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自分だけは大丈夫だと思った、それは、時には危険な考え方なのかもしれません。しかし、自分は大丈夫だと思う、それが力になることもあります。大事なのは、大丈夫だと思う安心感を持つこととしかし同時に、怖いことも見てみる勇気を持つこと、そして、なにかあった時にそれを乗り越えて再び大丈夫だ、と思うことです。ネガティブばかりの考え方には、人生や周りの人の幸せをとどめる偏りが出てきます。自分に起きていることを完全に無視をしてしまうと、それはポジティブではなくて、何かを見たくない恐怖心が見せている幻影の中に生きることになります。美しいかもしれないけれど一枚膜が張ったような、鮮やかであいまいな世界にいます。マイナスを認めて大丈夫だと信じることを繰り返ししてきたポジティブには強さがあり、マイナスを認めて大丈夫だと信じることを繰り返してきたネガティブには知恵があります。http://www.acoreading.com
2016.08.31
ある人がいて、間違った方法でかかわってくるのであれば勇気をもって、その方法では助けないよ、とすることは、とても大事なことなのです。幼少期からのトラウマにより、それができない部分に、誤った関係ができていきます。例えば、なにか愚痴ばかりを言う人がいる、として、その人の悪口を聞いていないと、相手から恨まれる感じがする、としてそれは母親との関係でできており、だから怖いから聞いている、すると、必ず、そういった愚痴を言う人と縁ができていきます。愚痴を聞いて、慰めるのを思い切ってやめてみると自分自身を取り戻せることがあることでしょう。そうして初めて、自分の心の中で「愚痴を言う人が気になった=関心があった」から無意識に引き寄せてきた関係を、違う関係へ意識を向けていく準備段階になります。しかし非常にこれは大変なことなのですが、この、意識をこちらに向けない、という言葉は、無意識が抵抗をしている場合、全く聞き漏らします。何度言ってもそこは聞き漏らします。「愚痴を相手が言ったときに、相槌程度にして、こころを穏やかに自分が好きなことに気を向ける、そうですねー」という感じで、「それで、愚痴を言う人がいやでどうしましょうか」というようにそちらに100%、意識が言っています。恋愛でもそうなんですがそちらに意識が向いている、ということは無意識にやはり、そちらに気が向いているのでそういった人々ばかりとお付き合いをすることにはなります。ある人がいて、その人を、正しくない方法で助けないようにすることはとても大切なことなのです。そして幼少期に、その正しい方法でかかわるというのが、全く記憶にないと、どうしていいのかわからない面はあります。http://www.acoreading.com
2016.08.31
好きなことをして生きる、ということは、とても楽しい道に思えるでしょ?でも実は、とても勇気がいる道だと思うんです。だって、好きなことなんだよ?非難をされたら怖いでしょ?会社で自分が好きでもなくて作っているものがあった、としてそれが非難をされても、人はあまり、怖くなはいのです。だけれど、自分が心を込めて描いた絵だよ。心を込めて作った本だよ。こころを込めて探した方法だよ。それが非難をされるわけだ。とても怖いんです。だから好きなことをして生きている人々は、時々、その怖さを、乗り越えてきたのかもしれません。「こういうのが通常の方法ではないのかな~」とか、そういう誘惑が定期的に来ては乗り越え、乗り越えては強くなり乗り越えるたびによいことがおきる、よいことが起きて教えてくれる、だから人生が、「ああ、後押しされているんだな~」と学び続ける道を選んだ、ということだと思うのです。あなたがもし、幼稚園で、つまらないままごとをしていたとして、それを「やーい、やーい、ままごとだ」と言われたとして「そうだよままごとなんて本当にいやだったよ、本当にやだ」と思うとしても、それはいやにはいやかもしれないけれど、本当によいなあ、ままごとって楽しいなあ、と思っていて言われたときの心の痛さを考えてみましょう。「もう二度としない」と決意をするのではないでしょうか。好きなことだから、だから心が痛いのです。だからなんです。皆さんはだから、だから、好きなことをしようとするときにこんなにも怖いのです。こんなにもすんなりできないのです。こんなにも回り道をしたり、言い訳をしたりするのです。好きなことをしたいならば。一歩踏んでは一歩踏みしめそうしてそうして歩んでいく、だけれど、その時に自分が進むのが怖いから人を見ては非難をしたり、人とあらそいをしたり、そうやって目をそらせてその道を選ばないように、怖さは頑張っています。怖さは、こういいます。