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堺と種子島を結びつける物、それは火縄銃です。ポルトガル人が種子島に持ち込んだといわれる火縄銃はヨーロッパでは普及しなかった質の低い武器でした。しかし日本には質の高い加工技術がありました。最初は脅し程度に使われていた火縄銃ですが、その殺傷性能は大幅に向上して短期間で強力な武器となります。今のライフルのような線条はありませんから命中度は低かったものの、近距離での殺傷力は強く今でも危険な武器です。骨董品として持つ場合でも銃のライセンスが必要ですし、手に持つだけでも銃刀法違反で逮捕される可能性があります。火縄銃の一つの生産地が堺でした。種子島から直接伝来したわけではないのですが、港町としてかなり早く堺には到着したはずです。種子島には銃と同時に作り方まで伝来したようですので、比較的すぐに大量生産に入りました。戦国時代、日本の人口は1000万人を超えるくらいでしょうが、なんと火縄銃は50万丁もあったそうです。その高い性能を武器に火縄銃は堺の重要な輸出品となりました。東南アジアの武器の大生産地が堺だったのです。鉄砲は強力な武器でしたが、刀狩で大きく数を減らしました。徳川幕府は鎖国で鉄砲の輸出を禁止します。これにより堺の活力は一気に低下します。明治維新のドラマを見ると火縄銃があまりでてきませんね。特に龍馬伝などで龍馬と新撰組は京都の市街戦が中心だったため、脇差が効果的で刀や火縄銃は出てきません。拳銃が出てきてはじめて銃が市街戦で用いられるようになるのです。堺のパレードにはミス種子島がゲストとしてパレードに参加されていました。火薬くさい歴史とは関連がつかない魅力的な方でした。堺と種子島は友好都市になっています。他にも仙台からのゲストが来られました。仙台、つまり会津と堺の結びつきは更に複雑にはなるのですがやはり鉄砲が関係してくるようです。
Jan 31, 2011

恰幅の良いサングラスをかけた裕福そうな男性、この写真は誰だと思いますか。彼がバンガロール宮のマハラジャです。庶民的な雰囲気で素敵ですね。この宮殿には鍵が掛かっているドアがたくさんあります。そこから向こうは彼の居住空間なのです。観光客全員にガイドがついているのは、誤ってマハラジャの家に入ってしまうのを防ぐ事が主目的のようです。ドアに近付くだけでガイドはかなりピリピリします。強烈なカーストと言う差別制度を忘れてはいけません。マハラジャは正確な表現ではありません。ラージャがカースト上の正確な表現なのですが、「我こそが王の中の王」としてマハラジャと名乗ったようです。また私の世代にとって、マハラジャは忘れられない言葉で…わかる人は同世代ですね。写真の彼も正確にはラージャです。世界の中でも制度や法律として差別と言うものは無くなりつつありますが、実際には日本でも天皇家が特別扱いされるように、王家が何らかの力を持つ国は少なくありません。オランダやイギリスは王国ですし、アジアでもタイなどはそうですよね。シンガポールも実権は…なんてこれ以上書けば入国禁止になるのでやめておきます。どこの国でもそうですが王家が庶民の格好をする事がはやっているのでしょうか。
Jan 30, 2011

「ふとん太鼓って何?」皆さんの疑問が聞こえてきそうです。堺に勤めている私でも長い間知りませんでした。そして堺に来て20年にもなるのに一度も見た事がありませんでした。ふとん太鼓を見るために堺パレードに足を運びました。大阪南部で盛んなだんじり祭は複数の山車が地域で集まって走り回りますので、一度にたくさんのだんじりを楽しむ事ができます。一方で堺のふとん太鼓は一つの神社に一つであり普通は一緒に行動しません。従っていくつもの神輿を見る事はこのパレードでしかできません。この堺大パレード、37年という長い歴史があって人気があります。ケーブルテレビの生中継も入ります。インターネットでスケジュールを確認したら2時間くらいの印象だったのですが、実際には5時間程度の長時間に及ぶパレードでした。(スケジュールの意味がわかりません。)歴史の中で過去の栄光が失われた堺の町ですが、パレードには堺の歴史がしっかりと織り込まれており私好みでした(笑)。ただ、後半のふとん太鼓まであまりに登場人物が多いため、二部構成で紹介することにしました。いろんな理由で海外旅行は減り、国内の紹介が多くなります。海外を見てきたことで国内の歴史にあふれた文化が楽しくなってきました。皆さんの知らない地域ですし話が深すぎて興味もわきにくいでしょうから少々読みづらい文章になってくるかもしれません。ただまあ、ホームページの時代から10年以上続けている旅行紹介、さすがに浅く広くは難しくなってきました。写真だけ楽しんでいただければ十分です。興味があれば堺の歴史にも触れてみてください。調べてみれば思った以上に深い歴史で楽しい町です。
Jan 29, 2011

