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『多くの人が「幸せを見つけることが難しい」と感じるのは、自分が幸せになるために何が必要かということについて、時間を取って真剣に考えられていないからです。仕事で行き詰まったり、失敗してイライラしたりすると、多くの人は、その怒りの気持ちや絶望感に浸っているだけで、具体的に何を変える必要があるのか? と自分に問いかけることをしません。ですから、幸せになるために必要なものは何かを考える時間を取ってください。そうすることで、生きるのが楽になるだけではなく、幸せであることで生産性は高まり、熱心に仕事に取り組むことができ、創造力も豊かになります。「Thought Catalog」でKo Im氏は、自分が幸せを感じるパターンを多く見つけるのに役立つ質問を提示しています。いくつかお気に入りを紹介します。何をすれば楽しくなり、心が満たされ、刺激を受けるか? といった自由回答式の問いについて考えることで、あなたが感じる幸せの尺度が明らかになります。しかし、幸せの本当の意味とは一体何なのでしょうか? 満足感や充実感、情熱や喜び、それとも、その組み合わせでしょうか?皆さんにとって意味のあることこそが幸せなのは1つの真理です。幸せにたどりつくためには、自分が幸せを感じ、幸せな状態を生み出してくれる物や行動が何であるかに気づくことです。まずは、上に紹介したような質問を使いながら幸せについてじっくり考える時間を作ることから始めましょう。』How To Find What Makes You Happy|99U (ライフハッカー)まあ、色々な考え方はあるじゃろうが、、拙者は、無能唱元師にこう教わった、、、ヨギつまり、ヨガ行者を指導するヨガの師は、、「幸せになること」について、心の在り方次第だと明確にいう。だから、「幸せになりたい!」と言う人に対しては、「それでは、直ぐに幸せになりなさい!」という。^^幸せになる前に、不幸せとは何かと考えねばならんじゃろう^^不幸とは、「自分の欲しいモノが得られない、、」その状態を言うが、幸せについては、10人いれば、10人幸せの形が違う。幸せになろうと準備しない者に、幸せは訪れないかも、、冷たい水が一杯入っているコップに、暖かい水を灌ぐように、幾らワシがここで口を酸っぱくして言っても、ただ、こぼれてしまうだけじゃ。まず、自分の中にある、「幸せ」とか「不幸」とかいう既成概念を取り払うことから始めにゃ~の~^^赤ん坊のように純粋な心持ちになることじゃ^^昔、中村天風先生の御本で、無能唱元先生に講義をしてもらい何度も勉強させてもらった。(参考文献:「ヨガの里に生きる」 おおいみつる)瞑想しなはれ!瞑想が、第一段階と考えよ!^^そして、本を読んで、また瞑想、、そして、また勉強して、また瞑想、、
2015年04月12日
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無能唱元師は、かく語りき、、『ある人の唱えた成功法則は、大衆のある一部の人々にとっては効き目があるかも知れませんが、他の人々にとっては、全く効き目が無いこともあるのです。この意味では、成功についての秘訣には、「原理」や「法則」の名前を用いるのはふさわしくないのかも知れません。「成功法則」とは、それを用いるその人個人にとってのみのものなのです。その人が、自分にとって、最も良く適合する成功法則を創造した時、その人は成功できるのです。古い仏典の中に、阿頼耶識という言葉が出てきます。このアラヤ識という言葉の意味は、現代語で言えば「貯蔵された意識」というとになります。人間の心の奥底には、記憶をためておく蔵のような場所がある、と言うのです。今日でいう「深層意識」と似ている言葉です。人間が、強い感情的ショックで何かを考えたり、あるいは、あるテーマを繰り返し思い描いたりすると、その思いは、この蔵の中に収められ、そこに貯蔵されると言います。ところで、その貯蔵物には、不思議な潜在的勢力があり、いつの日にか、その思いに因んだ現象が、その人の人生に立ち現れてくるのです。簡単に言えば、「金持ち」を考えていれば、金持ちになるし、「貧乏」を考えていれば、貧乏になるということです。ただし、「考える」には、「望む」もあれば、「恐れる」もあるのです。その両方がアラヤ識に入るのです。そこで、人生の成功はまさに「恐れ」を排し、「望み」を思い描くところにこそ有る、ということになりましょう。』http://www.unkuru.com/syogen/先生が亡くなって、早4年、、あの大震災の前の年の暮れだったらしい。30年前に出会い、様々なことを学んだが、実践はなかなか。まあ、ワシが成功してこそ、恩返しが出来たということじゃが、相も変らぬ、貧乏仙人^^;遺伝子によほど強い、貧乏神が憑いていたのきゃ?><
