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逆境は回答を教えてくれる、そしてその回答が見つかれば問題がやむ、このことをお伝えしましたが、疑問をお持ちの方もおられるようですからお答えします。一つ例を挙げましょうね。仕事場で、悪口を言われている、としましょうか。自分としては、悪口を言わないように、すごく努力をしていたり頑張っているつもりなんだけど、どうして悪口を言われるんだろう。悪口を言い合うんだろう、こんな会社嫌だ!という気持ちがあるとします。これから書くことは、1例ですから、皆さんがそうだ、とは思わないでください。というのは、その人が信じ込んでいる事柄は、人それぞれ、まったくオリジナルなものです。その信じ込んでいる事柄を変えていくと状況が変わります。ただ、それをわかりやすくすべく、一つよくある例を挙げてみます。例えば、悪口を言われる、そして何とかしようと頑張っていて、でも言われるというような状況の場合、悪口は大変に辛いのですがその方が、過去の傷からとても辛いと感じるということが問題になってきます。この辛いと感じることを癒すわけですが、それができると状況が変わりますから、これが対面で行っていることになります。A子さんは、「うちの会社、悪口が多くて」(この人はものすごく辛くて、そして、悪口と捕らえやすいとします)あの人って、もう、しょうがないよね、というふうに聞いてしまうと、それも傷ついてしまうので、悪口と思って友人に相談をしています。)友人、B子さんは、「それは大変だよね。嫌だよね、悪口って。」(彼女は違う感性を持っていて、悪口は良い訳がないと思っていますし、彼女の話も心から同意をしています。しかし、「ねえ、あの人、コピー遅くない?」というのを聞いただけだと、「あ、そっか、ま、そういえばそうだったなあ」くらいにしか思わない人ですから、上の彼女とは違う感覚を持っています。というのは、自分が悪口を言われていると信じ込んでいないためです。)という二人が話をしています。とすると、二人は、同じように、「悪口って、嫌だよねえ」という話をしていますが、上のお嬢さんは、「そうだよね。この友人もそう思うんだ。やっぱり、悪口って言われたら、自分が傷つくし(そして潜在意識では、悪口を言われたら自分がだめだといわれるだろうし、自分はやっぱりだめだと言われるだろうと予想をしている)ので、B子さんに同意をされたから、人は皆同じだと思っています。そして、やっぱりこの状況はこういうふうに辛いんだと考えています。それが彼女自身の感性だからです。すると、会社で、「今日さあ、あの人、花瓶、割っちゃって」とで言う言葉にさえ、反応をします。ましてや、それが笑いながら言ったようなことであろうものならもう自分が守れない感覚になりきって、体中が硬くなります。そしてまた、悪口を言い合っている辛い会社、というイメージを持ちながら会社にうつうつとしています。しかし下のお嬢さんは、ときどきむっとすることもあるけれど、まあ、人は人、自分は自分と思っていますし人が自分を好きでいてくれることも信じられるし人は、そういう風に言っちゃっても忘れることもなんとなく信じているので「花瓶、あの人割っちゃったんだよ」って聞いても、その人が、よしんば、ほほえんでいたとしても、「あら、それは気の毒に」と言うふうに自然に反応をしたりして自然に回答していきます。体が硬くならないので「ふーん、それは気の毒だねえ」とか、「え、あの花瓶、もったいないよねえ」とか、反応はそれぞれでしょうが悪口と思っていなかったり、自分が言われると思っていなかったりということで、さまざまなことを聞いても反応をしません。つまり、同じ状況で話をしていても、その二人の感受性は全然違っています。同じ事柄がたとえ起きても、辛い、と感じない人もいて、「あいつってうざいよねえ~」と言ったりあるいは「悪口言われちゃったしょんぼり」とは言っても仕事は仕事として集中できます。これは、悪口を言われることと自分の価値が切り離されていて、そのことばかり見ていないという特徴があります。そうすると、気にしていないからその出来事が一個で終わるのですが、家族で悪口を言い合っていたなど辛い状況を体験されていたり、悪口を言われることがものすごく怖いことだ、と感じていたら、「この人もこんなことしている。苦しい、どうしよう明日どうしよう?また言われるんだ」と考えてしまいますし予測をしているのでそのことをピックアップして拾っていきます。家族が意地悪であったら、すべての人が意地悪であると想像をするわけですし。何か仕事上でにらまれただけでも「ああどうしよう嫌われている」と感じてしまい仕事自体が相手の求めていることと違ったりして悪循環になりますから、ほらね、また悪口言われて大変なことになっちゃった」という信じ込みを感情、恐怖心から切り離して、新しい、この、「悪口を言われた」ということが、本当はたいしたことはないんだよ、知覚にしていくと、問題自体が本当に消えていくと言うことがよくあります。ということが、問題は、何かを教えてくれている、ということです。つまり、本当は、「自分はこんなに頑張っていてこんなにこうだけれど、こうだ」と思い込んでいる裏側には相手を理解できなかったり、相手を受け入れていなかったり、何か怖かったり、言うことがあるのです。何か自分が信じているから、相手もそう振舞う、みたいなことや、何かここはほっておいていいところなのに、自分が傷ついてほっておけないために問題になっている、など自分が何を信じていて、どう自分を評価できずに何をクリアーにしたらこの問題が終わるのかと言う課題が必ずあります。そしてまた、それは誰でも一緒だと思っていますがA子さん、B子さんのように、人それぞれ個別のものです。この問題はすべての人にあり、それぞれの人が自分が見えない窓を持っています。その窓を見れれば問題が解決していくと言う感じでしょうか。上記で言えば、悪口を言われて自分も言われるだろう、という思い込み、それは、両親から受け入れられていなかったりあるいは安心だと感じられていないので、安心感をもてれば、「悪口を言われている、。辛い辛い」という気持ちそのものが変わって行きますから、そうすると、さまざま、変わって行きます。その気もちがあると、どうしても回答が見えないことがあり、相手になんとかしようとこびていますが、自然な対応ではないので相手も構えるなどが出てきます。上記はほんの一例です。ですから上を当てはめるとややこしくなりますが人によっては、問題があると戦っちゃうパターンを持つ方も嫌っちゃったり離れたり見捨てられると感じて相手からはなれて見捨てたりそれぞれパターンがあるのですが、いずれにしろ何か一つのパターンで反応をしながら、違う行動をしているようでも同じことを繰り返しているので、そろそろそれを改善する時期、ということです。その課題が見えれば、本当は気にしなくていいことも気になっていて本当は相手が自分と違うことは、自分を受け入れないことや怒ることでもなくて、違いとして知った上で対処ができるようになります。それができないのは、今現在、何か「こういう相手は自分をこう扱うのよ!!!」という信じきっていることがあるので、そういう現状がおきやすくなっているということが多いです。まあ、そのほかにも課題はそれぞれ、ですが。皆さんの課題を見出してみてください。課題は「そろそろ、気づくべえよ。本来のあなたに戻って力をだしておくんなまし」という、あなたの本質からの、声です。本質ってすらばしいのですよ。答えを知っています。皆さんの辛いお気持ちは、左脳のある場所に保存をされていますがしかし本質は答えを知っています。自分が受け入れられていない、と感じていても対面でその方自身でその相手と話をしていくようなセッションをすると、「あれ、あの人、こんなふうに感じていたんだ~」とはっと気がついて相手への行動が変わることもよくあります。そのときにはご本人も感動をされることも多いです。「あの人は自分を嫌っているからこんなふうに振舞うのよ」という、恐怖心で決め付けているファイルとは別に、そして本当の本質は、「この人は本当はおびえていてこう感じていてこういう個性を持っていたから、それで辛く当たっているんだよね」というふうにちゃんと見抜けているからなのですが、その方が答えを見出せるとき、それはそれは感動をします。人は本当に素晴らしいものだと思います。
2007.01.28
母性本能は、とても不思議な、そして高貴な感情だと思います。実は、恥ずかしながら、私は子供が嫌いでした。かわいいとは思うけど、それに子供に教えごとをしていたのもあって、結構人気があったりもして。でも、めんどくさい、というか、心からの愛情は湧きにくい感じでしたね。けれど、まぁ~おなかの中でもぞもぞはじめたときから子供嫌いはいっぺんに吹き飛びました。今は、自分より大きな高校生の娘に、くっつきたい私とクールなAB型の娘の葛藤で、「ねえ、ちょっと寄らせてよ~もぞもぞ」と近寄る私と、「半径30センチ以上寄らないでよ。しっし」と言う娘のバトルが繰り返されております。でも、そんな娘が頼りにしてくれるのがうれしかったり。寂しいことながら、上娘、真ん中息子はお年頃につき、チューをしてくれるのは、下の息子だけになりました。これは、あるまじき、由々しき、天野家の一大事になっています。「外国ではキスするんだぞ」と言えば「ここは外国ではな~ぁぁい」と拒絶され「かあちゃんが生んだんだから、かーちゃんがどうしようが自由じゃないかぁ~。ちょっとぐらいチューさせてよ」とスケベ親父のように言えば、「生まれてきても所有物じゃな~い」ときょひられ、いやはや、悲しい現状です。そして同時に、彼らのそういった成長がうれしくもあります。さて、今回は、愛情は素晴らしい力を持ちますが、しかしそれとよく似た例の、恋愛で問題を起こす、あやつ、依存について書きます。一見、母性本能のように見えるけど、問題を起こす気持ちです。依存と言うのは、よっかかりたい、という例の気持ちです。ハンサムな(あるいは自分が価値を感じられる)素敵な青年と出会い、そして、恋愛をしました。ここまではオーケー、よきかな。です。けれども、そのハンサムな、青年が問題青年だったら皆さんはどうしますか?問題がある人と離れる時間は、そのまま、恋愛でその人がどのくらい依存をしているか、に関わっています。それから、自分自身を信じられる気持ちともおおきく関わります。例えば、彼が、暴力を振るう、あるいは、切れやすい、とか。何か不安が強すぎる、そのため恋愛になると大変やっかいだ。などなど。どう考えても、一緒に暮らしたら大変なことになるぞとわかるんだけれど、「絶対に愛してくれたら治るはず。結婚をすればオーケーになるはず」とか、考えてずるずると。。。。。そして、それよりも、人の気持ちは不思議なもので、動きやすい気持ちは、「彼は、本当は私を愛してくれていて、そして本当は幸せになりたいの。けれども、親子の問題や他の事柄で、そうできない。だから、きっとこの問題が癒えたら、仕事中毒も治ってそしてうまくいくはず」とお医者さんになってしまいたくなる、誘惑です。一見正しいように見えるこの気持ちは、実際には「愛されているはず」「本当は、私を愛してくれていてうまくいくんだけど、でも、かわいそうな彼はさまざまな問題があって、今、こういう心境だからこうで、こうで、ああで、、、、」とこだわってしまうので、問題そのものが見えなくなります。そうしたいのは、彼、なんです。そこはどんなに認めたくなくても、わかってあげる必要はあります。ずっと問題がある人とかかわり、ずっとその人の心境を知りたいと願いずっと、その問題を解決しようとしていて、ずっとその人は自分をもっと大切に(仕事中毒をやめて、こうしてこうしてこうなって、、、、)してくれるはずなんだけどできない事情がある。私は愛されているんだけど、そして当然そういうふうになるはずなんだけど。かわいそうな彼みたいな心境になります。ねえ、皆さん、人を愛するって、どういうことだろうねえ?本当は、その人が、その人であることを認められることです。残念ながら、その人が、何らかの理由で、切れやすいとか、暴力を振るうとか、人を大切にできないとか、そういうことがあれば、「彼は優しいところもあるし、だから、本当は優しくしたいのに、できない。この問題さえなくなれば、、、、この問題、この問題を解決して、、、、」というふうに逃げ回らないことです。皆さんにはどんなに受け入れがたいことでも、その彼にとって、そうしていることは、ある意味、彼自身が、選んでいるのです。どんなに泣こうが、「ごめん。本当は暴力を振るいたくないんだ」なんて涙を流そうが、どこかで、その自分を変えたくない心理は働いているのです。そうやって生きてきた自分自身でいるほうが先に進むよりも、いいと、どこかで思っているからこそ、彼はそこから出ずにいます。だから、その彼を愛する、ということは、ひょっとしたら「愛しているから問題を乗り越えるほうが幸せなんだ。私のために乗り越えて二人で一緒に歩めることこそ幸せなんだ」という逃げ回る姿勢や傲慢に自分の欲求に従わせてしまうことではなく、時期がきたら、今の彼が変われないことを受け入れてそして、考えていくことかもしれないのです。治そう、治してあげよう、という縁ができるとき、それに彼も寄りかかりますが、決して彼自身が代わろうとはしないので、そのまま、変な感じで進みます。彼の問題を見ないで、結婚をされると、結婚後悲惨な状況になることもよくありますし、そもそもあまり問題がある彼であれば、双方がぼろぼろになってから別れて行く、ということが多いように思います。見捨てないのは、実際には見捨てないのではなく、彼といることで、自分の価値を高めようとしていたり、どこかで現実を見ないままに、「愛されているから、大丈夫だ愛されているから、この問題は彼だって解決したがっている」と何か目を背けていることもあるのかもしれません。カウンセリングだってそうだもんね~。もし、相手に入れ込んでしまって、「おお、かわいそう明日も連絡するね。その次の日も連絡するね。それで絶対に支えるからね」というふうに、本人の問題ではなく私が解決しようとしていったら相手は自分で治る力を失ってしまいます。その方自身が立ち直る力を出せるときに前に進めるその一個を少し。そして少し。一緒に歩むから彼らが力を出すこともあるのであって彼らが選んでいることを尊重し、今の現状を分かった上で無理をせずに歩むから、変わっていくこともあるのであってその人を引きずり出して、「自分がよいと思っている改善がこうだから、こう改善をさせるのが彼らにとって幸せなのよ!」というのはちょっと違うかもしれませんし、自分の我が出ているとも言えるかもしれません。ま、完璧に私ができているかどうかは別として、ここは気がついたら変われるかもしれない、ということについてはきつく言うこともありますが、目指すところはそこであるはずです。話を戻すとね。だから、彼だって、今の彼であることを受け入れて、「いいえ、私と幸せになるのが幸せなのよ!」という意識は少し捨てて距離をとってあげることも、大切なことだってあるのです。私は多くの女性が依存をすることも見てきましたしそしてそういった女性が、本当に自分の心に触れて癒せるときに、状況が変わることも多々見てきました。それは、彼を離れていくことが回答であることもあるし問題によっては、今までの改善の方法が違っていてそれに気がつくことで、二人で歩んでいくこともあるでしょう。依存については、利益があることですから、なかなか苦しくてもそれをやめたくないこともあるかもしれません。でも本当に皆さんは幸せになりたいのでしょうか?それをしているのは一見彼のために見えても、自分のためにしているとしたら、なかなか状況は変わらないこともでてくるでしょう。それとも、今は、そういった彼ととことん、やりあって諦めがつくまで、一緒にいたいですか?それが今大切なことでしょうか?どちらを選ぶにしても、私はいいと思います。すべてのことは、真の愛情を学ぶために皆さんにとって今大切なことだと思うからです。しかし、この問題を彼が解決すれば、と考えていて彼のために見捨てない、でも彼が変わらない、というときには何か見落としていることがあるはずです。彼は、女性を愛せても、皆さんが望んでいるようにではないかもしれません。それだって、彼の愛情かもしれませんし、あるいはあまりに、彼のほうも未成熟で、人と一緒にいられなかったり二人の求めている事柄が違いすぎていて、それを謙虚に見つめなければならない時期かもしれません。それか、自分が何かにこだわりすぎていて、本当はそれにこだわらなければ、一緒に楽しくいられる方々もおられるでしょう。答えは皆さんが持っています。必ず。静かな心の答えに従ってください。その答えは本来、間違いがないものだからです。====================================
