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午前中は母を医者に連れていった。その間に車を交換しに実家へ行って父の車に換える。母をまた病院で拾って施設へ向かった。昨日買い物してるから今日は買い物は必要無いと言うのでそのまま帰ろうとしたら喫茶店に寄れと言う。退屈なんだろうと思い、施設近くの喫茶店に寄ってみた。この地方はモーニングセットで飲み物を頼めば大体トーストとかがサービスで付いてくる。今日の店は飲み物を頼むとキャベツの千切りにドレッシングとサンドイッチ(卵とハム)とトーストと小さな茶碗蒸しかゆで卵だった。細々と品数があるからか年配の主婦に人気があるようだった。結構お腹いっぱいになったので母を施設に送り届けて、実家に向かった。ちくわちゃんがお空に帰ってしまったことを父に伝えたら父も目をうるませていた。私はネットの犬友達の話は両親にしているので、ちくわちゃんもここ半年位よく出てくる名前だった。どこの子もかわいくて知ってる名前の子はみんな紹介している。みんな太郎の友達だと紹介済み。だからそのお友達とのお別れが父も悲しいのだろう。今日は父が本を買いたいと言い出した。何を買いたいのかと思ったら『山古志村のマリと三匹の子犬』と言う本だった。中越地震の時の1匹のワンコについて書いてある本で、今日の地方紙ではあるが新聞にもワン好きにはたまらない1冊だろうと書いてあった。父も太郎がいなくなってワンの本が読んでみたくなったらしい。1件目の本屋は無かったが2件目の本屋で見つけたので無事買って来ることが出来た。読みやすい絵本のような本。地震の中頑張ったワンコの話だった。諦めないってワンコ精神を人間が学んでいかなきゃって本だった。難しくないから小学生位の子なら読めそうです。父もこの諦めない精神を母の介護にいかせるといいんだけどね~。太郎の思い出。足がO脚だったせいか足が結構弱かった太郎。子供の時から急に「キャン」と鳴いてはこちらを心配させ病院に走らせたワンコだった。そんなワンコだったけど去年一時立てない時があったけど、最後の日もヨロヨロながらも支えて貰いながら立ってトイレをしていた。その後心臓に負担がかかってひどい発作になったんだけどね。最後まで自分の足を使っていた太郎でした。
2005.02.28
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今日は母の所へ行かなきゃいけないのに起きたく無くって・・・午前中に行くはずが結局午後になってしまいました。そこそこ問題無く施設では暮らしている母。今日は「犬がいなくなってあんた達も寂しいね~」と言っていた。う~ん、私がどこに住んでるのか曖昧になってるようだ。日によって言う事が違うので困るがこの程度なら問題は無い。実家に行くと寂しいよねと答えておいた。買い物をさせようと近くの大型スーパーへ。自分の物には興味があるのでセールで安くなった服を買っていた。あと犬の絵のパズルも暇な時間にやったらと買ってみた。出来なかったら母と一緒に作ればいいからね。あとお菓子とフルーツを買って、マクドナルドでお茶をして帰って来ました。来週は月水金と母を医者に連れていかなきゃいけないので急がしそうだ。太郎の思い出。太郎の顔で一番印象に残っているのはやっぱり目だ。ここに日記や写真をUP始めた頃はだいぶおじいちゃんワンコだったので目の力も少し弱っていたが、昔の太郎は真っ黒な目が印象的なワンコだった。クリクリとしたかわいい目で飼い主バカではあるがかわいいワンコだと思っていたな~。鳥を追いかけたりするのが好きで見つけると必死に追いかけていたりしたけど全然捕まえられなかったね。だんだん年をとっていって、白内障になって少し目が白くなってしまった。目薬のおかげで真っ白な目にはならなかったけどあんまり見えてはいなかったみたいだしね。最期の日の1枚だけの写真を見ると目に力が全然無かった。もうギリギリだったのだろうなと思う。早いか遅いかだったのだと・・・まさかあの写真が最後になるとは思ってもみなかったが、バイバイする前の写真とバイバイした後の写真はカメラは持っていたのだがもう撮らなかった。年老いた両親も私も後を引くと思ったのでやめたのだ。今の太郎はお空で目をキラキラさせて元気にしてるだろう。いいお顔の太郎が思い浮かぶこれからでいたいな。
2005.02.27
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今日は悲しいメッセージが届いていた。楽天のワン友達のちくわちゃんが2月22日に亡くなったというご連絡でした。16歳と3ヵ月の幸せな犬生だったちくわちゃん。最期に何年も尻尾を振らなかったちくわちゃんが尻尾を振ってお別れをしてくれたそうです。その時側にいてくれたちくちゃんとお母さんに、感謝の気持ちを伝えたかったんでしょうね~。最期までいい子でした! ちくちゃんの日記です~。http://plaza.rakuten.co.jp/chikuchan/diary/200502250000/ちょっと前から調子が悪そうだったので心配はしていました。昨日も実家でちくわちゃんの容態はどうなんだろうと言いながら父に「ちくわちゃんはこういうお顔しててかわいいんだよ」と絵を書いて説明していた所でした。カメラ目線でいいお顔してくれる、ちょっと首をかしげてて左のお耳が曲がってる所もかわいいワンコでした。今頃は1ヵ月先にお空に帰った太郎と仲良くしてくれてるかな?そしてお互い自分の家をお空から覗きこんでいるのだと思います。大好きだったよ、ちくわちゃん!ご家族を見守ってあげてね。ちくわちゃんのご冥福をお祈りいたします。ちくわちゃんの最期を日記で読ませて頂いて、最期まで家族で看てあげれたのがとてもうらやましいと思ってしまった。私達家族は最期に息を引き取るときは見せてもらえなかった。最期まで看たいと思っていたが実家の事情で出来なくて決断した安楽死ではあった。細々とついていた命の灯火を私達の都合で消してしまった罪悪感。でもどちらにしても太郎の命は何かの形でその時間で終わっていたのだろうとも思う。私は寿命ってのはそういうものだと思っている。たぶんこの罪悪感は何度も思い出すだろう、でもその度に太郎のかわいい顔も浮かんでくる。自分勝手ではあるが「いいんだよ、ねーちゃん」って言ってくれてる気がする。
2005.02.26
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今日は何だか朝から眠たかったので(昨日も早く寝たんだけど)実家にだけ行きました。母の所も行きたかったけど無理しても疲れがたまるだけなのでやめておきました。お昼ご飯を今日は買って来て食べて、後は父の夕飯の準備。その後はお花の時間まで寝ると言って2階の自分の部屋にGO!でもこれがまたウトウトしか出来なくって・・・結局寝たって感じはしなかったな~。父と太郎や他のワンコの話は出来るけど、どうも話が途切れて間が持たない。いつもその間は太郎がいたので問題無かったのねと思う。ボケボケなお顔をしていたけど我が家ではお役立ちワンコだったのだとつくづく思う。太郎の写真が撮れないのが悲しい金曜日なのでした。いつもお花と太郎はセットで写真撮ってたからね。写真のデータを見ても物足りない気がするのでした・・・
2005.02.25
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今日で太郎とバイバイして1ヶ月になる。最初の1週間は太郎の最期についてあれこれ悩んだ。その後父の母に対するストレスによる暴力が出てきたので太郎が見ていたら、また発作を起こしていただろうなと思いながら両親をどうするかを考えていた。そんなこんなで1ヶ月はあっという間だったが、太郎のぬくもりが近くに無いのがこれほど寂しいものとは・・・いつかいなくなると想像はしていたが、実際は想像を越える感情が沸きあがって泣けてくる。温かい太郎をいっぱい触ってお別れしたはずなのに、コタツの側に太郎がいないと切ない。太郎を考えない日って1日もない。少しずつ落ち着いていこう。がんばるからね、太郎!
