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先日紹介したように、クラークキーには中華風の建物が並んでいます。中華風といいますと、長屋で木製の窓枠が付いています。そしてシンガポールの特徴はパステルカラーです。そんな町並みを更におしゃれにしたのがクラークキーの建物です。ほとんどのお店は一階部分にあります。もしかすると二階部分は飾りなのかもしれません。それでも窓が空いているところはありますから、倉庫のように使われているのかもしれませんね。お店の人が住んでいるということはなさそうです。実は駐車場まで同じようなつくりにしてあり、雰囲気を壊さないようになっています。外見からだけでは駐車場だとは分かりません。お店と間違えて入ってしまいそうなほどです。このクラークキーは深夜まで眠らないレストラン街のようです。それではそろそろ軽く?食事を採っておきます。
Aug 31, 2007
今日はBlog開設999日目、明日は1000日目です。4桁…よく続きましたね。ご他聞にもれず、辞めたくなったこともありましたが、やめると通勤中が暇になるので続きました(笑)皆さんのコメントにも励まされました。Blog開設当初はコメントなんてつきませんでしたからね。そんな最初の頃、コメントをくれていた人のほとんどがもうBlogをやめてしまいました。もちろん残っておられる方もたくさんおられます。1000日と一言で言いますが人生60年(最初の10年を対象外にして)とすれば約3年は人生の5%。そりゃすごい!
Aug 30, 2007

秋葉原と言うと最近はメイドカフェが有名ですね。シンガポールなどにも進出しています。しかしその前に忘れていけないのは「おたく」という人たちの存在です。私は実はおたくと呼ばれる人たちを肯定しておりまして、ひとつの技術を極める姿は本来日本人の究極の理想形です。ホンダだってソニーだって、かつてのエンジニアは完全な機械オタクなのです。私は「おたくが日本を救う」と本気で思っているのですが…秋葉原において私はおたくにはなれないと痛感しました(笑)。アニメ、ロボット、ゲームなど今後日本の産業の主役を担うであろう分野の最先端だけあって素人には深すぎます。新入社員がベテラン集団の中で冷たい目で見られているという状況でしょうか。パチンコ台がエヴァばかりなのもいかがなものかと思います。しかしここで販売している電子パーツはすごいですね。大阪日本橋の比ではありません。欲しい電子部品は何でも手に入りそうですし、いまや手に入らなくなった古いパーツでもどうにかなりそうです。私もリストアップしておけばよかった。もともと秋葉原は電気街。いまでも、その機能は細々と維持しているようです。さあそれでは秋葉原の登場人物を見て行きましょう。
Aug 30, 2007

クラークキーには透明な屋根が付いておりアーケードになっています。これが夜になるとライトアップされ、独特の美しさがあります。この美しさに見とれ上を見ながら歩いていますと、交差点の中央が普通の道路のまま噴水になっているため注意が必要です。子供達は大喜びですけど、カメラには大敵です。照明の色は赤紫、青、白などいろんな雰囲気に変わります。以前来たときにその照明が映る水面を撮影して紹介したことがありました。美しくはありますが、ある意味クラブかバーの中に入り込んでいるようで淫靡な雰囲気さえします。しかしシンガポールに淫靡という言葉が当てはまらないのですけどね(笑)お店の前で中国風の獅子舞をやっていました。新装開店だったのでしょうか、それとも旧正月後だからでしょうか。獅子舞、演奏の皆さんのほかにユニフォームを着たチームの皆さんがいて、総勢20人ほどだったでしょうか。周りの人が何の役目かは分かりませんでした。クラークキーの建物をもう少し見ておきましょう。
Aug 29, 2007

息子の誕生日が近かったので任天堂DS Liteを買ってあげることにしました。DSは持っているのですがバックライトが弱く、視力が下がり気味ではないかと心配した(調べてみたら1.5でしたが(笑))の息子にはあまりよくないと言うことで画面が明るいDS Liteにしたわけです。結果から言えば秋葉原でさえもどこに行っても売り切れ、後日大阪で購入しました。本当はDS Liteを探すだけで帰るつもりだったのです。更に桜の撮影がしたかったですからね。簡単に街の雰囲気を撮影して移動するつもりでした。看板がアニメなのは大阪の日本橋でも見ますから驚きません。しかし帰る途中に歩行者天国が始まったのですが、ここからが「異世界」の始まりでした。思い切り「オタク」と札を自主的につけた人がたくさんいますし、怪しいカメラマン(私も結果としては仲間入りですが(笑))が大量に登場しました。ここからいろんなものが出てくる、出てくる、警察に、都知事候補まで(笑)結局他の場所に移動できず、いろんなものが光臨してくる聖地の写真撮影に没頭したわけです。先に言っておきます、みなさん相当に引きますよ(笑)コメント数、激減の予感です。
Aug 28, 2007