2007.01.27
皆さんの中で、ジョセフ マーフィーという方が書かれた本を読まれた方々も、多くいることでしょう。少し理解を深めるために言うと、その人が出会う現実は実際には自分自身が生み出している、という考え方です。そしてこういった思想は、より研究されるようになり、近年では、多くの方々に受け入れられるようになってきました。さて、嫉妬について、お伝えをするのは、嫉妬は、実際には何も起きていないのだけれども奪われてしまう、という錯覚から起きている、ということをお伝えするためです。つまり、自分の思いね。それが生み出しているの。例えば、同業者で成功をしている人を見たら、とても我慢ができず、許せなかった、特に自分が使っていない方法を使っていて、とても不満になり、インターネットに悪口を書き込んだ。こうであれば、問題は相手の方ではなく自分自身にあることも、外から見ていると、わかるかもしれません。でも、本人は「奪われた」と思っているのね。自分の何かが。同業者で成功をしていて、自分が思いつかなかった方法を使ったとしても、自分はその方法では成功はしないはずです。というのは、嫉妬をしているとき、というのは「自分はどうせ奪われる、どうせ、一番のものは手に入らない」という視点で物を見ているからです。そうですね、ガラス細工を売るとしましょうか。その人は、一生懸命に仕事をしている(つもりだけどどこかで、成功をしないし奪われると信じている)と、新しい視点は目が行きません。それにすぐに誰かに邪魔をされる感覚があって、誰かが嫌な顔をしただけでそこから引きます。そしてまた、こういう状況じゃなあと心の中にこもるというパターンを繰り返します。でも、同じガラス屋の親方からガラスの作り方を習っているもう一人は、何か売れないかなぁ~なんて考えています。あるときは赤を多く出してみたり、あるときは青を多く出してみたり、青いガラスの中に小さな赤をまぶしてみたり、いろいろ試してみるはずです。売りたいなあ~って自然に考えているし、奪われるって思っていないから。そうやって作っていたら、自分が大好きな色を基調にしようとかふと思ったりして。そして作った小さな黄色の中に赤を入れたものがとても売れてしまって。でも、片方の人はその商品を見て、こう思います。「こんなの、俺だってできる!」とね。そう思います。本気で思います。奪われた、と思っているので、彼がそこにいたる経緯はわからないけど、とにかく悔しいのです。それで、悪口を言い始めたり、その同業者は売ろうと思ってさまざまな人に声をかけていたので、「コネを使えば簡単だよ。俺にはコネがないからね」と言います。実際にはこの人は動いていないんですよ。動いていてもすぐに相手が嫌な顔をしたら(赤とか青とか試す段階で)どこかで、奪われるし自分は一番にはなれないと考えている事柄を実現させていきます。それに面白いのはこの方は、本当は何か作りたいのではなく常に奪われたというものばかりに目を向ける点です。彼が成功をしても、実際には何も奪われていないのですが奪われている感覚に襲われて、そして、また奪われたものに目がいきます。実際に作ろうと思うのではなくてね。でね、皆さん。ここから恋愛のお話になりますが恋愛での嫉妬も実際には、「自分が愛されないんだろうなあ」という心の中での信じていることがあって、それにぴったりとはまってしまうとぐさっと来てしまうのです。ここまで、嫉妬をしたり、許せないといわなくてもいいのに。と他人は思います。でも当人にしたら苦しいし許せないしあるいは、嫉妬で、相手をぎたぎたにしたい感じ。が、あるとしたらね。それは、「自分はどうせ一番ではないから」というとても切実な何かに何かの出来事がヒットしてしまったからです。どうして、こんなことを言うか、というと、対面のカウンセリングで体験をされた方がおられたらわかると思うのですが、実際には、自分のその誤った知覚を取り去ると、「あれー、全然嫉妬なんてしなくていいんだぁ」とすぐに気軽に思える方もいるからです。どうせ自分はこれは一番ではなくて奪われているという感覚が、感覚知覚からきていて、でも本当は何もおきていないんだよ~と癒してあげるのです。事実ですから、私にとっては、その方の思いを本当に癒せたときには何かが変わるだろうということは信じています。知覚の違いについて言えば、例えば、先日、研ナオコさんが、「おとうちゃんもてるよ~。でも全然気にならない。だって、私と子供を大切にしてくれているから。これだけで十分じゃない?」ということを言われていて、しかし、一方では、「相手が浮気をするんじゃないか。怖い、怖い、全部チェックしないと」というふうにしていて関係を壊す人もいます。このお二人は、何が違うか、というと、片方の方は、「自分はきっと尊重をされないし裏切られるかもしれない。そんなことは起こしてはいけない」という自分はやっぱり大切にされていないよね。という思いがあるんです。でも、ナオコさんのほうは、現実に夫が大切にしてくれているからそれで愛情はわかっているんだからいいんじゃないか、という感覚を持っている違いになります。誤解しないでね。別に、浮気を許せ、とか放任がいいといっているのではなくその人の知覚、感じ方の違いで、現実の見方まで違ってしまう、という例にお話をしています。ガッツ石松さんも、テレビで、「かあちゃんがさあ浮気でも何でもしろ、でも素人はだめよ。って言うんだよねえ。ボクサーだからもててさあ」なんていっていましたがそれじゃあ、浮気をしたの?と聞かれると「いや、しねー。そんなふうにしろしろ、って言われるとする気がなくなっちゃうんだよね」とおっしゃっていましたがこれは、そういうことになります。自分が信じている現実、相手が浮気をするだろうな、そんなこと許せるか、だって私は一番にはなれないんだから、これをかえると振る舞いが変わり、振る舞いが変わると相手が変わるだから現実も変わるということは現にあるのです。このおかちゃんのやり方がよいかどうかは別として別に浮気をするな、って言ってもいいんですよ。だけど大切なのは、自分が安心をしているかどうか、自分が何を信じているか、ということになります。近日、このような書き込みをしたところ、「でもさあ、嫉妬ってしちゃわない?」と書かれた方々もおられました。私も、十分に承知をしています。そういうときって、不安で不安で仕方がないですよね?嫉妬がいけないと知っていても時として関係を壊すと知っていても、やめられないとまらない。けれども、大切なことは、完全にできることではなく以上の知識を少しでももって、ああそういうこともあるかなーと感じながら彼との接し方を考えていくことです。失敗も人間ありますし、感情に引きずられることもあります。そういう中で学んでいけばいいです。っていうのは上記を知っておくと、少し関係でいろいろおきてきます。嫉妬が自分の不安からくるとしって、彼によく接して関係がなんとなくしっくりくるときと、それからやっぱり感情が抑えられなくて、いろいろ問題になるときと。自分自身を見つめられるときや余裕がないとき、それらすべてで、学んでいくことができるのではないでしょうか?もし、そういうことで失敗をした方がおられたとしたら、「そのときの私は、精一杯だった。彼だってそういう対応をするのは精一杯だったんだ。今の私なら違うことができるにしても、そのときの私を許してあげよう。そして、今度は違う振る舞いもできるかもしれないから、今のことを学びとしよう」と考えておいてください。そしたら、きっと、何か違う自分に出会えるはずです。過去が許せないと、「ああすれば、よかった、こうすればよかった」と考えていると、過去に縛られます。そして、本当の意味では過去の自分を許せずにいるので、新しい出会いもなくなってしまいます。上手にできないことがあってもいいのです。ただ、そこから、何を学んだのかを大切にすることとそして、過去の自分を十分に許してあげることも大切です。過去の自分を十分に受け入れたときに同じことの繰り返しはなくなります。でも「もっとこうしていれば愛されたのに」という人は、現実から逃げていて本当に自分がそのときにできなかったことを受け入れず本当は自分にもだめだったことがあって本当にだめだったことを受け止められず「ここがこう変わればうまくいったはず」とまだ粘っている状態になります。こうなると、また無理をしようとして学べなくなるので同じことを繰り返してしまいますから。今日も皆さんにとって、素敵な一日となりますよーに。● 嫉妬を感じたら相手を攻撃するよりも「あ、この強い感情、自分が満たされていなかったり奪われるとか感じているんだ」と少し自分の気持ちを感じてみてください。それから、「大丈夫なんだよ。私。そしてありがとう」と少し感情の方向を変えてみてくださいね。これだけでも続けると状況は変わって行きます。====================================
2007.01.25
最近、ご結婚をされた方から、以下のようなご相談が寄せられました。ご本人の許可をいただいた上で、お答えしていきたいと思います。ご本人の言葉によると、妊娠をして幸せなはずなのに、自分が仕事をして力いっぱいに働けないことに大変に辛い思いをされておられるとのことです。しかし、家事が嫌いなご自分も嫌ですしそう悩んでいる自分を責めておられるようでもあります。家事に充足感を得られないことと、しかし妊娠をしているのに、こんなことでよいのかとも思い、家で泣けて仕方がない状況のご様子です。さて、さまざまな方々がアドバイスを掲示板でされたようですしご本人も、少しお気持ちが楽になっているようですから私のほうからは、今後のことについてお伝えしますね。まずね、気持ちが揺らぐのは、妊娠中であることもありますから。ああ、落ち込んでもいいんだ、悲しいこともあってもいいんだなというふうにご自身を受け止めてあげてください。そして、今は、自分のことを良く知らないとならない、ということを知っておいてください。この方の場合、なんだか、苦しんでおられるのは、仕事をすごくしたい、好きでそれで評価をされると感じているんだけれども、仕事が思い切りできない、自分自身にふがいなさを感じるとともに、しかし家事も頑張らないとならない、けれども家事を頑張れない、と何か自分とけんかをしている状況になっています。今後、少し覚えておかれるとよいのは、人生で何か問題が出てきているときには、自分自身をよく曇りがない目で見て行くことがとても大切になる時期にきていることです。これだけ、苦しまれるのであれば、仕事をすることが大変にお好きなはずですから、いつか仕事に戻ることを考えてもよいのです。大切なことは、自分に正直になることでありその上で、人とどう関わろうか、人をどう大切にするかを学ぶことです。ご自身に嘘をつくとそのうちに周りの人々が自分をせき止めているように感じてきますから子育ても嫌になりますし、ご主人にも当たっていくようになります。ですから、今を大切にしつつ、いつか仕事に戻ろう、って考えてもいいのです。また、家事が嫌いなことを十分に理解をしてあげてください。ご自分のために。家事がだめなことをせめてしまっていますが、それは実際には自分から逃げ出していることです。自分から逃げずに「ああ、家事が嫌いなんだなあ」とちゃんと知った上で、「でも何か好きになることはできるかなあ」とか「じゃあ、家はこの程度にきれいにしておいて、自分はこういう生き方を求めていこうかなあ」とかご自身でご自身の居心地の良さを学んでいくことです。自分で自分の居心地のよさはつくっていてそして初めて一人づつの独立した大人がいる夫婦になります。もう一つ、今の時期に課題が出てきていますから、それについてお伝えしますが。人生では思ったように行かなくなる時期が必ず来ます。今まで仕事でばりばりかんばってきたのに、定年でやめたらただの無職、とか今まで何でもできたのに辛くなってできなくなってそういう自分を責めてしまうとか、けが、病気、出産。そういう状況で、今までできたことができなくなって苦しむことがあります。その際に大切なことがあります。それはその時期には必ず学ぶことがある、ということです。今まではその能力を精一杯生かすことが大切だったけれども、今後は、一回、その能力がある自分は素敵だし伸ばしたいけれども、自分自身って何かなあと自分を確かめる時期になります。今まで、何かそれに価値観を見出してきたけれども、今は違うことの大切さもちょっと見て行くんだよ。と、時は教えてくれています。出産をされるのですから、今は、このお子さんと楽しんでみることもしてみてください。これだけいらいら感が強いのであれば、それは恐らく、今まで、何か回りからみとめられることによってのみ自分を確認してきた、ということです。今の時期は、本来の自分って何なんだろう。どういう性格が好きで全体はどういう人で、そして、どういうふうに人と関われるんだろう、という自分自身を取り戻すことも課題になっているように思います。だめだ、こんなの嫌だ、だけではなくああ、こういうふうに嫌な自分がいるなあどうして嫌なのかなあ。そっか、仕事をして認められてきたからなんだなあ。でも、今仕事できないからどういうふうに自分でも自分を認めるかなあ何をしてみるかなあ、というように考えてみてください。今までは人に感謝をされることで自分の価値を感じていたことを自分が自分の喜ぶこと、そして自分が自分自身を認めることを学ぶことも大切になるでしょう。今後、社会とかかわっているほうが気持ちが楽であればそうしていくことは大切ですが、本当に自分の心が喜べることを探しそしてお子さんとの時間を大切にもしてみられてくださいね。幼いときから、自分がそのまま受け入れられるという感覚を味わえずにいると、やはりそれが取り去られるように感じたときに、心の平安を失います。そのときには自分が自分に感謝をする、とうことを今一度学んでいく時期でもあります。誰も感謝をしてくれないから、自分が本当に仕事で頑張ったら認めてくれるから。そういう小さな自分が今苦しんでいるんです。けれども、暖かなお母さんでいることも本当は素晴らしい才能で、お子さんにとっては誰と変わることもできないほどの、価値があるものでもありますから。人間、嫌なこともあります。それをちゃんと受け止めて今の自分をまるごと受け止めて、そして、せめるばかりではなく自分自身を発見してあげてください。●自分は自分に感謝をしてますか●相手にも感謝をしていますか●今私にしかできないことがあるのを知っていますか●自分ができることを小さなことでもして、誇りに思うこともとっても 素敵なことかもしれませんね。キャシー天野====================================
