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先ず『何らかの』気持が起こったらそれにひきづられて次の行動をしないことです。この訓練が正しい道にあなたを導いてくれるでしょう。例えば『相手が不機嫌みたいだ』『だから何かをしないと』と走り始めるのではなくて『不機嫌だと感じてこわい私がいる」というように自分を受け止めてあるいは『わ~怖い、何かをしないと収まらない~自分がいる』と受け止めて待ちます、怖さが収まってそこから行動をせずに収まったときに出てくる判断が正しい判断です。そのこわさからいつもこびたり相手に機嫌よく笑いかけたりしないと怖さが収まらないと実は不安がドンドンまして、不安だからこびていないと相手の機嫌をとっていないとならないとならないという中毒になりますが、(つまり怖くて何かをすることに依存をする)相手はそうはにこにここびられることを求めていないのでそこに人間関係の勝手な勘違い自分だけが頑張っている症候群が起きます。このそんな自分がいる、と言って受け止めるのは禅などで使われているようで、そんな自分がいて走っていないとこわい自分がいるのと、走らないとならないと考えてしまって事実とまぜこぜになって中毒になるのとを区別するのによい方法です。できれば走る前の、『わー怖い、相手が不機嫌だと怖い自分がいる』でそこから行動をとらない訓練が必要です。中毒になるとずっと同じ行動をしないと安心がえられないしそれって結局相手のために何も出来ずに自分のためにしていることなので焦点がぶれてしまいますからね。つまり本当には相手のためになんて何も出来なくなるということでもあります。対面のセッションでは今まで、怖く感じるそのものを改善してきたので色んなものが軽くなる方々もいらっしゃり、そんな経験を伺うのは本当に楽しいものですがこの方法も、ご自身でするのにとてもよい方法です。ややこしいのは誤った関係性だと、(異性でも親子でも)自分が変わろうとすると今までの支配方法で相手が一旦脅しをかけるということですがここでも動かないとようやく相手が変わるという経験はしてっても楽しいんじゃないかなあ?つまり相手はわざわざ『それって本気?本当はちょっとの脅しで前に戻るよねぇ?」と聞いてくれている、ということです。ここで反応をしない、淡々と、上記の方法をしていってください、変化した後って本当に豊かな関係が築けます、相手も変わるし。嵐の後の美しい晴れ渡った空のようだわね。よき人生を!自分の人生は自分の手で豊かにしてみてください。天野
2010.06.24
皆さんの問題が自分で処理をできないのは自分の中に親が住んでいて、そして相手の意見に左右をされすぎていてこれはもっと頑張らないと、これはこうしないと駄目なんだからこんな自分は駄目だから変えないと、というように考えてしまうので自分をちゃんと見つめていないからです。自分はこんな個性があり、こんなところがありこんな弱さがあり(本当は弱さではなくて自己管理なんだけれどね、でもその弱さをちゃんと認められないで避けていると自己管理ができませんから)こんなことは負担であり、だったらその私が、そういうところがある私が、私なりの効率と私なりの体の楽さとそしてできる部分と気を抜く部分と抜かない部分と自分をちゃんと知った上で、自分ができることを探すということをしない限り焦って自分をつぶすだけでしょう?自分が駄目だから自分を自らの手でつぶしていくそんなプログラムが罪悪感にはあります。罪悪感は悪いことしたなあ、と思うばかりではなくて『自分を認めて見つめて自分なりの方法を考える』という知恵をなくしてしまって『こうするのが良い姿で自分は欠点を直さないとならない怖い」というのだって罪悪感なんです。自己管理ができなくなります。いつも相手の要望にあわせようとして自分を見つめないからです。自分の状態が把握できない、把握できてもそこからどうバランスをとるかという考え方が浮かばないほど、自分に禁じている姿が罪悪感一杯の姿でもあります。『お母さんお父さん周りの上司が望んでいると自分が推測をしたことをしないとならないでききない、でもそんな自分が駄目なんだそんなこと認めらない、自分の欲求も認められない」と自分の本当の姿から逃げてしまう、それも罪悪感ですから。私であれば徹夜や無理よ、だって年なんだもん。でもだからって頑張れない私だから仕事ができないでありましょうか?もっと睡眠時間を減らして頑張ってよい仕事をするんだ、といくら周りが言おうが私が私に責任を取れる仕事を自分で選ぶのが大人というものです。仕事を誰かと一緒にした経験もあり、相手によっては凄い企業家で、凄く凄くエネルギッシュな方はおられます。私はその方の意見も聞くけれど、きちんと自分でバランスをとっています。相手が凄く頑張っておられますね、といってくれることもありますがでもそんなことはなくて、自分が凄くバランスをとっているから手を抜く場所をちゃんと分かっているからつぶれないだけです。そうすることが立派で良いことだと伝える人があろうがなかろうが上司にいようが、自分が本当に自分に責任を持ってよい仕事をするためにできないものはできないわさ、と認めたうえで何をするか、です。何をしないか、です。自分に許可を出すこと、自分の弱さと戦わないことそこから回答が見えるでしょう。