シンガポールは今でこそ陸上交通が発展しています。縦横無尽に走るハイウエイ、電車、バス、タクシー。しかし貿易港として育ってきたシンガポールは海上交通で成り立ってきた場所でした。クラークキーもそんな海上貿易で育ってきた場所のようです。日本が第一次産業、第二次産業から第三次産業立国に形態を変えてきたのと同じく、シンガポールのクラークキーも本来の桟橋としての役目を終わりレストラン街になっているわけですが、少し倉庫街のイメージを残しているような気がします。完全にレストラン街に変容したボートキーに対してクラークキーの方が新しいながらも港の香りがします。特にランドマーク的な存在であるリバーサイド・ポイントは対岸から撮影すると美しさが際立ちます。かすかな太陽光と建物の照明で、どうにか三脚無しでも大きくぶれることがなく撮影できました。広角で撮影しているため物悲しい雰囲気に見えますが、実際には凄い人、お台場よりは多いです。さて今度は少しアーケードに向かってみましょう。
Aug 27, 2007

上野に来た本当の理由はここだったのではないか、と思われているかもしれません。桜が見たかったことは事実で、桜が第一目的でした。でも東京の桜の名所の中で、最も人が多いであろう上野を選んだのは間違いなくここにハードロック・カフェがあったからです(笑)さてそのハードロック・カフェはJRの上野駅のはずれにありました。日本のハードロック・カフェの中では最も行きやすい場所にあるかもしれません。規模は大きくないのですが、十分な品揃えでした。まずは家族分のピンバッチ、家内には帽子(キャップ)を、自分用にはTシャツを買いました。いまや虫Tシャツとジャージしか着ない息子ですから息子用にはバッジだけにしたのですが、キャップが気に入ったらしく家内のキャップは奪われそうです。まあ家内はどちらかと言うと日よけ止めのため円周につばのある帽子のほうが好きなので議論にはならないかもしれません。息子はキャップが大好きです。さて次はどこに向かったかというと…秋葉原です。
Aug 26, 2007

クラークキーはボートキーに並ぶシンガポールの有名な庶民的レストラン街です。ああ、観光客向けといえるかもしれません。川沿いの出店にはたくさんのレストランが並びます。また通りを一本はいるとかなり高級なレストラン街になります。このクラークキーは中華街に近いこともあって、シンガポール風中華街の雰囲気を引き継いでいます。鮮やかなパステルカラーの色の建物が並んでいます。しかし店の入り口は中華風というより西洋風になっています。これが中華街かとだまされてはいけません(なお横浜の中華街は日本風ですよ)。夕闇の川面は美しく、まだハイティーの影響でおなかが減っていなかったため、ゆっくりと写真を撮影して回りました。建物も川面もその美しさが際立っていました。こんなとき、年中サマータイムのシンガポールがありがたいですね。7時をかなりすぎた時間でこの状態です。さてもう少しクラークキーの夕暮れを楽しみましょう。
Aug 25, 2007

上野といえば西郷さんの銅像が有名ですね。この銅像は西郷さんの写真や肖像画が残っていないため後世の人が考えたイメージ図を基に作った全体像です。犬を連れていたかどうかさえわかりません。しかしながら今はもうわかる人がいないのですから「これが西郷どん」でいいと思います。明治維新の立役者で本来は「明治幕府」の将軍になっても良かった人物です。とても人情に厚く、古風な人だったそうですね。写真が残っていないのも「魂を抜かれるから」と本気で思っていたという説まである古風な人です。ただし人に担がれやすいのが難点で、明治維新も西南戦争もそうですが、彼の意思ではなかったように見受けられます。カリスマ性はありますが、政治家向きではなかったのでしょうか。江戸城の無血開城は日本が世界に誇るべき革命です。もちろんその後、戊辰戦争などありますから完全に無血ではないのですが、明治維新が非常に小規模の犠牲者しか出さなかったことは日本の歴史の中でも「不思議」としかいえません。当時の日本は全人口の1割が「武士」という軍事大国だったわけですし、その盟主が江戸幕府だったのです。西郷さんの評価は分かれるところです。担がれた、だまされたのかもしれませんが、彼が明治維新をリードしたことに間違いはありません。一方、西南戦争で明治政府に反旗を翻したもの表向きは彼です。(確かに彼がいなければ西南戦争はなかったかもしれません。)個人的に単に好みではないと言う意味で尊敬まではできないのですが評価できる人物です。ちなみに私は坂本竜馬ファンです(笑)
Aug 24, 2007