大奥、江戸幕府の長期繁栄を支えたシステムです。日本には奥様と言う言葉がありますが、日本の家庭を支えてきたのは歴史的に女性です。差別だとは思っていません。日本の繁栄を支えてきた世界に誇れる素晴らしい日本文化です。奥様は家庭をコントロールするだけではなく、子孫の教育を管理します。旦那はそのシステムを支えるため労働に集中し、世界に類を見ない「小遣い制度」を確立したのです。家庭の会計は奥様が握っていました。王族繁栄のため、男性に必要とされる事は「好色」かもしれません。特に世襲時代の王族は子孫が途絶えれば内紛や内戦が発生しかねません。国民の平和のためには必要な性格だったのです。Blogなので写真は控えますが、この宮殿には女性の裸の絵画がたくさん飾られています。ガイドさんは「マハラジャの趣味です」と誇りを持って、何度も説明していました。素晴らしいマハラジャだと言う意味なのでしょう。草食系の男子、すでに死語かもしれませんが日本に未婚や少子化の傾向が続いています。インドやシンガポールから帰ってきたとき日本は活気が無いと感じる事があります。子供が少ない(シンガポールも子供は少ない)、若者より中高年に元気があるなど日本らしい…大阪らしい傾向なのかもしれませんがやはりさみしいです。もともと日本は男女平等だったのに西洋的な差別意識で女性の地位が上がりバランスが崩れたのかもしれません。男性に元気が無い、女性から差別を受けていると意識している男性が多いと言う現象が今日本では発生しています。日本人男性は小さな王国の主としてマハラジャを見習うべきでしょうか。
Jan 28, 2011

東京出張から帰ってきました。踊らされて「おかずですよ」を買ってきてしまいました。わかる人は多くないかもしれませんが。私のBlogのカテゴリーを見てみれば、住んでいる大阪を除けば一番多く紹介しているのは沖縄です。その回数は300回を越えますが、そろそろ京都に抜かれることでしょう。沖縄を訪れる機会は減ってしまって寂しい限りです。海外では、いえ、大阪、沖縄、京都に続くのはシンガポールです。紹介回数は200回を軽く超えています。シンガポールとの腐れ縁は長く続いています。会社が合併する前は、私が勤めている工場と同じ化学プラントを持つ工場がシンガポールにあったため情報交換が始まり、合併後は日本と似通ったシステム構成であったシンガポールの会社とつながりました。情報システムのグローバル組織に移った時、アジアのオフィスはタイとマレーシアなのに、なぜか私が所属する組織だけがシンガポールでした。腐れ縁です。シンガポールの組織に所属してからシンガポールに行く機会が減りました。それでもアジア最大、いえ私の勤める会社(多分他社も含めて)で世界最大の工場がシンガポールにある以上、プロジェクトでシンガポールに行く機会はあります。それでもIT技術の進歩でバーチャル化が進み、どんどん出張機会を減らしてくれます。それでもまだシンガポールの写真が尽きません。まだまだ紹介を続けて行きますが少しの間、ローカルの紹介に戻ります。
Jan 27, 2011

美術館なのか歴史博物館なのか。バンガロールの宮殿には沢山の展示物があります。数は多いのですが統一性は無く無造作で、個人の趣味を並べているように感じます。しかし写真には歴史があり、王族らしい大胆さも感じます。戴冠式、イギリス風のパーティ、象や虎を仕留めたハンティングの写真。普通の写真もあります。家族の写真、子供の写真、特に子供の写真たくさんあり、子供が好きなマハラジャである事がわかります。マハラジャにとってこの宮殿はBlogのようなもの、自慢の写真をカテゴリー別に並べて来場者に見てもらっているわけです。写真って皆さんに見ていただけるので撮影する気になるのですよね。自分のためだけですと、ある程度は取りますがこれほど、一日に5枚…年間1700枚ほども撮影し続ける気分にはなれません。印刷するのは一回の撮影で5枚ほど、その残りの500枚ほどはBlogが無ければお箱入りです。これほどBlogが続いているのも皆さんが見に来てくださるおかげです。いつもありがとうございます。
Jan 26, 2011

Tan Teng Niahの住居と書いてありますから、中華系の住宅です。シンガポールでは数少ない、歴史的個人邸宅としてリトルインディアになった今でも保存されている中華建造物です。今は薬屋さんとして使われているようですね。しかし、この派手さは…もう喩える言葉を見つけることができません。とにかく存在するすべての色のペンキを使ったのではないかと言う混沌=ランダムな色遣いです。正確には隣り合った色は必ず違う色とするという最低限のルールはありそうです。これを芸術的と言うか、幼稚園の生徒でも塗れそうと言うか…私には評価が難しすぎます。中華街ではこのような派手な色合いの建物が行列を作っています。しかしながらこの建物ほど奇抜で不可思議な色合いはさすがに見かけません。よくよく数学的に解析すれば、色の順序にどうも数列で語れそうなパターンがあります。赤の近くに黄色がある場合が多いようですしね。この建物、よく見ると電球がついています。夜になるとカラフルに輝くのかもしれません。
Jan 25, 2011

家系を示す紋章を掲げたくなるのは人間の本能だったのでしょうか。日本には家紋があります。家系を示すのですが、私の実家のあたりには「女紋」つまり女系の血族で引き継がれる家紋もありました。私の家は桔梗紋です。今では結納の時くらいしか見かけないでしょうか。その結納自体も減ってしまいましたね。インドの王家の紋章、バンガロールのマハラジャの紋章は…どれでしょう。いつくか種類があってわかりづらいですね。ただよく見ていると、二頭のゾウの上にライオンが載っている紋章が一番多いようです。その紋章の中心にいる双頭の鳥もいろんなところで見かけます。もしかするとこの双頭の鳥の部分が紋章かもしれません。ただこのマハラジャの紋章はイギリス、西欧の紋章に強い影響を受けているように見えます。日本の家紋のような強い独自の特徴は無く、色合いのみが特徴的ですが、イギリスの紋章の形状と酷似しています。中央の双頭の鳥が本来の紋章かもしれないと思ったのは、本来のマハラジャの紋章をイギリス風に装飾しているように見えたからです。ただし、象がいるところはインドらしいですね。
Jan 24, 2011

