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出産からこっち、NICUに2ヶ月近くずっと入院していた娘が、年末ギリギリ間に合って退院してきました。無呼吸発作のために予定よりも長くかかりましたが一緒に年越しが出来ます(^-^)♪(娘のHNは今後”かぶちゃん”にしようと思います。命名はしろくまくん。「こぐま」のcubから。キャラのデザインはまだ考えてなくて・・もし時間が出来るようだったらそのうち。)ようやく退院だ~~、よかった~~、うれしい♪♪♪んですがっ!ものすごい手がかかる子で(赤ちゃんてのは手のかかるものですが)NICUのプロのスタッフの皆さんでさえ手を焼くほど、泣き声は大きく激しく、口を揃えて”甘えっこの超抱っこ好き”ほとんど眠ってくれない上に、起きている時は常に抱っこしてもらっていないと泣き喚くという状態で、これまでは看護師さんたちが代わる代わる抱いてて下さっていたそうです(T▽T)。なので退院時、皆さん「かなり大変だと思うけど頑張ってね」「かぶちゃんは、一旦機嫌を損ねるとなかなか難しい子だから絶対に一人で(育児を)やろうと思わないで、周囲を巻き込んで助けてもらって下さいね」「抱っこは旦那さんに代わってもらってね」等々口々に今後の育児の困難さを示唆されました。実際に一泊の体験入院をしてみたら、授乳とおむつ以外でも置くと泣くので、ずーーーっと抱きっぱなしで一睡も出来ず。授乳時間も1回が1時間近くを、1~2時間おきでだらだら飲まれるので、これでは家事すら出来ない!交代してくれる人もいない!(しろくまくんが抱くと泣く(^^;))ど~~~しよう!!!とすでに前途多難の育児の道のりが見え、一睡も出来なかった睡眠不足の朦朧とした頭に浮かんでくるのは「育児ノイローゼ」の文字。二日目にして左腕は重くだるく、ガチガチになって、上がらない。「これは困ったなあ~~、どこまでやれるんだろう、私?」というところからのスタートとなった。帰ってきてからも病院の状態とほぼ同じで、火のついたような泣き方は一向に収まる気配もない。かぶちゃんが泣くと惺までシンクロ反応して、これまでなかったような甲高い声でキャンキャン鳴き始めて合唱になってしまう(+_+;)。赤ん坊とわんこは、周波数が合うんだろうか??抱っこし続けるのも一人では限界もある。ネットで調べながら片っ端からいろいろ試してみる。一時的に効いたのはモーツアルトのCDとベビーラックに入れて揺らしている時だった。それも一定時間を過ぎれば、また泣き出してしまう。しかし、家の環境に馴染んで落ち着いてきたのか、夜は添い寝をして隣に寝かせてみたら、夜中に2時間くらい起きていただけで、後は朝までしっかり寝てくれた。今朝も静かにしていてくれたし、(この家は静かで暗めだからよく眠れる環境なのもあるかもしれない)更に天の助けで、大晦日にもかかわらず助産師さんが急遽訪問して下さり、様々なコツやアイテムを教えて下さって、すべての状況が遥かにぐんと楽になりました。要するに、未熟児だったゆえに、まだ外の環境に慣れていなくてストレスがかかっていて泣いているので、極力お腹にいた時の状態に近づけてあげればよい、ということで抱き方、置き方くるみ方、授乳のさせ方等々やってみると、魔法のようにピッタリ大人しくなってくれるではありませんか。すごいっ!目をぱっちり開けて起きている時でも、病院の看護師さんたちの説明では、抱っこしていないとだめだったけれど、一人で寝ていても泣かずにいい子にしててくれるので、家事も出来るしこうして日記も書ける余裕も(T▽T)。まだまだこれからいろんなコトが起きてくるんだろうケド憂慮などせずに、かぶちゃん、しろくまくん、惺と過ごせる日々を大切にしていきたいな~、と思った2008年年の瀬なのでした。初公開のかぶちゃん瞳の色はダークブルー☆おうちに来てから今日はごきげんでいい子にしてるよ♪惺も協力するように。あい。
2008年12月31日
