る模型や展示品は大阪が栄華を誇った時代を知ることができると同時に、その文化は感じている以上に現代まで残っていることを教えてくれます。
Oct 21, 2005
エジンバラまで行くとさすがに一年中気温が低いため、高山植物のように小さな花が多くなります。この写真は、エジンバラの植物園。この黄色の花は中に幹があるのか、それとも草が積み重なってこのような形になっているのかわかりません。少し不思議。この植物園はとにかく小さな花や植物が多かったので、虫眼鏡を持って出かけると楽しかったのかもしれませんね。
Oct 21, 2005
日本でもサーフィンやボディーボードは人気です。藤沢に住んでいたとき大磯の辺りでサーフボードを横にかけられる自転車を見て感動しました。市販されているのでしょか。しかし日本でサーフィンは高級なスポーツのイメージがあります。防波堤は津波の被害を軽減してくれますが、言葉の通り並の強さを弱めます。日本列島は防波堤の皮をかぶったエビフライ。サーフィンが楽しめる「隙間」は本当に限られています。それだけにこんなサーフボートを持っている人を見ると少し眼を細めてしまうのですが(何故?)ここゴールドコーストでは、海と波があるからサーフィンをする。そんなとっても自然な雰囲気が漂っていました。別にやりたいとまでは思いませんでしたけどね(笑)
Oct 20, 2005
NHKの隣に立つ高層建築、歴史博物館。贅沢な建物です。でも入場料金は600円と他に比べれば割安感。大阪財政は大丈夫?(駄目です。会社更生法物です。)私達の将来分を含む税金をたっぷりつぎ込んだ建物ですから(皮肉が多いな)しっかり楽しんできました。しかも一部を除けば写真が撮り放題。とても楽しかったので4回に分けて紹介します。この博物館は上から下へと見学していきますのでまずは10階に上がります。階を下るに従い歴史が進んでいくという指向です。10階は古代の大阪。この歴史博物館の前には難波離宮の遺跡があります。難波離宮(難波京)は645年から平安遷都の793年まで使われていたそうです。サイズも平安京並み。平城京や平安京に比べてなぜここまで扱いが小さいのでしょう。知りません。そんなみんなが知らない大阪の歴史を学ぶことができます。この階、時々巨大カーテンがひらき難波離宮の跡地を見下ろすことができますよ。なお各階からは大阪城を見る事ができます。特に晴れた日は絶景です。これだけでも料金分の価値ありです。
Oct 20, 2005
オランダ坂というと長崎を思い出しますが、こちらは神戸のおらんだ坂、もしくは阿蘭陀坂。なんだかチープで日本風です。でも良く見るとオランダの国旗と思われる旗があります。神戸は貿易港でしたから明治の頃には領事館がありました。今でこそ海外旅行=飛行機ですので領事館は東京とか大都市に移動してしまいました。神戸ではその名残を見ることができるのです。異人館が多いのもそのため。そもそも忘れがちですが、オランダは日本と江戸時代でも貿易を続けてきた数少ない西洋国の一つです。まだ超大国アメリカがなかった時代、日本と友好関係を持ち積極的に貿易をしてくれたのはオランダくらい。オランダにちなんだ地名が貿易港の近くにあってもおかしくはなく、長崎が特殊ではありません。横浜にはないのかな?今、日本とオランダは関係が弱くなっているような気がします。オランダには気難しい人が多い、アメリカやイギリスの人は「苦手」と思う人が多いようです。事実とっつきにくい。しかし話をしてみるとオランダの人はとても日本人と気質(きしつ)が似ている、気が合います。どちらもエンジニア的な変なこだわりが強い…本来とても似通った国民性のような気がします。オランダ、行って見たいな。あ、もちろんハンガリーも行きたいですよ。今日はオランダの話ですから。
Oct 19, 2005
月がきれいな朝でした。東から登りつつある太陽に少しずつ月の姿が薄れていく、それでも台風の影響からか空気が澄んでいるようで、いつまでたっても私の右手前から月が離れていきません。秋だなぁと実感します。10月も中旬を越え大阪は急に涼しくなりました。特に朝方は寒い冬が到来を予感します。今年の夏も短かったなと感じる一方で、北海道や名古屋に旅行した夏は遠い昔のような気もします。太陽の光に薄れていく月光のように私の記憶も消えていきます。Blogに書いておいて本当に良かったです。楽しかったことも、嫌だったことも…
Oct 19, 2005
