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ACRのクラスを11月と12月に行ないます。近日中に詳細をお伝えできるようにいたしますので、取り急ぎ日程のみご連絡させていただきます。【レベル1】11月27日(土)、28日(日)両日とも10:00~17:00頃※最少催行人数:6名【レベル2】12月18日(土)13:00~19:00頃、19日(日)10:00~17:00頃
2010.10.31
友人と会うのに、自分が迎えに行っているそしてそれを気遣って、相手も今度は行ったほうがいいのか、と聞いてくれるけれど前回、自分がそっちに行くのを嫌がったために行ってくれているのかなというがひっかかっていて行くよ、といってしまった。毎回自分がそちらに出迎えるのも負担であり、重苦しいので約束をキャンセルしたいけれどもそんなことで関係が切れてしまうのもいけないのだろうか、というような(全部正確ではないと思いますが、すみません)悩みを持っている方がおられましたが、そんな問題はとても多いので(特に日本人は)それについて書きたいと思いますさて、この方の場合、「自分が(少しでも)相手にこうして欲しいな」と思う事が伝わると悪人に思われるんだという強い信じ込みがあってだから、自分が悪いけれどこれはできないな、という考えが伝わるのさえ、怖いという誤った感覚があって、そのために、自分で自分を追い詰めていそうです。例えば、ウン、今回迎えにいけなくてごめんねこんな当然な思いでさえ伝わるのが怖くて「私にはそんなあなたに対して悪意はないのよ、だから自分から言ってよ、私がそう思ったということではなく」というような感覚です。どこかで自分はこうしたい、悪いけれどそうしてくれるという当然の思いがわくのさえ自分で怖くて、非常に押し殺す癖がついていてそしてその思いがいけないことだと思い込んでいるので、相手がそれを分かってしまうともう自分を許せないような不快感が湧きます。そのために相手にして欲しい要求は一切しない、相手が言ってくれるまで出来ないという板ばさみになります。そんな感じがします。自分の相手にやってあげていないやってあげたくないという意志を読み取られたことに対して怖さがわいてしまうのです。似たような問題でもそれぞれ本当は問題は違います。ですがこの方に関して言えば、ご自身が常に悪くて自分から正当なことでも言うことが出来ない、そして常に自分が犠牲になるそして自分がそれをできない、こうしてくれる?というのが人との縁を切るという誤った感覚があるので(これが対面でなくすものです。すると、じゃあここで待ち合わせようか、といえたり今回は迎えに行くね、と迎えに行くときもあれば、負担であれば、うん、今回は来てくれる?とごく普通のことがごく普通に言えるようになるからです、だって意見を言って縁が切れるはずはあろうはずもないので、それにあえて楽しい時間がすごせるほうが重要で迎えに行く、行かないはそれほど重要なことではないのでそれに相手にとってもそれほど重要なことではないのですがその人にとっては断ってしまったことが、あるいは断りたいという気持ちを持ってしまったことが相手に伝わってしまったことが、ものすごく相手に1年もずっと影響を与えているような錯覚に陥っていますからでも全然大きな事柄ではないので、脳の誤解をとるのですが)それが怖いので自分で無意識に自分の意思を全部隠そうとします。そして相手が全部自分からやってくれないことに恨みを抱きます。そして自分は無理をしてやるというパターンになります。相手が全く自分の意思ではなくて相手の意思から何でもやってくれないと縁を切らないとならないくらいの覚悟がないといえない、だから頼まれ後とは全て聞いてしまって、自分が苦しいという関係を結んでしまうので、その重苦しさがたまってしまうともう後は縁を切るしかない、という状態になります。それが今のキャンセルしたい心境なのですが、さて、あなたは改善のタメになにをしたいでしょうか?これね、夫婦でも誰でも出てくる問題ですから、整理をするようにしてみてください。まあ、今回は待ち合わせ場所に行きたくなくてそれを伝えられなくて苦しいのでキャンセルはありだけれど。大本の問題はもっと前に始まっていますから。先ず今回に関してだけ言えば、その前に色々整理が出来なかったことを今少し波風を立てて整理をする時期だと思ってください。それは全然悪いことではなくて色々起きてもあなた自身の成長のためにある課題です。そして今後はもっと波風を早く解決できるつまり早めに、自然に伝えられる勇気を持ちますようにね。天野
2010.10.29