2005.02.24
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今日は朝から母を病院に連れて行った。何だか少々呆けた顔をしてるなと思ったら、少々文句が出てきた。私に関する文句では無いので聞いていられる。施設の人や事に対する不満があるようだ。呆けた状態だとあれもこれもメチャクチャだと言い出す。ご飯もきちんと3食出ていても、メチャクチャだと言う。何がメチャクチャなのか聞いてもそれを答える事は出来ない。メニューが気にいらないみたいだがそんな事は言ってられない。そして人がやってる事もメチャクチャだという。夜中に部屋を覗くと言うが、病院だってきちんと寝てるか確認に来るでしょと言っておいた。あと他にもいろいろメチャクチャらしいが、そういう時は母の頭の中が混乱している時なんだろうと思う。病院に行って帰りに買い物でお菓子や果物を買う。あんなにたくさん買ったのにほとんど食べてしまっている。する事が無いと食べているのだろうと思う。その後お茶をしに喫茶店に入り紅茶とパンを食べてきた。これまた文句が多い。何かにつけて言わなきゃいけないことがあるらしい。施設に連れて帰ったが靴がうまく脱げないし、うまく履けない。身体のバランスがうまく取れないようだ。表情を見ていればだいたい今日の呆け具合がわかるので目安にはなっている。母の荷物を整理して今度は実家にGO。昨日友達にラーメンを貰ったのでそれをお昼に食べるために野菜や夕飯の用意を父と買いに行った。いろいろ買って帰ってきてお昼の準備をしてラーメンを食べた。今日のラーメンは父には好評だった。それと迷子猫が新聞に以前新聞に載っていたのだがその猫が見つかったと冊子に載ってたので父に見せたらよく見つかったなとビックリしていた。その後夕飯のおかずの準備をして今日は14時に実家を出て帰ってきた。明日は太郎がお空にかえって1ヵ月。早いな~。でも太郎も忙しいだろうな~。実家と私の家と母のいる施設と3ヶ所も見て回らなきゃならない。トテトテ歩きながら「元気でやってる~?」って言ってるんだろうな。どうしても散歩している犬が太郎みたいに白い犬だと太郎と似てる部分を探してしまう。顔がそっくりとか色が似てるとか・・・太郎の声ってどんな声だっただろう。ここ数年はほとんど鳴かなかったからあんまり覚えて無いな~。昔だって「タロ君ワン」って言わなきゃ鳴かなかったし。家に入ってくる人にはよく鳴いたけど・・・太郎の全てを知ってるつもりなのにいろいろ覚えてない事があってちょっと悲しいのでした。
2005.02.23
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今日は父を連れて友達の家に・・・私の友達が珍しいワンコを飼っているので行って来ました。すっごくでかいワンコでした。何か犬種の中では一番でかいワンコらしいけどでかさに圧倒されて名前も聞いて来なかった~。あと、3日前から豆芝チャンを飼ったらしくまだ2ヶ月のかわいいワンコも触って来ました~。父と太郎もこんな小さい頃があったよね~と話して来ました。その後実家で父と夕飯を食べて、その後別の友達の所で話をしてきました~。彼女の家も父が認識症で老人ホームに入所してるのでいろいろ話をしてきました。おかげで帰ってきたら11時半~。久しぶりに夜遊びして来ました。太郎の思い出。10才位で太郎は白内障が出てきたのでそれからず~っと目薬を点していました。目薬が嫌いで目を明けないので太郎を抱え込んで、まぶたを開いていつも点していました。そのおかげか・・・一応白内障は進行をとめたままで真っ白な目にはならなかったです。でもあんまり見えなくなってたみたいで最後の方は鼻が頼りって感じになってました。食べ物とかを食べる距離感がつかめないらしく、ガブガブ口だけが来るのでスプーンに噛みついたり箸に噛みついたりしてたな~。
2005.02.22
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昨夜は何でだか眠れなかったので今日は眠い1日でした。今日から旦那が出張なので旦那は新しく出来た空港に行ったのですが、早朝にも関わらずセントレア行きの電車は満員。新空港も人々だったそうで電話がかかって来ました。始めての空港なので無事に行けるか心配してたけど、無事に着いたみたいで安心しました。太郎の為に頂いたお花もあと少しで全てのユリが咲き終わります。付いていたたくさんのツボミ、全部が花開きました。太郎もこのユリのように満開に開いて最期を迎えたんだよね。掃除をしても掃除をしてもひょっこりタロ毛が出てくると父が言っていた。18年分だもんね~。太郎自身がいなくてもあちこちに、はさまってるもんね。もうすぐで1ヶ月になるな~。太郎がお空に帰っちゃってからあまりに色々あって、気が付いてみればあっと言う間だな。今日は寒いけどだんだん春になっていってるんだよね。
2005.02.21