帰る頃になって天気が回復してきました。この辺りには巨大なビルがあるのですが…見た感じかなり地震に弱そうです。重心が上のほうにあるものなど、震度5でも駄目かもしれません。このような見方をするのは地震国に生まれた日本人の特徴かもしれませんね。しかし歴史的に見れば東南アジアも回数が少ないものの地震はあります。シンガポールにそんな巨大な地震が来ないことを祈るばかりです。耐震構造が進んだ日本とは比較にならない犠牲者が出そうですね。あ、地震の話はこれくらいにして。中華街、安物を手に入れる以外特徴の少ない街でしたが、少し見上げてみることで素敵な色合いの建物がありましたし、マクロな眼で見てみれば中華と西洋が奇妙に融合した雰囲気も面白かったです。お勧めまではしませんが、時間があったら是非足を運んでみてください。さて次は食事に向かいます。今回はクラークキーという川沿いのレストラン街に向かうことにしました。
Aug 23, 2007

「和」という言葉は「多分」卑弥呼(天照大神?)の時代から続いています。かつて日本には倭という言葉が当てられましたが、魏志倭人伝の時代に日本に文字はありませんから発音的に「わ」つまり「輪」か「和」の意味ではないかといわれています。聖徳太子の時代には明確に「和」が政治の基本となりました。平成の今でも日本はこの時の「和」の政治、律令制度を変えていないのです。日本の今の政治を責める場合、歴史全てを否定しかねないのです。日本の政治は議論をする場ではなく「政(まつりごと)をもって治める」のですから。和は日本の国民性といえます。この政治的文化を持って国の名前を「大和」と定め、「和」を日本文化の代名詞としたのです。面白いですよね。日本という名前は明治時代に使われ始めました。(歴史を見ると海外に対しては日いずる国=「日本」=Japanと名乗っていたようですね。)和と言う漢字が付くものにはどれも彩があり曲線が重んじられ美しさがあります。和服、和菓子、和歌、和紙、和室。もう一つ、日本の特徴として「平和」という言葉があります、「平たく和す」。つまりみんなが「和」の状況にあることを意味しているのです。逆にすれば「和平」です。これらは中国からの言葉かもしれないのですが日本によくなじんでいますね。とにかく「和」という言葉が好きな国民性です。東京の桜の下でそんな「平和」な気持ちに浸りました。
Aug 22, 2007

中華街の春節、赤のイメージが強いですね。バイタリティというかエネルギーというか、力強さを感じる色です。日本の正月というとあまり個性的な色はないのですが、強いてあげれば薄い桃色、もしくは桜色の印象を持っているのは私だけでしょうか。日本の正月には活力より「リラックス」という言葉が合うような気がします。日本独特の文化ですね。日本で正月というと「賀正」という字を良く見かけますが、中華系では「福」という字を良く見かけます。福というと日本の場合は節分のイメージがないですか?春節に近い節分、もしかすると日本の旧正月の文化が残っているのかもしれませんね。なお中国で福という漢字はよく逆立ちしています。これは発音が良いのだそうです。良く見かける「赤いちょうちん」も中華系春節の特徴ですね。日本の場合、正月にあまりちょうちんは使いません。ちょうちんというと日本では祭りのイメージがあるような気がします。一方で日本の門松に近い存在は中華街でもいくつか見かけたような気がしますが、写真がないところを見ると気のせいかもしれません。中華系の文化が強く現れる春節、少し味わって帰路に着きます。
Aug 21, 2007

あまりにもすごい人ごみのため体が自然とよどみへ、道の端へと流されていきます。そんな道の端に咲いていたのが「シャガ」です(花の名前は教えてもらいました)。花のサイズは4cmくらいでしょうか。小さくて清楚な花ですが、密集して咲いています。皆さん上を見上げているので気づく人は少ないようです。さすがに都会だけあって「どぶ」は汚いのですが、そこに落ちた花を精一杯装飾してみました。人間たちが汚してしまった自然、せめてものお詫びです。まあ私には自然って何?という疑問はあります。ソメイヨシノは作られた花ですし、それを大量に植えたのは人間です。散る花びら一枚をとっても自然ではなく創作であり人間の設計があるのです。東京の人口密度を見ていつも感じるのは「すでに人が住む場所ではない」ということです。そもそも環境とは人間基準のものであり、周りの生物を道連れに自分の首を絞めるのが環境破壊です。人間の手で作られたソメイヨシノもその犠牲者かもしれません。人類が滅びれば種を作ることの無いこの桜たちも枯れていくのでしょうね。
Aug 20, 2007