2007.01.22
掲示板に投稿されたお悩み事にお答えしますが、少し分けて書きたいと思います。まず、ルールズで幸せになるために大切な基礎。これは、掲示板のご相談内容と関係ないのですが少し問題になってくることがありますから他の方々のためにお伝えしておきたいと思います。怒ってルールズではなくて幸せルールズにしてください。ルールズという方法は、自分に関心がない男性とは関わらないで、本当に大切にしてくれる男性とかかりましょう、という方法です。これは、大変によい方法です。というのは、恋愛で問題になるのは、まだ恋愛ではないところで駆け込んでいくことで、これをすると、落ち着きない印象でうまくいきませんから、そういうのを少し変えていくためです。現に、今まで恋愛がうまくいかなくて、その後、ルールズによってご結婚をされた方々もおられます。しかし、大切なことは、相手が関心がなかったら、そうだね、相性もあるし、様子を見ていこう、この人にメールすることばかり考えないで、仕事にも集中をしたり、自分の時間も大切にもったりしていけばいい。と考えられることです。恋愛で大切なことは、実際には時を見方につけることもあるのですが女性の場合、どうしても時を待てません。だから熟成を待たずして、『白か黒か」とやってしまうことが恋愛の失敗につながったり、それから、「ここまで関心があるならば、早く手に入れちゃわないと」とあせっていて、そのために、単なる遊び相手になってしまっていることもあります。ですから、相手が関心がなかったら、それを認めて先に行ったり慌てずに様子を見たり、ちょっと相手のことを忘れて自分のことができたら、いいよね~、ちゃんと見えるよね~というのがルールズだと考えてください。しかし怒ったルールズをされる方々の場合、もともと、恋愛は怒ってしています。「愛するの愛さないの、どっち!」ということを、不安をぶつけるということをしています。それであれば、今までは、不安であれば相手に問い詰め相手の家に駆け込んで聞いていたのを今後は、「切り捨てて」どうだ、お前が関心を持たないなら切り捨ててやるぅ~みたいに使います。でも切り捨てても、根底にある不安は一緒なので切捨て切れずにまたもとに戻ったり。しちゃったりなんかして。それであると、ち~と違います。違いますし問題はまったく同じままもって、同じ考え方で違う行動をしているだけですから(笑)自分の価値を信じられる、時を見方につけられる不安になったらそれを本当の意味で解消する自分に自信をもってゆったりと、としてみてください。こーゆーことは、ご結婚をされたときに、学んでおくとよいよぉ。ルールズで、ご結婚をされていて、怒りルールズをされていると結婚後、「やっぱり思った通りではない!」と不安になります。どうして自分を大切にしてくれないんだろう。そんなことでぐらぐらしてしまって、本来のよい関係を築きにくくなりますから結婚前にすこーし、自分自身が安定をしておくことを学んでおいたほうがよいからです。
2007.01.22
今、掲示板によいアドバイスがあったので、それに感化されまして。(笑)日記に書き忘れましたが、できれば、携帯は覗かないほうがよいです。その人が今見えている部分は全部真実ではないにしてもある真実があります。でも探り出すと、全部が嘘に見えてきてしまって、それが関係を壊すことになります。プライバシーを覗くのではなく、相手を良く見て行動を良く見ることは大切です。そしてその行動を良く見るには、少し達観して「この人ってこんな欠点もある人」というのはわかったうえで、関わり方を自分で決めていくことが大切です。そういう欠点があっても、(例えば浮気ばかりしている男性でも)その欠点を良く見ないで、「私が愛され以内からだ愛される価値がないからだ、だからこんなことに」と見ていると、相手も自分がしたいことも見えてきません。しかし、人間には独特の感があり、普段は見ない人でも、何か見なければならない気がしてみたから浮気がわかった、ということがあります。それは、直感、というか、今なら問題が解決できるし知っておいたほうがよいよ、とどこかで察知をしているのでしょう。ですから、それで見てしまったことについては事実を知ることが大切であった時期ですからご自身を責めないでください。実際には、疑って疑って仕方がない方は自分が大切にされないだろう、ということを予測してそのことを作っていってしまいますから。
2007.01.19
そういうご相談は結構多いですから、基礎の基礎、だけ書いていきます。まず最初に、大騒ぎをしない、ということが大切なことは、お伝えします。ご夫婦の関係で、崩れるときには、大騒ぎから始まります。すると小さな問題も、大きな問題にご自身が感じられていて回答を得られなくなります。つまり、対応が間違ってきたりということがでてきます。ご夫婦の関係にもよるのですが、ご主人が甘えっこで奥様が、叱っている、という場合は、このご主人は大抵は奥様を離れません。ので、思いっきり叱って、ごめんなさい、しておしまい。というカップルもいらっしゃいますから、そういうカップルはそれで、バランスがそれなりに取れています。さて、今回は、浮気、ではなく、メールのやり取りということでご相談のです。過去の彼女の相談に乗っている、それに、あのころは良かったねえ、なんてほろっとは話す。この、ほろっと話したあのときが幸せ、という言葉に動揺をしなくてよいです。少しお灸をすえるのであれば、少し一言ぐさっといれ、自分は自分の生活をしっかり楽しんでいる、というのが一番効果がでます。別に機嫌が悪いわけではないけれど、ふっとした拍子に「ねえ、もとの彼女とメールするのってどう思う~?」などと聞いてさらに、「私がもとの彼とメールしてたらどう思う~?」くらい聞いて、相手がどんな反応をしても、ふーん、くらいで後は、自分の生活を楽しんでいくのであれば、これは効きます。でもちょっと小悪魔的な要素が必要で相手をどきっとさせても、ほっておけるくらいの強い方であるほうがいいでしょう。ダイレクトにどうしても聞きたい方、というのはいるにはいられますが、そういう場合は、ダイレクトに聞いていいです。しかし聞いたら、今後は自分の嫉妬心を収めることが大切になることは知っておいてください。話し合って嫌だよと伝えると、その際には、メールを見られたということはご主人にも嫌な気持ちとして残りますからもう2度は覗かない、という覚悟が必要ですし今後は、信じていって、何か本当に調整がでることがあれば、調整をしていく、みたいなお気持ちも必要になります。聞かないでそっとしておく、という方もおられてこれも悪い選択ではありません。また、今の段階では結構よい選択です。というのは、こういった方々の場合、実際には会話をしているだけで実際の浮気をするかどうかはまた別問題です。もし浮気をする方であれば、止めてもむずかしいですしそのときにはそのとき、くらいに腹をくくった上で「メールだけだから」と信じておくことも手です。ご主人のメールに動揺をする場合、実際に問題になっているのはもちろん、ご主人の生き方あり方も気にはなるでしょうが、ご自分が、愛されていないのではないか、という不安です。一個言っておきますが、これは最後に揺るがないほうの勝ちになります。というと変ですが、自分は大切にされている、と考える人を人間は切り捨てることはできないのです。自分は大切にされていた、けれども、何か事件があって、信じられなくなった、疑うようになり、相手は何を考えているのだろうと探ろうとする、探ろうとする時点でもう不信に入っていて、これは飢えみたいなもので探っても探っても自分が愛されていると信じられなくなります。すると、全部が嘘に見えてきますが本当はその中に生活や家庭の真実もありますからその真実の中から傷を癒してまた再生をしていくわけですが自分が愛されていない、と信じきってしまうと自分を大切にしてくれている気もちも全部が嘘に感じられてしまいます。愛情は呼応するものですから、「夫と結婚をしているのはこの私だ」と考えて、絆を作っていき、何か問題がでたときには率直に話したうえで、今ある大切なことを守るように視点を向けて、「私は愛されていない」「相手と比べてどうなのよ?」ということを課題にせずにどういうふうに関係を良くするかに視点が行っていればそれほどまずいことにはなりません。実際には私がしているカウンセリングは、視点を変えさせてあげてその方が本来の自分の力を取り戻せば、よいところに落ち着く、というご本人の力を引き出すに過ぎないのです。少し浮気まで話が発展したので、話を戻しますと、メールでのやり取りだけであれば、気にしないほうがいいです。もし、浮気をする人であれば、それは何があっても浮気をします。けれども、ほわほわ、このときはよかったねえ、なんて話をしているときには、それが楽しい思い出とご本人もわかっていて、していることが多く、家庭のほうが大切という意識はもっている場合もあります。家庭が大切だからその重圧もあって、「あのときはよかったねえ」みたいな感じで、漫画でも読むような感覚で言うことがあります。もし、あまりに気になるのであれば、「こういうのは私は嫌いだ」という意思を伝える機会があれば伝え、メールを見たことは謝り、そしてどうしたいかをご主人に伝えることになります。しっかりと自分の価値観を伝え、相手を変える、というよりも私にはこのことが大切だと伝えることになります。そして、その後はご主人の意思に任せることになりますが、あなた自身はあなたとご家族をしっかり守ってそして、信頼を築くようにしてみてください。すぐに「相手の女性はどうなんだろう、ああなのかなこうなのかな」と考えるのではなく実際の生活の中ではあなたが一番大切な人だということを信じていれば、実際にその立場がゆるさがされることはありません。以上のことから、少し考えてみてください。どの方法をとるにしても、● 現段階では、もう少し様子をいてください。そしてときどきチクリとするにはしても、家の居心地は悪くないようにしてみてください。● 愛されていない、だから怖い、ではなくて、ご主人との関係はどうでしょうか?ご主人は家で評価をされたりしていると感じていますか?ときどき、奥さんが女性として接してくれないあるいは、自分を尊重してくれない、という男性がいてその場合は外で満たされたいために、会話をしていることがあります。この場合は、満たすものを家で用意すると、外に関心がなくなります。● 外に関心がなくなると、メールはだんだん幻想になって行きそのうちにやみます。しかしその際でも、かかる月日、おびえないことはとっても大切です。● もし話し合う際にはもめない。こんちくしょう、と思ってもめる方でも、この関係はどこか、大丈夫だという気持ちがあればそうなっていきます。しかしもめると大抵、「自分が愛されていない」「相手と比べて私がどうよ?」という気持ちになって愛されている証明を探そうとしてしまい本当によい関係を築くにはどうしたらいいのか、という視点で物を見れなくなりますから、そうなってしまうのであれば話し合いをするときは、十分に慎重にしてみてください。売り言葉に買い言葉、そしてすがりつくということになりそうであればトイレに行っていったん落ち着いてから話すなどのことは大切です。● メールでのやり取りの場合は、大抵は、言葉のやりとりです。もし、それ以上に行くのであれば対策を考えるにしても、基本的には、これはまずいよね、とはっきり告げても「だから相手と私とどっちが好きなの?」というふうに迫らない勇気は必要です。そして、はっきり告げて自分が自分でいられる、変な言い方ですが、自分が自分でいられればそれなりに回答が現れてきます。これは今の話ではなく、もっと進んでしまった問題の方々に当てはまることになります。人の気持ちって面白くって、私が誰かと付き合っていてもどこかに他の好きだった人は残っているかもしれませんし自分だって、今問題になればその人に執着をしていてもああいう人がいいなあ、とか想像をしてしまうこともあるでしょう。実際の愛情は、そういう事柄があっても、ちゃんと乗り越えたり、この人と一緒にいることが大切だと思える裏打ちによって、築かれていくものです。二人の生活を大切にし、言葉でどのように相手に言っていても「あのねえ、調子に乗らないでね!ふん」くらいに仕方がないお調子者、くらいに見ておいてください。相手に「どっちが好きなの。私?あの人?わたしは愛されていないの?」という感じだけで接しているとせっかくある奥さんへの愛情もご主人自体が気づきにくくなることもありますから相手にメールをしていても、自分とのことは一緒に生活をしてくれているそして自信を持ってみることも大切かも、と少し考えてみてください。
2007.01.19
愛する彼と、周りの人々と、つながれるコミュニケーションの技術をお伝えします。伝わらないとき、相手が「そう感じている」ことを否定しています。相手がこう感じている、それを認められない、その誤りを直してやる、と話しているときには相手は伝わりません。相手はそう感じている、それをまず受け止めた上での話し合いになります。仮に、よ。相手は自分を間違っている、と責めていたら「私は間違っていない」というのは、自分も相手を受け入れていないので、けんかで、コミュニケーションではありません。しかし、「あら~相手は自分を間違っていると感じているんだなあ」と感じたことを受け入れたうえで、「相手はそう感じているんだけど、自分はこう感じているんだ」というふうに話ができれば、双方が分かり合えます。というのを少し考えてみてくださいませ。きっとうまくいくことも出てくるはずです。ちょっと極論だけどね。相手が自分を愛さなくなったときにそれをちゃんとわかった上で話をするのと、それを絶対に認めない方向で話をするのとでは結果も違ってきます。上であれば、友情で残る場合もありますが下であれば、決定的な別れになることもあるわけです。だから、コミュニケーションは、まず自分ときちんと対話をしていないとならないわけです。今日は誰と話してみますか?good luck!キャシー天野
