
愚庵終焉之地
京都市伏見区桃山町泰長老JR奈良線 桃山駅より徒歩6分
京阪電気鉄道宇治線 観月橋駅より徒歩10分「愚庵終焉之地」と書かれた石碑が、道路脇に建っていました。
「愚庵(ぐあん)」は、明治維新の激動期を生きた人です。福島県の武士の家に生まれ、本名を天田五郎といいます。戊辰戦争で行方不明になった両親・妹を探して長く諸国を歩きました。山岡鉄舟と出会い、清水次郎長を紹介されます。一時は次郎長の養子にもなったそうです。
清水次郎長は講談や浪曲で語られて有名になりましたが、その元となったのが天田五郎(愚庵)が書いた「東海遊侠伝」です。
その後、明治20年(1887年)、京都で得度して禅僧となり、鉄眼、その後、愚庵と名乗ります。明治34年(1901年)、この地に草庵を結び、明治37年(1904年)に没しました。享年51歳(満49歳)でした。
禅の道を極め、歌人としても名を残しています。各界の名士と広く交流したそうです。
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