TESTAMENTO

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2021.08.30
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カテゴリ: 考えたこと
デルタ株の蔓延による感染確認者の急増で、日本の医療体制は機能不全になっている…のだろうか。
 救急医療を当てにできず、自分の命は自分で守れ…という。

 現場では常にトリアージによる治療選択の優先順位決定を迫られている…という。
 通常であれば入院加療で対応できる疾病障害であっても、受け入れ段階から既に選別を余儀なくされる状況にあるという。
 救える命が救えない…という言葉が聞こえてくる。

 災害治療現場での優先順位の決定に使われてきた「トリアージ」が、日常生活の中で当たり前のように行われている。
一定の基準・条件に従って、命の選択を余儀なくされる。
個々の命をふるいにかけて、非情な選択をしなければならない。
それは感染症パンデミック時だから仕方ないことだとされる。



 ワクチン接種による感染予防策でも予約困難ということでストレスが高まり、収入源を絶たれて生活の目途が立たず、居場所もなくなるとなれば、どこでどう生きればいいというのだろうか。

 社会システムは、それでも並行して過去の日常を継続しようとする。
 生活コストの高い先進国では、「日常」を継続して行くことは、一度「居場所」を失った者には厳しい世界であると…いえるかもしれない。

 すねてみても恨んでみても仕方ないことだろうが、衣食住の生活の基本を得られるチャンスを求めることができる社会システムを想定して行かなければならないだろう。
 多様性を認める社会、弱者に手を差し伸べられる社会、…スローガンは多々掲げられているが、本当にこの非常事態に対応できているだろうか。

 医療体制での非情事態が既に生じているが、これが社会全体での非情事態に繋がらないことを願いつつ注視して行きたい。





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最終更新日  2021.08.30 11:42:23
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