2007.01.18
近日、私はもてるんです。誰からも人気があるんですよ~と掲示板に書き込まれた方がおられそれについて、反感をもたれる方々の書き込みも若干あった、ということがありました。いろいろな意見の方々がおられるとは思いますが、いったんその方への書き込み、非難は中止してください。もてることは素敵なことですから、その方をきつく責めてしまう必要はありません。今回のことで、双方学ぶことがあれば、幸いに思います。さて、そのご自身がもててもてて、と掲示板に書かれて論議をかもされた方に向けて少しメッセージをお伝えします。これは、今後もてることがとっても素敵なことであることは重々わかるのですが、ご自身がそう言ったことで、人とつながれないことが出てくるとしたら残念ですから、そういったことを心配した、私の老婆心です。それから、彼女に対して反感を持った方々にも少しアドバイスも含めています。もてることはとっても、素敵でよいことです。今回、こういうふうに噛み付かれたと思っておられるようなのですが、実際には自慢をしていると感じられているだけのことで、もてているというのがうそだと思っていたりもてている状況がわからない、ということが話題ではないことはわかってください。ではないと話がずれます。相手は威張っているから嫌だ、と感じているだけですしあるいは、うーん、この会話にこのことを書くのは不自然じゃないの、と感じているだけですから、「私がもてているのは本当なんだから」と話すとまた別の問題をもたらします。言葉がいいかどうかわかりませんが、ドラえもんのすねお、見たいに感じた人もいるということです。金持ちってーのは事実だけど、別に金持ちであることは見りゃわかるし、こちらは気にしていないし、そこに価値をもともと見出していないんだけど、すねおが、「俺金持ちだからさあ、あはは、」みたいに話す、みたいな感じでしょうか。これは、それぞれ感じ方ですから、常に相手に合わせる必要はありませんが、そう感じた方々もいた、ということは知っておくとよいかもしれませんね。参考のために言えば、ときどき、ご自身がもてるということを言わないと不安だと言う方がおられます。そういう方は必ず会話の中で自分が特殊だ、ということを言った上で、話を始めるために相手をイラつかせることがあります。それを言って話しを始めないと自分が低く見られると言う勘違いをしているためです。東大生だ、と言わないと不安で話しができないとか、そういうことになれば、何か自分が受け入れられていないと信じているために、そういったことで初めて認められると勘違いをしてしまうのです。しかしそういう方々がおられた、としてもいつも苛立ちを持つ必要はなくてもちろん、私は、誰かが何かを話して安心できるならそれでいいと思うし、ちゃんと受け止めます。素晴らしいことは素晴らしいことなので、一緒に喜びます。「ほぉ~ひえ~素晴らしい」って思いますから。(笑)これは皆さんも誤解がないようにいっておきますが「素晴らしいことは素晴らしい」でかまわないんです。うちの子供たちだって威張るよ!でもそれはそれでいいじゃないの。いろーんな素敵な話を分かち合うのも素敵ですし。そのことを、「ひょっとしたら、そういう自分ではないと受け入れられない、と感じていないかな?」と伝えることがあるとすれば、その方がそのことで問題を作ってしまっていて、今、現に問題が起きていたり、その問題を解決するために今はそれに気がつくことが必要だからです。それから、本来のご自身の価値、落ち着いていて自分自身であってもいいと、そろそろ気づけるかな~というタイミングであれば相手に伝えることもあるかもしれません。ですから、そういう相手に対して、「いっつもそういっているけれど、それって威張っているの?」なんて問い詰めるのは、やっぱ、落ち着きがなく、問題があります。話を、戻しますが、中にはそういった自分は特殊なの、と言った上で、けんか、みたいに言い争いを巻き起こしてその中で活き活きされる方がおられます。相手から何か文句を言われると自分で信じているために、そういう状況を作り出します。「ほらね、わたしがもてて特殊だから、やきもちを焼くし、私がもてているのを理解できないからこういう風に言ってくる。本当に私はそうなんだから、言い聞かせないと」というような心理が働くので、問題がややこしくなります。この、もて、には自分が自分を守ろうとするあらゆる言葉が入るかもしれません。自分は特殊で変わっていて他の人と違う、ということに価値を見出しているので、ますます相手を怒らせたり、ますます相手を説得しようとしたりします。そのように人と関わるのです。実際には威張っているのが嫌がられていたり、相手を気遣えず自分だけが特殊と前面に思いやりのなさを出すのが嫌がられていても、そういうご本人は特殊で、もてているから、あるいは金持ちだから、あるいは何かできるから、人から噛み付かれると信じていて、ご自身でそういう状況を作っていきます。その人はその人なりで、評価をされているということを自分で信じられないと、そういう何か特殊なことに依存をしてしまうこともあるんです。それでバランスを崩します。今回、掲示板に書き込まれた方がそうではないにしても、そのパターンの人を相手に無意識に想像させてしまったところがあります。ですから誤解をされることを何かしていたり、パターンを持っているとしたら、しないほうがいいかもしれませんね。実際には、もてる状況や自分が特別に持っているものは、人に常に伝えなくていいし、伝えるときには何か役に立てることがあったり、目的があって伝えてもいいかと思います。それか、「今日は、誰かに認められたい気分だから威張っちゃお~」と自覚をして伝えてもいいわけです。人はそれぞれ助け合って生きていますから。問題は無自覚に一つのパターンを繰り返して問題を起こしてしまうというこですから。すごーくもてている人々は、それはとってもご自身では普通のことで、なんとありがたい、とこの方は、掲示板に書かれておられて、それはその通りだと思いますから、それを常に誰かに証明して認めてもらう必要はありませんし。ご自身の気持ちにとどめておけばいいこともあります。相手が嫌がるときには伝えたりする必要はないですしもてているのは事実ですから、「彼ができなくて。自分に好意を寄せてくれる人はいるんだけど、出会えていないだけなのかなあ?」くらい、最初の相談では質問に焦点を絞って聞く余裕があってもいいわけですし、もてている状況は無理に説明をしなくてもよかったかもしれません。もしそれだけでは自分が評価されないと感じるとしたら、そこに自分そのものを信じていない、だから、もてている私こそが自分という自己認識の錯誤があるのです。。もちろん、再度言いますが、話したってよくって、明るく皆で楽しい体験を話して楽しめればいいのです。つまり話したり話さなかったり、その場に応じて、自由に選べることが大切だ、ということなんです。今回、この論議をかもした方が気がついておられるかどうかわかりませんが、その方の味方もおられたわけですし、わ、もててて素敵、という方もおられたでしょう?そしたら、掲示板のコミュニケーションと言う点で言えばそういう方々にお礼を言って味方になってくれた方々を見落とさないこともできたはずです。自分の敵(?)にばかり注意を払って相手を説得しようとするのではなく、わかってくれる人や、それから、状況を良く見て判断をしていくこともできます。それから、コミュニケーションとしてどうしても、威張っていると思われてしまったのであれば、「そうかあ、私はもててるけれど、話し方は注意が必要だし、ここでは話題はずれているかなあ」と思ったらそこでは話さなくても話し方を変えてもすむことや、他の方々も立ててあげたり、他の方々からも学べるという姿勢や、あるいは、他の人々も人々から大切にされて(人間もて)していることもあって、あなたと同じようにもてている方々もいるんだ、と認めたり、他の人々の良い点も認めてあげたり、相互の理解は大切になると思います。ではないと、自分だけが特殊だと言うことに酔ってしまうこともあり、また、威張らないでね、と言われていても、でも本当にもてているんだから、みたいに話題がずれたりもします。何のためにもてているという話をしているのが、別にそれは話題に上っていないふさわしくないところで言ってしまって、目的自体がわからなくなりますから。そしてまた、何か自分がもっている知識が使えると思ったら本当に役に立てるように助けてあげてください。その知識を、私だからこそ、こうできるの、と言うふうに顕示をする必要はなくて、皆と分かち合ったときには、皆が喜んでくれるはずです。同じことを言っても。必ず受け入れられるはずです。余裕を持ってみてくださいね。今回、掲示板で盛り上がってしまったのは「そうかあ、そう感じる人もいるんですね。(もてているのは事実なのは別として)。そう感じる方がおられることもわかりました」という相手の理解がなくて「だってもてているもん。実際にもてているもん。」ということが常に話題になっているからなのです。相手が感じたことも受け止めた上で、自分がどうするのかを考えないと、双方が相手を理解しない限り、常に平行線をたどります。無邪気な方で、その無邪気さは良い点でもあります。それが人間もて、の秘訣かもしれませんし、私はその無邪気さは、決して嫌いではありません。他の方々ともめてしまうのは損だと思いますから。^^いろ~んな人がいて、いろ~んな捕らえ方がある。ということはお伝えしておこうと思いました。少しね。いらぬおせっかいかもしれませんがアドバイスをしましたが、もてもてクラブを作ってもいいと思いますよ。今後のご活躍を期待しています。====================================
2007.01.18
掲示板のほうで質問があったことで、少し参考になることがあるかなーと感じることがあったら、こちらに書き出していきます。取り急ぎ、書くので、文章が読みにくかったりしても許してくださいませ。恋愛で、ご自身がもてない、あるいは、うまく付き合えない、ということがあるとします。仮に、ですが、その考え方がパターンを作っていてそれでもてない、付き合えない、状況を作っているとしたら、どんなもんでしょう?例えば、そうですね、これは、仮に、ですから。一人の方の状況ではなく、よくあることなんですが。たとえば男性が、お見えになったとします。彼はもてないという悩みを抱えています。そしてまた、「どうしたらもてると思う?」「どう努力をしている?」とお伺いしたときに「本をたくさん読みます。」「恋愛ができるように研究します」「でももてなくて」ということが繰り返し、繰り返しおっしゃるとしたら、もうそこに彼のパターンが見えるわけです。彼が絶対に真実だと信じているもの。それはもてない、だからだめ、そして本を読む。研究をする。もてない、やっぱり、それで本を読むこういうパターンになるわけでしょ?そうしたら、その方はオタクかもしれないし、人とうまく交われないかもしれない、そして不安になればなるほど、本を読めばいいんだ、マニュアルに頼ればいいんだ、になるわけでしょ?とにかく、そういうパターンがあるわけです。でも彼は、「もてないから女性と付き合えない」と信じています。こういうことは、誰でもあることなんです。自分は真実だと思っている、けれどもそのために一つのパターンを作っていてそれに気がつかず、ますますこれが真実だと思い込む。この彼であれば、裏にどんな信じ込みがあるか、それがどう彼の人生を作っているかを私は見つけることになるわけです。それは、恐らく、「勉強をしさえすれば、なんとかなる」ということかもしれないし、「人は怖い、交わるのはこわいけれども学んでいけば大丈夫かもしれない。それにしてももてないなあ」かもしれないし(笑)ま、どんなことでもいいんだけど、その人が幼いときから信じている何かがパターン化しているわけです。これは、面白いです。ご本人はまったく気がついていないのですが信じている事実だと思っているまちがった思いがあります。そしたら、その方の人生を見ていけば、例えば、お母さんと親しくしようとしたのに、「勉強は!」とすごく怒られて、「ああ、人って甘えようとしても拒絶されるんだよね。うんうん、わかった、じゃあ、勉強をすれば大丈夫なんだ」と感じているために、お母さんとうまく意思を疎通できる経験がなかったりとか。とにかく不安になれば、その人と交わろうとするのではなく引きこもって、本を読むと言うパターンになります。それは根底には「受け入れられない」という信じ込みがありそれを許可させるのが「本を読んでこれだけ勉強をしてもだめだ、もっと勉強をしよう、でももてない」というまちがった方向に力を注ぐパターンになるわけです。ですから「あれー、ひょっとしたら、僕って、本に頼ろうとしていて、人と交わろうとするのが怖くて、彼女に声をかけて、嫌な顔をされたらもてないという思い込みに入り、そして本を読んで、ますますもてないと信じ込み、そしてまた人に触れようとして嫌な顔をされたらそこから意思の疎通ができず。」みたいに繰り返していたんだ、じゃあ、今後は、やな顔をされても全然くぼまない態度を身につけて、もっと話をしていくようにして、本当は、お母さんに、「ねえ、僕今ひざに乗ってもいい?」みたいにいえたらどんな変化があるかもちゃんとシュミレーションして人に話しても大丈夫なんだ、って感じたら行動もすべて変わるわけですから。ということです。つまりね、もてるようになった人々も実際にいます。考えてみてね、今までさあ~お宅みたいに家にこもって、そしてあなたが嫌だからいやな顔をしたらすぐに恨みがましい態度をして家でマニュアルを読んでいる青年。その人が明るく、少し嫌な顔をしても「あ、ごめん。嫌だった?じゃあ、こんな話題は?」なんて話せる青年になっていったら、そのうち、縁ができそうでしょう?人はその方の信じている事柄を自らパターン化して実現化するという恐ろしくも素晴らしい(?)行動をするわけです。本人は、その中にいるとわからないのですが、つまり、そのことを実現させていると言うことは、逆のことも実現できるんです。これは、顔が良くないからもてない、とか、ご自身の何か信じ込んでいることがあれば、そのパターンを崩していくことで、変わっていける方法になります。
2007.01.16