「準備準備、きっと問題が解決できたらできるからね」とそうして足を使って踏みしめなくなるのです。そこに乗らずそこに目を向けず経験を積んで少しづつ解放が起きて強くなりそうして徐々にできていって、しかしそれをするときには人生の後押しがあり、そうやりながら探す道を選ぶ人、そういった人々が実現をしています。そして好きなこと、というのは、わくわくとは違います。また、「自尊心が満たされる」華やかなこととも、時には、違うかもしれません。華やかなお仕事でさえ、してみると、とても地道なことに気が付くでしょう。手にして経験をして、ああこれなのか、そうだったんだねとすこしつづ明かされる扉のようなものなのかもしれません。抵抗からではなく、どうぞ心に聞いてみてください。これじゃない、という抵抗は、自分の中に作り出して幻影でもあるのです。これじゃない、これでもない、という強い抵抗感に耳を貸さなくてよいのです。それは、何をしても不満だという自分のこころの癖なのかもしれません。どうぞそれにとらわれずにそこを超えてこころの奥底にある静かな声を聴いてみましょう。そこを否定したり無理にポジティブにしてではなくて、超えて、です。全然違う深い意味です。好きなことを自尊心が満たされることに設定をするとまるで人生はジェットコースターのようです。気分があがり、そして下がり、そしてよい自分を見せていないと下がり続けるたり、よい自分を見せ続けるということになることもあるでしょう。けれど手にしたものから、ああこれが穏やかになれるななにか人生がいけといってくれているな、というものを手を取って選ぶとき、人は穏やかさの中にいられるのかもしれません。そうして実際にそちらに生き始めると、それは面白いつながりを見えることもあります。そしてそれは、案外早くに現れたりもします。http://www.acoreading.com
2016.08.29
皆さんが人生相談をされるとき、あるいは何かで悩んでいるとき、どんなアドバイスを生かしも殺しもできると思います。そしてあなたに合った回答を探せるとしたら、「自分の意思を使うこと」は、不可欠です。通常、意思というのはとてもわかりにくく、自分の思いだと思っているものが、世間体だったり親からの教えだったり、自分を止める力であることがあります。しかし、反対に自分がやされてもらえなかったから、意地になってやりたい気持ちがあるので自分の意思が見えてこないことがあります。そういったものを整理をすることが、「潜在意識上の思い込みを整理をする」ということです。不思議なことに、そういったものに紛れずに自分の正義と自由をバランスよく判断ができるときには、「すがすがしさ」「幸せ」「これで良いという確信」を持つことができます。さらに良いものが引き寄せられたり、よい結果を生んだりもします。矛盾をしているようですが、上記のいずれかに紛れているときには考え込んでも、二つの考えを行ったり来たりするだけなので、感覚をきちんと使えるように(つまりこれがよいなあと穏やかに感じ取れる能力を遣えるように)なる整理が必要かとは思います。そういった本来の自分の本質からの回答、つまり本来の自分の中にある意思を確かめるために占いを使う、という意味では、どんな占いも、二つの意義をとらえてそれのバランスを取るという方法は、いかがでしょうか。例えば、今日は物質面に意識が行き過ぎている、というアドバイスがある、としたらそれをうのみにするのではなく、「自分にとって」は、物質的なことを考えすぎているのか、あるいは、「物質的なことを、あきらめ」すぎているのか、そういった二つの見方ができると思います。自分が、なにかこうしないとならないと思いすぎていると、依存をする卑屈さが生まれます。そこに力はなく、よい未来を生み出しにくくなります。そうすると、占いに頼れば頼るほど、答えが見えずに不安定になることがあるのではないでしょうか。しかし、「こっちとこっちと、どっちを選ぶほうが自分に合っているんだろうか」と占いを見られる、としたら、あなたにあった素晴らしい回答が見いだせることもあるでしょう。思い込みにけがされていない自由な意思、それは、自分の中の正義と、そして、自由さとのバランスだと思いますが、それを取れる時波動の乱れが収まるので、(波動の乱れ、というのは、自信が持てないことによって生じる、感情的な不安定のことですが)よりよい道を選ぶことができるでしょう。http://www.acoreading.com
2016.08.26