昨日シンガポールから帰ってきたところですが、今から千葉に出張です。また一週間ほど行ってきます。地震がちょっと心配です。シンガポールのマッサージは日本とあまり値段が変わりません。実際はちょっと日本より高いかな?しかも日本のようにおしゃれな雰囲気はありません。しかし押し方が強い分だけ痛気持ちいいのです。そのため少々値段が高くても必ずシンガポールで尋ねる場所です。今回はガイドブックで調べていった場所が見つけられず違うところに入って見ました。怪しい階段を登っていくところはまさに中華街らしい雰囲気ですが、マッサージ自体はいたって普通です。ただしこのときは期待したほど押しが強くなかったので少々不満が残りました。私が知っている範囲で言えば、やはりタイのマッサージが一番気持ちよいです。天国という感じでしょうか。一方で中国系だとなんだか「治療」というイメージがあります。気持ちが良いのですが、夢見心地になるようなことはありません。一方、日本やグアムのおしゃれなマッサージは…うーん、ビジネスという感じでしょうか(笑)
Aug 19, 2007

シンガポールから帰国しました。帰った瞬間から暑いですね。シンガポールとは実質5℃程度の温度差ですが、体感は10℃くらいの温度差があるような気がします。今から寝るつもりなのですが、暑すぎて寝られないかも…(涙)さて涼しい春に話題は戻ります。変な模様(凡字)を見かけて少し高台になっている場所に登ってみました。ここに大きな大仏さんの顔だけがありました。どうやら昔、上野には大仏さんがあったようですね。顔の大きさから判断すると奈良の大仏ほどではないものの、結構な大きさだったようです。ここには尖塔などがあり不思議な宗教空間を作っています。東照宮もありましたし、上野という公園は以前、宗教施設が密集する場所だったのかもしれません。しかし江戸城などの位置から考えて、なぜこの場所にあるのか想像が難しいですね。宗教施設は東北(風水、もしくは宋学でいう鬼門)に存在する場合が多く、事実日光東照宮はその位置にあります。上野はそんな重要な宗教施設ではなく、庶民のお参り場所だったのかもしれません。浅草寺が近いといえば近いですから、浅草寺から派生してきた宗教施設かもしれません。いずれにしても今はかなり廃れた雰囲気の遺跡的な宗教施設が多い事も特徴です。さあ、また人ごみに戻ってみましょう。
Aug 18, 2007

さて、今日シンガポールから日本に戻ります。今回は短く感じた一週間でした。ちなみにこの日記はまだシンガポールの二日目を旅しています(笑)クアラルンプールでも中華街に隣接してヒンズー寺院がありました。中国はご承知の通りヒンズー教ではありません。しかしこのシンガポールとクアラルンプールの奇妙な共通の特徴は偶然なのでしょうか。それとも中華街にヒンズー寺院があることには何か理由があるのでしょうか。ヒンズー寺院はその独特の門構えが特徴的です。ガネーシャなど一部の特殊な神様を除けば、基本的に神々は人間そのもの、もしくは動物そのものの形をしており、カラフルな彩色で存在します。ガネーシャは悲惨な過去を持った存在ですが(生まれたときに首がなくなったので母親が急いで近くにあった象の頭をつけた)、その神格化度合いは特に高く、シヴァ神に近いほどの高位で人気の神様です。多神という意味では日本の神教に共通した部分もあるように感じますが、カーストという特別な身分階層を持ちます。これを差別と単純に結びつける考え方は危険で(学校では「差別」と習いましたね)、分業的な要素が強いように思います。確かに西洋的に考えれば差別に見えますが、アメリカの人種差別、アパルトヘイト、白豪主義などとは区別しないといけないような気がします。江戸時代の士農工商はカーストに似ていますが、日本の特徴である「えた、非人」という部分は明らかに差別です。同和問題、いつになったら完全な解決が達成できるのでしょうか。向き合っていかなければいけない日本の、忘れられつつある、しかし重要な問題ですね。
Aug 17, 2007

桜通りに戻りました。見上げれば満開の桜です。ここに並ぶ桜の木は巨木に近く、身動きでない花見客さえも圧倒するほどの花の量です。2007年は2月が暖かく3月から4月の初頭が寒いという不思議な気候でした。東京では4月に雪さえも降りましたね。そのため、東京圏で早く咲いた桜は一気に葉桜まで変わってしまいました。私が行く2日前はまだ5部咲きだった上野公園もこの日は満開。その後、すぐに散ってしまったそうです。桜と言いますと意外と単調な花で、色合いが薄い桃色と花としてはインパクトがないのですが日本では極端に人気が高い花です。その理由のひとつは散り際の美しさがあります。風に吹かれると花びらがはらはらと舞い、道に薄いピンクのじゅうたんを作ります。しかし上野の場合、とにかくすごい人の頭で散り行く桜の風情など楽しむことはできません。道にまで落ちることが出来なかった桜の花びらが皆さん頭や肩についています。しかも人の流れがあって桜が散る瞬間をカメラで狙う事なんて不可能に近い状況でした。桜のじゅうたんもすっかり踏みつけられて灰色です。そんなメインの通りですが、少し離れるといろんな風景を見ることができました。
Aug 16, 2007