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今日は母の施設に行ってきた。母は先日ベッドから落ちたと連絡があったので、ベッドではなくマットレスに変わってました。母の左目の周りは青痣でしたが触らなきゃさほど痛くないみたい。近くのスーパーまで買い物に連れ出して来ました。母が施設で食べるお菓子や果物がないと退屈だからね。みかんやバナナ、お菓子をいろいろ買って帰りにたこ焼きを一緒に食べて帰りました。施設の料理が普通の家庭料理なのが多少不満な母。家以外で食べる物はきれいに盛り付けてある料理じゃないとと何か勘違いしている。1食400円のご飯でそんな訳が無いのだが。それでも何とか他の事では文句も言わないでそこそこ問題なく暮らしてくれてるので助かっている。太郎の思い出。太郎の家族の順位付けは最初は父・母・私・太郎だったのだが途中から父・私・母・太郎になっていたように思える。母が弱るとともに太郎も弱っていったが、母に対してだけ多少強気になったりしていた太郎がいた。兄ちゃん(ももだんな)は最初は「よそ者!」って感じでワンワン鳴いて大騒ぎだった。数年たって少しずつ甘えるようになり、私と兄ちゃんが一緒に実家に行くと私を無視して兄ちゃんを歓迎したりする太郎がいた。唐揚げの力恐るべし・・・太郎の中で群れの仲間に兄ちゃんも入っていたんだろうと思う。みんなでご飯食べる時は太郎も一緒。群れの仲間にご飯を分けて貰ってるつもりだったのだろう。太郎がいたおかげで気難しい父とも兄ちゃんは会話出来ていた部分も多分にある。いつでも緩衝材だったんだよね、太郎は。
2005.02.20
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今日は実家にも施設にも行かずボンヤリと過ごした。ホントは母の所だけは行こうかと思ったのだけど、私の身体がまだ睡眠を求めていたので身体を休める方を優先。明日、行って来る予定です。太郎の思い出。太郎の毛の長さははお耳が1センチ位の毛で体は3~4センチ位で尻尾と胸のエリマキみたいな所が7~10センチ位ありました。着てる服に太郎の毛が付いてると結婚前は邪魔だなと思ったりしたのですが、結婚して週に1度しか会えないとなるとくっついてくる毛がうれしかったりもしました。先日実家に行って寒かったので昔のカーディガンを出しました。タロ毛がいっぱいくっついてました。それだけ結婚前は太郎と触れあっていたんだな~と思いました。当たり前だと気がつかないもの・・・なくしてから気がつくもの・・・大事なものは後悔の無い様にしていきたいな。そう思います。
2005.02.19
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実家の2階から庭を見ていた。広くない庭なので簡単に見渡せる。そして庭のどこを見ても太郎の思い出がある。小さい頃は太郎の遊び場で、年をとってからは太郎の散歩&トイレだった庭。ここは太郎が身体を支えながら歩いてた場所。あそこは太郎がいつもトイレに使ってた所。一気にあれこれ思い出して涙があふれて来た。先回の大雪が降った後、太郎のにおいのしなくなった庭。私の頭の中では太郎がまだ庭を歩いている。『ギュッてしたいな~』などと無理な事を考えてしまうのでした。太郎は虹の橋でノンビリしてるんだもん。ねーちゃん泣いてたらダメだよね。
2005.02.18
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老人施設と実家に行ったがどちらも穏やかに暮らしている。あちこち行くのは非常に疲れるが『安心』が手に入った事は精神的に大きい。その事に父も気がついてくれてるといいのだが・・・無理っぽい。でも気楽に暮らしてくれれば今はいいかなと思っている。さて、太郎の思い出話。太郎は手袋が好きなのか嫌いなのか・・・家族が手袋をしていると手袋を引っ張って外してカミカミ。おかげで気にいっていたムートンの手袋も太郎のよだれでテカテカになってしまって悲しい思いをしました。手が見えないのが気にいらなかったのかな~?不思議な行動でした。
2005.02.17
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今日は家でダラダラしてました。明日は母を施設から病院へ連れて行かなきゃね。それから実家へ行ってだね。ちょっとはダラダラしたので疲れも取れたかな?今日はカメラ嫌いだった太郎の事。子犬の頃からあまり写真を撮らなかったせいか、太郎を残したいと思った時には「何するの~?」って顔でカメラを嫌がるワンになってました。お菓子でつるって事をすればよかったのにそれに気付かなかった私も太郎を撮るのが下手だったんだよね~。何が嫌だったんだろう?カメラを見せると嫌そうな顔をするようになったしね。私がモデルさんに指示を出すのが気にいらなかったのかな?こっち向いて~とかね。お耳も聞こえなくなってたはずなんだけどね。写真はピンボケばかりだし、太郎はいいお顔してくれないしでいつも変な写真しか残せなかったな~。笑ってるような顔してる時はいつも発作が起きてたしね。でもいろんな太郎が残せてよかったと思ってます。太郎には嫌がられたけどね。PCの中には2年分の太郎の写真がいっぱい入ってます。もっと若い頃に写真が撮ってあげられれば良かったな~。思い出は記憶の中にあるけどね。そういえば、夢に太郎が出て来ました。元気そうに動いてる太郎でした。虹の橋でこうやって暮らしてるよって教えてくれたのかもね。
2005.02.16
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今日は朝から身体がだるくてだるくて・・・でも行かなきゃいけないので午後から実家と施設へ。まずは銀行で施設の料金の振込み、14万円!その後に105円ショップで母のもので足りない物を購入。身体を洗う石鹸でかなり悩みましたよ。ボディソープししようかと思ったけど、今の母ではシャンプーとボディソープの区別がつくかが判らないので・・・固形石鹸にしました。あと母は間食が呆けてからすごく多くなったのでお菓子も購入。ゴミ箱とかも無かったしね。いろいろ購入しました。実家に行ったら落ちついた顔の父がグッピーの水槽の水換えをしていました。母がいないとやはり怒らなくてもいいから顔が怒ってなくてかえって元気がないようにも見える。私も母の薬の準備をして、買ってきた物に記名して、惣菜を1つ作って、その後に父と買い物に行きました。