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今回の帰省後は、私も兄弟達も、かみさんも、娘も、そして母も早々には戻れないであろうと、合間を見つけては日頃行っていた所に行ってみた。鹿児島中央駅付近の名物「朝市」。とにかく安い。新鮮。安心。揚げたてのさつま揚げを食らう。大体が、おまけアリ。駅ビルのてっぺんには観覧車がある。そこから見る、シンボル櫻島である。噴火して火山灰さえ降らさなければ、見事な山である。青山でもなく、六本木でもない。鹿児島市役所前の通りである。大体、こんな洒落たロケーションにもかかわらず、人も車も「興味ないっす」みたいに少ないのが鹿児島のいいところ。今までは当たり前のように見て、過ごしていた母は、どの風景を見てもやはり寂しそうであった。
2008年01月31日
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久しぶりに鹿児島より帰京する。父の死後、千葉で通夜と告別式を行い、鹿児島にて本葬と偲ぶ会を執り行った。何人来場いただけるのか見当すらつかないところで、周囲の方の協力を得、約300人来て下さり、希望通りに皆が大いに飲んで、騒いで偲んでくださり良い偲ぶ会が出来た思う。親父が帰りたかった鹿児島で、親父が好きだった宴会場で、大好きだった人達と大好きだった芋焼酎で見送ることが出来た。鹿児島の皆様に大いに感謝である。その次の日より、余韻に浸る間もなく引越しの準備だった。母と同居することにした。兄弟で話し合い、母とも話し合い同居を決めた。70近い母にとって50年以上住み慣れた鹿児島を離れるのは大変大きな決心だったに違いない。しばらくすると、神道でいう「50日祭」。まったくもって、しんみりと死に浸る暇もない。私達にとっても、母にとっても「いつまでも、くよくよするな」ということで、与えてくれた段取りだったのだろう。ともかくも、とりあえずは肩の荷が半分下りた。
2008年01月30日
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昨日、父親が亡くなった。カバン一つで、軽い検査のつもりで上京したのが昨年6月。1、2ヶ月の入院で退院できると診断されたのがリンパ腫。さらなる精密検査で発見された肺がん。10月位には退院かと思われていたのだが、軽く肺炎を併発した。これは想定内と、そこまで深刻に思っていなかったのだが、脳梗塞をおこしてしまった。リハビリも行い、車椅子でも良いからと復活を期していたのだが、人工呼吸器で繋がれた体は予想以上に弱くなってしまっていた。幾つも点滴をうち、呼吸器を繋げてと、以前父が最も嫌がっていた状態だった。極度の病院嫌いであった父は、一つ点滴を打ちながら歩いている人を見ると「あんな状態になってまで生きたくはないよなぁ」とその昔私に言っていた。そんな父からすると、きっとつながれた状態は本望じゃなかっただろう。ただ、喋ることが出来ず、朦朧とする意識の中では何も言えなかったろう。しかも、1%の可能性があれば奇跡を信じ、慣れない東京で毎日病院に行っていた母親を見ると、どうしても「今の繋がれた状態は、親父は嫌がっていると思うよ。」とは言えなかった。新年を向かえ、主治医の先生とも話し、可能性のないことを知りいよいよ母親に、遠まわしにでも話すべきかと考えた矢先自分から、「もうよか。」とでも言うように息を引き取った。最期は母、子供、孫に看取られて逝った。鹿児島じゃなくてよかったのだろうか?父は嫌がっていたが、いろんな人に連絡しておいた方が良かったのだろうか?もう少し、親父と話しておけばよかった。いろいろな後悔も頭をよぎる。なにはともあれ、長男としてのお勤めが明日から始まる。ずっと浸ってもいられないものだ。きちんと親父を見送らなくては。
2008年01月06日
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あけましておめでとうございます。旧年中は私のつたないブログ、ご愛読、もしくはスルーいただきましてありがとうございました。本年も変わらず拙いとは思いますが、どうぞお付き合い下さい。皆様にとって良い年でありますようお祈り申し上げます。
2008年01月04日
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