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京橋
京阪・天満橋駅から東へ500メートル、土佐堀通から南へ分岐する道に「京橋」という名の橋が架かっています。大阪城の北側の入口(京橋口)で、ここから京街道を通って京都と結ばれていました。
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「砲兵工廠」の碑
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大阪砲兵工廠跡(大阪城北側)
大阪砲兵工廠(おおさかほうへいこうしょう)は、太平洋戦争の敗戦まで、大口径の火砲を主体とする兵器の製造をしていました。アジア最大規模の軍事工場で、現在の大阪城ホール、JRの森ノ宮電車区、大阪ビジネスパーク(OBP)もすべて含まれるほどの広さでした。
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京橋口の巨石
上の写真の正面は、大阪城の石垣で2番目の大きさの巨石です。昭和40年ごろまでは1番大きいとされていましたが、その後の測定で2位になりました。
かつては「肥後石」と呼ばれていました。肥後とは、加藤清正(肥後守)のことで、「豊臣秀吉のために小豆島から運んだ」と言われていました。実際には、徳川幕府によって大坂城を再建するときに、池田忠雄(備前岡山藩主)によって築かれたものです。推定で100トンを超える巨石。いったいどうやって運んだんでしょうね。
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「豊臣秀頼 淀殿ら自刃の地」の碑
大阪夏の陣(慶長20年=1615年)で自刃した豊臣秀頼と淀殿。その自刃の場所を示す碑が、天守閣の北側、あまり人が立ち入らないところに建っていました。
大阪城天守閣
碑の前に立って見上げれば、大阪城の天守閣。夏の陣で炎上したので、昭和6年(1931年)に再建された現在の天守閣とは異なりますが、秀頼や淀殿も、ここから天守閣を見上げたのでしょうか。
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