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こころの声、あたまの声頭の声、考えだったり、マインド、と呼ばれているもの、は、とても面白い働きをします。どんな働きか、というと、一件、自分が判断をするさまざまなものは正しいものに見えているのに、知らずしらずのうちに、自分を制限をしている、というものです。すこし例を挙げて、話をしますね。たとえば、ある人が、紅茶はなんとなく眠れなくなるし、ルイボスティーを体に良いから、と飲むことに決めた、とします。そして案外、味も気に入っているとします。(まあ嫌いならばそもそも続きませんしね)しかしある時、5分以上煮出さないと、効果が薄い、半減する、と知った、とします。(まあ事実そうなんですが)そして、頑張ってポットで、煮出すようにしていて最初のうちは満足でした。しかしそのうちに、大変になってしまって、それをやめてしまいました。べつにやめていいんです。それ自体は全然悪い選択ではありません。ただ、その人が、仮に、「ああ煮出すのめんどくさいなあ、でも煮出さないとむだになるし、せっかくルイボスティー飲んでも無駄になるし」と、何か無駄だという感覚があって、やめたとするじゃないですか?そして、そういう「無駄だ」と思うのがいろんなところに無意識に感じて、いつも物事を決めている基準だとすると、これは、頭で考えでやめているのかもしれません。頭で考える、というのは、どういうことか、というと、今まで教えられた考え方が自然とわいてきて、常に同じような判断をする、考え方をしていく、ということです。そして、これが「思い込み」と呼ばれているものです。その中には常識として、深く深く根付いてしまっているものもあります。上記の方の例で言えば、知らず知らずのうちに、「無駄になる、効果がないことは、やってはだめ」という教えがしみこんでいるのかもしれませんね。さて、今度はこころの話です。こころ、というのは、どういうものか、というと、上の人が仮に、ルイボスティーが好きなのであれば、「ルイボスティーのほうが、なんとなく、いい感じ。だったら飲もうかなー」というのが、簡単に言うとこころの声です。でも面白いと思いませんか。頭は、自分の考えって正しいと主張をするんですね。「煮出さないと無駄だから、やっても無駄」と考えたときに、好きも何も、感じ取れなくなるんです。ある決まり切った判断基準や考えがあると、こころの声がすべて聞こえなくなりがちになります。でも、ここからが興味深いところです。なにか「無駄だ」と思ういつもおなじみのその人のくせの考えがなければ、好きだしなーとその、ルイボスティーを煮出さなくてもその習慣を続けていったとして、そして仮に、後に、ルイボスティーを買っているのと、紅茶を買っているのと同じ値段だと気づいたりします。つまり、ルイボスティーを続けて飲んでいても、「頭で最初に考えたほど」むだではなかったんです。しかも、煮出すときもあってもよくて、煮出さないで気軽に飲むときもあってよくてと、さまざまな他の選択肢もわいてくるかもしれません。そして健康に結局はいいことをしているかも。つまり、無駄だと思ったことが、心に従えば結局は健康にきいていたということですが。つまり、頭は、判断をさせていてそれが正しいと思っているけれど、実はかなり誤った判断でもあるのです。これはものを買う、というのにも現れます。もし着ない服があるとしたら?もし使わない調味料があるとしたら?もし全然使わない文具があるとしたら?必要ではないものを買わないといられない、何かの思い込みが動いているのでしょう。一件、考えの方が正しいように思えたりそれが自然とわいて選択をしていることがあるのに、けれども、実はそれに縛られて、不自然な考え方をしている事があるということです。さて、こころの声を聞く、ということなんですが、先に話したように、頭で嘘をつかれるほど、困ったことにならないどころか正しい判断のことが多くあります。しかし、このこころの判断、好き嫌い、にも、とても大事なセンサーがあります。これが、面白いんですが、「その人にしかない感覚」なんです。人それぞれ、これは見事な形でセッションで表れてきます。皆さん好きって、分かる、と思っているでしょう?そうではないんです。気づかないで、頭では嫌いと思っていても実は好きで続けてしまっていたり、頭で好きと思っていても実は嫌いで続かなかったり、ようは行動の方がよくその人を表しています。でも、その感覚は、頭のように、間違わないです。昨日のセッションでは、ある方は、「何か教会で共鳴をする感覚が響く感覚が落ち着く」とおっしゃっておられたんですが、お母様がとても意見を主張される方で、お父様とはあまりつながりを感じていない方でした。しかし、自分を取り戻すようなセッションの内容からお父さんとのつながりも少し触れて、それを取り戻す過程で、耳鳴りがする感覚が心地よい感覚だと気が疲れました。そのことがだんだんとセッションで明らかになるにつれて、ああ、このかたは体に共鳴をしている感覚があってそれを取り戻すために、教会に言って聞いているんだな、と思いました。この耳鳴りがする感覚はその方特有の、「教会で共鳴をする、体の中にある響きを聞く」ということなのだと思います。その後セッションで、それを使って物事を見ていくと耳鳴りがするほうで考えてもらうと、たとえば考え方で不自然な考え方をしないと耳鳴りがして、不自然な考え方をすると、耳鳴りが収まりとても不愉快な感覚がします。まあ耳鳴りと言うとちょっと違うんですが彼女の感覚では、おそらく、何かが響いているんだと思います。つまり、心の声を聞くためには、身体の感覚を使う事がどうしても必要になりそして、この感覚は、一人一人が違います。わたしの体の感覚であれば、開く感じがあります。それと皮膚感覚に出ます。何かが起きるときには皮膚で多くのことを感じ取ります。そしてそれらがうまくいっている感覚がないと、というときは、人類の思い込みや価値観に縛られたときです。そういった誤った方向に進んでいないと、豊かになっていっていてそれがあるときは、すこし止まることを経験したので、いまではそれにとらわれなくはなってきつつあります。この最初の、頭の考えは、とても正しく思えるのですが抜け出てみるととても不自然です。それに気が付いたりします。セッションの間に、その1時間の間でさえ、その人は自分の中に不自然なものがあることや、縛られていることに気が付くことが多くあります。しかし同時に、どれほど、それが正しいという見方を身に着けているのか、ということや、そこから出られないようになっている人の在り方、というのはとても興味深くも思います。さまざまな人に接するとき、どうしてこういうことをするのかなということがあるかもしれませんね。そういった場合、どうぞ、忍耐強くあってください。その人(親しいかたなのかもしれませんね)は、その方法や考えがとてもなじんでいて、その人には自然なものなのです。そして、そういった教えられた身についたあるいは自分で信じ込んでいる方法は、なかなかでられないものです。しかし、相手を直そうとするのではなく、あなた自身がこころの声を聞けるとしたらそれが体の感覚から来ているとしたら、周りも自然と変わってくるものです。あるいは変わらなくても自分自身に立ち戻っていれば、周りにいらいらすることも大変に減っていくとは思います。上記をまとめると、1) あだまで考える信じ込みを含んだ指針は、とても狭い範囲で考えていて、 なかなか問題が解決できないことがある。頭で考えることで 他の感覚を使っての判断がしにくくなる。2)こころで知ることは、とても役に立つが、そのこころにも信じ込みが 左右をしている事や、信じ込みがあるとわかりにくくはなる。3)しかしその人独自の感覚は、その人が良い方向に進んでいることを鋭敏に 教えてくれている。なので、誤った考えを鎮めるために、瞑想などが 役にたつことも、ある。―――――――――――――――――――● セッションは感動をすることが多くあり書かせてくださいね、と了解を得てもそのままになっている方々に申し訳なく思います。何か勢いでその日のうちに書かないとあれほど感じていたさまざまな感覚がやはり失われてかけなくなります。ごめんなさい。その方に昨日のセッションの内容を書いていいか聞いたところ―――――――――――――――――――昨日はありがとうございました。響きについてブログに書いていただいて、大丈夫です。面白いことに、セッションルームを出たら、あれだけ響いていたのに全然聞こえなくなってしまいました。その後、深呼吸をしたり、セッションでやったように父親との金色の線をたどったりしてみたのですが、あまり聞こえません。聞こえているとは思うのですが、セッションルームで聞いていた時ほどはっきり「これだ!」という認識はできない感じです。(中略)今朝は、睡眠の満足度がとても上がっていて驚きました。二度寝をして1時間くらい寝ちゃったかも?!って思ってみても5分も経ってないとかで、得した気持ちになりました。―――――――――――――そうですよね、感覚につながっていくと非常な安心感と癒しがあります。また響きを取り戻せたら、その後だんだんとわかっていきます。ご協力、ありがとうございました。http://www.acoreading.com
2016.03.30
はげと自己実現男性にとって頭髪が薄くなるのは、とてもとても認めがたい事なのだと思います。先日、テレビで、「どうしてはげたのか?」と色々聞いたところ、遺伝だと答える人も人数で言えば1番であるものの、多くの人々が、それぞれに原因があると思っておられました。そしてほかの原因があると思う人の総数は遺伝をはるかに超えています。たとえば、帽子をかぶっていてむれたせいだとか、シャンプーをしすぎとか。でも実際には、私はがしがしシャンプーをしても髪の毛はいっぱいあるし、シャンプーのときにたくさん抜けても髪が多いし、帽子を夏中かぶっても、髪は多いし。要は、専門家によると、それらは全く原因とは言えず、遺伝の要素であるそうです。また、アメリカ人の友人たちと話をしていると、ちょっと生え際が交代をするのは、日本のシャンプーのせい、という声が多く、しかし要はそういう年齢になってきたというのが主な原因なのです。なぜこのように、それぞれの原因を思い込んでしまったのでしょうか。しかもそれが原因だと信じておられるのでしょうか。それは、禿るはずがなかった、と思いたい心理が働くからもあるでしょう。人間は、諦めがつかないものに対しては「自分はそうなるはずではなかったのに」「ようは原因を創り出した悪いものがある、悪い人がいる、これのせいで」という心理が働いてしまうからです。そのために、シャンプーをして髪が抜けると原因はそのせいだと当然思います。しかしお話をしたように、私はシャンプー時や日常で抜毛が相当ひどく、しかし、髪は多い方なのです。要は抜けた髪の毛を見ると、それが原因だと思うのは当然ですが、実は違います。しかし、最初から禿る遺伝子と思っていたら、髪が抜けるのを気にしていなければ、もちろん、これが原因だとは思わないはずでもあるのです。