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その1からのつづきもの*****************************看護婦さんも、当たり前だが人それぞれ、である。話の分かる看護婦さん♪血圧なんてしょっちゅう変動してるから、一回で判定せずに、もう一度測りなおしてくれたりする。一方規則は規則、データは絶対!のきっちり型看護婦さん。「ナースのお仕事」で言ったら、伊藤かずえさんがやっていたような看護婦さんタイプ。他にもいろんなタイプがいるんだけど、大別するとこの二つ。勿論、たれまりは後者が苦手(^^;)。もともと病人だなんて思ってなかったのに加え、「妊娠高血圧症候群は、妊娠を終わらせることが最大の治療法です」ってお医者様が仰ったこともあってもう、出産は終わったも~~ん!とばかりに、とにかく動きたくて仕方がなかった。自覚症状のある病人と違って、別に身体も動きそうな気がしたし、無茶はしないけど、ちょこっとぐらいは気晴らしした方が治りだって早いに決まってる。気持ちと身体は密接に結びついてるんだから、治るためには気分をよくしてあげないと♪ってのがたれまりの持論でもあるから。しかし、しばらくは血圧が下がらずに、自動で定期的に測る血圧計と、血圧を下げる点滴とはなかなかおさらばできなかった。その上、特にオカタイ看護婦さんなどは「引き続き、TVも見てはダメ」「部屋はなるべく暗くしておきましょうね」(とカーテンを閉めてしまう)「部屋にポータブルトイレを置きましょう」なんて言ってくる。冗談じゃないっ(`皿´)!!!テレビはまあ、なくても我慢出来るけどカーテンは「暗いと逆に気が滅入ります」と開けてもらい、ポータブルトイレは、部屋にトイレがあるのに馬鹿げてる。もし置いたとしても、そこから3歩も歩けばトイレに行けるじゃないか、ってことで、「自分で歩いて行きますっ!」と主張。暇つぶしに本を読んでてもNGそれなら編み物でも、と取り出してもNG「今からジョギングしたいって言ってるわけじゃないから、いいじゃないですかーーーっヾ(~O~;)!」とたれまり。看護婦さんは看護婦さんで「少しはこっちの言うことも聞いてくださいっ\(*`∧´)/」「命とどっちが大事なんですかっ(ノ ̄皿 ̄)ノ!!!」的なやりとりは続いた(^^;)。最初は赤ちゃんのいるNICUまで面会に行くにも、目と鼻の先の病棟なのに、歩いて行かせてくれなくて、車椅子で行っていたが、数日して歩行許可が降りてからは、もうこっちのもの~。病室でじっとしてなんかいないたれまり。NICUに行った帰りに最上階の展望ラウンジまで夜景をぶらぶら眺めに行っちゃったり、カフェにケーキ食べに行っちゃったり、売店うろうろしたり。さすがに病院抜け出しはやめといた。病室に戻る度、いつも頃合を見計らって、看護婦さんが血圧計を持って待ち構えてたけど(笑)。(今回の入院で、もう一生分くらい血圧を測ったんじゃないかなあ~)「あれ?結構、動き回った後でも下がってるね、ビックリ」なんて言われた時には、と思った(笑)。結局、最初の拘束期間や点滴期間、車椅子移動期間など通常の帝王切開の回復日程よりも遅れたスタートだったけど、数日で異常に跳ね上がっていた数値の数々も浮腫みや体重も、ぜ~~んぶ、潮が引くように一気に去ってしまったので、看護婦さんやお医者さんから「別人」と言われたほど(^m^)の回復ぶりで♪他にも出産には、その後もまだ超えねばならないハードルがいくつかあって、手術しても糸が身体に合わなかった、とか傷がうまく塞がらない、とか出血がなかなか止まらない、だとか母乳がうまく出ない(これも結構痛い思いをするらしく)等などをクリアしなくちゃいけない。幸いそれらもすべて順調で問題なくOK。最終的には血圧も入院中に正常値に戻ったため薬も不要になり、めでたく通常の帝王切開での出産パターンのスケジュールと同じ日に退院にまで持ち込めることとなった♪そんなに、いつまでもこんなところで、ちんたら入院しててたまるか~!看護婦さん、お医者さん、皆様口を揃えて「しばらくは大人しくしてて下さいね」「無茶しないように」「頑張りすぎないように」って忠告されての退院でしたけどね(^^;)。