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先日昼寝をしていたら・・・母が買い物をして、野菜をいっぱい抱えて玄関に帰ってきた夢を見た。夢の私は「お母さん、こんなに買ってきちゃった。でも怒らずにいようね」と父に言っていた。そのすぐ後母の介護の時間のため、タイマーが鳴り目が覚めました。今は自分で歩くことは無理、寝ていて少し体をずらすことが出来るだけ。認知症の妄想の中で、買い物もしてるしご飯も食べているし自転車も乗ってるらしい。でも現実は、寝てるか座ってるか・・・「これを持っていて」と言っても何を持つのか判らない。持たせてもすぐに手から離してしまう。話もボソボソとしか話せないため、言ってる事が聞き取れない事もたびたび。妄想の中に出てくる人との会話(?)は、比較的大きな声なんだけどな。そんな母が野菜を持って、帰ってくるのはありえない。母の介護をしながら、父に夢の話をしていたらなぜか泣けてきた。母を目の前にして、有り得ない夢に泣けたのかな・・・何だか気が抜けてしまった。腹が立つばかりの介護だけれど、怒ってばかりも疲れる。明日は通院。暑い中、頑張って連れて行かなきゃ。
2012.08.02
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今日は母がショートから帰ってきた。最近は私達には見えない「誰か」と話している母。今日の相手は「私」らしいのですが。名前を呼ばれたので、私が返事をすると「あんたじゃないわ、我が家の〇〇ちゃんだわ」と。・・・なんと答えていいのやら。まぁ、母が幻覚の中で「私」とうまく話が出来てるようなのでいいのでしょう。現実の私は、怒ってばかりだからね。一日の中で誰が誰だか判ってる時と、全くダメな時との繰り返しなのです。先生は脳みそ開けてみないと判らないっていうけど、レビー小体だと思うんだけどな。体が傾き曲がったり、幻覚が見えたり・・・病名が判っても、治せるわけじゃないので何も変わらないんですけどね。相変わらず太郎は、よく母の幻覚の中に出てくるようですし。幻覚も泥棒とかのじゃなきゃいいかな~。ちょっとため息が出たのでした。
2012.05.20
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小噴火状態なので、今日明日母のために何かをするのはやめます。今日からショートなので、助かります。家に帰る帰ると言う母。あなたの家はここでしょ!!!保険証を見て、納得したと言うのにまた同じ事を繰り返す。帰る家も判らないのに、どこに帰るって言うの。何時間もしつこいし。病気だと判っていますが。うんざりです・・・ベッドにつけた柵も乗り越えて、転んで打ち身は出来るし。イライラがあふれて、泣いて怒って・・・言っても無駄なのに、と馬鹿らしくなったり。退院後のショートには、ほぼ毎日私が通ってるので疲れが抜けていないのだと思います。自分を落ち着けなきゃ。切れそうです!
2010.08.31
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母が15日に退院した。介護も負担がかなり増え。尚且つこの暑さを乗り越えさせなきゃいけないので神経も使う。胃ろうの選択をしたため、その作業も時間をとられる。あっという間に、母で一日が終わってしまう。それでも朝晩病院に通ってた時よりは、多少楽。バイトもあったけど、周りに迷惑をかけながら何とか約3ヶ月乗り越えた。地道に頑張って行こうと思う。
2010.07.20
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最近母に薬を飲ませるのが非常に大変になってました。朝は薬の数も多いのですが・・・母がうまく飲めなくて、ゲホゲホとすごく咳き込む、むせる状態でした。逆噴射で薬や水が飛び出す事も・・・おかげで薬を飲ませるたびに背中を叩いたり、逆噴射しないように口にハンカチを当ててみたりして15分から20分くらいかかってました。このままでは変な所に入ってしまっても非常に困るなと思い。一昨年くらいに一度挑戦して却下されたものでしたが、もう一度挑戦してみました。「おくすり飲めたね」と言う商品です。今までの苦労は何だったのか。5分で飲ませることが出来るようになりました!むせる事はほとんどありません。薬は苦いようですが一応飲んでくれます。ただ『食べ物は噛む』という行為をしてしまうため、先日はソフトカプセルを口の中で噛んで出し捨てようとしてたりします。他の薬も舌に残ってしまうと、隠して捨てようとしたり。薬を飲んでるってのを忘れてしまうのかな???ちゃんと監視してないとダメなようです。新しい味でレモン味が出たようなので、今度挑戦してみます。でもスティックタイプしかないので、少々不経済かな?持ち運ぶ人にはスティックタイプは便利でしょうね。
2009.05.16
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バタバタ忙しい日を過ごしています。バイトも何とか少ない日数のが見つかり、ただいま研修中。経験の無い職種なので慣れない、覚えられないで大変ですが頑張るしかないって感じです。そんな中、4月7日に父が頭痛と時々物が右目が二重で右に下がって見えると言い出しました。朝は何にも言ってなかったのにバイトから帰ってそう言いました。8日の朝も症状はあるものの病院には行かずに寝てるというのでバイトに出かけました。帰って来たら吐き気まできていてぐったり。これはダメだと乗り気でない父を連れて近くの内科に行きました。父の行きつけの総合病院は夕方診療をしてないんです。血液検査と脳のCTを撮って見ると少々瘤っぽいものがみえるので、明日造影剤を使って検査をしましょうって事に。血圧が高かったので下げる薬だけ処方されました。家に帰ってりんごを食べたら吐いてしまいました。9日は造影剤でまたCTを。瘤までは出来てないし、症状が出てる方と違うので脳はたぶん大丈夫と言われました。吐き気はまだ続いていたので今度は胃のCTを夕方撮るからきてくださいと言われまた病院へ。吐き気止めだけだしてもらいました。胃は小さなポリープと荒れてるって事で胃薬が出て終わり。目の方は眼科に行く事を勧められ、10日に行きました。眼科では目の筋肉の動きが悪くなってるので斜視と言われました。ビタミン剤が出て、2週間様子を見てダメなら大学病院で手術がいいかもと。様子がおかしい場合は脳外科に行くようにと言われました。ご飯は食べれるようになってました。11日には母が帰ってきたため、父に代わり私が夜の付き添い。14日に母がディだったので、父を説得して今度は脳外科に。調べてみないことには判らないって事で15日午後に糖尿の検査とMRIを撮って16日に結果。MRIは異常なし、過去の梗塞の後はあるし加齢によるぽつぽつはあるもののまぁ大丈夫でしょうと。糖尿の検査がバッチリ引っかかってて・・・糖尿により目の神経を傷めているのでしょうと言われました。20日に栄養指導を受けてくださいと言われましたよ・・・母が31キロしか体重が無かったので、栄養のあるものを作ってたのが父にはカロリーオーバーだったようです。シロとあんこを食べてる場合ではなかったのね。おかげで今何をどれだけ食べたか3日分書かなきゃいけなくて面倒です。母も15日の午前中に病院へ。普通の通院のはずが、便の下痢状態が続いていたので検査したら心臓のデータが今までの倍悪く・・・検査入院させてほしいと言われました。ただし、認知症の患者なので24時間付き添いが必要になるわけで。ショートでベッドに立ち上がったりする母は畳に布団を引いてもらってるので入院になったらまた目が離せません。父は日常生活は出来ますが運転も出来ない状況で、ストレスも良くないはずだし無理と思い先生に相談して通院で対処してもらいました。認知症だと病院側も付き添いが無いと受け入れるって言わないのよね。16日も病院に連れて行って便も出てないようなので次は父と一緒の20日って事になりました。父は午前で母は午後だから2度行かなきゃいけないんだけどね。16日も父も母も両方診察だったので、内科に行ったり脳外科に行ったりばたばたでした。夕方から母をショートに送り出して何とか一段落。バイトも結局1週間休んでしまいました。9日間で何度病院に行っただろうって感じです。父は7回、母は3回。来週も月曜に午前が父が皮膚科、栄養指導、夕方内科。昼は母をショートから外出させ通院です。ある意味戻ってきたから出来る事で、1年前なら父の変化にも気付けず(ショート中は実家には行かなかったから)弱っていたかも?反対に私がご飯を作るようになったから父が太ってしまったと言う事もあるので何とも言えませんが・・・運転が好きじゃない私としては、移動が少なくて助かりました。病院続きだった時は疲れきっていて、PCも開けない日が数日ありましたから。母がいない時だけPCを開けれるのが私のストレス発散なんだけどそれすらやる気にならなかったからな~。栄養指導・・・頑張って受けてきます。眼科にも土曜に行くから、糖尿だって言わなきゃね。目が治って父が運転できるようになるといいんだけど。父も落ち着いたら母も検査入院できるかもしれないしね。そんなこんなですが、シロは元気で蝶を追いかけてます。春だよね・・・
2009.04.18
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明日には母がショートステイから帰ってきます。最近声が小さく、痰も絡みやすくて話が聞き取れない事が多くなっていました。そこで2ヶ月くらい前から脳の活性も良くして、痰の絡みも良くする薬を処方してもらっています。なんとインフルエンザÅ型の予防にもなるそうで・・・脳の活性化と言うのはある意味興奮したり、怒ったりが症状として出やすいため試しに使ってみたのですが朝1錠では良くも悪くも変化なしだったので朝昼1錠ずつになりました。すると・・・変化は出ました。良い面は声が大きくなったのと、痰の絡みが少し減ってます。悪い面では動きたがる、なかなか寝ない、作り話をするなどが出ています。先日も「明日出かけるんでしょ」と急に言い出し、病院があるから行けないよと言うと「困った、断りに行かなきゃいけない」「駅まで行く」と言い出します。当然予約なんかはしてないわけで・・・前日までショートに行ってたのですから。どこの駅に行くのかと聞くと「判らない」どこへ行くかと聞くと「京都のひとつ前」頭は活性してるのでおかしな話ながらも、きちんと答えます。でもこういう話に付き合うのは非常に気長な人で無いと疲れます・・・私も父も短気なのでやっぱりうまく付き合えないのです。何とか電話で断るというので納得はさせましたが、次の日も「断ってくれたか」「向こうは怒ってなかったか」等としつこく聞いてくるのです。断ったのに何度も私に確認するのは私に失礼だからやめてと言ったら何とか言わなくなりました。TVから入ってきた言葉とかが母の耳に入り、勝手にどこかに出かける話を作ってしまったりするのです。うとうと眠ってはそれが現実か夢か判らない状態で、家族に話をするのでお互いに混乱します。演技派な自分になれたらいいのですが・・・一生懸命演じて今の状態です。疲れる疲れる・・・と思ってました。しかし、視点を変えると違うもので。ケアマネが先日来たときにその話をすると「薬で脳が活性すると言う事はその能力がまだあるって事ですね」と言われました。介護する側には多少負担がきますが、母の能力はまだ薬で治ろうとしているんですよね。母が家に帰ってきたときは薬を朝だけにして、ショートの時は朝昼1錠ずつで脳の活性をしようという話になりました。おかしな話はするけど、最初の頃の嫉妬妄想に比べたら楽になってます。会話が出来る事を父はそれなりに喜んでいる様子です。母が寝ないのには困ってますが・・・肉体は衰えてドンドン立ち上がりもふらつきがひどくなって、足も片側が外に向くようになって来ました。うまくディとショートを使いながら、やっていくしかないですね。今日ゆっくり休んで明日の夕方からに備えます。
2008.12.17
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母は今日からショートへ。最近の父は母のお世話が出来るのが3~5日で限界のようで思うように行動を出来ない母を怒ってしまいます。怒れば余計に母が落ち着かなくなるのですが・・・元々短気な父がよくここまで我慢してるな、と思う部分もあるので怒ってる時は間に入ってなだめる事しか出来ません。父も年齢や体力・気力でギリギリまで頑張ってるのが判るので「認知症なんだから優しくしてあげなきゃ」とも言えません。母の世話を一生懸命してるのは父だと判るからです。そして母に帰ってきてほしいと思ってるのも父だからです。母はほんの少しの時間でフラフラなのに立ち上がり転ぶの繰り返し。説得しても1分後に同じ事を繰り返します。今寝ていたと思っても、別の部屋で作業をしている間に立ち上がろうとしているので目が離せません。今は2人体制になったので父もお風呂もゆっくり入れるし、少しは介護者の父が楽になってるといいのですが・・・介護のフォローがしやすい職場を探さなきゃと思ってます。
2008.11.18
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最近の母は1ヶ月の半分くらいをショートで過ごす日程になっています。1週間家で1週間ショートという感じ。そして私のことも娘と言うのは判ってるようですが・・・すぐ横にいる私に「○○(私の名前)は買い物行った?」と聞くのです。え、私は今母の横にいるわけだし・・・「私のこと?」と聞くと首をひねる母を見て、私と○○が同じであることが判らないのだな~と。だからこの間の介護認定で母の中では母の産んだ子供が2人いるってことになってたのかも?あとご飯を何度も食べたがるというか、夕方の4時くらいから晩御飯が食べたいと言うのでお菓子で間をつないだり・・・実家の晩御飯は6時すぎなので。3時におやつも食べているのに、4時と5時にも晩御飯が食べたいと言うのです。何度もうたたねをして、起きるたびにご飯の時間のようです。体重も現在32キロ。これ以上減らないようにしないと余計に歩けなくなってしまうし。今母に何をすべきなのか・・・そういう事が判らないです。目の前に来るものを1つ1つこなす、それも出来てないように思えます。せめて母に対するときだけでも怒らないように・・・と思いますがそれも時には出来ず先日も怒鳴ってしまったり。でも1時間もしないうちにトイレに連れて行ったりしなきゃいけない。ほっとけばその後であちこちが汚れて、作業が増えるだけだし。怒る自分に「バカじゃないの」と言いたくなります。その時に出来る事はしよう、後でいい事は後にしよう。先は長いので、のんびりじっくりやっていくしかないのだと自分に言い聞かせます。来週には介護認定も通知が来るはず。どんな結果か、待っているところです。
2008.07.08
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6月13日にやっと母の包帯がはずれました。ガンガン指を着いて立ち上がっていたため、多少指は曲がってくっつきましたが「許容範囲でしょう」との先生の言葉で添え木がはずれました。母も指の包帯が無くなったので表情が少ないながらも笑顔で「ありがとうございました」と。認知症とはいえ開放されたというのは判ってるようす。普通の会話が全く出来ないわけではないので、まだまだ良いほうなのでしょう。4月20日以来洗ってなかった左手もごしごし洗ってOKと言われたので洗うと次々アカが落ちてきりがない状況でした。それでも包帯を気にしなくて良くなったので、父にも笑顔がありました。指の骨折でこんな調子なのだから足や腕の骨折には十分注意しないとね。18日はまた介護認定の審査のため、保健士さんが来ます。渡す用のメモを早く完成させなきゃ!
