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夢が叶わない、もうこれ以上、やることがないときには。自分がこの状況がいやだ、と、言う気持ちから必死になるとよくないです。ということだけは、お伝えしておきますね。苦しみは、「私は、○○ではないと、ならない、いけないそうではない自分が許せない、そうでない状態であろうはずがない」ということから、始まってきていてそれは、そうなりたいのではなくて、そうではない自分の状態をいやだいやだ、と必死に、今の自分に、抵抗をしている、ということでもあります。今の自分が受け入れられず、「幸せではない、今の自分なんてあっていいはずがない、何かを直していかないとならない、私は足りてない」という発想にもなるでしょう。自分が足りていないなんて(笑)そんな発想はかわいそうです。自分がそうではない、という抵抗と、好きでやりたいことは違います。抵抗はなりたいと必死に思うけれど、抵抗なんです。need は手に入らない、wantは、手に入る、そんな説明もありますが、抵抗(今の自分で幸せなはずがない、ということから逃げ出したい、執着)は、そうではないのが、嫌なんです、いやだいやだ、こんなの、という気持ち。そして、そうではないといけない、いやだ、という対抗から行動をすると、何かが詰まるのも事実です。まあ、もう少し、気楽にね。私は、こうではないといけないと思っていてそうではない自分が軽く許せなくて、こんなにいやだと思っていてその苛立ちや、怒りや許せない気持ちがあっても、それは気持ち。 嫌だな、受け入れないぞ、と頑張っている自分を本当に認めてあげて、その自分がいることを愛してあげて、あるいは、そこがないのであれば、考えていないと、突き詰めないと不安な、この「不安」という気持ちに気がついて、ないと不安な自分を許してあげてください。考えて考えて、次に何をするのか、という状態のときにはお休みが必要です。もう、必要なことがわからなくなっていて全部していないと怖いような、これもあれも、と考えるような疲れている状態でもあります。だから、少し忘れて、別に何かを楽しむ、ということがあったほうがもう少しバランスはとれそうです。どんな人でも、いったん休むことは、大切です。よく、スポーツ選手が、怪我をして必死に練習をしていたことから、はなれると、今以上に、出すことがあります。少しそこから離れてみてください。リラックスできずに凝り固まって必死になるのは、「怖さ」が根底になっています。needですね。したいのではないのかもしれません。あまりよくはないのです。じつは忘れているときには、案外、必要な人やモノに、出会うこともあるんです。これは本当に面白いと思います。楽にいるときに、人は、こんな自分は駄目、と思います。そして必死にしがみ付こうとします。でもねー、そういうことは、ないんですから。あなたは、足りていない、なんてことはありません。焦りの変わりに、豊かさを身に着けてみてください。
2011.09.30
相談内容は、以下のようでした。会いたいと思うけれど、一緒にいると、違和感があるような感じがする人がいる。自分からアプローチをすれば何らかの反応はあるが、相手が積極的というわけでもない、そもそも、人を好きになることがわからない。好きになったこともない。そこには、感情にブレーキをかけている気もする、縛られるのも嫌だし誰かを好きになるのも怖いようだ、楽しいのに、一緒にいると新陳代謝ができない感じがして、でも会いたい気持ちがある、というように、書いておられました。その方の、文章は、こう続きます。やるべきことから逃避するために、その人のことを好きだと感違いしていたいのではないかとすら理性では思ってます。理性も感情も合わせて、誰かを好きになったことがありません。上記の人との関係を進めることも、進めないことも、理性か感情の一方を押し殺すことになり、苦しいです。直近の悩みとしては、上記の人との関係を進めるべきか、進めないべきかですが、(理性をとるか、感情をとるか)どうして、理性も感情も納得して誰かを好きになれないのかを知りたいです。――――――――――――あなたの状態を表現するならば、水におぼれるのが怖いと信じているので、水泳を習いたい前に、本で読んで、不安が消えたら、習おうとしている人です。じゃあ、どうすればいいかな?水に入るのは本当に危険?水に入って楽しかったら無茶すると自分で自分を信じて、おぼれるに違いない、と、決め付けてもいます。怖がると、人はこんな嘘を自分に言い始めます。「私が水泳を好きになったら、毎日水泳しかしなくなって何もしなくなる、そんな好きな感情は感じたくない」とでも案外、感じてみたら、色んなことがわかります。そういう時期があっても強くなることも、学ぶために必要なことも。それらが怖い人々は、泳ぐ怖さをとろうとして、本で、「最初は水に慣らすために3回、水に顔をつける」と読んだら、「そうすべき」「次はこう手を動かすべき」で、一生懸命なんだけれど、それで、おぼれないでしょうか?というか、本当にそれらが必要かな、そもそも。さらに、水泳を習ってみたら、水泳よりも、もっと違う運動が良いと気がついたとしたら?がっかりして、自分が駄目だ、なんて思うのでしょうか?それはそれで、よいことですよね?自分にとっては水泳ではないと気がついた。それだけの話です。自分を守りながら、水になじみ、水泳を習う方法を考えてみてください。あなたは、若干、好きな素があるのですが、怖いんで、確かめる行程で詰まっているみたい。つまり、問題は、怖すぎることなんです。怖くて、自分が、水泳を習いたいとか、泳いで見たいな、という、その感情がわくことにおびえすぎていることです。怖いのは、事実ではありません。自分が好きになると色々あるのは事実ですが、好きになっても、仕事をしたいときには、すればいいだけなので。――――――――――――――――――――――今、さまざまな分野で、脳の統合、ということが言われることがあります。私が一部使っている、キネシオロジー(運動学)の分野でも、多くの流派が、それを目指しています。それは、人間が、自己実現という、正しい、理性の使い方ができなくなっているからです。幼少期から、左脳を使うことに偏っていて、自分を止めるために、理性を使います。そこには、自分を止めないととんでもないことになる、という過ちがありますが、止めるから悪いことをしたいのであって、実際には、それほど感情に任せたら悪いことをする、ということは、ありません。左脳がコントロールではなくて、自分の本来のエネルギーと協調をしたときに、新たなすばらしいクリエーティブな考え方ができるようになります。人間の統合、というのは、自分のなかにわく正しい感情の実現のために、理性を使うときに、納得を言った答えが得られますがそういった状態が出来ているときです。通常、人にわく感情は、過去からのトラウマによって曲げられています。たとえば、何かをしたいのが、「あなたがさせてくれない」という怒りがまだ解消できなくてそちらに行くとか、「どうせ諦めないとならないんでしょ」という感じ取り方によって、無気力になったりです。それらを解消することと、もうひとつは本当の調和をすることでその人の本質の姿が現れます。左脳が支配をして人間を動かしているということの解消を目指しているのです。正しく自分が機能をすれば、どれだけ楽にさまざまな物事に対応をできるのかその例の、枚挙には、こと欠きません。たとえば、「私は仕事をしないと駄目になる」というコントロールが働けば(コントロールはすべて、自分がうまく出来ないことへの、恐怖心から来ます)「仕事をしないと、これもあれもしないと」というようにすることにのみ関心がいきますが、それは、コントロールを緊張してさせているに過ぎないので、緊張が取れてしまうと、ぎゃくに何もできなくなったりします。でも、感情、あるいは、その人の本質、あるいは、右脳や理性とのバランスが取れてくると、「今日はこれとこれとこれをして、これは、明日に回してもよく今日はこんなふうにリラックスをしつつ、これには熱心」というようにやること、やらないこととのバランスが取れます。しかも凄く楽にできます。つまりやりたくない気持ちも、やりたい気持ちもそれらをトラウマなく(つまり、自分が信じ込んだ相手がどう思う、相手が怖い、こうだかあ、ああだから、という引っ張られることなくI)瞬時瞬時、感じて、理性はただただ、それを満たすために正しく使っていきます。つまり、この 「」のなかの、会話の只中にも、したいしたくないしたい、というのを繊細に感じ取って、「これとこれはして、これは明日、これはこうで」というクリエーティブな状態に「ある」のです。脳が禁じている部分があると、すべてが「やりたくない、でもやらないと、やりたくない、でもやらせられる」に引っ張られる二極の状態でもあります。ACRでは、自分のバランスをとっていくことで、さまざまな事柄をクリアーに考えたり自己実現に向けて自分が歩みだせるように、サポートしています。
2011.09.30
嘘を含めて、大きなことを言ってしまって、止められない、というご相談があり、他の方が、それに気づいていたら、もう大丈夫だ、と話しておられてその通りです。気づいていたら、いずれ、その方は、ちゃんとなっていきます。が、取り急ぎ、大きなことを言ってしまって、どうしても止められない、というのは、ご自身が自覚をしても、止めたいな、と思っても、少し止められるまで年月がかかるものなので、もうちょっと楽に変える、ということについて、お話をします。この方に、掲示板で質問をして、掲示板ですから、できる範囲でその方ご自身が、わかってきたことは、どうも、感情には馬鹿にされる、という信じ込みがくっついていそうだ、ということ、こちらは、信じ込みです。そして、その本当の怖さは、「なんだか見捨てられる感じがある」というところまでなんとなく、感じ取れるようなお話でしたね?通常、嘘を止める場合、その裏側にある、怖い気持ち、ひどく動かされる気持ちのほうの整理をします、と止まります。かなり早期に止められる方もいます。で、セションでは、それは自然に起きます。そんなに頑張ってではなくて。だから変化に気がつかない方もいます(他のテーマで来てうそが止まることがあるので)後から、そういえば、というふうにですね。まず、今、この方にお伝えすることは、「あ、これって、おいていかれる感覚なんだ」というように、そちらをちゃんと感じ取ってあげることです。でこの方のおいていかれるという感覚はこの方のものですから他のうそつきさんには、他の事は出てきますが、取り急ぎ、お一人の方で説明をします。良く信じられていることは、「馬鹿にされるのが怖い」から働きかけるというようなことなのですが、でもそこだと、あまりすっきり行かないんです。なぜなら「見捨てられる不安」があって、それに「そういえば、馬鹿にされるのって嫌だなあ」と後から(10歳ごろから)信じ込みがくっついた信じ込みを扱ってしまっているからです。脳のファイルっていうのがあって、つまり皆さんは地震のときに怖いことを他のことを、思い出したりしたでしょう?それはファイルが似た場所にあるからです。それと同じで、この方は見捨てられる不安と、馬鹿にされるというところが、あと自分が注意を引けば見捨てられない、というような事柄や。それらが、似たところにファイルがされています。つまり皆さんの問題は、根底はひとつとは説明をしているけれど問題はいくつかが絡んでいて、それらをひとつひとつばらばらの事だよと教えてあげることで、自分で解決ができるようになります。ファイルが一緒くただから。自分でどうしようもないけれどひとつひとつだとたいした問題ではない。だから、あれ、なんだか相手が何かを言って、自分が置いていかれる、自分のままで置いていかれるという怖さがあるんだけれど、そこに、何か自分を見せないと、注意を払えばおいていかれないという方法を自然に使う、と言う感情が働いていてそれがとても動きやすいことを、知っておいてください。(これはこの方の場合です。他の方には他の事が動きます)自分が嘘をつかないときに、この置いていかれるという感情が強くなりとてもざわざわします。でも、これは感情であっておいていかれない、相手はいなくならない、と知っておくことはとても重要です。まずは、ご自身が、嘘をつきたくなるときには、おいていかれる、というように感じていること、その幼いあなたに、「置いていかない、いなくならない、大丈夫」とその感情があっても、それに動かされなくても大丈夫なことを、教えていくこと、同時に、言わなかったときに、馬鹿にされる、凄く駄目だと思われるというように、怖さがましますから、ああ、この怖さが私を動かしている怖さなんだな、これがあるんだ、これが感情なんだでも根底は置いていかれる感じなんだ、とそれを認めて受け止めてあげることです。幼少期に起きた出来事を言えば、たとえば親がいないときにそれが理解が出来ないとか、そんな事柄なのでしょうけれど、でもそれに、後から、自分が注目を引かないと認められなかった悲しみみたいな物もくっついていそうですから、そちらも癒しが必要なのでしょう。まずは、ご自身の、おいていかれる感覚があってそれに行動が時々動かされるので、そのときはそれで動くのではなくて(それだと誘導されっぱなしなので)動かずに不安があってもこれはタダの不安で実際にまずいことが起きているのではないこと、買い物をやたらしているときに、似た感覚があったとのことですから、おそらくその前に、スイッチになる出来事がおありでしょうから、自分は何が(会社で起こられるとか何とかかんとか)があると見捨てられる不安が強くなるのか傾向も知っているとよいかもしれません。その怖いときに「私が失敗をした、これで駄目になる、こうだからああだから」という理由に引っ張られるのではなくて(これは頭が不安を解釈して生む幻想なので)自分が見捨てられるような感じがしていて、自分が何か他の事で注意を引かないといなくなる感覚なのであって別にどうってことはない(凄く怖くて不安だけれど)と知っておくこと、その不安がある自分を外から観察をして、今後そこから動かない訓練をしてみてください。ちょっと不安は強いので、今までその不安を見ない感じないための嘘でもあるから、嘘をつかないと、不安があるときに、うわーという感じでしょうけれど(笑)案外ざわざわ不安定な感覚を自覚することではあるでしょうけれど。とりあえず、やってみて御覧なさいな。良い現実が生まれていくことにやがて気づくから。私は取り急ぎ、注意を引く、と説明をしましたがそこはもう少し詳しくお話をお伺いしないと突っ込みきれていない部分ではあります。注意を向けてもらわないと、よりも、隠さないと、のほうが、大きいのでしょうか?質問をしているので、潜在意識が動くと思いますから。答えなくても大丈夫です。^^ーーーーーーーーーーーーーーーーーー一人お一人の状態をみるので一人ひとりぜんぜん原因はばらばらです。巷に信じられているように、これは罪悪感、これはこれ、というように区分をできるものではなくて本当はもっと、その人オリジナルの出来上がり方があります。でも上記のような方法を使います、という例です。参考になる部分がまあ、少しでもあればいいのですが。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーhttp://www.acoreading.com