2014年05月18日
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『「人を見たら泥棒と思え」式に、常に人にはだまされまいと用心怠りなく、警戒心をとがらせている人間に、大きな成功は訪れない。なぜなら、この方法は、たしかに他人からだまされることは少なくなるかも知れないが、それより、自分にツキを運んできてくれる良き人を、自分のもとから他方へ追いやってしまうからである。人は、武装し、身構えた人に対しては、本能的に身がまえ、もう素直に接しようとはしなくなるものである。このように、内に猜疑心が満ちておれば、外面はいかにとりつくろっても、冷めたく暗い雰囲気は自然と外に発散されてくる。心すべきは、このような気分は、ただたんに、物質的成功から、この人を遠ざけるだけではなく、病気、災害を招きよせるもとともなるということである。また、友情、家族愛、異性愛を失うもとともなる。そこで、あらゆる意味での人生における成功をかちとりたいと願うなら、まず、常日頃は、自分をして、ゆったりとリラックスさせて、人に相対することである。おだやかな微笑と、相手の話を傾聴する姿勢は特に効果的である。このように、自己の心身をコントロールするならば、そこには春の陽光を思わせる雰囲気がただようことであろう。こうして、あなたは好感人間になる。そして、ツキ、コネ、カネは、あたかも鉄片が磁石に吸い寄せられるように、この好感人間には集って行くことであろう。ただし、一言注意しておくが、好感人間であるだけでなく、この人は、内に強い願望を秘めていなければ、ツキ、コネ、カネは集ってこないものである。故に、内に強い欲望が燃え、しかも外は穏やかな春の日のごとくふるまうという芸当が、ここに要求されてくるのだ。』
2013年05月19日
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「ザ・シークレット」という世界的ベストセラー本に出てくる言葉で・・・『我々は一つである。我々のすべては、繋がっていて、一つのエネルギーの場、一つの至高なマインド、一つの意識、一つの創造の根源である・・』と言っておる。これの似た言葉を、四半世紀以上前、赤坂の唯心洞で、わが師 無能唱元師の講義から聞いていた。つまり、我々は、巨大な思考体のホンの一部から分離した存在で、死ねばまた、その思考体に吸収される・・そんな存在なのだというのである。(ホントか如何か、ワシは検証したことないから・・・)まあ、当時は、この量子宇宙論をなんとなく聞いておったが、この本でまた見つけようとは思いもしなかった^^まあ、この思考体が、ワシの言うお天道様であり、仏の根源力であり、キリストの主なのであろう。阿弥陀さんやキリストさんたちは、ある意味、代理人なのかもしれん。(失礼!^^;)現代の於いて、魂の存在や、潜在意識の解明など、多くのことが分かってきた。ワシも、もっと勉強せにゃ、置いてかれる><ワシの姓名学は、『姓名の数理とその配列、音、文字自体の持つエネルギーが、トップクオークのように、我々、人間の体の周囲にオーラのようなエネルギーの場を作り、その形、大小、色、歪み等により、人生に様々な影響を及ぼしている』と考える。これが「天然仙人の姓名学の基本理論」じゃ^^あ~、ついに公言してしまった・・・今日の量子力学と量子宇宙論は、ワシの姓名学の発展に大きな影響を及ぼした。ホントに、無能唱元師には、感謝じゃ!^^
2013年05月10日