2008.06.15
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母の事も書いていかなきゃね。母は相変わらずです。フラフラな足元なので立ち上がるときに1人だと転んでいることが多いです。1人で立たないようにと言っても聞かないのが認知症。指の骨折もピンは抜きましたがまだしばらくは固定が必要です。指も曲がってしまっているけど治すにはもう一度骨を折って真っ直ぐにするしかないとのことで・・・痛みも鈍く、手をかばうことをしない母には無理のようです。昨日は実家に行ったのですが、母が朝から紙パンツにした便を手でつかんでいたそうです・・・あちこちに便が落ちていたと父が言ってましたが、うさぎの糞のような小さな便を拾いそこねていたらしく私が踏んでしまいました。家で便がついていたであろうパジャマなどを手洗いながら、下ったわけじゃないから処理も楽だからよかったと思うようにしました。最大の被害は私の靴下と母の手くらいですから。「これぐらい良いほうだ」と思わなきゃやっていけません。パンツの中に異物があるってのは判るけど、汚いからティッシュとかでつまもうという感覚はもう無くなってるんだな~。ドンドン『当たり前』であったものが母の中で壊れていっているなと感じます。時間の感覚もわかってないので寝て起きると朝と思うようで、一日に何度も今朝がやってきます。家にいるのか病院で待ってるのかも判っていません。家にいるのにもう帰ろうかと言います。寝て、ご飯食べて、トイレ行って、また寝て・・・の繰り返しです。そういえばショートに行く度に足がひどくむくむのでおかしいなと思って家と施設での違いを考えました。家では座椅子生活ですが、施設では車椅子などでの生活。母は心臓が悪くうまく循環しないため足がむくむと聞きました。足を上にあげるようにと言われていたのですが、車椅子などの座った生活は座椅子と違い足が下に下がっていることに気が付きました。そこで施設側に家での生活ではここまでむくまないのは、椅子に座った生活のせいと思われるので何か出来ないかお願いしました。台を置くなどして足の位置を上げてくれたらしく、土曜に帰ってきたときは足の腫れも少なく父も喜んでいました。ほんの少しの事なんだけど、母の体には影響が出やすいようです。気が付いたことを少しずつ改善していけば、施設のためにも私たちのためにもなるので一挙両得です。(と勝手に思っている)明日は内科に母を連れて行かなきゃ~。血液検査もないので待ちも少ないと思うけど、一応母用にお菓子とジュースを持って行かなきゃね。紙パンツと尿パッドとタオルも必須です。子供もいないのに子供を連れて歩くようなものを持っての移動です。車椅子には荷物を入れやすい袋を引っ掛けて、どうやったら車椅子でのいろんな作業が簡単に出来るかいろいろ判るようになりました。いい勉強になってるんだろうな~って感じます。ボチボチやるしかないね!
2008.06.03
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先週今週来週とショートがプチプチと切れながらも続いています。少々父も私も精神的にばててきているので、無理無理お願いをして急遽今週も入れてもらいました。母の指の骨折で父が神経質になりすぎているので、実家がピリピリ。母にも被害妄想(?)が出てるようで「父がびんたをする」とかいろいろ言いはじめたので母への影響もよくないし。(びんたをされたはずの頬は腫れてもあざにもなってないのでたぶん被害妄想)その時に寝る前に飲む薬の件でケアマネと相談をしたのですが・・・その時は体が動かなくなって介護が施設でしやすいメイラックスじゃなく、家族が日常の介護がしやすいけど母が動くハロミドールを使うことでお話が終わったはずでした。メイラックスだと体は180℃くらいに折れてしまい、言葉も呂律が回らず自分の言いたいことが言えず母も困ってる様子だったのでそれを先生とも相談したしケアマネにも伝えたはずでした。ところが先週ショートから帰って来ると連絡帳に看護士さんから「ハロミドールだと動いて転ぶ危険が増えるのでメイラックスにした方がいいんじゃないか」という伝言が。ちょっと待って、2日ほど前にケアマネと「動いて大変だけど現状維持のためにハロミドールで行きましょう」って話したはず。ショートが増えてよかったとホッとしてた所へ、こんな話をされてどうすればいいのか判らずその気持ちをFAXで伝えました。現在介護をしてくださってる方は安いお給料で非常に大変な介護という仕事をしてくれているのは判ってます。その方たちが母が動くことを迷惑と思ってるんだなと・・・現場の意見がダイレクトに伝わってきました。薬で抑えることが出来るのなら薬を使って介護負担を減らしたいのだなと。でも疑問も・・・介護保険の意味って、回復は無理でも現状維持が目標のはず。メイラックスは母にとってあまり動けなくなる薬なので、現状維持どころか長期間使えば機能低下の可能性は大きい。人間、動かなくなると衰えるのはすごく早いし。私も母があまりにウロウロして寝ない時、マイスリー(睡眠導入剤)を使って2時間おきに起きる母を3時間おきくらいにしたりするので薬で助けられている部分もあるし。(いろんな睡眠導入剤を使ったけど、マイスリーだけは次の日に大きく影響が出ない薬と確認済み)先生にもちょうどいい薬ってのは見つけるのが難しいから、動けるか動けなくなるかどちらかを家族で選んでくださいと言われてます。悩んだ結果ハロミドールを選んでいるので、それを否定された気がして・・・施設側がどうしたいか結論を出して下さいとFAXには書きました。結論としては看護士も数人居るため、ケアマネの話が日にちも経ってなかったので伝わっていなかったと言う話が今日ありました。そして本来現場の意見は連絡帳に書くべきではなかったとの言葉も。ケアマネと施設側が相談をしてから私に話をすべき事だったのにと謝ってはくれました。現状維持が出来るためには、動くことがあり目を離せないけれどハロミドールでいきましょうという話になったそうでホッとしました。動いてまたこけたりするだろうから大変だけど、認知症の母なりの意見が言える方が今はいいと思えます。認知症って考えなきゃいけないことがあれもこれも出てくるので頭が混乱します。1つずつ出来ることから整理していくしかないなって感じます。さて、年金のもどうするかな・・・今は字も書けない母に委任状を書けと言えないのに。年金問題、遅すぎるわ~。あと3年前なら母もまだ字も書けたと思うし記憶も今よりは良かったと思うのに~。
2008.05.19
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昨日実家に行くはずが、疲れが出たので実家に行けず。両親はうまくやってるだろうか、またけんかして無いだろうかと家にいても不安でしたが・・・今日行ってみたら父が落ち着いて対処出来ていたせいか、母も比較的落ち着いていてホッとしました。真っ赤な顔で怒ってる父を見ると、早くショートの日にちにならないかと気になるのですが今日みたいだと焦らなくてもいいです。ただし、いつ母が父の気に入らない行動をとるのかわからないので明後日の金曜にどうなっているのか判りません。土曜にはお天気悪くなるみたいなので、金曜の夜から母が荒れる可能性大です・・・認知症とか心臓病とかは気圧に敏感です。今日のように穏やかに晴れている時は比較的落ち着きます。金曜は朝から整形に連れて行かなきゃいけません。腰で行ってたはずなのに、今は指のために病院行ってる状況。でも整形にかかってたおかげですんなり指の治療もしてもらえた感じもするし、いいのかな。次のショートは13日から。今回は期間が短いのでつらいな~。5月はお休みをとりたいご家族が多いようで、ショートの利用が一杯なのだそうです。梅雨に入れば気圧の関係でもっと母に手がかかると思うので、6月はいっぱいショートに母が行けるといいな~。指も今月中には包帯取れるといいんだけど。毎日のように折れた指を支えにしてるから無理かな・・・年をとると内出血や水ぶくれのようなものができ、何かと思ったら水ぶくれの中はリンパ液だそうです。年をとっていろんなものの流れが悪くなってるので、心臓より上に手を上げるようにしてくださいと言われました。いろいろ出るな~。それでも入院しなきゃいけないような状況にはならないんだからある意味身体丈夫だな、母。
2008.05.07
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母のその後の状況です。火曜の朝父から電話があり、包帯を気にして何度もはずすので眠れないと。起きれないのでディにも行かせるのが大変だと言うので、父が身体を休めるためにもディには行かせるようにと説得。神経質な父なので気になってどうしようもないみたいで。夕方にも父から電話。ディから帰って来たら紙パンツと尿パッドが尿と便でびしょぬれだと言うのです。何も知らず家に帰って座椅子に座らせたら座椅子にもれるくらい。尿パッドはディに夜用の多く吸い取るタイプを持たせています。そのパッドからもれるのは夜長い時間眠ってる時くらい。利尿剤を火曜は使っていたので尿が出る量が多いことはディにも伝えてあるし。でも規則の通りの時間しかトイレ誘導をしてない様子。ディ側はきちんと誘導したと記録が残ってるというそうですがあのパッドの重さは最低でも2回以上は尿が出てる状況。10時半、13時半、15時半には誘導するというのですが・・・母が帰ってくるのは16時過ぎ。家に帰ってきて座ってから1度出たくらいの重さではないです。母は自分でトイレに行けないし、行きたいとの意思表示もほとんど無い。トイレ関係は衛生面で困るのできちんとしてもらわなきゃ。今後は気をつけてもらうようにケアマネにもう一度言おうと思います。父がピリピリしすぎているので仕方なく火曜の夜は泊まりました。父のピリピリが母に伝染していてウロウロ家の中をさまよって靴下は片方台所で脱ぎ、居間で包帯をはずしている母を見つけました。ご飯もあまり食べなかったようですが、夜の薬も飲ませれなかったとの事でソファーに座らせて薬を飲ませました。その後母のフラフラ立ったり座ったりに10時半まで付き合い。座椅子で寝始めたので布団に行ったらと言うと、ここが寝やすいと言うのでそのまま寝かせました。トイレに起きた時に布団に誘導してマイスリー(睡眠導入剤)を飲ませて眠らせたら3時間おきくらいのペースでトイレになり少し楽に。眠気が先に来るらしく包帯もほとんど気にせず母は眠りました。私は5時くらいに少しウトウトしたけど、5時半に母が布団をもぞもぞしたのでその音で起きトイレ誘導。6時半に起き朝食の準備。シロもニャーニャー言うし~。部屋に出してほっといたら日本人形のガラスケースの上に乗っていて「見られた!」って顔をして逃げました。よくガラスが割れなかったとホッとしました。4.48キロだもんね・・・肉球のあとがついてました。ご飯を食べて今度は病院に連れて行かなきゃいけないので準備。母の顔を拭き、歯磨きをして、洗濯、着替えは父に頼んで診察券を先に出しに行き、認知症の母が包帯をとらないようにしてほしいとのメモを渡しました。家に戻って母を連れて病院へ。予約時間より10分早く着いたのにもっと早く呼ばれていたようで余計に待たされてしまいました・・・包帯は取ってしまう人は何をしても無理やりとるので何をしても同じと言われました。