2011.09.25
目標達成のための、方法。潜在意識と感情結婚をしたい、どうやったら?という質問がありましたから、取り急ぎ結婚について書きますが、でもこれらは自分がある状態になるために、どんな事柄でも使えますし本当は結婚以外の、「自分自身に対して」してみて自信をもったほうが他の人との関係性でも楽に使うこともできるでしょう。ものすごく簡単に言えば、その状態にいれば、その状態になります。これはでも、言葉で言うほど簡単ではないんです。それと、人の本質が求めているものは、まず、「自分にとってクリアーではない事柄を、整理したい」であって、結婚をしたい、あるいは金持ちになりたい、ではないです。それほど一人が成長をする、というか、こだわっている事柄を抜けて本当の自分の力や本質につながることは、とても大切なことなのです。皆さん自身が思うよりも。あなたは、40歳の壁、そして子供、というように、さまざまな物に阻まれていますよね?先にいった方法は、子供がいる、という状態を想像するのではなくて子供がある状態の何が生きがいになっているのか、どう幸せなのか、結婚をしているとどう幸せなのかその気持ちのなかにある、ということです。イメージではなくて感じたい気持ちを感じられるかどうか、です。イメージングやそのほかもろもろは、その気持ちに繋がるためにすぎないのです。たとえば子供がいることが、人それぞれなのでしょうけれど、にぎやかで楽しい、というのであれば、にぎやかな音を想像をします、でも重要なのは、音や景色ではなくて、そのときに感じる気持ちなんです。それは暖かさであったり、生きがいであったり、それらが心に感じ取れてああ、これが求めている物だとわかっている人ほど、人生をすんなりすごしてはいます。別のれいでいえば、子供がいて、世話を焼いて、それが生きがいになっていててんてこ舞いになっているのであれば、その楽しさを想像します。でもこれは、かなり、その人にとって、ああ、これが求めてい気持ちなんだという感情が明確である必要はあるでしょう。もし、そういった具体的な感情がでないのであれば、その状態にあれないのであれば別の整理が必要か、あるいは、子供は本当の目標ではなくてぜんぜんいても幸せではなくて、世間体や、誰かに信じ込まされた目標で、本当は、目指していなかったりどこかで、子供って大変なんだろうな、とかしたくもないことだったり、どこかが同意をしてくれていなかったりです。動いている人、というのは、それがうまくいくとしたらこうなると嬉しいな、という気持ちが若干、多少なりとも、大きくなってきているのです。それがうまく行かないと困るという気持ちのほうが、大きいと、動くのが辛いとは思います。で、皆さんは、とても大きな問題が出てくると、なじみがある感情が出てくるでしょう?怒りっぽい人は怒り、恨みっぽい人は恨み、嫉妬ぽい人は嫉妬、これらは、その人にとって癖になって感じ取りやすい感情です。未解決の、自分がまだうらんでいたりする整理が付いていないことの再現でもあります。たとえば弟ばかりが可愛がられると(あってもいいんですが、程度によりますが)ひどくひどく嫉妬していたら、社会や学校でも、他の人が仲がよくても別にそんなことは皆にあることなのに、だからその人たちはそっとして自分が仲がよい人といればいいだけの話なのに、それが受け止められず「自分だけがはずされている」とその人たちにしがみ付くような出来事ばかりになったり。つまりこれは、仲良くなりたいという感情がわかず仲良くなれない、という感情に動かされている状態です。だから仲良しを探せないんです。いやだという状態に張り付くからです。ということは、それらを感じて整理をするために繰り返し起きるし感じている感情は、自分が信じていることなので、その状態になりやすくはあります。結婚も同じです。目標に対してよく再現される感情はあなたが信じていることであり、未解決のことでもあります。そして整理のために出会う人々もいます。------------------------セッションで自分の潜在意識と触れることができます課題になっている感情から、本当に望んでいる物を信じられている感情を訓練します。http://www.acoreading.gmail.com
2011.09.25
失敗が続く、というぶら下がりコメントへのコメントセッションで、頭がよくなった、という方が大勢いて、先日は、これが一回目で現れた方もおられました。物事にクリアーに立ち向かえるようになる感覚です。それは、緊張をとっているからなんです。怖いから、緊張をするでしょう?それが失敗のもとなのです。体もがちがちなんです。緊張をする部分は自分をコントロールしようとしている部分です。ここが、その人をとてもつよく縛ります。で、失敗が怖いから、すべて緊張をしているんです。意識がすべて、話しかけられると怖いから、そちらに行ってしまうでしょう?(話しかけられると他の事がしにくくなる、とのことでしたから)失敗をすると、意識が失敗に向きます。そして向く意識は失敗です、意識が向いたところが起きる部分です。それなのに、その、自分を守る部分は、それを手放せないんです。方法もわからない、緊張をしていないと生きていけないと思っていてそのために、常に緊張をしているから失敗をしますが失敗をするから緊張をする、それをはずしてはならない、というのが人間の変われない原因でもあります。だから、この緊張を解くことが、鍵だと思ってください。たとえば、話しかけられたら、通常、失敗をしてはならないという怖さがなければ、それを聞きながら、他の事も考えたりしています。集中をしていないわけではなくて、同時に色々動けたりします。でも必死で聞いているから、ほっとしたら、他の失敗をするでしょう?それか、水をこぼしたら、通常、あ、すみません、と謝って拭くのですが、そして仕事に切り替わるから、次の失敗をしないわけです。このときに凄く暗く、鬱々としていて、またしてしまった、という気持ちで暗くなっていたら、どうしてもそれに影響をされます。でも逆にそれでまた、緊張がますます高くなります。そうだよね、怖いですよね、失敗も回りも。よくわかります。でもそれが、今の失敗を作っているとしたら、どうでしょうか?意識は、守る部分に縛られているから、常にその、コントロールをするほうの味方に動きます。それが、「自分がのびのびしていたら、もっと失敗をする」という物事の見方でもあります。だから、こう考えたらいかがでしょうか?失敗をするのが怖いという怖さをとるか、体の緊張をとるか、というように考えてみたら?失敗が怖いのを解決するときには、ひとつの失敗もあってはならないのではなくて考え方としては、ひとつの失敗は失敗でそれに影響をされる時間と部分を少なくすることが大事になります。その時間が長いだけ怖い、ということでもあります。怖さを取り除く、ああ、怖いんだ、これに影響をされている怖い自分は自分としていてよくて、そしてほかにすることはないかな、と切り離す訓練も役に立つこともあるでしょう。そういった視点であれば、あなたの役に立つことでしょうから。○お答えしたいことが結構あって、間に合わず、とほほ、、、です。ブログに書き込んでくださっているかたがたに、感謝とそして伝えたいことが、案外、あるのですが。ごめんなさい。ーーーーーーーーーーーーーーーーhttp://www.acoreading.com
2011.09.24
以下がぶら下がりコメントに書かれたご相談です。私は、なかなか自分の尊敬できる部分が見つけられません。特に仕事の場では、失敗ばかりで、いつもおどおどしています。自分が人にどうみられているかばかり気になり、上司や先輩と自然におしゃべりすることもできません。子供の頃、いつも毎晩1時間以上父親に、お前はおかしいと説教されていたせいな気がします。家事の半分程は私の担当でしたが、喜んでやらないと許されず、お願い事も聞き入れてもらったことが殆んどないです(学校で使うものでさえ、買ってと言い出せない)。キャシーさんのブログをずっと読み少しづつ楽にはなりましたが、自分はダメで嫌われ者という気持ちが消えず、その気持ちがさらにその現実を作ってしまっているようです。人からの目が気にならなくなれば、失敗ばかりの自分を好きになれるでしょうか。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー人はある時期から、内側から感じ取ることができなくなります。つまり、「外側の人々からみての自分」しか感じ取れなくなるのです。自分を尊敬を出来る(尊重という言葉のほうが当てはまることでしょう)のは、自分をもう一度、内側から感じられる許可が出せるからです。自分がよいと思ったもの、思ったこと、それに自信が持ている状態が内側から感じ取れる状態です。そのように、ご自身が良いと思うことができずらいのですよね?皆が混乱をするのは、外側から見られている自分(これも本当は自分の内側の投影に過ぎないのですが)しか、感じ取れなくなったからです。外側からの見方が増えるにつれ、自分と隔離をされていきます。でも本当のあなたは、内側から感じ取れば、すばらしいあなたがいます。嘘のようですが、力を引き出せば、必ずあります。失敗をしたときに、感じていることは、幼少期からの、自分がいけないからだ、という罪悪感に引っ張られておられるのです。でも、内側から自分を感じ取る能力があれば、これはこういう方法をしたかったのだ、こういう方法だともう少しらくだ効率的だ、無駄が無い、というのを感じ取れます。つまり、失敗はあってよいものなのです。自分が自分の方法なり、やり方なり探し出すためのものですから。でも調和が出来なくて、いけないと思っていて怖くなってしまって、そんな過去からの、課題をお持ちなのですよね辛いですよね。周りのおっさんたちが、何を言おうとも(笑)あなたは、失敗をして、学んでよいのです。相手の事を怖いのはよくわかります。でもそこから少し自分に立ち戻り一体何が自分にあっていないのか、そこをどう改善をしたら同じ失敗をしないのか、失敗をしないように工夫をしたらそれをタダするだけでくよくよすることにエネルギーを注がず、次に大事な物に集中をしていくことを、してみてください。自分の内側から、これがよいと思う事柄を感じて信頼してみるのです。たとえ失敗があってもそこから学ぶ勇気を持ってください。もう一度、自分を取り戻していくことこそが、人生の目的でもあります。ーーーーーーーーーーーーーーーー自分自身を取り戻していくために自己の失われた部分と統合をしていきます。http://www.acoreading.com
2011.09.22