2010.06.20
最近、対面のセッションで相手の心と話す、本質と話す、感情と話す、ということがとてもよくわかってきていて心と話をして、本当に心が『本当にこうだ、納得した』ということは性格でも何でもすんなりと変えやすいということを経験をしています。そのためには『頭』の部分、『防衛本能とその人のパターン』がその人をほとんどの時間操っているのでその部分からご本人をはずしてあげる技術も大切に思うのです。それで、頭で考えると間違った方向に人は行くので気に入った本があったら、頭で読まずにくよくよ考えずに読み流してみてください。楽に読んでくよくよ考えずに実践に躍起にならない、その楽さを実現していけばすぐに本の通りのことは起きるでしょう。いずれにしろ、くよくよ考えていると凄く面白いのですが潜在意識のマイナスの事柄に引っかかって、そのまま引っ張られます。例えば良い相手にしがみついていると、頭で考えているのに引っ張られるのは感情的に行きたい(潜在意識が)方向にもう引っ張られるので、心の声を聞く訓練の場も設けないとと考えています。 これについては時間をかけて分かるように説明をいずれする機会を持てたらいいなあと思います。天野
2010.06.18
過去に日記にあげるかもしれないと伝えながら書き忘れていることがありそうです、すみません。先ず最初に、対人関係で、相手が逢うたびに自分に迷惑をかけたといったようなことを繰り返し同じようなことを言ってきて自分が凄くなんでしょうか、尊重をされない感じ、あるいはしつこいような感じなのでしょうか。そんなことを受け取っていて、でもそれを伝えることがしずらいだって本当に迷惑をかけたから、そんな質問に答えるといったような記憶があります。自分がしてあげたことを自慢げではあるけれど親しみを込めて言っているのかもしれず問題は『その人』ではなくて自分自身が嫌であるときにしかも凄く早期の時に、何故伝えられないかという癖を見直すことがとても大切になります。それと、相手に迷惑をかけたし事実だからいえないのではなくて何でもマイナスのことは言えないあなたがいるという自覚はしてみてください。本当は迷惑をかけたことはありがとうごめんね、の問題でありかといって愚痴をずっと言われるのが不快なのは別の問題です。伝えられないことにはどんな思い込みがあって(相手を傷つける相手に凄く悪い、自分は嫌われると言ったように)そのために見過ごし見過ごししていることがあってそのために相手には潜在意識上の『言ってよいよ』の許可を与えていること全然怒るとか無礼になるとかではなくて最初に伝える時には、『伝えることはとても怖いことだから凄く戦わないとならない』という思いがまだあるので上手にできないかもしれませんが軽くとても軽い時点でよけるといったようなことを学ぶことが大切になります。最初に何か『事件が』起きる前の前の前のその人が自然にしていることなのですが気がつかないくらい前に、あれ、少し変だなと思ったときにいや思わないかもしれません、それくらい、人は『これは自分が受け止めればいい』と思う事柄は流す癖がついています。でも気がつかないくらい前のときに楽にできることは問題を作らないことの為に必要な技術です。今は長い時間積もってしまった事柄だから、『ねえねえあの時って、ああだったよねえ」と繰り返し言われるのが不自然だと思えば、『あはは、そんなこともあったよねえでも昔の話題ばかりだと皆もつまらないから他の話をしよう」とくらいジャブを入れてもいいのですが時間がかかっているぶん相手がむっとしても良いということは覚えておいてください。情況を変えるために正直に伝えること、そしてその結果が何か起きても大丈夫なこと、動揺をしないことはとても大切です。ただし問題は、もっともっと前に始まっています。関係性の中で、相手に対して凄く些細な事柄が変だと思ったときに調整をする能力を身につけてください。例えば、もっと前に、これはあなたの過去を知らないので適当な例としてあげます、だから例だからまともにこれがあったと思わないでください、ただ例であげる適当なことです。たとえば、相手が何かをやってくれていて、やりすぎだと思っていて、相手もそれが自分でも負担でもあり嫌だと思っていたけれど、『負担だったなあ』という思いをちゃんと自分で『あ、負担だったんだ、嫌だったんだな』と自覚ができておらずにいるとそしてあなたに対して愚痴を言ったとして(その時に嫌なのを上手に相手も表現ができていないから)そのときには凄く凄く小さなことだった、例えば『ごめんね』とあなたが言って『あ、ううん、全然いいよ、よくあることだから』といいつつも言い方がきつかったとしてでもお互いにあなたはきついけれど我慢をしようと思っていて相手もきつく出たのは自覚ができず、とにかく我慢をしてあげないとと思っているとすると自分にここで正直などちらかがいれば、「あれ、きついな?何か思っているのかな?」と思えれば『ごめん、本当は気になっているかもしれないね』とその場で言えれば相手は潜在意識に「あれ、自分は嫌だったんだ、受け止めてもらえた』と感じるのでその後の問題は作りません。