石膏で固めても取ってしまうそうです。看護士さんにやさしく「一生懸命巻いたから包帯とらないでね?」と母に言ってくれ母も笑ってました。おかげで昨日の夕方帰るまでは包帯を気にし始めたら、看護士さんと約束したでしょといってしのぎました。病院の後は買い物へ、母に聞いたら自分も買い物に行くと行くので店も選ばせました。母は選ぶと言うことが最近ほとんど出来なくなっていて・・・AとBどっちにする?と言っても頭に入らないのか選ぶことが出来ません。昨日は店も選べたし、おやつをタイヤキと桜餅どっちにするかも選んだし夕ご飯も肉と魚のどっちにするかも選んだし、うなぎとぶりとサケも一番安いので良いと選んでました。車椅子の移動だし、いちいち停めて母に相談するので時間もかかるし他のお客さんには邪魔だろうなと思うけど母には刺激になったかな。買い物途中でトイレと言われるのは困ったけど・・・会計を慌てて済ませ車椅子が入れるトイレの場所を聞きダッシュ。でも締まっていて普通のトイレに行こうと思ったら空きました。使ってたのはしっかり普通に歩けるおばちゃん・・・何らかの理由はあるのかもしれないけど、普通のトイレが使える人は普通のトイレを使って欲しいな~。車椅子では普通のトイレの個室に入るのは無理。母を引きずって母のズボンや下着を下ろさなきゃいけないし座る動作を私が支えてさせなきゃいけないけどそのスペースが全く無い。昨日行ったスーパーも車椅子用ではあるけど、スペースが狭くギリギリ。車椅子の人だけでなら良いのかもしれないが介助者がいてだと車椅子の移動をさせたりするだけでギリギリ。棚とか余分なものがあるのにその部分をうまく使えば介助者も車椅子を置く位置も便利になるのにな。何はともあれ何とか母のトイレも間に合ったし場所も判ったのでOK。買い物を済ませ今度は駐車場に戻ったら車の輪どめの幅が狭く、車同士の間を車椅子で通り抜けれない・・・ぐるっと回って遠回りするしかない。車椅子の人は利用する時その店の不便なところを見つけてからじゃないとうまく利用できないのね。今度はうまく出来るからいいけどね。買い物も終わりご飯を家で食べましたが、最近はハランまで口にいれたりするので目が離せない。口に持っていけば食べるけど箸が利き腕じゃないのに骨折してからうまく使えないし。寝ながらと言うか目をほとんど閉じたままご飯を食べたりするのが最近増えたな~。言ってることもおかしなこと言うし。「あんた学校は~?」とか言うし、卒業したからもう行かないよと言ってはおいたが。時計も読めなくなったしね。ドンドン認知症の症状が進んでるんだね。それでも日によって出来ることが1つでもあれば、まだ大丈夫とか思ってしまう。意味も無い立ち座りもあり、見えないものをつかんで口に運んだりするけど。昨日も落ち着いた父と縁側で庭を見ていた。母が出来る小さなことを喜ぶようにしよう。
2008.04.24
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今日は10時前に急遽実家から呼び出しが・・・母の指の骨が折れてると言うことでの呼び出しでした。・・・父が医者に連れて行ってくれれば良いのにってのは心で思っても口には出さず。11時ちょっとすぎに実家へ着きました。う~ん、変な紫色の変な指の形になってる・・・病院にはもう連絡を入れてあるので去年から行ってる総合病院に連れて行きました。11時半に医者には着いたのですが急患が入ってるとかで待たされ、折れてるからレントゲンと言われ、レントゲンを撮ったあとついでにお昼休憩まで入ってたらしく。12時から13時45分までずっと待たされてました。お昼休憩なら一言言ってくれれば実家に帰ってまた戻ってくればお昼が食べれたのに~。先生も看護士も休むなとは言わないから、患者側にも一言言ってくれれば良いのにと思いました。母は痛いことは痛いけどウトウト出来るくらいの痛さのようでした。父に怒られるからこけて指が痛いことは内緒にしようと思ってたようですがさすがにこんな色になったら判ってしまうからね~。治さなくてもこのままでいいとブツブツ。怒られるくらいなら骨折で死にたいそうで、指の骨折くらいでは死ねないよと言っておきました。レントゲンの結果は左薬指と左小指の根元からの骨折。薬指はかなりずれて曲がってしまっていたので、ピンを入れて固定しますとの事でまたレントゲン室へ。ピンを入れるのは痛かったらしく「治さなくていい」と文句を言うのをなだめて包帯を巻いてもらいに行きました。2週間は指2本を固定をしたままで過ごしてくださいとのことでした。水曜に整形の予約が入っているのでその時に消毒をしてもらうように言われました。先生は違ったけど今日の休日診療が整形の先生で良かった。化膿止めと鎮痛剤を貰いました。家に帰る前に買い物をお昼の買い物を済ませ、家に帰ったら14時半過ぎ・・・慌てて吸い物を作ってお昼の準備をしてご飯を食べさせました。痛みに鈍い母なので食欲もあるし、ある意味助かります。ただ認知症なので、包帯をさっそく取りはじめて父に怒られてました。良かった全部とってしまわなくて・・・ご飯を食べる時左手を微妙に使うのでこぼれたご飯に付くのでビニールを巻いたり。その後フラフラと立ち上がるので困りました。母には『こけて骨折したから今日は静かにしておこう』と言う感覚は全然ないので何故動くなと怒られるか判らないのよね。身体が90℃以上に曲がっていて、うまく歩けないと床に手を付く状態なのに何故か動こうとする母。動く母を見ていたら父も落ち着かないので私がいる間だけは何とか父の所から離して、別の部屋で薬を組みながら母を見ていたらソファーで寝ました。起きて床に寝ようとするので何とかまた椅子に座らせて・・・寝る前の薬がどうも母の身体には合わないようで、身体の力が入らないのも今回の骨折の原因みたい。フラフラで支えないとかなり危ないのに勝手に歩こうとするからね。本当に目が離せない状況です。立つのも座るのも歩くのも一人では力がうまく入れることが出来ないし。私も結構大変でしたが、父はもっと大変だろうな~。施設だと車椅子や椅子を使えるから母が力が入らなくてもあまり問題ないみたいだけど、一般家庭では車椅子が室内では使えない。椅子より座椅子が好きだし・・・かなりの力仕事になるので明日からは腰痛ベルトも巻いて実家に行かなきゃ。あっという間に1日が終わりました。こういうことがあるから落ち着けないのよね・・・ま、仕方ないか。
2008.04.20
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先日父の姉が何年ぶりかで父に電話をしてくれたそうだ。その時の父はぐずぐず泣いて、母の介護が大変で朝も夜も判らない母を監視していなきゃいけないので眠れない。もう早く母に死んで欲しいし、自分も早く死にたいと言っていたそうだ。明らかに介護によるウツ状況。それでも葬式とか出すお金が無いと困るから母を施設に入れないと言っていたそうで・・・父がもう何を今しなきゃいけないか判断も出来ない情況になってるな~。父には病院で眠剤は出てるけどウツに対する薬は出ていない。どうしたら良いのかケアマネに相談したら、父の行ってる病院のケースワーカーに相談すればいいと教えてもらった。本当は母を施設に預けて父が楽になるのが一番だと言われたが、頑固なのでなかなか納得しそうに無い。母を施設に入れるのも今ディやショートに通っている所のほうが父も安心だろうから、今のうちに予約だけしておくことにした。枠が開いた時に入る入らないはその時に決めればいいからだ。真っ赤な顔で毎日父が怒ってるのを見てると、心臓への負担の大きさも判る。また2005年みたいに父に怒鳴られながら母を施設にお任せしなきゃいけない時も来るのかな・・・ケアマネからは良くも悪くも自分のつらい状況を伯母に吐き出せた父は良かったと思いますと言われた。兄弟がいない私には判らないが、兄弟にはやはり自分の心の中が言いやすいのかもしれない。すぐけんかをする父なので父とけんかをするのが怖いと言っていた伯母だが、電話をしてくれて感謝だ。明日は母がショートから帰って来る。少しだけ負担を減らすために1時間くらいだけど実家に行こうと思う。次の日は病院があるから父も休めるしね。父の負担を何はともあれ減らさなきゃいけない。胃が痛い毎日が続きます・・・薬飲まなきゃね。
2008.04.02
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久しぶりに少しだけ書いてみます。ただいま母の状況がホントに目が離せなくて・・・玄関を開けようとしていたり、庭に勝手に出てしまっていて外で服を脱いでいたり、2階に1人で上がったり。毎日看ている父も週3の私も心身ともに疲れている状況です。私も先月末に肺炎になり、今は影もなくなりましたが疲労で咳が少しずつ続いています。ゆっくり休めるといいのですが、精神的に落ち着かず実家に行く前の日は薬を飲んでも眠れない日もある状況です。そんな中、ケアマネとケアプランの話をしている間にこういう本を読んでみては・・・と薦められました。先月はもう少し難しい本を薦めてくれたのですが、今の私の状況では脳みそが理解できないんですと情けない話をしていました。今回薦めてくれたのは『笑う介護』漫画と文章なので読みやすいですとのこと。笑う介護とあったので「笑えますか?」と聞いたら、「泣けました」とのお返事でした。本屋で探して2軒目で見つけました。50代でお父さんが糖尿から来る脳梗塞で認知症に、そしてお母さんはガン家のアイドルの老犬も病気に、作者も介護に疲れ心療内科へ。それが20代前半の若い頃からだというのだから、ホントに大変な介護だったと想像できました。10年介護を続けていると言うのには頭が下がりました。老犬がアイドルだったと言うのは、うちも太郎がいてくれてホントに助かってくれていたのを思い出し切なくなったり。作者のお母さんがすごく前向きで。自身のガン告知で泣いていてもその後前向きに頑張って、病院で同じようにガンで苦しんでる人に笑いを届けたりする話はすごいパワーを感じました。周りの人に支えられて作者も介護が出来てるんだなって・・・1人じゃ介護って無理なんだなってつくづく思いました。そして若い時だから出来る介護ってのもあるということ。私も今40だけど、もし50歳で母の認知症が判ったら介護が今のように出来なかったと思うのです。30代後半ではあったけど、若さで認知症の手続きなどが進めることが出来たなって思います。私自身もいろんな人に「無理はしないでね」と支えられながらの介護です。昨年末に友達のお母さんには「もっと実家に寄ってお母さんの面倒を看てあげて」と言われ「これ以上頑張れないのに・・・」と思いました。でも「もう少し頑張ってみなきゃ」とやってみたものの、結局私の弱い身体ではついてこなくて肺炎と言う事態に。もっと身体が丈夫だったらもっと介護が出来るのに・・・と無いものねだりをしたりして。出来ないものは出来ないんですと、結論が出ました。私が倒れたら結局介護が出来なくなる、父一人でずっと看るのはどうやっても無理ですから。笑う介護は非常に難しいけれど、少しでも前向きに出来たらな~と読んで思いました。まだ今は疲れていてなかなか優しくは出来ないけど・・・実家から帰って来るとき、「今日も母にきつく言ってしまった」と自分を責めたりします。他人から何を言われても自分の出来るペースで自分で調整しながら少しでも母に優しく出来るようにと・・・ボチボチですが思ってます。『笑う介護』の本は・・・ホントにつらい部分は介護経験しないと「うんうん」と思えず素通りしてしまうと思います。作者自身、まだまだ介護の日々が続いているでしょう。でも流し読みでもいいので一度読んでみると、介護のことだけでなく前向きに笑って白血球を増やそうと思えると思います!少しでも笑う介護になれるように・・・頑張りすぎないけどちょっとだけ頑張る介護をしていかなきゃね。