で、皆さんにお伝えしたいのは、「これのせいでこうできない」「これがあれば、こうできる」というのは、二つの目標に別けてください。と言うのは、原因でこのせいでというのは、この例のように、自分の思い込みが含まれてしまっているからです。たいてい、これがあればこうできる、は、片方づつの達成が可能ですが思い込みで関係がない二つをくっつけてしまっています。なので、これがあれば、(達成してください)そしてこれ以上に重要なのが、「これができる!!!」そうそれがなくても。だから、それがなくても、それを達成している人々をたくさん見て行ってください。たとえば、簡単に稼ぎたいのに、幸せになりたいのに、綺麗だったらモデルでもなって、簡単に稼げるのに。もう3つ分けて考えなさいよ。脳よ!!!このいくつをごったごったにするのが、思考と言うやつの面倒な錯覚です。稼ぐ方法を純粋に一個で考えられたら明せきです。幸せであることを、ほかの事に混ぜずに考えられたら実現するでしょう。モデルになりたいなら、その方法を、自分がそうなれる方法を考えてみてください。(でもここらへんだと、八つ当たりで本当はそれになりたくはないのかもしれません。そんなに真剣に頑張ったりしたくないのかも)ほんとにわけてくださいな。この、別ける作業が、潜在意識の思い込みを取る、という作業です。生い立ち、親が言っていた言葉、社会で信じたこと、自分が思い込んだこと、自分の感情的にできなくて恨んだこと怒っていること、それらがごったごったになっているんですね。そしてそれは、見事に一つにくっついています。一つ一つがきれいに別れてくれば、一つ一つ自分に「合った方法で」達成が可能です。だからね。--------------ACR では、無意識にくっついている様々なものを幼少期の感情をいやすことで、整理をしていきます。http://www.acoreading.com
2016.03.26
あなたは魔法を使えるのよわたしは幼少期、魔法使い、と言われていじめられたことがあります。小学校5、6年の時だったと思います。動物の鳴きまねがうまい、みんなが憧れていた体育を受け持っていた先生が、私にだけ微笑んでいつも話しかける、といったくだらないことが原因だったように思います。その先生は、夏休みに、何の自由研究をするのかを私から聞き、確か鳥の観察、とでも言ったんでしょうね。とても高い双眼鏡を貸してくれようとしました。いや、そりゃ、美少女だったらわかるよ、でもそういうわけでもなかったわけですし。で、双眼鏡を持って帰ったら、そんなわけのわからないものを借りるな、家にあるんだから、とすぐに持って帰らされたことを、覚えています。その他にも、自然を味方にしているような、そんな不思議なところはありました。さて、皆さんにも魔法が使えます。今日の魔法は、本が、自分のために全部なってしまう魔法です。このブログでもなんでもいいんですが、読んだ時に、違和感を感じた時には、こころがざわざわするなあ、私の何かと違うのかなそれとも、超えていく必要があるものがあるのかな、とそれだけを、質問し、そのことは忘れておいてください。皆さんが本を読んで違和感があって考え込むときには脳のくせが発動をします。だから非難を良く言うご家庭にお育ちだったり、環境になじんでいたら、「バカみたい、こうでああで」と絶対にとらわれます。相手のことを良く思おうと思いすぎているタイプだと、「これは言われていることが分からない、何とかわからないと、でも違和感が、私が悪いのか、いやでも」みたいな変な考えに絶対にとらわれます。そもそも、自分の違和感に鈍感であると、見過しますがそれはそれで、同じメッセージにまた出会うので、その時に気づきましょうかね。とにかく、何度も同じメッセージを見た時には、気づいてください。そのように、ちゃんと違和感んを感じてしかし癖の思考やパターンの行動に行かない時に、それらは、豊かな方法で開いていきます。しかし癖の思考は、していると自分が賢いようなトップに立ったような錯覚を起こすのでそこにはまり込みやすくはありますが。その二つの質問をして、ほっておいたら、なにか理解をできていくんですね。いろんなことが。そういう、上手な生き方の集積が、魔法なんじゃないでしょうか。http://www.acoreading.com
2016.03.26
厳しいことを言いますが、過去のことを後悔をしてしまうのは、実はとても深いレベルでは、自分を前に進めないための罠ではあるのです。後悔をしやすいタイプの方々は、常に幻想の中に生きています。「何かをすれば成功をしたはず」「何かをしなかったからうまくいかなかった」というのは、全部幻想だと思ってください。その考えがあるために如何に未来を創り出すことをしていないか、動いているようでも誠心誠意、未来を望んではおらず、こんなに失われた数々の物を見ては嘆くことに意識がいっていないかどうかです。それらは、そうであって仕方がなかったので次に如何に生かせるか、ということを考えることが非常に大切です。よく、後悔をし始めてから、あらゆる動きが止まってしまったり流が止まってしまったりすることもあります。不思議なものなのですが、避けずに、[ 「これは失われたんだなそれは誰が悪かったわけでもなく、自分が悪かったわけでもなく本当に起きたんだ.起きて受け入れられないけれど起きたんだ」]と、本当に悲しむことが出来た人々は、立ち直ることができます。真の意味で。本当に悲しむ、とはなんでしょうか?恥ずかしいこと、ばかなこと、できなかったこと、失敗だめなこと、と思わずに(ということは超えて)、純粋な悲しみを純粋に受け入れることです。これは相当に難しく、でもできるとしたら、相当な癒しはもたらします。かっこ[ ] の言葉は、それらの人々にとって魔法の言葉なのです。温かな未来が訪れる鍵の言葉ではあるのです。http://www.acoreading.com
2016.03.26
ビジネスパートナーシップビジネスのパートナーシップ、と言った問題のご相談も多くあります。それで、ビジネスのパートナーシップについては、どうしても、同等の力と役割を果たせる同士ではないと、何年後かには、解体をすることが多いようです。この同等にというのは、相当にすれ違いがあり、片方が同等にだと思っていても、片側は同等にだと思っていないことがあり、それが2、3年もすると、負担になってどこかほかの問題ですれ違っていきます。基本的に、その人が一人でできることの役割分担をしてもそれは仕事のパートナーとしては厳しいところがあります。そして基本的に、その人一人でできるか、できないかは、時間的にいくら割いてくれても、時間的にやってくれていてもそれをもとめているのではなく、、してくれると助かるもの、という満足感が相手にあるかどうかということではあるのです。本当にその人たちがいてお互いに持っていないものが生かされている、そんな関係が大事ですしまた、ビジネスで人と一緒にしていくタイプの方々の場合、いったんは学びのために、たとえ解体をしても、人と組むという関係性を結ぶことがあり、その時期も大事なものに思われます。それは、最初のこういう仕事を一緒にやろうと組んだ時点では、経験がないために、一体なにをお互いにしてほしいと望んでいるのか、どのようにお互いに独立をしつつ仕事を十分に満足がいく形で利益をお互いに得ていくのか、自分の得意分野は何で、どういったものに助けがほしいのか、と言うのを見極めてはいません。それらは、そういったすれ違う経験があって、初めて、「イメージと違う、ここは助けられると思ったけれど、あまり助けが必要ではなくこちらが自分にとっては大事なのだ」と学ぶことが、必要だからです。失敗は皆さんが思うようにこわいことではなく、成功をし利益を得ながらも、次の段階で必要な学びも得ることが組んだり、解体をしたりの経験になるでしょう。なお、実は、これらのことは、あらゆるパートナーシップの基礎を含んでいます。http://www.acoreading.com
2016.03.26
汚い思いと思っている思い込みと、真実皆さんの中で、汚い思い、感情と思っていることはあるでしょうか?これは、とても深い思い込みで、自分を正しく律しようとするすばらしいところからは来ているとは思います。しかし実は、汚い思い、感情と思ってしまうことがその人に汚い行動をさせたりします。面白いですよね? これが巷に言う潜在意識です。避けようとすればするほど、寄ってくる、というのが、潜在意識と言う考え方です。たとえば、宣伝は汚い、と思っている、とします。すると宣伝をするときに、何かを隠して宣伝をする部分が無意識に出てきます。宣伝が汚いという信じ込みがないと、ただ、「これはいくらで、ここが良い点です」と伝えるだけなんですね。そして、ああいう宣伝は嫌だな、こういうのがいいな、とそういう場面に来てそれらを判断をしますが宣伝は汚い、とふと湧く方々は、一つ一つの判断ではなくてそういう観念ができあがっているのです。確かに世の中には嘘をついて宣伝をしている部分もあってそれは嫌ですよね。(健康によろしくないと思うので)でも逆に、宣伝は汚い、と思い込んでいると、伝えるときに、良くない感情が妨げて、一体なには世の中に広く情報を伝えてほしいのか、さえわからなくなるんです。つまり素直に良い点を伝えていなくて、何か良いと思うものが曲がって行ってしまいます。たとえばその人が八百屋さんで、すごくすごくいいリンゴを入荷しているとします。本当においしくて、自分でも自慢の農家から買ってきている、として、値段は自分なりに、このりんごならば、この値段でもよいだろうと考えてつけている、とします。でも、その人はお父さんが汚い商売人で、どうでもいいものをすごく高く値段をつけていて、怒っていた、とします。かなりそれを宣伝でよいよい、と言っていたのでそれがすごくすごくすごく嫌であったとして。するとどこか無意識で、「この値段は高いけれど、宣伝であまり積極的に良いリンゴだと大げさに言うのは父みたいでいやだ」というのが働きます。これは必ず働きます。すると、よいリンゴだけれど、本当に良いリンゴだけれど、それを一生懸命に言いたいけれど、あまり怪しげに言ってはダメだと何に悩んでいるのかわからないままに、判断が感情的になります。するとどうなるか。自分の良いと思った部分はすべて削除をし、人から見て良いと思われるだろう点を書くようになります。通常商売では、必ず自分が良い、と思った点を書く必要があり、それは客観的な意見でもそうなんです。でもそれがなくなって、なにかわけがわからなくなります。たとえば、そのリンゴの良い点が、産地に農薬をまいていなくてすごく甘いんだとします。すると、素直にそこを伝えれば売れるのは周りの皆さんからはわかるでしょう?でもその人は、それを宣伝ができないんです。そしてそこはすごい遠慮がちに、そして必死になってどんなにリンゴが体にいいかとか、他の情報の方が良いように思えて、それを盛り込もうとします。余計な情報が入りすぎてしまうんですね。その人がよかれと思って入れれば入れるほど宣伝に効果がでなくなります。これは面白ろくて、どの程度、その人の思い込みがその人を動かしているかは文章を読むとわかります。すると怪しげになります(笑)人から見てですね。