ってことで、振り返ってみると、この病気にしては、(そもそも病気って感じがしなかったけど)かなりの最短・即効スケジュールで合理的に出産・退院したんじゃないだろーか。退院前日の「退院検診」の時のお医者さんにも「病名は『重度妊娠高血圧症候群』だったけど、まあ、確かに数値は重度だったんだけども、あんまり「重度」でもなかったね」とわけのわからんことを言われた(笑)。あまりにも突然で、予測のつかない出来事が続いたけれども、こうして落ち着いてから改めて見直してみると、当初予定していた産院よりも、よりよい環境で出産させてもらえて、始終個室で過ごしたにも関わらず、病気として認定されるので高額療養が適用され出産費もかなり戻ってきてくれる。なので、最初の予算よりもはるかに安上がりに済ませられるのはお財布に嬉しい♪それに赤ちゃんが一ヶ月以上早く出てきてしまい、NICUに本来の予定日近くの12月中旬頃になるまで入院してくれることにしても、実はこれにも大きな利点があって、家事・育児を手伝いに来てくれるような人も近くにいない私たちなので、赤ちゃんを専門家に任せて、私が先に退院して、まず自分自身の体力回復に専念出来るのは、産褥期には非常に助かるのだ。普通は赤ちゃんと一緒に退院して、寝不足になりながらへろへろの身体でお世話をしなくてはいけない期間、しっかり睡眠時間も取って、ゆっくり休ませてもらえている。(こうやってブログまで書いてるくらいだし(^^;))そうやってトータルで見ると、これが一番いい方法だったのかもね~。赤ちゃんも小さいけれど、とっても生命力たくましく、おっぱいもしっかり飲んで、日々順調に大きくなってくれてます♪
2008年12月08日
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その1からのつづきもの********************スイートハート、ベター・ハーフの大事な大事な奥様が、帝王切開で出産なさったという世の旦那様方。奥様と苦楽を共にすべく、一体奥様がどのくらい大変な思いをしたか、疑似体験してみませんか?【前準備】・かなりひどい二日酔いになっておく・風邪を引いておく・・・・・(^▽^;)【用意するもの】・ロープ2本・洗濯バサミ8~10個・漬け物石・アラーム時計まあ、こんなもんでいいかな。ぐるぐる回って、気持ち悪~~いのに加え高熱が出て、悪寒がし、それでいて汗ぐっしょりで熱くなったり寒くなったりを繰り返し、だるくて身体が地の底に引きずりこまれるくらい重~~くなった状態でベッドに仰向けに寝て下さい。二日酔い・風邪とくれば、水分補給をしたいでしょうが、めちゃめちゃ喉が渇いていても、水を飲んではいけません。(↑これ、結構厳しい)これだけでも充分気分は最悪ですが、はい、更にそこから・まず洗濯バサミで下腹部を、横一列に挟む。(切られた傷の痛みを体験できます)・漬け物石をお腹に乗っける。(周囲も、どど~~んと重いのだ)・ロープでそれぞれの腕を固定して動かせないようにする。(点滴やら血圧計・心拍計等で、腕は自由にならない)・目と鼻の先にアラームを置き、鳴らしっぱなしにする。(モニターが警報を鳴らし続ける)これが、手術後の明けない長~~~い悪夢のような夜のたれまりの状況に近いです。文字通りベッドに縛り付けられて、自分自身では寝返り一つ打てません。看護婦さんたちがひっきりなしに出入りしてクッションを宛がいながら、定期的に向きを変えていってくれます。自分で動かせるのはせいぜい首くらい。疲れていて眠りたいのに、強い薬を一気に入れられているせいか、神経は変に昂ぶってしまって、頭の中では勝手に次から次へと脈絡のない想いが湧いてきて、それすら煩わしくて止めたいのに止められない。眠りたいと思っても、うとうとしかけると備え付けられたモニターの一つが、けたたましい音で警報を鳴らして、余計に神経をイラつかせる。看護婦さんが様子を見がてら、止めにきてくれればいいものを、そのモニターはナースステーションに直結しているらしく、危ない数値でもなかったのか放って置かれたために、いまいましいことにほとんど一晩中鳴り止んだと思えばまた鳴って、を繰り返された。