その人の伸びる力を信じる、ということは、とても大切なことです。カウンセリングは、このことが体感をできるお仕事だと思うのです。そしてこの伸びる力を伸びるように援助するとしたら、その人に正しく向き合うということかなーと思います。例えば、他人を非難をしている人がいて、その見方も偏っているという人があなたの周りにいて、あなたがその人の、そういう部分をやめてほしい、と思うのに、話しても直らなかったりあるいは、その人を無理にわかってあげようとして自分が我慢をしたり、それらは双方ともに向き合うことではないのでしょう。その人が、その欠点ややり方は良しとしてそしてそのままもったまま、あなたはどうしたら成功をできますか。という深い問いかけとともにその人といるならば、その人自身から、「ああ、今までの見方は間違っていた」と見直しが始まっていくという事があります。そうして深い癒しの中で、その人の成長がまるで花を開くように始まることがあります。それは、深いレベルでのその人の自己の気付きであり、それは、表面のやさしさではなく、真の意味で受け入れられた愛を体感できるからなのかもしれません。真の意味での受け入れられる愛は、皆さんの想像する愛と違ってとても静かです。静かにしかし深く、その人を変えていくものです。しかし相手は、その愛にさえ、気づかないかもしれないものです。時としてそれは、とても自己を乗り越えていかないとできないことではあるのです。なぜなら相手の欠点は、あなたにとって許しがたいというか、大嫌いだったり、「いやいや、そんな見方をされると私もつらい」という自分の反応を乗り越えていかないとならないことなのかもしれないからです。真にあいてを受け入れる、ということは、自分を(というよりも、自分の中のさまざまな葛藤を)乗り越えないとできないことがある。それはとても興味深いことです。人類、という大きな枠を見た時に、さまざまな問題は、すべて、よい悪い、という判断から片方が片方に押し付け、そして双方がともにいられなかった社会から発しているようにも思います。それは家族にも起こるだろうし、あるいはある国が国民に押し付けることから始まるかもしれません。それは、あらゆる場で起きている葛藤の数々です。真の意味での平和の達成は、ただたんに理想として相手にやさしいだけではなく、違いを誤魔化すことなく見つめたうえで、真剣に双方の利益と成長を求めて認め合うという作業が不可欠ということもあるでしょう。、そしてそこには、相手方も自分自身の弱さや、今までの生き方の改善だったり、自己の中の葛藤を認める、という作業も必要とされるのでしょう。http://www.acoreading.com
2016.08.25
人は問題の解決を求めていると思いがちですが、じつは問題を見続ける、という癖に縛られていることも、多いようです。例えば、その人が、仕事が遅いとして、「遅い、なんで遅いの、遅いじゃないの」と、遅いことだけを見てそこから離れられないようであれば、問題を見すぎな部分があるかもしれません。しかし、「遅いなあ、じゃあ、遅いのでいいんだけれどほかの仕事もしてもらうとか、いい方法があるかな」と探せる人であるといろんな場面で成功をしやすいとは思います。その問題はあってよい、と思うと、違う展開が見えてきます。そして実は、あわてていてそれを直さないと直さないと、と思っている人ほど回答が見えていません。そしてそこには、すごい抵抗がでますその抵抗は、「だってその人がこうだから、できないじゃない」というすごい強い当然だという思いです。これは脳が「新しい回答を選ばない」と無意識に選択をしているときに感じる抵抗です。例えば、その人をやっつけないと、自分は幸せではないと思い込んでいたら其れしか見えませんよね。それと同じようにじつは、あなたは、その人のその問題を解決をしようと意地にならないときにしか開けない扉があります。これは恋愛関係でも、仕事面でもそうなのです。ーーーーーー思い込みを外して、問題の解決を図るというのは、上記のように、とても意味があります。http://www.acoreading.com
2016.08.24
ここは記憶の片りんです。記憶の中に、南先生と、北先生がいました。お年を召していらして、とってもおばさん臭のある先生でした。北先生はものすごく美人な先生です。たぶんあこがれていたんではないでしょうか。さて記憶の中をたどっていくと、なんともないと思っていた北先生に冷たさを感じていたり、なんともないと思っていた南先生に愛着を感じていたり、という事があります。南先生は、その子があまりに忘れ物がおおいので、赤いリボンを、確か人差し指に結び付けてくれたのです。忘れ物は直らなかったけれど、でもそのリボンはなにかの象徴として、記憶の小さな小箱にしまわれていきました。そういった記憶の数々は、その子が求めているあたたかさ。その子が今後、本当になりたい人物や大切な何かをぶれないように、おしえてくれているのです。現在で迷ったことがあるときに、記憶はさまざまなことを教えてくれています。記憶は、自分が気づかないうちに正しい向き合いたい方向を教えてくれているのです。