浮気をされた、とてもショックで眠れない、あまり愛情は夫に無い、とても強い妻と思われている友人からは姑さんにも話したほうがよい、(同居)とのことでしたね。で、変な質問なのですが、夫に愛情が無ければ、何故そこまで傷ついていますか?本当には、あなたは、何を求めていましたか?ここがわかれば、「私は○○を求めていたのにそれは大事なことなのに、こんなことをされて、許せないと思っている。子供のために、離婚をしたくは無いけれど、今は愛情が無くて、迷っている」ということを伝えてみてください。伝えなくても、ここから離れないでください。つまり、あなたの心から離れない、嘘をつかない、ということです。あなたが、夫に対して魅力を失って夫が冷たいと感じた問題の整理にもなります。本当に正直に必要な助けを諦めてこられましたから。お姑さんに話した場合、それは周りからのプレッシャーで「恥」をかかせる、を、基本としています。あまりに能天気な人であれば、ひょっとしたら、それがお灸になることもありますが、家自体に、いにくくなるケースも、ないわけではないです。あなたは、ご主人にとって、意外に大事だったりします。上の事を伝えるだけで、かなり考えることでしょう。彼の態度が変わったり、そんなことを経験してみてください。もっとも、もう少し、変わってきているのではありませんか?その変化は、彼の、反省の色でもあります。もう終わったといっている、ということは、彼の気持ちの中では、「浮気をしてみたけれど、案外つまらない、早々にひこう」という気持ちがありますから、もうしない可能性はあります。そういうケースもたくさんあります。それと、ご自身の今、興奮をしているエネルギーを正しく使ってください。怒りは大事なエネルギーなので、状況を必ず変えます。でもそれは、正しく使う必要があります。間違った方法は、以下の通りです。1、自分の過去の経験から、あんたはこうなのね、ああなのね、という2、感情的でわけがわからない叱り方をする3、時間が待てない、すぐに変化を求めて、ずっとしつこくしている、 話していないと落ち着つかない、どうしても説得をしたい4、周りに話しすぎるということがなければ、素直な気持ちを落ち着いて話してそれで、意思をしっかりしておけば、相手が変わって行きます。これらは例ですが、掲示板の書き込みを見る限りあなたはこういうことはあまりされないかもしれませんが、他のかたがたへのアドバイスです。そして、伝わらないのは、「本心ほど伝わらない」と信じてひねくれた方法を使っているからでもあります。あなたが、注意をしなければならないのは、強い自分でいるために、あるいは、こういう妻ではないと思いすぎていて、正直ではない部分があるかもしれませんから、その見直しはする必要があるかもしれません。夫に魅力を感じなくなった、と書いてあり、冷たさを夫も感じていて、と書いてありましたから、でもそこには、あなたの、甘えられなくなってつまらなくなった、甘えられるとは信じていない方法もわからない、ということもありそうです。自分が本当に必要なものを、助けを借りるということが大事な時期です。本当にここが必要だから、手を貸して、といえる勇気をもたれますように。それは今の状況を、ちゃんと話せる能力も、含まれています。―――――――――――――――本来のエネルギーを使う方法をACRのセッションでは学びます。潜在意識が変わるときに、家族の関係も変わります。今の問題が、解決をするときには、もっとよいものが、意外な形で出てくることは、よくあります。http://www.acoreading.com
2011.09.21
友人がいなくなった、少しあわない人もいて、整理もできたでも今後、もっと尊敬できる人々と、お友達になりたい、とのことでしたので友人がいなくなったこと自体は流れを拝見するに悪いことではないようです。時期もおありでしょう。でも、今までの悪い縁、というか無理をしなくなる、ということの次に親しくなりたい人と親しくなっていくのでしょうけれど自然のそうなるかもしれないし、ひとつまた課題はあるのかもしれません。悪い縁を切ることはひとつ良いことではあるのですが、今までに無い新しい関係を築く、ということは、ご両親からみて学んだ、関係性ではなくて別の面を人に対して信じてください、ということでもあります。つまり、人はどうしても、人を見ると、この人はこう考えていて私はこう接していたらこう思われていて、こうだ、ああだ、と自然に動く気持ちがあります。人は、それがあまりに自然で全部本当に正しい考えと思っています。でももちろん、違うことを信じている人になるほうがよいのですから。それらの整理がついたときに、別の関係性は普通に現れます。それは、意識の改革みたいな方法でもできるでしょうし自分が人に触れたり自然を愛したり、そんな過程で自然と整理をされて、ああ、人ってこうなんだ、と良いところを学べたりして、自然に現れることもあります。それとステータスの高い人とお友達になる場合、その人を本当にタダの人と思っていないと友人にはなれないです。あちらの立場にすれば相手が自分のステータスが高いから、友人になりたいのであれば、あちらさんだって、無意識に、良い面を見せないとならず疲れるのです。つまり、友達ではなくてあがめてくれるのは嬉しいけれど、みたいな、対象です。だから、なるのであれば、自然となれる力を身につけることです。尊敬を出来る人というのはどういう方かわからないですが、自分自身に対して、尊重の気持ちがあるほうがよいでしょう。自分自身も、よい面を増やしていってください。逆説的ではありますが、こういうところが尊敬をできる、とまねをしていく時代は、確かに学ぶために、あってよいのですが、本当はその人が、それとはまた違う、良い面(しかも、自分が尊敬をしている人々とは違う資質という場合は多くあり)を、本当に受け入れて、伸ばしたほうが、良い縁は増えます。自分をよく知り伸ばしていくことは、大事なことなのです。自分の隠れた面をしり、解放をすれば本来の力を発揮できます。色んな尊敬を出来る人々と、ちょこっとづつ、話しをしてみてくださいね、それらが自然になるときに、運も、変わることでしょう。自分が対人関係でしている癖を知りそれを変えることで、目標を手に入れていきます。http://www.acoreading.com
2011.09.21
私は小さいときに怪我をして手に障害があります。そのため、母は小さい時から人に負けないようにと厳しく育ててきてくれました。なので、私も褒められるように頑張ってきました。けれど、今、大人になって潜在意識の中に異常に人から好かれたい、人から嫌われたくない、という感情、そして、自分より幸せそうな人みるととても焦り、私もそうならなければといけないと思う感情が出てきます。どうやって解決したらよいのでしょうか。それともうひとつ。母は、父のことをダメな人間だと思っています。それは私の中にも浸透され、父をみていると確かに賭け事に行くし、仕事もあまりしないので許せません。そして、父に似ている人をみるのも許せません。そのせいか男性を見る目がとても厳しくなっているように思うのですが。どうしたらよいでしょうか?――――――――――――――――――あなたの中で、失われた部分は、「自分のなかの、緩やかな穏やかな部分」です。人はある時期、基本的な姿勢を学ぶために、さまざまなしつけを受けます。それはその時期には大切なものです。でも、そこにその人が生涯持つ強いプログラム(脳の)も、同時に、できてしまうのでそれをはずすことが、30代、40代の課題になります。それをはずせないと、さまざまな問題が生じます。そしていったん学んだ物を、いったんすてて、自分本来の姿になるとその人の中で見事なバランスが取れていきます。学びがあるから、基礎的なことはオーケー、でもそれを捨てて正しい判断をする時期が大人ですね。エゴ、つまり、その人の自我、ですが。は、その教えを捨てることを脅威とみなし、嘘をつきます。「それらの教えられたことを捨てたら自分は非常に悪い人間になる、欲望のままに赴く人になる」というように、です。でも、通常、自分のなかで悪いことをしたい(としたら)それは、禁じられているからであって、脳の中で禁じられている、でもしたい、したい、でもいけない、というように葛藤があるからでありその禁じている重たい部分をはずしたら、それほどしたくなくなります。そして、本当にその人らしい、正しい方法が学べますがこの正しい方法が出てこないために、今の問題がすべて、出てきています。だってさ、セッションでそれを取り外して、成功をする人こそおれ、(さまざまな分野、海外に進出するかたがたも増えましたし)取り外して悪人になった人はいません。いったんは、気が強くなったりというのはあるけれど。でも関係性はそれでうまくいっているし。つまり、問題は、その人の偏りを教えてくれている大事なメッセージでもあります。この方の場合、そのお母様が、立派にしつけられてそれは本当に素晴らしいことです。ただ、この方の家族の問題として、負けないように、というように、教えてこられて、そこには、片側の、自分の穏やかさを否定して生きるというようになっていて、それとお父様を見てこられたために、ご自身の脳のなかで、自分が信じたよい悪い、ではなくて、出来上がっているファイルみたいな物があるのです。そのファイルを使って、総てを分析を無意識にしていますから、この脳のファイルを変えることを、ACRではします。で、このファイルで生きているのが、何か変よ、と感じた時点ですよね?たとえば、ですが、状況は聞いていないからぴったりの言葉は捜せないんですがカウンセリングであればそこはぴったり探します。でも、今適当にあげるからご自身でご自身のファイルを探してみてください。ヒントになると思うから探してみてね。たとえば、男性が、お父様と同じ行動をする、そうするともう、負けていて、その人は駄目で、そういうふうになったら全部だめ、というように、極端に気持ちが繋がって一連で起きるはずです。そのなかの、お父様にあって、自分が禁じている、(と自分が見てしまっている)一つの要素があると、つまりは、全部関連づけていて、全部そのやり方はだめ、その人はだめ、という、その判断は正しくない、という意味でもあります。そうだなあ、たとえば、なんですが、お父様と同じ、仕事の合間に、少し休憩を取るとか、そのときに、だらしない顔をしたとか、これはあなたには当てはまらないだろうけれど、とにかく何でもいいのですがお父様に似たような、自分が禁じた何かを相手が持っていて、それがあっても、その人は、それでバランスをとっていて、非常に有能かもしれません。仕事の面で有能ではなくても、家族を大切にする部分があるかもしれません。でもそれら、何が自分に必要で、一緒に暮らしやすいかはもうあなたは検索をできないんです。そして引っ張られるのはお父様と同じかどうか、お母様がお父様に対して持っていた怒りみたいな苛立ち、みたいな、と同じような怒りや、負けている、勝っていない、というような強い、何かが動くような感覚です。で、ついでに言うならば、お母様も本当はお父様にいらだっていたのではありません。自分が得られない何かに苛立ちを覚えてはおられたのです。それで、あなたが今後、一致をしないとならないのは、本当に自分との、自己一致です。あなたの中での、検索の方法が、すべて、「お母さんが言っていた、周りに負けない、そんな周りと違っていたりそれではいけないかどうか(言葉はあなたぴったりの物に変えてください、そのほうが解放がすすみます)」によって検索をかけます。でもそれを変えて、「自分自身にとってそれは必要かどうか」というのを見直す時期なんです。お母さんじゃない、お父さんと同じとか違うとかでもない、自分の本質にとって、それはよいことなのかどうか、です。それは男性についても同じです。たとえば、のんびりした話し方が凄くいやだとしても、それはお母様のお父様に対しての気持ちを投影しているとしたらお母様ではなく(あなたのなかに生きているお母様からの情報ではなくて)自分自身が、それが心地よいかどうかを見直す時期ですが、それが怒りや、嫌悪感とか、自分を守る気持ちが強すぎて感じられない、のが、問題、と思えば、それほどはずれていない。それは、まず最初に、自分自身に、お父様と同じ面でも好きな部分があれば、それを許す、ということからはじめないと感じ取れない部分でもあります。ご自身のなかで、相当に失われてしまった(もう意識はできないですこの部分と一致をさせるのがセッションです)たとえば、今日はゆっくりしていて、そのときに、こんな本を読んで、そして、じっくり楽しんで読んでから、感想文を書く、みたいな自分らしい何かが失われていて、常に動く気持ちが、お母様がたとえば、「必死でやりなさい、宿題はすぐにやりなさい、」といわれていたら、あなたは自分自身が、「早く有能に(自分の感じ取り方は無視をして)行動をすることが、自分である、それ以外はありえない」と信じているわけですから、お父様と似ているという部分は否定をされているわけですから、お父様と似ていると信じて禁じていても、じつはたくさんの目的があったあなた自身に繋がる必要があります。ねっころがって、本を読んでいたら、ぴんとする物があるとか、それが経験があれば、今も別に寝ながら仕事はしないよ、でもリラックスをしながら仕事ができるとか、そんなような、禁じた何かから得られなかった何か。上記であれば、ああ、そうか、こんなに本を読むのは楽しいんだ、という感想を感じて、そして、こんな文章を書いてみよう、という工夫が出来るあなたが、早くやらないことはお父さんと同じ、ねっころがっているのは、お父さんみたい、お母さんがいけないと禁じた、と、禁じていれば、もうこの部分には繋がれないわけです。つまり、本当に意味があることを、意味がある方法でするのではなくて、価値感が先に動いてしまう、ということだわね。なんだか、ゆったりしたいな、えーそれってしたくないな、という気持ちがわいたとたんあなたはもう、怖くて否定をしているので、その先にある、ああ、そうかあ、この本をゆっくり読んでみたかったんだ、とか緊張をしないでこれをさくさくしてみてもいいじゃん、とか、(これらはたとえているのです、あなたの問題はここではないのですが、こんなような、例、ということです)そうすると、こんなことがわかるんだ、という部分が失われているのです。豊かさ、その人自身が豊かになるためには、いったん、「お父さんと同じようにだらしないから、さくさくやらないのは(かなにか知らないけれど、自分ぴったりの言葉を探してみてくださいませ)駄目だ」という感じ取り方を捨てる必要があります。そして、そうかあ、だらしなくしたかったんじゃなくて、本当にこんなふうに時間を使いたかったんだ、というその奥にある、自分自身を取り戻すことが今後の人生の課題になるでしょう。その部分のつながりを取り戻したとき(いっぺんにはおきません。生涯、ひとつひとつです)凄く良いことがおきます。そのたびにです。だから、経験してくださきませね。まあ、問題は繋がっていて、男性を許せないのも、自分が他の人が幸せだと負けている気がして怖くなってそちらに気をとられるのも、同じ根底はあります。だから、セッションではいっぺんに扱いますが、動くと面白いのですが。ひとつひとつ、まずは、自分を大事にしてみてください。本当はね、それが出来たら、手の障害が、本当は多くの人々に受け止められていることにも、気づくことでしょう。お母様がよい人生を与えたいと思った、すばらしいことです。でもあなたは、戦っていないと得られないと信じていて、そのままのあなたでは得られないともそのために、信じてもおられます。そんなこと、ないんだからね。^^大丈夫。