コンセントを引っこ抜きたかった(ー皿ー;)。水分を取ってはいけないので、喉はカラカラに渇いて痛い。部屋の暖房が追い討ちをかけるように渇きをひどくし、次第にろれつが回らず、声も掠れて出しにくくなってくる。水・・水がほしい。こんな手術をした日っていうのは、夜が恐ろしく長い。それは患者本人もだし、付き添う方も同じく辛い。やっぱりこの日も長くて、じりじりとしか時間が進んでくれない。2~3時間は経ってくれたんじゃないだろうか?と願いつつ、しろくまくんに1時間毎に時間を尋ねていた。付き添うしろくまくんも、機械が場所を取ったせいで簡易ベッドが入れられず、ソファを二つ並べただけのところに横になっていたため、身体に対して狭すぎて全く眠れず、ノートPCを持ち込んで、ずっとDVDを見ていた。明け方近く、突然の吐き気に催されるも、固定された手はナースコールに届かず、眠りかけたしろくまくんを呼び起こして看護婦さんを呼びに行ってもらうが、間に合わず横を向いたまま戻してしまう。・・・・・・・・長い長い、長~~~い夜でした。しかし、どんなに長くとも明けない夜はなく、看護婦さんに6時になったと告げられた時、ようやく峠を越えたことを感じたのでした。通常は帝王切開しても、次の日は起き上がらせてもらえるので、当然私も手術が終わったので、これで問題もすべてなくなった!後は回復するだけじゃ~ん♪と思い込んでいた。(実際そうだったんだけど)ところが、血圧がこの時、まだいきなりは下がらず、(この病気の場合、中には後遺症が残って高血圧がずっと続いて、血圧が安定するまで1ヶ月~数ヶ月くらい入院したり、退院後も薬を服用するケースも珍しくはないらしい)絶対安静は解除されなかった。暗く長い夜が終わった、とホッと安堵したものの、期待は裏切られ、またまたうす暗い中に置かれることに。てなわけで、こっからたれまりと看護婦さんとの回復の仕方の見解の相違によるバトルが始まる・・(笑)。
2008年12月05日
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その1からのつづきもの私の担当医をして下さったのは、50代くらいの、温厚で冷静沈着、物腰柔らかく穏やかな話し方をする先生だった。たとえどんな状況だったとしても、先生の落ち着いた丁寧で誠実な説明を受けると、この先生になら全面的に信頼を置いて命を預けられる、と思われるのだった。執刀もその先生がして下さるということだったので、突然の手術を言い渡されて動揺はあったとしても、その点では安心して大船に乗れていたように思う。準備は整い、手術室も空いたという連絡が来てストレッチャーに乗せられて手術室へと運ばれる。途中エレベーターまでしろくまくんが付き添ってくれて、「また後でね。いってらっしゃい」と言葉をかけてくれる。手術室に入り、周囲を見回す余裕もなく、天井しか見えないから、よくドラマなんかで見かける、印象的な大きな手術室のライトぐらいしか覚えていない。周りには10人近いスタッフがいただろうか。皆きびきびテキパキと準備に取り掛かっている。そして私は寄ってたかって、なされるがままの状態になる。全身麻酔だったら、ここで麻酔をかがされてものの3秒くらいで記憶はふっとび、次に目を覚まして目に飛び込んでくるのは元の病室の天井と点滴、心配そうに覗き込む家族の顔・・なんて展開になるんだろうけど(その方が気分的には楽だよな~、とやっぱり思う)今回は局所麻酔だから、身体を横向きにされ、「ぎゅっと背中を丸めてて下さい」と指示をされ、押さえ込まれて背骨に添って腰の辺りに麻酔の注射を三箇所に打たれる。ヒヤっとして、ピリっとして、チクッとする感覚。緊張してたので、身体がこわばって、ビクッと跳ねそうになる。手術室の気温のせいか、麻酔のせいか、緊張のせいなのか、寒くて身体がガタガタと勝手に震え出して止まらなくなり、肩から上に毛布をかけてもらい、暖かい風を送り込むヒーターもつけてもらった。「これは冷たいですか?」「ここはどうですか?」と何箇所も何箇所も腹部や足などに冷たいものを当てられて、麻酔の効き具合を確認される。