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『「格好が悪い」とか「体裁が良くない」とかいって、自分のやっている仕事を恥ずる者に幸運の女神は微笑まないものである。「みじめなことはしたくない」という気持ちがある者は、まず、人の上に立つことの出来ない素質を持った者だといってさしつかえない。「私にはプライドがある」「面子というものがある」という人間は、逆に自分自身についての自尊心がないのである。なぜならば、もし、自分に自信があれば、他人の評価などには、傷つかないものだからだ。プライドがあるなどといって、みっともない仕事を避ける者は、逆に世間の人のいうことを常に恐れ、気にしている劣等感の持ち主なのである。有能なリーダーとなれる者は、また、どんな召使いの役割りも平然とやってのけられる者なのだ。現在の段階を厭わず、未来の希望に燃えよ! しかしながら、リーダーたり得る者は、決して召し使いの仕事に安住してしまう者でもない。多くの人々は、現在自分が従事している仕事を嫌々ながら、しかも他の仕事に移れる勇気と能力もないままに、惰性のようにつづけているものである。これは、この世における物質的成功のうんぬんをいう以前に、もうすでに不幸な状態にある人々だといって差しつかえあるまい。現在に何の希望も持たずに働いていることは正に不幸な人生そのものではないだろうか?リーダーたり得る者は、現在の段階を厭う者ではない。しかし同時に、そこからの向上発展の希望に燃えつつある者でもあるのだ。』
2013年04月10日
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『失敗を思わず、ただ成功のみを考えて、楽観的にしていさえすれば良い・・などと、これが成功哲学である、と考えてしまう人がいる。これはとんでもない誤解である。それは未来に対する甘えにしかすぎない。失敗について考えるな、ということではなく、「失敗について恐れるな」といっているのが成功哲学なのだ。あらゆる最悪の事態を想定し、分析し、自己の守備範囲を明確にした上で、腹をすえてそれに取りかかれば、最早、心配する必要はなくなってしまうのである。古語に「遠き慮り無ければ、近き憂いあり」とあるように、未来に対する心こまやかな配慮は常に必要である。そのような配慮をした上で、成功についてのみ、イメージを思い浮かべよと言っているのだ。●個人主義的な信仰 一代で巨富を築いたスーパー成功者には共通した特質が幾つかあるものだが、その一つに「祈りの習慣」がある。実際のところ、彼らにはそれぞれの信仰する神仏があることが多い。たとえば、大黒さまとか観音さま、弁天さまがその代表である。これらの像などを、必ず毎日拝み、祈念するのである。しかし、考えてみれば、この世に信心深い人は多い。また、信心深くても、必ずしも成功者とならないことも事実である。ところが、これらの成功者の信仰と、凡人あるいは失敗者の信仰のそのあり方を比べてみると、そこには大きな違いがあることに気がつくのである。まず第一に、成功者の信仰は、あまり宗教団体に所属して行なわれるものではなく、もっぱら、自分一人の神さまを守り、それを拝むという非常に個人主義的な色彩が濃いという点がある。したがって、彼はその信仰に時間やおカネを消費することが非常に少ない。これに反して、凡人の信仰は宗教団体に所属し、そこで大かれ少なかれ、宗教活動をし、時間とおカネと、そしてこの点が大切であるが「情熱」をそこで使うのである。これはつまり、自分の目的とする成功以外のものへ情熱を費していることになる。そしてその情熱と願いは、時に多額の寄付をもって表現される。勿論、成功者も、宗教団体に寄付はするし、多くの場合、それは巨額なものである。しかし、凡人はまだ成功への道を踏み出さずして、自己資金を寄付に費してしまうのに比べ、成功者のそれは功なりとげさせて頂いたことへのお礼として、喜びと感謝をもってささげられた巨額の寄付なのである。』
2013年03月17日