2011.09.15
相手の話しを聞きすぎていて、疲れ切っていて、でも疲れたら死ねばいいや、と思っていた、という方の書き込みがありましたから、今、あなたが学ばないとならないことは、相手が悪い状態であるときに、それを変えよう、自分が変えてあげようと思いすぎていることです。だから、本当に、それが誤っていることを知ることです。それは、相手のためではなくて、自分の誤って間違って学んでしまった方法によるものだと知っておいてください。常に動かされるのは相手が不幸であるといっていたら、自分がそこに巻き込まれて一緒に苦しんでいないとならない、と思ってそうしたくなる欲求です。ご自身の無意識な部分で、相手を変えたい、そのためにどんなに苦しくても、自分が犠牲になるということをされておられて、でもそこの問題は、相手を変えたいという望みです。相手には相手の自由があり、その問題を持っていてよい許可が必要です。たとえば、アルコール依存の父がいるとして、その人が直るのは、本当に自分がこれを変えようと思ったときです。私はそのような人々も、知っています。子供は、こう考えます。この父親に、ぶたれていれば、父親が直ると信じていてぶたれるとしたらそれは幼い子供には必死だった方法かもしれません。でも正しい方法ではないのです。それが今のあなたの使っている方法です。子供がいなくても、アルコールを飲めば、その人は何かものに八つ当たりをします。ここの理解を人は罪悪感があると、全く感情が学べなくなります。信じられなくなるのです。自分がぶたれないと、ぶたれないと、と関わろうとします、。関わっていないと、不安で、自分がいけないと思い、自分の時間をすごせません。つまり、子供がぶたれる必要は無いのに、他の事で八つ当たりをちゃんとしてそうして生きているのに、自分が他の場所で幸福でもその人は何にも変わらないのに、自分が犠牲にならないと、と信じて自分がその人に関わっていきます。でもそれは、本当にその人を助けることにはなりません。幸せではない経験をした、今幸せな人は、人を助けることができます。なぜなら、幸せになる経験をしたからです。でも幸せではない人が、幸せではない人を救おうとすると、そのように、黙ってぶたれている、というような誤った方法に必死になります。だから、自分が幸せでいる必要があるのです。穴に落ちた人を、穴に落ちている人はどうやって引っ張るのでしょうか?二人で穴の中で、ロープを引っ張り合っては、いけないのです。自分の痛みが大きすぎるので、相手を助けようとしすぎています。でもそのために、自分を犠牲にするときには、本当の意味で相手を助けてはいないのです。もう無理をして相手の話しを聞きすぎないことです。それは、前の日記のm、お母様のように、そのお母様をみて傷ついているお嬢さんがいるように、他の人に苦しみを与えます。自分が無理をして不幸なことは、周りの人々も不幸にするのです。自分が幸せになろうと決意をしてください。この罪悪感に負けて、私が犠牲になっているとほっとするという方法に打ち勝ってみてください。そうしていないと凄く嫌な気分がして、不安でいられない、その罪悪感が真実ではないことを、本当に学ぶ必要があります。この罪悪感は人をひどく動かしますし、見える映像を全部変えます。そうして、自分が犠牲になっていたり、していないと怖い、それ以外に方法がわからない本当に助ける方法にぜんぜん気持ちがいかず、常に自分が犠牲になろうとします。自分がその問題は自分のものではないな、と思えばその人に任せることが、怖くて仕方がありません。そして自分も無理をしていて、不幸であるときに安全であると感じます。でも、自分がちゃんと地面を踏んで立つこと、幸せであること、それ以外に、本当に人を救うこともあなた自身を救う方法もないのです。---------自己犠牲と罪悪感のプログラム(自分の行動が制限をされる考え方が制限をされる癖)は強い物です。それを変えたときに、全く世の中が変わって見えていきます。そして、正しい判断が付くようになります。http://www.acoreading.com
2011.09.15
自分の問題の、整理ができたときに、その相手をよく知っている本質が出す答えは、その相手にも、奇跡を起こすことはよくあります。さて、信頼、っていうものは、相手が自分の好みの行動をしているから信頼を寄せるのではありません。その人の存在そのものを、その人が考えたことを、その人が今、している、受け入れにくいかもしれないけれど成長をしようと悩んでいる姿を、その人が、していることが受け止めにくくても、ああ、その状態があるんだ、と腹をくくってあげることなのです。それは、その状態をよしとするものではなく、悪い物は悪い、でも、その人がそういう状態であることを、選んでいることを認めて、自分が解消をしようと焦らないで、相手が解消をするように待つ、嫌な状態から、逃げ惑わない。(つまり嫌な状態になりたくないから自分がしてしまわない)そんな、忍耐が、信頼でもあります。自分のせいで、と思わない。自分ができれば、と(あたかも相手の問題を整理できるのは自分であるかのように)ならない。たとえ相手がそういう人だとしても、「ここはあなたが解消をすること」と戻してあげる。必死で、相手が、そこの部分で関わろうとしても、それは面白い考え方だね、でもそれは自分でしてみてね、と戻す。重たい気持ちを持たないようにする、これが誤解であることを知っておく。この、重たい気持ちは、相手がよい状態ではないときに、自分が何かをできるはず、してあげないと、いやだ、という1) 相手の状態を認めていない、2)相手の問題は自分が整理をしてあげられるはず、という、罪悪感から来ます。自分が怖いから、自分が嫌だから、自分が後から出来ない悪い気持ちを持ちたくないからこれらは、相手のためではないのです。悪い気持ちを感じたくない自分の欲求で、愛ではないのです。愛も一部、誤った形では、含まれてはいるけれど、愛情そのものではない罪悪感からの動き方です。それは、お母様に対しても、一緒。妹さんが出来ることしなくてよいこと、無理にしなくても愛情を注げるたくさんのことがあったのに、無理して、それだからいらいらしていて、怒鳴っているお母様そのものを受け入れる、それが、今、無理をしているよ、と自分で気づこうとしている姿。さて、問題を元に戻すと、言葉じゃない、方法じゃない、この状態があってよい、あってよいことを受け入れる。それは、その状態でよいと思う、ということではありません。悪い物はわるい、でも、自分が相手の問題を、自分が悪い気持ちを感じたくないからという理由で、解決をしようとするのではなくて、「相手が解決をする」まで待つ、それ以外の事(自分が必死になってやろうとすること)に走らず穏やかで幸せでいる。心境。ほっておくこともできる関わるならば、重たくならない方法で。重たくなることはしない。相手がたとえどんなに、『私の問題はあなたの問題、かまってかまって」ということを相手から読み取った、としても助けることは出来ることはしても、自分がそのために、不幸にならない。本当に、自分を取り戻してください。そんな状態があってよいんだ、ああ、私はそうでも、幸せでいいんだ、と認めてみてください。本当にいいんだ、と涙が出るほど、認めてみてください。助けるとしたら、その人が、本当に有効なものならば、していくよ、とその人の時期を待つ。その人が本当にしたくなるまで。意外だけれどそれが出来たときに、あなたが次にする行動、あるいは選んで、しないと決めた事柄は、効果的です。--------------------関係性のなかで重たくなる気持ち、イヤーな気分は罪悪感が関連していることが多くそれを変えると関係性が変わることがよくあります。http://www.acoreading.com
2011.09.14
「相手の問題は、自分の問題、自分のせいなんじゃないかお母さんが怒鳴っていると、平安でいられない自分がいて、嫌だな、怖いな、直したいな」という心境からはなれる必要があります。無自覚だけれど、重たくなる部分、暗くなる部分怒鳴っていたら、明るくいられない部分が、その部分(罪悪感、相手がよくない状態だと自分が責任があるのではないか、と動揺をする)ってことさ、だから、問題が相手にあっても「明るくなれる」度量をもちなされ。ここが、この家族で、学べていない、先祖からの課題でもあります。同じことをしてきただろうから。理想的には、ご自身のなかで、「相手の問題は相手の問題、お母さんは、無理をしすぎ、だから、怒鳴っていていい」と覚悟を決めること。そして重たいときには、お母様が妹さんに関わってきた姿を見すぎていて「それって、あなたのことで、自分でできるでしょう、してごらん」と返してお母様がのびのび明るくしている姿を見られなかったから、あなたもそれをしていない、ということでもあります。自分は助けることは助ける。それはお母さん自身が問題を見直す方向にいくならば。でも、怒鳴ることを本気でよしと認める、怖い自分を癒す、ほおっておくことを、学ぶ。なおかつ、相手がそれを、自分がしたくてしていることを受け入れてあげる、その状態でよしとする。ということです。お母さんを、良い意味でほおってけるときにお母様も妹さんを、ほおっておくことを、「本当に」学びます。お母様も妹さんに巻き込まれない強さを学びます。でやす。心境のことだからね、重たい、というの自体が誤った感じ取り方でこれが、土足に踏み込んでも助けてほしい人とのかかわりを作っていきます。通常、関係性にこういった罪悪感が無い同士であれば、「え、今大変なんだね」と方がわがいい、「うん、大変なの」とお互いにそうは話しながらも、本当の悩みは聞くけれど自分で出来ることも結構あって、大変なことがあっても、楽しいことができる関係性であります。でも双方に、罪悪感で引っかかる物をもっていたら、相手が大変だとわかってしまったとたん自分が何か出来ないと、と、思い出し、重たいと思い出し逃げたいと思い出し彫っておきたいのにほっておけず、こんなことを言うのをうらみつつ絡まるという心情にはなるでしょう。そして相手にも、それを求める。自分が大変だからして、見たいな言い方をして重苦しい。重たい、ということ自体が、じつは不自然な感じ取り方で。ここをセッションで取り除くのでもあります。この重たさこそが、幼少期から学んだ、相手が、色んな状態で、大丈夫なんだ、ということをかんじとれなかった部分でもあります。ということで、覚悟を決めてごらん。お母様は、無理をしすぎ。そのためにいらいらしている、そして無理をしたくなくなるまで、それを学んでよい、怒鳴って結構。怒って結構。私(相談者さん)はそれが嫌だけれど、怖いかもしれないけれど、まああっていいんじゃないの、親よ、と認める。いやだ、私のせいかもしれない、できることがあるのかもしれないいやだ逃げたい、と思えば思うほど、正しい行動にはいかないでしょう。
2011.09.14
この覚悟がある親と、かわいそうだから、これが起きる、アレも起きる、というように、準備をする親とでは、子供の対応が違っていきます。さて、あなたの問題と、お母様の問題は、じつはひとつです。お母様は、妹さんに対して、強く出られないのです。こうしなさい、ああしなさい、といったところで、根底にあるご自身の「してあげられらなかった、全部(妹さんがよくないこともうまく出来ないことも、過去の)自分のせいかもしれないこれをしてあげないと、娘が困ったことになる」という自分の心の強い痛みをもったまま、物事を見ていますから、あらゆる事柄を、断れないでしてしまいます。そのために何でもしてあげるので、(なおかつよい顔もしておられるみたい、だから、相手に良く見せたいというのも問題になっている気がします)でも怖くて「しない」ことができない、ごくごく普通に今日は店屋物でごめんね。みたいに、しないことをのびのびできない。断ることができない、そのため、そうとう無理をしていて、苛立ちがあって、そのために、不自然で、そのために、独り言を言います。凄く無理をしていて、いらいらしていて、ということですね?で、これはいずれ、怒りが爆発します。爆発お母様ができたとしたらそのときに。いったんもめても、嘘のように、家族が良いように変わってはいきます。というのもしばしば目にする。まあセッションでは怒鳴るまえに解消をするけれどね。でもあなたの問題も、鏡のようで、同じです。お母様が、いらいらしているときに、お母様の問題を、自分の事として感じていらして、だから、怒鳴ったりするお母様が嫌だから直したいんです。どこかで、かわいそうだな、と思っていたり、どこかで、どうしよう、と思っていたり、どこかで、自分が何とかしてあげないとならないことなのかな、と重たくなりますつまり、このご家族の問題は、整理をしていく部分はお母様に問題があっても、良いと認めてあげる勇気と強さと、本当の意味での、優しさを、ということなんです。こういった場合、どちらか片方をセッションするだけで、家族関係が変わっていくことがあります。というのは、伝えたが、それはあなたも同じであるぞ。あなたが変わることが、大事です。人は皆、同じことを見ていて、同じ行動をします。鏡のように。それですから、あなたも、お母様の問題を整理したければあなたご自身も、お母様と同じようにしている