2008.02.21
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薬が変わってから何だか母の様子がおかしい。先日の幻覚の症状は今でも続いている。薬の組み合わせは見てもらったけど組み合わせには問題なさそう。でも明らかにおかしいので父が心配しすぎて、母をディに行かせるのをためらって抱え込んでしまっている。また眠れていないとぶつぶつ言うので昨日は急遽実家に泊まる事に・・・14時になってもまだお昼ご飯が食べれないと文句をいう。父の手に余ってるのに母を人に任せるのが怖い父。母が行きたくないと言うから行かせないではダメだ。はっきり言って母は始終寝ているので、睡眠が十分足りていて食べるのが足りてないだけである。父は睡眠なく始終母を監視している感じで・・・目が離せないからと買い物も行けない。父にもかなりはっきりとプロの力を借りないと皆が倒れると再度言ってみた。父は返事はせず、無視して昼ごはんも食べずに寝ていた。父自身が一杯一杯で他人の意見を全く聞けない状況。ケアマネにもう一度父の難しい説得をお願いした。母の異行動状況目が遠くに行ってる感じでこちらが見えてるのか・・・世界が飛んでる感じ。一応話しかければ答える事もあるがスルーも多く聞いてないことも多い。顔や首などを何度も触る。(虫が歩いてるような感じがするらしい)何かが母には見えてるのか何も無い場所で手をゆすったりする。柄が判らないらしくつまもうとする。服を何度も着替えようとする。靴下がイヤなのか左だけ脱いで右は脱いでもまた履いて靴下は脱いだという。靴下を手に履いたりする。19時くらいになると布団を触りだし、布団を敷こうとする。立ち上がるのもやっとでフラフラの母がひんぱんに立ち上がり歩こうとする。(本人に立ったり座ったりしてる自覚なし)立ち上がりが多すぎて運動になってしまい汗をひどくかき暑いという。(シャツが気持ち悪いのだろうから着替えさせるが、何度も繰り返すので何度も着替えようとする)確かに目を離すとストーブとかにヨロついてもおかしくない位頻繁に立ち上がる。すわり心地のいい場所を探していると言っていた。介護エプロンをつけてご飯と食べさせていたら、「何でこんなことされなきゃいけないのか」とエプロンを拘束か何かと勘違いしている。エプロンの横から手を出すという行為が判断できない。ご飯を食べているときも立ち上がり、口に運べば立ちながらご飯を食べる。皿を自分の手で取ってみて皿の上の物を直に口をつけて食べようとする。「食べようか」というと1人で勝手に手で何かを箸かスプーンを持った格好をして口をあけて口を閉じ、何も入ってないのを不思議そうにしている。手にティッシュを持たせたらティッシュを口に運ぼうとした。食べさせるのに30分以上かかってもご飯を半分も食べれない。何が食べたいか聞けば一応答え口を開く。薬を飲もうかと言うと「飲まなきゃいけない」と判っている様子。24日の14時すぎから20時半に寝かせるまでの状況。20時半 寝かせる10時半 起きるトイレというが結局出ず、お茶を3口飲ませる0時 トイレ尿出る1時55分 トイレ尿出る2時25分 ごそごそ起き上がるので聞くと身体の向きが変えたいという 腰が曲がっているので寝返りがうてないため起き上がるしかない2時40分 上にずれている2時50分 暑いというので毛布を上のほうで折り曲げて重ね、掛け布団を 少しずらしたらスッキリしたのか落ち着いた5時半 トイレ尿出る(紙パンツにも重くなる程度出ていた、多少パジャマに 漏れていたため下のものを換えさせる7時過ぎ トイレ尿出る 起床7時半過ぎから8時半 朝食を食べるも半分寝ている 寝る 9時45分 トイレ尿出る 寝る(寝ると言っても人の話は聞いていて返事をする)10時半に私が帰宅 どうして帰るのと聞くはっきり言って1日こんなペースでは体力が持たない。母を支えるため私の身体は筋肉痛で泣きそうなくらい痛い・・・私も細身ではないが中肉中背の体型、35キロのヨロヨロの母を支えるのは身体中にひびく。夜も転ぶといけないからとほぼ監視状況父は寒いだろうからとストーブを入れて寝せていたので余計に危険と感じていたようだが、私のときはストーブは切って布団に入らせた最初は小さい電気をつけてたけどそれも消し、暗くして動きづらくしたストーブが無い分寒いので動き回ることもせず、布団に早く入りたがるストーブも無いのでやけどの心配もない暗い分は動きがあったときに携帯の灯りで母をチェックこんな感じで元々寝つきが悪い私はうとうと一瞬しただけ。父は眠れたようなので多少ホッとしたシロが5時半のトイレの時から鳴きだしてうるさい~。私が帰らないのでビクビクしていたので顔は出さず父が世話をするまで手も出さなかった。父には状況を報告して寝ているときは母が動きやすい環境を作らないのが良いのではと説明暗くしてあるので母に動きがあったときは懐中電灯で様子を確認が良いのではと言っておいたこんな状況が長く続けば確実に父の寿命を縮めるだろうそして母は家だけの淡々とした刺激で認知症が進むと思う母は行きたくないだろが人に会っているのはリハビリにもなるお風呂も入れてもらわなきゃいけない漢方薬のおかげで便も比較的でるようになった、ただ便意がない薬の件は明日処方箋をもって行った薬局で確認をしてみる予定幻覚など異行動が出る薬がないか聞いてこなきゃこれで何かわかればいいのだが・・・なかなか先が見えないまずは火曜のディに父が行かせることが出来るかどうかが当面の問題異行動とはいえ、フラフラしながらでも1人で立ち上がることが何度も出来るのだから多少体力がついたのかもしれない前向きでいこう
2007.11.25
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今日は記録なのでニャンは無しです。母の状況。ディには行ったが幻覚が見えている様子。何かが飛んでいたり椅子とかが認識できなかったりするらしい。帰ってきて状況が出て行ったときとあまりに変わっていて・・・父にはそういう対応が出来ず、「母がき○がいになった」と言って電話をしてきた。ケアマネが実家に行ってくれて見てくれ、私に報告をくれたら父は何を言っても変なことしか言わないと言ってたが、ケアマネが言うにはこちらが言ってることを理解してうなずいたりはしているらしい。父も混乱してパニックになって母を全く受け入れられないのだろう。熱も37.8℃出てるらしいので頭を冷やして寝るようにアドバイスをしてもらったらしい。今夜行かなきゃいけないかと思ったが、明日顔を出せばいいとケアマネが判断してくれたので今日は私が行かないで明日行くことに。ケアマネは明日休みらしいのだが、顔を出してくれるらしい。ありがたい・・・自転車で行き来できる距離にケアマネが住んでいてくれるのは助かる。迷惑をかけているが頼れる人は頼らないと・・・父が疲れ切ってるのでショートを早くしようかとケアマネは言うがこんな母をショートに行かせて大丈夫かと思っているのだが大丈夫だと言う。一応父を説得するしかないかな・・・薬が今日から変わったので薬の幻覚という可能性が大きい。PCで調べてみたら排尿の薬が結構副作用の多い薬のようだ。明日は病院も休みなので、土曜にアルツハイマーの方の先生に薬を見てもらってどの薬が悪いのか見てもらうようケアマネから指示があった。明日は8時までに実家に行って様子を見ようと思う。ちょっと精神的にきついけど、父の方がもっときついもんね。結構薬で左右される母の身体、薬調整は難しいな。う~ん、癒しでシロの写真を入れよう。
2007.11.22
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子猫の里親さん募集~!このかわいい子の家族になってください!フリマのお友達のおうちに迷い込んできたオスの子猫です。こちらのお宅ではワンもニャンもいますので、どなたか責任を持って家族として迎えて下さる方を募集しています。猫エイズと白血病の検査、陰性でした!ここからは今の預かってくださってる方のコメントです。フロントラインのレボリューションと、ワクチン接種も済ませました!お婿に行く準備は出来てます。完全室内飼いで、絶対に去勢手術をして、具合の悪い時は病院へ行って診察治療を受けさせ、最期迄責任を持ってかわいがってくれる家庭がいいですね。との事でした。最初は怯えて隅っこにくっついていた子がこんなにかわいい顔になりました!今は愛知県に住んでいます。どなたか、ピ~ンと来た方でずっとかわいがっていただける方。メッセージにご連絡下さいね。先週の金曜に突然父から母の様子がおかしいからタクシーでこっちに来てくれと電話がありました。熱が37.3℃で真っ赤になっていて、顔がいびつになるほど右側がはれていたようです。手もむくんでひどいと。慌ててケアマネに電話したら今から見てきますと言ってくれました。実は前日にも父から電話があり、今週ディに全く行かないけど何かあるんじゃないか・・・とか母の手がむくんでると言ってたのでケアマネにはFAXだけはして報告がしてありました。月曜にも母の足のむくみなどのことで相談をしたばかりでした。ケアマネが到着して様子を見て医者に行ったほうがいいだろうと言うことで歩けなくなってしまった母を介護タクシーを使って移動させてもらいました。認知症の病院から紹介状をFAXで病院に送ってもらいその間に私もタクシーで病院へ移動しました。病院に着いたらそんなにはれも無い母と父がいました。ただ、何はともあれ母の元気が無くてぼんやりと。意識はしっかりしてるのでこちらが言ってることにきちんと返事もします。最近何度かこけていたので頭の出血じゃないのかと思ってました。待たされて待たされて脳外で診察してもらい、CTはいわゆる老人性の脳ですとの診断でした。むくみは内科ということで回してもらい、そこでも検査。心エコーや心電図、血液検査などをしてその日は帰宅。食欲はほどほどにあるけど、箸が持てずスプーンを持たせましたが口に運ぶまでにボロボロこぼれてしまいます。それでも何とか食べたり飲んだりを少しさせて私も帰宅。次の日はよくも無く悪くも無くという状況だったとケアマネから報告が。日曜はバイトがあったので実家にも寄って様子を見てきましたが大きくは変化なし。帰りに介護用の食事エプロンとストローで飲む蓋つきコップとストローを100均で買って帰りました。月曜は認知症の病院だったのでどうやって連れて行くか考え先日レンタルした歩行器を使いながら何とか立たせて身体を支えながら歩行器移動をしてもらって受診しました。CTの方は特にアルツとか以外に大きく異常は無かったことを伝えて栄養補給ようにエンシュアリキッドを頼みました。病院から隣の薬局に連れて行くのもまた大変でしたが何とか終了。車を持ってきてから母を薬局から連れて帰りました。マッサージの予約も入れてあったけど無理と判断してキャンセル。歯医者も水曜に予約があるけど連れて行くのが無理そうなので一旦キャンセル。火曜に先日の検査の結果が出たので父と聞いてきました。診断結果は軽い心不全、弁膜の動きが悪いようです。むくみはそのせいでしょうとのことでした。他の腎臓、肝臓も疑ってましたが異常なしでホッとしました。歩けないのを聞くのを忘れたけど、認知症による機能低下じゃないかなと思ってます。父が気持ち悪いくらい母の世話を一生懸命していて、そんなんだったら日頃からやさしくしてやってよ!って言いたいくらいでした。元々世話好きな父、太郎の介護の時と同じだなって見てました。思うようにいかないと怒るので困りますが、いつもの父よりは優しい感じなのでいいかなと思ってます。でも父の負担が大きいので来週からは母にディへ行ってもらおうと相談して、母にも話をしました。お風呂に入れることも出来ないのでディで入ってきてもらえば父も安心です。昼間に父も休むことが出来るしね。母は嫌そうでしたが仕方ないなって感じで納得してました。今週いっぱいディは休んで父に負担をかけますが、頑張ってもらおうと思ってます。緊急で車椅子のレンタル手配もしたので金曜に届くので私も実家に行かなきゃね。一時は入院か!と思いましたが自宅で問題は無いようです。何とか車椅子で今までのように買い物とか連れ出したいと思ってます。何はともあれ、バタバタでした。その中でシロは父に構ってもらえなくて時々ニャーニャー鳴いて父を呼んでます。猫草を食べさせろとかね。