全てが面倒だ、そういう方々が増えてきているようです。私がセッションをしてきて思うのは、人は皆自分の方向を失っています。自分の心地良さにつながる訓練がされずに今まで周りの状態をよくすれば、幸せになると教えられてきた私たち。恋愛をすればお金があれば、綺麗になれば、きっと幸せは手に入る。でも、あまりに、自分自身にとって何が幸せかにチューニングがされてきていませんでした。例えば幼い時に、綺麗な何かを手に入れて光にすかして凄く感動をする、これが本来の人の喜びですがいつの間にか汚いな、ばっちぃいな、やめなさいといわれて人はそれらは良いものではないと信じるので同時に自分がこれが良いと思って光にかざす喜びの感覚さえ失います。失われた感覚を取り戻そうと、これもあれも手に入れてみるのだけれど体にチューニングがあっていない以上、疲れだけがたまりこんでしまいます。段々と心は、一体自分の幸せってもう無いんじゃないの、それならばと感じてきてしまいます。・自分とチューニングが合わないと、とても疲れます。疲れて朝ぐったりする感じになるでしょう。自分にとっての心地良さを信じていい、もう一度それを信じられるようにならなければ、人間は段々と感覚が麻痺をするように思います。私はもう一度自分にチューニングを合わせたいそのために妨げとなっているそれをしてはいけない生きていけないととめている部分を解決することが大切になるでしょう。ハイヤーセルフに「自分が自分らしくあること自分が喜びを得る事に対してそれをとめている恐怖心、自分らしくあったら人ともめるいけない、傷つける、怖い、自分が求めているものに手をだして笑われたくない傷付きたくないそんな恐怖心を取り除いて下さい」とお願いをしてください。とても深いところなので、根気はいるかもしれません。ですがご自身で気がつきにくい部分を自分で整理をするには言葉の呼びかけだってとても役に立ちます。天野
2010.10.25
最近の世の中がおかしい、という書き込みがありましたからそれについて書きたく思います。実際には、もう色々なことが立ち行かなくなってきています。人は、今のあなたの仕事に対してもそうなのですが(これはみなの共通の事柄ですから)協力よりも、自分を守るということの方が正しくてそしてそれ以外に出来ない部分が皆にあります。それは思い込みなのですが、結構協力に働く部分です。例えば、私が仕事をしている時に、この情報を公開したら、自分は稼げなくなるとかだから公開をやめておこうとか感じるかもしれませんね。でも実際には公開をすればするほど、新しい物を作り出せるしそれに縛られずに良いものが作り出せますからそのために仕事になるということはおきます。おきますが、自分が怖ければ、少しやってみてはほらこんな風に情報が盗まれたというほうに視点がいく人がいれば、せっかっく次々開くページに乗り遅れるということになります。つまり私が言いたいのは人のプログラムはもともと、「自分は人と違っていて、人から守らないとならなくて自分だけを守ろう」というようになっているけれどそこを乗り越えないと誤った方向にばかり行くということです。利益だって出にくいし、ひとところにいなければならないし自分の夢だって必死になって今あるものを守ろうとするばかりになります。人生の中で、良いことをすれば新しいページが開きそれにのっていくまた思い込みで自分を縛らずに新しいページを開いていくということができなければ人類は、今後も、段々と自分たちの力を失っていくでしょう、協力をしたほうがずっと、うまくいく、それは自分を諦める意見を言わない無理をするということではなくて戦うことでもなくこれをするよ、そしてこうしていくのに同じ感じ取り方の部分があれば一緒にしていこう、だけれども自分が人にこだわらずに止まらないよ無理をするのではなくて同時に色々なことができる人にしがみつき、人を怖がり、人から自分を守ろうとしそれらの姿勢があらゆる誤った方向を生んできたけれどそれらを本当に改善を今出来るのかどうかがあらゆる事柄の解決に関わっています。もし自分ひとりを守りたければ、人は、段々とよくない方向にこれからも行きます。もし自分の国家だけの利益を追求するような狭い了見であればこれまた国々は力を減らしていきます。理想論のようですが、本当に協力をすること恐怖心、競争心ではなくて本当に自分を含めた両者にとって奪われるから、戦わないとこわいからやり返すため怒っているから、だから分かりなさいよ、というこだわりやそんな動機ではなくて本当に両者にとって利益があることのみをこだわり、とらわれる心、怒りを乗り越えて考えられる人々が増えなければ今の時代を変えることは出来ないのですから。そしてそれをしていくのは、「私」という個人が出来て初めて周りが変わるものでもあるのです。そしてこれは結構過酷なチャレンジなんです。自分を本当の意味で思い込みを捨てて本来の自分の力をだすというチャレンジです。天野