2011.09.14
人は、相手のために何かをしないとならないと考えるときに、癖でしていることがあります。「しないことが、怖い」という気持ちで、です。しないと相手に迷惑がかかる、してあげないと、この子、こんなに困っているのにその人がどうにかなってしまったら、どうしよう?それらの気持ちは「自分のもの」であり、「自分が持ってしまった罪悪感」であり現状をよくすると本人は信じていても、そこから行動をすると、だんだんと状況を悪化させるものでもあります。ここに気がつくまで、色んな試練は起きてきます。でもこの罪悪感つまり、相手の問題は自分の問題と思っていることは相当に強い気持ちです。この、「しないとこうなっちゃう、ああなっちゃう、相手がこんな(病気だし)だから、こうしてあげないと、こうもああもなる」という恐怖心は、相当に強く、感じ取りにくいものです。でもここを取り去らないと関係性が本当に間違っていきます。ご家族でセッションを受けておられて、お子さんが何もできない、外に出かけなくなった、というような場合も多くあり、たぶん、現代特有の何かだと思うんだけれど、それらの場合、時として、この、罪悪感を(親のほうから)取り去るだけで、お子さんが動き出すことがあります。自分が何でもしてあげないと、と思う方々の会話は、こんな具合です。「娘は働けません」「言ってはいますが、厳しく言ったら壊れてしまいます」「わがままを言うけれど、掃除をしてあげないと、家中が汚れてしまいます」というように、です。こういったご両親の場合、子供も苦しさがなくなりません。親が何でもやってしまうので、自分が出来ることが根気良く探せなくなります。しなさいと言葉では言うけれど、出来ない時間を待ってくれずに親が何でもしてしまうから、自信をどんどんなくします。そして、どんどん頼りやってもらうのに自分に自尊心がなくなります。そしてますます、その苛立ちも無意識にあってわがままになります。 そのようにして、双方で行き詰っていきます。これは、親が、この子はしてあげないとならない、という恐怖心で動くので待ってあげることが徹底的にできないのです。体が動く。助けようとする。子供はますます自尊心をなくし、わがままになる、という悪循環。罪悪感をとりのぞいて、何故うまくいくか、というと、これは凄く事実に思えるのですが(してあげないとこれもアレも起きてしまう、という恐怖心は強いから、それ以外に信じられない、それが真実だと強く思う)これは自分が相手にしてあげないと何かが起きる、という恐怖心であり正しい行動を起こす物ではありません。それ(してあげないと、こんなになっちゃう私がしてあげないのはわがままだ、といった勘違い)がなくなると、「掃除しなさいね」といっても、部屋を掃除しないと、「汚いなあ、ゴキブリわくよ、でも自分で整理をしなさいね」というおまえに任せるぞ、何が起きても、という、覚悟ができます。この親の覚悟を、子供は事実かな、と何かと試したりするんだけれど本物の覚悟であればすぐに相手も変化をします。通常は本気ではないので、試すと動揺をして相手も感情的に説明をしようとか必死になるので、つまり、まだ、相手が困ると困ると思っているわけですから、そこで元に戻そうと子供もしますが、「ゴキブリわいてもいいもん」と子供がいえば、そこで親が感情的になればしめたもの。まだ覚悟が決まっていないので説教をしている段階です。これだとまだごねます。でも、「そうか、それは仕方が無いね」と本気で覚悟を決めている親であればもう、罪悪感にすがり付こうとしてもすがりつけない、取り付く島もないから、相手が変わる。
2011.09.14
こんな相談がありました。ご実家に帰ると、妹夫婦の面倒を見てその夫婦が帰ったあとで、お母様が、「いい加減にしろよ!くそ野郎ども!!」と・・・2階に相談者がいないと思っていたのか、叫んだとのこと。、相談者さんの書き込みはさらに続きます。『カウンセリングを受ければ、こういうのは少しは改善されるものなのでしょうか?母親の心の荷物が少しでもよくなってほしいのですが、がんばりやさんで、女社長のような人です。私はそんな母親とわがままな妹に少し疲れています。ひとり言についてアドバイスをいただけたらうれしいです。』 そして、自分が話しを聞いてあげたいけれど、聞きたくない、とも書いてありました。『母の苦しみや悲しみを受け止めたくないのです。自分で解決してほしいのです。出会う男性は、母親が強烈だったということもあり、母親に似て、癖のあるパワフルだけど心に闇がある男性ばかりです。友人もそんな感じの人たちばかりです。好きになる男性の重い話からは逃げます。受け止めたくないし、理解したくないんです。ため息つかれたら最悪ですね。私の周りは癖の強い人が多いです。癒したいとは思いますが疲れてしまうので、受け入れることはあまりしないです。重い話をするたびに、距離をおいて逃げます。』そして、関係性のなかでも、人といて、土足で踏み込まれるお気持ちがされることが多いとのこと。『お母さんもお母さんに似た心に悩みがある人の言葉をそろそろ聞いてあげてもいいんじゃないのかな?とは思うのですが、そういうタイプの人に、私の辛さを訴えたりすると、理解せず、我慢しろみたいな言ばかり言われたりします。人のことを理解もしてくれないのに、なぜ私が理解をしなければいけないのか。』 状況はわかりました。それで、あなたとお母様と同じ罪悪感を持っていてそれが、問題を起こしているので。これがあると似たような状況、関係性ばかり、築きます。さて、このことですが、お母様がお母様の問題を、自分で解決をしてもらうのは、正しいことは、おわかりですか?あなたが重たい話しを聞いても、本当は、それは解決ではなくて、(本当は、それは何の解決もなりません、一時的な慰めにはなっても)「自分が何かをしないから、それが怖い」というあなたご自身のためでもあるのです。そして、ご自身が、これは気づきにくいことかもしれません。何か、相手がよくない状態のときに、無意識に「やってあげないとならない」という信じ込みがあって、「それと」戦っておられるのです。つまり、こういうことです。お母様の状態から説明をすれば、
2011.09.14
3,4年前にキャシーさんにメールで母親との確執についてカウンセリングをさせていただいた者です。当時キャシーさんに「数年したらご主人との間にお母さんとの問題と同じことが起こる」と言われ、まさにそれが起こっています。キャシーさんがブログでよく書かれている【頭で探すのではなく心で感じる】というのがよくわかりません。幼い頃の辛かった思い出は次々と出ててきて今でも涙が出るほど悲しくなるのですが、その時の悲しい気持ちはどうすれば癒されるのかわかりません。「あー、私は悲しかったんだな」と感じて認めようとするのですが、あまりすっきりした気分になれません。心で感じるとはどんな感じか教えていただけますか?―――――――――――――――――――という相談があり、私からの質問どんなことが悲しいのか、ということは、お伺いができますか?ごめんなさい、状況がわからないので。―――――――――――――――――――――――――――に対しての回答お返事ありがとうございます。中略ー。母は私がはむかうと、「そんなえらそうなことを言うならもう○○しない」という形で罰を与えてきました。一度遠足の前夜に叱られ、明日のお弁当は作らないと言われ、泣きながら自分でお弁当を作ったことがありました。また、「自分は我慢してあなたのためにこんなにお金を貯めてあげてるのに」と通帳を投げつけられたことがあり、お金なんていらないから抱きしめて欲しいと思いました。中略ー結婚して5年になり、主人といろんなことで喧嘩になると、「じゃあ、私はもう○○しないから」と言ったり、相手に罪悪感を感じさせる言い方をしている自分が、まさに幼少期の母親と同じだと最近気づきました。子供はいませんが、もしできたら私はきっと母親と同じことをするんだろうと思いました。小さい時からの感情を癒して、今後自分が家族や他人に同じことをしないようになりたいです。---------------------という相談に向けて書いていたら、ちいと、私が長く書きすぎるんで、少し読みやすくしてみます。で、簡単に、今かける範囲で、さらっと書くならば、ひとつは、本当に悲しさが手離れないと、人は同じことを無意識にします。それは仕方が無いこと。それで、悲しみは本当の感情ではないのです。傷ついたあなたが、感じるようになったこだわりの感情です。だから、感じるとしたら、そこではなくて・というのを書いていたらながーくながーく、なってしもうて。。。。どないしよーと悩む次第になり、あいそうろう。セッションですっきりするのは、そこではないところに触れているからなんです。すっきりするでしょう?気もちが。それで、ご自身で整理をする方法としては、もう、相手がしてくれないと自分の思い通りではないと、凄くこだわって抜けない自分がいるんだなとちゃんと気づき、そこに引っ張られない、その自分を認めつつ受け入れつつ、でも外からそう感じている自分を眺めてただ、観察をし、流していく、というようにしてください。会話としては、あなたは、どれだけ悲惨かを伝えたり、どれだけ困らせるかでわかってもらえる、というような方法に行きがちだと思うから、それが、あなたの感情の癖になっていてどうしてもそちらにしかいきにくいんだけれど、感情が凄く動くでしょう?それは深いレベルで、お母様も、なんですが、「自分の気持ちなんて素直に伝えても駄目、絶対に怖いでも、自分がどれだけ悲痛か、苦しいか、を伝えて、絶対にさせようと頑張りしてもらえないと悲痛になる感覚ならばわかる」ということを学んだからでもあります。だから、そういう自分がいる、いていい、いいけれど観察をする、そこから行動をしない、という訓練をしてみましょう。伝え方としては、というか、学ばなければならない観念は、相手は自由、だけれども、私はこうしてほしいという私がいる。私はこうしてほしいんだよね、これは嫌なんだよね、とただ、伝えるだけの訓練。そして相手がしてくれても、してくれなくても、良いと認める訓練。理屈で、どれだけ悲惨かではなく、(つまり、私がどんなに苦労をしているのか、苦しいのか、わかっているの?みたいな話し方)そうすると相手も、悲痛な心境になり、ちょうどあなたが子供のときのように、です。お母様で言えば、「え、そんなこと、思ってるの、わーやだなあ、こうしたほうがいいよ」でほっておいてくれる、という関係性ですね。で、悲惨だから言う権利がある、と感じている一人がいると、どうしても、関係性がぐちゃぐちゃになります。言うことだって、聞きたくない相手が、親のことを、聞いてあげたいと思う子供であれば、自分自身と、してあげられない罪悪感とのハザマで、ノイローゼになる。だから、ただ、凄く簡単に、「これしてほしいんだけれど」「こうはしてほしくないんだけれど」「理由は私はこうしたほうが、こうなると思うから」(本当に整理ができれば理由を話す必要も無いことも多いけれどね)と必ず、自分はこういう判断だけれど、あなたは違ってよい、という前提に話すこと、非常にこだわって何らかの話しを始めそうになったらこだわっている自分を観察し、そこに入り込まないこと。一般的には、こうだし、常識だし、あなたが間違っているし、こうしないとならない、という強制ではないこと、が、寛容。特にあなたの場合は、いやだ、と引きこもってしてあげないで復讐をするパターンはあるので、いやだ、嫌だからね、それを認めてよし、ということをお母様にやってもらえなかった分、自分でしていきましょう。いやだ、それとは意見を違っていい、そして相手も相手のままでいい、というような学びは必要でしょう。伝えても、大事なのは、でもやるのも、やらないのも、あなたの自由だから、ということです。 ということで、認めつつ、私の意思はこうだけれどね、私はこうしてほしいけれどね、あなたはどう考えるのそれでいいんじゃないかな、と、話してほっておいてください。相手も変わります。特にお子さんであれば、相当に変わって行きます。ということを、あなたもされなかったでしょう?だから凄くしにくいのね。これができるときには、その人の心の傷もいえていないとならずそこで、傷の癒しもおきます。つまり、絶対にそうとしか出来ない、と傷ついた感情が、動くのでその整理をセッションではしています。悲しみは確かにおありでしょうけれど、これは、表面に現れているこだわりなんです。本当の気持ちは、お母様が、これ、こうしたいな、こうしてほしくないなというのを自由に伝えられてあなたも自由で、安心をする感覚に繋がるはずがうまくできなくて、悲しんでいる、そこにとどまっている、過去にとどまっている気持ち、という表面の気持ちです。でも、こんなこと(話し方を変えたり、自分の気持ちに気がつきつつ流すようにすれば)ができれば、自分とも、もう、向き合っているんじゃないかな?と思いますから。やってみて。、失敗してもいいんだから、できなくてよいんだから。ご主人の、広い胸を、かりなはれ。喜んで貸してくれると思いますから。
2011.09.09
