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簡単に書きますが、後日時間があれば、書きますが、未来を望むときに、今を否定をしないでください今の自分や今の出来事を、だからだめ、と結びつけなくてよいのです。そのほうが、早く現実が変わります。
2011.11.18
気持ちを感じることは大事だ、と言ったり流してください、と言ったり、ちょっと混乱をしているかもしれませんね、ACRでは、感情を二つに分けて考えます。通常、皆さんが思っている感情は、過去からの、悲しみや苛立ちやそれが現れている気持ちです。先の押し付ける、と言うパターンであれば、相手に、押し付けないでというのが本当の気持ちに思えます。でもそれらは、表面の、解消ができていなくてわく、強い強いこだわりでもあります。これらは、囚われないことが大事です。それに囚われないと本当に考えていることが、すっと出てくる、たとえば、あれ、怒ってるんだ、本当に本当に、本当に、見たいな純粋な事柄を感じて、私ってこんなこと自由に言いたいんだなーみたいな。これらは色んな体験や考えとくっついてしまっていますからそうではないレベルでの感情を感じきる、というときにそれが積極的な何かに変わることがあります。そして、本質が目指している目的がわかる、というのがACRでの、感情の捉え方です。これは時間がかかるのですが、なるべくここに繋がるようにするのがセッションの役割です。ですから、通常は、感情は、その人の考え方の癖も入ってしまっていますから、囚われないほうがいいのです。それらの感情は、本当に自分がしたいことではなくて自分がそうできなかった苛立ちや怒りや、それらが、方法がわからないままに繰り返し、繰り返し、処理ができないままに、現れてきているものでもあります。それらに囚われないと現れてくるその先の、ああ、これかあ、と言うのに繋がっていきたいからでもあります。たとえば罪悪感。表面に強く感じるのは、「自分が悪い、これができないこうだし」といったように、自分を責めたりする気持ちです。これは、過去からの、感情のパターンです。でも深い深いレベルに入ると、なーんだ、本当に悲しいだけなんだーああ、悲しい、そして、皆で喜べばいいんだ、みたいな自分を苦しめるほうではなくて、こうしたい、という欲求に、積極的な思いに変わるときも、あります。そしてこの二つを感じたときに人はニュートラルになります。とらわれがない状態に「あり」ます。―――――――――――――――――――セッションの感想です。皆にすぐ起きるものではありませんが、そういうこともあります。感想を送ってくださって、ありがとうございました。――――――――――――――――――――――先日、奇跡的に好きになってくれた(?)相手との関係で壁にぶつかっている、という件で対面セッションを受けた者です。あれから10日ほどですが、もう本当に信じられないほどすっきりです。今までキャシーさん含めいろんなセッションを受けてきているのですが、今回、本当に深いところのわだかまりが取り去られた感じです。(もちろん今までの色んなカウンセラさんとのセッションも必要不可欠なものでした。)セッション時は、彼との関係に関して、今ははっきりしなくても結果が判らないまましがみついていたい、悪い結果だったときに知るのが怖い、という状態でしたが、さきほど、「自分はこうしたい、あなたが○○を望むならばそれは私にはむり、新しい人を見つけて進みたい」というようなことをメールで伝えることができました。本当に驚くほどに怖さはなく、むしろダメなら早く言ってくれたまえ、次に進みたいから、と感じるほどに、もうほんとにすっきりです。(と言うか、もし彼からはっきり答えがなくても、もう私は今から自分自身の次を思い描くつもりです。でも、今回、とても深い課題に気づかせてくれた彼には本当に感謝しています。)あと、小さいことですが、数日前から、それまで朝起きるときが一日で一番疲れていたのに、目覚めたときに体が痛くなくなっていたり、その他にもいろいろな変化がありました。ほんとに「これまで私のなかにあったあの重いものは何だったのだろう?」という感じです。本当にありがとうございました!!=いえいえ、こちらこそ、ありがとうございました。 天野
2011.11.09
職をお探し中でいらして、それがうまく受からなくて、がっかりしている、と言うことがおありなんですね。と言う書き込みがあったので、まず一つ目、ご自身にしっかりといてください。それは、駄目だったときに、「駄目だったな、がっかりしている自分がいるな」で、終わりにしておく、という意味でもあります。そこから、色々考えこんだり、何だろう、何が悪いんだろう、とどこかに、逃げ回ろう、走り回ろう、考え込もう、とされていますから、そうではなくて、次にすることを考えて、ひとつ、考えて、実行をしたら、それでよしとします。しかもする事柄は同時並行にしていってよいものです。色々感じたことを、「私は間抜けでこうでああで、こうだからああだから、」と考え込まずに、終わりにします。この部分がうまくいっているかどうか、です。これらは、色んな物事の訓練になります。計画を立てて、実行をする、それについては、それで終わり。そしてうまくいかないことについては、何も考えずにただ、次にはその対策を一個だけとる。うまくいかない場合、では、ここにこう変えよう、と変えるところをひとつ見つけて次に生かします。したらそれも終わりにする、他の行動をとる、整理をするとしたら、そのときにわく、色々な感情と考えです。そこに巻き込まれないようにしてください。少し時間がかかります。