2007.11.14
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今日は朝から少々荒れ気味のお天気だったので、シロはダンボールハウスで寝てました。写真を撮りに言ったら目で「邪魔」って言われた感じです。ああ~。今日は母の介護認定調査の日。昨日は本日の介護認定用の資料つくりで「シロです」はお休みしました。介護認定は介護される側の母と面談してもらうだけで終わっていたら日頃の生活での問題点がほとんど見えないので年に1回毎回資料を作ります。介護認定の基準が厳しくなってるので、今まで要介護1だった人が要支援になることが非常に多いそうです。環境が変わると認知症は悪化するので要支援になってしまうと困ります。本当なら要支援ってのは手がかからなくなったと喜ぶべきなんですけどね。認知症の場合は進歩はなく後退か停滞がほとんど。母のように薬が効いて落ち着いた人はとてもラッキーなのです。でも実際ディサービスとショートステイをうまく利用して今の現状があります。変化は欲しくないのです。偽らないように、でも問題点はハッキリと資料にして介護調査員に渡します。言葉では言い忘れることもあるかもしれないので、確実に資料で伝えます。今回は転ぶことや身体を支えたりの補助も増えたので、最低でも要介護1は無きゃ困ります。約一ヶ月で認定証が届きますのでどういう結果になるかドキドキです。そういえば手の力が指先に入ってないって言われたな~。手の平だけで力いれてるだけだって。シートベルトとかうまく出来ないのも当然だよね。筋力ってのはどんな年齢でもある程度は復帰するものらしい。無理はしない程度に指先に力を入れる訓練って何があるかな~?握手か・・・指先で何か少々重めの物を持って右から左に移動させるか・・・ケアマネに相談してみるしかないか~。あと舌が割れてるとか言ってたな。なにやら薬が医者から出てたけど、何の薬が出たのか調べなきゃ。ビタミン剤かな~?やっぱりそうでした。TYK105って薬です。ビタミンB2は体内で,炭水化物,脂肪,タンパクの代謝に欠かせません。不足すると粘膜に炎症を起こし,口角炎,舌炎,角膜炎などの皮膚疾患にかかります。この薬は,食事からの摂取が不十分だったり,体内でのビタミンB2の代謝が悪くなったりしてビタミンB2が不足している場合の補給に用いられます。食べる量が全体に減ってしまっているので、必要な栄養素も足りないんだろう。よく父と喧嘩してご飯食べないってことあるしな~。ちなみに父も機嫌が悪いとご飯食べない性格。私だけだな、機嫌が悪くても喧嘩してもお腹が減るので絶対食べるのは・・・でも身体が弱いのは、私、父、母で一番母が丈夫です。私が風邪引いても父が風邪引いてもほとんど移らない丈夫な体質でうらやましいです。
2007.07.30
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本来は1日に2つ日記は書かないのだけど・・・認知症のHPを読んでいて思い出したことがあったのでここに記録しておこうと思います。認知症の人は「柄」「模様」を怖がったりするそうです。それを読んでそういえば・・・と。母がまだアリセプトを飲む前だったと思うけれど。私の家族は下のような大きく削った花かつおが好きです。でもある時、母が急に木目みたいなのが嫌だと言い出しました。木くずを食べてる気がするとも言ってました。お正月のお雑煮の時期だったので、毎年母とそういう木目みたいな花かつおを買うのが当たり前だったのに。その頃は『認知症に逆らっても意味は無い』と言うのが判って来ていた時期だったので、母の言うとおりに母に選ばせて細かいタイプのを買って帰ったことがありました。当時妄想が見えていた母には、木目が何か嫌なものに見えていたんでしょう。今はどうなのかな~?今年のお正月の食材の買い物は母としたのですが、花かつおを買った記憶がチラッとあります。妄想が見えなくなったので大丈夫になったのかな~?今度買い物に行く時に何気なく花かつおを買ってみて反応を見たいと思います。今も眠い時など頭が回ってないと薬の袋が開けれません。こういうチャックつきのものに1回分ごとの薬を分けて入れてあります。先日見たらどこから開けるのか判らなかったのか、無理やりハサミで切ってありました。そういう物を見ると「ああ理解出来ない時がやっぱりまだあるんだな」と思うこともあります。花かつおの木目を嫌がってた頃は、時々無理やり薬の袋に手で穴を開けていたことも何度かありました。それを思うとアリセプトを飲んで母は運良く認知症が落ち着いている患者の1人だと思います。いつまで薬の効果があるのか・・・と戦々恐々としながらの日々。90度に曲がった腰も母の足腰内臓に負担をかけているしね。今の生活が少しでも母にとって楽しいと思えるといいな。今、介護の会社の問題でいろいろあるみたいだけど。認知症は変化に弱い病気です。場所や人が変われば不安になりパニックになってしまう人もいます。患者さんへ負担をかけないようにしてあげてほしいと思います。そして介護者の方にも不安を与えないでほしいです。お年寄りがお金儲けになる時代ではありますが、命あるものに対してきちんとした対応をして欲しいと思います。介護が出来なくて殺人や心中など亡くなって行く人がこれ以上増えない世の中になって欲しいです。
2007.06.11
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先日、父が台所のガステーブルが悪くなってきたので新しいのを買おうと思うとチラシを見せながら相談してきた。私は母の事を考えてひねるタイプのガステーブルがいいと言ったのだが父は何を気にいったのか押すタイプのを選んでいた。今の母は比較的落ち着いているし、冷蔵庫を買いに行った時も納得出来たから大丈夫だとは思うけど。認知症患者は新しいものに敏感で、今までと違うものがあると最悪の場合自分の家じゃないと思い込んでしまう事もあるのだ。母も以前かなり認知症の症状が悪かった時、箸を一緒に買ったのにもかかわらず他人の箸だと言い張って結局捨てるまで続いた事もあったので母の生活環境の変化に不安を感じてしまう。認知症の施設では利用者が便利だろうと全自動洗濯機とか買っても二槽式の洗濯機に結局買い直さなきゃいけないパターンもあるそうだ。そういう話も聞いているので出来るならひねるタイプのを買って欲しいと思ったのだが・・・父はもう値段でこれと決めてしまっているようで考えは変えれなかった。父がこれから買いに行くと言うのでうちはLPガス用のを買わなきゃいけないと言うと父は知らなかったようだ。危ない、都市ガス用だったら使えない所だった・・・こういうのを買うのは母の役目だったから父は今自分が家事をやる事になって初めて知ったのだと思う。そんなこんなで父がガステーブルを買ってきた。父が設置してると母が昼寝から起きて台所に来て話していた。以前に母とガステーブルを買う事を話していたらしく「買って来たわ」と話している。母も交換をしている場面を見たことになるので特に拒否反応もなかった。押すタイプは実家では初めてなのでお父さんにも使い方を教えたよと話しながら母に使い方を教えた。押す場所が悪いのかどうもうまく着火しない時がある。何とか着けれた時にレバーで火力調整をするんだよと触らせてみる。これは何とか判るようだが消すのが判らないようなのでここを押すんだよと言うと押して消していた。グリルとかも前はガステーブルの上から着火が見えたが今回のは覗かないと見えないのでちょっと変な顔はしていた。一応3つあるスイッチは全部着火と調整など触って確認させた。父にはスイッチ押して火力調整はこのレバーと言うだけ済む事なんだけどね。母にはその何倍も時間をかけて教えなきゃいけない。今までは1つの部分で着火から火力調整、消火まで出来てたのに2つの部分を使い分けると言うのがうまく出来るかちょっと不安な動きではあった。でも味噌汁と温め直すくらいしか今の母はしないので何とかなるかな。お父さんも初めて使うから使い方が判らなかったよというと「そりゃそうだよね」と母は言っていた。出来るだけ母だけが使い方が判らないという風にはしたくない。冷蔵庫も数ヶ月は昔野菜室が一番下にあったのでその感覚で野菜を新しい冷蔵庫の一番下の冷凍室にいれ凍らせていた母。冷凍室と野菜室とシールを貼ってもなかなか習慣は抜けない。今は家事をしないから野菜の入れ間違いがないのかもしれない。全く家事をしなくなった時に比べたら、今は週に何度か思い出したように洗濯や食器洗いをするようになった。父の分のおやつも買うと言うようになった。私にも「ももぺんがいるから出掛ける準備が出来る」とかも言うようになった。あれだけ嫉妬妄想で「何でも女に買って貰えばいいんだ」と言っていた母なのに。私にも「あの女の援助を受けてるのだろうとか」「邪魔者にしようとしている」ってさんざん言ってたのにね、どれだけ帰りの車で悔しくて泣いたか・・・どれだけ否定しても聞いてくれなかったのにアリセプトを飲んでホントに変わった。効かない人もいるなかで効いてくれた奇跡。薬がいつまで母に効いてくれるか判らない。元々喧嘩の多かった両親だ。今も喧嘩はするようだが、実家に行く度に顔を真っ赤にして父が母に怒ってた時に比べれば落ち着いている。少しでも妄想とかの不必要なことでイライラしない生活が長く続けばいいと思う。
2007.04.13