その子はやがて、仕事で迷いが出てきます。その迷いは、過剰に情熱的なところへ行って仕事をするけれどうまくいかない自分はどうしたらいいのか、わからなくなった、ということでした。その子はやがて、記憶の中から南先生を好きだった自分自身を取り戻します。きれいだと思っていた北先生に愛着を感じずなんともないと思っていた南先生への愛を取り戻したとき、その子は、自分が選び取るべき仕事を選び取ることができるのでした。潜在意識の会話は、みなさんが思う以上に象徴的です。イメージの世界で言語に上がらない世界です。そして皆さんが思う以上に、潜在している、つまり隠れているのです。その子が、北先生はきれいだと思っていたのに、北先生には愛着を感じていないと気が付いたとき、そして南先生には何か深いレベルでの愛を感じていると自覚をできたとき、その子が選び取った仕事は、やはり華やかな、情熱的な仕事でした。しかし今度は、前回と違って、ぶれなく、周りからこの仕事がいいから、と勧められた声にごまかされることなく、ここはこうする、ここはああする、とちゃんと言える力を取り戻したのです。きれいだと思った北先生に、自分は本当は愛着を感じておらずしかしなんともないと思った南先生に愛を感じているのを知った時彼女は自由に羽ばたける力を取り戻していけるのです。記憶の中にあるさまざまな景色は、イメージの中で言葉ではない美しい世界を奏でます。そしてその世界を取り戻したとき、それはおそらく自分自身がよいと思うものを自分で良いと思える自分の世界と自分への愛を取り戻した時なのです。なにかの新しい音楽が、その人の世界で開くことがあるのだと思います。聞かなくなった自分の生命のリズムに耳を傾けるのだと思います。その音を広げながら、その人の人生は豊かになります。そしてその豊かさは、経験をした人にしかわからない深みを持っているものです。年月を経て、その人たちは自分に戻っていきます。これこそが、人生なのではないでしょうか。http://www.acoreading.com
2016.08.24
よく、感覚を信じる、と言われていますが要は、自分から学べる、という事だと思うんです。例えば、私は、早口ですよね。何かを問われたら、返事が早いかもしれませんし反応速度は速いほうだと思います。またたぶんにせっかちな面持ち合わせています。しかし内面に、非常に静かなところがあり、ここに合わせているほうが楽だし、成功をしていきます。そして、同様に、興味があることは、怖くなくて飛び込む冒険性、というのは高いほうなのですが、このやりたいことをやってしまうとうまくいく、ということもあります。つまり、かなり仕事の速度は遅い(!!!) とうことなんですね。表面では動いているように見えても、かなりゆっくり進めて、しかし、着実な部分は頭では私はできないんです。そしてまた、何かのきっかけは、「焦って作る」のではなくて「これだ^やるぞぉ」というときに、うまくいっているということなのでしょう。考えではなくて、こっちのほうだなーというのに従っているそんな面もあります。ずっとずっと人生で、私は行動が早いほうなんだ、なんでもと思っていました。一つ学んで、それが好きなことであれば、早くに色々できてしまうし、けれども、本当の自分のリズムや、自分がうまくいく方向を学ぶこととなりました。さまざま経験をして、なにかうまくいかないときとうまくいくとき、それらの双方の経験を通して、だと思います。でもどうでしょうか。もし私が、「早くしないと」「すぐにしないとおいていかれる」といった信じ込みに操られたらこの表面上の、せっかちな部分を自分だと信じていたでしょう。そうして、いつもせっかちにしていて、冒険をしたいと思って成功をしているのも、早くやっているからだ、と誤解をしていたでしょうし、常に焦っている癖は直っていないかもしれません。大事な、私の成功の法則、「こういうやりたい気持ちの時には続く続けてしまう」ということがわからずに無理に頑張ったり、早くしたらなんでも成功をすると勘違いをしていたかもしれません。あるいは、どうでしょうか。もし私が、失敗したときにも何かを学べずにいて、同じ方法を使っていたらどうでしょうか。「次も同じ方法で、やっぱり焦ってチャンスをのがさずに頑張るんだ」としていたら、わたしは苦しいまま頑張る、という本来の自分とかけ離れたところで生きていたでしょうし、そこには成功はあったかもしれませんが、今のように自分に納得をした生き方はできていないでしょう。わたしの中で助けてくれる資質、それはゆったりとしたリズムに乗っていくことと、また理由なくちょっと無茶をしたりするのに成功をしたりする、その力を使うことが適切なのかもしれません。そういった資質は必ず人には隠れています。