南国であるシンガポールにはフルーツがあふれています。いたるところで目新しいフルーツに出会えます。ただし、おいしいとは限りません。もともと私はフルーツが好きではありません。それなのに例えばスイカは甘みがなく、最初から皮に近い白い部分を食べているような味です。そのまま食べるより、ジュースにして飲んだ方がうまい。以前はシンガポールの街角のいたるところで見かけたドリアン販売、そのチーズさえも腐りそうな独特のにおいのおかげでホテルに持ち込み禁止と言う事もあってか繁華街では見かけなくなりました。ここでは生き残っています。他にもジャックフルーツ、スターフルーツなど日本では見かけないフルーツが陣取り合戦、バナナは空中に追いやられています。カラフルなのは野菜も同じ、だいたい南国はフルーツと野菜の境界線があいまいなように感じます。パパイヤなど中華では料理に使われていますし、野菜がフルーツ並みの甘みを持っているようにも感じます。野菜がおいしいのは南国の魅力です。ただし、日本の「旬の野菜、旬の果物」の魅力は捨てられません。しかしこの数…どれだけ売れるのでしょう。シンガポールは自炊をしない人が多いそうですが、業者が買っていくのか、それともフルーツだけは家庭で食べるのでしょうか。
Jan 23, 2011

マハラジャは間違いなくヒンドゥー教徒です。ステンドグラスはキリスト教文化であり、宗教色が強い存在です。インドの文化とステンドグラスが融合すればどうなるのか、その一つの回答がこの建物に見る事ができます。不思議な幾何学模様が連続しています。ステンドグラスの模様はほとんどが曲線で、その模様は花や植物の形になっているようにも見えます。床の模様も、壁の装飾も、ランプの曲線もすべてが同調しているように見えます。色合いは黄色が基調になっているように感じます。なぜ黄色なのか、高貴な色なのでしょうか、それとも単にカレーの色なのでしょうか(笑)窓は上方に向けて狭まる形になっているものが多いようです。これはキリスト教スタイルであるのですが、単にデザインとして、特に気にすることなく取り入れたのでしょう。インドには既に10億からの人がおり、ヒンドゥー教徒が80%程度を占めるため、今は仏教とより人口が多い世界第3位の宗教になっているのだそうです。服装や食事にはこだわりのある宗教ですが、西洋文化の取り込みにはあまりこだわりが無いようです。イスラム教徒の大きな違いかもしれませんね。あ、イスラム教もマレーシアなどを見ると寛容です。クリスマスにはクリスマスツリーが町にあふれかえっています。
Jan 22, 2011

村上春樹さんの豊かな表現力に触れると、語学力に欠ける私にはBlogに写真が掲載できて良かったと感じます。リトルインディアのように無数のカラーであふれる情景を言葉で表現しようと思えば高い文章力を必要としますが、写真なら「ほらこの通り」(笑)。激しい色の変化に目がちらついてきそうです。仕事で私の発表原稿はカラフルです。好評な時もあれば不評な時もあります。もしかするとアジアやインドの方には好評で、ヨーロッパの方には不評なのかもしれません。アジアに住む私でさえも、この街のカラフルさは少々いらつくほどです。きっと私の資料にイラつく人もいるのでしょう(笑)カラフルなのは宗教の供え物ばかりではありません。建物の外装、店先で販売している小物、女性の服装。うーん、日本にもこんな場所があったような…大阪のミナミか(笑)大阪は不規則でランダムなカラフルですが、リトルインディアは整理された数学的カラフルのように見えます。質素を好む広島生まれの私はどちらも、今でも苦手です。
Jan 21, 2011

日本の住宅の電燈は室内を昼のように明るくするためにあるように思います。一方で海外では目的が違うような気がしています。日本の蛍光灯が疑似的な昼を演出するのに対し、海外のランプは夜を装飾する事にとどめているような気がするのです。もちろん、海外でもオフィスは日本のように明るくしていますが、家では夜という時間を楽しむ照明になっているようです。キャンドルほどの明かりしか放たないランプが作る影は、たとえ一人の夜でも話し相手をいくつも作ってくれそうです。こんな大きな屋敷で、このような薄明かりしかなければ自然と家族の温かさを感じるだろうし、一人であれば理系の科学者であっても霊の恐怖におびえてしまいそうです。日本人の忙しい生活スタイルは夜の明るさにあるからではないでしょうか。これほどに夜が暗ければ仕事などできないし、テレビも読書も短時間で疲れてくるでしょう。お酒を飲んでゆっくり会話を楽しむのが一番有効な一時になるのかもしれません。ワインの色が綺麗に見える照明なのかもしれません。残念ながら世の中はインターネットにより日本人に近い夜までも忙しいライフスタイルが一般的になりつつあるようです。
Jan 20, 2011