嫌なことを言われる。なぬー? と 思ってする行動に、相手は何かを感じて相手も反応をします。相手がわからんちん、になります。なぬーと思っている自分を知って、そこから行動をするのではなくてその自分を受け止めてあげてください。そしてなぬーと強く思っていて、いらいらしていて、相手はこうだと決め付けている自分がいるな、程度にしておきます。なぬーと思うことが(もともと)あると、相手はそこを突く話しをしてくれます。相手にいらっとしたら、自分のなかで、思い込んでいる(言われたくないことは思い込んでいること)を整理してみてください、というメッセージだと思ってください。その部分が、誤って気持ちと結びついている、強い信じ込みです。たとえば、力不足といわれていないのに、言われることが多ければもう少し謙虚に力不足のところを認めて、その上で力をつけることが必要になります。力不足を否定しながら認めずに生きていると、自分はどこかでそれを感じているので、相手がそれを指摘してくれるようなことになります。結婚の話しを良くされて、イラットする自分がいれば、結婚をしていない自分は駄目だとか、なんちゃらかんちゃら。でももうそろそろ、そんなように「どうして自分が足りていない、世間にあわせないと」と思ったか、ということを見直す時期であるのです。自分でクリアーにしたことがらは、 確かにおきにくいです。―――――――――――ACRのセッションでは、自分が信じ込んでいる事柄の根底にある感情と、信じ込みをはがします。さらに、自分の信じ込みをよいほうに変えていきます。本来の自分で生きるために。
2011.09.09
>37歳になる働く主婦です。社会人になった20代前半のころから貯金をしているのですが、貯金が100万近くになったら一気に使ってしまうということを何度も繰り返していて、現在の貯金額は10万円を切っています(汗)消費者金融などに手を出したことはありません。。>お金を使うことに関しては、幼いころから罪悪感があり、お金を払うたびに後ろめたい感じがします。こういう相談の書き込みをすること自体、すごくいけないことをしている気がします。>貯める時期はコツコツためるのですが、1年ほど経つと、品物も値段もあまり見ない感じで一気に買ってしまい、直後は後悔することもないのですが、しばらく経ってから通帳を見て「あー、また100万円こえられなかった」と自己嫌悪に陥ります。>>対面カウンセリングを受けようと思うのですが、遠方ですぐには行けませんので、それまでの間、日常でできることはありますか?変な質問で恐縮ですが、よろしくお願いいたします。100万、が何らかの、ポイントなのでしょうね。で、これを拝見して思うのが、まるでダイエットみたい、ということでした。食べてはならないのに、食べたい、みたいな。じつは同じような側面を持っています。さて、セッションでは、面白いことに、その方が問題と思っていることよりももう少し深いレベルでの層を扱います。それで、おそらく、この書き込みだけだとわからないのですがまたセッションでは必ず、他の事柄が潜在意識から現れるので、違う事柄が出てくるとは思うのですが、まず、ひとつは、罪悪感がご自身で書いていただいたように、おありです。この罪悪感というのは、ACRではいくつかに分けて考えていますが、そのひとつに、「自分で思っていないことでも、その人との関係で自分がいけないと思い込んでしまったことによってわく気持ち」というのがあります。で、今の書き込みをみる上では、ご自身が深く深く信じてしまった「絶対にこんなことはいけない」という気持ちと、関連があるように思います。この罪悪感、というのは、かなり人を強烈に動かす力があります。さらに、気づきにくく、通常は、怒りや怖さ、といったほかの感覚で感じることが多く、でも取り外すと、かなりその人が相当に変わる、というとても面白い特徴を持ちます。実際には、これはお金の罪悪感ではなくてもう少し違う事柄に感じた罪悪感だろうな、とは思います。それは、何らかの形で、「自分のために、自分が何かをしてはいけない本当に周りが悲しむんだ」というような、何かを感じておられるのでその部分の整理になるのではないでしょうか?ご自身が、誤った言葉を信じ込んでいて、たとえば、親が良く使う言葉があるとしたら、みっともないとか、ご両親との関係で、自分が好きなことを好きなようにしたら傷つくんだ、と思い込んだ悲しみがあるとか、そこらへんに繋がりはあるとは思うのですが。まずは、凄く悲しいんだな、ということを、受け止めておいてください。自分が自分のために、何かを決めたりしてはいけないと思った悲しみがあるんだ、悲しいけれど、そうしないと、周りが傷つく傷つける、自分が悪い子だと誤って信じた自分がいそうだ、その原因を考え込むのではなくて、そんな心境が無いかどうか心境を大事にしてみてください。 原因を探しても、それは頭が探してきた原因ですから、軽くはなりません。こんな出来事、あんな出来事、というところで、それはうらみの連鎖みたいになってしまうでしょう。心が、心境が、ああ、こんなことなんだ、と理解をすることがあるとしたらそれは問題の整理に行きやすくなります。そしてまた、自分が、「そんなこと、させられて、本当は自分らしくいたいのに」と怒っている自分にも繋がる必要があるでしょう。人は自分が自分を禁じている部分と、それを嫌がっている部分があるためにそれらが、複雑な行動を起こします。使いたくないのに使ってしまうとか食べたくないのに食べてしまうとか、それらの心境でもあります。まずは、二つの自分を受け入れてあげてください。悲しんでいる自分、絶対に自分のために、色々してはならないと思ってしまった自分と、そして、そんなのいやだ、自由でないのが、本当はとても苦しい、と感じている自分、(こちらは、かなり無自覚な部分になります)さて、このメッセージは何でしょうか?つまり皆さんは、自分に禁じている罪悪感が強いほど、その行動にこだわり、してはいけない、と思いながら、それらをしている、あるいは、そうする人々とばかり関わっていく、という事実です。それらの自分を本当に大事にしてあげようと思うときに、また行動もそれらを一貫してする(使いたい自分にも優しくする無視をしない、押し込めようとしない)ときに、問題は解消へと向かうでしょう。使いたいんだね、こんなふうに自分がいけない、使っちゃいけないと思っていて苦しい自分がいたんだね、ごめんね、でも今日はこの程度でよいかなあ?このお金ね、こう使いたいんだ、というように、ご自身にも提案をしてあげてください。あーつかっちゃった、いけない、こんな自分はいけない、と思えば思うほどいやだ、そんなの嫌だ、使いたい、という部分が出てきます。つまり罪悪感って、事実ではないのです。自分はもう傷つかないように絶対に何か自分らしくしない、と決めてしまった不自然な部分です。使っていいんだ、そういうこともあるよね、だってストレスたまっていたんだもん、(ここの重たさをどう取り除くか、がテーマになります。いけないんだ、そんな自分は、と思えば思うほど使いたい、使ってやるという潜在意識が働きます)そして、(けれどもでなくて、そして)お金もためよう、二つの部分を同時に受け入れることです。二つの自分が癒されるときに、問題を生んでいたこだわりは、違った力として、新しい光として現れてきます。――――――――――――――ACRでは、二つの自分の部分(右脳、左脳の統合とも表現をされますし、潜在意識と意識とも表現をされますし、大人の部分、子供の部分とも表現をされますが)の一致をはかることで、生きやすい自分と出会っていきます。セションを受けて、呼吸が楽になる、という方は多くいて面白いです。呼吸と心境、その人のあり方は関係があるのでしょう。ヨガで(私はヨガをしないけれど)呼吸法を大事にするのは呼吸から、人間を変えるという逆バージョンなのでしょうね。http://www.acoreading.com
2011.09.07
ご相談内容突然の書き込みを失礼いたします。どうしてもわからないことがあり、書かせていただきました。いつも、計画していないと不安、というかイレギュラーなことがあると、すぐにいっぱいいっぱいになってしまったり、そうなるので、計画をたててから行動しないと不安だったり、計画通りにいかない、もしくはいかなそうだといらいらして、精神のバランスを崩してしまいます。わたしは少しおっちょこちょいなところが人より多いのがあり、そのせいか、「自分はいろいろなことに対応できない」という思い込みが必要以上にあるんだとおもうんですが、それがどうしてなのか、わからないんです。どうしたら、いろんな事象に対応できる、融通のきく人間になるでしょうか?―――――――――――――――――――――――――――セッションでは、こういった場合、「本当の不安」を取り除きます。あなたは、計画を立てて行動をしないのが不安、と思っておられるのですが実際には、不安が先にあり、計画を立てていると、その不安に抵抗をできる、安定をする、ということが、本当の出来事です。たとえば不安だから、何かに頼る、というのと、似た面があるのです。計画そのものが大事なのではなく、不安があるので消し去る、ということをするために、計画を立てていたら大丈夫な気がするのです。そのため、先にお伝えしたように、セッションでその不安そのものを取り去ればとても面白いことは起きてきます。本当に必要な計画、計画したらよいこととほっておいてよいことの、区別は当然、付くようになりますが、つまり、今は不安があるために、その不安に囚われてしまいます。そして、本当に必要なことをしているわけではなくて、計画をしていないことが気になってしまい、悪いことが起きる気がしてしまい、というように、操られてしまうわけですが。不安から来る計画依存は、計画をしていないと怖いので、計画をしないことは、考えられません。あなたが、今、このことが、不自然だと感じた、ということは、今までは計画を立てることで、乗り越えてきた事柄を本当の不安に接しても大丈夫だ、と潜在意識が向き合える力が付いていることも、教えてくれています。その力がある前は、「計画ってよいことだよね!」としか思えませんからその、計画をすることで、安定をするという方法を使っていて良い時期です。何かそこに、こんなこと、不自然だと気がついたり、その方法では、負担が出てきたり、無理が出てきたり、苦しいという感覚がでてきたときそれを解決できますから、解消を図る時期です。あなたの中の、本質は、こうして、ちゃんと時期を教えてくれています。苦しいことがあるときには、今まで見えなかった方法を解決しないと無理が出てきています。でも整理をすれば、さまざまな、新しいよい展開が現れてきます。それは、対人関係、恋愛など、さまざまな面での変化も出てくることさえ、あります。まずは、計画をしないことを、差しさわりが無いことからはじめてみてください。どんな不安があるか、ということをじっくり見つめ、これが問題を起こしていること、でも、本当は,それは、感情であって、事実ではなく(たとえば料理を作るのに、手順どおりにやらないと、どえらいことになることはなく、ただ、自分が不快で不安定になっているんだ、ということ)その怖さに支配をされたり、それが行動する動機にならなくて良いこと、などを気づけば自分のあり方に気づくきっかけになります。それとともに、その不安を分析をしようとはしないでください。分析や、頭で理屈を考えることは、問題からどんどんそれていく行動でもあります。頭ではなくて、心が、体が、ああ、こんなふうに怖がっているんだな、と戦わずに認めてあげる、そしてそれに入り込んで物事を決定しない訓練をする、ということのほうが、大事です。もし、理由を考えているとしたら、それは頭の中のことです。頭の中で考える分析は、こういう理由で、母や父がこんなふうにしてくれなかったというように、問題を再現をしますが、整理をしてくれません。そうではなくて、悲しい自分がいた、怖い自分がいる、そんな自分がいる、というように、その自分を認めてあげることをしてみてください。セッションでは幼少期に入りますが、決して頭で考え込むことをさせてはいません。ご自身の感覚を、きちんと取り戻す作業をしているのです。根底にある不安は、おそらく、自分がしてみて、あ、これ、こんな方法があって、こんな面があるんだ、ということを安心してできる、ということが学べていないために起きている面が大きいようです。たとえば、この粘土を、こうこねて、こんなもの、つくろうかな、と思ったときに、そんなもの作らないで、これをやりなさい、と怒鳴り声を聞けば、その子は、当然、「作っては壊し、あたらいものを作る」という、過程を大事にする方法を学びなおすことを、大人になってからしなければならなくなるでしょう。というのは、粘土をこねて、うまく行かないことがあまりに怖くなるので、自分で安心をしてこねているうちに、こんな方法もあるんだ、という過程があることを、つまり、イレギュラーな出来事のなかに安心をしてただよえば新しい方法も出てくるし、という時間をすごすことが、できなくなるからです。計画をしないで出てくるさまざまな当たらしい局面が怖すぎて計画をしていないせいだ、と逃げたくなる気持ちがあるはずですから、そうではなくて、それに対応をしたらいいことが出てくることを経験してみてください。ご自身の不安が、何を語りかけてくれているのかそのメッセージを聞いてあげてくださいね。―――――――――――――――――――――――――ACRでは、今起きている問題から大事なメッセージを読み取ります。さらに、自分のなかの本当の問題や不安を解消することで、楽に人生を切り抜ける力を身に着けます。感想です。先日はありがとうございました。セッションを受けて、怒りっぽいのが収まってきました。もちろん、今もイラっとすることはあるのですが、その気持ちが一日中続くことはなくなりました。感想を多々いただいているのですが、ご本人の了解をいただいたもののみ、載せさせていただいています。――――――――――――――――セッションは、心境を変える、ということに、特徴があります。http://www.acoreading.com