麻酔がしっかり効いたのを確かめたところで、手術が始まる。やっぱりドラマみたいに、主治医の先生が開始を告げ、一同「よろしくお願いします」と挨拶する。うわ~~、とうとう始まるんだな~~(>_<;)。脇にいる助手の一人が「今お腹に印をつけてます」とか、いちいち教えてくれるのですが、あまり経緯をこと細かく知りたくなかった私は「あのぅ~、解説はない方が助かるんですが・・(^^;)」と申告した(笑)。少し何かがこげるような臭いがして、レーザーメスで切ってるのかな~?なんて思う。もうお腹の方は、何か触ってるな、とか押されたりとかする感覚しか残ってなくて、それよりも、寒くて震えが止まらない方に意識がいっていた。そこから、意識を逸らしたり、気を紛らわすために”何か他の事考えよ”と思って、時間が1時間と聞いていたから、塾でやっていた授業を思い出して、授業をしているつもりで、流れをシュミレーションしていた。どのくらい経ったのか、時間感覚は全くなかったけれど、お腹をぐいぐいと押された後、赤ちゃんが取り出されて、すぐに産声をあげたので「よかった~!ちゃんと元気な声で泣いてる!赤ちゃんは無事だ!!!」とものすごくホッとした。助産師さんか、看護師さんたちが、すぐに部屋の片隅に連れて行き綺麗にしてから、私の近くに連れてきてくれて対面させてくれた。うわ~、全身ピンク色で、ものすご~く小っちゃい。率直で単純な感想だった(笑)。でも胸は言葉にならない感激でいっぱい。そのまま、赤ちゃんは先に手術室を出て、別のところへ連れて行かれた。さて、赤ちゃんは無事に出てきてくれたから、あとは胎盤の処理と縫合をするだけだよね♪ここまでくれば大丈夫。血圧が急変しましたッ!!だとか、出血が止まりませんっ!!とかの緊迫した事態も起こらなかったので、ちょっと気持ちにも余裕が出てきた。で、改めてそこから周囲の様子を観察(と言っても固定されてるから、限られるんだけど)するとドクターは両側に二人いて、向かって左側に担当医の先生がいらっしゃったんだけど、もう一人反対側に先生がいる。あれ?よく聞いてみると、担当医の先生、ボソボソと聞き取れないくらいの声で、もう一人の先生に・・ここはこうしてああして、次にこうして・・みたいな説明をしながらやってるではありませんかっ!これってば、講義を兼ねてるんですかっ!?そして、もう一人の先生。手術衣の帽子やマスク、そして私自身の身体と頭の境を隔てられている覆いのせいでよく見えなかったけどこの声、この喋り方。あーーーーーーーっ!!!この人ってば、さっきの、点滴ど下手くそな”ぶきっちょ君”ぢゃないかっ!!!!(点滴エピソードはこちら)で、なんと先生ってば、そのぶきっちょ君にこともあろうに、縫合させてるうううう!!!!!うーーーーーわーーーーーー!!!やめてくれーーーーーーーーーーーーーーっ(心の絶叫)!!!先生っ、先生がやってくださいよっ!!!私のお腹、大丈夫かっ!?傷、一生残るんだから、綺麗にやってほしいのにっ!!縫い方下手くそで治りが悪かったりなんかしないよね?ホントにホントに大丈夫~~~~!?!?・・・・・・・・ええ~~~~いっ、こうなったら自分の治癒力を信じるしかあるめえ!!!よほど「あの~、主治医の先生がやって下さらないんですか?」って言いたかったけど、そんなこと言われたら、きっとショックだよね。ひょっとしてトラウマになって、今後手術出来なくなってもいけない。昨今、医師不足だって言われてるしね。後継者は大事に育てないと。そうだ。考えてみたら、私自身だって最初の頃の授業はたどたどしくて、子供たちに育ててもらったようなものだ。逆に教えている時の経験からも、人を育てるっていうのは、忍耐と温かく気長に見守る目が大事なのだ、ってことを学んだではないか。しょーーがないですねーーー。がんばれ~~、青年。って気持ちになる。気持ちになるものの、しかしそっから手術が終わるまでは、えらく長~~く感じられた。1時間って先生は言ったけど、絶対それ以上経ってるよね。特殊な状況だから時間が遅く感じられるんじゃなくて間違いなく、時間がかかってる。