というのは、巻き込まれずにいて、淡々としていてそのときに楽でいたときに、少しづつ改善をしていく何かはあるのですが、焦らないことは、大切です。かかる時間は、思いつくことをどれくらい楽にできるか、それで1個したら、負担なくそれはそれで、終わりにして(考え込まずに)どんどんしていく、そのエネルギーレベルと比例をします。ここが一番、根性が要る部分ではないでしょうか。それと、あまり目標に惑わされないで下さい、収入がいくらで、こういう状況、と思いすぎているかも知れなのですが焦るのであれば、それはよくないです。豊かで旅行が出来ている状態でありたいとのことですが、そうできている、そうありえる、程度にしておいてください。それとその状態は、常に作っておくことも必要です。これがこうならないとできない、あーあ、どうせ、できないんだ、というのは、自分を罰する姿勢であり、そもそも、本当にお金があっても旅行はしたくないかもしれないのです。これがあればこうする、と言うかたがたの場合それは本当にしたいことではないんだけれど、凄く凄く豊かだったらたまたまできるかもみたいな物を目標にしていることもあります。つまりそれは、その程度にやりたいことであれば、生きがいにも、動機にもならない、ということですね。今収入がなくても、旅行をしたければ、町の中を、旅行をして同じように楽しむことはできます。というかどうしてもしたい人は、そうしてしまうかもしれません。そのように、同じことを楽しめる根性は必要です。そうやってそこまで好きならば次はどこに行こうかな、と資料を集めたりして、思うのは、それは,本当にやる気もあって、自分が動く、動機になるでしょう。現在、人類が誤まって積み重ねてきたことの、地球規模での、再見直しの時期でもあり、それに伴って、色んな状況がありえます。そこには好ましくないものもあるかもしれませんが、大事なことは、そのとき、そのときにできることをしっかりしていくことになります。ひとつ対策を必ず練って行動をして考え込まない、そして、思いついたものはしてみて、それも考え込まないそうやってひとつ終わり、これも終わり、というように、これが積み重なるとしたら、かなり強みにはなりますが、問題は、常日頃惑わされている不安に惑わされやすいことです。その整理の方法は、ご自身でされるのであれば、がっかりしている自分がいる、駄目だと思っている自分がいるとその姿を認めてその気持ちがあるのは認めて、それとは別に、つまりそこから、未来がこうで、ああで、こうなりどうなりと考え込まずに「することはこうしていこう」と決めたらそれを淡々としていくほうがよいでしょう。もしその状態に「いられる」としたら、どんな変化があるかは経験をしてみてください。
2011.11.09
12月17日、18日に、レベル1を行います。今後、新しい方法を伝えていきますが、これはセッションで効果があったもので、それは近日中に発表をします。自分が自分で問題の整理が出来るようにしていく、ということと、サポートしていける力を持つ人を育成すること、セッションできる人々を育成する、という3点で考えています。人々の問題を取り扱えるようになるにはレベル10まで学びます。ですが、レベル1では、自分が整理をできるように、基礎的な事柄を学びます。2日づつのコースですが、レベル1では特に、皆さんの役にたつように、1、まず、ご自身が自分で楽になれる方法を学んでいく というのを、新たに組み込んでいます。自分がどのようなときでも、正しい方向に行けるように基礎的に、自分を整理できるようにしていきます。2、それに加えて、二人の人が調和をして、問題の整理を しやすくなることを、少し経験していきます。 (今後のセッションをしていく基礎となる事柄です)その後、潜在意識や罪悪感の問題など、ACRで、考えている、人の心のなかでおきやすい事柄、ひとつひとつの詳しい説明をしていきます。詳しくは http://www.acoreading.com/class.htmlご希望者は、innerplanning(a)yahoo.co.jp(a)を@マークに変えて、ご連絡ください。
2011.11.09
「そんなに、相手ばかり責めていてもしょうがないかもしれないよ、辛いけれど、少し前向きに考えないといけないかもしれないね」というように、こりゃー愚痴ばかり、いかんやろう、と自分が本当にそう思ったときに、怒りの先にあることを、同時に伝えています。このときの正直な言葉は、相手を救うことも、とても受け入れやすいことも多々あります。ポイントは、「そういう愚痴を言わないで、辛いから」ということを伝えるのではなくて、「愚痴が嫌だな、しかしてその理由は」ということから、ちゃんと意見が出ている、ということです。なによりも、自分が自由でいていいので、押し付けられている感覚がなくなります。マイナスは悪くて、相手を判断していて、そうだから、いけない、いえない、という脳の禁止がない、ということは、相手のいやなところを判断なく悪気なくみられて、だからどうする?と言う解決が同時に思い浮かぶということになるのです。それに自分が動けない感覚がないので、楽なんです。相手がいやなことを言うでしょう?あなたのなかで、自然とあらわしてはならない、となり、自分が自分を止めている強い感覚が不快です。そしてそれを、相手が押し付けている感覚として捕らえます。セッション後、私、頭がよくなっちゃってと言う方がおられます。いえない、押し付ける、というのがなくなり、自由に脳が動けるようになると、いろんなことを、ふと思いつくからですね。その、言ってはならないと思って禁じている部分に、何故こんなこと思わせるのよ、という押し上げてくる気持ちと戦っていてこれが他の人がこれほど押し付けた、と言う感情に強く反映をされていきます。