太郎がいた時はゆっくり買い物も出来なかった父。その分かわいいお顔が家で待っていてくれたんだけどね。うちの旦那の靴がボロくなったので靴を買うのも付きあって貰いました。食料品を買う時は太郎と食べるからと、父は太郎が好きだった焼き鳥を買ってました。ネギマじゃなくモモをね。太郎が好きそうだったお菓子も買ってました。家に帰って太郎の写真に声をかけ、お水を換えようかと言っては水を換え、お菓子も1つ出して供えていた。幸せ者だね、太郎。merryさんに貰ったお花もユリがドンドン咲いたけどとうとう散りはじめてしまった。しぼんだユリだけカットしてまだきれいに飾ってあります。実家でのいろんな事をやり終えたので今度は母の所へ。どんな顔をしてるかと思ったらやっぱり平気な顔をしていた。部屋の中でテープを聞いていた。昨日持っていったお菓子やみかんもたくさん食べてたみたいだ。母の心に余裕があるのか「お父さん大人しくしてた?」と聞いてきた。今の所母は快適に過ごしてるみたいで安心した。母から頼まれていた施設に渡すお菓子を持って母と事務所に行き挨拶をして帰って来ました。両親共に穏やかには暮らしているみたいなので安心です。ホントは明日も実家へ行く予定だったけど、どうも身体がだるくて仕方ないので明日は休養日。ゆっくり休みます。カメラ嫌いの太郎の話は明日にします~。
2005.02.15
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今日は母を施設に預けて(?)来ました。予想通り父の協力は全く無し。母は母で、今日移動だと金曜に伝えたにも関わらず「14日にはお金を持って行くとしか言ってなかったのに何故今日急に行く事になったんだ」とぼやく。「姥捨て山に行くんだ」とかも言っていた。自分から1人になれる所に行きたいと言っていたのに、日によって言う事が全然違うので困る。一度病院に連れていってから実家によって施設に行く予定だったが実家によっても家に入りたがらず「ここで待ってるから」とすねていた。父は配食サービスの支払いの事を私が確認して無かったので「オレは知らない」と言って怒鳴るし・・・支払い方法を確認していない私も悪いんだけどね。両親共に昔から物分りのいい人達では無かったが、いちいち許可を取っても親の思うようにならないと文句を言われる。私だってこれでいいのか判らないまま手探りの状態なのに何かがあると責められるのがきつい。母の布団等を車に運んで出発。母の妄想の入った愚痴が始まった・・・聞いているだけでイライラしてくる。これは病気なんだ・・・と自分に言い聞かせていても腹が立つ。殴ってしまいたくなる父の気持ちはよく判る。私も運転しながらでも殴りたくなった。冷たい空気の流れる車に乗って母を連れていった。荷物を預けてちょっとだけ確認の話をして「後はやっておきますから」と言う事であっけなく終わった。足りない書類とかがあったのでまた午後から来ると母に言って実家に戻りました。途中、配食サービスのところでお金を払って請求書が実家に行かないように手配もしてきました。父のお昼と夕飯の買い物をしてダッシュで実家へ。配食のお金の処理はしておいたと報告したら納得はしてました。お昼にうどんを作って、父と食べてその後夕飯の準備。煮物・浅漬け・煮魚を作って、父にご飯の炊き方も教えてきました。元々器用な人なのでこういう時には助かる。けれど父が納得しないことは全く協力してくれないので困るのだ。今は母がいないので父も問題さえなければ怒らない。足りない物を持って今度は旦那の実家へ。旦那の実家で預かって貰ってるキャンプ用の椅子を母の部屋に持ち込むために行って来ました。施設と旦那の実家は近いので移動距離が短いので助かります。CDラジカセと椅子とお菓子とみかんを持って施設に行きました。部屋は明るい南向きの部屋で1人の部屋としては十分な広さ。荷物も一応片付けて貰ったみたいでした。使えるか判らないけどCDラジカセも説明をしてきました。「ここは挨拶にお菓子を持ってこなければいけない」と言うので母にお金を渡されました。変な気遣いは出来るみたい。まだ足りない物があったのでまた明日行ってきます。母がまだ問題なかった頃は父と母で買い物も行けたのにね。ずっとそのままボチボチ穏やかに老後を過ごしてくれるものだと思っていた。母の病気の威力はなけなしの家族なんかは簡単に崩してしまった。それでもまず1ヶ月は母を預かってもらえるのでそれだけでも実家の両親の様子を気にしなくて済むので助かるかな?今日は太郎がくっついて来てた。私の服にタロ毛が1本離れない。私も捨てないで今日は一緒にタロ毛と行動。「ねーちゃん頑張れ」と言ってくれている気がした。きつかったけど頑張ったよ~、太郎。太郎の思い出話は明日にするね~。疲れちゃった。明日も実家と施設に行かなきゃね。
2005.02.14
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明日は母を施設に・・・朝からバタバタしそうなので今日は体力温存で寝てました。今夜も早く寝なきゃ!太郎は雨が嫌いなワンコでした。と言うか体が濡れる事が嫌いで・・・雨の日はお散歩はホンのちょっとだけトイレの為に散歩してタッタカ帰ってしまうワンコでした。なので太郎が年を取っても我慢できなくてもれてしまう時以外はお外でトイレをしたがり落ち着かなくなったり鳴いてみたり。雨の日になると外に出しても雨に濡れるのを嫌がって我慢してしまったりとかありました。かといって散歩が好きなので気分次第では雨降りでも外に出たままなかなか家に入らなかったり。その後身体を拭かれるのも嫌いだったな~。散歩の後とかに足を洗われるのも嫌いでした。明日はカメラ嫌いな太郎を書こうかな?