この、文章そのものを、もっと良くしようとするのがコーチングなどです。わたしのところでは、その根底の思い込みを変えるので自然と文体が変わったりはします。でも、宣伝が悪いもの、と信じ込んでいるそういった嫌な経験がその人になければただ単純に、「このリンゴは、自分にとってこういうものでこういう産地でこういう思い入れがあり、よい」と自分観点からすんなりと宣伝文を作れます。たとえ客観的に伝えたとしても要は自分が良いと信じている点を入れます。すると、学術的になったり、関係がない話をしないで本当に宣伝をされる人々にとっても必要な情報をもっていることになります。分かりやすく読みやすく、観念的ではなくてこころを打つ文句にはなっていきます。他の例をあげましょう。お父さんが嘘つきで、嘘つきを憎んでいます。そのため、嘘つき、ほら嘘をついた、こんなに嘘をついたというように、非常にその感受性が高かったのです。するとどうなるでしょうか? 大体、対人関係はうまくいかない、と想像がつきますよね。実はわかりやすくは極端な例で説明をしたものの、こういった何かいけないもの、と思い込んでいる感情は、上のように、何かすっきりと成功をしていないブロックになっていたりあるいは、誤解を生んでいたり、人との接し方に、うまくいかないものを持ち込んだりはしています。そして、自分が怒っているのを怒っているのはダメだと止めてし合う方々はさまざまな弊害はないことはありません。例えば、怒りが非常に強いけれどそれをダメだと禁じている場合、非常に相手に何かを押し付ける性質になる場合もあります。なぜなら、「自分が怒っている」と言うのを認めていないために、「誰かが何かが間違っている」というように、考え方にほかの偏りを生むからです。あるいは、自分が怒るのを怖がっていると相手が怒るのを非常に怖がるようになります。これも、意見を言い合ったりする正常な関係性の妨げにはなります。昨日はよいと思うことの中にも思い込みがあると伝え本日は、悪いと思っていることの陰にも実は思い込みってあるんだよ、と伝えました。世の中のことを、そのまま見ることは不可能だと言われていてそれはそういった観念がさまざまな誤解を私たちにもたらしているからでもあります。そういった観念からほどけていくと、いろいろなことがうまく回るのは事実で、それらの観念から縛られないことを悟りとは呼ばれているように思います。しかし、悟り(?)は宗教的、あるいは哲学的に世の中へ関心がなくなったうえで幸せになる、ということではなく、世の中にあって、良識的に質のよい人生を送るうえで穏やかで英知がある学び、ということに理解が深まっているとは思います。http://www.acoreading.com
2016.03.25
本当の目的を知れば成功をするこれはほんとうにおもしろいと思います。人々がどれほど、自分とかけ離れていることをしているのかとその人が満足を得られる人生をおくっているかとが、関係があることを見ることが、です。たとえばある方がいて、皆に注目をされたい、とします。そして、皆に注目をされないと、ひきこもる癖をもっている、とします。すると、たとえば手芸を習いに行って、そこでもっとできる人がいると、がっかりしてしまいます。自分が話したことが受け入れられなくて、ほかの人が話してわーと笑われてたりすると、がっかりするとかです。ずっとくよくよそのことを考え続けたり今日はうまくいかなかった、と思うことが多くなります。しかし、実は、皆さんが注目を浴びたいのは、「本当の目的」ではないかもしれないんです。わーっと話をして、そこで盛り上がって楽しい感覚を得たいのであれば、その感覚を得たいとしたらそれ自体はすぐに実現が可能です。わーっと笑って楽しいな、というのは他の人が話しても楽しさを求めていたら、その中に入れるかもしれません。けれども、いつの間にか、それが、「注目をされないといやだ」というこだわりになってしまっているとすぐにそちらに目的がずれていきます。そうしてそういう感覚がつよければ、せっかく手芸を習いに行っていたものが、いつの間にか自分の意見を聞いてもらえなかった、ということに意識がいってしまいます。これはもうその癖にエネルギーを注がないほうがいいでしょう。エネルギーを注がない、というのは、それを得たいと躍起になるよりもいったん自分の目的に立ち戻ることが必要だ、ということです。逆に、「このことを習いに行っているんだ、これを得たいんだ」という物に集中をしていると、時々、自分が中心になったり満足をしている場面に出くわします。いつの間にか温かな関係性になっている数々のものもあります。それらが実現をしている数々の場面もあります。あるいは不思議とほかの場で実現をして行っていたりもします。しかし、「今日は話ができなかった」「私が中心ではなかった」「もっと技術を認められたかったのに、先生は私のことに気が付かなかった」と言うようなほうに感情が行ってしまうと、何か別のものを得ようと躍起になる人生になっていきます。本当にその人が得たいもの、という話をすれば、先生に技術を認めらたい、という場合は、本当は先生に技術を認められたいのではなく、自分がこれは本当にできている、いい感じだ、というのを得たいのですが、いつの間にか(幼少期から癖は発芽をしていますが)なんで認められないんだろう、という感覚に強く動かされるように条件づけられ、訓練づけられています。その癖を持ってしまうと、表面には出さなくても、先生に認められる、それだけが人生の目的になっていきます。本当に得たいものは得られますが、得られないものの二番煎じは、得ることができません。そして得たいものは、あなたが思っているよりももっと広い範囲の物ではあるのです。そして常に常に、何か目標がそれたまま、その強い感情に縛られる人生になります。認められたいという欲求そのものは悪くはありませんが、認められていないという感覚が気になって、そうされたいとばかり願っているのであれば、何らかの欲求不満で怒っていると気づくことや、認められたいのではなくて、自分がしたいことをできない、認められないと、と深い深いレベルで信じ込んでハムスターのようにくるくる ゲージの中で自分が回っていることや、そういった怒っている隠れた自分自身に気づくことや、さまざまな自分の感覚のバランスを取り戻して、自分の目的を達成していくほうに集中をしたほうがよいでしょう。満足をする人生を得るためには、縛られている感覚に縛られるのではなく、もう一度自分が本当に得たいものに集中をする必要があるのだと思います。そして、周りとの関係でぶれていた自分から、淡々と自分のことに集中をできたとき、たいていのものは逆に達成をしています。そしてたんたんとしているということは、非常に力を生むこともあります。邪念なく自分自身のことができる力をもっているからでもあるのでしょう。―――――――――――――自分自身を取り戻していくと、達成がしやすくなります。http://www.acoreading.com
2016.03.25
叶えたい夢にはいろいろ隠れていることがあって面白いです。たとえば自分が実力でできることがあるのに、それを無意識に避けていることがあります。するとどうなるのかー。ほかの「人」や「もの」にそれをさせようとします。自分が足りていない感覚は、常に多くのお金と地位や身分、さまざまな成功を自分にもたらしたいと思うようになります。でもそのすれっからした感覚(なじんでいるとわかりにくいのですが)から求めると、すれからっしたものがやってきます。たとえば同じお父さんがいない方がおられる、とします。二人とも、悲しくて、寂しくて、辛い幼少期を過ごしました。片方の方は、寂しくて、理想の男性に愛されたいと願うようになりなにかいつもそれがなくて、なにかが足りていない感覚がします。そして欠けているから「それ」を求めているのです。常に常にそれを求めているのです。欠けていない感覚から求めるものはなにかが不足をしています。片方の方は、その寂しくて、何かかけている感覚があることを知っていました。しかし、その欠けているものを求めるのではなくそれはそれで、自分が満たしてくれるものに集中をしていました。いいんだ、ないこともあるよねへへへ悲しいね、それで、これは今すると楽しいなというような感覚です。10年後、下の方は多くの方に恵まれています。上の方も努力をした分、認められています。でも、欠けている、これがない、と思ったものは得られていないことが多くあります。他の例をあげましょう、ある方がいて、仮に、ピアニストになったけれど、ただの町でピアノを教えているのがいやでした。だから、すごく成功をしたピアニストに憧れていて、そういう憧れを持った二人が母親になりました。片方の人は、ピアニストにお子さんをならせようとしました。自分が金銭を多く稼げる有名なピアニストではなかった欠けた感覚が苦しくて、必死になってピアノをお子さんに怒りながら教えました。こういう方々は多くの場合、お子さんがピアノを嫌いになったり、お母さんが望むほどは成功をしていないことが多くあります。しかし片方の方は、ピアニストに自分が思ったほど成功をしていないこころの痛みはありましたが、もっともっとピアノで活躍をしてみたいな、と思って演奏会をしたり、ピアノはいいから、何かもっともっと満足をできる社会的な活動をして行こうと思っていました。下の方は、お子さんにもピアニストになってほしいと望みましたが自分の願いばかりを押し付けなかったのでお子さんたちはそれぞれ、自分の行きたい領域で成功をしたりピアノが好きなお子さんもいて、同じ音楽家になりました。その二人の違いはなんでしょうか?その欠けている感覚があっても、それを求めるのではなく、それがあることを知りながら満たされる感覚を得ようとしているか、欠けている感覚から欠けているものを求めたかどうかです。得られない方々の場合、ない、という心の痛みから「それ」ばかりを求めるという姿勢になることがありすると「それ」だけが得られていないことがあります。こころの痛みがあってよくて、それがあってよくて、そして同時に、自分が満たされること、満たされる状態を創り出す人々は自然と道が開けてくることが多くあります。難しいですよね、病気だから、病気を治したいとやっきになるのは人はあることですし。でも、病気であることが嫌な気持ちがあってよいいやだなあ、と思いつつ、直そうとしつつ、それはそれでもっとそこだけを見るのではなく、広い視野で自分ができるほかのことにも意識が行けるかどうかの違いです。「それ」に目が行ってしまうのは、欠けている心境への向きあい方を学ばないとならない時期であるのかもしれません。それは難しいことかもしれないけれど、出来た時の学びは大きくそして祝福も大きいと思います。それが出来たうえで純粋に望むことをしていけば面白いでしょう?痛みがあるからだめ、と考える人々は得られないと人にもきつく当たったり、期待をし過ぎて期待を外す人々を許せなかったりします。そこから関係性も乱れることもあります。こころの痛みがあってよい、こういう状態が今あってよい、とそれを受け入れ向き合いながら、本当に純粋に望むことができれば世界は変わるでしょう。純粋に望むことについては、レベル2でお話をしましたよねhttp://www.acoreading.com