2010.10.23
人を見下してしまう変な話なのですが、対面のセッションではこういった感情的な癖を直していきます。そしてその一つのテーマであれば改善をするのは意外なほど楽に行くこともあります。さて、人を見下すのは何故か、というとご両親も何らかの形でそうされていたという場合が多くあります。ご両親を見ているわけですから、自分の中で穏やかに「これは違うな」「あれ、この人太っているな」というようなただの感想を落ち着いて感じる訓練ができなくなります。ご両親の軽蔑をする姿というのは子供には恐怖だから、一緒に記憶もされます。すると自動的に、太っているな、と思ったとたんに軽蔑の強い感情がわくようなパターンを身に着けます。感情と思考とがくっつく、ということを人は覚えてしまうので、不安と、そして、ちょっと自分の価値観と違う、というのと見下す感覚がくっつくと自動的に、いつも人を見下していてでもそのために自分も愉快ではなくて、そんな自分が嫌で責めてしまったりもされておられる場合がほとんどです。もし男性であれば、この見下す気持ちがつよいと、生涯その感情に人生をのっとられていくので自分が見下されないように生きるということがテーマになってしまい本来の実力が100パーセント出せたり、自分の望んでいることをしたりということはしにくくなり、力任せで自分の夢をかなえるという方向に行きがちです。まず見下す感覚が沸いた時に、最初にスイッチを区別する訓練をしてみてください。この違和感みたいなもの、最初に感じている小さなスイッチはただ単に、自分の価値観と違う服装をしている自分の思っている最高のものとは違うスタイルをしている(太っているなど)何かあれ、と思っている感覚なんだな、というようにです。そこからどんどん見下す感覚に入る前にあ、沸いたぞ、違うというような感じぁ太ったという感想、服装が嫌だな好みじゃないな、といったような感想を持っているんだなこの感想があると、自動的に私は穏やかではない気持ちがわき(恐怖心に近いです)自動的に自分を守るために強力なスイッチが入るなほら入ってきたぞ、というように自分を観察をします、良い悪いではなくて、ただ観察をします。この、違うな、というスイッチと、軽蔑というのが一緒の情報として脳の中に入ってしまっているので最初に起きる小さな違和感をそのままウン、違うよね、そういう風に感じたんだね、というように受け止める訓練をすることが必要になります。ああそうか、自分はこの感覚(人それぞれ違うでしょう、見下す最初の時点でわく違う、あれ、と思った、というような感覚です)からすぐに自動的に見下すのスイッチに入るので、その切り離しをどう行うか、ということがテーマになります。不安と恐怖と、そして自分を確認しようとする感情が入り混じって、軽蔑を作るのでこれは結構つよい感情です。なお掲示板の書き込みで相談をされた方は人を信じることも出来ないということもあったので当然見下す気持ちが強ければ、あらゆる違いがあれば見下されるという感覚も生み出しますから人の前で無防備に楽しめるというようなことはできずらくなりますから上記の事柄をしていけば、それも同時に変わっていくでしょう。天野
2010.10.23
人から意見をされて、自分のためだと思うのに、良い意見だと思うから頑張ろうと思うのに、悲しくて(あるいは、他の方の場合であれば悔しくて)涙が止まらない、という書き込みがあったのですがうん、でも泣いているあなたも大事に思うのだけれど。言われた内容のなかに本当はもっともではあってもあなたにとってはもっと「違う」「大事な」部分があるのであればそれも大切にしてください。人を大切にしたり意見を聞いたりもよいのだけれど一番裏切ってはならないのは自分ですから時として悲しいのは(この方は違うけれどあるいは悔しいのは)自分の思い込みの中に、言われることはダメなこと自分はいらないということ、無能だということ、といったように誤った情報を自分が受け止めてしっていることもあるでしょうしそれであれば、その情報があると目が曇るので整理をしてみてください。やり方、他の方法でやりたいのかもしれないよもう少し慎重に、あるいは丁寧にやりたいのかもしれないよあるいは、そこは気にせずにもっと大きな流れで早く確実にやりたいのかもしれないよー自分にとって何が大切かを考えてみましょうね。天野
2010.10.21