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『知識のみを重要視する人は大成できない。とかく、知識のあることを誇ったり、また他人の知識のみを尊重し、その知識に頼って自分の方針を決定しようとする人々には、適切な行動がともなわないものだ。大切なことは、その知識にもとづいて起こされる行動である。この行動の意味は二つある。その一は自らの行動である。その二は他人を自分の望む方向への行動に駆りたてることだ。そして、この二つの行動は、最終的には、その人自身による果断な決定によって起こされるものなのである。常に他人の知識に頼り、他人の意見に左右される者に成功の報酬がもたらされることは少ない。行動は断固とした意志決定にもとづけ なぜ、知識重視がまずく、行動重視が必要かというと、それは前者は人心を去らしめるからである。あなたに利益をもたらす人、すなわち協力者は、行動力を持つ人を好むものである。そしてその行動力とは、断固としたその人自身の意志決定によるものである。自分で自分の意志決定のできない者は、常に他人の知識、他人の意見に頼り、それらで物事を決定しようとする。ある時は専門家、ある時は友人、時には自分の妻にまで相談し、迷い抜いた末、やっと意志決定し、しかも自分自身の意見を依然として持てないのである。このような人を尊敬する人々は少ない。そして、その敬意のなさは、人心がこの人から去ることによって証明されるのである。』
2013年03月08日
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大切なのは知識でなく行動だ ●成功への道標知識のみを重要視する人は大成できない。『とかく、知識のあることを誇ったり、また他人の知識のみを尊重し、その知識に頼って自分の方針を決定しようとする人々には、適切な行動がともなわないものだ。大切なことは、その知識にもとづいて起こされる行動である。この行動の意味は二つある。その一は自らの行動である。その二は他人を自分の望む方向への行動に駆りたてることだ。そして、この二つの行動は、最終的には、その人自身による果断な決定によって起こされるものなのである。常に他人の知識に頼り、他人の意見に左右される者に成功の報酬がもたらされることは少ない。行動は断固とした意志決定にもとづけ なぜ、知識重視がまずく、行動重視が必要かというと、それは前者は人心を去らしめるからである。あなたに利益をもたらす人、すなわち協力者は、行動力を持つ人を好むものである。そしてその行動力とは、断固としたその人自身の意志決定によるものである。自分で自分の意志決定のできない者は、常に他人の知識、他人の意見に頼り、それらで物事を決定しようとする。ある時は専門家、ある時は友人、時には自分の妻にまで相談し、迷い抜いた末、やっと意志決定し、しかも自分自身の意見を依然として持てないのである。このような人を尊敬する人々は少ない。そして、その敬意のなさは、人心がこの人から去ることによって証明されるのである。』まあ、どんないい計画を立てても、行動しなければ、やはり、絵に描いた餅であろう。何度か紹介したが、「引き寄せの法則」も基本は行動から・・考えながら行動する、走りながら考える、これが、一番じゃろう^^
2013年03月06日
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『めんめんと自分の不幸を会う人ごとに訴えている人がいる。また、他人の悪口を、辛辣、舌を刺すばかりに並べ立てるくせの人がいる。いずれの場合も、このような話は案外に面白いもので、人はともかく、その話を聞くことを好むものである。なぜなら、それはいうならば一種の「地獄の穴のぞき」だからだ。不要、恨み、怒り、悩みの中にもがいている人々を見るのは楽しい。それは地獄の中にある人々であり、そしてそれらの人を見るのは、自分は優越の地点より、そこを見おろしている安心感があるからである。ところが、ここで用心しなければならぬことがある。それは、それらの人々と話を交しているうちに、自分も知らず知らずの内に、その底なし沼に引きづりこまれて行くことだ。これは一種の催眠術のようでもある。朱に混じわれは赤くなるように、自分はそれに影響されていってしまうのだ。そして、気づいた時は、自分もその落し穴に落っこちて、地獄の人の仲間入りしていることにもなりかねない。総じて、これらの地獄の人は、ツキのない人である。そして、そのツキのなさが、その人をして、不幸や悪口についてばかり話させるようになったのだ。ツキのなさは伝染する。それは会話によってである。陰気な話題は、人を不幸にするパイキンに満ちていると考えて差しつかえない。このような話題、またその話題の主から遠ざかるのは、自分からツキを失わないための第一条件といえよう。』 ・ ・・ 赤坂にあった唯心洞に何年か通って先師の指導を受けたが、あのころが一番楽しかった^^30年以上も前の話じゃが、中には各界のお歴々も先生の講義というか、説法を聞きに来られておった。わしゃ、近くの「青野」の和菓子を買っていき、講義と瞑想が終わった後の談話の会に出してもらったもんじゃ。