たしかに、ご自身が、伝えているとお考えなのは、わかるのですが、伝えているのは、「入らないで、押し付けないで」と、強い感情に巻き込まれてしまっていて「入らないで、押し付けないで、それを怒りなく伝えるから」みたいなそういう事柄ばかりになってしまうのです・。いやなこと自体をどう、(相手が言うな、辛いのわかれ、ではなくて)解消をしていくか、つまりあなたの苦しさは、「自分が嫌だな」と思うことを整理して伝える習慣がなくそうすると「押し付けている」という感情が強いために、敵意になりすぎちゃうので止めるのでしょうけれど、そのために、伝えるのは「言われるのが嫌だから(内容ではなくて)言うのそのものを止めてくれ」という会話になるために、あるいは幸せであるとみせるなど、行動の動機がすべて、押し付けるな、から発せられ、あなたのまえで、ただただ、欠点のある、個性のある自分でいられない相手はいなくなりませんと。依存をされていて、一人で考えなよ、と思うならばそれを自由に自分に許す必要があります。そこまでアドバイスが出来ない、と思えばそれも同じです。自分に自由に許すと、ふと伝えることもあります。これが本来の信頼関係です。そしてそれは、自分が楽にマイナスを感じたときに、それを、表現を出来ないと信じていないとすれば、その先にある積極的な良い意見にたどり着きます。たとえば、「うーん、そこまでは、アドバイスわからないや、ごめんね」と言ってみたり、こうすると、相手はわれにかえり、ああそっか、自分で考えることなんだねと相手から距離を置いたり、正しい聞き方をはじめたり、と、無意識に自分が選択するようになります。あるいは、「プロとして責任を持ちたいから、仕事で請け負うね」(つまり、きちんと依頼をしてほしい、と言う意思や、あるいは、アドバイスをすぐには出来ない、と言う意思表示のようなこと)などのように、です。体が緊張をしていない状態が押し付けられていない状態です。それになりにくい。こういったお仕事で依存をされる場合、必ず、自分が伝えていないある部分があります。さて、次に、押し付けられている、という強い反応に気がついておいてください。これがあると、たとえば相手が、「これ違うよ」「えーそんなことないよぉ」「だって違うじゃん」うーん、とむくれるけれども、お互いに違う違うやん、と、言い合うような人々で、でもとても良好な関係に育った方々にとっては、この会話自体が親しみ、楽しみであるわけですし、あるいはアドバイスが好きな人は、押し付けているわけではなくてアドバイスをしていると、楽しいわけですが、その、言ったことを全部、あなたにしてほしい、と言うわけではありません。あなたを責めている訳でもない場合が殆どでしょうし、つまり、意見を押し付けているのではなくて、言って安心とか言う人もいます。でも、あなたのなかで、何かを言われると、「のびのびできなくなる」癖がどうしてあるのかなーというのが、解消しなければならないことなんです。その体の感覚が沸くと同時に押し付けていると始まり、そして、それに抵抗をしたくなります。自分が言えない感覚とあいまって、凄く不自由に上から重石を乗せられているような感覚があります。でも覚えておいてほしいのは、これは「あなたの感覚」であって、ない人には、同じ言葉を聞いても、ない、ということなのです。そのように、ご自身が何かに強く反応を起こしているとき、相手だって誤まって見られているわけだから、抵抗をしてきます。人はそれぞれ違いますから、たくさんの場面で起きる出来事が総て押し付けの怒りに結びついてしまう、これが癖なんです。怒りの感情があって解消ができていないから、相手が、ただのおせっかいの、可愛い熊のぷーさんでも、タダの会話好きの、さんまさんでも、「ほんなん、あるかいなー」と言っているだけかもしれないし、ただの、悩み事を話すことが好きな人でも、皆押し付けている、自分に意見を言わせない人にしか見えなくなります。さらに、相手と親しくなると、相手が地を出し、のびのびするほど、押し付けられている、と感じてしまうことになります。貯金は?と言われて、自分のなかに自然と抵抗がわく癖を解消していけば、事実少ないなあ、と思えて、あるいは、いや、結構あるし、と楽しく思えて、そう思える自分がのびのびと相手といられる、つまり、押し付けられた、と言う気持ちに囚われていない状態です・。それで答えてもいいし、答えなくてもいい、うんぼちぼちだけでもいいし、でも、それに影響を受けて押し付けられた、と、動揺をしなくてよいです。感情は事実ではありませんが、感情が強ければ強いほど、人は、それを事実だと思い込みます。ものすごく強い感情がわきそれに翻弄をされます。だからこそ、感情をいったん離してみないと事実がわからないのです。その強く起きる反感ならびに気持ちに、それにあまり巻き込まれずに、「そう感じている自分がいるなあ」と観察をしてその気持ちが流れさるまで、待っていてください。それが一番良い訓練になります。特に注意をするとよいのは、「押し付けられている、本当に嫌だ」という自分があまり人に言われたくない部分について言われるとわく相手への強い憤りがあるときに、それに巻き込まれないことです。そういう自分がいるのを、自覚し、「押し付けないで、という強い怒りをもっている自分がいる」、というように「怒りをもっている」「嫌だなと思っている自分がいる」という自分がいることを自覚していきます。怒り、嫌だな、と言う部分を、怒り、など感情を、大きな文字で、頭に書いてみて、こんな気持ちを持っている自分を見て見ましょう。大事なのは、「そういうものを」「感じている自分がいた」を外から見てみることと、相手が押し付けている、と思うときに、「相手は○○と言っている」と言う客観的な事実だけを、見ていくことにすることです。