あるいは相手が自分に正直であれば、『本当は凄く嫌だったの我慢していたんだな何だか迷惑って思えない自分がいたんだ、そうか』ときがつけばその後、ずっと同じ話題を言って何かを気がついてもらおうとしないということになります。ようは自分が問題に巻き込まれるのはその時に気がつけない些細な事柄をその時に処理をできていないのが時間差攻撃アタックで来ることが多いです。これは単なる例なので、これが起きているということではありません。起きていることは別のことだろうし、でもその方の潜在意識を変えていくと問題があまり起きなくなるのは小さな時点で自然と気がつけるようになるからです。潜在意識上にある問題というのは、実は二人が同じ事柄を起こしていたり違う問題なんだけれどお互いの引っかかる部分がお互いにクローズアップをされていることがあります。よくあるのが伝えない人と、伝えない善意で感じないために相手が無視されているように感じてますます絡まるということはよくあります。善意でこれは悪いことで感じないようにしよう、と相手の怒っている部分や嫌だなと思っている部分に気がついてあげないと、相手は自分が無視をされている感覚があってますます絡まって怒ったりしつこくなったりするからです。自分がそんな気持ちがあってよいことに許可を出すテーマはそんなときにはあるでしょうね。大事なことは、遠慮をしすぎてしまっている二人がいたからこそこの問題が起きたことを知った上でどうするか、です。こもった事柄は、ずっと復讐をし続けます、時としてこういった問題ではなくて他の事柄であれば、納得をしていない自分自身に対して成功をしないという復讐をすることもあるし、会話で何かを分かって欲しいとずっと同じ話題ばかりを繰り返し続けることもあります。復讐というと怖いことみたいですが、そんなことはなくて分かって欲しいよ、という赤ちゃんのあるいは幼少期の部分です、そしてそれはお互いに自分自身に気がついていないところに気がつけるほど正直に(あるいは片方が自分に正直で)あるときにのみ解消がされていく事柄でもあります。今後溜め込んでしまっていることは、どうしても強く出てしまうのでもめることもあるかもしれませんがそんなに迷惑をかけたかな、私は自分が何だかとても嫌がられているようで残念だな、といったようなことは伝えておかないと、ずっとそのことは持ち出されるかもしれませんね。皆さんに伝えておきたいのですが潜在意識いに大きな事柄と刻まれたことは大きな事柄に扱ってしまうことがあります。自分が不愉快だ、と小さなことで感じることはたいしたことないこと、相手が不愉快に思うこともたいしたことないそんなこともあるし、というように感じている人々はその問題を小さく扱い小さく処理をします。そんな処理ができる力を養ったり小さく扱えるように訓練をしていくことそれをACRは目指そうと思います。対面では大分早期に解決をしていけることは慣れてきたかと思います、。でも皆さん自身が自分たちで力をつけることも工夫をしていきたいんです。そんでね、掲示板でおそらくもっともっと良いアドバイスを(実践的な会話の方法とか伝える方法とか)もらったでしょうからね、一つ実践的ではない方法も伝えておくと相手が赤ちゃんで、あなたに甘えていると思ってみてください、そしてあなたはあなたで、正直に伝えて(それは相手が怒ったりマイナスの感情があっても当然だなと認められる能力をも含めて)ちゃんと自分を自分で守る課題が今あることに気がついてみてくださいね学びの一歩なので最初の一歩は上手に伝えようと思ってももめることがあるかもしれませんねでも伝えることが悪いことというのを先ず処理をしてその先に本当は伝えることは悪くない、潜在意識がとめてしまったもっともっと小さなことを感じる許可を出す能力を培うのが本来の問題のテーマです。みなのために良い子ちゃんを演じているかもしれないあなたへ本当の自分に触れ合いますように。今書いたのは掲示板の数行の書き込みに対してだからね対面のセッションだと全然別のことも出てくるでしょう、それは許してください。ヒントになるかなあ程度に読み流してくださいねあまり深刻に考えないで読み流す、これが一番潜在意識を変えるのによいです。難しく考えなくてもよいです。変なことなのですが、頭で考えると間違えます。右脳は、全部が正しいという感じ取り方でマインドのある左脳は一つの正解しかないと思い込む癖があります。それに左脳、マインドは、考えるのがお仕事。何でも大げさに深刻に考えてしまうのです。それで、たとえば相手が、そんな難しいことは全然考えていなくて言いたくて言っている、たいしたことではないしと感じていることも事実でしょう、それであれば自分もたいしたことはないんだけれど、でも気になる私はいるからね気になることを伝えてもいい、相手がそれにちょっとむっとしたってまああるころでしょう、というように簡潔に感じていくことも良い訓練になることでしょう。キャシー天野
2010.06.18