それは幼少期を聞けばわかります。例えばわたしであれば、高いところから飛び降りつという馬鹿な遊びに男の子の友達たちと凝ったことがあり。その凝っているときの感覚は、成功をしているときの感覚と似ています。さて、変な話なんですが、例えば、ゲームでも、キャラみたいなのがあるとしたら、「みんながいいと言われてるし、得点が稼げるもの」と「でも自分にとっては、扱いやすくて、そちらのほうを育てたほうがいいもの」みたいなのは、ないのでしょうか?それと同じだと思うんです。皆さんが、もし、「だって、自分に合うキャラよりも、一般的に良いと言われているほうがいいに決まっている」と決めつけていたら、じっさいにはあうキャラのほうが得点を伸ばせたり成功をしても、なかなかそれはわからないと思うんです。そうしたら、自分の中の成功法則は探せないかもしれません。時として人は、一つの良いと思う方法dけを続けようとします。そこに見直しができる、としたら、見直しをしないとならない、としたら、起きている出来事がうまくいっているかどうかや、本当にやりやすい方法なのか、気力が出ればやれるはず、という幻想で何年も待ってしまうのではなくて、やらないものはやらずにほかの方法でできないかを考えたりしてもいいでしょうし、ほかの第三者の意見、あるいは、違う種類の成功をしている方々を参考にしたり、気持がそれでほっとしている方向なのか、納得がいく方向なのか、などを見直す時ということも、あるでしょう。人の中には、まるできれいにおられた生地のように、複雑で繊細で美しい、縦糸と横糸があります。それらを読み取るためには、その人自身を深く見つめる必要があるように思います。そうして初めて、布のおられた各々の価値と、意味が分かります。そうです、それら一枚一枚が全然違う意味を持っているのですから。そしてそういった活動は、人生でも最も美しい感動的な、創作活動なのだと思うのです。http://www.acoreading.com
2016.08.20
皆さんが、これはうまくいかない、と思って、やめる「べき」なのか、と思うときって、まだ心が「やめる」というところまで行っていないんだと思います。どうしても、「べき」と思うけれども続けてしまうのであれば、「今やめられないんだな」と、とらえておいてください。そう認めてあげることが、一番解決が早いです。そうして、このことを学びとできるから、少し心に寄り添ってみよう、と勇気を持ってください。ほら、何かの出来事がおきて、「本当にこれはもうやめる」と動くときってあるじゃないですか?ちゃんと心は、方向を教えてくれるものです。時間を長引かせてしまうのは、ちゃんと気持ちを認めていないからです。例えば、不倫をしていて、どうにもいやな気分になっていてやめたん、とします。でも、とか、離婚をしてくれるのではないか、離婚をしなくても、もっともっと良い関係になるのではないか、と思いながらも、もし苦しいようであれば、まだ、双方向の極端な考えが浮かぶことでしょう。今日は離れようと思い、すっきりしたのに、瞬時寂しくなったり、そしてまた、怒りに満たされ、また別れようとおもい、また頑張らないとならないと思い、心は何をしていますか?双方向に向きながら、バランスを取ろうとしています。心というものは、必ずバランスをとっていくのですが、今まで、「こうすべきよね」「でもできない」「でもきっとこうできるはず」「なのにならない」「でもやっぱり」といったように、頭の中でこねくり回す習慣になっているためかえって時間が掛かることもあります。そうして双方の極端な気持に行きながら、ちゃんとバランスをとって一番良いほうに向こうとしています。その際に、男性であれば、なにかに打ち込んだほうが楽かもしれません。女性であれば、その揺れを話したくなるかもしれません。みなさんの時間が長引くのは、その気持ちに思考が挟まってきてしまうからではあるのです。ああ、双方に揺れているなあ、心が、それに勇気をもって寄り添えばいろんな発見があるのかもしれませんね。でも、「こっちはああなる」「あっちはこうなる」と未来予測ばかりしていて、保身に走っていて感じ取れないのかもしれませんね。それであれば、傷口をうまくいやせなくなることもあるでしょう。もしご友人の中で、なにか困った状態にありながらもそこから抜け出ないで歯がゆい思いをされている、としたら、心が揺れながらバランスをとっている、と考えてみるとどうでしょうか。そっちとこっち、バランスをとっているんだね、そうやってバランスを取りたいのに、うまく取れないで自分で絡まっていってしまっているなあ、と思うとその人のことが理解をできるかもしれません。そうしてこの人は、いったい何にまだ納得ができていないんだろうと思うと、いろんなことがわかってくるのかもしれません。http://www.acoreading.com