シンガポールのインド文化を紹介している途中に、日本の、しかもローカルな広島県の話を持ち出すのはおかしいかもしれません。広島県の盆灯籠は他の地域では見かけません。1m程度の竹の一本足に、六角垂を逆さにした傘…といってもわかりにくいかもしれませんが漏斗のような形をした頭があり、その周りをカラフルな飾り紙で装飾してあります。色は確か順序が決まっていたはずで、中にはろうそくを入れて火をつけます。初盆の時だけは形は同じですが色のついていない白い灯篭です。日本という小さな国の中でも宗教には地方に強い特色があります。インドだけで広まっていると言えるヒンドゥー教ですが、日本よりはるかに広いインドですから地方色が強くあるはずです。聞いたところでは、北部と南部で寺院の色が違うほど差があるようです。南部の方が純粋なようで、シンガポールは宗教の自由がある事から他の宗教と融合しやすい北のヒンドゥー文化が入ってきたのかもしれません。回りくどいのですが、シンガポールで見るヒンドゥーのお供え物はインド南部のバンガロールでは見かけなかった…と言う事を説明したかったわけです。宗教には差別がつきものです。日本人でもヨーロッパやアメリカでは差別的な対応を受ける事がありますが、インドの場合、あまり表情や態度には出ません。インドの人はカーストを重視し、カーストは職種と強く結び付きます。私たちのようなエンジニア外国人はヴァイシャ、つまり平民的な扱いを受けているように感じました。ただし私たちがヒンドゥーに改宗する場合はスードラ(奴隷と訳されます)にしかなる事が出来ないそうです。そしてカーストは死んでも変わる事がありません。差別意識が薄れている日本人にとって、カースト支配下に生きるインド人が日本人をどのようなフィルターで見ているのか、気にはなりますが知る方法はありません。あ、タイトルと文章の内容がかけ離れている。
Jan 19, 2011

日本のように夜も明るい国に住んでいると、西洋風の宮殿の暗さには辟易とします。日本の家庭が明るいのは今に始まったわけではありません。日本では壁の一面から光を取り込める「障子」という文化がありました。太陽の光を楽しむ縁側と言う文化もありました。日本人は昔から太陽が好きでした。一方で気温が高いインドは、光を遮断し生け垣などにより室内の温度を下げる必要がありました。このパレスは、明らかにイギリス植民地時代にイギリス建築の影響を受けているようです。建物の中は昼間だと言うのに暗く、薄明かりを維持する程度の照明が黄色く瞬いています。コンピュータの国と言う印象が強いインドで、これほど電圧が低く電力供給が不安定であることには驚きますが、自然と省エネが進んでいるのかもしれません。信号に止まるとエンジンを切るインド人(信号が長いせいもありますが)オフィスも照明の管理は徹底されており、細かい消灯が行われていました。しかし日本人にこの暗さはつらいですね。特に写真撮影には手ぶれが激しくて厳しいです。
Jan 18, 2011

インドスナック、まず注意点としてはかなり高カロリーです。写真がなくて申し訳ないのですが、個人的に気に入っているので記録しておきます。インドのスナックは、小さな屋台に近い店で売っています。どの店も不機嫌そうな男性が作り笑顔も呼び込みもなく立ちつくしています。彼らが自宅で調理したのではないかと疑いたくなる程、何も書いていない透明なビニール袋にスナックがパンパンになるほど入っています。スーパーマーケットなどで売っているものは日本のスナック菓子と同様カラフルな包装の袋に入っていますので、初めての方はこちらがお勧め、ただし屋台よりは少し高い。スナックにはいくつか種類がありますが、色が薄いベビースターラーメンのような細切れの麺に小さな揚げ菓子が入っているスナックがお勧め。揚げ菓子は小さなあられのようで、カラフルなピンクや緑に色づけされています。麺類だけ、揚げ菓子だけと言うタイプも売られていますが、混ざっているものがおいしいですよ。ちなみに六本木ヒルズのインド料理屋では付け出しで出てきますがかなり高価な物のようで少々上品すぎです。シンガポールで買えば、日本のスナック菓子程度の値段で買う事ができます。他のスナック菓子として蛇の骨ではと心配になる、ばねのように巻かれたお菓子を見かけます。これは極端に硬く、かりん糖より硬いので歯が弱い人は絶対に避けてください。硬いものが好きな人にはお勧めできますが、これも甘くはなくて油で揚げられているようでカロリーは低くなさそうです。他にもいろんな種類がありますが、日本のスナック菓子とはどれも味が大きく違います。インドはお菓子のほかにスイーツ(デザート)も特殊、当たりはずれがありますが当たった時は人生の最後まで残る記憶となるはずです。チャレンジ精神を忘れずに(笑)
Jan 17, 2011

入場料金だけであれば200ルピー(約400円)、写真を撮影するのであれば更に500ルピー(約1000円)なのでしっかりと写真を使わしてもらいます。ただ入場料金の200ルピーですが、ガイドが一緒について回ってくれる1時間程度のツアーですから高いとは感じません。写真代金は日本の場合のように撮影禁止にされるより、私にとってはありがたいシステムです。建物に入ると壁に飾られた沢山の紋章が目につきます。その中には象の頭も。さてこれらの紋章について考えてみる前に、いくつか言い訳を…。写真を撮影するときにできるだけ雰囲気を崩さないためにフラッシュは使っていません。その為、暗い室内ですから多少手ぶれが発生しています。またアングルや風景の切り取り方も甘くなっています。ガイドの方がいるのは良し悪しで(なぜガイドが必要なのかはまた別の機会に説明しますが)写真撮影の間は気にせず待ってくれるのですが、やはりこちらが焦ってしまいますし、ガイドの話を聞かないと悪いのでどうしても写真に集中できません。いつもはゆっくりと自分のペースで、しかも同じルートを2回は回るのでどんなに暗くてもピントの合った写真が撮れるのですがどうしても甘くなってしまいました。さて、写真が今一つである言い訳もしたので先に進みましょう。
Jan 16, 2011