好きではない人と関係を持ってきた自分が許せないそしてそんな経験からきちんとした恋愛をしていない人々もけがらわしい、そういった書き込みがありましたからそのような方々に向けて書きたいと思いますそれで日記で注意をして欲しいのは私は個人に向けて情況を良く知ってアドバイスをしているわけではないということです。だからご自身が使える必要な部分だけを使って違うなと思うことは、自分が何が違うのかそこを確認してご自身のあり方を大切にしてみてください。対面のセッションであれば、私はその方の本質に触れるということに対してある程度自信があります。でもメールカウンセリングや掲示板では私はある一つの言葉をぶつけて、その方の中からその人なりの感じ取り方からこれはこっちのほうだ、これは違うけれどこれは使うぞ、というように自分で探せるようにしていっているから、全部を文章を受け入れる必要なんてさらさらありません。ある言葉をぶつけて大切なのはそこから沸いてくるご自身の意思なんです。私はだから、メールカウンセリングについてはここは違うぞ、ということをちゃんと提示をしてくれればそこからより深くその方の問題がご自身で分かる違う見方を伝えることをしてきています。だから自分を諦めないことです。自分が違う意見があってよいことをここは違うからこうしようと思ってよいことをあれこれは当てはまらないな、と思ったら、それを大切にすることをしてみてください。さて、本題に入りますが、そんな状態になったら、ご自身の課題は、本当は『自分が精いっぱい生きているけれどでも時々学んでみると違うことをしたほうがよかったなそうか、これは違うんだ、と思うことが人にはあるんだ』という理解です。これは、そういった過程を大切にすることが受け止められていない、と感じてしまった自分自身の悲しみが根底にあります。間違いは間違いでやってみてこちらが良かったと学べてそれでいいんだよ、と応援をされなかった、といった何らかのそういった厳しさを学んできてしまっていて自分がしてみて駄目だった、違うことをしよう、と思う気持ちは当然あってよいはずなのにその部分に鍵がかかっていてその部分を許しておらずその部分の自分自身への強い否定がとても相手や自分への厳しさへと変化していきます。人はいろんなことをしながら自分にぴったりのものを探すことがあるその過程では色々経験をすることがあるということを、受け入れていないそんなことは受け止められない何らかの幼少期に厳しく接せられたようなご自身の悲しさに触れる必要があります。好きではない人であっても、そのときにはその人を必要としていたという意味では好きであるともいえます。恋愛感情ではなくても自分がその時は精一杯生きてきたことをどうぞ受け入れ許してあげてください。恋愛感情ではなくてもそうです、今後はそんなことをしたくなければしないでください、でもその時期には、恋愛感情ではなくても何らかの気持ちが必ずそこにはあったはずです、寂しかった、自分を認められる何かがほしかったその弱さは駄目なものなのでしょうか・人生には弱さがあってはいけませんか一旦弱ければ、もう幸せになることを禁じなければならないほど人は弱くなくてもよいはずです。ではないと憎みながらよいことをしないようになります。良いことというのは人に対して暖かく見守り自分が幸せになることを許さないでもそれはあなたを愛する人々皆にとって不幸だということです、あなたにとっての正義は、例えば今後愛する人々に優しく豊かに接することですか?それであれば自分を許していないと常にくよくよして楽しくない関係を築きながら、何か相手が自分に優しくない時に自分が誤っているから間違っているから、というように引きこもり、あるいは相手にひどく腹を立てながらでも自分を責める、そんなことしかしなくなります。あらら、と笑って、きがるに相手を支えることよりも、自分を責めて相手に許しをどこかで請うようなそんな弱い関係になってしまうでしょう?罪悪感の役割は、『これが間違っていた、違うことがしたかったんだよ』と教えてくれることであって、『だからくよくよずっと自分が幸せにならない』と言う気持ちに変化をしてしまうとすればそれは罪悪感の役割である『本当はこうしたかったんだ今後はこうするよ、もうこれは辞めるよ悔い改めて今後は役に立つことをしていくよ、』という気持ちを認めてあげていないことになります。私が気持ちを十分に感じるということを良く伝えますがそれはそういう意味です。感情にはもっともっと深い感情があり罪悪感は『これは本質にあっていない、今後は本当に愛する人々と豊かな関係を築くために努力をするよ』という本当の気持ちを感じることが大切になります。どうぞ、自分が自分を許さないのは本当は正義ではなくて、責めていることで自分がある意味、せめてせめていたらそうしたら正しくなれるかもしれない、という要求でもあることから抜け出てみてください本当の悔い改めはなんですか?それはしていたことが恥ずかしければしていたことが嫌であればそれを認めそれが恥ずかしい自分がいてもいい、でもそこから逃げずにそのときにはそうした自分がいることを認めそしてその行動を変えて幸せになることではないでしょうか幸せになり、愛することを学びそして周りの人々に幸せを与えることではないでしょうか?どうぞご自身に優しく接する事を学んでみてください。それは周りの人々への豊かな愛につながるでしょうから天野
2010.06.13