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今日は入学式の写真撮影のバイトでした。私は大した事は出来ないんですけどね、人を並ばせるだけ~。去年も行った学校まで行っての撮影です。実は先週熱が出まして、38.6℃でご飯まで気持ちが悪くて少ししか食べれなかったので心配しましたが。何とか微熱でバイトには行けました。今年は外国の方の子供さんが増えてました。工業団地が近い地域なので働きに来ているんでしょうね~。父兄と言葉が通じないと言うことで牧師さんが通訳さんとして呼ばれてました。そして写真撮影も無事に済んだと思ったら1つのクラスで言葉が通じてなくて撮影に入って無かったかもしれない方がいるかも・・・と。そのクラスだけ撮り直しとなりました。でも大きく問題も無く今年は撮影も終わり良かったです。バイト先に戻ってバイト代を貰い時間もあったので桜を撮りました。今が満開で写真撮るにはいい時期だったのですが元気もあんまりなかったので15分くらいだけ歩いて撮って来ました。桜は満開だし、明日からはお祭りで山車(やま)が出るのですごい人出になるでしょう。暖かな春のお天気だったので観光客の方も桜を見ながら散策してました。お祭りのカステラ焼きが好きなので買いに行きたいのですが、さっき医者に行ったら37℃熱が出てたのでゆっくり寝ます~。そういえば実家によったら母が手に包帯を巻いてました。何かと思ったら左手甲の親指の下がベロッとめくれてました。皮膚ももろくなってるのかな~。説明させても特に皮がめくれるような事はしたように思えないんだけど。さすがに父も心配したらしくガーゼとかテープとか買ってきてました。実は身体も90度以上に曲がってしまっているので、母と医者に行くと「おいくつなの」とよく聞かれます。まぁ、年齢も今年79歳だから年も年だけどね。腰が曲がっている分、見た感じ年齢以上に見えるんだろうな~。80歳以上の人が聞くんですよ、おかしなもので。そして曲がった部分の所がうまくお風呂で洗えて無いらしく・・・先日身体が痛いからシップを貼ってくれと言われて貼ろうとしたら身体を伸ばさせたらしわしわの身体の曲がった所に真っ黒な垢の筋が一直線!慌ててティッシュをお湯で濡らして来て垢を取りましたよ。曲がっちゃってて洗えないんだろうと思います。でもたぶん家族のお風呂の補助は拒否すると思うので、ケアマネに相談しなきゃ。コタツに座椅子で座っていて立ち上がるのに5~10分はかかるようになりました。車の乗り降りもうまくいかなきゃ5分くらいかかります。シートベルトもなかなかうまく自分で締めれなくて早くて1分くらい遅ければ5分くらい。かといって、手を貸してばかりでも本人の筋力が落ちてしまうので出来るだけ自力で時間がかかっても動くようにと思ってます。それでも妄想が今全然無いのでそれだけが救いです。反応は遅いし、選ばせれば数分は迷ってるけど意味の無い喧嘩をしなくていいのはすごく助かります。いつまで起きて歩いてが出来るんだろう・・・とか思うけど、先の事は判らないので今出来ることをやっていくしかないなと自分に言い聞かせてます。
2007.04.06
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母のショートステイの準備を昨日しました。毎月2回、2週間以上間を空けて2泊3日で予定を組んでもらっています。難しいのが母の体調が悪い時に行かせるかどうか。今回がそのパターンでした。母の場合事前にショートの予定は伝えず前日に「急に決まったから」と準備をする事にしています。今はたぶん事前に言っても大丈夫だとは思うのだけど、最初の頃に○日にショートだよと伝えたらショートに行く日まで毎日のようにごそごそ荷物を片付けたりをして困ってしまったので前日に私が荷物は準備するということにしてあります。昨日実家に行ったら母が寝ていてお昼で父がお弁当を買ってきてくれてたのにそれにも口をつけていない様子。父は機嫌が悪く母について話もしない状況。母に聞くと鼻水と気分が悪いと言うけれど、熱や下痢や吐き気までは無い様子。ショートに行かせないと父も余計に機嫌が悪くなってしまうので行けるか母に聞くと「行かなきゃいかんわね~」と言う。母には申し訳無いと思うが行ってもらった方が助かるので、何はともあれ食べるものをと思いお弁当に入ってたおにぎりを鍋に入れてゆるめた。柔らかさがまだ母好みじゃなかったらしく文句を言われて、もう一度ゆるめて「あんたじゃ私の好みは判らんわね~」とまた文句。ご飯の柔らかさの好みなんか判らないのでそのまま何とか食べてもらう。おにぎりの海苔も溶けて梅を刻んでいれたので何とか食べる気になったようだ。煮物も持って行ったのでそれを温めて出したら食べていた。何とかご飯を食べてショートに行ける感じだったのでその方向で話を進める。私より母の方がかなり身体は丈夫なので多少の無理はきくのだ。持っていく荷物の話をするのだがこれがいつも大変。先回持っていった暖かいズボンは重いから履かないそうで・・・ゴムもきついのか自分だけで着れないようだ。「返せないかね」と言うが履いたズボンが返せる訳も無い。腰の曲がった力の無い母の着れる服は暖かいとかそういうものだと重いとかで着れないものばかり。買っても買っても履かない着ない服が増えていく。セーターも着れないと言い出すし・・・前開きの服も腰の曲がった部分に引っ掛かって着れない状況があるので何を買ったら母が着れるのかも判らない。ショートにどの服を持っていくか本人に聞くのだがそれだけで下手したら1時間近くかかってしまう。他の人がきれいな服を着てるらしく自分もそこそこの物は着たいようだが母は結構服を買ってるのだがいつの間にかどこかにしまいこんでしまうのかいつも同じような服ばかりになってしまう。パジャマももっていくのだが着てるのか着てないのか判らない。いつも同じ形で入ったままになっている、家でもまともにパジャマを着なくなってるから施設でも着て無いのかもしれないが一応持たせる。肌着も暖かい物を買いに行ってもその時は1枚でいいと自分で言うのだが持っていくとなると無い無いといつも言い出すので困る。何とかそれでも母に持っていく服を決めさせて、後はそれを袋に詰めたりショートステイに持っていくものの用紙に書き込んだり。化粧品もいつも持たせるのだが私が母の化粧品に触るのが母にとってあまり気分が良い事では無いらしくこの準備が非常に遅い。私も母の化粧品は触りたくないのだが持ち物は全部書かなきゃいけないので仕方なくなのだがなかなか判ってはもらえない。今回は持って行かないと言うので準備はしなかったのだが、帰る前に保湿クリームだけ入れておいてと言うので追加しました。あと、母は結構途中でお腹が減るタイプなので毎回おやつ袋を持たせます。飴やクッキーあられに今回はモナカ。薬セットも入れ、ルームシューズも入れ全部を1袋に詰め完了。母にこれを持っていってねと伝えて帰ります。ショートの当日には施設から迎えに来る時間をFAXで連絡。そこでショートの準備が全部完了となります。ショートに行きたがらない時も最初はありホントに困ったけど、今は薬のおかげで意思の疎通はゆっくりだけれど取れているのでありがたい。薬は結局朝昼晩の内科の薬と朝のアリセプト、寝る前のハロミドールで落ち着いた。胃がどうも調子が悪いみたいなのが気になるがそれいがいはこのままでいけるといいかなと言う感じ。母の腕にもう少し力が入るといいんだけれど。今を維持出来ればいい方なんだろうなと思う。1年ちょっと前を思えば・・・いいと思うしかないね。
2007.02.13
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1ヶ月以上も日記を書かなかったのは初めてだ~。どうも体調が良くなくて書く気力がわきませんでした。実家の母の事を記録しなきゃと思ったので今日は久しぶりに書きます。母の状況はちょっとウツ気味なのか認知症が進んだのか腰が曲がってるせいなのか眠れないと医師に言うので睡眠導入剤や安定剤が寝る前の薬として出されます。今はどれが母の身体に合うか様子見の状況。ただ母の場合、途中でトイレに起きたいと願望があるので母の希望をかなえるのは私は無理だと思ってます。それと食事量が減って体重が減ってるので(現在36.8キロ)栄養補助としてエンシュア・リキッドのバニラを出してもらいました。寝る前の薬の遍歴です。以前はハロミドールを使っていましたが眠りたい母のために薬を変更。レンドルミンはフラフラになってしまいトイレにたどり着けなかったり、ズボンを下ろせなかったりでトイレの失敗がひどくてダメ。ルボックス錠は次の朝に眠気が残る(先生はそれはないはずと言うけど)のと便秘がちなのが余計にひどく便秘になってダメ。それと寝言(?)なのかおかしかった時の母のように寝ながら何かブツブツと話すのがあったので病院に電話して薬をやめた。次はデパス0.5と言われたけど私が飲んでも次の日の朝身体にだるさが残るのでもう少し軽い物に変更してもらいリーゼに。母に聞くと眠った気はすると言う。ただし、トイレの失敗が多いようで・・・聞いたら口ごもるが言ってもらわなきゃ薬の変更するための参考にもならない。うまく便器でトイレが出来ないと言っていた。便器の周りに便が落ちていたり尿がこぼれていたり。トイレでもお尻がうまく拭けないのかお風呂で固まった便が落ちていたり湯船に便があったりもして時々入れないと父が言っていた。パジャマに便が付いていても気がつかずそのまま寝ようとしたりしていると父の報告があった。こういうのを聞くのは当然母のいない時に聞くのだ。押入れに使用後の紙パンツが隠してあったりもする。汚い臭いと言うのだが太郎だって年をとったらトイレの失敗は多かったから同じなのだが、妻とワンコでは違うらしい。今だって猫トイレの処理はしてるのに。母には言うなと言うのだが感情のままに怒っているので母も失敗を隠そうとすることも多い。父がもう少し受け入れる人間ならいいのだが・・・母も頑固で、父に怒られるから関わって欲しく無いと思ってるようなので父に何かしてもらうのをすごく嫌がる。父にはうまく頼めばやってはくれるのだが、母は父に頼むのが嫌なので出来ないのに出来ると言って出来ていないことが多い。歯磨きもうまく出来て無いのでうがいタイプのものを歯医者から毎食後にうがいをするように言われてるのだがそれも家にあるだけで使ってない。薬もうまく上を向けないため粉薬が飲めなくて粉薬が母の周りにはこぼれてしまう。目もメガネを買ったのにはめないし、はめても見えないと言う。どう見えないのかを私達に説明も出来ない。掃除機もビニールの袋を吸いこんで吸いこまなくなってもそのままで使う。他にも細かい問題があるが、それでもまだ母とコミュニケーションは取れている。会話は何とか出来ているのだからホントに助かる。妄想はもう一切言わないのが助かる、これが一番困っていたから。今日は坂本冬美のCDを見つけたので実家の車で聞けるようにテープに落としてくるねと言ったら「頼むよ」と言っていた。会話がきちんとなりたっている、それがうれしい。出来ない事はドンドンこれからも増えるだろうし、もう少ししたら歩けなくなるだろう。今はかなり不安定だしすり足だがおぼんに空の茶碗を乗せて歩くことも出来る。少しでも今残ってる機能が長く使えるように出来るといいなと思う。少しでも楽しみもあるといいなと思う。坂本冬美のためにテープを買ってこなきゃね。今の飲んでる薬アリセプト、内科の薬一式、リーゼ以前の薬グラマリール、内科の薬一式、ハロミドール今日のシロちゃん。毎回行くと煮干しを1個だけあげるのでその時だけ寄ってきて煮干しを持って別のところで食べます。猫トイレ掃除してあげてるのに・・・慣れません。今日もバッタを食べていたので父に怒られてました。この間は3cmくらいのトカゲでした。秋になって太りぎみのシロなのでした。