愚痴を言っている、私にこう期待をしている、ではなくて、自分は愚痴口言われて、聞いていないとならない気分になるあるいは期待をされていると感じてしまって反応を起こしてしまうのように、ご自身と調和をはかっていってください。これらは、簡単に言うと自分=感情=真実、というのが脳のなかで一緒くたになっているので、ますますそういう状態自ら呼び込んでしていきますから、それに周りの状態を自分のフィルターをかけて人はみるのでそれを切り離します。自分自身は、感情そのものではなく別のもので、さらに、感情と事実は違う、と言うことを学ぶための方法でもあります。相手はそう言っているだけで、押し付けているつもりはないことでしょう。人は、自分がされたいことを相手にするものです。また、それぞれの人々がこれはしてはいけない、と思う内容はそれぞれ違います。これは、伝える、と言うことにもしばしば起きています。「あ、私は、○○と感じていて、これが悪いと感じていてだから悪い、と言うことは伝えられないし、こんな気持ちを感じさせた相手が嫌だ、どうしようと思っていて、きりたいなあと感じている、自分がいるなあ」というように、ある「感情」を感じたら、その「感情が」自分にあると認めそういう自分がいることを、観察します。相手が○○は嫌だと言って、そこに反応をしている、聞きたくないと思っている、不快な自分がいて、でも言うのが恐いあるいは悪いあるいは、なんとか、と感じている自分がいる、というように、です。いけないいけないのに、こんな気持ちを感じさせた、戦うこともできずいやに思ってはいるけれど、うまくそこの部分を表現もできず止めてくれ押し付けないで、と表現をしたくなる自分がいる、そういう自分がいる、ということを観察し、流してみてください。やがて何らかの変化が相手かあなたに、現れるでしょう。観察をして落ち着いてからその感情に巻き込まれないで、判断をするとよいです。私が言うのは、嫌な人と付き合え、ということではないのです。事実押し付ける人々もいます。そういう人たちは、合う、合わないがあるので、適切な距離は必要でしょう。でも、今はまだ、反応が強すぎるので、つまり、押し付けるという感情があなたを支配している状態です。それらをとっていく過程で、自然とそれらの人びとと適切な距離になるでしょうし、(特にいえないと思っている気持ちをはがしていくだけでも)やりやすくなることでしょう。だから、反応をしている自分がいるんだな、と言う観察をして事実はただ、相手が会社の上司が嫌い、と言っている、というように、それに巻き込まれないようにしてみてください。落ち着いてきてからの、今までとは違う、ふと沸く理解や判断は、信頼が出来ます。それに自然と、適切な相手や適切な方法に導いてくれます。つまり人に、強い強い反応があると、同じ状況にしかみえず聞こえず、同じ状態ばかりを生み出す、ということですね。潜在意識というのは、単なる思い込みではありません。強く反応をしてしまうために、それしか事実と思えず、そのためにかえってその状況を生み出すパターンを作っているものです。これ、やってる?と自由に聞いて、うーん、やりたくないかな、とか、やっていないかな、とかうん、やっているけれど、でも自分が思った通りでは今なくて。とか。うんやっているよ、凄く、頑張っている、とか。相手と自分の思いが、違っても楽にいられるような。そういうことって、あるよね、と話せるような。そういったことが、自然に自分に許せる、その根底になる何かが、幼少期、そのまま、受け止められていないと言うようなことがおありかもしれません。―――――――――――――――――自分のこだわりが抜ければ、初めて相手が変わります。こだわりは幼少期に学んだ事柄から来ていて、それは変えることが出来るものです。「反応」そのものを取り去っていく、あるいは見直すのがACRのセッションです。http://www.acoreading.com
2011.11.09
以下の書き込みがありました。こんばんは私の友人なのですが、どんどん最近いなくなります。「これやったの?」「絶対にこうしたほうがいいよ」「うまくやってるの?」「貯金できたの?」「早く結婚しないとだめだよ」とか、そんなことを言う友人はいなくなりました。私は、嫌な事ばかり言われるので、毎日その友人たちに私がいかに幸せかを演技していました。幸せでもなかったのですが、自分の時間を大切にし目標を決めて行動したり、家で仕事をしていたので、本当にストレスなく仕事をしていました。不平不満を言って、それに対して何かを言いたい友人に何も困っている事はなくて毎日幸せだとメールすると、よかったね。とは言ってくれるものの、なんだか楽しそうじゃない感じです。困っているというと、「あれしなよ、これしなよ」とアドバイスをしてくるのですが、いかにも楽しそう。今は、友人は数えるくらいしかいません。こだわりが強い女性ほど、不安が強いのか、悩んでいることをメールしてきますが、相手にしません。軽くアドバイスだけしますが、何度も何度もメールしてきます。返事ください。待っています。こういうこと初めてで、どうしていいのかわからない。「なぜ、自分で考えないのかな?」と思います。だけど、それをいえません。仕事のクライアントということもあって。完全に依存されていて疲れます。―――――――――――――――――色々ご心境をお伺いしたところ、どうしてそんなに押し付けるのだろう、という思いが強いように思いました。それともうひとつ、押し付けて何様、と言う方がおられて、その方の書き込みはとてもこの方と似た根底を持っていたので書いていきますが、―――――――――――――――この方の場合、セッションで何を扱うか、というと、二つあります。