一件マイナスに思えることでも、よくよく耳を傾けるならばあなたが守られてる事って案外あるでしょう。そんな天の配慮に気がついてみてください例えば何かが駄目だったというときには自分はどこかで実力以上のことはまだ引き受けたくないとか考えていることはなかったでしょうか?ソノ答えであることもあります。引き受けていたらかえって難しい情況になっていることもあるでしょう。注意を払えば、一件よくないことでも自分の祈りへの答えであることはしばしばあります。そしてメッセージに気がつけば次に何をするかが分かっていくこともあります。時間を味方につければ、段々と人生のページが開いていくでしょう。困難なことがあれば、それを受け入れ、後悔をしたくて仕方がないことがあれば出来なかった自分を受け入れ、そんな中から答えが出てくることもあります。そのときには、今までの苦しい物事の見方が、変わっていることもあるでしょう。天野
2010.10.16
皆さんの全部を読んでいないのでお答えしていない方々はすみません。掲示板に、別れた彼ということで相談がありまた復縁をすることになったけれど、同じことで別れるのではないかくっついてももう情熱的にならないのではないかということが書いてありました、どうしよう、という相談ですね。関係性は、相手との時間の流れの中で色々分かってくることがあります。もし、こんなことが起きるという恐れがあるのであれば、その内容は大切なことかもしれないので頭の隅においておいてください。むやみな恐れはいけないけれど彼の個性と自分の個性がガチンコするのであれば(考え方の違いという場合もあるでしょう)それは知っておく必要があるということです。でも大切なのは今あなたがどうしたいか、でしょう。確かに今の問題が解決されていないので同じことが起きたり、起きるうちに双方に自分たちの,ここは大切で譲れない部分があっていないというような個性が分かったりすることもありますがー関係性はある程度リスクを持ちながらどうしたいかを決めてその後で色んなことが分かっていくことです。そうしないと後悔が残ることもあるでしょう。早く先に進めば進むほど、正しいものに早く行きつくこともあればその関係で遣り残しを感じるようであれば自分のために何かをする選択が大事な時があるかもしれません。天野
2010.10.16
私は今、人生の転換期にきていて、全てのことがうまく回っているような天から色々なことをするように、うまく配置を決められているような、そんな気がします。そしてそれらの経験を通して最近感じていることは、あらゆる思い込みをはずせば運命は回り始めるということです。でもそれは、凄く面白いのですが、一朝一夕にできるものではありません。そんなに早くこれとこれとこれを整理したらこれがなくなるというのではなくてこれとこれを整理するとちょっと良いことがあって、また違う形に課題が変わる、それに対してまたちょっと良いことを起こすという繰り返しです。でもスムーズに物事が流れ出すのは、どれほど自分がその問題にしがみつかないかによります。何度でも言うけれど、その問題にしがみつかないか、です。ここに問題(本当は課題)があり、そしてそれを整理すると良いことがある、また課題があるけれど、それを整理すると、また良いことがちょっとあってプレゼントがたくさんそちらこちらにある、といったような按配でしょうか。近年、いろんなことが動き始めているのですがそれは面白いことに、自分の成長に伴って出来てきたものです。そしてそれらは、どんな問題に思えることも、あ、はい、じゃっこっちに動くねあ、こういう結果それに対してこう動くねというようにきがるにふといろんなことができて、それらが固まってちょこっとづつ良い流れだったものがある時期からよい結果を生み結果となってぽぽっと光ってくる部分ができている一つの確実な道筋になっている、というような流れになっていきます。その問題にしがみつくのではなくて、もっと大きな視点に立つことが必要になるでしょう。通常人は、脳の中に「今の状態だとこれをこう変えないとこうならない」というしがみつきが生まれるので、そのために流れを阻んで同じところにい続けます。ここに試練があると、通常は、「これだからどうしよう」とそればかり考えるところがこれをしてみよう、駄目だったらこっち、そしてそうしたらここが分かってきてこっちというように自分の流れを早くすれば、案外簡単に早く回答が見つかるというような感覚です。