2006.10.30
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母の介護の認定通知が来た。今年の認定は要介護1。状態が良くなったと思われたようだ。誰の目から見ても良くなってるんだとうれしい面もある。母の認知症で困っていたのは妄想が一番困っていたので実際今の状態は以前に比べると妄想による言葉の攻撃が無いため精神的には楽になっている。アリセプトが効いているから今の母があるのだろう。でもこの1年で母の歩行は確実にふらつきが増えた。ズボンもきちんと上にあげれない事が多いし、上着も曲がった腰に引っ掛かったままで数分格闘している事もある。家事もほとんどしていない。座椅子からも起きるのに数分かかる。手がかかることは格段に増えているのだが要介護1なのだ。今、介護を受ける人がドンドン増えていて認定も以前より難しくなってきているらしい。ホントに困ってる家族も認定時に日常での問題点をきちんとメモに書いて渡さないと軽く軽く見られることが多い。要支援、要介護1、2は非常に微妙なラインにあるように思えるのだ。うちの場合要介護1になった事で週に3回のディサービスと月に2泊3日のショートスティ2回で介護保険の枠の中ではいっぱいになってしまう。もし母が1人で暮らしていたらヘルパーさんも必要だと思うのだが要介護1では家事も出来ないのにヘルパーさんも使えないのだ。今はペルパーさんを使わなくても父がいるので生活は出来ている。年金生活で老々介護。年金が増える訳でも無いのに病院代も秋から(?)老人負担が増えると聞いた。ホントに母が介護認定を受け始めてわずか2、3年で老人に対する負担はドンドン増えている。今までのように病院に行かせることが出来るのか、介護認定がドンドン厳しくなって介護が受けられなくなるのではないだろうか?とても不安になる。精神的、金銭的負担が増えていく。こんな状況で老人だけだったらどうやって生きていくのだろう・・・地域の民生委員さんもそんなに始終回ってくれる訳でもない。私は実際民生委員さんに会った事すらない。今の状態がこんなでは私達の老後はどうなるのだろう?老人の死が最近ニュースで多く見かけられる。金銭的に不安を感じたり、介護で悩んでいたりがホントに多い。若い頃に誰でも苦労をしてきているのだ。せめて老後だけでもノンビリお金を気にしないで生活が出来る世の中になって欲しい。
2006.08.06
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最近日記をサボリまくり・・・ボンヤリしてる時間の方が多いかも?シロ茄子です。ディサービスでシロの話を母がしているらしくこの写真を1枚頂戴と母が言って来た。最初に撮ったのは目を半目にして変な顔だからと撮ったのがこの写真。太って見えるよね?一応母の事を記録で残さなきゃと思ってるので今日は日記。21日に介護認定の調査が来ました。年に1回あるのだけど調査の内容は少しずつ変わっているみたい。今回は布団を持って来て下さいと言われ布団で寝返りとか起きるとかがどうしてるかと言うのを保健士さんに見せました。私も見る機会が無いけど寝ながら寝返りがうてないみたいだな。腰がほぼ90℃に曲がってれば難しい。布団が一階にあるからいいけどそうじゃない家は大変だよね?風呂とかトイレとかもそこまで行って確認だったし。今までと違ってビックリでしたよ。やはりアリセプトが効いているのか、今が何月何日とか季節とか今まで答える事が出来なかった事が出来た。母の年齢も間違って無かったし。引き算で100-7は出来たけど93-7は出来なかったな。通帳の管理とか自分でしていると思ってるみたいだし。服の着脱が難しいね、上着は曲がった腰に引っ掛かってしまうと着れないしズボンは上まできちんとあげれない事が多い。前より意識はハッキリしているけど身体の動かなくなってるのは年々悪くなってるのは感じるな。母との面談が終わってその後は私と保健士さんだけの話。母の間違いを訂正して日頃困ってる事を文章にして渡しました。認定で介護度がいくつと出るか不安です。24日は私の調子が悪く実家でお昼から少し寝たのだが・・・12時半から15時まで休み、後は起きてショートステイの準備と実家のおかず作りをはじめた。すると母がいつものように足を引きづりながら台所にきて「今日は皆布団も敷かないで寝てしまった」と言う。昼寝だから布団はいつも敷かないでしょと言うと「今は3時だ」と言う。確かに3時だけど15時だし周りも明るいから朝じゃなくって昼だよと言うとまだゴニョゴニョ言う。私も家に帰らなきゃいけないのだから朝の3時にここにいる訳無いからお母さんは寝ぼけてるんだよと言っておいた。まだ不思議そうな顔をしながらまた座椅子に戻り寝ていた。その後で父に「勘違いして朝だと思ってしまった」と母が話していた。父は何を言ってるんだと怒っていたが、勘違いと母自身が判ってるだけ前とは違うから良いのだと言っておいた。今までは母の勘違いではなく私達がいつも悪いと言い続けていたのだから。勘違いと認めるだけ今は状態がいいのだ。寝ぼけるとまだまだおかしな事は言うが今みたいな状況なら母の事を父も私も受け入れる事が出来る。いつまで薬が効果を発揮するか判らないが少しでも長く私達の事を母がわかる時間が続いて欲しいと思う。認知症で先日ちょっと切ない場面を見た。うちの両親は週に3回、夕ご飯の配食サービスをある老人施設にお願いしてあるのでその料金を払いに毎月施設に行く。結構いろんな料理も来るし、温かいものを食べさせてくれるので助かっている。母が使ってる施設とは違う所だ。料金を払い手続きを待っていたのだが・・・とある男性老人が出入口の方にフラフラと歩いてきた。後ろから見守りをしている施設のスタッフの人が「そっちに行ってはダメだよ」と優しく声をかけたのだが。老人は「うるさい!お前はいつもうるさいんだ!」と怒鳴っていた。そして出入り口そばにある椅子に老人が座ったのでスタッフの人は数メートル間を空けて別の椅子で見守りをじっと続ける。スタッフは若い女性だった。私が料金を払ってる間の事だから2、3分だろうと思う。今度は老人が「あなたは何と言う名前ですか?」と穏やかに聞いていた。スタッフの人は「○○と言います、お願いしますね」と答えていた。そのすぐ横を通って帰ったのだが特に険悪な空気はもう無くなっていた。認知症は数分前の事を忘れてしまう事がある。怒っていてもそれも忘れてしまうのだ。怒鳴られた方はそれを覚えている、でも病気なのだからときちんと対応する。とても難しい仕事なのだが、そう言う仕事を若い人が結構しているのだ。どこまで割り切って仕事を出来るか・・・言葉の暴力は結構心に響く。子育て経験のある人は我慢の経験もあるだろう。私みたいに経験の無い人間にはホントに実の親の言葉でも腹が立って仕方なかった。ときどき施設の職員が起こす事故を見ると我慢できなかったんだろうなと思う。難しい職業だけど若い力でうまく発散しながら介護と言う職業に誇りを持って頑張ってほしいなと思う出来事でした。
2006.07.25
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昨日は母のショートステイへの説得の日だったが比較的問題無く行くことを了承したのでホッとした。しかし服を買っても買っても「着ていくものが無い」という母。その時その時で言う事も違うし20年ぐらい前の服を引っ張り出して着ていたりする。穴が空いてるので着せたくないのだが今の売ってる服だと身体にフィットする服が多く母の曲がった腰では突っ張ってしまいうまく着れないのだ。私がいる時は別の服を何とか言いくるめて着せるのだが捨ててしまわない限りあの服は着続けそうな感じだ。「なんでもいい」と母はいつも言うのだが私が選び買った服の大半はタンスのこやしだ。何とか替わりのものを見つけたいがなかなか見つからないので家にある服を着せたりショートに持って行かせたりしている。ディサービスも行ってるみたいだがまだ腰が痛むので向こうでは身体を休めているようだ。でも行ってくれるだけありがたい。昨日は病院やマッサージに連れて行ったりショートの準備で忙しかったが説得しなくて良い分気持ちが楽だ。マッサージも母が少し効いてると言っていたのでまだしばらくは続けてみた方がいいかなと思っている。ホントは私もマッサージをして貰いたいぐらい肩が痛いのだけど、実家に行ってる時間はその時間もなく母を置いてダッシュで用事を済ませて慌てて母を迎えに行く。そんなこんなで実家に行くと万歩計も1万歩を超える。これでも母と会話が成り立つようになっているため身体はつらいが精神的には楽が出来ている。太郎に久しぶりに犬ご飯を作ってあげる事も出来た。心のゆとりは大事だなと思う。今日から母はショートだから父も私も息抜きしなきゃ。
2006.03.21
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何とかディサービスには母が行ってるみたいです。昨日実家に行ったら父がノンビリしてました。明日は明後日からのショートステイの説得。行ってくれるといいんだけどな~。ディに行くと短く感じられるようで「また行くの?」って言うからね。明日は病院とマッサージに連れて行かなきゃね。また忙しいんだろうな。そういえば何か母あてにハガキも来てたからチェックしなきゃ。実家に行くとバタバタ忙しいばかりです。
2006.03.19
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チラチラと雪が降ったりしたけど、こんなきれいな青空も見えました。そしてお花は桜・・・四季桜と大きく分けると言われるものみたいです。春と秋、花をつけてくれるパワフルな桜です。今日は忙しかったけどパッと車を停めて車を降りて携帯でパッと撮りました。母の事でバタバタしてても桜に目が行くうちはまだ余裕があるって事。母の長谷川式の検査結果が15から13点に落ちたけど気にしても仕方が無いので現状を維持を心掛けるというゆとりが自分に少しある感じ。後2週間ぐらいしたら普通の桜も咲きはじめます。その頃もゆっくり桜が見れるくらいゆとりがあるといいな。今日も花粉にまみれながらマスクして移動でした。
2006.03.13