ひとつは、ご自身が、押し付けられる、と強く信じていることと、このイライラをとらないとなりませんし、もうひとつは、ご自身の、パターンのなかにある、話してはならない、という禁止令がいろんな問題を生みますから、その二つを潜在意識と協定を図って解消をしていきます。根底から言いますね、あなたの押し付けられる感覚は、表現ができない、ということと、関連があり、今起きている問題はそこを教えてくれるためにあります。人と人との関係で、若干 いやかな、と思うことでも、お互いに伝え合って、意見は違っても、信頼をしあう、と言う人々を、今後、観察していってください。たとえば、相手の方が、怪我をしている、としましょう。そして包帯が惨めに、ぼろぼろになって取れかかっている、とします。うわ、ぼろぼろだわ、ともし、汚いー、とか、くさいーとか、マイナスに感じた時点で、あなたは悪いな、と思ってしまうかもしれません。そうして、自然と言うのが悪いなーと思うと、あなたは総てを、言ってはならないと誤解をしている癖があります。だから、ごく普通に、話題に上げないんです。自分はそれを言ってみたほうがいいな、と思うことは、自然とフィルターがかかり、思いついていないかも、と思ってください。それがあるために、相手に、自分が「これは嫌だ」と思ったときに、もう表現をすることができない、と信じている重みがあって、これが息苦しくされます。つまり他の人々が同じ言葉を聞くよりも、ハルカに苦しい、ということなんです。私が言っているのは、この包帯のことではありません、この場合は、たしかに、あなたは言葉をかけるかもしれません。でも日常で少し探して、見つけてみてください・。自分が自然と禁じてしまう事柄は、じつは、相手は触れてほしいこともあり、あるいは触れて大丈夫なことがあります。それは、あなたが信じているように、相手が言い返したら、失敗、ではなくて言い返しても成功、ということもあります。つまり相手が喜んでいる、ということも、同意をしあって終わらなくても調和していることも、相手をそれほどぜんぜん傷つけずに、自分を守れて、お互いにとってよいこともある、ということです・。素直に、あ、包帯ぼろぼろ、汚れてんなーと思って、ちょっと取れかかっているし、と思った段階で、もう言わないという選択が脳にないとします。これが凄く事実、重たいので、セッションで取り除くとすっきりするのは、そのためです。さて、そういう思い込みがないと、すると、その先にある、こうしたらいいぞ、が、ふと浮かぶ自由な心の状態にあります。イヤダナーが、自然とその思いが変わり、「ごめん、その怪我、包帯が取れかかっているけれど、ちょっと直したい」みたいに気軽に自分が感じ取ったことを、伝えます。言うわけにいかないよねー悪いしね、と感じているときに、そう思うのは癖であって事実ではない、と言うのをまず自覚してみてください。ほかの例をあげましょうか。愚痴を相手が伝えてきた、とします。親しさにもよるのですが、愚痴がいやだな、と思って脳が「愚痴が嫌だ」と言うことが伝わらないように無意識に慎重になります。その先にある、本当の意見に繋がれません、でも繋がることができればコンマ何秒かで、
2011.11.09
親が怒りっぽかったり、人間だから八つ当たりをしたりするのはそれは、その子供のせいではないですよね?ということです。で、この整理のために、同じことが繰り返されます。こういった価値感を持っていると、相手のご機嫌取りをする人生になり(関係性で)「もう本当にいや~、本当にいや~ やーめた!」というまで、学びの関係が、続きます。その整理のために、どうも、この人生を経験しているようですからさっさか、変わるほうが楽です。
2011.11.09
その際どのような対応をすればいいのか、どうしたら罪悪感を持たずに動いてあげれるのか、についてアドバイスをいただきたいです。今回は、父親の誕生日を当日に思いだし、下記のやりとりがありました。私「用事があるから遅くなるけど、ケーキ買っていこうか?」母「お父さんは喜ぶと思うけど、金欠なのに頼んでも大丈夫?」(ダウンをプレゼントにしてはどうか、と母と話していたため、ケーキはいつも通り祖母が購入するつもりで、でかけるのが面倒だろうから買っていってあげようと声をかけたので、私が買うの?という気分になりました。)(これは?ご本人が買っていってあげようと声をかけたので、ダウンの話がでて、それも買ってくるように思われている、と感じた、ということでしょうか?)私「ダウンはなしかな~笑」母「うーんダウンのが喜ぶかも」私「じゃあ明日仕事だし、今日はやめておくわ。またダウン買っていくね」母「今日は無理なのね?絶対今日のが喜びそうだけど。」というやりとりがあり、最後のメールをみた時から嫌な気持ちが抜けません。「なんで来ないの?無理なの?絶対無理なの?」みたいな感じが本当に窮屈で、責められているような苦しい気持ちになります。――――――――――――――――――――――――で、まず、相手がそういう動かし方をしているかどうか、ではなくてご自身が何に反応をしているか、という整理をすると、相手も変わって行きます。会話の中で、確かにお母様は、最後に、「今日のほうが喜ぶのに」という言葉はかけておられます。でも鍵と鍵穴のように、人は片方だけでは問題は作り出せないのです。そうお母さんは思っていて、今日ダウンをほしいんだよねそうかあ、程度に、ご本人が反応をしない方もおられるでしょう。そこには、あなたの課題である、「相手が喜ぶことをしてあげないとならないし、そうではない自分はいけない子だ。それに、相手の思うとおりにしないで怒るということは、大変に恐くて私は、気持ちの整理がつきにくい。