後でしろくまくんに聞いたところ、3時半に見送ってから私が戻ってきたのは6時半で、実に3時間もかかっていたらしい(ー▽ー;)。こんな手術中の状況なんて、知らぬが仏である。赤ちゃんの声を聞いた後は、やっぱり全身麻酔に切り替えがよかったな。帝王切開の場合、手術そのものは本人は何もしないしこの時点では麻酔がばっちり効いてるからそれほど大変じゃないんだけど、産まれてしまった後、術後が多分自然分娩と同じくらいつらいんじゃないかと思う。どっちの道を通っても、出産てば大変なのだ。そんなわけで、本格的な峠は、こっからやってくることになる。まだつづく<追記>ぶきっちょ君が縫ってくれた傷跡は、幸いにもその後看護婦さんや他の医師が検診してくれる度「綺麗だね」「あ~、綺麗に治ってるね」と口を揃えて言ってくれたので終わりよければすべてよし、ってことで OK(*・∀-)☆♪
2008年12月04日
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その1 その2からのつづき幼稚園児だった頃、注射が怖くて園中逃げ回り(普段鈍足なはずなんだが、逃げ足は速かったらしく)幼稚園の先生を手こずらせた、というほろ苦い思い出がある。まあ、園児のやったことなんで大目に見てやってほしい。注射から逃げ回ったのは記憶にある限りではそれ一回きりで、大人になるまでには結構医者通いもしたので、注射には慣れたし、少しチクッとするのさえ我慢すれば、どーってことないさ┐(  ̄ー ̄)┌、って程度には私も立派に☆成長した。血管にしても皮膚が薄いから浮き出て見えるし比較的注射しやすい血管をしているのではないかと思う(当社比)。現に、これまで数打ってきた注射の中で、それほど痛い想いを味わったという経験はない。さて、手術に際して点滴をすることになり、看護師さん、見習い看護学生さんとともに、ドクターが一人入ってきた。「点滴の注射は先生がします」と看護師さん。え?なんで?看護師さんじゃないの???わざわざ先生?先生でないと打っちゃいけない特殊な点滴なんだろか?やだなー、看護師さんたちって、経験豊富だから注射うまいけど、ドクターって普段やってないから、案外下手だったりするんだよね(↑思いっきり偏見)。なんてことをちらっと思ったりして、ちょっと嫌な予感がした。そして、その嫌な予感はズバリ当たってしまった。先生と言うのはまだ若い、学校を出たてくらいの青年でぼそぼそと、ちょっと聞き取りにくいくらいの声で説明する様子を見て、自信のなさが声と話し方に出ているようだと思った。研修医かもしれないな、と心の中で思う。(名札つけてたはずだけど、病院ではほとんど眼鏡を外していたので、ど近眼のたれまりは、よく見えなかった)腕を持って、念入りに念入りに血管を探る。ぐっと握るように取られた腕に彼の緊張感がピリピリと伝わってくる。『うわ~、慣れてないな~。力入りすぎてるよ~(心の声)』案の定、「失礼します」と声をかけられた後、針をぶすりっ!と刺される。文字通り「ぶすり」って音が聞こえそうな、まるで必殺仕事人がトドメを刺すときの刺し方である。更に追い討ちをかけるように、血管に入れた状態で、ぐりぐりと探られたり出したり引っ込めたりをやられる(;_;)カ、カンベンしてくれ~~~~~~~~!!!!そんなやり方で、左腕は二箇所トライするも、うまくいかず「すいません、すいません」を繰り返され、利き腕の方の右手首に移動。(このせいで、術後数日間利き手が使えず非常に難儀した)そうやって10分以上も長いこと格闘してたんじゃないだろか。失敗したところは後でひどい内出血になり、なんとか無理矢理ねじ込んだ方の右手首も、点滴している間は痛み、点滴漏れもして、外した後も腫れ上がってしまい、最終的にお腹の傷の痛みに加え余分な痛みも背負うことになった。立ったまま見学していた看護師さんたちも、気の毒そ~な顔つきになっていた。たかが点滴ひとつに、こんなに手間取るなんて、なんだか手術前に縁起でもないよなあ~、なんて不安が増す。え~、そんなわけで、たれまりからのお願い。これから臨床医を目指そうと思っておられる方がいらっしゃいましたらどーか、おベンキョだけでなく、手先も充分に鍛えといて下さい(^^;)。外科手術をするにあたって、手先の器用さは命ですっ。実践です、実践。(<だからって患者を練習台にしないで~~~)医師免許を習得する科目の中に、実技として裁縫なんかも入れていただきたい!と思ってしまったたれまりだった。さあ、そしていよいよ手術に臨むのだ つづく