引き寄せの法則ですが、これは本当にごく自然なことに思います。皆さんもごく自然に引き寄せることはありませんでしょうか?でも『感情が』強いところがその人が再現をしているところです。いらいらしている状態が強ければ、いらいらしている対象を作っていきます。嫌な関係にばかり目が行っていたら、生涯その人たちをかえることに一生が費やされていきます。こうなったら楽しいな、という気持ちを感じ取っている癖がある人々はそうする力があります。例えば幼少期に水をこぼして拭いてそれで大丈夫だったという経験を持てば問題があるときにどう拭こうか、大丈夫なんだからという良い気持ちが最初にプログラムが働きますが水をこぼしてしかられてばかりいたら嫌な事が起きるそれを避けたいという気持ちから自分の失敗を誤魔化して認められず成長をしにくかったりしてかえって目標が遠のく,そんな感覚に似ているでしょうか。自分の幼少期にはおこられたりそんなことは当然なので大事なのは人のせいにするのではなくて自分が今感情的に持っている事柄を正直に認めてそれでいいんだ、その上でどうしていこうかな、と新たな選択を持つことです。水がこぼれるのが怖い、だから避けたいという気持ちが強すぎれば、水を上手に運ぶことに集中をしているようでいてこぼして学ぶことができないので、結局は運ぶこと自体ができないようにバランスが悪いこともあります。戦争は嫌だな、と思う気持ちは正しくでもそれは怖さに飲まれてしまえば反感と敵意ばかりがわいてなかなか正しい方法でそれを実現ができないかもしれません。でも怖いという気持ちから、平和ってこんなに良いものなんだ作り出そうという意欲を持つ人々はそれを作り出していきます。自然保護団体で例えば、あまりに嫌だ敵意ということから動いていたら不自然なこともあるでしょう。でも敵意からではなくてこんなように自然を作り出して行きたいという願いはさまざまな現実を生み出します。人は皆痛みを避けるプログラムがありますが、それがあまりに強く働く時には敵意から自分を守ろうとして視野が狭くなることもあります。視野を広げること、そして本当にすっきりする良い気持ちを叶った時に感じていることは自然と手に入ってはいませんか?でもそれよりも痛みが強ければ(これが叶わないと嫌だ許せないといったように)先ずそちらに何か未解決の課題があることなどがあるでしょう。天野
2010.06.10
自分は相手のためにやっているのに相手は自分の小さな頼みを聞いてくれなかっただからとても冷たくされているように感じるという書き込みが先日ありましたそれについて書きたく思います。ご自身が無理をされておられるのかもしれませんね。とても冷たく感じて残念であった、お気持ちはよくわかります。そしてそれらの方々は、自分で手一杯な状態ということもあるしあまり頼みごとを無理して聞くという習慣はないのかもしれません。だから何かを頼んでもしてくれるという状態にはないかもしれません。手一杯でしてくれないことと相手は無理をしてやらなくてもよいと思う個性であるかもしれないことと、自分が精一杯にやっていてだから相手もしてくれたときに自分は愛情を感じる個性なのでそのためにしてくれないと冷たくされてぞんざいに扱われているという感情を混ぜないでみてください。無理をしないこと、ご自身も断ってもよいこと相手が手一杯であれば断ることがあること相手はどんなに強引に言ってきても相手は嫌なら断るだろうと思っていることもあることだから自分は断ることもあることそれに傷ついているあなたがおられるけれど大丈夫なんだよ、ということを受け止めてみてください天野
2010.06.10
下記の相談が掲示板にありましたので皆さんに役に立つと思いますからそれについて書きます。なお、私書箱に投稿をされても、個々人にお答えできないのでご了承ください。ごめんなさい、引き寄せの法則には四年前ぐらいに出会いました。スピリチュアル的なところにもすごく関心を寄せ日々をすごしています。これは引き寄せなのか。。小さい頃から見ていた夢が最近ひょんな事から私の周りに機会がやってきました。私はそれを喜んで受け入れ、その夢をつかみたいと心待ちにしています。まさに奇跡のような方法で私の生活のまったく関係ないところからやってきました。その夢はまさに目の前でもうあと一ミリで叶ってしまいそうなんです、、なのになんだかなにかが準備できていないのか。あともう少しというところでなかなか私の手の中に入ってこないのです。。どうしてだろう、、幻だったの?と日々葛藤しています。。いままで私はいろいろなチャンスがありました。。でも後一歩というところで掴めませんでした。でも今回はとっても掴めそうな気がしますし、とても自然な流れです。。引き寄を私は信じていますが。本当に貴方はその夢が実現すると信じれば実現するとおもいますか?意味不明ですいません、私は信じたいです。。現実、、社会はみんな結構ネガティブに感じます。。その力におしつぶされそうです ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー引き寄せの法則について私が今後、やって行きたい(怠け者だからやるかしら?)事の一つに本当の引き寄せの方法を伝えて行きたいということがあります。自分自身が力を持てるように学ぶ場は必要に思います。ただ本当に怠け者だから中々そうはたくさんクラスをもてないのだけれど。それで、引き寄せの中でとても大切な一つのことは皆さんは痛みを感じやすいところにとどまる、これが脳のプログラムということを学ぶことです。