2016.08.20
聞いてほしい、と願えば願うほど、相手が聞いてくれない、という方々がおられます。心は不思議なもの。力を持っているのです。さて、聞かれないようにしている「こころ」とは、なんでしょうか。あなたがもし、どこかで、「こんな気持ちって持っちゃっダメなんだろうなあ」と、無意識に感じていると、絶対に聞いてくれない、という法則があります。その無意識に感じているという気持ちは、感じ取れませんがどうしてあるとわかるか、というと、反対をする人がいると心が非常に痛いことでわかります。通常は相手が何をいっても、心は意見の違いだけだと痛くないですよね。心が痛いのは、「そんなことを思ってはダメ」と自分が自分を責めているのがやまないためにほかの人の言葉によって自分が責める気持ちが浮き上がっていたいのです。例えば、会社で、「こういう仕事はするけれど、こういう仕事はしない」と思っている、とします。でも、無意識に、「そんな思いは社会で認められない」「きっとそういうのっていけないんじゃないか」という気持ちがあると、相手に、どうしたらわかってもらえますか、という話かたをするか、言いかけて相手がすごく機嫌よく受け入れてくれないと話をやめるか言っても相手が全面的に受け入れてくれないことを恨むかという心境になって心が痛いと思うんです。そうすると、中途半端に言うか、焦点がよくわからないでわかってくれという言い方をするか、何も本人が思うほど、全然伝えていないのにわかってくれと恨んでいるかとなるわけです。しかし、「ここまではするよ、でもこれはしないの、それがわたしのスタイルで、本当にそれがよいと思っていて本当に本当に本当に、それを心から心から心から私はいいんだ、気分いいなあ~」とおもえる人々は、それを言わなくても、相手からあまり突っ込まれなかったり、説明をするときには、とても簡潔です。「これはこうしますね、これはこうします。それで、ここはここまで受け入れますね」ととても親切に言えていて反感も買わないかもしれません。さあ、あなたは、なぜそれを自分に、許せずにいますか。それを許されずに、わがままだそんなこと思っちゃだめだ、とおしえられてきたのかもしれませんね。しかし、この心境が動くとき、どれほど穏やかでいても聞いてもらえるのかも、いずれ経験をしてもらいたいな、と思います。なぜならそれが、真実の、本質の願いだからです。話し方で整理をするとしたら、そうですね。「聞いてください、わかってください」「私がこうするのをあなたはで許してください」ではなくてわたしはこうする、こうしようと決めた、相手が違っても痛い気持を持たずにいいんだ、自分が許す、と腹にちゃんと決めることと、説明をするときには、なるべく簡潔にこうする、ということを説明よりも意思を伝えるほうをちゃんとする、ということと、理由は、相手にわかりやすく工夫をする、(わかってくださいという方の説明は、相手には不必要なことも多いので)聞いてもらえる場も増えることでしょう。------本質は常にあなたに道を教えてくれています。ACRでは、潜在意識から、言葉ではなく心によって貴方の本質の願いと自分を一致させていきます。http://www.acoreading.com
2016.08.19
少し私のことを 今回は、きちんとしたものの考え方をできるようになる力を開いた、というお話です。わたしの母は、弟だけをかわいがっていると私は信じていたので、とても愛されない、という感覚を持っていました。ただ、幸いだったのは、父とは葛藤がなかったためか、その部分は救いだったと思います。今はそういったものは整理をされて、弟をかわいがろうともそんな老母をかわいく思えますし、嫉妬やそういったものはあまりなくなりはしています。さて、、愛情の問題については、「いやな人」よりも、「助けてくれなかった優しい人」のことが問題になっていることがあり、それが記憶に上がってきて整理をすることがあります。それは通常、問題になっている関係者との関係とともに整理をしていくかあるいはそちらの整理がついてくるころ現れてくることも多いです。こういった、一見、意地悪で気になる人だけの問題ではなくて陰に隠れている記憶上の人のことを、「敵対者」と呼びます。そういった、自分を助けてくれなかった人への思いが何か残っていると、関係性では、私が見るところでは無関心な人いら立ちを覚えてたり、そういった人を何とか関心を持たせようとする部分があったり、お付き合いをしてもそういう部分はでてくることもあるのかもしれません。さて、先日、レベル2のクラスでお教えしていて、人数の加減で私も生徒さんに整理をしていただきました。すると、母も父のこともまあまあ整理も終わっているし、と思っているところ、「父が好き」という言葉を思っているという事が出てきました。