2005.02.13
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今日は実家へ母の荷物を作りに行った。母が荷物を作ってくれるといいのだが、よそに行くんだから新しいものを買う・・・と言うのは判っても、荷造りは全く頭にはない様子で何もしてない。今日はディサービスに行っている。父は当然何もしてくれず、口だけは出す。布団のシーツは洗って行けとか。確かに布団も持って行くからシーツも洗わなきゃと洗濯。ついでに母の服も洗濯。母の服や下着や持ち物に名前を書いて袋に詰める。タオルは何本いるのか?そういう事も行ってみないと判らないのでまずは適当に。後は母本人がいないと先には進めないので、月曜の当日待ちだね。父も母がいないとそんなには怒った顔はしていない。来週の移動も父の協力は得られない。私が荷物を運ぶ事になる。去年の内に重い布団から軽い布団に変えておいて良かった。明後日晴れるといいけどな~。今日の写真は太郎とニャゴニャゴ。16年くらい前の写真だと思います。太郎の場所だったのにニャゴニャゴが座ってました~。でもニャゴニャゴを移動させようとすると太郎が止めるんだよね。ニャゴニャゴが大好きだった太郎なのでした。太郎は首から胸にかけてVの字に毛が長く生えてました。なんだかそこだけモサモサしてて面白いワンコでした。そして太郎の地肌はピンクの部分と黒い部分がある子でした。言葉も結構覚えていて、散歩・お留守番・お風呂・お父さんお母さん、ねーちゃん、にーちゃん、新聞とかありました。お風呂って言葉は嫌いで「タロ君くさい!」って言葉もお風呂前にいつも言われるので嫌いでした。お風呂の中ではブルブル震えてキャオ~ンと鳴いてました。お風呂を出て身体を拭いて部屋に出すとダ~っと走り回ってましたね~。お風呂ももう太郎の心臓を考えて2、3年入れてなかったな。時々お尻を汚した時に洗うだけで、あとはスプレーだったね。嫌いなのに時々誰もいないお風呂に覗きにいく変なワンコでした。
2005.02.12
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今日母を1ヵ月預かってもらえる施設に申し込みをしてきました。来週の月曜に母を入所させます。1ヶ月が長いか短いかは判らないけど・・・これで父のストレスが減ればいいと思います。でも反面不安も・・・太郎がいないのに1人で家にいるのは寂しいだろうなと。母がいればその寂しさの八つ当たりが母に向くし。出来るだけ私が実家に行くしかないね~。今日太郎で思い出した事。元気だった頃は1日3回の散歩だったな~。朝と夕方と寝る前。友達のお母さんが「太郎!」って呼ぶと走って行ったりもしたね。普段お散歩に連れて行かない私が散歩に言っても太郎には声がかかったよね~。春にはツクシ採りも一緒にしたよね。去年から無理だったけどね。いっぱい歩いたから長生き出来たのかな~?身体は弱かったもんね。細く長く生きてくれたんだね。車に乗ってどこかに行くのも嫌いでいつもフルフル震えてたね。それなのにお父さんと一緒に私を駅まで出迎えてくれた時は車の中から私を見つけて一生懸命尻尾フリフリしてくれたよね。動いてない車の中には1度乗り込んでみる変なところもあったね。いつもは怖がるのにね~。子供の頃はバイキン君のぬいぐるみがボロボロになる位遊んだのに途中からぬいぐるみが怖くなっちゃったよね?ぬいぐるみを太郎の前で「いい子、いい子」って撫でたから嫌いになっちゃったのかな?一時は穴も掘ったよね~。でもすぐに飽きたのかすぐにやらなくなったね。お留守番させた時1度だけ畳に敷いてあったゴザ(?)を噛み噛みしてボロボロにしたよね~。帰って来ないから怒ってたんだよね~!家に来るお客さんにはいっぱい吠えて困ったんだよね~。旦那にも唐揚げ太郎にあげ続けて2年位は懐かなかったよね。慣れてからは唐揚げ欲しさに旦那が大好きだったよね。膝に頭を乗せたり腕のところに顔を突っ込んだりね。散歩の時は知らない人がいても鳴かなかったよね。そういえば太郎が脱走した時、どこに行ったか探しに行ったら車を停めていたこともあったよね。あの時は運転手さんが困った顔をしてたんだよね。う~ん、いろいろ思い出すね。さて旦那が帰ってくるから今日の太郎回想はここまでにしよう。
2005.02.11
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実家に行かない日はずっと寝ている日が増えた。実際起きれないのだ。今日は朝旦那を送り出してから2時くらいまで寝てる予定が結局5時まで寝ていた。食欲魔人の私がお昼も食べないで寝ていた。疲れてるんだな~。でも私はまだ一人でノンビリ出来る時間があるだけ幸せだ。そう出来ない人だってたくさんいるからね~。そう思いながら少しずつやっていこう。つづきとかこの間書いたけど続きというより思い出した太郎の事。太郎は最初お耳の先以外は真っ白なワンコでした。でもだんだん背中が茶色に・・・何故だか写真写りがよくいつも色白でしたが、結構背中は茶色のワンコでした。日焼けした?とか言って笑ってたな~。時々黒い毛が1本ずつあちこちに生えていたのですが、太郎のお母さんが真っ黒のワンコだったので「お母さんの毛だね」と見つけるたびに言ってました。お鼻も真っ黒だったのに途中でまだらになったのでよく「マジックで黒く塗ってたのが取れたのかも・・・」と言われてました。足はO脚で他のワンコより短足ちゃんでした。コーギーちゃんがまだ流行ってない頃だったので車に乗ってる人や自転車に乗ってる人がわざわざ「それは何犬?」と聞かれた事も多かったです。ただの雑種なんですけどね~。歩き方もスマートな感じじゃなくって「トテトテ」って感じ。お耳も最初は両方垂れてたのに、途中からは左のお耳だけ散歩してるとペラペラめくれてたんだよね~。一生懸命垂れ耳に最初はしようとしたけどね。他のワンコが苦手で特にメスのワンコが苦手だったよね。前の家のノンノちゃんだけは庭に出ると時々顔覗きに行ってたよね。太郎が変わった犬だから近所の人も「太郎」って覚えてくれてたね~。うれしくっておしっこ出ちゃったりも若気の至りであったよね。この写真も近所の人がデジカメを買ったからと太郎を撮ってくれました。15歳の太郎です。夕方だったので全体に茶色だけど太郎の足の短さがよく判るね。お散歩中の太郎ってほとんど撮る機会無かったから貴重な写真です。18年分の思い出があるからまた明日書きますね~。小さい頃の写真はホントに無くって悲しいです。
2005.02.10