例えばだよ、例えば、相手にこれやめてよ、あれやめてよ、というこだわりがある部分について人はどうしてもひっかかってそれをしてくれる人ばかりに関わります。つまりいたみはその状態を引き寄せるんです。愛情がないのが嫌だ、冷たいのが嫌だ、変えてやる、と思っていたら相手が愛情がないのではなくて個性でしていることでもいらいらして変えようとするから相手はそういう冷たい人に『わざわざ』なってくれます。潜在意識はとてもとても気がつきにくいところにあってこの方がおっしゃっている、『もう少しで手に入りそうでも手に入らない』というのは実はそれが、この方が改善すべき潜在意識の奥にある実現プログラムなんです。動き方をみているといらいらしているでしょう?そしてもう少しもう少しとそればかり考えている状態。これはもう、幼少期の『手に入らない手に入らない嫌だよ嫌だよお何とかしてよう』という気持ちが再現をしています。もう少しで叶いそうなのに叶わない、これはご自身の中で得られていないということに対しての幼少期の怒りや悲しみがあってそれが未解決なために、『叶いそうなのに叶わない』という心の痛みを感じていて先に伝えたように心の痛みはそれに集中をしそれをかなえてくれます。例えばそんな心の痛みがなければ、叶いそうで叶わないことは唯一つの過程となっていて、例えば森に木を植えて、8年後に柿を取ろうとしますよね?それで心の痛みがない人は、ある時期に虫が発生して木が枯れたその時にがっかりするとしても、『じゃあ柿に実をならせるために次は?』という発想をします。本でもって柿をならせることに集中をしていてならないことが嫌なのではないので、他の仕事もしながら柿の世話をします。つまり気持ちが楽なんです、凄く。つまりこれは痛みからではなくて「木をならせるための喜び」が最初にもうあるのでそれを体験するために動いているプログラムを潜在意識上に持っているからです。でも方や木が枯れてしまって、『もう少しでできない』という痛みが強い人だと行動は、『原因はなんだろう?』と探して、原因を避けようとします。そして柿のことばかり考えています。分かるかな、この違い。『これを成し遂げる』というヨロコビがプログラムされている方々であれば、『原因を探してそれを避けよう」としているのではなくて実をならせるために次にどうしたらいいのかを考えます。そして『ならない』という焦りのプログラムではないのであまり気になりません、柿をならせることはone of them の事柄にすぎません。虫が来て駄目になったのであれば、喜びプログラムであればじゃあ虫を取るためにはどうしたらいいんだろうか、実をとにかくならせたいという行動にでて、痛みを避けたいというプログラムであれば、行動よりも頭ばかりで原因を考えて知ろうとします。必死になって焦っていていつもそのことばかりを考えて、でもそれはそもそも幼少期にできなかった事柄の気持ちの再現になってしまっているのです。実をならせたいのではなくて、この不安を取り除きたいのが目的だから慶びプログラムは『虫がわいた、じゃあ次の行動、虫のいないところに引っ越すあるいは薬をA,からCまで試してみる、あるいはこれをやりあれをやり」というように行動に出ますが、しかもそれだってべつに one of them 他の生活をしながら片手間にゆっくりできます。でも痛みを避けたい人々は原因探しをして、とにかく動く前に全部の原因を探そうとして虫は発生をするから駄目なんだ、柿意外の虫がわかないものを探そうみたいな発想に行って、何をやっても次から次からうまくいかない状態になります。まあ痛みを伴うプログラムでも必死でやれば体力があるうちには色んなことを成し遂げられますがでも疲れます無理をしています100パーセントその人の力はでないです。つまり、解決をしなければならないのは『すぐ目の前でうまくいかないことがあってもいいのです」ということを本当に知ることです。潜在意識上にある『できないできないもうすこしなのに、寂しい悲しいもう少しなのに」といった心理状態になるのを避けて、いったいその気持ちはどこからきているの?本当に得られない得られないという気持ちがたくさんあるでしょうそれを自覚して、そこから動くとろくなことにならないよ当然もう少しでできないことなんてたくさんあるそれはそれとしてその上で何をする>?次は果たす上で何をする>?といったようにできないことをたった一つの過程としてみることが大切でできないからまたいちから、できないからまた一からといった焦りから来る破壊のプログラムに行かないことです。道を10歩行きました、後一歩でつくところでその目標が風で飛んでしまいました駄目なんだ、また新たなことを、いや絶対にこの方向に行ってやるという強いしがみつきでは無くて(意欲であればいいのですが痛みからではなくて意欲であればいいのです) ではなくてはい、それはそれでよくて、他の目標もあって同時にしながら風で飛んだ物も全力ではなくて片目で視野に入れておく全然それほど焦らない気にならない、そういう積み重ねをしていくと自然と目標が手に入っています。いっておくけど、意欲と痛みは違うからね。セッションを受けた方々は分かる方もおられるかもしれませんね、凄く嫌な気持ちを癒して、良い気持ちを感じ取れるようにしているでしょう?あれはプログラム自体を変えているのです。