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昨日は説得に苦労したが何とかショートステイに行くと承諾を母から貰った。デイサービスには相変わらず行って無いようで父の機嫌も悪かった。でも母がショートステイに行くと言ったので少しホッとしたようだ。しかしここまで行かないと言い張られて、身体の痛みがとれるまで行かないとなると困る。この痛みの原因は父の去年の暴力のようだ。父親が去年母へのストレスで荒れていて母をつき飛ばした事があり、それが原因で骨がおかしくなったと母は言う。母にしてみればつき飛ばした方が悪いのだろうが、あの時期は私でも殴りたい衝動を何度も抑えたぐらいなので父の気持ちも判らないでは無い。あの時期はめちゃくちゃだったのだから。原因が判ったからと言って痛みが無くなるわけでも無いので、医者ではこれ以上は痛み止めと骨粗しょう症の薬しかでないのでマッサージに行っているが痛みがすぐ取れる訳でも無い。デイも契約なのでたまに休むのはいいのだが、ずっと休むなら他に来たい人を母の枠に入れたいだろう。その辺がどこまで待ってくれるか判らない。母が行かない施設では困るのでケアマネージャーさんの勤め先の施設なので何とか説得もして貰いたい。今までもいろいろ相談にはのってくれているが、母のがんこでなかなか思うようにいかない事もある。同居家族が疲れてしまうのでなんとか身体が痛くてもデイやショートに行ってもいいんだと母に理解させてほしい。せめて週に一度でいいからデイに行ってくれないと父がつぶれてしまう。そう思い帰ってきてから昨日FAXしたら今日返事が夕方返って来た。今日ショートに行った母と話をしてくれたそうだ。身体が痛くてもデイやショートに来てもいいと言ってくれたらしい。ケアマネージャーさんとしてはすぐに対処してもらえるのでありがたい。どちらにしてもショートから帰って来て母がどう言うかだろう。これで母が気兼ねなく行ってくれるようになるのを願うしかない。今日は父も久しぶりにゆっくり出来ているだろう。2泊3日、皆がノンビリ出来るといいなと思っている。
2006.03.07
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先週からちょっと困っている母が身体が痛いと言ってデイサービスを休んでいるのだ。本当に痛いらしく日頃行きたがらない整形外科にまで父に連れていって貰ってる。でも痛いとは言いつつもいつものように歩いて移動も出来ている。家にある杖も全然買ったままで使わないし。デイサービスには行ける程度なのだが行きたがらない。それで先週もケアマネージャーさんに相談して母と話をして貰い次の日は行ったみたいなのだがそれで余計に痛くなったと家にいる。痛み止めも効かないらしく最近は座薬まで貰ってきてやっとそれで痛みが少なくなると言う母。痛いのだからゆっくり家でさせてあげればホントはいいのだが、父の精神状態はデイサービスとかで母が家にいない事で保たれている。だんだんいらついてきている父が判るので母にはデイに行って欲しいのだ。父が怒れば母だって嫌な思いをするし、母自身「監視されてるみたいだ」と父へのグチももらす。それでも家に居たいと言うのだ。でも実際は痛みだけではなくデイに来る女性に不満があるらしい。動けない人や奇声を上げる人もデイには来ている。それをコソコソ嫌な事を言う人がいるらしいのだ。自分が動けないのでデイ内で何も出来ないでいると自分も何か言われるんじゃないかと不安になるらしい。悪口を言う人が悪いのであって、動けない人や奇声を上げる人が悪い訳じゃないから堂々としてればいいと私が言っても「その場にいない人には判らない」と言い張って聞かない。しかし、だんだん年を取るごとに母の腰はひどく曲がってるので身体は動かなくなってしまうだろう。動けない=デイに行かないとなってしまうと将来デイには行かなくなってしまう。それに痛みだっていつなくなるかわからない。1年痛かったら1年行かないと言い張る。治ればまた行くよとも言うのだが・・・いつ行くのかも判らない。アリセプトのおかげで頭はハッキリしてきたのだが、母の一番難しい言い出したら聞かない部分が出てしまった。今までならぼんやりしてる分うまく言って行かせていたがそれも通用しない。少しでも痛みが無くなるようにとマッサージにも昨日連れていってみた。今日は結局デイに行ったのか判らないけどあの調子だと痛みが取れるまで行かないだろう。「父がよくやってくれる」と母が言うようになったのでそれが救いだが父も短気なので我慢の限界がそろそろ来るだろう。母が紙パンツを使い始めたのも文句を言う始末。母自身が紙パンツを使う事を言い出したのだからとても良い事なのだが父には理解出来ないらしい。来週にはショートステイの予定が入っている。今の所ショートステイには不満が無いようなので行ってくれるといいのだが。頭がハッキリして周りが何を言ってるのか聞こえるようになった分母の人を気にする性格が悪い方へ出てしまっている。もう少し母を暖かく見守ることが出来ればいいのだが実家ではなかなか難しい状態だ。暖かい日が増えてくれば痛みも和らいでデイに行ってくれるかな・・・無理はさせたくないのだが何とか早く行けるようになって貰いたい。写真は実家の側の川に住みついてるカモ(?)ちゃん達。白いのはアヒルみたい。近所の人からエサを貰ってるようで時々川原で並んで日向ぼっこしてます。
2006.03.02
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今日の母はヨロヨロだった。母がぐっすり眠れないと先日医者で言ったため、レンドルミンと言う睡眠導入剤が出された。少々強めだと思ったので月曜に一回飲んで、寝過ぎるなら次の日は飲まないよう父にも母にも言っておいた。それなのに今日実家に来たら母はふらふらしながら毛布を押し入れに片付けようとしてるし父は怒っていた。聞いてみると昨日も多少だったらしいが、ディサービスには行ったようだ。でもトイレに寝てる途中でうまく起きれないため間に合わずトイレ内で漏れている。そして一日眠かったらしいのに睡眠導入剤をわざわざ昨夜も飲んで寝て今日は昨日以上にふらふら・・・と言う訳だ。父にも言ったのでいいと思っていたが、一日だけのお試しにしておくべきだった。ふらふらではあるが会話はきちんと出来ているので、明らかに薬の効き過ぎが原因だろう。でも父はそれが腹立たしく私にこんな風にトイレが汚れると見せに来る。もう母は七十後半なのだ、トイレの失敗もあるだろうと私は思うのだが母より七つ年下の父には失敗が許せないらしい。誰だってトイレの失敗がしたい訳ではない。自分だっていつトイレの失敗が始まるかは判らないから母を責めても仕方ない。今回は薬のせいなので母が悪い訳でも無い。トイレに間に合わなくてズボンを下ろしてるうちに出てしまうだけだ。立って服を着替えることも出来ないくらいふらふらなのだから。洗濯機の中はパンツがいっぱいあったので母自身もうまくいかない自分に困っていただろう。父には気遣いが足りなくていつも責めるばかりで、家族は追い詰められた気になってしまうのだ。父は言えば直ると思っているらしいが、年齢的な物には通用しないし言われた方はストレスにしか感じない。父なりには心配してるのだが怒鳴りつけられてではそんな風に思えない。私は子供の頃から運転神経が鈍く好き嫌いも多かった為、怒鳴られ続け嫌な思いばかりだった。こんな父が少しでも怒らないように今はいろいろ考えているが今回の薬は失敗だったから今日からは飲ませない。明日から母はショートステイなので父も落ち着いてくれるだろう。アリセプトを飲むと脳が活性化するので眠りも浅くなるとは聞いたがトイレに途中で起きる習慣のある母には、途中で起きることは仕方のない事だと了解させるべきだろう。睡眠導入剤を飲み慣れないのだから、最初に半錠飲ませて試すべきだったと後悔している。水分を取って早く薬を尿から出したかったがトイレがうまくいかないのでただ眠らせることしか出来なかった。午前中はトイレ以外病院も行かず寝続け、お昼は何とか山菜うどんを食べまた寝ていたが、15時過ぎ頃からまだふらふらすると言いながらも台所にウロウロ来たりしていた。朝は呂律も少々おかしかったが認知症の絡み合わない会話では無かったし午後からは普通の会話ができていた。ズボンを下ろす手間を省くためスカートに履き返させたので、トイレの便座カバーを濡らす以外は漏らさなくなった。トイレに深く座りこめないのでカバーが濡れてしまうのだ。バタバタしたが一応私が帰る時は起きていられたので、明日は大丈夫だろう。明日は眠くなくなってるはずと言って帰ってきた。薬の調節は難しい。明日はトイレの失敗をしないことを祈っている。
2006.02.15
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昨日実家に行ってきた。最近の実家は今までがなんだったんだろう・・・と思うぐらいに穏やかだ。父の怒鳴り声もほとんど聞こえない(たまに怒るが)。11月末に出してもらったアリセプトを飲みはじめてからの母はほとんど認知症になるまえの母に戻ったようだ。昨日は今まで1年以上通っていても言えなかった認知症治療の病院の名前が言えた。するっと「○○クリニックは今度いつ行くの」と言ってた。以前は△△にある病院とか地名(それも場所が間違ってる)でしか言えなかった。来週行くんだよと言ったら「じゃあ来週の月曜ね」と今は月曜に病院に行ってると言う事を覚えているようだ。Aの事を話してるのにBの答えかA’の答えか聞いてない状況だったのに今はAの事でAの答えが返って来る。たったそれだけの事なのだがコミュニケーションが取れるようになるのだ。リンゴをさっき食べたけどむいたら食べる?と聞いてきたりもする。認知症になってからの母は自分1人でリンゴもミカンもむいて1人でこっそり台所で食べていた。今は家族のために何かをする・・・という意識が出てきたようだ。この点はお正月にお茶を持ってきた事で判っていた部分ではあるがやっぱりそれが何度も繰り返されるとうれしい。漢字も私が「飴という漢字が判らなかった」と言うときちんと母は指で書く事が出来ていた。食に台だねと言葉にも出来ている。今までは言葉もすぐに出て来ない部分が非常に多かったから、頭に字が浮かんで言葉にするまで前はかなりかかっていたか、言葉に出来なくて母は諦めていた。薬の飲み忘れも最近は全然無くなった。薬による脳の活性化でここまで戻るとは思わなかった。最初の母は言葉が攻撃的であったため落ち着かせるためにグラマリールを毎夜ご飯後に飲み、寝た後に妄想が多かったのでハロミドールを就寝前に飲むのを一年ぐらい続けた。去年の11月に長谷川式の検査で結果が悪かったのでアリセプトも飲んでみましょうかと言う事になった。私はアリセプトで攻撃的になる人もいると聞いていたので、また攻撃的になったらやめてもらうようにしようと実は警戒していた。父にも母の薬が変わったので攻撃的になるかもしれないと伝えておいた。飲んでみたらお腹の調子は少し一時的にゆるくなったが現在は問題無い。そして少しずつ普通に会話が出来るようになった、多少おかしな時もあるが昼間寝てばかりだったのが起きてる時間も増えた。すべての薬のバランスがちょうど母には合ったのだろう、驚くばかりだ。薬が効いた母の体質にも感謝だ、合わない人もいるのだから。母と普通に会話が出来る事がこれだけ気持ちが楽になるのだと知った。ホントに実家に行くのが苦痛だった。特に愛犬太郎がいなくなってからはホントにつらくどれだけ1人で泣いていただろう。絡み合わない会話、父の怒鳴り声、母の妄想・・・もう実家に行くのをやめてしまいたいと何度も思った。それを思えば今は奇跡の時間を過ごしているように感じる。薬の効果は2年ぐらいとネットでは書いてある。どれだけ続くか判らない時間だけど・・・少しでも穏やかな老後を両親にはおくってほしい。年齢的は衰えは来るだろうが奇跡の時間が少しでも長く続く事を願っている。
2006.02.09
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