ラッキィセブンティライフ

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役の行者


役の行者

役の小角像

金峰山寺蔵王堂「役の小角」像役小角(えんのおづの、おづぬ、しょうかく)、他に役優婆塞(えんのうばそく)と呼ばれる。 「優婆塞」は寺に入らず仏道を修行する男子の呼称。

『源平盛衰記』などによれば本名は賀茂役君小角(かものえのきみおづの)で、一応神道の名家賀茂一族の分家にあたる。(ただし父親の名字は高賀茂とも伝わる) 奈良時代に葛城山の麓に生まれ、古代から続く山岳信仰の一部を引き継ぎつつ、仏教とその一流派である大乗仏教を加えて、修験道と密教の基を興した。 一説には634年に生まれたとされているが、伝説の色が濃く、やや信頼性が薄い。霊峰葛木山の神官加茂家に生誕する。幼少よりその天才的な才能を発揮し、若くして山岳修行に入る。神の導きで飛鳥元興寺の高僧より「孔雀明王経」の教えを受け、その後密教の奥義を修めること30年、不思議の術を顕す超人として人々の前に姿を見せる。

 小角は「鬼神を使役し、様々な奇跡をなした」とされ、前鬼後鬼2体の鬼神(護法)を従えた姿で表される。様々な厄を一切除き、天候すら操る小角は畏敬され、彼のまわりに宗教団体が形成されていく。それが修験道の母体組織となる。『コンサイス人名辞典』より

吉野、金峰山で行者が籠もり、迷える衆生を救う神々を顕現するため祈った所、最初にまずお釈迦様、次に千手観音、次に弥勒菩薩が顕れましが、もっと強い神を望みますと忿怒形の蔵王権現が顕れました。そこでそのお姿を行者自ら桜の木の彫ったという伝説があります。金剛蔵王菩薩ともいいます。「役行者絵巻」

金峰山蔵王堂の節分会は「福は内、鬼も内」と唱え、全国から追い払われた鬼を救い、仏門に帰依させる行事だそうです。その昔。役の行者に従って山に入った前鬼・後鬼が山に残って今もその子孫と称する人々が住んでいるそうです。
投げ入れ堂図
三徳山の岩崖に建てられているお堂が「投入堂」です。この投入堂は、ふもとで組み立てたお堂を役行者が、法力で投げ入れて造ったという伝承があります。

 断崖絶壁に建つ、その奇跡のような建造物はとても人間技には見えず、人工衛星飛び交う現在でも、役行者伝説が今なお語られ続けています。

 投入れ堂が出来たのは慶雲3年(706)と言われます。
 役小角の生涯は634年から701年と言われます。



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