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昨日まで両親の別居の話を自分なりに考えていたが、父の反撃にあって永久別居ではなく一時別居になった。原因はお金だ。実家は年金生活。母を施設に入れようと思うと年金がほとんど無くなってしまう。それは判っていたが、現実的にもう夫婦としてなりたっていないから別居の方がいいだろうと考えたのだが・・・父に金が無くなったらこの家を売るつもりかと怒鳴られた。家を売るつもりはサラサラ無い。両親がお金を払って買った物だ。私が言える資格は無い。親戚に頭を下げてでも何とかしようと思っていたが、それは父には言わなかった。感情的になってる父にその事で説得しようとしても、父の性格上無理だとわかっている。事が起こってからでは遅いと言うことを聞き入れる状況では無い。父の場合怒ってしまうとほとんど返事をしなくなるため話し合いがとても難しい。でも父の確認を取らずに話を勝手に進めるとまたひどく怒られるので、妥協案を考えた。母に1ヵ月施設へ入ってもらい、後はショートステイで両親の間を少し離してみると言うことで渋々うなずいた。そこで問題が・・・1ヵ月と言うのは施設でOKが出るのだろうかという事だった。ケアマネージャーさんから紹介のあった1件にまず電話をかけて確認してみたが担当の人が夕方からしかこないというので判らなかった。もう1件にも電話をしてみたが所長と話をして貰わないとわからないと言われ、ここは今日見学の予定の所だったので母と午後から見学に行ってきた。実はここは値段が高くてもう無理だと言っていた所だったのだが見学だけはしてみようと行ってみた。このまま父だけに母を任せておいたら絶対に心中か殺人事件だ。世の中でそういう老夫婦が多くなるのがすごくわかります。実際に行ってみたらお試しという形で2人部屋料金でいいとの話。去年始めたばかりで皆に知れ渡ってなくって部屋が、ほとんど空いてるから安い料金でも人を入れておきたいようだ。ちょっと大きめの1軒家なので間借りしてる感じで暮らせる。この条件ならもう1件のところと値段も変わらないので家に帰って父に値段を下げてもらえた事を話し、もう1件の施設の電話待ちである事を話している時に電話がかかってきた。今空きはあるのだが、予約が入っているので無理と言われた。入れる所は1つしか残されていないのでもう一度父を説得。何度も話、金額を見せ、何とか納得させた。頑固ものだとこういう時になかなかOKを出してもらえないので何の時でも非常に困る。非常に疲れたけど一応父も納得した顔をしていたのでホッとした。母もその施設の人が親切だったと気にいったみたいだしね。あとはいつ入所させるかは旦那の車を借りれる時次第なので、相談後に決定予定。後は施設の方に利用する事を伝えたり、父達の夕食の配達を1人分に減らして貰う手配をしなきゃ。今日も太郎の話は書けないな~。頭が今パンクしそうな感じ。でも太郎がニャンコと仲良しだった事だけ書こうかな?太郎は小さい頃は昼間はお外でお留守番だったので、太郎が来る前からうちの周りをうろうろしてたニャンコと仲良くなっていました。太郎の座布団にそのニャンコが座ってる写真も実家に残ってます。太郎の餌をニャンコが食べてしまうため追い払おうとすると「ダメダメ~!」って感じで太郎が私達にすがってきてました。結構な年だったので2、3年でそのニャンコはお空へ行ってしまいました。「ニャゴニャゴ」とそのニャンコを呼んでいたのでいなくなっても数年はその名前を呼ぶとニャンコを探している太郎がいました。ニャゴニャゴは太郎のいい遊び相手だったようです。かわいくない顔した白いニャンコでした。虹の橋でニャゴニャゴとまた遊んでるかな~?ニャゴニャゴは太郎がジジィワンコになってるからびっくりしてるかもね!
2005.02.09
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smatiさんに作って頂いて貼るのをボンヤリしていた私。すみません・・・これを頂いた時、太郎は大事にして貰っていたんだなととてもうれしい気持ちになった。いろんな表情の太郎がいてくれる。いつか動く太郎をお見せしたいな~。ナデナデ出来ないけど、太郎は私の中にいてくれる。ホント、いいワンコでした。買い物に行かなきゃいけないのでこの辺で・・・つづき夜に書けるといいな~。
2005.02.08
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両親を別居させる事になりそうです。今日母が胸が痛いと言うので心臓でも悪くなってるのかと思い診察してもらったらと言ったら父に押されて痛いと言う。父がこらえきれずに母に対して突き飛ばしたりするようになったみたいだ。これはまずいと思い、母が診察をしてる間に父に電話。母にしている事は暴力なので止めないと・・・と言った。毎日では無いが同じ事で(妄想の中の父の女で実際にはいない)離婚してくれとか、あっちの家はどうとか言ったり口ごたえをしてばかりでもう耐えられない、限界だと・・・もう殺したいくらいだと泣きながら訴える父。父が父なりに我慢してるのもわかるし、家事の協力もしているのだが母には全く伝わっていない。このまま一緒にいたら危険だと感じたので、父には母を別の所に住んでもらうようにするから加害者にだけはならないようにしてと頼んだ。太郎の事で傷心の父には呆け老人の母の相手は無理みたいだ。私が実家に住む訳にもいかない。父を電話で何とか説得して、慌ててケアマネージャーさんに電話をかけて話があるのでと午後から時間を空けて貰った。病院から帰ってきた母にも別居をお願いした。母は離婚してお金を父と妄想の女から取ってやろうと思ってたみたいだが・・・いない者はどうやっても取れない。母の病気が原因で父が怒っているのだからお金はもらえないので離婚をしないで別居の方がいいと話をすすめたら何となく納得をしたようだ。その後買い物に行って、実家ですねたようになってしまった父に午後からケアマネージャーさんと話をしてくると話した。お昼ご飯を作ってご飯をダッシュで食べて、晩御飯を作って2時からケアマネージャーさんの所へ車を走らせてました。実家の状況を話したら、もう危ない状況だと言われました。母をどこかに入所できないか聞いてもらうようにお願いをしてきました。30分ぐらいして電話が・・・1件終身で入れる所が今空いていると連絡がありました。FAXを私の家に入れて貰うようにお願いして、母と父個別にそういう話があるから今度の水曜にでも母を見学に連れていくと話をしました。何とか母が施設に入れるまで父が思いとどまってくれるといいのだけれど。穏やかな老後を暮らして欲しい、それだけなのにな~!太郎の抜けた穴の大きさに四苦八苦です。そんな今日、太郎のお墓らしきものを庭で見つけた。太郎がいなくなってから庭に出たく無くて気がつかなかったがちょっとこんもりした地面に石が建ててあった。母では無いと思うので父が建てたのだろう。太郎の最後のう○こが残っていたからそれを埋めたのだろう。庭に出ると太郎のおしっこのにおいが2週間前はガンガンしてて近所に迷惑だろうなと思っていたが、今ではそのにおいも無い。雪できれいに流されてしまったのかもしれない・・・庭を見ると太郎がここでいつも身体を支えてたな~とかを、どこを見ても思い出す。庭にお墓を建てて貰って幸せなワンコだ。今日はこんな1日だったので太郎の思い出話はまた明日・・・疲れました。
2005.02.07