リトルインディア、私が経験する事の出来る最もインドに近い場所でした。この時までは。まさか数カ月後に本当のインドに出張するなんて考えてもいなかった頃の一日です。インドとはこのような場所だと信じていました。しかしインドを訪れた後の今、ここリトルインディアはインドと大きく違う事を知っています、何が違うでしょうか。道路…インドの道路の大穴は私たちを異文化に陥れる風穴です。インドで歩道が歩けるなんてことはありません。シンガポールのインド街のような観光地化されたヒンドゥーの地ではなく、彼の地…インドは街のにおい、街を歩く牛、服装からして他の国では真似のできないヒンドゥーの国なのです。いろんな意味でスパイスがきつく効いた国で好みが分かれます。一方でシンガポールのリトルインディアは誰でも気軽にインドを疑似体験できます。大阪の下町にある、ユニバーサル・スタジオのアメリカが本当なのか、疑似体験なのかという風に問えばわかりやすいでしょうか。今だから言えますが、ここはインドではありません。私達、近代的なアジアの都会にする住空間から連続した空間です。平均的な日本人の観光客にはインドよりリトルインディアの方がお勧めできます。交通事故の不安はないですし、食事のバリエーションも多いですし、水も安全、インドより過度に演出されたヒンドゥー社会が待っています。ふと、イギリスでオペラ座の怪人のミュージカルを見ていた時、隣にいた日本女性が「劇団四季の方が良かった」と言った時の感覚がよみがえってきました。本物より少し私たち日本人向けに加工されていた方が私たちにとって「優しい環境」なのでしょう。ただし観光地が多いシンガポールの中でリトルインディアが観光地かと言う疑問はありますし、本当にインドが好きな旅行上級者にガッカリ・エリアであることは間違いなさそうです。本格カレーを食べに行くところ…と言う程度の場所でよいかもしれません。
Jan 15, 2011

バンガロールパレス、バンガロールのマハラジャの住む宮殿です。「住んでいた」宮殿ではありません。インドではカースト制度が今でも残り、カーストでいうラージャ(王)は今でも健在ですし、その中でも特に大きな勢力を持つ国の王であるマハラジャも健在です。バンガロールのマハラジャが今でも住むバンガロールパレスです。インドは連邦国です。国内には主要な言語だけでも15ヶ国語以上あるらしく、英語が今でも広く使われるのは公用語であるヒンディーよりも一般的な共通語だからだそうです。各地域はアメリカのように「州」と呼ばれ、バンガロールがあるのはカルナータカ州です。各州の自治権は強いようで、マハラジャは日本語にするとき「藩王」と呼ばれるようです。私にはこの「藩」という表現の方がイメージしやすいように感じます。マハラジャに実権は無いようですが、日本のかつての大名とは違い、今でもお城に住み大きな経済力を持っているようです。日本の大名が城に住んでいませんが多くは地方郵便局(郵便貯金)を経営しており大きな資産を持っているように、マハラジャも何らかの経営権を握り安定した収入があるのかもしれません。もしくは天皇家のように税金で生活しているかもしれません。そんなツタの絡まる宮殿で暮らすマハラジャの生活を少しのぞいてみましょう。
Jan 14, 2011

シンガポールには何度来たのか…もう数えられません。そんな私が十分に理解している事としてシンガポールは歩いて観光するところではありません。公共交通機関は安価でタクシーも手ごろな国です。常に30℃を越える高温、高い湿度、突然降りだすスコール、歩いて観光をしていれば不思議な顔をされる事さえあります。そんな私が額に流れる滝のような汗をぬぐいながら、またシンガポールの見た事もない街角を歩いています。なぜ歩くのか…。時間をかけて歩いていれば、同じ風景がゆっくりと繰り返し、現実が見えなくなるような虚無の空間と時間が存在し、部屋で過ごす暇な時間では発生しない小さな変化が心に興ります。そんな特殊な時間を渇望する気持ちがあるのかもしれません。悩みがあるときの気分転換、もやもやとしているときの軽い疲労感を味わうために散歩する方と同じ感覚です。確かにシンガポールは暑い。朦朧としてくる暑さの中で予想以上の空虚が襲ってきます。ある意味、坐禅に似ているのかもしれません。もう気絶しているのかもしれません。そんな無茶に興味がなければシンガポールは歩いて散歩する場所ではありません。熱射病になったり脱水になったり、危険は少なくありません。しかもすぐにタクシーを捕まえたり涼める木陰や建物を見つけたりできない場合も多いのです。郷に入れば郷に従え、シンガポールの人たちと同じく冷房の利いた地下街を歩く、タクシーを使うなど安全に観光した方が間違いなく正解。
Jan 13, 2011