2011.09.07
人になめられるときという相談があり、皮肉も言われる、ということも書いてあり。人それぞれ原因は違うけれど、通常は、ご自身のパターンのなかに、「怒っている、悲しんでいる、いやだ」ということを相手に見せないようにしよう、という潜在意識が働きすぎていることが多いです。つまり、何かのマイナスを感じたときに、必要以上にあらわさないようにとブロックをかけるので、様子に出さないように気を配っている分、ましてや言葉にも言わない分、変なことになります。たとえば相手が、「今日は行くでしょう?飲み会!」みたいに強引で、自分は「なんて強引なやっちゃー」と気楽に思えて、でも、まあ、いいかな、と思うのと、「なんて強引なやっちゃー、でもこんなこと、察っせられてはいけない」というこれは、無意識レベルでなんですが、禁止している部分が多いと、禁じている分、自分に違和感が残ります。なんだか自分の気持ちを無視されたような(自分が相手が嫌だなということを出さないように、と気を配っている分押し込めているから自分が無視をしているから)違和感があって、相手が気を使ってくれない、になって、相手が押し付けている、になって、上目線に感じるし自分が自分のマイナスを受け止めていない分、なんだか相手が上に感じるし、相手もそうなるし。場合によっては、人によっては、そういうときほど、ニコニコしていたりしてそこに、相手も何らかの課題があるわけですからお互いに引っかかると、相手からすると、ナンなの、あの態度?来たいとは言っていても、むやみやたらに褒め言葉多いし、めんどくさいし、逆に、あの人から、嫌がらせされている気がする。なんだか、自分の色んな局面で、嫌だなと思うのを押し込めた分が相手には、なんだか無理していて、いやみを言いたくなるよね、ということもあるし相手の人が被害者意識が強すぎて「どうせ、私が」「私が悪いんでしょう?」と思う人でも、いやみを言われることはあります。どうせ、という言葉は、相手の逃げ道をふさぐんだな。自分を悪者にすることで、もう話し合いではなくて、被害者になられると、自分はもう、加害者以外の何者でもない苦しさを相手に植え付けるわけで。そんなふうに、お互いに、感じる人「も」います。それぞれの問題が鏡のようにお互いにうつって、絡み合うのですね。んー他の例でいえば、お金を貸してといわれて、返さないんだな、この人、と思い、丁寧にその場で、ねえ、でも前のも返してもらっていないよね?といえる人であれば、上から目線度を感じる率は、低いです。でも言えない人であれば、自分が自分の気持ちを表すまいとしている分押し込めている気持ちがあって、いろんなことがおきます。で、私が言っているのは、別に相手に言え、ということではなくて。自分の中にある、「相手に嫌な気分があっても、悟られるのが怖い」という恐怖心の問題を、言っています。恐怖心がなくなるとぜんぜん態度が同じことをしているのに違う。ということがセッションで起きる。上から目線がなくなりましたーみたいに。ようは、「なぬーっ? お金貸して、だってー?面白いじゃないか、千円ならね」というように、マイナスを自分のなかで自由に遊ばせられて、「じゃあ、今度は千円だよ」というのと恐怖心ばりばりで、「どうしよう、お金貸して、だって、そんな私が、人が、悪い-なんて思われたら困るし、嫌だなーでも嫌だなって言うのも嫌だなー嫌だし、どうしよう、とにかく貸さないと、、」と思って「千円だけれど、、、ごめんね」というのと違います、ということなんだな。下だと相手によっては、人には悪いことしているな、という罪悪感もあるので、なんだか、いらっときて、かえって、絡まりを作って、おい借りてやるぜ。みたいに嫌がらせをしたりも。だってさ、、貸すほうが、謝る、ってどうよ?恐怖心がなければ、それもあり、だけれど。私もごめんねー、というかもしれないけれど。ようは、恐怖心みたいなマイナスの気持ちがあったとして、それを表すのが怖いと避けてしまっていることがないかどうか。という、問題。ま、自分が、嫌な気分、マイナスの感じ取り方を許せていないんだ、相手に良く見せようとしすぎているところがあるんだ、意見を言わなさ過ぎ?自分を表すのが怖すぎ?相手の人を信じていない(自分が意見を言って色んな気分でいてくれてよいというように許していない)というような、そこをみせてくれているのが上目線、と考えたらよいのではないでしょうか?もっとも、人によっては、上から目線恐怖、というのがありすぎてそう思い込みすぎて、相手が、その人の意見が強すぎて嫌だなと思った表情などを上から目線と捉えて、言い合いになる、という場合もありますし。人それぞれですが、通常、おとなしいかたがたの、対等ではない感覚は上のような何かはあることが多いです。http://www.a-code-r.com
2011.09.06
その後で、書き込みがあり、お付き合いの間、関係が無かった、ということなので、それであれば、慎重になりすぎていて、相手を確かめすぎてうまく行かない人もいます。体の関係も、ご自身の主義主張があるのであればもたないこともありです。でも、○○だろうから、それがわかるまで○○というのがあって、しかもしれがどえりゃーことで(絶対に大丈夫と確認をとるまでこうじゃないといやだというのが強すぎて)いると相手を信頼できないということでもあります。たとえば、なんですが。付き合っていないのに、関係を持つのはね、いやだよねーというのであるとか、主義主張があって、「結婚をするまでは関係を持たない」というのはありえるでしょう。(友達もそれで結婚をしたし)でも、怖すぎて、完全に確かめてからというストレスが高すぎるとうまく「こと」が進まないんです。たとえばなんですが、男性がいて、先に結婚をしたのに料理ができなくて、それで凄く心が痛くて、傷ついていて、その傷ついたのを避けたいので「料理の腕前を全部見せてくれたら、付き合う」というようなもので、料理が好きだから、料理が出来るとうれしいな、というのと、明らかにそれは違いますよね?料理を作ってあげたとしても、その人はまだ、傷ついた痛みが残っているため、「ジャガイモの煮っころがしは確かに出来た、でもこれもできないかもしれない」というように、不安が残っているので(傷つきたくないので傷つくのが怖いので)これもできるか、あれもできるかと不安が常に残ります。ゆえに、そのテストは永遠に終わりません。でもそういう痛みがなければ、肉じゃができるんだから、この程度はできるんじゃないの?とあっけらかんとわかるわけです。それに、ああ、この料理は下手なんだなと思ってもたいしたことがないけれど、傷つくことがあまりに不安だと、これはこういう理由で?というように悪い理由しか考えません。たとえば西洋料理が下手で全部下手なんだ傷つくんだ、と怖がるように、相手が、少しでも機嫌が悪いと自分が嫌いなんだろう、また傷つくんだろうと結びつけてしまうようなことですね。お付き合いもそれに似ていて、ふられた痛み(はじつはふられた痛みではなくて見捨てられ不安、両親がいないときに、うまく対応ができていないような赤ちゃんの、きゃー、両親がいない、自分が悪いの、みたいな不安が残っているからですが)それがありすぎると、何かのきっかけを経てそれがでてきます。一回ふられた、とかです。そうすると、ずっと、「○○したら○○というのがあって」でもたとえ肉じゃがを作ったところで、その人の不安を癒さない限り次のテストがまっています。そのために、相手はしてもしても、愛情が伝わらないし嫌気がさしてくることもでてきます。お付き合いはじつは「絶対に100パーセント大丈夫だとわかっているからそれを保証されるから」付き合うのではないのです。未来のことは正確に言えば、わからなくてよいというか。それでも、んまーええんじゃないの?というのがあり、その後で、色々わかりながら付き合っていく過程です。肉じゃができるんだし、いいんじゃないの、という部分ですね。あ、完全な愛情ではないけれど、まあ気遣いあるしなんだか、私を好きだなあという部分が安心できる自信といいましょうか。安心ができるから向こうも安心をするという部分もあります。ルールズでいえば、相手をほっておく、というのは、この自分が安心をしている部分を「演じている」のでもあります。安心をしていると、きりきり相手に要望は比較的少ないでしょうし。でも、演じるより、不安とか無くしたほうがいいんじゃないの、と私は思うけれど。日本人は、この不安が強いので、ルールズを間違って使います。それで、体の関係を永遠に持たないと愛されると本を読んで勘違いをした人がいて、エレンとシェリーにそれを言ったら「へ?付き合う気、ないの?」「それじゃあ、無理になるよね」と驚いていましたが。先にいったように、伸ばすとか、伸ばさないとか、主義主張はどうでもよいとして、(それでもその人次第でうまくいくから。色んな方法があっても)不安だから、テストをしてテストが終わらない、ということが問題なんです。ということで、不安に向き合うことですね。そんなことから、考えていったらよいのではないでしょうか。確かに怖いんでしょうね、それはそれで、傷つかない人生にはなりますが、でも本来の豊かさを得るってどういうことかも、それを経験をしていくことも人生の課題のようです。一回ふられた、とかです。そうすると、ずっと、「○○したら○○というのがあって」でもたとえ肉じゃがを作ったところで、その人の不安を癒さない限り次のテストがまっています。そのために、相手はしてもしても、愛情が伝わらないし嫌気がさしてくることもでてきます。お付き合いはじつは「絶対に100パーセント大丈夫だとわかっているからそれを保証されるから」付き合うのではないのです。未来のことは正確に言えば、わからなくてよいというか。それでも、んまーええんじゃないの?というのがあり、その後で、色々わかりながら付き合っていく過程です。肉じゃができるんだし、いいんじゃないの、という部分ですね。あ、完全な愛情ではないけれど、まあ気遣いあるしなんだか、私を好きだなあという部分が安心できる自信といいましょうか。安心ができるから向こうも安心をするという部分もあります。ルールズでいえば、相手をほっておく、というのは、この自分が安心をしている部分を「演じている」のでもあります。安心をしていると、きりきり相手に要望は比較的少ないでしょうし。そんなことから、考えていったらよいのではないでしょうか。確かに怖いんでしょうね、それはそれで、傷つかない人生にはなりますが、でも本来の豊かさを得るってどういうことかも、それを経験をしていくことも人生の課題のようです。
2011.09.05
付き合うと関係が駄目になる、というご相談がありました。最近では、1年もまってくれてたびたび、付き合ってといわれて付き合ったのに付き合ったら(かなり早期に)音信普通になり、連絡を取れなくなった(ブロックをかけるなどのように)というような、ことでしょうか。付き合うと別れてしまうために、非常に慎重に接しておられて、絶対に大丈夫とわかってから付き合う、みたいな、感じですね。それに対して、付き合いはじめで、体の関係を早く持ちすぎていないかというアドバイスがありました。それも良いアドバイスです。あまり早くからだの関係を持つのは、確かによくないのですが、それは体の関係を持ったから悪くなる、というよりも恋愛ではないのに、体の関係を持ってしまったから、相手だってつまらなくなる、というような感じで、体の関係を、引き伸ばしても恋愛にならないこともあります。ようは体の関係がうんぬん前に、その男性がその女性を好きではないといずれにしろ、少し厄介ではあります。それで、この件ですが、1年もまってくれて、それでたとえ付き合ったからとしても、それで、すぐに体の関係を持っていなくなる、というのはあまり経験しない人もいるでしょうから、(結婚をした事例もありますし)ひょっとしたら原因は別にあるかとは思います。それで、ひとつ質問なのですが、「自分が付き合い始めるとしてしまう行動」がありますか?取り急ぎ、良いと思っていてしている行動しなくなる行動、付き合い始めてから変化をする事柄から見ていってください。そこには、あなた独特の思い込みはあるでしょう。たとえば付き合ったら口数が少なくなるとかであれば、話しをしたら嫌われると信じているわけですし。逆に口数が多くなるとかであれば、話しをしないと嫌われると信じているのでそれらが作用をしている「ことも」あります。でも別のことかもしれません。で、掲示板で拝見する限りでは、恋愛に対して、相当に、慎重なんですね、付き合っていなくなる、というのが怖すぎる気がするんです。つきあうのであれば、つきあったらこうであってほしい、ずっと消えないでほしい、という思いが強すぎて重たい面はあるのかもしれません。つまり、なんと言うのでしょうか、今まで別れたことからの怖さが大きすぎて、頭の中で、「付き合う=絶対に別れるのはいやだ」というストレスが高すぎて、いろんなことに自然になれない気はするのです。付き合うに意味をもたせすぎないようにしてみてください。付き合ってから、お互いが、お互いにわかっていく、それを楽しめる力は、若干必要かな、と思います。すべてが、大丈夫かな、大丈夫かな、保証があってから進もう、みたいな感じなのでそうすると、無意識にしてしまうのですが、期待が大きすぎて相手への要望もだんだんと(付き合うたびに、たとえそれがわかれないでね、というようなことでも)増えても行きます。幼少期の見捨てられ不安、みたいな事が恋愛に出ると、やっかいです。そうすると、別れに対して怖さがありすぎます。それで慎重になるので、保証を持ってから恋愛に進もうとして、それ自体が、相手は不安になることもあるからです。ーーーーーーーーーーーーACRでは、進みにくいところを、人生を進みやすくします。自分が見捨てられるという思いを整理をすればそこの思い込みから出てくる事態は変わることもあるでしょう。http://www.acoreading.com