2016.03.24
二つの思考と感情の整理をすることで、突然実力が発揮できる方法感情には二つ、引っ張り合うものがあります。その一つについて、具体的にわかりやすく説明をしていきましょう。ある方は、お仕事で、つかえておられました。商品の説明会の開催をしておられるのですが、どうしても越えられない壁があります。セミナーは丁寧に、一人ひとり納得をするものをということが、その方の方針でした。しかしうまくいきません。この方は、自分を見直すにつれてある発見をセッションでなさいます。「丁寧に、一人ひとりが納得をするものを」という方針の裏側に、「だから一人でも1回のセミナーで納得ができなければ、それは何かが間違っている」という罪悪感を生んでいたのです。そのために、サクサク楽に物事が進められないことが、上手くいかない原因でした。一人一人が納得をするものを、という指針はとても良いものに思えますがしかし、何か一人の人でもセミナーで納得をしていない様子を見受けると、実力が発揮ができません。そして次回のセミナーを組むことをしても、もっと良いものを創り出そうという意欲が無意識かで低下をして、なぜ納得をするものができていないのか、とセミナーの数が減る方向へ行っていました。なにかを開催をしようとするたびに余計な準備に時間をかけたり、実現がしないことが、そういった感情に気づき、制限が外れたことで、動きやすくなったとのことです。ありとあらゆる方法を試してみていた、と思っていたけれど実際には、自分に制限が掛かっていた例です。通常、行動が無意識に抑制をされるのは、あるいはその方のようにセミナーを避けるために、準備に手間取っていたのは、制限が掛かっているからですが、それらは単に、自分を止める思いだけではなく、「自分が良いこと」と思っている裏側にもできてしまいます。そしてそれは、「自分はこう生きなければならない」という思い込みと一緒くたに記憶をされていて、変えにくいものではあることもあります。ACRでは、人が自分自身の本来の才能を生かしそして自分らしく楽に生きるには、なにを解放をしたらよいのか、というターゲットを明確にします。そしてそれらのターゲットは、私たちから提供をするものではなく、自分自身の中から勝手に、(意識に上がっていない場合があっても)明確になっていきます。それらが解放をされていくと、徐々に逆にさまざまなこわばりが抜けていきます。そして自由に今まで一生懸命にしようとしても力がかかっていたものもできるようになります。その場で起きていることは、二つの思い込みの整理です。二つの思い込みの丁寧に整理をすれば、問題に意外な解決方法があることに気付けたりそれが意外に簡単な方法であったり、真の意味での引寄せ、自分が創り出しているものがわかっていきます。その2つの思い込みの一つ、良いものだと信じている裏側に潜んでいる制限を本日は解放をしてみましょう。試しに皆さんは、今日一日、「こういう方法ではないとできない」と思っていることについて書きだしてみてください。こうではないと幸せではない、とか、こうではないと不幸だ、とか。それを、「幼少期に持った感情」として、一日、手のひらに置いて、眺めてみてください。当然、そうでしょ、何かほかの事を考えようとすると怖いそれらを解放をしたら得られなくなるという恐怖(嘘ですけれどね)自分が何かの守りから出てしまう恐れ、そこにはいろいろな感情がついて回ります。それから、身体の感覚を良く味わってみてください。この体の感覚は何を止めていたり、動きにくくしているのでしょうね?わたしは早稲田大学院で、この感覚と言うものがどれほどセラピーに有効か、ということも、研究をしました。要は体の感覚を味わうことは、とても思い込みの整理に有効だということですね。しかし、覚えておいてほしいのは、そのよいと思うことを見ていくことは、その方法を使ってはならないとかその方法ではない嫌な方法を使わないとならないということではありません。ただの、裏側に潜んでいる制限を取り外すことをしているだけなのです。(今はその制限に気が付かなくてかまいません)これら、私はこうではないとならない、と思っているものについて、どんな感情があるのか、それらを感情として感じ取れたとき、いきなりさまざまな選択肢が現れてくるのです。あちらから選択肢がやってくることもあるでしょう。どうぞ手のひらに載せてその感情を眺めることをおでこをもう片方の手で押さえながらしてみてください。あるいは、おでこを押さえて「こうではないとならないと感じている感情これは感情、本当は守られながら、良い方法を探すことはたくさんできる。今は信じられないけれど。良いと思うものが感情だとは思えないけれど」と深呼吸をしておいてください。注意点としては、すごく真剣になってしまうのであればやらなくていいです。ほわほわほわっとああこんな感情~感覚なんだな、ほっとする感覚でいけるのであれば、その感情が変容をします。もし、1週間続けてもらえるとしたら、ちょっと理解が広がる部分も出てくると思います。あるいは自分自身の制限が分かってくるかもしれません。自分の中で感情のストレスが下がると、いろいろな一致や理解が深まったり、新しい選択肢が出てきます。おでこを押さえる理由ですが、ESRと呼ばれる、ストレスに巻き込まれないで物事を見るための前脳活性化方法です。その抑える実用性を知りたければ、上司に叱られている想像をしておでこに手を当てた場合と、おでこに手を当てない場合の違いを感じてみられるとわかるかと思います。相当にストレスなく、物事を見ることが出来る方法ではあるのです。http://www.acoreading.com
2016.03.24
これはセッションでよくあることなのですがー何かを理解した、とします。たとえば自分の思い込みがあって、それでもめていた、と。そしてそれを理解したうえで、しかし、我慢ができなくて喧嘩をするとしますね。でもその結果、もっと親しくなったりすることはあります。だから、無理することはないし失敗をそれほど怖がらなくていいこともあるのです。たとえば、先ほどの例で言えば、何か自分の思い込みで相手に辛く当たっていたそれは理解できて、そうなんだ、その人が野球をしたがるのって別に気にしなくていいんだな、と思えて少し変わったとしてでもある時期、ちょっとそれはやりすぎでしょうとその時には、すごい喧嘩をした、とします。で何かその時には今まで勇気をもって言えなかったことが言えたとします。すると相手が初めてその人のことをわかったりして、関係が変わるようなことです。回答が一つではない、というのは、学んだからと言ってそれを全部やらなくていいということだと思います。そして何かを学んでも、そのうえで自分の気持ちを感じて更に起きる出来事に任せてもいいこともあるでしょう。http://www.acoreading.com
2016.03.23
男の子は付き合いで、基本、落ち着く、自分らしくいられる、そして、楽しい、が大事になります。女の子は付き合いで、基本、お互いに合わせる、思いやる、が大事になります。それらも大事ですが、無意識に一番行動で優先をしていくのは、と考えると分かりやすいと思います。男の子は基本、人間として好き、と女性として好きと言うのは違うので基本、思いやりを示せば好きになってもらえるというよりも、自分が好きな人から思いやりを示されると嬉しい、となります。女の子は基本、ちゃんと話を理解し聞いてあげることは、とてもうれしいことです。そのため、男の子は、基本、嬉しいな、と思うと嬉しいことをします。女の子はその時に、「自分よりもそっちを選ぶのか」となるのですが、そうではなくて楽しいことをお互いにする、そこに自然にお互いにいる、というのが自然な付き合い方ではあるのです。そのため、男同士だと自然そうなります。それは男性同士には楽なことではあるのです。身体の関係だけかどうか、という見分け方も、男の子は基本、下ネタを言ったりする時期があって活発、闊達な子であると、そういう話を付き会っても好きだったりしますがそういう話をすること自体や、そういった関心が高いこと自体は、身体だけの関係かどうかと言う見わけにはなりません。そういうことに関心が行きがちで時々、もっと違うことを大事にしてよ、と頭に来ていても結婚をしている人はたくさんいるしちゃんとこうしたいからする、と言えば聞いてくれるようであれば問題はありません。これはこうだからこうしてね、と言って時間はかかってもちょっと合わせてくれて(男性はすぐに忘れたりするけれど)とても小さいとたとえ女性が思ったとしても、すぐ忘れてしまうとしても、努力をしてくれるようであれば、その女性を好きではあるのです。要は、それらは、普段の行動からは見分けることができます。だけれど、女性は、「自分がしないことを相手がする、自分がすることを相手がしない」ことを、すべて、「自分を大事にしていないせいだ」と考える癖があります。何も意見を聞いてくれなかったり、何か会いたがらないとか、ほかの企画をしても全然会わないとかであれば、それはもう、考えたほうがいいでしょうけれど過剰に自分の思い込みが制限をかけているようであれば見直しが必要です。男性が、何か大事な(気持ちに関する)ことを聞いたときにこそ、返事がすぐに返らないということについては、気持ちの上がり下がりは男性は自覚がなくて、下がっても全然別に何も感じていないと思ってください。たとえば、どこかへ行こうよ、と話し合っていて、あるいは彼が行こうと思っていて、そして、あなたが行かないと言い、なんとなく連絡が減った時ですが、ああいかないんだーと思ってしばらくたつとまた連絡をしたくなるという感覚が男性です。別にその時に「私が気を遣わなかったからだ、彼を傷つけたから連絡がないんだ」というようには、考えてはいない、ということです。女性は基本、「自分がしたことで相手がこうなる、ああなる」というように自分がすることをすべて、自分がしたことでチェックをしようとする癖があります。そのため、そういった時に、「私のせいだ、私がこうしてああしてああ対応をしなかったから」と考えますが、が、実際には、返事をしない時には、上の例では、なーんだ、会えないんだとか、ちらっと思った、そしてじゃあまあ今は連絡をする意味はないし(会う約束はなくなったから)今日は仕事ねと忘れていてまた思い出すという感覚が近いです。そしてこれは、実は好きな人であろうとなかろうと起るのでその女性が何かをして取り戻すというよりも時間で勝手に相手が戻るという方が近いです。たとえその時に怒りんぼうで、怒ったとしても、「ちぇ、会えないのかよー」で忘れて男性は自分の気持ちがもとに戻ると上機嫌だったりします。なーんだ会えないんだ、でその話はしても返事が返らないけれど別のことだと自然に返ったり、そしてまた会いたい時期に連絡来たりですね。もちろん、お付き合いが始まって3か月以内はまだ興味関心の時期で、本当に好きではないとすぐに連絡がなくなるので、それだといやだから、自分が遣ったこれがわるいのかあれが悪いのか、と考えるのはわかるのですがどちらにしろ、自然に話をしていて残るというのではないと、お付き合いは絶対に続かないのでリラックスをして待った方がよいでしょう。