相手が違う意見を言うと私は困っちゃうの。」という心の傷があるので、巻き込まれないようにしていく、というものが、あるざんしょ。「自分の意思は、常に相手のためにならないとならない」思いすぎていてその根底には、「おこられるのはとても恐いこと」という誤解がありそして、それをさせないために行動をしてしまっていたりして、そこに引っかかると重たくなります。だから、重たくなるときに、「あ、自分の癖だ、自分がしてあげないとならないと感じすぎている。自分が相手に責任を持ちすぎている。相手が不機嫌であってはならない、と思っている。こんな重たい感覚は、さっさか、忘れて大丈夫、他の人にも影響をしない」というようにその重たさから離れてみてください。ここが、あなたのポイントです。こういう会話になる理由なのですが、少し気をつけておくと良いのはご自身の意思を、お二人とも話されていないところです。会話の主語が、いつの間にか、すべて「自分以外の」ものになっていますがつまり、だれも考えていないんだけれどね、そうなんだよね~、あはは、みたいな。通常、主語は、私、で話す必要はあります。たとえば、お母様の言葉は、補足をすれば、「ダウンが良いと私が思っていて、今日渡したいと私が思っていて、私が今日、娘に、来てほしくて」ということですし、だからおかーちゃんがそう思っているんだなあ、困っちゃったなあ、程度に受け止めてあげる必要があるやも、しれません。事実、お父さんは、別に、他の日でもぜんぜん気にしないかもしれませんしダウンより車がほしくて (!!!なーんちゃって、ですが)それは無理なので、ダウンでも一応喜ぶけれどそれは心遣いにであって、ケーキだけでいいかもしれないし、つまり人ってそれぞれ、違うことを勝手に考えています。お母様が、だから、今日がいいなーと思っていて、それをしたい、と思っておられるのです。でも、大事なポイントは、あなたはあなたの感じ取り方があってよい、ということです。「私はダウンほどではなくてよいんじゃないかな、と思っていて、それに、今日だと、ダウンを買いに行くと大変だから、ケーキで今日か、ダウンで、他の日に行くかにしたい」という意思を、話されていないんです。なんとなーく遠まわしに言って、お母様が他の提案をすると自分が嫌な思いをしたくないので、(ここがあなたのテーマでもあります。つまり、意思が違って相手がそれをあらわすと、見捨てられている気がしてしまうから、とてもいけないことをしている気分になり(あくまで気分で何も起きていない)その気分を避けるために、妥協をどんどんしていって、でも、最後にお互いに妥協が出来ない線になると、罪悪感を感じてしまいます)その提案に乗っかって妥協をしますが、でも、ご自身の意思も微妙~に避けながら、正確には話してはいないので、お母様は気がつかないでさらに、提案をし、話しをどんどん進めていくような関係にはなっておられまして。そして最後、二人の人間が違うので、合うわけがないので、合わないと、問題である、罪悪感を感じる、ということをされておられるんですね。で、まあできるとしたら、あなたご自身がそれはだれの意思?というのを、ちゃんと知りながら、話しをしてみてもよいでしょう。その際に、注意が必要なのは、「自分も意思」をちゃんと知っておく、ということです。内容としては、「お母さんは今日来てほしいんだね、お母さんは今日、ダウンを買っていってほしいのね、お母さんは今日来てくれれば、お父さんが喜ぶと思っているんだね、というのは、お母さんサイドに事柄、私は私で、今日はケーキならばいけるけれど、ダウンだと明日。でも、できれば、ダウンはいらないかな、とも思うけれども、お母さんがお父さんはそれが好きと思うならば、今日出なければ買っていく」というご意思に思います。そして意思は違っていいんだ、大丈夫なんだ、というのを安定させるために、色んな恐さを取り除くのがセッションでもあります。取り急ぎ、ちょっと、二人の事柄を、分けて聞く訓練をしてみ。たとえばこの会話であれば、最初の時点で、「ダウンも私に買っていってほしい?他の日程ならば大丈夫。明日仕事で忙しいから、今日は無理かな」と最初から言うことができます。するとお母さんは、「えーでも、今日のほうがお父さん喜ぶよね」と自分が意思を出すと、相手もとても早くに、最後に言う言葉を言いますから、簡単にことがすむ。この意思は最初からあるので、いくら避けようとしても、いずれでるものでもあります。二人とも、自分の意思を避けて話していてでも最後はお互いに違う、というのがわかっていくわけですが。そういうふうにでてきたら、「今日だとお父さん喜ぶかもね、(お母さんはそう思っているんだね、という同意)でも、私は、明日の朝が早いから、無理なんだ、○日だとどうだろう?」と提案も出来ます。ここでお母様は、初めて、「私はむくれているんじゃが、しばらく今日がいいとごねる癖がでるのじゃが、娘にも事情があるようじゃ仕方がないのは理解がだんだんできるのじゃが、も少しごねたい」と始めて理解をしようとされます。これが協力です。でもお母さんの意思がでてしまうと、そこがお互いにわからないと気づくと、嫌な気持ちがされるので全部それを避ける会話になっているでしょう?避けよう、避けようとしていてまずは、そんな癖があるけれど、避けようとしなくてよいんだなあと知っておいてください。かあちゃんと意思が合わなくておかあちゃんのむくれる姿がいや~それを見るのがいや~いやいやいや、それ見るの、恐い~これがあなたの罪悪感の正体です。意見が違ったり、したいことが違うと、本当にそんなにいけない子?本当に、お母さんと子供のあなたのしたいことが違っていてあなたは、親の人生を悲しませていますか?