そこにとどまって、この人がこう、情況がこう、情況がこう、と考えてしまうよりも(マインドにとらわれること)それだからこういう結果を出すために、はいこれをしてそれはおしまい、これはこうしてそうすると楽にしていると次のアイデアが正しい時にわく、それに対して行動をしまた新しい流れが沸いてくる(心や魂との対話)その際も、一つの恐怖心、一つの流れ、一つの価値観、一つの考え方、社会的な判断、自分の中にある凝り固まったもの、非難ばかりを恐れている自分、期待に沿わないとならない自分にしがみつかないことがとても大切です、この部分が、その人となりを作っている部分でとても扱うのが難しいところに思います。さまざまな動きがあるので、それらを半年ほどかけて整理をして皆さんにさまざまな形で提供をしていくと思いますがその時に具体的に、どういう考え方をどう変えたらどう流れたかということも、書いていきましょう。(多分)反対者だと思っていた人々でさえ、自分が思い込みをはずすと協力を惜しまない、そんな経験も最近多くなりました。思い込みそのものを自分自身が扱えること、超えられること、それをしていきたいのです。天野
2010.10.14
問題に対しては、皆さんは頭のぐるぐるに引きづられるのでそちらは少しお休みをしてもらう必要があります。するといろんな物が動いていくでしょう。皆さんに訓練が必要なのはマインド(考え)がぐるぐるしているのでどうおさめるか、です、。これらは本当は未来を築くものではなく、足をひっぱるものなんです。本当に建設的な考えというのは、考える内容実現をしたいものは頭の隅においておいても負担なくリラックスをして、他の事柄をきちんとできていることです、。つまり一つの問題にしがみつかない姿勢です。すると色々なアイデアが浮かびますがそれらは実現をします。ですが、頭のぐるぐるが強いと恐れとかいろんな物が混じった考え方なので中々足をひっぱられますから。それらの訓練をすることは今後大切になるでしょう・天野
2010.10.14
昨日の日記のぶら下がりコメントに対してぶら下がりに書いたコメントですが日記にも残しておきます。書かれた内容は、好きなことがない、こだわりがない才能が無いのかなということでしたが断言をしますが、賜物がない人、というのはいません。それにこだわりがないのであれば、人との調和、平和、広く物事を見るという方面での才能があるのかもしれません。さて、そうは言っても、一つお伝えしておくとひょっとしたら、こだわることに何らかの禁止ガかかっていることもあります。こだわりを持つと人ともめるといったようにです。私の場合もこういったことが潜在意識にあり動きにくかったので、自分で取り外してきました。その方は押し付けられるのがいやということでしたがそれは答えの一部です、押し付けられずにのびのびとしたいということが一つあってでもそこから人ともめないために何がしたいのかが出てこないというようになります。本当は、押付けられたくなくて「何か」別のことはしたいのですが、そこがでてきにくようです。ちなみに、私も同じタイプで、どっちでもよい好きなものがない~と以前は悩んでいたこともお伝えしておきますね。天野好きなことを探してみよう対面のセッションでは、禁止がかかってしまった自分自身を見つめなおしていきます。先ずどんな癖があって、今後どんな事柄(具体的な事柄というよりもどんな動き方や考え方を加えたらよいかというように)に一歩一歩接していくのかがわかりやすくなります。
2010.10.11
先ず最初に、皆さんは、こだわっていることには必ず才能が隠れているということは知っているでしょうか?知らないでしょう?何せ私がセッションをしていてそういう才能がぼろぼろ出てくるな、と気がついたのですから(笑)いや、相手の方だって驚いちゃうんだもんね、え、こんなものが私にあったんですか~みたいな。さて、こだわりと才能は、一つ大切なことがあります。才能に目を向けてください、相手の人ではなくて。ピアノの才能があって、この音は違う、と何でも壊す子供がいました。その音が何らかの不協和音であれば、耐えられないからです。そして周りが音に気を使わないのに、その子は段々とイラついて自分を分かってくれない、相手を駄目もの扱いをするようになるかもしれません。これであれば、少し他の人とやっていくのは大変です。もちろん、才能はすばらしいものなのですが、神様は一つそれを使えるのに条件をつけていて自分が才能の使い方をトラウマを取り除いた後で使えるようにしてくれています。事柄が気になるのであれば、(音が違うなど)それは「自分にとってはこういう音が好きでこういう風に表現をしたい」というほうに意識を向けなければなりませんが、それが自分の才能であることを知らなければ周りが同じようにそれに繊細ではないことに苛立ちをもって育っていてそれが大人になると他の人が分からないというところにしがみついて歩めなくなります。