シンガポールの中華街をマレーの文化が侵食しています。マレーの特徴は建物をパステルカラーに塗るところ、窓のブラインドもかなり特徴があります。しかし中華街と名乗っているためか、「中国」を主張する飾り付けが多いような気がしました。単に旧正月後の飾りつけかもしれません。シンガポールは西洋文化の影響も強くうけています。そのため中国風のオープン・レストランなのですが、なぜかベネチアのカフェのようにも見えます。海のシルクロードの中間点に近い東南アジア、ヨーロッパとの文化の融合があるのかもしれませんね。中華街ではアーケードに挟まれて多くの出店が出ていました。出店といっても日差しを避ける(雨は避けられない)パラソルの下の屋台で、中華街特有のかなり怪しいものまで売っています。でもシンガポールは「贋物」宣言をしてくれるので歩いていても安心です。ジャーキーとか中華風のスナック(えびせん)は美味しいですよ。中華街を歩いていると不思議なものが見えてきました。
Aug 15, 2007

さて再び屋台の通りに戻ってきました。昼ごはんの時間帯を向かえ一段と人が増えています。その上こちら側に向かってくる人の数が圧倒的に多いようです。そこで屋台の道と屋台の食べ物をあきらめて、人ごみを避けた裏通りを進んでみることにしました。道の傍らにある小さな料亭、その一台しか入らない駐車場の上に綺麗な枝垂れ桜が下がっていました。上野の大量にある桜の木々に圧倒され、すっかり忘れ去られた存在ですが風情のある一本でした。このあたりにはほとんど花見客がいません。それもそのはず、料亭の一本を除けば基本的に桜はありません。しかし屋台通りの人ごみを迂回して上野の新緑を楽しみながらどうにか本線に戻ることができました。さあここではやはり満開の桜を紹介しておきましょう。
Aug 14, 2007

シンガポールで前回のシンガポールの出張日記をUpしています。ちょっと違和感(笑)しかし日本のインターネット使用料金は本当に安いなぁと痛感しています。モンスーンの影響を受けるシンガポール、この時間は既に天気が悪かったのですがマッサージにも行きたかったのでがんばって中華街に向かいました。既に春節の飾りつけはかなり無くなっていましたが、それでもなんとなく雰囲気がいつもと違います。もう少し天気が良ければ楽しかったのですけどね。中華街ではあるのですが、多少マレーシアの文化が融合しています(ブラナカン文化というようです)。その一番の特徴はカラフルな建物です。長屋風の中華街の特徴を残しながらパステルカラーに染まっているのが面白いですよ。またヨーロッパにコロニー化されていたシンガポールということもあって西洋文化も混ざっているようです。中華街に来ますと、サインボードは中国語が主で英語が副になります(上の写真ではまだ英語が主ですね)。漢字だけで書いてあるケースも少なくありません。人形もいかにも中国という感じです。ただしこの人形が何者なのか、日本で言えば銅像のような存在に当たるのかどうかは分かりません。商業の神様、張飛かもしれませんね。ちょっと違うかな(笑)それでは中華街に入っていきます。
Aug 13, 2007

桜が舞台の左右を囲んでいます。見物客の数は30名程度おられましたがですが、舞台の横から撮影することで人ごみを避けた写真にして見ました。舞台に向かって左の木は葉桜になりつつありました。しかし右側の桜は正に満開で見頃といえます。問題は先日も触れたように舞台の暗さと桜の明るさによる露出調整の難しさです。舞台にカメラを向けて自動で調整しますとカメラが暗い部分を明るくしようとしますので桜と空が白飛びします。デジタルカメラの場合、白飛びはどうにもならない問題ですね。白飛びすると修正が利かないので、舞台が暗めになるものの見える限界になるように調整します。明るさの調整はパソコンで行います。ちなみに桜に露出をあわせれば舞台は真っ暗です。カメラの場合、暗い部分だけを明るくして明るい部分の明度を抑えるということは難しい技術です。しかしパソコンで調整する場合は割合簡単です。領域選択を用いた高度な補正を使わなくても例えば逆光補正をしますと暗い部分だけ明るさを調整することができるのです。でも本当に技術がある人はカメラで調整するのですよ(笑)さあ演奏は長い時間続きそうですのでそろそろおいとまします。
Aug 12, 2007