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今日昼寝をしていたら太郎の夢を見た。両親と太郎と私がいた。夢の中で太郎の位置がちょっと邪魔だったらしく「太郎ちょっとどいて~、ついでにトイレにいこうか?」と話し掛けて太郎を触っている私。柔らかく温かかった。一度ピクッと動いた。でもその後動かない太郎。息もしていない。ああ、そういえば太郎はもういないんだと夢の中で気がついた私。涙が夢の中で溢れてきた。そして目が覚めた私はホントに泣いていた。太郎を思い出しても泣かない日が続いていたのに、今日は涙が止まらなかった。今日、お寺に行く用事があったので線香を買って太郎の為にお参りをしてきていた。だから太郎の会えたのかな?でも動いてる太郎がよかったな。昨日のつづき太郎の兄弟の事。太郎の兄弟は結局引き取り手がいなくて川のそばに捨てられてしまったらしい。その後拾って貰っていればいいが、どうだったのかは・・・小さな頃の太郎はカミカミワンコで一時私の服と言う服は太郎の歯で穴がどこかに空いてる服になってました。靴もカミカミされました。お留守番と言うと寂しそうな顔をして、お散歩というとサンポ紐を自分で持って来たりしてました。新聞を運んだり、お菓子を運んだり(他の食べ物は運ばない)お運びワンコでした。家族が帰ってくると一生懸命歓迎して私や父の車の鍵をくわえていくのも太郎の仕事でした。私が会社に勤めるようになると時々カバンの中にお土産で貰ったお菓子が入ってると知った太郎は私のカバンの中をクンクンとするイヤシイワンコでもありました。太郎は一番小さかった為か比較的身体が弱く、年に2、3回は病院にいくワンコでした。いつも動物病院は怖くって診察台ではプルプル震えていました。でも注射とかは痛くても鳴かないで我慢していました。最初は外犬のはずだったのですが、いつの間にか座敷犬に・・・一応昼間は外にいたんですけどね、夜は家の中になってました。そしていつの間にか階段も登れるようになって、両親の部屋で一緒に寝るようになっていました。布団が大好きで布団を敷くと飛び込むように上に乗り、ワウワウ言って背中を擦りつけていました。毛布とかは巣作りのようにクルクル回ってバベルの塔みたいなのを作っては寝ていました。太郎が4、5才の時だったかな?急に調子が悪くなって冷たく動けなくなって父が一生懸命温めて何とか復活した事もありました。年末年始にも弱くて、その時期になると体調を崩し閉まっている動物病院を開けてもらった事も何度かありました。思い出してみると太郎の心臓が悪かったのは結構早くからで7、8才の頃にはもう心臓肥大と言われていたように思います。ご飯も母が作る犬ご飯と動物病院で買って来る胃腸に優しいウェットフードと軟らかタイプのドッグフードを食べてましたね。試供品のドッグフードやキャットフードが好きで貰ってきてあげると喜んで食べるのでそのドッグフードを買ってみてもご飯の時にはずっと同じドッグフードしか食べないというヘンなこだわりワンコでもありました。つづく・・・
2005.02.06
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今日から太郎の思い出を・・・太郎は1986年に9月に母がパートで勤めていた銀行の女の子の家でワンコが赤ちゃんを産んだので貰ってくれないかと言われたと言う所から始まりました。父も私も動物は好きなのでOKし、10月18日に父と母で貰いに行きました。何故か私は留守番で、私にはワンコを選ぶ事が出来ないのかとブツブツ思っていたのを覚えています。連れてこられた子は真っ白な小さな子犬でした。何が決め手だったかというと「白かったから・・・」他の子はお母さんワンコ似で黒かったそうなのです。一番小さかったけど白かったしオスだったからと言うだけでうちに来る事になったのでした。オスが来たと言う事で、一人っ子の私はうちの長男だからと『太郎』と名付けました。両親は「そんな名前」と不平を言ってましたが、私がワンコを選べなかった事をぶちぶち言ったので決定となりました。写真を携帯で撮ったのであまり写りは良くないですが、写真に残ってる一番小さい太郎です。雑巾と写ってるのはご愛嬌と言う事で・・・ププッなんてボロな実家。最初は寂しいだろうと一緒に寝て、起きる時に手を置いたら太郎がいて「キャン」と言わせた事もありました。当時私は学生でしたし、両親ともに勤めていたので14時位に帰ってくる母や、授業が午前で終わる時の私がいないとずっとお留守番していた太郎。少し大きくなるまでは家の中でお留守番してました。寂しかったのか畳んであった服の間に入り込んだり、母の化粧品などが入ってる所に入り込んだり・・・いろんな所で待っていました。私にとってははじめてのワンコだったので何を見ても新鮮でした。このワンコとまさか18年と4ヶ月も過ごせるとは当時思っていませんでした。つづく・・・
2005.02.05
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父が太郎の写真に向かって「水あげようか~」等と話しかけている。見ていてこのまま呆けたりしないかと少々不安になってはいるがまぁ大丈夫だろう。今までも太郎はそうやって父に話し掛けられながら返事をしていた訳では無いしね。人間のご飯の時間にご飯を貰っていた太郎。なので家族一緒にご飯と思っていただろう。寝るのも家族と一緒。1つの群れが太郎にも、父の中にも出来ていたのかもしれない。群れの仲間が1人減ったから悲しいよね。雪が降り、溶ける頃になると思い出すことがある。昔、太郎の耳が聞こえていた頃雪が屋根から落ちてもの干しの屋根に落ちると「ド~ン」と大きな音がすると怖くて怖くて震っていた。薄情な太郎は人に頼らず、隅へ隅へと逃げていた。ここ数年は耳が聞こえなかったからどんな音がしても、のんびり眠っていた太郎。今年は雪が落ちる音を聞かないで太郎いっちゃったね~。ねーちゃんが今日お昼寝の時にその音で起きちゃったよ!母がまた妄想が出てきているのか言葉の攻撃があった。最近調子がほどほど良さそうだと思ってたけどね。まぁ波のあるものだから仕方が無い。「もう話をしない」と言いつつ、帰るねと言うと「気をつけてね」と言うのだ。そういう病気だと思うしかない。そう自分に言い聞かせながら、でも何とも言えない気分になった。まだまだいい方なのだ・・・この位なら。「あんたなんか死んじゃえばいい」と言われる人もいるらしい。実の母親に言われすごくショックだと書いてあった。私の事が判らなくなったら、そう言われたりするのだろうか?どういう症状になるかはその人次第で違うからわからない。どうなっていくか考えても無駄だから、なったら考えよう。
2005.02.04
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今日は父方の伯母から電話がかかってきた。実家の様子を気にしてよくかけてきてくれるのだ。私の方からホントはかけなきゃいけないが甘えてかけてくれるのを待っているといういい加減な私。「どう?」といつも聞いてくれる。太郎が死んだことを話したが今日は泣かないで冷静に話ができた。悲しく無い訳では無いのだが、時間が経つと泣かないようになれるようだ。誰に話をしても幸せなワンコだったと言ってもらえる。そうだよね、幸せなワンコだった太郎は皆が悲しんでたらウロウロ様子を見に来なきゃいけなくて大変だよね。きちんとお空に返して上げなきゃ・・・せっかく長生きしてくれた太郎に申し訳無いもんね。ちょっとずつ元気になってるから、大丈夫だよ。でも実家に行くと太郎がいないのはやっぱり寂しいよ?思い出して泣けて来る時もあるけど、ねーちゃん頑張るね!