そもそも小さな失敗で連絡が来なくなる関係というのは何をしても結局は難しいです。如何して緊張をしていると面倒か、というとそれが原因ではないことで、反応をされると男性は対応ができない、ということがあるからです。「わたしの何が悪かったの?これかなあれかなーごめんね」と言うのは男性の方はそうは思っていないので、いや、思っていても、別に気にしないでいたら時間でもとに戻ることが多いので、「これでこう心配だったよ」と言うのは伝えてもいいんですがだから、それが事実でそれを解決しないとならないという前提には立たない方が良い場合がほとんどです。ソシテそれが軽く話している分にはいいんだけれど女性側が解決をしないとならない問題と深刻になると何か感情的に、不安でなんとなく遠ざかるということがあります。好きであれば遠ざかっても戻ってくるからいいんですが・よく読んで、誤解をしている部分があったら、その誤解からは行動をしない方が良いとは思います。行動をしてもいいんですが、しないとどうなるかというと勝手に自分が一人で騒いでいることがわかったりして自分のくせがわかりますしまた相手が初めて、「自分がこうしてこうしないでいるからこうなる相手」という、「自分中心の自分が何かを起こしている相手」という見方から、「ああ、本当にはこういう人なんだこういうことなんだ」というのが分かるからですね。相手をわかったとき、本当にわかったとき相手はやっぱり居心地がよいのでその女性を離れなくなることさえあります。女性の価値観から「私を好きではないからこうするのねああするのね」という決めつけから、「この人はこういう人だったんだ、こういう人なんだな」と受け入れてもらえる存在と言うのは、夫婦であれ、恋人であれ、得難い存在ではあるのです。ーーーーーーーーーーーーーhttp://www.acoreading.com
2016.03.23
対人関係で言うことを聞いてもらえる人ともらえない人わがままが通る人と通らない人がいるでしょう?これらの差ってなんでしょう?どこかで、これしたいなーすると楽しいだろうなーえーできないの、つまんない程度は叶えてもらえるわがままです。でも、どうしても、叶えてもらえないと感じている人々は、「私だけが」「私なんてどうでもいいってことね」「どうせ叶えてくれないんでしょう」「言っても思い通りではないんだから、いやだ」という気持ちがありすぎたりします。すこし何かを言い出すまえに、相手が叶えてくれなさそうだと非常に怒ったり、あるいは引きこもったりします。この「感情そのもの」が実は、「思い込み」と言われているものの正体です。皆さんは、潜在意識とか、思い込みを「考えだ」と思っています。でも現実をつくりだすのは、その人から湧く非常に強い感情と行動のパパターンそのものです。考え、というよりも、たとえそういった考えが根底にあるとしても、その人そのものを動かすもっと大きな力です。さて、わがままを聞いてもらえる人はとても素直に、これをしたらいいんじゃないかな違うなら、こうしてみようかな、と感じ取れる人々です。それと、これはこうしたいな、というのが自然と湧くようになっています。「こうさせたいな」「こうではないとわたしは幸せではない」というような自分自身を見失った感覚ではないのです。この自分自身が見失われるのは、関係性の中で、こういうことではないとわたしは幸せではない、と、そこに張り付いてしまった時期に形成をされていきます。これらは解放をできるものでもあります。たとえば、妹さんとの関係で自分は言っても聞いてもらえないといういじけた悲しみを持っているとします。すると素直にこれ、と言って違ってもこれかなとまた素直に言う流れそのものを取り戻せなくなっていて、これ、と言ってはほらね聞いてくれないわたしだけ、どうして聞いてくれないの、ほらほら、とこちらに感情が引っ張られる癖にはなっています。すると、相手からすると、要は簡単に言うと面倒なんですね。素直に、これかな、といい相手が違うよこれはできないし、と言いまあいいかな、でまたこれといいそういう人々は無意識にかわいがられると思っていて其れが自然とできるようになってはいます。ということは?あなたがそうなれるためには?簡単でしょう。。。。ご自身の気持ちをよく観察し、「叶えてくれないならば絶対に言わない」「怖いから言わない」となっていないか、そうなっている人々は、たとえ願いを伝えても感謝を長く最初に述べたりして、すると、その感謝そのものは、感謝をしたいからではなくて何かを聞いてもらうために言っていることだったりします。そうなっている人々は、たとえ願いを伝えても長い長い説明と理屈と理論が付いたりして、すると、温かい感情の行き来がないままに面倒な関係になって行ったりもすることもあります。そうなっている人々は、やってくれたことがうれしいという思いよりもやってくれなかったことへの感情を非常に長く持ちます。自分がのびのびと楽しい感覚を取り戻すと色々なわがままも聞いてはもらえるのですがでも、まずは、ご自身が内側にこもってぐちゃぐちゃ考えている状態、状況、心境があるなあと認めてみることです。そして無理をするのではなく、感謝をするときには短く感謝をこうしたいと思うときにはその意欲を素直に体中に広げる訓練はしてみてください。言えなくていいから、自分の体中にこれをしてみたいなーこれをしてみたいなーという感覚を。それよりも、「できないな、してもらえないな」とすぐに入るんですよね。それがその状態をつくりはするのですが。もしできるとするならば、いろいろ周りも変化はするでしょう。ーーーーーーーーーーーーーー自分自身の潜在意識の戦略を効果的に整理をします。http://www.acoreading.com
2016.03.23
ACRのセッションをうけてみたいけれど、遠方でお越しになれない方々もいらっしゃると思います。今回は、名古屋でACRのセッションをしておられる優さんのご紹介です。彼女は通訳、翻訳家として活躍されていた経歴を持ちセッションも知性と感情と、双方をバランスよく扱っておられます。また、ACRのレベル10受講最終日にプロポーズもされそういったご自身のご経験から、セッションで取り扱う潜在意識の理解や、夢を叶えることについての造詣も深いと思います。夢を叶える、ということについても、お力を貸してくださることでしょう。ーーーーーーーーーーーーみなさん、こんにちは。名古屋でACRをご提供している優(ゆう)と申します。ACRを学び始めて3年、のべで100本近くのセッション経験があります。キャシーさん同様、さまざまなご相談をお受けしています。また、今まで私自身、結婚を含め、いくつか大きな夢を叶えたり引き寄せたりしてきているので、夢を叶えたいかた、歩みたい人生を歩み始めたいかたに、特にお役に立てるかと思います。名古屋方面で対面セッションを受けられたいかたはぜひご用命くださいませ。スカイプ、電話セッションもおこなっており、それらも好評です。・メールnqa13395@nifty.com・ブログ答えはすべてあなたのなかにhttp://nekodatte.exblog.jp/(私が叶えた夢については「自己紹介」カテゴリに記事があります)・クライアントさんの感想集http://ameblo.jp/happyclaris/theme-10094241406.htmlセッションにご関心がおありの皆さんぜひこの機会に、セッションをうけて見られてください。http://www.acoreading.com
2016.03.22
色々なことが続かない、途中でやめてしまう事もあると思います。でも実は、そこにも、自分の本質の声が隠されています。途中でやめてしまうことというのは、1) 実は関心がないけれど、関心があると誤解をしている→ 続けたらいいのに、と自分を責めるのをやめ、 こういうののどこが向いていない、じゃあ、どの要素が 変わったらいいんだろう?と質問を与えて、考えずに「答えが湧くのを」待つ。 考えると混乱をするが、質問をして答えを待っていると体験する 過程を阻害しないので(考えていると体験の前に結論をつけてしまっているから) ぴったりの物が見つかる すると徐々に、自分に向いている傾向性( 派手なものかジミなものか、 一人でやるものか、皆でやるものか、じっくりやるのか、一つ一つ 完結するものか、など)がわかる。長い将来の上ではとても有益な情報が得られる。2) 実は何か、自分の心の中に探していることがあって、外側にそれを探そうとしている たとえば、むなしい感覚が抜けないので、それがなくなるものを探していやになる→、 自分の中の心のむなしい感覚や、何か自分が足りていない感覚に ちゃんと向き合う。通常は、 とてもとても小さなことができなくなっていて、小さなことで その感覚が消えることを幼少期に経験していないことが、原因であることが多い それらが落ち着くと、本来したかったことも後からわかる3) 途中で失敗をすると、いやになってしまう→ 人の評価主体になりすぎているので、人に良くみられよう、ではなく 何を達成したいのか、という視点から物事を見るようにする。 人に良くみられようと始めた時点が失敗の時点であることも、多くある。 4) 人との関係で続けられない→ 人に何を求めすぎているのか、本当は人に求めていなかったら 何がしたいのか、そのこころを癒していく自分の本質が望んでいるものは、本当にすんなりと色々パズルがはまっていくようにぴったりはまっていくのでそれは興味深いと思います。自分の本質と触れ合っていくセッションをしています。幼少期からおとしてきたものを知り、誤解を取ることで、自分と言うものが非常によくわかります。http://www.acoreading.com
2016.03.21
人生はとても恥ずかしい思いをすることもあるものだと思います。そしてそれでよいのだとも。恥ずかしい、と思うことを、人は避けがちですが、でも、本当の成長は、その恥ずかしい経験をしてこそ、成し遂げられるものでもあります。あるいは、恥ずかしいからやらない、という選択をしない、ということが成長をさせてくれるのかもしれません。もし、恥ずかしさを超えていこうとしなければ人は自分を、人生を、ごまかすようになります。できないことをいつまでもしなかったり、できないことをできると思い込もうとしたり。でも、こんな程度しかできないんだ、こういうときにはこういうことをしちゃうんだな、笑われちゃった(かもしれない)その思いから逃げないとしたら恥ずかしくてよいと思えるとしたらその人はとても大きく成長をしていきます。恥ずかしさは、成長をしているしるし新しい行動をしようとする,しているしるしでもあるのです。たとえばだけれどね、実は、ブログで書き誤ったりして恥ずかしい、とするでしょう?どんどん書いて行ってそれが新しいものに紛れてなくなるほうが、恥ずかしいことをしないよりも、後々、こころの安定をはかる方法を学べたり、愛情や学びや、何かの豊かさを生む、ということなんです。ーーーーーーーーーーーーー恥ずかしさは記憶の解釈を変えることでぜんぜん変わっていきます。http://www.acoreading.com