これからバンガロールのマハラジャの宮殿、バンガロールパレスを紹介していくのですが、まずはそこまでの道のりを紹介します。インドで働くベンダーさんが観光案内をしてくれることになりました。バンガロールにそれほど多くの観光名所は無いのですが、宮殿にだけは行ってみたかったのでお願いしました。バンガロールは600万人を超える大都市、大阪に匹敵する街です。彼は市内にそれほど詳しいわけではありませんでした。クラクションが鳴らされまくっている大通り、道の真ん中に堂々と止まって隣のリキシャーの運転手に道を聞いています。後ろからは嵐のようなクラクション、バイクが横の隙間をすり抜けています。クラクションの洪水に青くなっていた私は背中にたくさんの冷たい目線が突き刺さるようなクラクションを鳴らされて全く気にしていない彼に驚きましたが、さらに彼の次の言葉に腰を抜かしそうなほどでした。「ドライブはストレス解消になって楽しいなぁ」。解脱の境地かと思いました。同乗者の私たちがストレスで倒れそうなのに、当事者の彼は運転を楽しんでいるのです。「会話も楽しかった」彼はリキシャーの運転手に道を聞いているだけではなく無駄話をしていたようです。さて、日本人が幸せなのかインド人が幸せなのか…どちらだと思いますか?
Jan 12, 2011

マレーシアの知人、女性なのですが、昨年長期の休暇を取りました。小柄でヒジャブと呼ばれるスカーフのようなもので髪の毛は隠していますが、知的なメガネをかけてビジネス・ウーマンらしい雰囲気を漂わせています。既に4人の母親ですので、休むと聞いて5人目のお子さんかなと聞いてみれば違いました。メッカ詣です。ハッジと言います。私たちグローバルで働くメンバーが知らなければいけない事なのですが、ハッジはイスラム教徒にとって義務であり、「仕事が忙しい時に…」という言葉は宗教差別にさえなります。イスラム教では日に三度、メッカを向いて御祈りを捧げます。今は携帯電話でメッカの方向がわかるそうですが、金曜礼拝は仕事場や自宅ではなくモスクに行ってお祈りをします。モスクの中には入った事がないのですが、仏像やキリスト像のようなものはなく、単にメッカを向いて礼拝をする空間があるだけだそうです。偶像崇拝の厳格な禁止はイスラム教の特徴で、教会や仏教寺院との大きな違いであり、ヒンドゥー寺院の対極と言えるかもしれません。毎週モスクに行くだけでも大変だと感じるのは日本人の感覚でしょう。小柄で華奢な…日頃は外出さえ嫌いなのではないかと感じる彼女が私財をなげうって、命の危険を冒してサウジアラビアの砂漠の中にあるメッカを目指して旅をするというハッジは宗教の後押しなしではできません。イスラム教徒でなくてよかったと感じる一方で、宗教をもたない私では味わえない充実感をメッカに到着する事で味わう事が出来るのでしょう。私たちが出張でホテルに到着するときの安心感とは全く違うのでしょう。何が幸福なのか…絶対的な義務による達成感や充実感は日本人では味わえないと考えれば、かすかではありますがイスラム教にうらやましいと感じる複雑な気分が心の端に残っています。日本人は仕事が原因でよく自殺をしますが、イスラム教徒はそんな理由では自殺をしないのでしょうね。仕事や金は宗教に比べれば「取るに足らない事」ですから。宗教が彼らを守ってくれていることは確かですが、その一方で宗教戦争や自爆テロもあり、宗教は複雑です。
Jan 11, 2011

料金より高額な料金を請求されることは予想ができていました。それでも一度は乗っておきたい、そんな魅力を持っているのがリキシャーです。先に言わせてもらえれば、大した距離でもないのに日本円で400円も取られてしまいました。相場は50円程度です。金額は大した事がありません。タクシーの方が圧倒的に高いですから。ただドライバーの言い訳が面白かったので紹介しておきましょう。行き先としてホテルまでお願いしたわけですが、まず彼はホテルの場所を知りませんでした。走り出したのは良いのですが方向が違っていたので説明すると、運ちゃんは信号で隣に止まったバイクに乗っているおばちゃんに確認、やっと方向が分かったようです。そこでUターン。Uターンしたとはいえ余分に走った距離は100m程度です。どうにか到着したので、私はチップでも払おうとお金を用意していました。その時、彼が追加料金を請求してきたのです。その理由は「Uターンしたから」。もう少しましな理由は思いつかないのかと驚きました。道を間違えたのもUターンしたのもドライバー、Uターンしなくても普通に左折2回で帰ってこられたし…プロのドライバーらしからぬ失敗をしておきながら恥ずかしげもなく請求できるものだと感心しました。ああ、おもしろかった。こうでなくては旅の気分が盛り上がりません。ただシートベルトがないのに思ったよりスピードが出るのでちょっと怖くて、出張中には使いづらい交通機関です。
Jan 10, 2011

シンガポールのサルタン・モスクからまっすぐのびる通りには安物ばかりを扱うお土産屋さんが並んでいます。値段はシンガポールとは思えないほど安く、ここがイスラム教系の町、より細かく分類すればマレーシアの町だと言う事に気がつきます。安い商品だけあって芸術的に壊れやすく、爪がのびて困っていたので爪切りを買ったのですが、一本目の親指の爪を切っただけで折れました。まあ60円ですから…モスクの前の通りに一列に並ぶ商店街は日本の仲見世を思い起こさせます。巨大寺院が町の中心になる事は世界的に珍しくありません。キリスト教会でもパリのようにノートルダム寺院の周りにらせん状に町が広がる場合もあれば、ミラノなどドーモの近くにガレリアという大きなショッピング街が広がる場合もあります。人が集まる所に店が集まります。商店街はお土産屋さんばかりではありません。喫茶店や小さなレストランもあります。ただ、正午近くで時間が早すぎたためか開店している店はわずかでした。昼休みは12時…これは日本の常識でアジアの非常識。レストランも中華風の店と言うかマレーシア味こてこてです。お土産屋さんを含めイスラム教徒の方々がたくさん働かれています。狭いエリアですが、マレーシア旅行の気分を楽しめるお得なエリアです。
Jan 9, 2011