ごめんなさい。ちょっと「ずる」をしました。あまり歩くと大阪城で疲れるので地下鉄を使って体力を温存。なにせ大阪城は広い。つまり歩いていません(笑)谷町筋の4丁目で地下鉄を降り地上に登ってみればモダンな建物が2本立ちふさがります。一本は明日からじっくりと紹介する大阪歴史博物館。もう一つがNHK大阪です。大阪でNHKを見ているとしばしば大阪城がドーンと映し出されます。NHK、ここにあったのか。なるほど大阪城を見るには絶景ポイントですね。今回NHKを見学してきたわけではないので外見だけの紹介です。今度は子供達を連れてきて一緒にこのエリアを楽しみたいですね。NHKばかりでなく歴史博物館も子供達が楽しめる内容でした。家族でのお出かけポイント発見です。
Oct 19, 2005
花さんほど鳥は撮影しないのですが、海外ではさすがに珍しい鳥に出会います。この鳥、そんなに珍しくは無いでしょうが、人懐っこいし鳩並にうろついていました。なんていう鳥なんでしょうね。写真ではわかりにくいかもしれませんが結構大きい。さすがオーストラリア。他にも七面鳥のような鳥が普通にうろついていました。さすが動物王国。いつもは鳩をいじめる息子も、さすがに近づきづらかったようです。
Oct 18, 2005
神戸異人館の室内。調度品の一つ一つから窓枠まで「異国」。でもチェス版に比べて机が大きいので、ここでチェスをしたわけではないと思います。多少の演出はあるようです。私は将棋さえもしないのですが、チェスと言うゲーム、よくできていますよね。やはりボードゲームははまると楽しい。麻雀ははまりましたね…ってボードゲームとは言わないけど。そういえば今日(といってもBlogに載せる随分前の話ですが)イギリスの知人が息子にと「スクラブル」を送ってくれました。このゲームも「はまる」のですが、日本人の私たちがやるときは英和辞典がないと難しいですね。できるのは簡単な単語ばかり。しかもLとRが怪しい。息子用と言うより私と家内用でしょうか。ちなみに図鑑も送ってくれたのですが…単語が難しく息子にはまだ無理なので私が楽しみます。
Oct 18, 2005

写真はこちらひかえおろう(独身者のみ)この御霊木こそ男女の縁を結ぶ「愛染かつら」です。よーく祈っておいてください。なお隣には水子供養のお地蔵さんがありました。遠足で来ていた小学生の女の子達は「間違えて」こちらに手を合わせていました。先生、ちゃんとどれに祈るべきか教えてあげてくださいね。この有名なお寺は道端にあって目立ちません。看板がなければ見逃すところ。遠足の子供たち、約一クラス分がレジャー・シートをひいていると足の踏み場もないくらいの狭さでした。それよりなぜこんなところに遠足?隣はお墓だし。(お墓で遊んでいるし。)
Oct 17, 2005
影が好きな私のお気に入りの一枚です。異人館は木で囲まれており、そのざわめきがうるさいくらい。そんな音を写真では伝えることができませんから、せめて影で木々の存在を強調してみました。影の部分のレンガだけがくっきりと写真に写っている、そこが気に入っています。そう、私のツボ。
Oct 17, 2005
ロンドンの移動手段はどれも個性的です。コーチ、つまりが赤い二階建てバス。黒い(最近はいろんな色がありますが)ずんぐりとしたロンドン・タクシー。そしてチューブと呼ばれるアンダー・グラウンド。もちろんチューブ型の古い路線ばかりでなく、日本のような四角い地下鉄もたくさん走っています。ロンドン市内に流入する自家用車はある程度コントロール(課金)されていますからおもったより渋滞は少ないのですが、それでも移動には地下鉄が便利です。このUnder Groundのマークも有名ですし目立ちますから駅は簡単に見つかります。主要路線は3~5分おきに電車が来ますから見慣れない時刻表と格闘する必要もありません。残念ながら料金が2倍になるというニュースが流れました。老朽化が進んでいることが大きな理由だそうです。ロンドンの地下鉄にテロの不安は残っています。それでも一日の利用客数から計算すれば安全な交通手段。爆弾チェックには進んで協力し、安全で便利な地下鉄の旅を楽しんでください。安くはありませんが…
Oct 17, 2005

写真はこちら大阪は坂の少ない・・・坂の町、呉に生まれた私にとってある意味驚きです。しかし「大阪には坂がない」という固定観念ができてしまった今、大阪の真ん中にこれほど坂がある場所があった事は新たな驚きです。まずは眞田雪村戦没地の石碑が見つかりました。大阪城に近いこと、また四天王寺など当時のお寺が軍隊の基地だったことを実感できます。ここから小さなお寺と坂道が続きます。天神坂、清水坂、愛染坂。いずれも今は寺町にある住宅街の小さな坂道ではありますが、なんとなく懐かしい雰囲気が漂います。この道は大阪城まで続いていくのです。途中で階段を見つけました。最近階段フェチですが、この階段の言われも素敵です。101段あり、100歳とプラス1歳まで心身とも元気で活きられるようにと願いをこめて登るのだそうです。数えると本当に101段ありました(疑っていたわけではないのですが)。
