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風に恋して ~自由人への応援歌~
そよ風にのって 2章
6歳の頃、私は、3年間、死と対面する経験をした。祖母の死、おばの新生児の死、祖父の死である。夕方になるとベランダへ出て、祖父や祖母達はどこへ行ってしまったのかと、泣きながら一番星に話しかけていた。その結果、死と闇を恐怖する子供時代を過ごしてきた。昼間は屈託なく遊べるのだが、夜眠ると、底無しの井戸のような闇の中へどんどん落ちていく夢を見続け、眠るのが恐く、いつまでも電気を灯けて起きていたりしたものだ。
答えのでない質問を、自ら創ってしまい、考えると味わうのは恐怖ばかりという日常の中で、中学生の頃、私は夢で幽体離脱をした。その時は、幽体離脱という言葉は知らなかったが、その夢は私を完全に捉えてしまった。死んでいる私の側に父と母がいる。私は天井あたりに浮いていて、「お母ちゃん、お父ちゃん、私はここにいるよ。こっちを見てよ。そこに眠っているのは私じゃないよ。私はここにいるよ。」大声で呼びかけるのだが、両親の耳には届かない。辛く、悲しい夢だった。
高校生になった時、この逃げられない私の心の闇の部分に手を差し伸べてくれたのが、夫となる浜口浩だった。自分の肉体が全くなくなり、私の存在と無縁に、世界が活動し続けることに対する恐怖が、少しずつ消えていったのは、死の恐怖の虜になるより、いつ死んでも、たとえば今日、この瞬間に死んでも悔いのない程、充実した生を生きれば良いのだという考えにたどり着いてからだった。30歳の頃、やっとそのことと生命の循環の必要性に気が付き、私は「生きて、生きて、生き抜きたいです。」という言葉を心に刻み、どんな事に対しても積極的に行動するようになっていった。
夫の死に立ち会い、魂の存在が知識や文字としての観念論ではなく、現実に存在するという具体論として納得できるようになり、(私は夫の霊魂と何度か直接、あるいは間接的に具体的な会話をした。)死に対する恐怖は今や、影も形もなく光の中に溶けていった。
そして今年2月18日、今村興一君との山梨への温泉旅行からの帰途、姉から携帯電話に連絡が入り、父の死を知らされた。その時、悲しみはなく、「ご苦労様でした。やっと自由になれたのね。良かったね。どこへでも好きなところへ、一瞬にして行けるようになれたのね。今まで辛いこと、たくさん耐えてきたんだもの。これからは好きなことをして楽しんでね。」と父の魂に呼びかけた。高速を東京に向かって走っていると、運転をしている興一君が緊張して、「恐いです。右手が思うように動きません。右足も痺れてきました。」と言う。「ごめんね。父が来たのだと思う。父は右半身が麻痺していたから。」「ああ、そうだったんですか。お父さんが来られたんですね。じゃあ少しスピードを落とします。」興一君はブラックホールと呼ばれていて、どこでも、いつでも、さまよう霊体が入ってくる。
以前、やはり高速道路上で、事故現場の横を走っていた時、「あの車のドライバーは死んじゃいましたね。ドライバーが壁に激突する瞬間の状況と、脳裏に焼き付いたスピード感、それに恐怖心が、さっき僕の身体に入ってきました。恐かったですよ。」という事があった。
夜、東京に着き、家で私の帰りを待っている息子、娘に電話をする。「帰るのが少し遅くなるけれど、夜中、呉に向けて車で出発するので、お弁当と、濃いコーヒーを作っておいて欲しい。帰宅後、すぐに出発できるよう、毛布などの準備もしておいて欲しい。」と頼み、私は興一君と近くの居酒屋へ行った。父とゆっくり二人っきりでお酒を飲みたかったのだ。父はとてもお酒が好きだった。娘二人の家族で、父は私を長男のように感じていた。「お前が男だったら…。」というのが父の口癖だった。お酒の好きな父は、身体が弱って、自分では飲めなくなってからも、私が帰ると酒を用意し、いつもは午後7時には床につくのに、その時は、真夜中までも私の側に座り、私が飲むのを嬉しそうに見つめ続けていた。「父さん、一緒に飲みたかったんだよね。今日は一緒に飲もうよ。父さんが、あの動かない冷えきった身体から解放されて、自由になれたんだもの。お祝いをしようよ。」何も言わないでも、興一君は私の心の内を理解して付き合ってくれる。私は日本酒を頼み、興一君はビールを頼む。ビール通の興一君に嫌いな銘柄のビールが差し出されたが、「あれ?おかしいな?美味しいですよ、このビール!ああ、そうか、お父さんが僕の身体に入っているから、お父さんの感性でビールを味わっているのですね。お父さん、喜んでいますよ。」興一君の身体を借りて、私は久しぶりに父と二人で飲み、父に感謝の言葉を伝えた。悲しみはないとは言え、父の肉体の喪失に時折、涙が出る。そんな時、父(興一君)は私の肩を優しく叩き、無言で慰めてくれた。
通夜の席、久しぶりに会う親戚の人達と談笑をしたり、写真を撮ったりしていると、姉の長女(26歳)から叱られた。「おじいちゃんが死んで悲しいのに、何やってるのよ!」私にとって、通夜の写真は父の思い出の集大成となるべき大切な一こまなのだが、死に対する想いが異なっている人に伝える言葉は見つからない。声に出しては言えなかったが、父の遺体に「ご苦労様。そして、おめでとう。やっと卒業できたね。しばらくは思いっきり遊んで、次にもう一度生れてくる時は、もっと楽しい人生にしていこうね。」と語りかける。「俺が死んだら戦友の歌をピアノで弾いて送り出してくれ。」小学生の頃、父と交わした約束である。その約束を、今果たすよ、お父さん。
『ここはお国の何百里、離れて遠き満州に、赤い夕陽に照らされて、友は野ずえの石の下…』
葬儀の間中、ずっと、私は父との約束の歌を繰り返し、繰り返し、心の中で歌い続けていた。
1998.10. 28
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