悲しみや苦しみからそれを避けよう避けようとこだわっていらいらして行動をプログラムから、これは人ともめることも作り出しますから、本来の力である、したいことはなんでしたっけね?小さなことは気にしないでもいいんじゃないでしょうかしら?というプログラムにです。夫婦の問題も先に掲示板で話されていましたが夫婦の問題も同じです。嫌な気持ち痛みから相手を改善したいというのはお父さんお母さんの問題の再現のプログラムが働いているからです。つまり幼少期に見ていた関係を人は再現をしやすいのです。でも良い関係を築きたい、こういう生活をしたいというのであればそれはヨロコビから対応がでてきます。例えばご主人が タオルで何でも拭くことがいやで自分が満たされていない、いつもこうだ、嫌なんだしてくれなかった、という幼少期の投影のいらいらプログラムが働けば相手を変えようか得ようとして憎しみに入りますがタオルは綺麗なの使いたい、という本来の喜びプログラムであればタオルを正しく使わせるには?1、彼のタオルは全部雑巾を渡しておいて自分のタオルは分けておく2、テーブルなどは自分が拭いちゃう3、言って駄目なら罰金を取るなどのゲームにする それで稼ぐ4、行動パターンを知っておいて、ここでこれを拭くなという場所にダスキンを置いておく5、本当は気にしないほうが楽そうだなど何でも自分で生活を思うとおりにできるのです。要するに何でもできるということです。ヨロコビプログラム、本当に発動をした時に人はとても力があるものです。天野
2010.06.10
下記の書き込みが掲示板にありましたのでご本人の了解を得た上で、それについて書きたいと思います。職場で片思いしていた男性がいるのですが、その人は私から見ると、誠実で堅実な人で、女性に対してはストイックでまじめな人に見えてました。私がその職場に入ったときには、すでに籍を入れるだけの状態の女性と暮らしていたのですが(今は結婚してます。)先日同僚の話では、私が来る以前まだ彼が結婚する前は、職場のいろんな若い女の子に声をかけしつこくしたり、また仕事中裸足で歩いていたりと、今の私が知っているようなまじめな感じではなかったそうです。特にしつこく声をかけていた女の子も、自分よりも二十も若くて、女の子の中でも結構レベルの高い、知的できれいなタイプです。その男性はというと、45,6歳で、見た目はうだつの上がらない感じで、リーダーシップもないし、仕事も遅く、まぁ一言で言ってさえない感じです。同僚は、「身の程知らずだよね」と言ってましたが、私も好きだった相手とはいえ、同感です。ああいう女の子にアプローチできるようなレベルではないと思いました。(ちなみに実際の彼の嫁さんは、一般的に言うといまいちダサい感じでした)私がショックだったのは、以前はそうやって、ちょっとした奇行や、気持ち悪い感じだった人を、私は仕事でかかわり色々彼の考えを聞くうちに、尊敬できる素敵な人だなぁと(男性としても)思っていたということです。つまり、人の本当の姿って、どこにあるのだろう?と思ったのです。自分が描いた姿と、同僚から聞いた、以前の姿と、同じ人なんて?なんかがつがつして、自分はそんななのに、女の子を見定めるようなことをしたりする、ちょっと気持ち悪い系の人だったこともあるなんて(今は単に性欲が満たされるからおとなしくなったのかなとか思うとますますちょっと・・・)自分がめくらかなにかになったような気がしてしまいます。人の本当の姿って、どこにあるのでしょうか?どうやったら人を正しく見られるのでしょうか。>下は後日書いていただいたことです。 でも私はその人と一年以上、ほぼ二人きりで仕事をしたのですが、なにかそのイメージがあまりにも意外で、・・・特に、私はそういう、内にこもったような気持ち悪さというものに非常に拒否感があるのですが、それゆえそういうことに敏感な方であると思うのですがーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 人間の片側だけを見ていると偏ります。今のあなたが見る彼をしっかりみてくださいねその年齢だとそろそろ落ち着く年齢でもあります。それは別に性欲が満たされたということではなくて自分が安心をして落ち着いたからということでもある場合もあります。だから、どちらが本当の彼と決めなくてもよいです。あなただって時期的に変わったりいろんな面があるでしょう?また同僚の話を聞いてということは彼女の感情もも入っているわけですから(年下のこばかり可愛がられて面白くないとか女性と楽しく話をするのが凄く気に喰わない不潔だと彼女が思ったとか)そういった彼女の面白くない気持ちもはいっていたかもしれず正確そのままではないのです。何か聞くと幻滅で凄く悪い人というように思いすぎるように思いますから、少し浮かれて声をかけることがあっても家庭を持てばその家庭を大事にする人かもしれませんしそれだって誠実の一つです。だから家庭を今大切にしているという見方ができるかもしれないのです。あまり感情的にならないようにしてみてください。素足で歩くのが人間が凄く間違っているということでもないかもしれませんね。感情は大切なエネルギーですが物事を全部間違ってみせる力もあるのも事実ですそしてあなたの中の恐れは男性は凄く性的な生き物なんだ、というそのメンを観るととても反応をするところも若干おありに思います。