周りの人々にはそれは気にならないことなのでその人々からすればとても細かなことを言われている気がして威圧感を受けます。だからその子が知らなければならないのは自分は音に凄く敏感で大切なものだから大切にしよう、大切にしていいんだということと周りの人々が自分と同じように、草の音、雨の音それらに不協和音があって気にならなくても、それは、自分を大切にしてくれていないことではない、なにお~くそーと戦ったりしなくて良い、ということを学ぶことです。誰もが「これを受け入れてくれない、受け入れさせなければ」という気持ちをある才能が高ければ高いほど、その解消がしにくくなります。するとその部分での揉め事がひどくなります。この鈍感!と思うことがあれば、一度才能を探し出しそれを相手に押し付けない工夫をし自分がソノ才能を生かす癖を持ってみてください。私は、たいていのことは気になりませんが人の心理には昔から非常なこだわりを持っていました。そうすると人の気持ちが分からないという人に対して若いときには当然嫌な気持ちを持つわけですが、しかも、それって自分でも若いときを思うと、しんどかったと思うのですが、奥の奥の奥の気持ちが分からない、ということにこだわりを持ってしまうんですねでもそんな部分誰もわかりはしませんわ、普通、といったところの部分までこだわっていました。今は、人の心理を深く深く探るのはこれは自分の天命なんだなと年を取るごとに分かってきたし、でもさーどうよー私が感じるように相手が感じない生き方って悪い?(悪くない!個性だし)でもさーどうよーその人たちは他の生き方や才能を持っていない?(当然持っている!)という話しになります。にこだわりがあるのは、これはすばらしいことです。でも時として、それが相手に厳しく出れば(例えば自分の伴侶とか子供達に)その人たちにとってはもっとのびのびと細かなことに気にせずに親しくなりたいという才能を持っている人もいますからすれ違いを起こします。才能は、自分がよき味を知り十分に使いこなし、そして相手は違う才能を持っていたり(つまりあなたの気になる部分を気にせずにのびのびする才能かもしれませんし)自分が正しいと思っていたりすることは相手には違うという理解はパートナーシップ、親子関係、あらゆる関係性(ルームメートと同居なんかするとこれがないと大変なんだもんねー)で大切になるでしょう。優しい人であれば怒る人がいると嫌かもしれません、するとその人が嫌で気になるという感情のパターンを持ってしまいます。その感情のパターンは本来、自分の優しさをどこでも表現が出来ることができなくなったために相手の人に自分の望んでいることをしないことにこだわるということが起きているからですがどうよ?自分は優しくて怒鳴るの嫌いで、こんな私がすばらしいと思ってみたら?相手が優しい言葉をかけてくれないのが嫌であればどうよ?そろそろ、自分に向き合ってみたら?この人々が探し出さなければならないのは自分は「悪い、それができていなくて」と感じているのですがその気持ちを押し殺しているので、「出来ていないと悪いなと思っている私がいてそこには本当はこうもしてあげたいこうもしたいという隠れた才能がある」というような部分です。この部分は深く深く潜っているので中々気持ちを感じ取れないとは思いますがその部分に触れると、人は変わります。つよい部分は、繊細すぎる人々に反感を抱きそこまで気にするか~というようなことです。そこはあなたには外に出す強い才能がある部分なので認めてあげてください。リーダシップに関わることもあるでしょう。繊細な部分は、周りのつよい人々にどうしてそんな接し方をするのかな、嫌だなもっと気持ちを汲み取って欲しいと思うでしょう、そこはあなたには敏感な才能を持った部分です。この部分はオンリーワンの商材を生み出すときなどに生かされます。でもいずれにしろ、分からない相手にしがみつかなくて良いのです賜物に焦点を合わせることです。まあ自分を良く知ってください、宝物なのが段々わかるでしょうから。天野
2010.10.10
怒りが何らかの理由でわいてきたらそれはすばらしいことなんです。 本当は見過ごしてきた、「自分はこういう関係ではなくてああいう関係を持ちたい」と心が教えてくれているから。今後、きちんとご自身が持ちたい関係を持っていってください。怒りがあるのは何のため?自分の本当に欲しいものを分かるためです。そして違うものは違うんだ、とちゃんと言えてその関係で前進をしたり、あるいは、他の関係をきちんと持てるように、前に進む勇気をもつための感情です。天野
2010.10.06
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