2013年03月01日
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『ツキを呼び込むための第一条件は「相手は今なにを考えているか?」という配慮、すなわち代理想像ができるかどうかにかかってくる。自分を相手の立場に置き代えてみる。そして、自分がこのような言動をすれば、相手はどんな感情を抱くだろうか?ということを想像してみるのである。これのできない人間は、この世ではまず成功者たり得ないであろうし、かりに非常な幸運のもとに一時的な成功を収め得たとしても、いずれは他人の裏切りなどによって足元をすくわれ、その成功を失ってしまうのがオチであろう。とはいえ、この代理想像の意味は、決して、他人の顔色ばかりをうかがって、戦戦恐恐としているということではない。また、いかに代理想像力に秀れているからといって、我々は読心術を行なえる魔術師ではないし、またそうなる必要もない。これは、チェスや将棋などの指し方に似ている。指し始めから中盤までは、定跡にかなった指し方をしていることが多いものである。このような間は、あまり思考エネルギーを費やせなくてもよい。そして、何かチラと疑念が湧くような指し方が盤上に現れたら、そこでやや長考し、危険を見出し、それを回避するよう努めねばならないという。要は訓練と習慣であろう。他人との会話中、そのチラは何となく自分に感じられるものである。そしてそのチラは何によらず、一つの危険信号であると考えて差しつかえない。相手が俄かに声高に喋り始めた時、また逆に沈黙し、言葉少くなになった時、視線が他の何かに移り始めた時。このような時、調子にのって自分ばかりが話しつづけていると、それは自分のツキを失い、未来、成功への道を閉ざすことにもなりかねない。』こういう文章を読んでいると、先生はホント感性の鋭い方だったことがわかる。
2013年02月24日
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我拝 無能唱元先生 曰く・・・『インドにある高い山、ヒマラヤの名前の意味をご存知でしょうか?あれはサンスクリット(古いインド語)でヒマ(雪)と、ラヤ(蔵)、つまり「雪の蔵」という意味なのです。このラヤの上にアの字を付けると、蔵に納める、すなわち貯蔵しておくということになり、「アラヤ」とは記憶の貯蔵庫という意味です。 このアラヤ(アラヤ識ともいう)とは、現代の精神分析学でいう深層意識または潜在意識というものと非常に近い意味を持っております。しかし、現代の潜在意識は、主として人間の心の医療的な面だけの問題として取り上げられているのに対し、このアラヤ識は、人間のあらゆる運命がこれによって形づくられている、というのです。このアラヤ識の特性の一つとして、強く思念された考えは、その中に貯えられ、熟成し、やがて未来に実現してくる、ということがあります。では、ここで、その実例の一つをご紹介しましょう。 S子さんは、アメリカ在住が長かったので英語の堪能なキャリア・ウーマンです。彼女は私に、スポーツカーを長い間欲しがっているのだが、アラヤ識を使って、それを手に入れることは出来ないものか、と尋ねたのです。「スポーツカーといっても、いろいろありますが、どんな車が欲しいのか、まずその車種をきめなければなりません」と私はいいました。「日産の○○が欲しいのです」とS子さんはいいました。そこで私は、「そうですか。では、あなたはまず、その○○のカタログをすぐさま手に入れなさい。そして、その車のグラビアを毎日毎日眺め続けなさい。また、自分の好きな車の色をきめることも必要です。こうして、目をつぶればそのあなたの○○が、ありありとイメージとして心の中に見えてくるようにしなければなりません。その上に、もし出来たら、その○○に試乗してみることです。そして、そのハンドルの手ざわり、アクセルやブレーキの踏み具合を身体で覚え、それを記憶するのです。そして、瞑想に入り、うっとりとした気分になってきたところで、その○○のイメージを思い浮かべ、実際にそれを運転しているように空想します。