そして意見が違うと、あなたは拒絶をされている子?本当に、あなたが言うことを聞かなかったために相手は少しごねる時間があると、本当にだめ、あなたがいけない?大人のあなたが子供のあなたに答えて上げられるとしたら問題を、今後は、違う目で見られるかもしれませんね。これがあなたの、ひとつの課題です。他の関係性でも出やすいのかもしれません。おっしゃるように、不必要な罪悪感を持たなくなると(必要な罪悪感というのは、もっと自分はこうしたらいい、ということを学べる物です)動きやすくはなります。自分のなかでの抵抗が減るからです。―――--------------------------罪悪感があると、このように、自然と会話する方法も、本当はあらゆる意思決定が、罪悪感に引っ張られています。ACRのセッションでは、ご自身の罪悪感を持っている誤解を解いていきますから自然と行動が変わって行きます、じつは、こういうふうに、感情が変わっていくということが潜在意識を変える、ということなのです。http://www.acoreading.com
2011.11.08
書き込みがあったので、それについて、お伝えしていきます。まず、ご自身がよく綺麗だ、と言われていて、でも、それは男性ばかりで女性は年配からだといわれる、とのことです。でも、あるときに、「アジアンビューティー」だの「モナ・リザに似てる(「悪い意味じゃないよ!」の補足付き)」で言われたために、それが自分のイメージと違っていたので、本当はブスだったんだ、と落ち込んでしまった、とのことです。以下はその方の書き込みです。ショックを受けながら一人で考えて(悩んで?)いたらふと疑問が湧きました。微妙な事を言われたのは今回が初めてで、ありがたい言葉を掛けてもらえたのが大半であるはずなのに、なぜ大半である言葉を信じられず、少数(初めて)の言葉をすんなり受け入れてしまうのだろう?それは、自分自身が自分を微妙とかブスと思っているから「やっぱり私は微妙(ブス)だったんだ!」と考えを強めてしまって、少数意見を信じてしまうのではないか?と思いました。自分に自信を持っている女性ならば「あら、この人にはそう見えるのね」で終わるのでしょうが、私は「一人がそう言ったら、私に出会う男性皆がそう思っているんじゃないか」と怖くなります。だから私は男性からデートに誘われたりしないし、会ったとしても1~2回で終わってしまって交際に発展しないんだと考えてしまいました。人間、外見だけではないのは承知しています。これは私の考え方の癖なのか、それともこの世では純然たる真実なのか判断がつきません。 ―――――――――――――――――――――今は仕方がない、と思うのですが、そういう年代でもありますし、お気持ちもよくわかりますから。でも、どちらにしても、どちら、というのは、本当はそれほど綺麗ではないにしろ、本当は、別に他の人が綺麗だといってくれているにしろ、この方は、人の評価でしか生きていない、ということが今後、息苦しさは生むでしょう。問題は、ご自身のなかに自分ができておらず、他の人の、しかも、男性の評価でご自身を図りすぎていたので、しかもそれが、一般的な美人程度ではなくて、かなり高いところで自分の価値を作ってきてしまって、そのことに依存をされすぎています。人の評価の依存は、とてもとても奥深くを探ると、根底はアルコールや他の物への依存と同じです。不安を何かに紛らして生きていってしまうのです。それであれば、ある時期までは調子よく生きてきても、やはり偏りが問題をある時期から生むようになります。つまりは、どちらが真実にしても、辛くなるときがきます。それは自分というものがなんであるか、わかって、安心をしていることができなくなっているからでもあります。もし、本当にあなたがきれいであるにしたら、そしてそれだけが自己価値という誤まった感じ取り方をしてきてしまうと、それでしか生きられないので、30代になれば20代に負けるような生き方になってしまいますし、じゃあ、40代では幸せになれないのか、ということになってしまうし、ご主人を持っても、常に他の女性と自分を比べて惨めになるだろうし、せっかくの楽しい人生を、安定をしていけなくなります。一人の言葉が影響をしすぎていて、あるいは、ある時期から似た人が年配の人に移ったらもうがっかりしすぎて自分が保てなくなります。通常は、年齢を重ねたら、普通はある程度ご自身が出来ていくので上手に乗り越えられるのです。つまり芸能人でも、安定をしていけるのは、美貌だけに頼っている人々ではないんです。必ず自分というものがしっかりあって、それだから、年齢を重ねていけます。自分がああ、自分で大丈夫だと思える人間性を培っているから、芸能界で、新しいチャレンジをして生き残れるのでもあります。芸能人でノイローゼになってしまったりするのは、不安定な上に、それをカバーするために、綺麗さにだけ頼ってしまった生き方をしてしまったためです。そうすると、ある時期からそれだけでは不安定になります。綺麗でそれに頼ってしまう人も綺麗ではないから、自分は駄目だといじけすぎてしまう人々も根底にある不安は、同じです。自分というものをしっかり確立できないという不安さがあり、これを解消するときに、本当にその人らしい豊かさは確かに出てきます。もし、本当にあなたが思っているほど、事実、綺麗ではない、とします。たとえば自分では、凄く上のレベルだと思っていたけれど、ごく普通に、まあ綺麗な程度で、周りの人々は普通にいる程度だと判断をしている、としましょう。それだってたいした問題ではないのですが、でもそれでも人は幸せに結婚をしていくものだし、幸せになっていきます。