わたしのブログ

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続きですが、



私は台山屯のおじいちゃんが気になり行って見た。お爺さんは喜んで「まぁ、良く来てくれました。この子の病気が悪くなって困った。」と心配していた。病人は割合元気な声で「片山さん、皆元気で居るそうだね。僕はもう言いや。」と覚悟をしているようだ。これが最後の対面だった。近所の満人が良く連絡してくれるとのことであった。私は何を持って言ったか忘れたがその日に避難先の北村一家に行き、このことを知らせた。皆涙ぐんでいた。その時、居まして居る仕事のことを話した。「エエッ、片山さんそんな技術を持っていたの」と驚かれた。「私たち、捕まっているのではないかと心配していたのよ。良かったわ。投下ばかり前に臨検があったので余計心配だったのよ。」「ああ居なくて良かった。」と思った。
 命拾いしたその日は泊まらず、聖徳街のあの奥さんの家に行った。奥さんは喜んでくれたがなんだか元気がない様子である。「体でも悪いのか?」「毎月のことなのよ。あんた泊まっていくでしょう。寒くなってきたから私の膝引き、シャッもね。」女物だけどありがたかった。「老虎難には行かず、満人とラジオをやる。」と話した。「あんた、日本人でも信用できない世の中で、満人なんぞ信用しないで用心しなさい。いつ裏切られるか判らないわよ。」「逃げることにかけては誰にも負けないさ。」と答えておいた。「あんたと待っていくのでしょう。」と聞かれたので「有難う、二、三日、止めてくれんかね。」というと「コタツあるから入りましょう。」コタツがチャント出来ていた。中に入って横になった。大連という所は何事もおおらかなで昔から自由都市である。何とか言った医学博士と有閑マダムとの情話も聖徳街で起きた有名な話である。三日くらい泊まったと思う。帰りに下着も替えピンクのメリヤス、膝引きをくれた。これで寒い冬を快適に過ごした。温かい人情に感謝しながら分かれたが、名前も聞きも聞かれもしなかった。

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