昨日の疑問についてのお答え本日から日記に来られた方は、昨日の日記からお読みいただけたら幸いです。今回は、なあなあに扱われる、ということでも、ご自身が相手に強く反応をしてしまうというケースについてです。常になあなあに扱われ、その人と距離をとり、ますます交われないことは、また別のことになります。相手に馬鹿にされていると感じるためにそう感じたら本来はそこから人と人が親しく交われるのにそこから、心の中に引きこもるというパターンを築いているためにできてくることですから、これはまた、自分自身が自分を尊重できることを学ぶ必要があります。この二つ、なあなあにされていると引きこもって相手と交わらない、そして、なあなあにされているから相手に怒りをぶつけてしまう、というのは、関連をしていて、交互に出てくることが多いです。馬鹿にされていると引きこもり、爆発するというパターンをお持ちの方もおられます。さて昨日の、質問に関するお答えです。今、リカさんには、時間が必要なように思いますから、ですから、日記ではさらっとひろいながらお答えします。そしてまた、今日記が当てはまらないと思われたら、今正しいと思われる行動をされることが一番よいです。しかしもし、同じ事柄が起きることがあれば、そのときには新たに学ぶことが大切なことが出ていますから、少し日記について思い出してください。正しいものは伝えていいのです。そして、思ったときに伝える、これも正しいことです。今の状況や彼女がしていることが正しいか、と言えばこれも正しくないです。その点はあなたが言われる通りなんです。しかし、ご自身がなあなあにされていると思っていることがあれば、見えないことも出てきます。親しくなればなるほど、夫婦などになれば、ますます、それがぶつかることも出てきます。自分は正しいのに、と考えていても、どこか視点がずれてしまうことが出てきてしまうのです。それは、相手にとっての視点になりますが、要するに人は全然まったく違います。それが失礼なこと、と皆がわかっていても、実際に、その伝えられ方によっては聞けないことも、ちょっと違うと相手に思われてしまうことも、状況によっては伝えている内容がすこしずれていることも、出てくるのです。ご自身がなあなあにされていると感じてしまう知覚そのものを変えたときに、そのなあなあにされて失礼だ!という怒りから反応をしなくなります。すると、相手が変わるし、「これはどうかと思うよ」と伝えても、まったく違うことが起きてきます。これは対面を受けられた方々のなかにびっくりされる方もおられるのですが、軽く思えるようになるのです。すると、相手が優しくなります。問題があまり起きなくなったり問題そのものがなくなることもあります。それから本当の意味で相互理解ができるようになります。コミュニケーションが真の意味で取れるようになります。今はこれにとどめたいと思います。彼女については、よい勉強をしたと考えておいてください。今回は、パワーゲームになっているのです。実際には、彼女にもあなたがななあにされると失礼だと同じように彼女なりの考え方もあります。自分を受け入れてくれないことが、優しくない、敵意をもたれている悪だと感じる、というこれまた彼女の心の傷からそういった正義感を持っていたら、お互いにぶつかります。彼女だって、謝るに謝れないところに追い込まれることもでてきます。それは彼女の弱さといえばそうですが、しかし弱さを引き出す必要もないこともあります。自分が感じていないことを急に怒られると息が詰まって息が止まるので、謝るチャンスもなくなります。会話はよほどのことがなければ、相手の息を止めないように話してあげるとよいです。彼女が、「私は待っていたからね、それはよくないよ、遅刻は社会的にもよくないからね」と伝えられるのと、自分のなあなあにされた怒りから「それは社会的に絶対にまちがっている」と伝えられるのとは、同じに聞こえても、まったく別のことなのです。それは、相手を否定していることになるので相手は自分が否定されたと思います。自分としては相手に謝ってほしいと感じていても、絶対にまちがっていると話した場合相手はよほどできた方ではないと、難しくなります。つまり自分も相手を拒絶しているので、相手もそれに対して鏡のように反応をします。誤解がなきようにいっておけば、良識的考えれば、帰るときに連絡をするのは非常に正しいです。ですから、連絡を私もします。しますが、ひょっとしたら社会の良識の中では、確約をしていない約束だと、友人であれば、男性だと、帰るということもよくあることです。ですから、社会的に正しいとは言っても、その人の環境や育ち方、それから、友人だったら確約をしていなければと帰るという状況もまったく社会に見られないことではありません。というのは、つまり、教える必要があるときがある、ということです。教える必要があるときに拒絶をすると、相手は自分が自分の生き方すべてを拒絶されたと感じます。今回、これが彼女に起きていることです。ですから、社会的に絶対にまちがっていてそれが悪であるという説得の仕方になると少し違うという面もあります。そういうふうに自分が絶対に正義でという説得の仕方をすると、相手の心は閉じます。それはリカさんも同じで、例えば、自分がそれは正しくないと気がついていないことでも、「これはこうでこう思います」と伝えられたらああ、そうかと学べるでしょう。しかし、相手の価値観から「あなたのしていることって、まったくまちがっているよね!」と言われたら、相手が怖ければ表面上は聞いても納得ができなくなるのと同じなんです。ご自身の中にある、「これはこうで、失礼なことで、失礼を私が働かれた」という怒りから反応をするときには、相手とどうしても外国語のやり取りになります。というのは失礼を働かないということが、一番の優先順位になっていて相手は違う優先順位をもっていると、通じなくなるからです。なあなあにされないこと、これが一番の正義になっているのです。そしてまた、これは、非常に面白いことなんですがご本人の知覚を返ると本当に気になることは気にならなくなります。例えば相手の人をありくらいのおおきさに縮めて小さく想像の中で変え、そしてまた、ドナルドダックに声を変えて、耳をつけて、赤ちゃん言葉に「あの人むかつくジョ~」みたいに小さな小さなブログを書いていると想像をしてみてください。そのブログがまだむかつくなら、色を変えたり音楽を楽しいものに書けたり字を非常に小さくしたり、あるいはおおきくしてみてください。そう想像ができたら、そのブログはあまりむかつかないと思います。つまりなあなあにされているという思いを取り去るとその程度にしか感じなくなって、気にならなくなったりよりよい方法を思いついたりすることもあります。ご自身の「こんなことは非常に馬鹿にされていて失礼なことなんだ!}という思いがあり、そして、「なあなあにしたり失礼にしないことが一番の優先順位」となっていて、なおかつ「それを正すことが正義」と感じていると、相手と会話そのものが合わなくなることもでてきます。そして、相手がしていることはとても大きく自分に影響をし、その苦しみや怒りにずっと縛られるようになってしまいがちです。それはどこかで、「こんなのまちがっている、絶対に許さない」という意思があるからでもあります。自分をなあなあに扱うことへの怒りみたいなものになりますが。さてそれから、いろいろな方々が書き込みをされておられますが、断れないという場合はまた別の問題ですから。ここに当てはめて考えなくてよいです。いつも相手の言うなりになっている場合は、まったくまた違う事柄になります。その場その場できちんと、「これはこうなんですが」と伝えて改善をしていく力をつけていくことが大切になります。人の思いと言うのは面白く、その人が一番重要視しているものからまちがって世の中を見ています。そういったものに縛られなくなるともっとご自身の力を出せるようになります。
2007.01.15
ご自身が少し尊重をされていない、というご相談が掲示板にありました。ご本人の許可をいただいた上で掲載をします。──★──★──★──★──★──★──★──★──★──最近ですが、私自身、楽な人と人間関係は一緒にいる事が多くなってしまい、すごくなあなあに扱われてしまいます。私は、結構気を利かせてはいるつもりです。私が仕事を終わってから会う約束をしている職場の人がいましたが、仕事を終わって私がメールすると、お腹痛いから帰っちゃいました。ってメールが来ました。次の日、失礼だから、帰るんだったらメールの一本でもしてほしい。それから社会人になってから、そういう事をするんだったら恥ずかしいからほかの人にはしないようにしたほうがいいよ。って言ったら、「あなたにしかしませんよ。ほかの人にはしませんよ」って。「あっそ」っていってやりました。本当に腹が立ちます。私は、舐められやすいのかもしれないです。最近は、そういう人と一緒にいすぎて、麻痺しています。ただ、一緒にいると楽しいのは楽しいのですが、移ってしまいます。みなさんは、そういう事言われたらどうしますか?そういう人とはやはり縁を切りますか?私自身、自分を変えるチャンスに気がついたのでいいのですが、舐められやすいのはちょっと、どうやってかえていいのかわからないです。──★──★──★──★──★──★──★──★──★──自分が尊重をされていないと感じたらそれは伝えていいのですし、そういうことが大切なこともあります。しかしおなじ情況が常に起こりやすいというときにはやはり見えていない事柄があります。ほんっとーに嘘のように思うでしょうが自分の環境は自分が生み出しています。ですから、信じ込みを改善したらそういうことが起きなくなります。ということが、起きます。ご相談者さんの場合は、なあなあに扱われる馬鹿にされるというのが信じ込みになります。そして、すべての人にこれを当てはめて「なあなあにしているよね?」と突きつけることが多くなります。そのために、違う問題でもすべて「なあなあにされている、馬鹿にされている」という気持ちが動きやすいのです。すると他の人々とすれ違いが起きます。彼女の場合で言えば、おなかが痛かったので帰ったわけです。あるいは病気だから少し免除してという甘えもあるかもしれません。約束そのものが、なんとなくしたものですごく確約、という感じでもないと本人は感じていて帰っちゃったり、帰ったら帰ったと分かる情況なので帰ったとか、だらしない性格で、忘れやすい欠点をもっていたり。そしてまた、ご本人は大変に気を使っているのですがご自身では気がつかないうちに、自分がしてほしいことを気を使うので、他の人の使い方とポイントがずれることもでてきます。これは、ご本人に一個づつお伝えするとわかりやすいですし、また見方を変えることでご本人の状況がわかりますが、今はこの情報だけでお答えすると、この状況であれば、彼はおなかが痛かったので気を使ってもらえると思ったわけですが、こちらに、相手はなあなあにするんだという考えがあるので、厳しく接しやすく、相手はその言葉に反応をしてばかやろー、と思わず言ってしまうような状況を作り出していきます。そしてその情況にますます馬鹿にされると言うか、なあなあに扱われると感じていきます。あるいは、相手は軽く約束しただけなのにと思っていたら、ポイントをずらせて話しているためにお互いに話が合わなかったり、相手は聞いてくれていないと感じたり、とにかく会話がすれ違ってしまうのです。また、気を遣っていても、それはご自身の気の遣い方なのですが、そういうふうにずれていたりしても、相手が同じようにしてくれないと、なあなあにされていると感じますが、実際には気の遣い方がずれていることもあります。つまり相手にしたら、そのときの情況で間違ってしてしまうこともあります。そのときも、それを汲み取ってくれないということで傷つくこともあります。彼女のことであれば、実際になあなあにされると感じていなかったら、「そうか、おなか痛かったんだね。でも待っちゃうから、連絡してくれるとうれしいんだけど」と伝えれば伝わります。実際に待ったのであればそれ相応に言うことが大切かもしれませんし実際に待たずにすんだならば、まあいいけれども気をつけて、ということもできるでしょう。あるいは、そういうことが多くある人だったら、約束した日に確認をとるとかあまり約束が当てにならないと知った上で対処の方法もとれます。これが約束を破った初めてのことであれば、事情があったはずで、これですべてだめなんじゃないの、といわれたことに彼女は反応をしたのです。もちろん、あなたの言っていることは正しくて社会人としては、間違っていることは間違っていると伝えてよいのです。ただ、ご自身の中になあなあにされるんだ、という信じ込みがあるとポイントがずれます。また、相手は何か自分を嫌われているというのがわかるので、反抗をすることもあるということです。なあなあにされていると感じていないと状況を正確に見え、相手がどうして帰ったのか相手がだらしないのか、個性なのか本当におなかがいたいのか、約束自体が確約ではなかったのか、様子をみて行こうということだったのか、相手は今どう答えてほしいのか、自分はそれではちゃんとしてもらうのに相手を理解した上でどうしたらいいのか、わかってきます。また、自分の何を大切にして何を伝えるかがちゃんとわかります。ましてや、だらしない性格だと自覚があって忘れていたなどのことであれば、今回厳しく言われたことで、自分が許されていないと感じますから反抗をします。相手にすると、「あの人は許してくれない。やっぱり自分のことを馬鹿にしている」と逆に思っていることもよくあります。また、会話の中で社会的に間違っていると言う正当論でいったために、相手は、「なんでこんなふうに扱われるんだろう。自分はだめだっていわれているんだ。頭くる。」と反応をして、「あなたにしか、こんなことはしないわよ!」というふうになりやすくなります。伝えるときには、自分が本当に伝えたいと思うものをきちんと伝えてみてください。「待っていたのに帰られて不服だったよ」というように。であればちゃんと謝ってもらえます。しかし「あなたがしていることは、社会的にみて絶対に間違っている」と自分が傷ついたことを相手にわからせようと強制力(?)を使うとうまくいかなくなります。だって、これは社会人として正しいとあなたが思ったからいった言葉ではなくて「これはなあなあにされてけしからんことだから分からせる」ために言った言葉だからです。真実の言葉は相手に届きますが、何か自分の思いを伝えるために正論を使うときには届かなくなります。ご自身の見方が変わると、相手が変わるということは本当にあることですから、少し見て言ってください。ご自身の信じ込んでいることは、誰でもあることですが、見ている世界と事実とがずれているのです。なあなあにされているのではなくて、なあなあにされていると感じるために相手の反応を起こしやすくなってしまうのです。相手の感じていることや、相手がどう考えているかなどがわかりにくくなります。楽な関係を求めているので、本来はあまり気を使わない人を求めているのに、それが本来は楽しいという面もあるかもしれません。しかし、なあなあにされると信じているために、そういう気楽な人を選んでいても、その人々に、もっとしっかりしろ、と逆のことを強要をしていることもあります。今回はすこーし見かたを変えるためのアドバイスです。ですから、上記を読んだ上で、さまざまな情況を見てみられてみてください。さまざま見た上で、ご自身が一番よいと思うことをちゃんと選んでいければ、素敵な対人関係が築けますから。よいお勉強の機会だと思います。人生はすべて楽しい学びの場です。なあなあにされて、大切に扱われていなかった自分の心、それを大切に癒してあげてくださいね。