2016.03.18
深刻にまじめに話し合わない方が良い場合、話したほうが良い内容人とのあらゆる関係性の中で、「ここはそんなに深刻にならないで、一言二言、これは大丈夫、で、こうするね」というふうに言ったらよいとアドバイスをするだけで、うまくいってしまうこともあり、びっくりされることがあります。深刻に聞こうと思っていたことを、真剣に話さないとならないと思っていたことを、実は相手は気にしていないこともあります。あるいはそっと時間を待ちたいときもあります。また、相手は気にはしていても、ただ気持ちが落ち着かないからそんなことを言ったり態度に表しただけで、ただ時間が経過をすればもとに戻るだけで心配をしすぎているということは、よくあることなのです。でもそうは言っても、深刻になってしまうのもわかります。ただ、相手はそれを感情でしていることや、パターンでしていることは、覚えておいてください。感情でしている以上、話し合ったり深刻になると相手は余計、深刻になったり感情が反応をします。内容はわかるんだけれど、こちらの深刻な様子に反応をするのです。あなたが落ち着いていれば、相手も落ち着きます。それが感情同士でのコミュニケーションになります。つまりコミュニケーションは意思を伝えるのみならず感情が伝わることの方が多くあり、深刻にこちらが話さないとならないときには、その深刻さに向き合えないときもあるということになるでしょうか。かといってその意味は、深刻に思う内容を伝えてはいけない、ということではありません。そんなに心配をせずに、自分も感情的にならずに、問題を過剰に問題視せず、短くストレートに内容を伝えたほうが、相手が安心をすると言うだけのことなのです。こう誤解をされる、こんなふうにわかってはもらえないだろう、と思って加えている文章を取り除いて、シンプルにしてみてください。いったん泡立っても、問題の収まりが格段早くなります。幼少期、心が穏やかになるコミュニケーションを人はあまり学ばずに来ています。会話の内容ではなくて、暖かさの中にいて見守られている感覚が失われているのであればそれを取り戻すと自然に相手とのコミュニケーションの質が変わります。http://www.acoreading.com
2016.03.18
船越英一郎さんと、松井一代さんのカップル近日、このカップルがうまくいっていない、という記事を読みました。そういった記事はあてにはならないので、全面的に信頼はしていないものの、もし、本当だとしたらあの活気のあるご夫婦に亀裂が生じたのは、残念なことではあります。さて、松井一代さんは、夫を束縛をすることで有名ではあったのですが、通常は疑いすぎる、疑って何かあると過激に反応をする、嫉妬のあまり縛ろうとしすぎる夫婦は、それがかわいらしい範囲であれば全然問題がありません。そして、ご主人が受け止めている限り、争いにはなってもまあやっていってはいるのです。しかし、疑いが過剰すぎると、やはり長い年月のうちには、相手を追い込んではしまいます。そういった過剰な反応の整理をすると、通常は夫婦が良い具合におさまっていくので、相手だって優しくなってきます。やはり、「自分を離れられるのが怖い、怖すぎる」と思う心情は、整理をする方がいいかもしれません。ご自身の心境の中に、裏切られる、人は制圧をしてこそうまくいくものというような誤解があれば、その行動のパターンは変える必要はあるでしょう。この、「相手が裏切るだろうから」という気持ちは、自分が整理をする、と知っておくと、ぜんぜん関係が変わっていきます。「相手が疑わしいから、私がこんなに不安になる相手が全部やってくれるべきだ」という感情は、これは両親のどちらかに見ていたり、あるいは、自分がずっと無意識で持っていた感情ではあるのですが、これは関係性を複雑にはします。本来の愛上は、安心感で、この安心感を得ることは非常な魅力となります。人を引き寄せます。それについては以前のブログで書いたと思います。深いレベルで自分を変えていきます。http://www.aocreading.com
2016.03.18
わたしよりもそっちが大事なんだ、、という愛されたい病お付き合いをしていると、いろんな場面で「わたしよりも、仕事を優先させるのね」と怒ってしまう場面もあることでしょう。楽しく話をしたいのに、今日はこれをしたいから、と言われてしまったり、一緒にいるのにそれをし始めてしまったり。そこで一体自分は何なのかむなしくなったり怒ってしまったり。たとえば明らかに、「この関係はおかしいでしょう」というものも時にはあるとは思います。しかし、一つの行動だけで判断をするのは誤っています。全般を見ていかないと関係性はわからないからです。通常は、自分を好きだったら自分の期待に全部沿ってくれるだろう、と思うその判断が行き過ぎていたり、すこし違うときが多いものです。別に自分のことをその時間は最優先にしてくれなくてもご結婚をされる方々も多く見てきました。「愛してくれていたらこれもあれもしてくれるべき」という思いがつよければつよすぎるほど、自分の満たされていない要求を一人に向けすぎているという点は注意が必要です。自分が大事にされていない、と感じるのは、大事にされていないという欲求不満を、それを一人の人がきたら解決すると思いすぎてきたのです。アメリカで離婚率が増えたのは、何か自然な恋愛の関係を維持をすることができなくなって、このように、期待がドラマによって大きくなりすぎ(相手が期待通りの人ではないことを、糾弾しすぎ)というのも一つ理由に挙げられるとも言われています。幸せなカップルは、決して全部全部期待通りのことをお互いに期待通りに動いているカップルではなく、お互いがしたいことを認めつつも共通の時間を楽しめる部分がないと厳しくはなるでしょう。面白いことなのですが、さまざまな夫婦、お付き合いをしているかたがたでその人が抱えている思い込みをやめただけで、関係が修復をしていくことが多くあります。根底はうまくいっているのに、「こうではないのは、彼がわたしをこう思っていないからだ、こんなふうに思っているからだ」という思い込みがあって、二人の関係がうまくいっていないことがあるからです。相手は、その相手でそれをしている、という思いは二人の関係に新しい見方をもたらしてくれます。―――――――――――――――深いレベルで自分のパターンを変えていきます。http://www.acoreading.com
2016.03.18
深刻にまじめに話し合わない方が良い場合、話したほうが良い内容人とのあらゆる関係性の中で、「ここはそんなに深刻にならないで、一言二言、これは大丈夫、で、こうするね」というふうに言ったらよいとアドバイスをするだけで、うまくいってしまうこともあり、びっくりされることがあります。深刻に聞こうと思っていたことを、真剣に話さないとならないと思っていたことを、実は相手は気にしていなくてあるいは相手は気にはしていても、ただ気持ちが落ち着かないからそんなことを行ったり態度に表しただけで、ただ時間が経過をすればもとに戻るだけで心配をしすぎているということは、よくあることなのです。恐らく皆さんは深刻過ぎるのです。でもそうは言っても、深刻になってしまうのもわかります。ただ、相手はそれを感情でしていることや、パターンでしていることは、覚えておいてください。感情でしている以上、話し合ったり深刻になると相手は余計、深刻になったり感情が反応をします。内容はわかるんだけれど、こちらの深刻な様子に反応をするのです。あなたが落ち着いている以上、相手も落ち着きます。それが感情同士でのコミュニケーションになります。かといってその意味は、深刻に思う内容を伝えてはいけない、ということではありません。実はそんなに心配をせずに短くストレートなほうが、相手が安心をすると言うだけのことなのです。幼少期、心が穏やかになるコミュニケーションを人はあまり学ばずに来ています。会話の内容ではなくて、暖かさの中にいて見守られている感覚が失われているのであればそれを取り戻すと自然に相手とのコミュニケーションの質が変わります。http://www.acoreading.com
2016.03.18
人生はとても恥ずかしいおおいをすることもあるものだと思います。そしてそれでよいのだとも。恥ずかしい、と思うことを、人は避けがちですが、でも、本当の成長は、その恥ずかしい経験をしてこそ、成し遂げられるものでもあります。あるいは、恥ずかしいからやらない、という選択をしない、ということが成長をさせてくれるのかもしれません。もし、恥ずかしさを超えていこうとしなければ人は自分を、人生を、ごまかすようになります。できないことをいつまでもしなかったり、できないことをできると思い込もうとしたり。でも、こんな程度しかできないんだ、こういうときにはこういうことをしちゃうんだな、笑われちゃった(かもしれない)その思いから逃げないとしたら恥ずかしくてよいと思えるとしたらその人はとても大きく成長をしていきます。恥ずかしさは、成長をしているしるし新しい行動をしようとする,しているしるしでもあるのです。たとえばだけれどね、実は、ブログで書き誤ったりして恥ずかしい、とするでしょう?どんどん書いて行ってそれが新しいものに紛れてなくなるほうが、恥ずかしいことをしないよりも、後々、大きなこころや愛情や学びや、何かの豊かさを生む、ということなんです。ーーーーーーーーーーーーー恥ずかしさは記憶の解釈を変えることでぜんぜん変わっていきます。http://www.acoreading.com
2016.03.18
