案内板の説明文を引用します。
「この堤は、豊臣秀吉が毛利輝元・小早川隆景・吉川広家の三家に命じて、治水と京街道の整備を目的として修築された淀川左岸の堤防であり、文禄5年(1596)に修築が行われたために文禄堤と呼ばれた。」
これによって、京都と大坂との往来が盛んになり、守口宿は大いに栄えたということです。
案内板から守口市駅方向に歩いてみました。しばらくお付き合いください。
来迎(らいこう)坂
案内板からほどなく、左側に狭い階段の道があります。案内板に「来迎坂」と示されているところです。この辺りは「来迎(らいこう)町」という地名です。もともとこの辺りに「来迎寺」というお寺があったのですが、何度も移転して、現在では守口市の佐太中町にあります。
奈良街道を示す道標
坂との分岐点に、「奈良街道」を示す道標があります。右側の来迎坂を下りていくと、野崎詣りで有名な野崎(大阪府大東市)へ、そして清滝峠を越えて奈良へと続いていたのでしょう。
小さい道標ですから、うっかりすると見逃してしまいそうです。