2007.01.12
自分が変わると周りが変わる、、、というお話です。不思議に思われるかもしれないので補足説明です。なお、これは掲示板の質問にざくっと書くものですから、詳細については、ご自身でお調べ願えるとありがたいです。その方が信じていることは、行動も決めてしまうのです。ですから、考え方を変えることによって状況が変わるということはしょっちゅうあります。この、考え方が変わると状況が変わるという考え方は、アメリカでは現在、心理学でも一部、取り入れられています。それを潜在意識と読んで日本でも本になっていますから読まれるとよいです。ユングも、それについては理解をしていたように思います。さて、これを少しわかりやすく説明すると、行動自体が、信じていることによって違うのです。ですから結果は当然変わってきます。例えば、松下電器創設者松下幸之助は、自分も体が弱く、ご両親も兄弟も早くなくなり、中学までしか学校を出ていません。こういった方々がもし、「自分は不幸だ、だから、こんなにだめなんだ」と世の中を恨んでいたら、「世の中がこうしたんだから、泥棒くらいしてもいいんだ」とか、その人独自の考え方ができます。そのために、そう行動をします。これはいじけて、犯罪に走ってしまった例ですが、あるいはいじけていたら、何か面接に行くたびに断られると必ず「中学までしか卒業をしていないからだ」という考えになります。そして、それから、先に行くのではなく、断られることを恐れて何もしなくなります。何かしても常に、「ああ、まただ、また中学のせいで」と考えて、本当は何かしているようでそのことを考えているだけで、何もしていないのです。学校に行くための努力とか、中学卒業でどう働いてけばいいか、真剣に考えるまえに「だって、不幸なんだから」というふうに考えてしまいますから。しかし松下幸之助そのほかの方々で成功をしている方は、「中学卒業だから、だめなんだ」とは信じておらず、中学卒業なんだなあ。という事実を認めているにすぎないんです。おなじように断られても、「あれ、ここでは断られるんだ学歴で」というふうに一個の事柄としてだけ捕らえています。人は、何か信じ込むときに恨み怒りという感情と一緒に溜め込むために、事実が見えなくなりますがこれは左脳にある、間違った思い込みではあっても、過去の経験から自分を守ろうとする、働きによるからです。そのために、どんな状況でも理由を探してその理由で満足をするために解決を図れなくなるのです。しかし、そういう恨み怒り恐れがない人は「中学を卒業しているから断られたなあ」としか感じずに、では次の会場では印象を変えてみようとかじゃあ、どうしたら、面接に受かるかな、というようにポジティブな結果を求めて全然違う考え方行動をします。背広を新調してよく見せてみたらどうかな、とか、恐れやそのほかがないと、一回では別にあきらめないですし、別に断られてもショックがないので回答を見出しやすくなります。おなじことが2、3度続いてもぜんぜん大丈夫ですから成功をしていきます。ショックがないと何度でもできる、というのは、例えば、言葉を話している赤ちゃんが、「上手ねえ」とほめられたら何度言葉を間違えてもしゃべるまで話すのに、すごく怒られた赤ちゃんであれば間違えること事体が非常にストレスで間違えることを恐れて喋らなくなるそんな感じになるでしょうか。松下幸之助の場合、あるいは、ホンダの社長さんの場合、非常に不幸な生い立ちと周りから見られる経験をしています。物資が全部ないとかね。しかし、それらすべてが、「へーこういうことがあるんだ。じゃあ、次どうしたらいい?」という発想をするために、障害にならない、という特徴があります。普通じゃ、「こんなに不幸だ」にはまることでも、発想の転換が図れるので、違う状況に持っていけるという感じでしょうか。結婚についてもこれは如術に現れ、「こうだからこうだ」という考えをされる方はある凝り固まった行動をしていますが、それ自体に気がつかなくなります。しかし「こういう状況でもこうできるからね」と信じられるのは根底に「だから自分は不幸だ」という思い込みに操られていないので、成功をしていきます。松下幸之助さんと、斉藤一人さんは、こう述べています。いやー中学卒業でよかった。ではないと成功できなかった。それは、彼らが、「あ、こうしたらいいぞ」という姿勢を持っていたので、見えた事柄があったことに気がついているからです。うんうん、こういう場合はこう考えるんだな、ということが体感としてわかっておられたように思うのです。さて、上記は普通のことですが、自分が変われば周りが確実に変わります。不思議だと思いますか?自分は、人は話を聞いてくれない、と信じていたらその人は確実に、「聞いてはくれないんだな」と思ったときに反感を感じるか、内側にこもるかします。「私がさあ、今日、雨に降られちゃって、、、」「あ、それで、今日忙しいからさ、ごめん」こう言われて、話を聞いてくれないと信じている人は、その人と距離をおき、どうせあまり親しくは思ってくれていないからと感じているために、よそよそしくなったり、します。それか、無理に仲良くなろうとするとか。とにかく不自然。自分では自然と思っているけれど、でも根底には話は聞いてくれないから説得するというのが動くのでそれは相手に伝わります。そーすると、次の会話では、「今日はお忙しくないですか?えっとちょっとお話していいですか?」と相手は聞いてくれないと疑って話しているので、その雰囲気は自然相手も感じます、本人は気を遣っていると思っているけど、気を遣ってるんじゃなくて聞いてもらえないから丁寧にしているんだものね。だから相手に伝わっちゃう、そうすると、相手は、やっぱり距離を感じ、「あ、ごめん。今日はちょっと忙しいんだ」となります。すると自分はまたもや、「また聞いてもらえない、尊重してもらえない」になります。しかしこの方が、「自分の話は聞いてもらえるんだ、大丈夫なんだ」と心から感じるようになると、「今日雨、降っちゃってさあ、、、、」「あ、ごめん、話、聞いてる時間ないから」と言われても、むっとはしても、聞いてはもらえないとは思いません。すると自然に、「え、そうなんだ、でもちょっとは聞いてもらいたかったな」なんてかわいいしぐさをしたり、要するに自然だから相手も自然になります。それか次回にも、雨が振ったら、「雨降っちゃってるねえ」なんて自然に話すので、相手も自然に聞くし、そして、何度か話せば聞いてもらえるチャンスが来るのを待てるわけだから、聞いてほしいことは聞いてもらえると感じていきます。ますます。でも一度で傷つく人は、もう同じ失敗をしないと感じているので行動が常に不自然になったりもするのです。そういうふうに、聞いてもらえることが自然と信じていると、周り中優しい人ばかりに囲まれて、と本人は思っていますが、それが、要するに、自分が信じているようになっていくという状況です、その人は人を信頼しているし、だから相手も自然とその人を受け入れるようになります。よく考えてみてください。ものすごく反社会的な人々が見ている世界。きっと彼らは、皆が自分に意地悪で、受け入れず、自分を馬鹿にしている、と感じているでしょう?でも実際にそうでしょうか?でも彼らはそう信じきっているのです。周りのやつらは馬鹿ばっかりとか自分をいじめるやつばっかりとか。でも実際にはよい人もたくさんいるのに、周りの人々もその人が恐かったりして、その人を少し避けることもでてくるかと思います。あるいは注意をしなければならないから注意をしたり。しかしその人にとっては、「周りが自分を避けていて世の中は、みんな、汚いやつらばかり」なのです。注意をされたらそういう人もよい人だとは信じられず、ますます、「自分を敵に回す人々ばかりだ」と信じていてそのために周りがますますそうなっていきますが本人の自覚としては、周りのやつらが、、、、になります。人が信じていることによって、周りが出来上がってくるということはそういうことです。自分が信じていることが、相手のそういう面を引き出します。人にはいろいろな面があります。そのどれを引き出していくかもあるでしょうし。また、おなじような方々をひきつけるということもあります。今ここでは触れませんが、状況、環境、すべてに影響をしていくこともあります。
2007.01.11
メールでの出会いで注意をする点をお知らせします。さまざまな問題がありますが、今回は、メールをしても、なんだか相手のメールがすぐに終わってしまう、という方に対してのアドバイスをしたいと思います。まず第一に、メールで出会う場合に、とても大切なことは安全確保です。それだけは、しっかりと覚えておいてください。特に、対人関係でも断れない方は、変な恋愛になりやすくなりますから、メールでの出会いは慎重になさってください。もう、いい子、いい子をしているのに捨てられるというタイプであれば、これはもう、メールでの出会いで飲まれないようにしてください。変な人でも好意的に解釈をすることで、好かれるんだと言う間違った感覚があるために、恋愛で問題が起きます。恋愛で大切にされているはずなのに、何かうまくいっていないというときには、気持ちの中で、何か不自然だぞ、と知っているのに、それをちゃんと感じることを避けているからです。「断ったら嫌われるんだ」と感じてしまい、「でも、こんなこと、きっと勘違い」と大切にされていなくても大切にされていたいと錯覚をして、縁を作っていきます。もう一つ、逆に、ものすごーくけんか腰になる人。これもメールでの出会いは難しくなります。けんか腰、というのは、「おい、まじめに付き合うのか、付き合わないのか、どっちなんだ?」と聞く人。この人の場合、ご自身は自分を大切にしていると感じていますが、問題の根っこは断れない人と同じになります。心の中の声をちゃんと聞けません。ごく普通の友人から恋愛になりそうになると、突然不安になってしまうのです。そのため、急ぎすぎてしまって、そして切り捨てる、ということを繰り帰すパターンを持っている方もいますがそれは不安から来ているパターンになります。あるいは、彼が変だと気がついていてもそれを認めるのが怖くて、何とか相手に責任を取らせようとしてしまうのです。ちゃんと見ていけばわかるものなのに、こういう方はけんかを売っても決して相手を離れません。離れたくないから、多少変なところがあっても何とか確信をさせようとしてしまうのです。その根底には、だますでしょう。傷つけるでしょう。そんなこと許さないわ、という姿勢を学んできた方です。愛情確認のためにけんかをふっかけるのですね。そのために、少し恋愛が始まりそうになるとまだまだ、様子をみておいてもいいのに、本当にまじめなのかどうか、というふうに少し脅迫めいて聞きます。結婚詐欺をする男性の仲にはこのように、「私を信じさせて。大切にして。私はあなたを見抜けないから」というふうに距離のとり方がわからない女性は不安定だと知っていて、そういう人々を探していることもあります。その男性が若干変でも、「私信じていいのよね」とすがり付いてくるので、それを利用するのです。心はとてもさまざまなことを知っています。でもそれは、「本当に自分は愛されるからOK,変な人と関わらなくてもいいんだからね」と心が知っているときにのみ正確に働きます。ちと、話題からそれました。本題に戻します。掲示板にご質問があった、ルールズをしているのにオンラインがうまくいかない、というご質問についてですが。メールを始めたのにすぐに相手とメールのやり取りができなくなるので、かなりがっかりされているご様子。でも、自分を大切にしていたらすぐに、がっかりする、ということはないはずです。・人は不思議なもので、何かをしてもすぐに傷ついてやめてしまうのは本当は潜在意識上に、「だって、どうせだめなんだよねでもこの気持ちに気がつきたくない。だから癒してほしいだから、愛情を求めたい」という気持ちがあることがほとんどです。メールでのやり取りでとても大切なことは、メールはすごい数の中から相手を探すんだということを知っておくことです。中にはまじめではない人もまじめではあっても、お互いに合わない人も恋愛感覚がそもそも違う人も山のようにいます。いて当然なのです。特にメールでは気軽に始められるのであまり重たい関係はまだもてないやとメールの途中で男性が気がついてくることもあります。だから、メールでは相手に何を求めて何をするかを自分で決めます。決めた上で、あわない相手はいなくなってもらうのは自分がそうしているからで、いいことなのです。例えば、気軽に関係を持てるというような書き込みをしたらそりゃーたくさん相手が来るでしょう。でもそれはそういう書き込みをしたからで。自分でそういうことを選んでいます。そういう人がいらないから、いらないだけなのでやはり厳しくすれば、話をしてもいなくなる人は増えます。しかし、過去に愛されていないという傷があり(これは幼少のころ誰でも感じている気持ちですが)そのために、愛されないんじゃないかと感じがちであれば、当然メールをしてみて長続きをしないと、がっかりして、自分を無意識にせめ、「あーあ、また会えないんだ。どうせだめなんだ」と感じてしまうのです。この、もともと感じている自分が真実だと信じている事柄にフィットをした気持ちががっかりする、ということです。自分を大切にしていたら、恋愛ができるということは再三伝えてきましたが、これも上記のことに近く、あーあ、どうせだめなんだ。どうせ、大切になんかされないんだ。でもそんなの嫌だそういう気持ちが動きやすいほど、がっかりしがちになりますし、この問題をちゃんと見られて、そして、いろんなことがあるけどね。自分の価値とは関係がないと感じやすい人ほど、「あれー。この人からメールが来なくなっちゃったけど、このサイトって長続きしない人もたくさんいるんだなあ」とちゃんと見られたり、「前はちょっと、冷たすぎたかな。今度は暖かく話してもいいかもね」と楽に見られたり、「うーん、あんまり長続きしないから他の人とも話してみよう」というふうにがっかりせずに状況をちゃんと見た上で学ぶことを学んで何をするかを常に考えられて、次に行くことができます。その気軽さと、新しい見方があると結構状況が変わるのですが、「同じ状況で常にこうじゃん。私」という予期があるとそれを自分で選んでいきます。この状況は面白いんですが、潜在意識上のこだわりを取り除いただけで、周りが変わっていく人もいるのです。