2011.09.05
私はもうすぐ36歳になる独身女性です。結婚の経験はまだありません。今まで、男性と付きあった事はありますが、愛情を育むなんて事が頭になく結局私から別れを選びました。誰と付き合ったとしても結婚に至る事が怖く、深く付き合う事を拒んでしまいます。今まで何度か素敵な男性からアプローチを受けた事がありましたが、どうしても付き合うまでにいたりませんでした。半年前に、初めて自分から好きになり、自分からアプローチし、振り向いてくれた男性がいましたが、結局付き合わず、だらだらと体の関係を続けてしまい、今は相手から電話やメールもなくなりました。相手も混乱したと思います。なぜかいつも自分が嫌われるようなことを言ってしまうのです。自分が嫌になりますこれだけでは、わからないので、一応書きますが、当てはまることだけ使ってください、メールカウンセリング、あるいは対面になると、特に対面ですとかなりいろんなことはわかってくるのですが。すみません。まず最初に、これだと、表面の事柄過ぎるので、なぜ、別れたのか、そこが大事に思うのです。全部が、一緒くたになっていますが、起きている事柄はそれぞれ別にも思います。好きになった相手が、今回、アプローチをして、振り向いてくれたけれど、付き合わなかった、ということは、相手の関心がたりていない部分があり、そこは認める必要があります。ではないと、いつまも、相手が関心を(多少はもってくれても、付き合うほどではなくて)持ってくれないのを、怖がって受け止められなくなります。そうすると、うまく行くことがそれをすり抜けて当然来るのが体験できず、くよくよするので、本当に関心をもってくれる人を探せなくなるのです。同じような関心を持ち方の人々を集めてこだわるというようになります。また、ご自身では、自分が嫌われることを言ったせいで本当は付き合える、付き合えたはずなのに、というご期待もある気がします。もちろん、嫌なことを言ったのも事実でしょうし、でも、体の関係だけですとあなたにも不服はあるはずですから、嫌なことは、「これってどういう関係?」「嫌なんだけれど、こんな関係」と素直に聞けないところから、自然と、でてくるでしょう。通常、付き合っては行くことになっても、嫌なことのひとつや、二つは言うこともあるというのは至極当然です。何とかうまく行かせたいのに、うまく行かない苛立ちや、どう表現をして伝えてよいのかわからないこともおありでしたでしょうし、どういう関係か、自分が不振に思っていても、言ってしまっては、壊れてしまうとも思っていたのかもしれませんし、そういう、弱みがあって、この関係を、築いてしまったのかもしれません。だから、この関係が自分のせいで、と思うのはやや偏りがありますが、結婚がどうしても怖い、ということであれば、それをちゃんと見ていく必要はあります。結婚が怖いにも、色々現れていないことが、隠れているだろうとは思うのです。つきあいかたがわからない、とか、相手の反応がよくないと疲れてしまう、とか、そこらへんが特定できないままに、自分が怖いから、嫌なことをいうから、ということで、まとまっているので、それらを分けていくと大本の事は出てくるかもしれません。アプローチは通常、いくつかあって、でもそのうちに、真剣にお付き合いできるのはいくつかです。アプローチそのものは、好きだ、ということではないのです。だから、全部うまく行かないのが自分のせいと思うと、原因探しに気持ちが行ってしまい、どうしたらいいのかを、潜在意識が出さなくなります。アプローチがあったのに、うまくいかない、ではなくて、もう少し真剣なアプローチがあるからというほうに気持ちをもっていってください。もう少し問題をくだいてみてください。考え込みすぎるのはよくないのですが、ああ、こんな自分がいるな程度で見ていく必要があります。一体どういうときに、どういう感じ取り方をして何をしているのか。それを悪いと思うのではなくて許してください。その上でよいお付き合いを考えるのです。相手にいやだということを伝える能力が低すぎて、そのために、嫌なことがあると離れざるを得ない人もいるし、それであれば、我慢するのではなくて自分が嫌でも相手に嫌だとお互いふと感じても、楽にしていて、いいんだな、といられる心の訓練が必要になるし(相手に悪い、隠そう隠そう、伝えるときにはうまく言わないと悪いから、と思う人ほど、相手に期待をしすぎています)自分の嫌な面を見せるのが嫌で、相手に嫌悪感を持つ人もいるし。それであれば、嫌な面と思いすぎてやはり、無理をしている姿勢や、誤解を解かないとならないし。付き合いの過程で、ここはこうしてみるね、と、本当に自分を満たせる事柄を、表したほうが、自然いい付き合いになる、という方法や経験がわからずにない人もいるし。まあでも、嫌われるようなことを言うのが別れる原因ではないのですがそこには課題もあるのでしょう。本当は素直に話したいことが別にあってそれが自覚できないで、意地悪を言う人はいます。その人はその人らしくないので違う方法を学んで、という意味で、罪悪感は当然わきます。たとえば、体の関係だけの人であれば、「この関係って私が望んでいる物と違うよね」といえば、相手が真剣な人であれば向き合ってくれて、相手がそうではないと去ります。当然。態度にでます。でも、潜在意識のなかに誤った感じ取り方、「自分が相手を気遣わないで物を言うから悪いことが起きるんだ」と信じている人々は、タダの事実確認を、自分のせいだから、とますます聞けなくなります。聞いて相手が違うだけのことに、非常に動揺をしてしまい聞いたせいだ、とまた言葉を引き込めて相手と関わろうとするので本物に触れ合う前の修行段階でもあります。それはあなたのことであるかどうかはこの書き込みだけではもう少し質問は必要ですが。聞いて相手が、自分が思った通りではないと聞いたせいにしたりして。問題が違うのですが、ということですね。聞けない結果、いやみを言うことや、くぐもった言い方をして相手から、不振に思われる方もおられますが。罪悪感を持たず、自分を責めすぎずあ、これはある、これはもっと違うこと、というように、自分に触れ合ってみてください。「相手が何を言い出すと、期待すると」深い付き合いを望んでいると思って自分が、どういう心境になって何をやめるのか。そこがしっかりわかれば、核心に近づいていくでしょうし。あるいはそういうことではなくて何か自分が見たくない何かがあるのか。ほかに問題があるのにそういう言葉を使ってしまっているのか。今の彼について認めないとならないことは、付き合っていなくてそして自分はもう少し深い関係になりたいんだけれど、それをいってしまうと駄目になる気がして、でも自分はそう望んでいる部分もあり、でもそれが伝わるのは怖がっていてでも先に進めたくて、でも何かが怖くて、言ってみて確かめるのも嫌で、でも素直にいえなくて、嫌なことを言うところもあってそういう自分をまだ許せずにいたりして、彼のほうは、何らかの理由でこれ以上の関係を望んでいない「今」があり、その距離の違いから、自然と離れていった気はします。でもそれを、どうしてもまだ、彼にこだわりたい自分。大丈夫です、あなたは人を愛せます。彼との事からそれがわかります。今度は正しい出会いをして、よい関係を築いていってください。――――――――――――――――――――――――これはとてもわかりにくい概念なのですが、ACRで整理をしていることのひとつに、本当は自分に許せていないことを許す、ということが含まれています。たとえば、ご自身のなかで、自分を深いレベルで、「相手が違う意思を持っていて」「自分は自分でよくて」というのが受け止められていないと、我慢をする、あるいは相手に言うときには、けんかをする、という両極に行きがちになります。深いレベルで許せたときには、そのままの自分でいられるようになり、タダそれだけのことなので、相手が自然と受け入れてくれています。また、我慢をしないとならないとか、いらいらする事柄の根底には、自分が許されてこなかったことを相手に許せていない、という場合もあります。どちらの場合も、深いレベルでの整理をすると、今まで気になっていることが気にならなくなると、「我慢をするか」「自由気ままになってしまうか気を使わないか」のどちらか、という感じ取り方ではなくて、自然なあり方になっていきます。これは「頭」で考えているとめているその人、ではなくて「心」が、その人に表れた状態でもあります。
2011.09.02
彼との結婚で、子供たちが心配彼とのご結婚で、彼のお子さんたちが問題があるので、迷惑をかけられるのではないか、心配、というご相談がありました。その彼に、専門家に相談(ということだと思うのだけれど)を受けなさい、といっても、傷つくかもしれないし、とご心配もされておられて。それと、そのお子さんたちから、とばっちりを受けたら、いやだと思うのは、彼への愛情がないのかというご質問もあり。それで、その書き込みに対して、よい回答もよせられていて。結婚を含めて、苦労をするから、考えてみてください、という回答もありましたね。という流れです。で、わたしは、心境を変えていくというセッションをしていますから、ひとつは、何か物事をするときに、相手が傷つくんじゃないかと恐れておられるので、その恐れはとるとは思います。実際にはもう少し、さくさく、したければ、相手に働きかけてもよいのかな、とも。彼は、そう伝えても、少しは憤慨してもそれほどではなくてうまくいくかもしれないし、それに、とばっちりがいやだ、ということに対して罪悪感があるのでこれも邪魔な誤った感じ取り方です。罪悪感を減らすと、どういうことになるか、というと、「とばっちりが、嫌だからこういうときには、こう行動」というように、具体的に案がでるようになります。面白いでしょ?つまり、罪悪感(こんな私はこんなふうに考えたら、駄目なんだなという教えと学び)は、方法がわからないままに悩む方向に人を引っ張るのです。こうしたいけれど、こんなふうに感じては駄目?と悩むことにそれよか、素直に、「とばっちりは、いや~」という思いを受け止めて認めてその上で解決策を考えてみてください。あたしは、とばっちりは避けます!と(自分自身にでも)宣言をしちゃえば、かえって上手に、周りと、付き合えるもの。そのエネルギーを良いのか、悪いのか、と引っ張るのが罪悪感で、だったら、どうする?と考えるのが本来の姿です。もうひとつは、未来を予測して怖がっておられるのでその恐れもとるとは思います。自分が、相手に伝えるの、怖くなくなれば一つ一つ、「ここはこう対応をして、こういう場合は自分たちでもうしてねと伝える」とか、できるようになります。そしたら未来そんなに悲惨に思わなくてよいのかもしれないし。つまりね、とても変なんだけれど、私は今まで考え方の癖、と説明をしてきたけれどセッションは、「感じ取り方の癖」を直している、と思うのです。潜在意識が変わるときには、「感じ取り方が変わる」ということです。彼がいて、子供たちがいて、こうしたほうがよいよ、と伝えられない私がいて、でも楽に伝えられる人もいて、その後で彼が少し憤慨しても気にならずごめんね、で済ます人もいて、そんな感じ取り方、自分を強く引っ張る感じ取り方に隠れているテーマがあります。セッションでは、その方の引っ掛かりを取ります。今までの人生で「こうしないと駄目だ」と誤ってわいてどうしても行動が制限される感じ取り方ですね。心境です。それらを取り除くと、凄く物事がはっきり見えます。で、不思議と潜在意識がここまでくれば変わるから、現状も変わります。それらの恐れを取り除くと、結婚をしたいのか、したくないのかもわかっていきます。つまり、結婚したいし、でも怖いし、でもしないなんて考えられないし、でもこれもあれも、できないーみたいなものがからから絡まって本来の考え方を沈めてしまうのだな。その人の質問のなかに、その人のすばらしさはもう現れています。本当は、とばっちりを、受けない方法を知りたいのだが、自分が回りに気を使いすぎて、それにこんなふうに感じる自分もいけないとどこかで思っていて、どうも力が使いにくい、ということであろうと思うぞよ。怖くない、色々できるんだろうなーと思ってみたらそうしたときに、本当の答えが出てくるから、その工夫だろうなと思うのです。今一度、自分について、学んでみてください。いろんな方法があるし、自分でもできる、それもわかった上で、怖さではなくて、自分が本当に楽に幸せになれる方向に向き合ってみてください。結婚をするか、しないかを含めて。なお、人の人生は面白くて、今の課題を整理すると、答えややり方はどんどん変化をしていきます。本当に良い方向に最後は導かれると思いますしね。^^―――――――――――――――――――――――罪悪感は人生をゆがめます。自分が犠牲になろうとするのだけれどそうさせる周りにも納得がいかなくて、また別の場合では、とても強い感情なので、責められている感覚と、あるいは、相手のせいにして、責めたくなる感じと、自分が自由に何かを得ていくことを、考えないようになります。そして、「これでいいのか」「いやでもしたい」みたいなせめぎあいの心境に至るので、新しい考え方を思い浮かばなくなります。それらをACRでは、扱います。
2011.09.02
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