2005.02.03
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今日は雪で実家に行くのが大変でした。途中で見かけたダルメシアンちゃん。通りかかる人皆に「ね、おはよ!」って感じでそばに寄っていっていました。皆無視なのよね~。私は触りたかった~!実家では大仕事が待っていた。母を病院と買い物に連れていってから雪カキ・・・腕と腰が痛いです~。雪の多い地域の人は大変だな~って思いました。その後で雪の日恒例の雪ウサギ作り。目に南天の実を使いたかったけど無かったので、雪の下に埋もれてた何の実かわからないけど青い目のウサギです。太いウサギになりました。今日の実家は太郎の写真がまた見つかったらしく3枚増えていた。写真にはベルをつけた太郎が・・・昔は鈴やベルをつけていたからどこにいるかすぐに判ってたな~。座布団とか枕とかも好きで寝るときは頭の下に何か敷いていた。いろいろ思い出してくるね~。まだまだ思い出すんだろうな。
2005.02.02
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今日はペットの安楽死ついて書こうと思います。太郎とお別れする事になった時に絶対に書こうと思いました。安楽死はお薬によって、今目の前で胸が動いて呼吸しているのに動かなくなってしまいます。私達の場合は先生が処置する所は見せてもらえませんでしたが20分ぐらい待合室で待っていて、呼ばれて行くともう棺の中に入った息をしていない、でもまだ温かい太郎でした。とても悲しい処置でしたが、苦しまずに太郎がお空にいけたのだと思うようにしました。太郎は安楽死と言う形でお別れする事になりました。太郎が発作を起こし、ひどく何度もけいれんを起こし心臓マッサージをどれだけしてもヒューヒューと呼吸をしときどき大きな声で鳴きました。あまりにひどいので、病院に電話をした時に早く病院に連れて来てくださいと言うことと、ハッキリと言葉にはされませんでしたが、苦しみを続けさせるのは太郎の心臓には可哀想なので考えておいて下さいと言われました。突然安楽死という言葉が頭をめぐり、泣けて来ました。でもこの時点で両親に先生からそう言われた事は言えなかった。病院に連れていって先生が太郎を診察して負担になるからとあまり使いたがらなかった鎮静剤を使いますと言われました。薬が効きはじめて太郎は落ち着いて眠り始めましたが、先生に太郎の心臓はいっぱいいっぱいですと言われました。薬が切れればいつまた発作が起こり鳴き続けるかもしれませんと言われました。このまま静かに眠らせてあげるのも太郎にとっては楽なのかもしれませんよと言われました。その時に私の頭によぎった事は前日太郎の看病で一睡もしてない父やボケかけた母、そこに苦しむ太郎がいて太郎は幸せだろうかと考えました。父は太郎の介護と母の呆けでストレスが溜まっていました。でも太郎が大事なので一生懸命看病している父を思うといてくれた方がいいのだろうと思ったり。でも父が「もう仕方ないだろう」と言いました。このまま苦しまないでいかせてやろうと。母にも確認を取るために一度実家に帰りました。車の中で父も私も泣きながら、太郎が苦しまないんだからといい自分達を納得させました。母は「連れて帰ってこれないの?」と言いましたが母が太郎の世話で出来ることは太郎をなでる事だけです。父と私で母を説得して先生から診療時間が終わるころに来てくださいと言われていたので19時半に病院に行きました。病院について見た太郎は何だか小さくなった感じで・・・でもまだしっかり呼吸はしていました。このままなら連れて帰れるかもと何度も頭をよぎりました。しばらく太郎をなでたり声をかけたりしました。「連れて帰るなら今だよ」という時間だったのでしょう。目の前でまだ鎮静剤が効いていてスースー眠っている太郎の前で安楽死の書類を記入。書き込む前、まだ太郎を連れて帰れるのかもしれない・・・そんな感情にもなりました。でも連れて帰った時、しばらくは発作が起きないかもしれないし薬が切れてすぐに発作が起こりまたひどくけいれんが起こるかもしれないと考えました。父や母があと10歳若ければ太郎を連れて帰ったと思います。私も実家にまだいる頃なら・・・でも無理なのです。私がうちの長男だからと「太郎」と付けた名前です。最後に安楽死の書類に「太郎」と書く時は悲しかった・・・しばらくして先生が来て書類を預けて、生きている太郎とお別れしました。待合室で20分ぐらい待った後動かなくなった太郎と会いました。寝ていた時とほとんど変わらない顔で寝てました。もう苦しい思いをすることは無いんだねと思いました。安楽死は1つの命を奪う事です。人間のエゴであると思います。苦しんでいるのを安らかな状態にしてあげる事も出来ます。選ぶのは精神的な苦痛を感じます。でも私はこれで良かったんだと思うようにしています。太郎も判ってくれていると思っています。思ったよりまだ心の整理が出来てないみたいで、うまく書けません。一週間経てばうまく書けると思ったんだけどね。何もまとまって無いけどこれで終わります。太郎は虹の橋の上から見ていてくれてるよね?
2005.02.01
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