とてもぴんと来たのですが、私自身は、本質的に、困ったことに、仕事に熱心ではありません。なにか宣伝をしなくても生きてこられたことがあるためですが、そして、お金のために宣伝ができない、という事があります。なのでこんなしょぼいブログを時々書くだけで、収入はきちんと挙げてこられる、という事がありました。それには、自分自身は引き寄せを本当に実践をしやすい体質なのでそういった法則を使っているからではあるようにも思います。しかし、いろんな生徒さんたちのために、今は、色々なマネジメントを学んでいます。。そうやって、カウンセリングをしっかりとした、土台を立ててあげたいし、きちんとしたものを作っていかないとと思っているからです。で、そういった新たな場に来ているために、「父が好き」という意味はとてもぴんときました。父親へは愛情が昔よりもずっと自覚できていますが、なので、今回は、愛情面に関しての整理とは思いませんでした。今回のこれは、自分の中で今まで不得意であった「ビジネス面でのしっかりした考え方」が開かれるための道筋であった気がします。なぜなら父親の態度を受け入れることを学ぶことは、社会性と何らか関係があることが多いからです。今まっでは、「人を中心の感じ取り方」「気持を中心に話をしてしまって、混乱をしがちな部分」がありました。けれども、生徒さんたちを伸ばしたり、ほかの人々にわかりやすく説明ができるように、「もっと客観的にわかりやすく物事を伝える力」が開かれていったように思います。さて、両親の嫌いな部分は、自分が使わなくなる部分です。たとえば威張る両親が嫌いであれば、きちんとよい部分をよい、という部分にかけが出たりします。そして、威張らなくていいところで威張ったりします。気弱なところが嫌いなどと思っていたら、ちゃんと自分の「これはしないほうがいいかも」という気持ちを感じ取れずに虚勢を張ってしまうなどのことがありえるでしょう。そのように、記憶にある自分が決めてしまったことを見なおすことは、方法次第では、とても魅力的なものでもあるのです。セミナーは自分自身もどんどん変われるので、今後が楽しみです。http://www.acoreading.com
2016.08.16
無料相談で、40代の方でご実家から家を出て彼ができたんだけれど、その彼が鬱になってしまい彼がご実家で今、ひきこもったような状態なのでしょうか。そこらへんは文章からの推測で明確ではありませんが。自分も不安定だ、どうしたら安定をできるのか、という事を無料相談にいただいていたのですが、それは大変ですね、。でもまず、ご実家を出る何らかのお考えがあって、何らかの決断をし、そして、彼できたことは、ご自身を評価して差し上げてください。一つよいことがあってよかったな、と思うのとこんなんでダメだと思うのとでは、今後の人生がとても変わっていきます。また、鬱になる、という彼であれば、ひょっとしたら心優しい面もあるのかもしれませんね。物事は考え方次第。欝という病気があるからこそ、一緒に向き合えることもあるかのかもしれません。欝なので、連絡がなくても、嫌われているというのではないわけですし、そういう状態なんだな、とどっしりしておくことも、できるのかもしれません。それと、老後が心配だ、という事を書いておられたのですが40代になると確かに色々お感じになるとは思います。でも、「彼が将来なんとかしてくれるだろう」という望みがあると、彼の状態によってグラグラしてしまうので、「将来、きっと良い道を探せるから、大丈夫、穏やかにしておこう」と思うことで乗り越えていけるおともあるでしょう。人は暗く暗く物事を考えてしまうと、ある道さえみえなくなるものです。でも、柔軟に道を開いていたら、いろんなことが起きうるのが人生ですから。ここから、あなただって、どんな仕事や会社との出会い、また人々との出会いがあるかは、わからないのです。心配をしすぎずにいると、案外、いろんな道が開ける方々もおられるものです。ーーーーーーーーーーー無料相談は現在、あまりお答えしていませんがacrsoudan(a)yahoo.co.jp にいただければ、気が付いたことがあれば日記に書きたく思います。http://www.acoreading.com
2016.08.16