でも、ご自身が、今まで、自分の不安さや自分が足りていない、と思う感覚を持ちながら、綺麗さに頼ってしまうと事実に気がついたとたんに、それではもう駄目だ、というような、考え方しかできない、極端なことになるでしょう。今までだって他の人々はそのあなたを見ていたのに自分がそれに気がついたら、それで自信がなくなるとしたら、その自信は虚構で、本当の自分らしさを、安心をして受け止めるという物ではなかったのです。今はその見直しの時期にきていますし、楽な時期に整理をしたほうが色んなことには巻き込まれないでしょう。本物の自信、というのは、本当は、何かが出来る、綺麗とかなんたらかんたら、の上に培われたものではないのです。安定をしていて、自分が正しい物を、よい物を、選んでいけるそのために多少それが、周りの人々と違っていても、それらに惑わされない成熟度合いと関係があります。また、通常、他の人が他の女性を好きになるかどうかを気にしすぎていると、その人が好きではなくても気にしすぎているというへんなことになり本当に必要な人と結び合う前に色んな課題を持ち込みすぎてしまいます。いらなくて良い人にも集中して、この人もあの人も好きじゃないんだ、もっときれいなひとがいいんだ、みたいなことになり、どこかで意地になっていたり、証明の課題が現れてくるので(何かを証明するために、恋愛をしようとしていること)本当に必要な人と出会いにくいし、本当に必要な関係になりにくくなります。今後、時期に来ているので、ずっとこういうことがらが気になりすぎてしまうかもしれません。でも本当の問題は、今まで隠れていましたが、自分というものを見失っていて、ご自身がわからないままに、きれいさで頼りすぎてきたことの見直しです。色んな男性に褒められて、それは嬉しいと思うのですがでも、それは、人生の小さなひとつに過ぎません。男性は褒めてくれるものかもしれないですし、それに依存をする必要もありませんしだからといって、褒められないから駄目、ということもありません。褒められなくて、別に、自分が幸せであるのに、何の障害もありません。綺麗だととくな部分は確かにありますが、だからといってそれがなくてもいいのです。不安すぎる何かを解消をする必要はどうしても、今後、出てはきますが、安定をしている人は、とても頼りにされます。男性からも。で、この方は、本当に自信があれば、「一人がそういったってそういうふうに思えるんだな」としか思わない、とおっしゃっておられたのですが、もし、人が、誤まった過度のうぬぼれの上に自信を築いていると何を言っているのかしら、わからないって恐いわね、みたいな上から目線の物の見方になります。でもそれらは、本当は無意識レベルで自分が足りないところを不安に思っていてそれを壁を作って頑張っているのでちょっと息苦しく感じたり、周りの人とすれ違うことが出てくるやもしれません。でも本当の自信、別に綺麗でも汚くても(深いではない程度にしてはおくけれど)どちらでもよくて、人として自分がしっかりとある、という状態だとあ、意外な意見、へーその人にも似ているんだな、程度です。そう思える女性がいたら、かなりもてはします。どちらでも大丈夫だけれど、でも、モデルになるとか、芸能人になるとか磨きをかけるのであれば、それはそれでよし。で、あなたの面白い点なのですが、めちゃくちゃ綺麗か、ブスか、の二つしかなくて。それは極端ですよね? それに、周りの目に頼りすぎているのです。あなたは?本当の安心をするあなたはどこにおられますか?見失ってはいるけれど、いるんだから、探していける人生を歩んでみてください。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー今ある問題を解消をしていきます。その力を持っていくときに、人は自分の本質と繋がっていきます。それらにより、より楽に目的を達成できる力をつけていけるでしょう。http://www.acoreading.com
2011.11.06
子育ての失敗で自分を責めてしまうということについて何故こんなに、ご自身を責められますか?一見、親が自分を責めるのは、とても誠実であったり良いことのように思われます。でも本当は、そうすればするほど、子供とのかかわりが、誤まっていくのです。そのようにしていたら、すること総てが、悪いな、という思いからの行動になります。すると、子供は、だんだんと暗くなります。愛情から喜んでしてもらえることがなくて、ごめんね、できなくて、かごめんねだからしてあげる、というくらい色調になるからです。お子さんが傷ついているのは、過去もそうだけれど、母親である、ご自身が自分を許していないから、というところも、あります。そうすると、子供は、母親が傷ついているのを知っていて、こんな自分がいて、ごめんね、という気持ちになってしまいます。どうぞ、本当にお子さんの事を思うならば、ご自身を許すこともテーマにあげておいてください。それがしっかり出来なければ、お子さんに悪くてお子さんが本当に愛情を求めていて正しく叱るべきときになよなよしていたりして、本気で関わることができず、申し訳なさで関われば、かえって寂しい思いをさせてしまうのですから。こういったとき、子供は居場所がなくなり、どうしていいのかわからなくなったり、無理をしたりします。そうだよね、過去は確かにうまくできなかった、でもそれはそれ、そうです、自分を責めたいお気持ちがあっても、そうしない、強さは必要になるのです。そのうえで、そして今、お子さんと新しく、頑張っていこう。今できることはこれこれはできないよ、そして私も自分を許して明るく生きたい。そう思うことは、とても大切になるでしょう。
2011.11.05
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