でね、同じ状況でもがっかりしないご友人で気軽にさまざま、出会っていく人がいたら、その人から学んでみてください。ルールズをされているとのことですから、それであれば、ますます、「いらない人は来てもらわなくていい」と意思表示をしているのですから、選別は早くなるでしょう。がっかりしていると、状況が正しく見られなくなります。● 恋愛が上手な人は、去る人々がいても、それにこだわらない。よ~~く見ていると、いちいち出会って去っていくことで傷ついていない。● 一つ一つに傷つき、まただめなんだ、と感じる場合だめだと思いながら新しいものにすがりつき、しかしだめだろうな、と予期をしているので同じことを繰り返しがち。だから、ルールズのオンラインも、「これで救われた」と思われたかもしれません。そのために、オンラインで出会うまでは、結構忍耐をするかも、だって本物を探しているんだしねというところを読まずに、「これでだめならやっぱりだめなんだ」という過去の考え方のパターンにはまっているのかもしれません。● ルールズをするのであれば、もともと「自分が」いらないものは関わらない、ということをしていることを、知っておいてください。● 相手に期待をさせる会話(優しさ、暖かさ、会ってみたいな、と思わせるような会話)をしてみるともっとメールが長続きしたり、会えることも増えますがその際は、本当に自尊心を培い、その人々と会って相性があわなくても、「だから、私がだめになっちゃう。この人との縁を続けないと」という思いから無理をしないことが、本当に会う人とすばやく会える方法になります。● メールでの出会いでは、お互いに無意識に合っていることがないと続かないのは当然で、そういうことがあってもいいのです。ですから、それにがっかりするのが問題になりそれよりも、ああ、そういうこともあっていいんだと理解をし、その上で、もうちょっとであっていくかなと気軽に考えられることが必要になります。気軽にメールボックスを見てください。気軽にさまざまな人を見ていってください。気軽さは、状況を改善します。がっかりするのはどこかで、また、同じことが起きる、と予想をしているからです。上記のことが、恋愛の問題は、すべて過去の傷から出来上がるという一つの例です。「ああ、自分はどうせこうなんだろうな」と考えるために行動もこりかたまっていて、会話も自然にできなくなったりもしますから。上記を理解したら、CUAO(価値ある私) についてもより理解し、正しく使えるはずです。● なお、硬さ、やわらかさ、そのバランスをとってみてください。メールの下手な方の中には、バランスが悪い方がいます。柔らかすぎるのは、こびることや何か気を引くことで関係をもつ癖をもっておられることが現れていることが多いですし、硬すぎるのは、自分が傷つくことを極度に恐れているために相手が不信がられていると感じることもあります。まあ、メールもお勉強。気軽にしてみてください。そのうち相性のあう人とは会っていけますしその中からまた、恋愛を続けられる方も出てきます。そしてまた、メールの中で、ご自身が心地よく相手も心地よい距離も学べるのです。====================================
2007.01.11
ありのままの自分を愛すること、それは、何か問題が出てきているときには、魂が「ありのままの自分をまだ知らないですよ」と教えてくれている、と考えてみてください。「こういう自分は受け入れられないって信じているためにそういう事柄が起きていますよ。それは何ですか?」と自分自身が自分に教えてくれているのです。ありのままの自分はまた、「こういう自分なんて自分じゃないから嫌い」ではなく、さまざまな自分自身を愛せることです。女性らしい面もあるでしょうし、そうではない面もあるでしょう。今まで見えなかったところもちゃんと見出した上で自分と関わっていくことになります。キャシー天野
2007.01.08
さて、このご相談者さんの場合、ご自身がご自身を大切にして彼ができたわけですから、ここまでの間違いはないのです。しかし何が問題になっているか、というと、いくつかの間違った信じ込みがあることです。一つには、「自分らしくなるとわがままになり」「そしてそれは受け入れられない」という信じ込みです。こちらの信じ込みが、パターンを作っていることになります。そしてそれは、会話の中でも何か相手が話し合いを持とうとするときに、必ず動いてしまうものです。この信じ込みそのものを正確に探し出して、パターンを変えることでその方にはおなじことが起きなくなります。そしてまた、自分が女らしくなくわがままだから、そのままでは愛されない、というのが、幼いときから、この方が信じきっていた事柄です。この、信じ込みがあるために、女らしくすることは自分らしくないと力が入ってしまいます。実際には自分自身に女性らしい面があっても、それから、彼は女性らしくしろよ、とたとえ言ったにしてもそれは「自分に優しく接してほしいの」というお願いであっても相談者さんには、「自分らしくいてはいけないと言われている」というように聞こえます。それで、この信じ込み事体に働きかけていくとその人はその日から楽になって見方がぜんぜん変わることもありえます。さて、相談者さんの場合ですと、いくつかわけて考えてみてください。● 自分は女らしくないと感じているが、それは自分が女らしくしたら自分らしくないと信じ切っている気持ちがあるからです。そのために本来もっとのびのびしていいことをとどめていることはないかどうか考えてみてください。相手が女らしく、というときには「自分にもっと優しくしてくれる?」という言葉であるだけであることもあります。あるいは、好みであるときには、「私はこういう生き方でも大丈夫だ」とちゃんと分けて考えられると、よいです。また、ご自身は常に女性であって、「こういうふうにしないと女らしくないんだ」ではなく、自分自身が自然のままで女性として受け入れられるということを理解する必要があります。自分は女性であって、のびのび好きなことをできるはずなのにそうすると自分らしくなくなると信じているために女性らしく自然な姿であることをさえ、拒絶していることもあるのです。自然と優しくできたり、明るい色が好きだったりそういう小さな自分の女性らしさが認められると信じられず、「こういうふうにこんなふうに嫌いな女性像にならないと愛されない」と信じているので彼が「ここはさあ、もっと優しくしてくれる?」という対話さえ「自分が文句を言われている」と感じてしまいます。でも無理をせずに、相手とつながる方法は具体的にあるのです。今回はどう具体的に改善ができるかは、彼との間の会話を見ていないのでアドバイスができませんが、かなり自分自身の感覚と相手との感じ方がずれています。● のびのびして、彼ができたので、それは自分で評価をしてほめてあげてください。● 今出ている問題は、幼いときからある、自分が受け入れられないと信じている事柄が問題になっていると思ってください。あなたには確かに強い面があるのですが、それは彼は好きだから付き合っているのです。ただ、人が違う以上どんな場合でも調整は必要になります。特にこの書き込みでは、協調をすることは、無理をして自分を殺すことだという信じ込みがあるために、相手を受け入れてそして自分も納得するという会話の方法を学んできていないという可能性があります。会話の中で、「どうやって、お互いを受け入れられるか本当にお互いが協調できるか」という話し合いを学んでください。今までは、協調をするようにと求められると自然と「あ、自分を抑えようとしている」という嫌な気持ちモードが働きやすくそのために本当はもっとのびのび「あなたはこう考えているんだ私はこうしたいよ。じゃあ、こういう接点があるね」ということが探し出せていないことがあります。すると話の中で協調と言うことを求められただけで自然と心に壁ができて、相手とうまくやり取りができなくなります。彼が言っているのはここのことなのですが、あなたには「協調をすることは自分を殺すことだし、わかってくれない」と反発を今までしながら生きてきたために、そしてまた「このままではだめだ、協調しよう」と無理をする方法しか知らないために、今回も彼の言葉が、「だから、私をまたつぶしてあわせろというのね。(あの幼いときの両親から要求をされていたみたいに、。、、、)という間違った言葉に聞こえるために、問題の改善が図れないのです。ご自身が本当に自分を愛する、ということは、そういった信じ込みを取り去った上で、本当に得たいものを得られる力を得る、という意味だとご理解ください。本当はどのような自分も受け入れられるのですが受け入れられないのは、「こういう自分は受け入れられない」と信じているために、ある行動のパターンを築いているためになります。その方が自分自身で自分を受け入れ、そしてある信じ込みから問題を起こすことがなくなりちゃんと自分を受け入れられたときには、周りが自然と優しい人ばかりになっていきます。以上は一つの例としてあげましたが、この問題は個々人それぞれやはり回答が違います。それくらい、魂の本質は個性があってすばらしいものなのですから。====================================
2007.01.08
今回のテーマは、暮れからお約束をしていたご質問に対してお答えしたいと思います。遅くなりごめんなさい。まず、ご自身がご自身を愛したときには、人々は自然とその人を愛します。というのは、頭の片隅においていてください。自分を愛していなければ、自分はそのままでは受け入れられないという強い感覚を持っています。この感覚があると恋愛では、相手にしがみつくという行動になって現れます。自分のとても痛いところをつかれたときに人がとる行動はかなり固執したものになりますが、それは、「自分はこの人がいて、愛されて初めて完成をするんだ」という気持ちになるからです。自分をちゃんと受け入れられていれば、その恋愛がだめになって悲しくても次の恋愛にちゃんと進めたり、悲しんでちゃんと嘆いてお終いにし、あったことを勉強として受け取りやすくなります。しかし安定をしていなければいないほど、相手に固執をしやすくなります。また、その方が「こういうふうには愛されない」と信じきっている事柄があればそれを強く求めますから、それが失われたときにも恐怖心から相手に固執をしやすくなります。例えば自分があまりほめられないと信じていればほめられたことが愛情だとまた信じていれば、ほめてくれた人に固執をするかもしれません。そしてその方と関係が出てきてしかしそれが愛情ではないとわかったときには、あきらめきれずに憎む恨むになります。対人関係でもこれは一緒で、自分が聞き届けられないというように一つ、大きく無意識で信じていることがあれば、人に対してとても強い意見を無意識に言ってしまうので、相手が抵抗をしてますます聞き届けられなくなります。という状況をご自身で作ってきます。ということを理解した上で、本当の自分を大切にする、のびのびする、ということをお伝えしていますが以下のようにご質問をいただきました。以下の掲示板のご相談を引用します。なお、これはご本人に掲載の許可をいただいています。──★──★──★──★──★──★──★──★──★──はじめまして。ご相談させて頂きます。キャシーさんの日記やこちらの掲示板を見ていて、「ありのままの自分を愛すること」の大切さを感じるようになりました。(それまではあまり自分が好きではありませんでした)だんだん自分のことが好きになり、生活を楽しめるようになり、自然と彼氏もできました。彼はとても優しくて、私のことを尊重してくれました・・・が、付き合って3ヶ月くらいたった頃から、私にダメ出しをするようになりました。女らしくない、自分勝手すぎる、など。私は確かに女らしくないし、自分勝手です。以前は「治したい」と凄く葛藤していた短所です。そこも含めて好きになってくれていたと思っていた彼にダメ出しされるようになり、混乱しています。──★──★──★──★──★──★──★──★──★──これをお答えする前に、とても大切なことをお伝えします。まず最初に、その方はご自身の答えを正確に持っている、ということです。対面のカウンセリングではそちらを引き出していくわけですが、スリーインワンであれば、その方の本質の部分から湧き出る答えは非常にパワーがあります。ですから、その方の本質から湧き出る源泉を探していきます。その方にとってそれぞれ答えがあり、そしてそれを見出したときにはその方は幸せになっていきます。ですから、人によっては、より、女性らしい面を引き出す方もおられるでしょうし人によっては、より、自分らしくいることで問題が解決することがあります。ということをご理解くださいね。つまり、今回はこの方の少し即して回答をしていきますが、その人らしくなるというのは人によって、全く違う方向をもっているものです。・しかしその方がその方の本質を見出し会話の方法をきちんと学んだときに魂からのつながりは非常に持ちやすくなります。2、に続く
2007.01.08