朝早くからポケモン映画に行っていたので遅くなりました。ああ、明日からシンガポールに出張なのに、まだ前回のシンガポールが一日目の午後…。シンガポールから前回のシンガポールの日記を上げるのでしょうか。本題に戻ります。昼ごはんに出かけるのが面倒なので、ホテルでハイティーです(4000円くらいしましたが…)。日本ではアフタヌーン・ティーと呼んだほうがわかりやすいかもしれませんね。ラッフルズ風の三段トレイが有名なのですが、一般的にはビュッフェ・スタイルのデザート・バイキングといったほうが近いかもしれません。デザートとは言いながら、サンドイッチなどもあるし、おかずもありますから、昼ごはん代わりにも出来ます。ティーというだけあって紅茶を頼む人が多いかもしれませんね。イギリス風ですからね。でも本場イギリスではコーヒーの方が一般的なので紅茶は日本人の古い固定観念です。私はこんなときは固定観念的なほうで(笑)もう夕方の4時、日本時間では5時だったのでおなかが減って食べまくってしまいました。一旦料理を取ったのですが、その後更にスコーンがテーブルに届きました。スコーンはおなかにたまるので少しきついですね。ただ値段があまりに高かったので、更にデザートまで取りにいってしまいました。食べすぎで気持ち悪くなったのですが、ここは動かないと体に悪いので中華街に向かいました。
Aug 11, 2007

もと来た道を戻っていると「とてん、とてん」と風情のある音がどこからか響いてきます。音の方向に向かってみれば先ほど通り過ぎた舞台に女性が一人上って囃子(はやし)の太鼓をたたいています。これはよい光景に出くわしたと写真を撮り始めると更にお二方ほど舞台に登場されました。どうやら演奏が始まるようです。横に獅子舞が置いてあるのできっと舞もあるのだろうと期待していましたら…最後まで置いてあるだけでした(笑)演奏は人数が増えても「とてん、とてん」とゆっくりとしたリズムで響くだけで、正に花見の雰囲気にぴったりです。ただし三人の演奏がぴったりとそろっていますから、やはり曲目とか楽譜のようなものもあるのでしょうか。古典的な音楽に詳しくないので良くわかりません。もう少し演奏を聴いてみることにします。
Aug 10, 2007

帰りはモノレールです。チケットを買おうとすると「ケーブルカーで来た人は無料チケットがもらえますから向こうのカウンターに行ってください」といわれました。もう暑くて「頼む、金を払うのでここでチケットを売ってくれ…」という気分でした。カウンターまで15mほどなのですけどね(笑)まあそうは言いながら無料チケットを手に入れてセントーサ島を後にしました。セントーサ島、冬場の日本人にとっては殺人的な暑さでした。日陰が少なく、屋外施設はたくさんあります。夏場の日本人であれば問題ないかもしれません。また夕方であれば日差しがない分だけ楽に過ごせるかもしれません。本島に戻った後はとにかく一度ホテルに帰ることにしました。この暑さではとても体力が持ちませんし、昼食もまだです。ここで私が選んだ交通機関はさすがにタクシーでした。タクシーの運ちゃんの前の彼女が日本人だったらしく長々と語られてしまいましたが、私にはうなずく体力しかなく上の空でした。ゴメンナサイ。さあそれではご飯代わりにハイティーでも。
Aug 9, 2007

上野公園を訪れている皆さんの目的は花見であり、東京以外からの観光客は少なかったようです。そのためか境内まで入り込めば人は少なく、カップルが仲良く願掛けをしている程度でした。この上野にある東照宮の歴史を知りません。ただ、やはり江戸時代以降の建物なのだろうとは感じています。歴史の風格は感じるのですが、その屋根の作りに精巧さ、モダンさを感じるのは私だけでしょうか。京都の建物などに比べれば建設当時の彩(いろどり)がかなり残っているような気がします。東照宮と言うと日光くらいしか知らなかったのですが、もしかすると関東にはいくつかあるのでしょうか。そしてやはりそれは徳川家康に関連したものなのでしょうか。江戸時代の歴史に興味がない私にとって、これ以上のことは調べる気もありません(笑)数枚写真を撮ったらあたりを見渡してみました。狛犬さんはなかなか素敵で個性的ではありますが、関西のような「濃さ」が無いあっさりしょうゆ顔のような気もしました。それでは来た道を戻ります。
Aug 8, 2007