自分を信じる力自分を信じる力というのは、対人関係でも、仕事でもそうなんですが、とても成功に大切なものだとは思います。自分自身を振り返ってみても、独立をして仕事をしているのは、この力が働いていた、と思います。自分を信じる力というのは能力を信じる、できると信じると思われがちですが、全く関係がありません。わたしはできると思って仕事をやってきたわけじゃないもんねーいつの間にか形になっていたんだもんねーもちろん、こういうものを創り出したい、と思われて仕事を起こした方もおられると思います。でもいずれにしろ、信じる力、というのは、自分が良い、と思えたものが良い、と思える力のことです。人に認められなかったから自分の良いと思えたものを恨んだりするのではなくいいなあーこれ、と思える力なんです。よく、仕事は謙虚に、とか学んでいく、とか言われる部分もあり、それは確かにそうです。でも、謙虚に学んでも、人のまねをしてもうまくいかないことってあるでしょう?それは、それ以上に、成功には、「これは自分が良いと本当に心から思っていて」「そして良いと思ったものを隠さずに伝えられる力」がどの程度かというのが非常に、関係があるからです。わたしの友人で、ものすごく仕事が上手な人がいるんですが、彼女なんか見ていると「これとこれはよいもの」と思うと人がどう思うとか、そういったものに紛れないんですね。だから事業が成功をしたし、家族生活も彼女はうまくいかせています。むだに、「どう思われるか」ではなくて、これは良いからこう伝えましょう、みたいな力を持っています。自分が良いものを良いと思おうとするとわかるんですが、そもそも、小さなことでも、「自分が良い」と思える感受性を取り戻さないとならないかもしれません。あるいは、そもそも、「本当に自分が良いと思ったものを(人から見られてどうではなくて)「よいなあ」、とびくびくせずに素直に感じられるというのは、簡単そうで難しい問題ではあるのです。Simon Sinek 氏によると、成功をしている人々は人を集めている人々は、あるいは企業は、「なぜそれをするか」ということが明確であった、と言います。アップルの例をあげ、ほかの同じ人材に恵まれた会社よりも成功をした原因を彼なりに解明をしていますが、「なぜそれをするか」よりも人は、「どんなにその製品が役にたつのか」「どんなに私のサービスが役に立つのか」を相手目線で見せようとしています。しかしそれはあまり売れ行きが伸びていなかったり成功をしない例もある、ということを伝えています。もちろん、相手目線で伝えることは必要なのですが、「自分のこれが本当によい、これをこういう理由で提供をしたい」というのが確立をしていない人が人目線を考えたとき、その人たちは何かが詰まることがあります。何かをしてもうまくいかないか、何かをしても続かないか、ということがです。特に独立をされている方だとここら辺は如実に感じられるのではないでしょうか。わたしが仕事を成功させ始めた時には人を癒すセッションがあまりに面白いと思っていました。そして、それを本当にやってみたい、人々にセッションをしたいその願いがつよくありました。決して、「これはどうみられるんだろう?人から怪しいと思われるんじゃない?それを避けるためにはどういう説明がいいだろう?」なんて考えている暇はなかったのです。だって、面白かったんだもん、事実人が変わっていくんだもん、だって事実そうなだから、尾ひれはひれの説明いらないし。その後、私は自分なりのセッション体系を作ることを目指していますが、個人営業種が仕事ができる理由は、「これが人から見てこんなふうだったらよく見えるよね」ということだけではなく、「自分は本当にこの部分は良い部分だと思う、好きだ」ということを提供をできる勇気があるかどうかだけだと思います。人がそれを隠そうとしたとき、人を引き寄せることはできません。人が自分のしたいことがわからなくなったままに「どういうのがいいんだろう、ああいうのがいいのかな」となった人の視点は浅く、面白みがありません。あるいは、それ(企業理念)を無理して嘘で固めたとき、身体にコリとか疲れがでます。あるいは、それ(企業理念)を無理して嘘で固めたとき、自分が居心地が悪くなります。自分が面白いねえこれ、と思えたら、それを素直に説明をできるとしたら返って怪しくは思われないものです。どこかで、そんな勇気を失ったということは、ご自身が、自分自身の本質を大事にすることを忘れていると言う人生の課題そのものに向き合わなければならない、ということでもあるのです。もう一度なぜそれをするのかそれを誰かに認めさせるためではなく自分が良いと思っていることを自分自身が認められるのか、それとも誰かに認められていないものは自分で否定をするようになってしまっているのか、その力を失っているとしたら、取り戻さないとならないでしょうし、その勇気はどこにあるのか、探しに行かれてもいいのかもしれません。人は、自分が良いなあと思った気持ちを否定するようになると(つまり人が認めない自分の意欲を、軽蔑をするようになると)ものすごく人や周りと癒着をするようになります。気持ちの否定はさまざまな問題を生みます。でも本当に持ちたいものに素直に向き合えるのであれば、これはうまくいかなくても、人が認めるか認めないかに怖がらなくてもこれはいいなあというのを素直にふと出てしまうようなことであれば、素直に許せる力が自分自身にあれば周りもあなたを認めてくれるようになります。そしてこれらは、すぐにできなくて良いのです。ただ仕事でつっかえているときに、すこしそれらをだそうとする工夫をするだけでもなぜ自分がそれをしたいのか、ということを明確にするだけでも、状況が打開できることがあります。なお、この素直さは、すべての成功のカギです。気持ちが通じる対話でもこの資質は必要なものですが、素直さ、というのは気遣いがないとかと誤解をされやすく、また自分の心の傷を明かすことやわからせようとすることが気持ちだという誤解もありそれだと問題をややこしくはするので、いずれ心が通じる対話についても書いていきたいと思います。ーーーーーーーーーーーー自分を否定をしなければ周りとの関係も不思議と変わっていきますhttp://www.acoreading.com
2016.03.10
無意味な反省と、経験をいかすことの違いとても混乱をしやすい部分に反省と経験をいかすことの違いがあります。で、恋愛で例をあげて書いていきたいんですが、仕事でも同じなので、ちょっとご辛抱をして読んでみてください。基本は同じです。「失恋をした」「これが悪かったのかな、あれが悪かったのかな」「もうこうしてはならないんじゃないか」と、くよくよ真剣に考える、いうのが無意味な反省。これをした方々は、次への恋愛の時間がながくなっているはずです。さらに、わけのわからないことばかり心配をしています。ある女性と男性がいて、たとえば、料理が下手で彼がそれを責めて、彼女がそんなことをしないでと言って後々喧嘩になって、そして別れた、とか。ある女性と男性がいて、たとえば、会話をしていて彼女が怒りん坊なので、彼が耐え切れなくなって別れた、とか。たとえばある女性と男性がいて、たとえば、相手が去りそうなときにしがみ付いて、その時に、もう徹底的に嫌われた、とか。そしてその女性が、「料理が下手だったせいだわ。家事が完璧にできないと、嫌われる」ってその男性がそういうタイプだっただけで、別にそんなに自分を責めなくていいのに、そこにくよくよしている人は、恋愛が本当に遅くなります。あるいは、その女性が、「私が怒ったせいだわ今度から怒らないように、完全に良い人にならないと」よくなるための本だけを読み続けているとかそういう人は、恋愛が遅くなります。しがみ付いたのがよくなかったんだから、良い態度をしないと。どうしたら立派な態度をとれるかしら。一生懸命学びましょう。本当に次までの恋愛が遅くなります。クライアントさんの中には、こういった問題を解決した「途端に」恋愛が始まった人もいます。だから本当に呼び込むことと、精神や心の状態は比例をしていると思います。まじ、こういう事も起きているんです。さて、どうしてなんでしょうか?仕事で例をあげますね。するとわかりやすいでしょうから。「コピーを取ったら、その取り方がよくないって怒られた。完全にコピーを取れないと、叱られるし、仕事でうまくいかない、頑張らないと。完全にコピーを取れることをできるように学ばないと」どうでしょう?これ。自分の問題をほかの問題に移し替えてみるとわかるでしょう。要は、仕事の成功を考えることと、仕事で失敗をしなければ成功をするはずという強迫観念は全く関係がない、ということです。つまり、こういうことなんです。その問題は「ほんの一部」の原因でしかも、それがあっても結婚をしたり成功をしている人たちは山ほどいるのに、針の穴にとらわれて其ればかりを見ている状態になってしまったんです。何かうまくいかないことを、「その人との関係」「その時間に起きていることで、ほかの時間は違う対応をしてもいいこと」これらの区別がもうつかないままに、「一つのことを、直さないと、直さないと」となってしまった状態です。何か一つの小さなことを変えないと、ととらわれてしまったんです。仕事の例でいえば、「コピーはこうしたらいいかな、はい、それでおわり。それはそれで、仕事を頑張って行こう」じゃないと仕事での成功はないでしょう。コピーはホンの一部の事なんです。コピーだけを完全にしようなんて、、、ねえ?さて、今度は経験の話です。経験と言うのは、自然に積み重なるんです。たとえば、料理が下手だと言われて怒られてそれでうまくいかなくなって、「だったら私は、料理を完璧にしないと」「家事がちゃんとできないとならいんだ」「こんなことを起こしたくない」ではなくて、料理は学んでも学ばなくてもいいけれどまあせめて焦がさない程度にしておいて、そして新しい付き合いが始まった時に、初めて、その人との関係で初めて、出来事が起きます。料理をしているときに、焦がしてしまったとしたときに前の人との関係で学んだことが、そこで出るんです。ああ、がっかりだなあ、と前は彼にはむかってしまったものが自然と、何か違う行動が、自然と出てくるんです。それが学びです。それが経験です。前は怒ったりしていたことが、もっと気軽にできたりこれが経験です。恋愛が上手にできていくのは、失敗から学ぶという意味は、仕事がうまくいく意味は、失敗をくよくよ考えて一つの失敗だけを見て視野を狭くして、それで学ぶという意味ではありません。それをすると、その人はとても偏った考え方になり自信を喪失し、何をやってもうまくいかないような考え方になりおびえてしまい、慎重になりすぎるし余計な情報に惑わされるようになるので、うまくいきません。そうではなくて、ああそういう失敗があったなあとそれは其れともう忘れていて、そして、のびのびしていてだけれど、何か同じ状況がきた時に、たとえば前だったら怒りすぎていたけれど、今回は、怒りながらも、時間を短く切り上げられるようになっていたのでその人とはうまくいって結婚をして(と言う方もいました。)というように、自然に出てくるものなんです。皆さんが失敗をくよくよ考えた時に新しい運命はやってこなくなります。それどころか、やってもやっても、自信がつかない、完璧に料理ができないし怒ってしまうし、恋愛では、しがみつきたくなるしそんな気持ちはなくならないからです。でも、それでも、恋愛をして積み重なった自然な行動がそれが魅力的になるのです。何かの問題が起きた時に前よりも落ち着いて対応ができたりします。頭で怖がって反省を続けるときには、この経験が積み重なるのを邪魔をします。新しい経験が出てきて、その時に使うという流れを妨げずっと一か所にとどまるからです。(頭が)恋愛をよく見ていてくださいね、一つの前の欠点をずっと考え込んでいる人は次の恋愛が始まりにくいから。反省はしても一回で終わり。うまくいかなかったなあ、ーああいっかあと思いつつもちゃんと経験でそれが出てくるのを信頼している人は伸びていくからです。これは仕事も一緒。要は、変な反省(頭の原因探し)をしていると、緊張をして、いろんなものに飛び込めなくなっているのです。それを自己不信と呼ぶのですね。―――――――――実はセッションが、その人の欠点を直しているのではなくて自己不信を取り除いているにすぎないんです。http://www.acoreading.com
2016.03.08