どうやって人に相談をすればいいんだろう?特に親しい彼などには、あまりびーびー泣きたくないしすがりつきたくもない。けれども、相談をしないと辛い。そのような質問がありましたので、書きたいと思います。相談をすることは、とても大切なことです。本当に考えている事柄をお互いに知ることで、親しい人であればより親しくなる経験もあるでしょう。それに問題があるのに、自分ひとりで悩んでいても、よくないこともあります。まず、ご自身の行動に自分で責任をもつことこれさえしっかりしていれば、相談をして悪い関係になるというのはないので、そこを抑えておいてください。彼と彼女の関係、あるいは、相談をする、されるの関係で問題になるのは「もっともっと、甘えさせてよ。もっと大切にしてよ」と思ってしまうために、相談をしていることと、そういった気持ちとがごっちゃになってしまうときです。そうなってくると、相談されているほうは、相談を聞いているのにあるいは、忙しくてできなかったり、あまり相談に乗る習慣がないからできないだけなのに、なぜ相手が非人間的だと責めたり、怒っているのかわからなくなります。また、相手がちゃんと答えてほしいとすがってくるのを知っているので、重いとかうっとおしいとかなります。しかしこれが恋愛関係であれば、すがりつきたいほうはますます、自分が大切にされていないと感じるのですがりつくという悪循環になります。ですから、「こういうふうに相談をしたいなあ。こういうふうに甘えたいなあ。こうすると楽だなあほっとするなあ」というのは自分の責任で知っておいてください。甘え上手な人は、相手との関係にもよりますがそれを知っている人です。「私はこういうふうに相談をしたいんだよ。そしてこういうふうに甘えさせてくれるととても楽なの。でもこれは、私がしたいんだから、勝手にするしあなたが忙しかったり他のことに気が言っていたら別にそれはそれでいいよ」と感じていて、「ああ、こうできちゃった楽しかった」と思えるのであれば相手がしてくれたときに、感謝をできます。出たり入ったりを楽にしているのです。まず第一に、自分がどうしたいのかを知りその上で、それは自分がそうしたいんだということを知っていて相手からそれを得るのは自分と言うことを知った上で相手と関わってみてください。例えば、話したら気が済むのであれば、「話したら気が済むんだよし話してみよう、ああ、よかった。話せて」と満足が行けばその人はますますその人を大切にしてくれるようなことが出てきます。あるいはその人がそうではなくても一度で傷つかず、同じように自然にできるのであれば、対人関係でそういう望ましい関係がだんだんと得られていきます。アドバイスがほしいのであれば、「これはここまでこう整理できたんだけど、あなたはどう思う?」と聞いてみてアドバイスをもらえばいいです。しかしアドバイスがほしいのではないのに、アドバイスがほしいふりをしていたりすると、アドバイスを相手がしてくれればしてくれるほど非人間的に思えたり自分が尊重をされていないと感じてくることも出てきますから、自分が本当に望んでいることを自分で知ることは大切です。逆に「話そうと思ったのに聞いてはくれなかった。相手は自分を嫌いなんだ。相手が聞いてくれない相手は、、、相手は、、、自分がこんなに苦しんでいるのに、、、」と常に自分がほしいものも分からずその努力もせず相手を責めたたり、常に人に引きずられていると相談を聞き届けられなくなってますます聞いてはくれないと感じるようになります。喜ぶために喜びを選択し、思った通りではなくてもそれについては、自分がどう満足をするかを再度考えて自分で責任を取れるようになれば、だんだんとほしいものが手に入り、不満を伝えるために不満を選択し、不満だから常に相手がどうしてくれるかに視点が言っていれば相手はますます遠ざかるという関係になります。相談事が、二人の間の事柄ではなくて本当にその問題について話をすれば整理がつくのであればその相談には乗ってもらいやすいはずです。だからそこから練習をしてみてください。相談をしていて、「うん、話して気持ちが楽になったありがとう」と自分でも解決を図る努力もしているとよいでしょう。けれども、相談をするのが、相手に頼りたくてすべて不安を解決してほしいと望んでいるのであれば相手がそれで距離をとることがあれば、「あれ、少し負担をかけすぎかなあ」と考えて自分自身でもその不安を改善する努力が少し足りていないと考えてみてください。えーっと、今は頼りたい気持ちになっちゃってるんだけどそれに相談ではなくて、相手に頼りたい気持ちが出すぎて不安なんだけど、この問題は、この問題で別に解決をした上で、その人との関係はまた別に考えよう、と考えてみることだって大切でしょう。また、男性の場合は、気持ちを分かるよりも通常、「それはね、こうしてこうすればいいいんだよ」というふうにアドバイスをしがちですから、それでは気持ちが満足しないときには、「あ、聞いてもらえたらうれしいんだ。聞いてもらったら自分で考えを出せるの」とちゃんと伝えれば、自分のほしいものは手に入ります。人間関係でも、与えてくれないから恨みに入ると与えてくれない関係になります。自然と感じたことを伝えつつ、しかし自分で自分の幸せに責任を持っていると協力者が増えてきます。
2007.01.05
お正月も3日になりました。今年の皆様の目標は決まりましたか?素敵な1年にしていってください。さて、今回は、掲示板にご相談が寄せられた、友人が少ない、ということに触れて書きたいと思います。日記に掲示板の書き込みを引用することについては、ご本人の了解を得ています。──★──★──★──★──★──★──★──★──★──皆さんの意見をお聞きしたくて投稿しました。現在私は、三十代です。割と小さい頃から、一人が好きで本音を語れる友人と言う人がいないまま、この歳まできました。最近、数少ない友人関係で「何故私は、この人と友人なのかな」と思う事があり、私の方から連絡を絶ち、元々数少ない友人が、更に少なくなりました。自分の中には、「一人でいる事の楽しさ」と、その反面、「友人は多く、人から好かれていなければならない」という、二つの気持ちがあり、孤独でいることの楽しさを自分自身が打ち消してしまう感情があります。お付き合い、10ヶ月の彼がいますが、その事はあまり気にはしていない様子です。心の底では、本当はすごく友人が欲しいのにまた傷付く事が嫌だから、わざと孤独を楽しもうとしているのか、自分の感情が少し解らなくなってるのかしら・・・・。どなたかご意見ありましたら、お願い致します。──★──★──★──★──★──★──★──★──★──人は面白いもので、気がつかないうちに「これが一番自分が傷つかなくてよい方法だ」ということを学んできます。それは、そのときには一番よい方法なのですが、しかし年齢をあがるにつれて、「そろそろ、学ぶことが出てきたよ」ということを天が教えてくれるようになります。そのころになると、何だか違うという気持ちになったりむなしくなったり、あるいは、同じ事柄がずっと人生に起きてきていて、そろそろ改善せねばなあ、というような気持になっていきます。実際には、その人の人生で同じ事柄しか起きないのはその方のパターンがあるからということがよくわかります。ですから、今までの方法とは違う事柄を学べたときに新しい人間関係を持つことができたり、あるいは、新しい異性とのかかわりが出てくることもあればそして、夢が叶っていくこともでてきます。この方が、心に引っかかりを持つということは、今は違う方法を学ぶ時期なんだよ、と心が、魂が、教えてくれているのです。さて、今回の、課題についてお伝えします。こういうご相談をされるということは、「人に好かれないとならない」というストレスがあるために、自分を見つめて人との心地よい距離を学んできていませんから、今後それを学ぶことが一つの課題になります。本当は、友人が多くいてもいいというわけではなくご自身が心地がよい人と心地よい距離でお付き合いをしたいのだろうと思います。しかし、「人とはこう付き合うもの」という考えがあってご自身とよくお付き合いができなかったところもあるようですね。人にはそれぞれ違いがあります。その違いは、人それぞれですが、以下に2つだけ例をのせますと、速度の違いというのがあります。その人が、何でも、ゆっくり進まないと心地が悪くて人に引きずられている場合がすることもあれば、早く進まないと自分が馬鹿にされている気がするなど、速度が違うとすれ違いを起こします。例えば仕事場で、自分は全体的に見て考えて行きたいのに、相手はさっさかしていないと怒鳴っているなど。あるいは、自分はさっさか済ませたいのに、相手が何だか動かないようで、自分の意見や価値が大切にされていないと感じたり。また、人との距離間の違いもあります。ゆっくり友人になりたいのに急に入ってこられると無礼に軽く扱われていたり、安全ではない気がして引いてしまう人と、そして、早く親しくなりたくて軽い言葉を使って懐に飛び込みたがる人とがいます。早く友人になりたい人は、ゆっくり友人になりたい人から、見下されている気がしたり、暖かく迎えられていないように感じたり、自分が受け入れられていないと感じたらお高くとまっていると感じる人もいます。このように、人にはそれぞれ違いがあります。この違いをしっかり知っておらず、今までの対人関係では相手に合わせることばかりで自分の心地よさを知らないために、相手とよい距離が取れないのです。自分を知らないと相手もわからなくなります。相手に違いをちゃんと伝えることもできなくなります。自分自身のことがうまく伝えられないために、問題がおきてきます。そして、お互いに誤解をして、嫌だと急に距離をとるような感じになるのでうまくいきません。そのために、よい距離ができません。自分がゆっくり全体を見てから結論を出すタイプであったら、速い速度の人といたら、「ちょっと、待ってね」「これとこれができたら伝えるね」と伝えられるようになるだけでも、その人とのよい距離がつかめるようになります。速い速度の人はどこまで待てばいいかわからないのです。でも「ここまで待っててね、私はこうだから」と言われれば、どう何を待てばいいのか、指針ができるので、安心をします。そしてまた、相手が「早く早く」とせかせていても自分を嫌いなわけではなく、相手は早くしないと自分の方法が尊重をされていないように感じていたり焦っているのだと知れば、、、、もっと気持ちが楽になるはずです。自分自身も、「この人がせかせているのは私が愚図だからだけではなくて、その人の個性もあるんだなあ、これをちゃんと調整をすると、面白みがあって、親切で結構楽しい人じゃん」みたいにわかってきます。今までは、一人になりたい気持を押し殺してそして何とかあわせていたために、自分も心地よくなれないし相手とうまく付き合えなかった、ということがなんとなく上の例を読むとわかるでしょうか?ご自身を知ること。これが、人と居心地をよい距離を測る上でとても大切になるのです。いったいどういう関係を築きたいのか、そして何か傷つくことがあったときに、上記のように「何か感じ方の違いがあるのかしら?」とお互いに学んでいく勇気を持つことです。今までのパターンのように「ああ、こうなったから、こういうふうに距離をとって」という同じパターンではないことを学んでいきます。ではないと「どうせ自分は受け入れられないから無理をして自分を殺して、付き合っていないと」となって双方が欲求不満を抱えたままの、関係になっていくからです。今までは、「人に嫌われる、だからこうしないと」と人を遠ざけていました。そのために息苦しくて人と関われないのに、関わりたいと言う二重の気持をもってしまいました。でも、これからは、「本当に私はこういう個性で、この人とこうかかわりたいなあ、そのために、こういうふうに距離をとろう。一人を楽しむことがあってもいいし仲間に入ってみてもいい。それから、自分のスペースを保って落ち着いて人と話してみたらどう関われるかなあ」と自分から自分の望んでいる距離できちんと相手に意思を伝えながら、自分の望んでいる関係を作り出せる力をつけていくことが大切になります。その学びは、とても素晴らしい、豊かなものになるはずですから。チャレンジしてみてくださいね。
2007.01.03
皆様、明けましておめでとうございます。昨年中は、皆さんに支えられて、日記を続けてきました。ありがとうございました。今年一年の皆様のご発展を心よりお祈り申し上げます。昨年から、日記にあげると公言をしている内容があるとは思いますが本日は掲示板のご相談からではなく、新しい年にすばらしい恋愛ができますように、皆様の恋愛のタイプについて書こうと思います。後日改めて、皆様のご質問に順次、お答えしたいと思います。本日は、恋愛でのバランスのとり方をお伝えします。恋愛では、バランス、というものがあります。普通、恋愛では、3つのバランスがあり、そのバランスのどれかが崩れてしまうとうまくいきません。一つは、女性としての魅力、もう一つは、期待感、そして最後が、人としての魅力、です。女性としての魅力は、見た感じがその人の好みであるかどうかを含めて女性らしくあるかどうか、になります。この魅力はその男性により好みがありますが、セクシーさだけをかもし出すと、問題が出てきます。しかし頑なに、古い服装をしているのも問題があり、セクシーさを出す場合は、後に述べる人としての魅力とのバランスが大切になります。そして2番目の、期待感、ですが、これは、男性がその女性が自分の手に入るんじゃないかなと思う期待度です。男性はその女性が自分を好きかどうか、成熟をしているかどうかを会話で無意識に試したりもします。その際、さまざまな信号を出しつつその女性がどう反応をするかを見ています。自分を好きかどうかを図る場合もあるでしょうし、あるいは、性的な話をして、その女性の成熟度やどうかかわれるかを試すこともあります。優しさや私はあなたの味方だよ、ということを女性があらわすことも、この女性にアプローチをできるんじゃないか、と、男性に期待をしてほしいからです。この期待感があると、男性は、その女性に関心を持ち接触をしようとします。しかし問題は、女性としての魅力と、そして期待感、しかも性的な話にのりのりだったり、そういう雰囲気の期待感をかもすだけで、最後の人としての魅力に欠けていると、性的な対象としてしか見られないことがでてくることです。とても気軽に恋愛ができるのに何だかまじめに好きになってくれない、相手には彼女がいた、というような問題がおきてきます。そういう問題があるのであれば、期待をさせていてそしてセクシーさや女性らしさばかりを前面に出して恋愛をしていないかどうかを振り返ってみてください。最後の、人としての魅力、これは、その女性が恋愛ばかりにのめりこまずに自分らしさをきちんと持ち、生き方を持っているかどうかになります。デートを誘われても、その日に何か予定があればそちらを優先することもたまにはあったり、携帯の番号を聞かれてもすぐには教えないというような自分自身で自分を守れるきちんとした姿勢、社会人としての考え方を持っているかどうか、になります。この3つがバランスよくそろうと、恋愛はうまくいきますがその3つがそろうのは、自分の個性もあるでしょうしその相手だからうまくいく、ということもあるでしょう。あまりに相手にのめりこみすぎてしまって、1と2だけを使っていたら相手は真剣ではない、ということも出てくるでしょうし相手のことを、あまり好きではなくて、1も3も使えるけれど、全く期待なんかこれっぽっちもさせないで、はねつけていたら、相手は一生懸命でもやはり期待ができないから離れていくこともあります。ルールズという本では、1、と3のみを強調をしている方法ですがこれには理由があり、女性らしくもあって、考え方もしっかりしてなびかずにそして、あまりに余計な期待をさせていないのに相手がついてくる場合は本命であることが多くなるからです。そのために、この方法を用いています。しかし逆に3のみが突出をしていて、1も2もないと、高飛車な女として捕らえられるために、縁遠くなります。もし、1のみを出していたら、妹のように、なんだかおこちゃま扱いをされることが多くなります。それぞれ、何が突出しているかによっても恋愛のタイプが決まってきます。皆様のタイプを考えてみると面白いでしょう。水商売で成功をされる方々は、この3つをきちんと取り入れていることが多く、期待感だけをむやみにあおる恋愛をされる方は相手が去りますし、人間的に成熟をしている面を見せないでセクシーさと期待感だけを見せるとセカンドになりやすくなります。今年一年がすばらしい年になるようにお祈りしつつ、少し筆を進めてみました。皆様の夢が叶うよう、心よりお祈りいたしております。キャシー天野
2007.01.02
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