Oct 16, 2005
いよいよ紅葉のシーズンが近づいてきました。今年は色づきが悪いといいますが、全てが悪いという事は無いのでやはりカメラが好きであれば最高のシーズン。そして今年最後の撮影シーズン。(クリスマスの時期は忙しくて写真が撮れないので。)残念ながら最近少なかった出張が11月くらいにはいくつか発生しそうで、写真を撮りにいけるかどうかが微妙になってきました。それでもやはり旅行計画を考えるのも楽しみの一つですね。考えているのは次のコース。まずは日吉大社から延暦寺のコース(滋賀)。特に延暦寺という戦国の時代に一大名以上の存在感があった軍団には興味があります。「寺」という表現にだまされますが、比叡山は戦国時代の前の日本の覇者といっていい。そんな世界にも興味があります。次はやはり京都。人気の東山、北山には行き倒しているので、できれば西側で探したい。西側でどこかいいところはないですかね(嵐山、嵯峨野は除きます)。すこしガイドブックを見て考えてみます。他には奈良、六甲、和歌山近辺にもいいところが無いか探しているところです。とにかく一番行きたいのは滋賀ですからホテル探しも含めそろそろ動き出します。もう遅い?(笑)
Oct 16, 2005
神戸の異人館辺りにはいくつかの銅像があります。ただし偉い人の銅像ではなく、やたらとくつろいでいる銅像ばかりです。この銅像はトランペットを吹いています。後日まだ何枚か紹介したいので他の銅像については後日触れることにします。しかしこんな坂の上でトランペットを吹けば本当に気持ちがよいでしょうね。「うるさい」と怒られる事は間違いありませんけどね。ちなみにこの異人館辺りには呼び込みのおばちゃんがたくさんいます。それがまたこの欧風の雰囲気の町並みに合わなくて幻滅。このおばちゃんたちがいなければもっと異人館の雰囲気を楽しむことができるのですけどね。
Oct 16, 2005

写真はこちら四天王寺の中でであった小物たちです。まずは鳥居の看板。お寺なのに鳥居なのがいつもの通り不思議です。この文字、読めませんねぇ。何か注意書きでしょうか。私は入ってよいのでしょうか。分かる人がいらっしゃったら読んでくれませんか?この船のかじのようなもの。くるくる回すのですが、何故かはわかりません。みんながまわして行きますので私も回しておきました。こちらも同じく回すのですが、目的はわかりやすい。一周回せばお経を唱えたことになるそうです。なんてユーザー・フレンドリー、これでいいのでしょうか。ちなみにタイなどにも金色の回すドラムがあって、こちらも確かお経を唱えたことになるのですよね。私も回しておきました。次は巨大なテーブル石。ここから祈ると熊野三山に祈ったことになる…って、またもや大サービスのように感じるのは私だけでしょうか。やはりどうやら仏教に興味がない私が訪れる事は失礼だった用です。勉強して出直します。
Oct 15, 2005
私が一番住んでみたい国はオーストラリアです。そう、こんなマンションに住んでみたい。オーストラリアの海に面し、聞こえるのは波の音だけ、月夜の海はさぞやきれいなことでしょう。ちなみにすぐ裏手は商店街。買い物も問題ありません。しかも物価は日本より安い。残念ながらオーストラリアに日本ほど仕事がありません。日本での仕事を捨てて住むには少々貯金が足りません。私の会社は55歳から年金を受け取ることができます(正確には50歳から)ので、その辺りの年齢が一つのポイントでしょうか。あまり定年までは待ちたくありません。定年延長されてそうだし…。
Oct 15, 2005
うなるしかないですね。テーブル、マントルピース、絵画、そしてこの窓枠。「理想」を現実にしたという雰囲気です。きれいな写真を撮るには腕は必要ないです。晴れの日に神戸に行って写真を撮る、これだけで一流の写真家「のよう」に見えます。ちなみに角度を変えてマントルピース(暖炉)も撮影してみました。また違った雰囲気でこちらも絵になります。理想的ではありますが、機能的ではないので住みたくはないです(笑)
Oct 15, 2005
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