2008年12月02日
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【昨日の日記からつづく】その時点では知らされていなかったのだけど、手術が終わって数日間が経ち、容態もだいぶ落ち着いた頃医師から聞かされた蛋白尿の数値は、なんと6.6+だったそうだ。要は身体の中に残さなければならない大事なタンパクを、身体の外にどんどこ出してしまってた、という異常事態で。血圧もかなり高かったらしいけど、腎臓の機能もかなり低下してしまってたのね。通常の生活をしていて、疲れたくらいでは1+も出ないらしく、3+で管理入院を勧められたくらいで、ネットで拾った情報では、4+が出た妊婦さんが緊急手術をされた、っていうのもあったから、6.6+ しかも数日間で急激に数値ぶっちぎりで跳ね上がったりしたらそりゃ~、緊急手術にもなるわな~、と後で納得。幸いお腹の子供の状態は良好のようだったので、子供に影響がいかないうちに、という判断だったのだろう。この病気、血管の攣縮が体内のどこで突然起こるかが分からないのが怖いところで、まだ記憶にも新しい、妊婦さんが病院たらいまわしにされて脳溢血で亡くなられてしまったようなケースなどがふと頭をよぎった。手術中にもしも急激に容態が悪くなったら最悪の場合なんかもあるんだろうな・・しろくまくんに会うのもこれが最期になったりしたら・・(;_;)ホロリ手術の決定直後、職場に電話をかけて、すぐに駆けつけてくれたしろくまくんを見やると・・「お昼食べれなかったんだも~ん。お腹空いた」と言いながら近所の人がお見舞いにくれたというクッキーを一人でおいしそーにパクついていた。た:「あ、あのぅ~、もしもし↑? 私これから手術なんですけど?なんかこう、危機感とか、ないわけ?たれちゃん大丈夫かな~?とか、子供は無事に生まれるだろうか?とかさ?」し:「うん。だって、たれちゃんは大丈夫だよ~。彼ら(お医者さんたち)にしてみれば、帝王切開なんてほとんど毎日やってるような手術だし。すでに病院にいて容態をちゃんと監視して、適切な処置をしてくれてるんだから、心配してないよ~」いや、最愛の妻の一大事なんだから、ちょっとくらい心配しようよ(・∀・;)。でも、そっか。ま、それもそうね。一時間しかかからない、って言ってたから、きっとすぐ済むよね~。いつもやってた仕事での授業一コマよりも短いしね。そんなしろくまくんの平然とリラックスした態度のおかげで、これから突然の手術、という不安と緊張感もずいぶんほぐれたのは確か。心の準備は出来たよーな、出来ないよーな、なんだかうやむやのまま、しかし時間は刻々と過ぎて、周囲は慌しく手術の準備を着々と進め、私はなされるがままとなった。麻酔科の医師も来て、説明を聞く。手術は局部麻酔だけだから、意識はずっと最初から最後まであるという。え~~~、手術の様子なんて、わかんない方がいいな~。何にも分からず眠っているうちに終わっちゃう方がいいのに・・。と思いつつ、「全身麻酔はしないんですか」と尋ねると「皆さん、お子さんの産声を聞きたいので、全身麻酔にする人はいませんよ~。あはは。(<冗談だと取られたらしい?)ご希望があれば切り替えますので、いつでも仰ってくださいね」と言われたら、全身麻酔希望です!とは言い出せなくなった。しかし、後になって、たとえ前代未聞でも、やはり全身麻酔を希望しとけばよかった~(T_T)、と思える事態になることをこの時のたれまりはまだ知らない。次にやってきたのは、点滴担当の医師だった。つづく
2008年12月01日
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