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智積院(ちしゃくいん)
京都市東山区東大路通七条下る
京阪本線七条駅より東へ徒歩10分
智積院は真言宗智山派の総本山です。訪れたのは2月末で、広々とした境内には、梅の花が咲いていました(季節外れですみません)。
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金堂
明治15年(1882年)に金堂は焼失しました。現在の金堂は、弘法大師空海の生誕1200年を記念して昭和50年(1975年)に建立されたものです。
正式名称を五百佛山(いおぶさん)根来寺(ねごろじ)智積院というそうです。根来寺も五百佛山も、和歌山に由来する名前で、もともと智積院は根来寺の塔頭の一つだったそうです。
歴史を紐解くと、、、、
室町時代末期、和歌山の根来は真言宗の宗教都市で、寺領72万石、根来衆とよばれる僧兵1万人を超える軍事力を持っていました。しかし豊臣秀吉と対立し、天正13年(1585年)には秀吉の軍勢によって、根来山内の堂や塔頭の多くが焼失してしまったそうです(秀吉の「根来攻め」)。
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智積院の開基 玄宥僧正
その時、根来寺・智積院の住職であった玄宥(げんゆう)僧正は、京都に逃れます。慶長6年(1601年)には、徳川家康によって東山の豊国神社境内の建物と土地が与えられ、智積院の再興が成ります。元和元年(1615年)に豊臣氏が滅ぶと、秀吉の子・鶴松(数え3歳で夭折)の菩提を弔うために建立された祥雲寺(しょううんじ)を拝領し、さらに境内が大きくなりました。
一方、和歌山の一乗山・根来寺は、その後、江戸時代に紀州徳川家の手によって一部が再興されました。新義真言宗総本山として、現在に至っています。
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