記念撮影をするときのポーズ、日本人はどこから始まったのかピースサインが多いことは誰しもが知っていることですね。ピース=平和、ヒッピーの時代の文化が奇妙なほどに根付いたものではないかと想像しています。ただ最近の子供達はピースの回数が減ってきましたね。そのためにピースサインをすると年がわかる(笑)でも頻度は低いとはいえピースサインはどうやら全世界共通のようで、シンガポールでも見ることは出来ます。結局のところは西洋の文化が伝わってきていることには間違いないですよね。大体 Say Cheese がそのまま「はいチーズ」になりました。英語発音ですと「セイ・チー」なので口が笑顔になりよいのですが、日本語でチーズでは口がすぼんでしまうので意味がありません。ちなみに私は自然な写真を撮影するのが好きなので、「写真を撮るよ~」といいながら、その前に2~3かいシャッターを押します。表情を作る前の自然な顔の方が良かったりしますからね。ただしこれは子供に対してだけ使います。大人に対して使うと嫌がられますよ(笑)ちなみに女の子はポーズを作ってくれるので良いのですが、男の子は単にレンズをにらみこむだけです。
Aug 7, 2007

今年広島の実家に戻ってよく見たニュースは語り部の方々の高齢化問題です。原爆の記憶がある方々は既に70歳を超え、今の語り部の方たちは60台、つまり原爆の記憶が無い被爆者の方たちもおられるのだそうです。これは決して悪いことではなく、核兵器が広島/長崎以来、本格的には使われていない期間がもう60年以上も続いているということです。一方で近年、非常に怖い変化もあります。アメリカの教育はほとんど原爆被害には触れないそうです。日本の南京虐殺もそうでしょうが、他国に与えた大量虐殺を詳しく正確に説明しないのがアメリカや日本に限らず「国の歴史」のように感じます。一方、アメリカは今の使えない強力すぎる核兵器に辟易し、「使える核兵器」つまり広島型程度で威力が弱いものや「生物のみを殺戮する放射能だけの兵器」を開発しているのです。核は非常に重要なエネルギーです。しかし日本の核エネルギー技術は「国策」という名前の下に安全を無視した開発が進められているようにしか感じられません。その裏にある理由は何でしょうか。核兵器って本当に爆弾でなければいけないと思いますか?実はプロトニュウム、つまり核廃棄物を原発から抜き出して敵国にばら撒くだけで十分な核兵器になるのです。だから日本は「原子力発電所」を国防の理由で持ち続けているとアジアの国々、そして私も疑っているのです。核エネルギーを持つならば国家の施策とは完全に独立したものでなければいけない…そしてそれはとても難しいことです。軍隊である自衛隊と核エネルギーを有する電力会社がひとつの政府の管理下にある現状は危険すぎます。世界の国防、軍事バランスは大切かもしれません。必要悪かもしれません。でも「核、生物兵器、毒ガスは無し」で行きませんか?これらは敵国の軍事施設を破壊するものではなく、明らかに人民殺戮を目的とした兵器であり、目的からして非人道的です。語り部の方たちが「昔々、核兵器というものが合って…」という語り口調で始められる日を楽しみに待ちましょう。いえ、待っているだけではだめですね。世界で数少ない(今は唯一ではありません)、そして最初の被害国である日本が声を上げ続けなくてはいけません。何の遠慮も心配も要りません。「核兵器廃絶」を主張することは「完全正義」ですから自信を持ちましょう。西ドイツと東ドイツの壁だって崩れたのです。不可能なことではありません。
Aug 6, 2007

久しぶりにUSJです。USJのこのショーでは4つのウイッシュをひとつに集め四葉のクローバーを作っていました。実はお店で買い物をするとこれと同じ形の小さなシールをくれてカードに4枚貼ると同じ形になります。でも集めるだけで何の特典もありませんでした。物欲主義から治せということでしょうか(笑)四葉のクローバー、その希少性からラッキーアイテムとして有名ですね。いろんなゲームにも出現しますし、子供達が必死になって探している姿も見かけます。先日は(多分子供のためと思うのですが)必死になって四葉のクローバーを探している40歳程度の男性を見かけました。それほど大人も子供も夢中にしてくれる不思議な存在です。四つのウイッシュ、USJではLove, Happiness, Friendship そしてひとつ良く分からないのですが多分Energy でした。子供の頃は友情が大切で、それから愛が芽生え、家族の幸せ。そして老後は活力ということなのでしょうか(笑)多分曲解で、もっと純粋なのだと思います。無粋ですみません。
Aug 5, 2007