インドではいろんな場所で落書きを見ます。ただしその落書きには尋常ではない気迫が感じられます。ヒンドゥーの神や寺院が微細な書き込みで仕上げてあるのです。以前も書いたのですが、インドではヒンドゥー寺院をあまり多く見かけません。しかし街の至る所に神様がいるのです。落書き、屋根の上、車の中…。生活の一部であり、まるで友人か隣人のように崇めると言うよりは共存しているのです。インドの寺院を見かけないと同時に、インドではあまり神に向かって祈る人を見かけません。イスラムの方たちはいたるところで祈られていますし、日本人もお地蔵さんにお祈りをする子供の姿を見かけます。しかし宗教が生活に強い影響を与えているインドで祈ると言う行為をあまり見かけないのです。人前で祈ることはしない宗教なのかもしれません。日本でも昔、仏像を彫る事が忠誠心の表れだった事があります。このあまりに丁寧に書かれた落書きのような神の姿は宗教的な行為なのかもしれません。そして丁寧に描かれた絵が汚されたり痛めつけられたりしている姿は見かけないのです。日本のような信仰心の薄い人種でも神社マークにだけは悪戯をできないのですから、不思議ではないのですが。さてここまで歩いてきましたが、午後は宮殿見学に連れて行っていただく約束になっていますから急いでホテルに帰ります。
Jan 8, 2011

私は理系ですから「たとえ」がおかしいかもしれません。宇宙には反物質と言うものがあります。物質と反物質がぶつかれば対消滅を起こし、そのエネルギーは核爆発と同じレベルで表現できます。物質と反物質はビックバンで同時に生成されておりますから起源は同じなのです。陰陽は宇宙が生まれた時から宇宙の危険要素として存在したのです。幸い反物質は宇宙空間にほとんど残っておらず、今は人工的に作るしか存在しません。ユダヤ教は人種を限定しますが宗教としての質は奇跡的に高く、人種を限定しない二つの亜流宗教を生み出します…まるでビックバンというユダヤ教から物質と反物質が生成したように。それがキリスト教とイスラム教です。起源は同じで、水と油どころか物質と反物質並みの起爆エネルギーを持ちます。単に混ざり合わないのではなく触れると爆発するのです。資本主義と社会主義でさえある程度の妥協点を見つけて協調しつつある現代でもキリスト教とイスラム教の妥協点は見えないように感じます。しかし今は宇宙に反物質がほとんどないのと同じく、宗教衝突は極端な例であり、私たち日本人が悪いニュースしか知らないだけかもしれません。事実、東南アジアの多くの国で宗教の自由は浸透し、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教、キリスト教などはうまく混ざり合い共存しているのです。キリスト教が一番排他的かもしれませんがそれでも協調しています。日本の文化の方がグローバル化に対して協調できていないのかもしれない…最近そんな気がしています。
Jan 7, 2011

私には毎日24時間あります。冷静に考えれば無駄な時間が多いのに、常に時間に追いかけられ、圧迫されています。日本人は「忙しい」という言葉がステイタスのようになっており、忙しくないと何か不幸のような感覚に襲われることはないでしょうか。「お忙しいそうで…」という言葉はお世辞にさえなるのですが、奇妙な国ではないですか。インドは、多分なのですが、5000年と言う歴史の流れの中で今でもみんなが生きています。工事を始めれば終わることは考えない、一か所に座ってしまえば何時間も時間が過ぎる…本を読むでもなく、ゲームをするでもなく、ただ自分の周りで起こる雲の進む速度のようにゆっくりとした時間の流れを感じながら時間を過ごす。それが幸せなのかもしれません。日本人として、そのような時間の流れに嫌悪感を持つ人もいるかもしれません。受験生の親など子供が放心しているといらつく?日本の忙しさに疲れている人であれば、インドの体に優しい時間の流れに浸れば抜けられなくなるのかもしれません。この頃になれば、私もインドでのゆったりとした時間の流れを楽しむ事が出来るようになっています。それでもバーではパソコンを開き、部屋ではBlogに書き込みをして、町中ではカメラのファインダーの中から街を見ているのです。インドになじむには年を取り過ぎてしまった、いえ、まだ日本の生活に疲れ切っていないのかもしれません。
Jan 6, 2011

宗教は進化しました。しかしその一方でかたくなに保守的で排他的な考え方は残っています。進化したのは上辺だけの化粧かもしれません。排他的な考え方は宗教戦争や差別の原因となってきました。この宗教対立を抑え込もうとした国は少なくありません。多くの国は特定の宗教を強制し、他の宗教を排除しました。日本のキリスト教禁止と迫害や鎖国もその一つです。シンガポールは別の選択をしました。現代の日本も同じ選択をしています。宗教の自由です。多くの国で採用しているのですが、アメリカの例でもわかりますように宗教の自由は言葉ばかりで、うまくいっていないところも少なくありません。シンガポールは多少強制的ではありますが、不思議なほどに宗教の自由が浸透しています。近くチャイナタウンの中にあるヒンドゥー寺院も紹介しますが、このモスクはリトルインディアの近くにあるのです。日本もシンガポールと似ています。日本は仏教の国と言うより儒教や道教の教え(道徳)が浸透しており、宗教である仏教は支配的ではありませんでした。明治維新まであれほどキリスト教を弾圧していた日本が比較的容易にキリスト教を取りこめたのはこの背景があるのではないでしょうか。シンガポールの支配階級は華僑であり、同じく儒教の影響が強く宗教については寛容だったのかもしれません。ただ日本は単に宗教が共存しただけでシンガポールのように宗教の自由を積極的、いえ強制的に取り込んだわけではありません。宗教の自由により多くの国の優れた特徴を取り込むことなしにシンガポールの成功はなかったかもしれません。世界はシンガポールに学ぶ事が多いはずです。
Jan 5, 2011