これを、何回も繰り返していると、やがて、本当に、その車に乗っているような気分になってきます。このような現実感がイメージの上に加わってきた時、その思念は確実に、あなたのアラヤ識に送り込まれているのです。こうしていれば、やがてあなたは○○を手に入れることになるでしょう」といいました。 その日から一ヶ月もしない内に、私はS子さんから、○○が手に入ったとの報告を受けました。彼女はそれまで二年以上も、○○を欲しがっていました。ところが突然、彼女の友人の男性が会社命令でアメリカに転勤することになり、彼の所有していた○○を、S子さんにほとんど捨て値同然で譲ってくれたのです。しかし、この場合、アラヤ識に思念を送り始めるという行は、一ヶ月前の私のアドバイスの時より二年前から行なわれていたことに注目してください。つまり、アラヤの中で二年という願望の熟成期間があったのです。ただ一ヶ月前からのそれは、非常に効率の良い方法を用いたので、一気にその願いが完成したという訳です。このように、潜在意識アラヤには確かに、その人の願ったことを実現しようとする働きがあります。しかし、そのためには大切な欠くべからざる条件がまず二つあるのです。それは、一、繰り返し考えること。 二、できるだけ細部まで、絵のように心に思い描くこと。この二つの思考法を続けることによってのみ、アラヤ識は、その望みを受け入れてくれるのです。このアラヤ識は、たとえ頭脳の普通意識の方が眠っている時でも働き続けています。というより、あなたが誕生した瞬間より、その肉体が死ぬ日まで一瞬たりとも休むことなく活躍し続けているのです。眼、耳、口などの五官を備えさせ、手足を生やし、人間という形態を創造し、かつそれを活動せしめている根元力こそ、このアラヤ識なのです。このように、アラヤ識は、人間という個体を生じさせ、また活動させる機能を有しているのですが、その上に、特に注目せざるを得ないことは、「アラヤ識には、その人が願っていることを実現しようという働きがある」という点です。このアラヤ識の機能を意識的にしろ、また無意識の内にしろ、上手に用いた人だけが、この世の中の成功者たり得るのだ、と私は思うのです。』このように、先生は語っておられた。
2013年02月21日
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そうじゃの~、ワシが無能先生の唯心円成会の門をたたいたのは、1985年、この会が出来て直ぐぐらいの時じゃった。わしも、前の会社を追われるように退社した時期で、人生の岐路に立っておった時期じゃった。きっかけは、先生の本「無能唱元説話集(1)アラヤ識とは何か」のこのシリーズを読んでから・・もう、目からウロコが何枚も剥げ落ちる衝撃を受けた^^;すぐ、入会の手続きをして、赤坂のマンションの一階にある小さな部屋(5M四方の大きさ)に通い始めた。先生を上座に、車座に会員たちが座ふ(座禅用の座布団)に胡坐をかいて座り、先生の講義をきく・・。10人も座れば、一杯になってしまう部屋じゃったが、不思議と全員は入れないということはなかった。講義の内容は、唯識学からオ~ラの話まで多岐にわたった。ワシが苦手じゃったのは、腕に千枚通しを刺して突き通す訓練のものじゃった。脳内のαエンドルフィンを突き刺す腕に集めて、痛点を麻痺させそこに千枚通しを刺しぬくもの。女性陣は、結構ツワモノがおって、平気でやっておった。また、手から出るオ~ラや気の力で、ものを動かす訓練・・わしゃ、全然、気をコントロールできず、先生に手取り足取りで教わった覚えがある。じゃから、ワシは出来の悪い末弟子みたいなもので、時折、先生からお叱りを受けておった^^;講義が終わると、マントラを唱えて、宇宙の気を取り入れる訓練をして、最後に瞑想・・・瞑想が終わり、その日の講義が終わると、お茶を振舞ってくれ、お茶菓子も出してもらって座談会に。お茶菓子は、会員の持ち寄り。わしもよく近所にあった「青野」で和菓子を買って、持って行っておった。しかし、ワシが通っておった時の仲間の会員たちは、社長や女将や金持ちのお姉さんや裕福な方ばっかじゃった。貧乏じゃったのは、先生とワシぐらいなもの・・わしゃ、今でも貧乏じゃが・・・きゃはっ!
2012年03月05日
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