目標達成と 運と引き寄せと不安目標の達成には、さまざまな方法がつかわれるとは思います。しかしそれぞれに、自分が体験をした一番良い方法があることでしょう。私の場合、「これを絶対に叶える」と思うとかなりストレスになってしまうようでこういうのがあればいいな、という気楽さでいると叶っていたりします。また不思議なことに、人の引き寄せもかなりしているなあと思います。たとえば、飛行機の中で乗った隣の夫婦が、カリフォルニア大学の教授で長きに渡ってお付き合いをさせていただいたことがありました。その縁で、アメリカのデザイナーの方と知り合いになり、ということもありました。さらに、そういったご縁が現在生かされていたりします。何十年も経っていかされているのです。話せばきりがないので、自分にとってはそれらは自然なことではあったのですが、そういうのは経験をしています。さて、目標達成にはいくつかの方法があり、その人の個性に合わせて考えていく、ということが、私の仕事ではあるのですが、いずれにしろ、未来の不安はほんとうに不要です。未来の不安、こうなってしまうだろうな、という予想は、あたってないばかりか、ただ単に強く感じてしまう癖であったりします。そういう心配をしなくても、叶うものが叶っていくとよいな、と思いながら日常を過ごしたところでうまい具合に物事は整っていきます。私がとても悩むところなのは、「不安があると、心配ばかりしていないと、怖いことになる」と主張をし続けるところなのです。周りからはたから見ていたら、本当に余計な心配をしていてそれが邪魔をしているよ、とわかることでも本人はそこから抜け出にくい心境はよくわかります。そういった心境のときには、100個の心配をしてそれの一つでも起きたら、ほら心配は起きた、と当然のように思う感受性になっています。また逆に、100個の望みを望んでそれらが10個叶ったところで1個心配事が起きたら、「ほら、こんなに安心をしていたから悪かったんだ心配をしている方が絶対にいい」とすぐに戻ろうとします。そのために、夢を叶えるコースでは、叶ったこと、良かったことを書き出させる工夫をするところも見受けます。自分が受け取ったものは忘れやすく、失ったものに対しては何倍ものインパクトで受け止めすぎてしまうからです。この不安に乗っ取られている状態のとき、不安を持たないこと自体が不安です。不安を持っているとそれだけで心が空っぽにならないですむし、心配をしているとそれだけで、意義があるような気がしたり慣れているから心配をしている方がなじんでいたり。でも、不安はリスクマネジメントではありません。リスクマネジメントは、必要なことはして、あとはそれをほおっておいて、必要なことをしていく、ということですが、不安はこれをしてもあれをしても不安更にもっとしないと不安、選んでも不安、さらにもっともっと不必要な行動を選ばせてしまいます。それらをしてもうまくいかない、という連鎖になっていきます。成功なり得られるスピードが速い人々はその、選ぶものが明確で、選ばないものも明確ではあるのです。これをしたらもうここは悩まないという決意はどんな結果を生むか、経験をしてみる必要があることでしょう。何分か何日かだけ悩んで後はほっておくか決めてしまって他のことをするか、選択をしたらそれでよしとする、すこしの不具合があっても大丈夫と言う勇気を持とうとすることで、状況は改善をすることもあります。また長い目で見ると、過去にあったはずの問題も解消をされていっています。この不安があっても大丈夫、という工夫は、最初は怖すぎることかもしれませんが慣れてくると、どんなに自分の不安が人生を損なっているかもわかっていきます。そういった不安があってもそこからどんどん幻想を生まない工夫は、人生の質を上げるばかりか、周りの人にも動揺をさせていたのが収まって豊かな関係性も築けることでしょう。何か心配があるときには、「これをしないとこうなる」「ああなる、どうするの?」と不安を事実として自分の身近な人にぶつけるのではなく、「自分はこういう場合に不安になるから、すこしほっておいてほしい」「大丈夫だと落ち着く工夫をするから、こういう助けがほしい」というように落ち着く方の助けをかりないとならないときもあります。さて、引き寄せ何ですが、自然に引き寄せているというのが法則として伝えられているところです。不安がってばかりいないと、その力を十分に使えるということも納得がいきます。不必要なものを選ばないからです。ものをため込んでごみ屋敷にしてしまった人々は物を一個でも捨てたら無駄になる、もったいない後から使えたのに、と後悔をするのも嫌だし、そこに起っているものも自分のものにしたい、といったさまざまな感情で何がいるかいらないか、わからない状態に陥ってしまったこともあるのでしょう。人間は、不必要なものを捨てるほうが、不必要なものをため込むよりも難しいのかもしれません。――――――――――――自分の人生を変えている癖を見つけ出して改善をします。http://www.acoreading.com
2016.03.07
わたしらしさ、と わたしの要求わたしらしさとわたしの要求、というのは、とても区別がつきにくいものです。わたしらしさは人とのもめごとを起こさないものですが、わたしの要求は人との葛藤を起こしがちです。わたしらしさは受け入れられるものなのに、わたしはこういうもので受け入れられないと信じて起こしている要求は受け入れられなかったりもします。わたしの要求の中には、「こうじゃないと幸せじゃない」という強い思い込みが入っていたりもします。幼いときから、満たされていない思いも入っているのかもしれません。わたしらしさ、というのにも、誤解があって、幼い時の印象のままで人はいるのですが、頑張り屋だと思っていた自分が、いがいと、のんびり屋だったり、のんびり屋だと思っていた自分に、とても頑張る面が隠れていたりもします。こういう自分だからこうとしか生きられない、という思い込みの逆にもう育ってなっているのに、気が付かづにいることもあります。気が付きたくないこともある、と言った方がいいかもしれません。実は自分の力を信じないことが葛藤を起こしているのではなく、自分にもう力がついているのに、弱い自分を認めて、と周りに頼っている姿が不自然で、人との葛藤を起こしていることもあります。自分が強すぎると信じている人々の意見がとてもあいまいでしっかりいえていないことが、葛藤を起こしていることもあります。愛や思いやりがふとした楽しさに根差すものではなくなっていくならばそれは、自分らしくはない方法にとらわれ過ぎてもいるのです。自分自身を信じる、ということは、自分がいいな、と思ったり正義だと思ったことが素直に表現を出来る状態です。その過程では、今まで自分はこういう人の方が強いと思っていたり何かの信じ込みで、親に似た人に権威を与えすぎているものを取り戻さないとならなくなります。周りはこういう非難をするから、その非難を避けようと思っていたけれど実は非難をしている人々は、世間ではそれほど意見を取り入れられていないのに自分の方がしっかりと意見を聞き届けられるのに、自分がその人たちを怖がっていたりもします。あなた自身を取り戻す、ということは、とてもとても深い作業ではあるのですが、その旅先では、喜びに満たされる発見が多く隠されていますし取り戻していくほど、客観的に世の中を見渡せる視野も取り戻してはいけるものには思います。自分自身を取り戻すためにhttp://www.acoreading.com
2016.03.07
先ほどの文章の続きですがということは、逆も言えます。何か全く新しい仕事をしたい場合、ある行動がうまく行き始めるまで、自分がそれを続けられるかどうか、というのは、非常にカギになります。もし、続けられないようであるならば、その事業は向いてはいないです。他の、続けたいなと思えるものを選んでみるのも手かもしれません。実はお金が入ったら頑張れると思っても実際に頑張れないのであれば、その人は自分が思う程、お金が儲かるから頑張れるわけではなさそうです。温かな人間関係や、信頼できるところで仕事がしたいとか、もっと好きな分野の方が向いているとか穏やかなしごとであれば続けられるなど、もっと自分が頑張れるものが他のあるのでしょう。自分の資質を無視して頑張ろうとした場合うまくいかないのですが、それは根性の問題ではなくて自分の資質をしっかりととらえていないことが原因であることもあるでしょう。またその人のくせもあって、ちょっとしたことですぐにやめたくなるのは、不必要にショックを受けすぎるなどの癖があるのかもしれませんね。繰り返されることが起きる場合、自分の資質と向き合ってください、というメッセージでもあるのです自分の資質を無視をして、根性論や理想論、常識にとらわれ過ぎているのかもしれません。--------------自分の資質が分かって行きます。http://www.acoreading.com
2016.03.01
最初のマーケティング個人の事業をされて成功をしていく場合は、最初は気軽に試してみる、ということが出来ることが望ましいです。たとえば最初に売る相手を見つけ、対象者を見つけ、そこにアプローチをかける、というのは正しいことなのですが。「アバウトなイメージで」こういう人に話しかけるというのは、まだまだ、経験が必要な段階なんですね。だから、『これがこう売れるはずだ』と言うものが売れないのであれば、まだまだいろいろ変更が必要か経験と感覚がもう少し培われる必要があると思ってください。動きながらそれらを得ていく必要があるのです。たとえばあるジュースを売る、とします・まだ売ったことがない場合、「頭で」「こういう味の、こういったものが売れるはず」というのを打ち出して売っていくんですね。資料とか見てです。しかし、実際にそれを「売ろうとして」経験をすると、こういう気温の時にはこれが売れるとか、売れないとか、「感覚として」わかっていきます。資料にはなかったものが「確かにそういうものがある」というのが感覚でわかります。ただの頭の知識だったものが、色々細かく「関西だとこの酸っぱさは何パーセント入ると売れて東京だと酸っぱさより甘いのが売れる」とか、(甘さ酸っぱさのデータは、ほんとうではありませんが仮にです)経験でしっかりわかってくるんですね。なので、最初の段階は、どんなに教えられてもマーケティングをしても、「気軽にやって」「気軽に同時並行で複数にアプローチをかけ」「気軽に変更」をしていく必要があります。その中で経験値がこれだ、というのが出てきます。ストレス値の問題なのですが、「最初から頭で成功をしようと熟考をする、計画を完全にする」タイプの方は、経験のない、新しい分野での個人事業としては、難しいところがあります。あるいは、そういうふうに計画にこだわっている時期にはうまくいかないことがあります、動きながら経験をしながら変更をする、ということはどうしても最初の段階で、新しい分野でやっていくためには、必要なようです。自分の経験がない新しい分野で成功をしていくためには、完璧な企画よりも動きながらの修正をということです。-------------------貴方の中の成功法則を見つけます。http://www.acoreading.com
2016.03.01
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