人ごみをすり抜け、上野東照宮の境内に入ると人ごみが途切れ、目の前に風景が広がります。本殿に向かって右手には舞台のような建物が見え、獅子舞の面が置いてありました。この舞台で演奏が始まるのはまた後ほどのことです。この舞台の周りの桜は一段と美しかったのです。しかし太陽を浴びて白っぽく光る桜と影となる舞台、露出の調整が難しくて撮影を断念。そういえば今年の私の写真のテーマは明暗、こんなときこそがんばらなくては(笑)その事を思い出したのは帰り道なので、とりあえずここは通り過ぎます。桜の群生の向こうから覗くように尖塔が見えます。美しい姿なのではないかと想像できるのですが巨大な桜でほとんど見えません。桜の生命力を感じます。ちなみに今回の東京出張で見た一番大きな桜は、さくらタワーの前にありました。ただし酔っ払っているので少々記憶があいまいで…大きく見えただけかも。詳しくは後日の酔っ払い日記で(笑)それでは更に奥に進んでみましょう。
Aug 4, 2007

実家から戻りました~。これで私の夏休みは終わりです。楽しかったけどあっけなかったなぁ。蝶という昆虫、なぜあそこまで派手になってしまったのか。最近学校の生物の教育から「進化論」をなくすという話がありましたね。そこで進化論について少し考えてみます。ダーウインが言う進化論は統計的に見てかなり現実と合致しています。進化に淘汰、突然変異、紫外線がつまり後天的な環境が影響しているなどの議論は実に納得がいきます。言葉を変えれば「神が与えたものはない=神はいない」というのが進化論です。一方で西洋では進化論を信じない人が多くいます。宗教の影響が否定できないのですが、その一方で進化論では説明が付かない生物が実際にたくさんいることが技術の発展でわかってきたのです。つまり「進化する道標が種の起源から作られている」という確かに一種「神がかり」的な要素があるのです。キリンの首の長さで説明されることが多いですね。キリンは首が短い頃から今のような長い首になった時に血液を頭まで送るポンプ機能がそなわっていたのです。つまり種が生まれたときから首が長くなることが決まっていた、決して高いところの草を食べたいから首が伸びたわけではなく、高いところの草を食べるために「何かによって」生み出された種なのです。アインシュタインによってニュートンの万有引力が否定されたように、経験則に基づく進化論は必ずしも正しくないかもしれません。蝶はどうしてこのような色をつけたのか。あでやかな種が交配に優位だったからというのが進化論ですね。特にオスに色がつきやすいのは一夫多妻の形態を取れるからといえます。進化論、確かに疑問はありますが、必ずしも間違っていないような気がします。虫嫌いの皆様、申し訳ありませんでした。これで蝶の写真はおしまいです。
Aug 3, 2007

今日は帰省する予定です。明日から4日ほどお休みさせていただく予定です。実家だけはネットワークがありません。それでは本題に戻ります。上野公園、私にとってはかなり奇怪な迷宮でした。今回の上野散策は人が多すぎたこともあって行動に自由が利かず見落としが多かったのですが、それでも風景のバラエティさには驚かされました。例えば本道を脇にそれると上野東照宮がありました。その鳥居と桜の姿が美しく、わざわざレンズを換えてまで写真を撮影したほどです。もともと鳥居という日本的なものと日本の春を代表する桜は相性がいいのですが、そこに日本らしい屋台が並びます。そのため一段と和風を強く感じます。通常の望遠レンズでは広角側でも屋台まで写真に収めることが難しく、広角レンズに切り替えたわけです。こんなとき広角レンズは本領発揮です。鳥居をくぐって先に進んでいきますと屋台が続きます。少しおなかが減っているので食べ物に気をとられてしまった上、人通りがあまりに多かったので、ほとんど屋台の写真は撮影できていませんが、日本の田舎らしい雰囲気が懐かしさを感じさせてくれました。さあ、もう少し奥に進んでいきます。
Aug 2, 2007

うわ、べたなタイトルだ(笑)このシンガポールの蝶園で気が付いたのは蝶の種類がかなり沖縄に近いということです。金色のさなぎを持った蝶や沖縄風の色合いのアゲハなど。ただし沖縄よりも一段と種類が多いようです。写真では分かりにくいのですがかなり巨大な蝶もいました。羽を広げると20cm程度はあったでしょうか。恐竜時代の昆虫は1mを越すものも多かったそうです。ではどうして小さくなったか、学者さんの推測ではありますが恐竜絶滅の時代に体を小さくすることで省エネルギーを達成し生き残ったのだとか。面白い推測ですね。正しいかもしれません。蝶はひらひらと風に舞うように飛びますが、ここまで大きくなるとすれ違うときに風圧を感じます。これが蝶園の醍醐味です(笑)運がよければ(悪ければ?)頭の上やカメラの上にもとまってくれます。顔も結構かわいいですよ。昆虫写真家がいるのもうなずけます。さあもう少し蝶と花の撮影を続けましょう。
Aug 1, 2007
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