インドの街並み、マクドナルドもコンビニもスターバックスもありません。知っているような店は何もないのです。あるのはパラソル一つで作られた小さな露天ばかりです。その露天、ジェネラル・ストアと言うらしいのですが、スナックやガムか飴のような、小袋に入ったお菓子と思われる商品を大量につるして売っています。街角には花屋さんを良く見かけます。ヒンドゥー教のお供え物としてシンガポールなどでは首飾りのような花をよく見ます。バンガロールではそんな首飾り状のお供え用の花は一度も見かけませんでした。代わりに花籠のような花束を多く、日本の彼岸の花とは違ってカラフルな花ばかりです。家に飾る花ではないのでしょう、通りすがりの女性たちはほとんど目もくれません。店先に男性がたむろしている場合が多く、割り込んで行って何かを買うにはもう少しインドになじまないといけません。巨大なカメラを持って入る込む事が出来ないコミュニティである事は以前にも説明しました。そうはいっても親切な人が多いですから、買う事自体に問題はないでしょう。ただ、なんとなくコミュニティを崩したくない雰囲気なのです。井戸端会議ならぬ、店先会議の場所のようなのです。ただし活気を持って喋っているようには見えません。それがインドの日常なのでしょう。
Jan 4, 2011

シンガポール、何度も同じ場所に来ています。変化が速いシンガポールですが風景に大きな変化はありません。繰り返して同じ場所を皆さんに紹介する意味があるのか…単純な風景の解説だけであれば繰り返しは無駄でしょう。初めて見に来てくださった人だけの事を考えるのであればリフレインの様に写真だけを乗せておけばよく、文章なんて必要ありません。街は変わらないのですが、変化している事があります。それは私の年齢であり、経験であり、感情です。海外旅行に慣れていないときに訪れたシンガポール、家内と一緒に訪れたシンガポール、日本人の同僚と訪れたシンガポール、会社の組織に嫌悪感を抱きながら訪れたシンガポール…私はその時の感情をBlogの日記に置き去りにしています。その時の感覚は1年もすれば忘れてしまうのですが、文章になっていれば思い出す事が出来、たまには未来の自分を励ます事もできます。今回、シンガポールにはどんな感情を携帯してきたでしょうか。人がうらやむグローバル組織の中で説明が難しいのですが、かつての小さな会社で苦しんだ仕事のような主導権が持てない事から虚無感がぶら下がっています。「井の中の蛙、大海を知らず」大海に出た蛙は井の中に戻る事を望んでいるのです。2011年になった今もその虚無感が続いているのですが、この時は虚無感が明確に感じられ始めた時かもしれません。この虚無感を打破すべく上司には相談に乗ってもらっています。わかりやすく言えばグローバルの組織から抜ける事です。企業としては代役がいない仕事として信頼してもらい大きく期待してもらっていることは知っているのですが、個人的にはもっと小さいけどもすべてが自分でコントロールできる仕事がやりたいのです。贅沢な事を言っている事は十分に承知ですがどうにか2011年のうちには日本の組織に戻れそうです。そんな虚無感の中、見慣れた景観の中で新しい自分を見つける事の難しさに苦しんでいた時期を記憶としてとどめておこうかと考えています。こんなことに悩むなど、まだ若かったのだと将来読み返せるように。
Jan 3, 2011

あけましておめでとうございます。本日実家より戻ってまいりました。今年もよろしくお願いします。インド人と仕事をした人でしたら間違いなく同感してもらえるインド人のわかりにくい動作があります。それは Yesの動作です。Yesの動作として日本人の頭を下げる「うなずく」行為も世界の人にとってみれば珍しくはあるようですが、それでもうなずくと言う行為はYesを表すグローバル・スタンダードの一つであり、誤解される事はありません。インド人はYesの時に首を左右に振ります。つまり私たちにとっては、いえグローバル・スタンダードとしてのNo、断っているときの動作なのです。最初の一週間とても困りました。何を言っても反対される、インドの人はなぜ日本人の言う事にここまで反対するのか、これは差別かはたまた経済戦闘の前触れか…と思ったら、ずーっと彼らにとってはYesだったわけです。2日目で分かったのですが(一日目の苦労は本当にたいへんでした)、結局一週間してもまだ慣れていません。このYesの動作がNoに見える難しさは、町中に出て行く事を難しくしています。理解はできましたが本能的にはNoに見えます。しかも私の動作が変えられません。Yesの時に首を横に振ろうと思うと、首の筋肉が痙攣しそうか、それどころか首の骨が折れるのではないかと言う難しさなのです。つまり私はYesの意思を伝える事が出来ないまま街に出て行くことになるわけです。まあそんな些末な癖など問題にならないインド文化の激流がホテルの外にはまっているのですけどね。
Jan 2, 2011
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