京阪・八幡市駅から東高野街道に沿って南へと歩いてきています。神原の交差点を過ぎ、八幡清水井まで来たところに、「正法寺(しょうぼうじ)」というお寺があります。
正法寺
正法寺は、浄土宗の寺院で、山号は徳迎山です。
近くに設けられた説明板には、「12世紀末高田蔵人忠国が源頼朝の幣礼使として八幡に来住したことに始まる」と書かれています。「高田氏は後に姓を志水と改め、菩提寺として寺領堂舎をととのえた」ということです。別の資料によると、1191年に開創となっています。
天文15年(1546年)には後奈良天皇の勅願寺となります。
同上
山門へ続く参道の脇の石碑には、「尾張大納言義直候母堂相應院殿墓所 正法寺」と記されています。
「尾張大納言義直」とは、尾張徳川家の祖、徳川義直のことです。その母である相應院の墓所がこの正法寺だということです。相應院とは、正法寺の志水家の娘、お亀(亀女)のことです。
正法寺山門
徳川家康の行列がこの地を通りかかったとき、あわてた亀女は、行水させていた子どもをタライごと運び去ったといいます。家康は、そのたくましさに亀女を見初め、文禄3年(1594年)、徳川家康の側室として迎えられます。家康が53歳、亀女はこのとき21歳くらいだったようです。
慶長15年(1610年)、石清水八幡宮領を「検地令免許、守護不入」とする家康の朱印状が出されます。もちろん石清水八幡宮の権威に対するものですが、亀女の影響も大きかったものと思われます。
亀女は家康の死後、「相應院」と名乗ります。晩年には正法寺に大金を寄進し、本堂などが建立されました。没後も尾張藩の庇護を受け続けました。
正法寺
上の写真で左奥に写っているのが重要文化財指定の本堂のようです。
唐門(重文)
唐門の後ろには、やはり重文指定の大方丈があります。
鐘楼(府指定文化財)
相應院の墓所は、境内の右奥にあるようです。
男山の麓を取り入れた庭園は、ツツジの名所だということです。
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