>かつては、郡や村の境を決める際、両方の村から同時に出発し、出会った場所をその境界とした

これが本当ならすごい決め方ですよね。
相手より遅く会う事ができれば、その分だけ境界が遠い=領地が広いということになるのかな?
いずれにしてもかなり大雑把な決め方だったんですね。
(2011年02月13日 21時57分30秒)

ぐうたらたぬき途中下車

ぐうたらたぬき途中下車

2011年02月12日
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京阪・八幡市駅から東高野街道に沿って南へと歩いています。

善法律寺の南東、一筋東側の道沿いに、1本の標石が建っています。

京阪八幡市駅周辺 巡検道巡検道の標石

京阪八幡市駅周辺 巡検道同上

京阪八幡市駅周辺 巡検道同上

ここを起点として東へ向かう道が「巡検道(じゅんけんみち)」と呼ばれています。八幡の旧市街地を抜け、下奈良地区まで続く、約2キロメートルの道です。標石には「宇治近道」と書かれています。

かつてはこの道を境にして、南が綴喜郡、北が久世郡だったそうで、巡検道はいわゆる郡界であったわけです。江戸時代の初め、国郡巡検の役人が図をもって取り調べのために歩いたという記録が残っているそうです。

巡検道の標石からさらに100メートルほど南に行ったところに、別の石碑が建っています。

京阪八幡市駅周辺 寝物語国分橋「寝物語古跡国分橋」

「寝物語(ねものがたり)」とか「国分橋(くにわけきょう)」とか、いかにもいわくありげです。

かつては、郡や村の境を決める際、両方の村から同時に出発し、出会った場所をその境界としたといいます。それにまつわる言い伝えが地元に残っているそうです。

堺を決めるというその日、「出発までにはまだ時間がある」と思っているうちにそのまま寝てしまい、出発の時刻を過ぎてしまいました。そのために領域が減ってしまったというのです。

郡境近くに残る「寝物語古跡国分橋」の石碑。同時に歩いて境界を決めるとは、なんとも悠長な話ではありますが、寝過してしまった者にとっては、悔いても悔やみきれないことでしょう。






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最終更新日  2011年02月13日 19時47分29秒
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Re:京阪・八幡市駅周辺 巡検道と寝物語国分橋(02/12)  

Re[1]:京阪・八幡市駅周辺 巡検道と寝物語国分橋(02/12)  
あけやん2515さん、こんばんは。
この話、どこまで信じていいのかよく分からないのですが、他に方法がないくらい、境界になりそうなものがなかったんでしょうね。
同じ時刻って、今みたいな時計があるわけでもなく、どうやって「同時」に出発したのかな? 太鼓でも鳴らしたかな?
疑問は尽きませんねえ。
(2011年02月14日 00時55分25秒)

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