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2012年07月23日
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伏見工兵第十六大隊跡


京都市伏見区西奉行町
近鉄京都線 桃山御陵前駅より徒歩4分

「伏見奉行所」の碑の近くにあるこの石標は、伏見工兵第十六大隊の跡を示すものです。

明治政府で陸軍創設にあたった大村益次郎は、ここを陸軍用地として想定したそうです。つまり、日本最古の陸軍用地だと言われています。

軍事演習が行われていた観月橋の北にあたります。






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最終更新日  2012年07月31日 01時42分38秒
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Re:伏見工兵第十六大隊跡(07/23)  
明治維新にかけての時代と、伏見がこんなにも関わりが深かったことに改めて驚いております。

色々な発見に驚き、感動しつつ次へ進まれるのは楽しくて仕方が無いでしょうね。 (2012年07月31日 07時08分28秒)

Re:伏見工兵第十六大隊跡(07/23)  
第十六大隊という事は、伏見には、何大隊まであったんでしょうか? 当時の観月橋演習場では、どんな演習が行われていたんでしょうね? (2012年08月05日 18時04分42秒)

Re[1]:伏見工兵第十六大隊跡(07/23)  
まあちゃん9541さん、こんばんは。

伏見城が廃城になったあと、伏見は「天領」すなわち幕府の直轄地になり、そして伏見奉行所が置かれました。

いろんな意味で重要な場所だったのでしょうね。
(2012年08月07日 00時06分56秒)

Re[1]:伏見工兵第十六大隊跡(07/23)  
やまのかめさんさん、こんばんは。

明治時代、近代的な軍隊が整備され、主な都市に「師団」が置かれます。第1師団が東京、第2師団が仙台、第3師団が名古屋、といった具合です。

第16師団は日露戦争の末期に創設され京都に置かれました。

師団の中には、歩兵や工兵、砲兵などがいて、そのうちの一つ、工兵の大隊があったということでしょう。

伏見にいくつも大隊があってそのうちの16番目の大隊、という意味ではありません。

明治時代には約20の師団があったようです。その後、大陸進出、太平洋戦争の末期には本土決戦のための師団が創設されたりして、その数は150をはるかに超えていたようです。

陸上自衛隊には15師団まであります。

工兵の訓練は、たとえば穴を掘ったり、丸太を組んだりしたようです。宇治川では、渡河・架橋の教練を頻繁に行っていたといいます。

(2012年08月07日 00時42分53秒)

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