それと、なぜかストイックではないと不真面目で怖い人という間違った記憶の連鎖があるようです。なんというのでしょうか真面目という人はステレオタイプに真面目ではないと不真面目と全部が駄目な人と思いすぎる傾向があるから注意をしてみてください。正確に言えば、浮かれポンチのところもあるかもしれないまじめなメンもあるけれど、ちょっと若いときには素足で歩くこともあった家庭を大事にしている男性、というような感じかもしれませんね。彼のまじめな面を見てそこは評価してもいいのです。もちろん風俗とか行っていたとしたらそのときにはそういう人は嫌だなあ病気が移るし、とか思ってもよく、しっしとおっぱらっておいのですが、ただ、林檎が赤かったというのとだから赤いものは全部林檎だというのは全然違う話だ、ということです。全ての人の脳は、自分が思い込んだ事を全部林檎だというようにまげて感じる癖が身につきます。完全ではないから全部を否定というような考え方だと人の片面だけに誤って引き寄せられます。こういうところは評価が出来てこんな面もあるのだなあそのリラックス感が無いと見誤るということです。そしてそれほど怖がらなくてよい、あらら、がっかり、という程度で済ませて大丈夫なことだから何故そんなにおびえているのか、自分が過去の記憶の何に照らし合わせて凄く怖いことだと思っているのかは意識にあげていったら整理がつくこともあるでしょう。つまり、今後の人生で解決をしていかなければならないのは自分が良いと持っていて、少しでも欠点が見つかるととても怖くなってしまうのでその怖さが幻想であることは知っておいてください。良い点は良い、こういうところもあった、でもさあ、人間は色んなところがあるよねでもそれって必ず凄く凄く悪い人間?というように色んな面を見たときに全部が悪くて怖い人だという恐怖心とつなげずにみていく訓練をすることで今後正しく人を見られる(つまりだまされもしない)ということです。一つを見て全部が駄目な人というみ方をじゃっかん学んでこられたのかもしれませんね。その一つがなんであるかを探してみてください何らかの見かけ上のことを見ると、内側の気持ち悪さとつなげてとても不真面目に見えていきます、真面目というのは凄く真面目でそうではない面がある人は駄目みたいにです。そしてそんな怖さがあれば逆に表面上の真面目さに目が行って惹かれます,本当の真面目さというのは影に隠れているものかもしれないのにです。でも本当に真面目な人を見抜くにはその人の個性でふざけたり気を抜いたりしていてもそれが誠実とは何の問題もない面には反応を起こさないほうが望ましいです。凄く人が間違っているんだそれはいけないこと怖いことという記憶があって気持ちが悪い人はとても間違っていて悪い面ばかりで怖いんだという思いは整理をされていってください。この誤解が元々あるのでそれにとてもヒットすることだけに目が行くしそういうことを信じているのでそれに当てはまると恐怖心で一杯になってしまいますしそういう状況に入りやすくなります。そして表面上のストイックさがあるとそこに反応をして恋愛をしやすいですし伴侶に対しては気持ち悪いなと思うともう受け入れられないということはでてきやすくなります。つまり誠実というのは、独身の時くらいは若い子や他の人に声をかけることがあってもそれほどふざけたことをしていなければ誠実であることはありえるし、靴を履かずに歩くことはその人の誠実かどうかに全く関係がないですし不真面目かどうかということでもありません。何らかのご事情で人の不真面目な面をとても大きく怖く思っていらっしゃるあなたがおられるようです。あらら、幻想で素敵な人に思い描きすぎちゃった、そんなずっこけた面もある人なんだ、わーずっこけてるちょっぴり、おちゃらけているよね、かっこ悪い~ ちょっと色気もある人だったんだ~ともし笑えるとしたら今後正しく人を見る力はついてきますから一度大笑いをしてみてください。するとずっこけた面と真面目な面とか区別をして見られるようになります。おそらく声はかけていても、本当には声をかけるだけでそれほど本気ではない人もいます。要するに怖がっているとそういうことが見届けられないからちょっと落ち着いて、安心をして、お嬢さんという感じでしょうか。もし本当に笑えるとしたら、幼少期からの書き込みに対して自分が力を持つこともできます。そして恐れで見誤らなければ、もちろん、ストイックで真面目な人と付き合って言ってよいのですから。恐怖心があると、全部が駄目な人になりますいい人かと思うとその人に傾倒をしすぎますどちらも偏りがあります。すると本当に欲しいものとはちょっとそれます。人と人の付き合いというのは欠点がある相手と自分がいてその相手と誠実に付き合うということですから。今後、あなたにとっての真面目さをきちんと捉えていってくださいね。見た目ではなくて、いったい何を求めているのか、怖さから判断をするのではなくて。そうしたらそれは手に入るものなんです。答えはそれほど怖がらなければ自然とちゃんと見えていますということです。天野
2010.06.02
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