あまりセッションのことは書かなくなりましたが心の迷子のみなさんが、自分自身と出会うように、ヒントになるよう、ご本人の許可をえて、セッションの様子を書くことにしました。ご相談者の方は、おきれいな方で、異性にももてないことはない、と思います。しかしいくつかの恋愛で、結局は最後にダメになったり一緒に住むことになってからあいてを好きではなくなったりという年月を経てきました。しかし40代にも入り、ご結婚にとても焦っておられて、焦って仕方がない、という事で、時々お見えになります。かなり、焦る癖は解けてきている面もあるものの、新しく好きな方ができて、そうするととても不安定になられます。先日のセッションでは、なんとなく直感的に彼女の過去の恋愛や、今までのことが浮かんでいました。なにか同じようなことを繰り返していて、まるで、恋愛をしたくはないか、のようです。ACRでは、行動をとてもよく観察をします。というのは、その人がいくら何かをしたい、と言っても、全然しなかったりうまくいかないのであれば、それはしたくない気持ちがかくれているかもしれないからです。なんとなく、何かが現れてくる印象がありました。セッションが始まり、過去にイメージと筋反射でさかのぼると、お母さんとお姉さんに一人前に扱われておらず、仲間に入れていない感じがするとのことでした。しかし詳しくお伺いをすると、そういうときには、「お母さんとお姉さんがこそこそ悪口を言っている」ということなので、「入りたい」と思っていたけれど、実は入りたくもない、という複雑な心理はあったようです。それはまるで彼女の恋愛のようでした。中に入りたいと大騒ぎするけれど、中に入っても、全然満たされずにいるだろうし、しかし、すごく人との縁に恋い焦がれている彼女自身です。ここでは少し整理をして、もう少し年齢を下がって似ているファイルを探します。さかのぼると、幼少期、彼女は、人の出入りが多いところで、お母様は階下で仕事をし、階段に彼女は座っていてたくさんの人々が出入りして気にかけてくれる、とのことでした。全然この像はいやなものではなくて、どちらかというとよい印象といったと思います。さて、みなさん、本当の気持は皆さんが思うよりも、ずっと隠れているのです。「お母さんが愛してくれなかった」「優しくなかった」「抱きしめられたかった」というのは、往々にして、ストーリ―と呼ばれるものであることがあります。そこに非常にこだわるのに、何をその年齢で考えても、癒されないということが、おありなのではないでしょうか。イメージで抱きしめられたところですっきりとはいかないこともあります。そういった「こんな風にされて寂しかった」という思い出もすごく大事なのですが、もっと深い心の整理には、気持は隠れていて、とても繊細なもののほうに隠れていることがあって、そういった事柄は、生活態度が変わっていくような、とても深い癒しをすることがあります。確かこの風景は全然悪くないし、と言っている彼女に、試しにそのお母様の職業を本屋さんみたいに、地味目の物にしてもらいますと、すると、「本当は周りに人がいないと、落ち着く」とほっとする感覚が出てきます。つまり、彼女は人がいて幸せだと思ったのに、ざわざわして落ち着いていないのです。落ち着いて平安な感覚が失われています。トラウマというのは、私は案外、逆に出るなという事もある、と感じています。華やかなものを求める彼女が、でもどんなに華やかな人々と付き合ってもうまくいかなかったり、寂しかったり。それは、とても華やかなお仕事をお母様が階下でされてそしてたくさんの人が出入りがあったから、何も問題がないと感じている彼女の印象に刻み込まれているようでした。本当は落ち着いて恋愛をしたくても、おちついて幼少期を過ごしたくても人がいっぱいいてざわざわしていて、そして寂しくない、よいと思っていても、心には何かが残っていたりします。さびしいと思っていた自分が、本当は落ち着きたいのに落ち着くことができずにいたんだ、そこに気が付いたときに、彼女は涙を流します。そう、本当は落ち着いた恋愛をしたいのに、方法がわからいのです。そして幼少期に気が付かなかったように、賑やかなところへいっては、なんとなく違うと思いながらも必死になってかかわってしまう面もおありだったのでしょう。この落ち着きが取り戻せると、人といる記憶が代わっていきます。先の、「お母さんとお姉さんが悪口を言っていて」「大人の話だから入れてくれなくて寂しいみたいで見ているけれど」「でも本当はいらない話なのに離れられない」という姿はまるで、恋愛で何かを求めて寂しくて大騒ぎをするけれどでも手に入ったところでいやになったり、手に入らずに遠ざけてしまう、不思議な行動をする彼女自身を見ているようでした。その記憶は、もう何日かセッションから経っているので記憶が定かではないのですが、その階段の見直しとともに変わっていた、と思います。なにか、一緒にいて楽しいんだけれど、自分で遊んでいるけれど、自分も仲間にいるといった感覚に変わったように思います。つまり、仲間に入れなくて、だけれど話題は関心がないのに、でもそこを見ていないとならないといった、しがみついている感覚は変わっていったようだったのかもしれません。(記憶があいまいです)過去のファイルの書き換えは、一つがきちんとできるとほかの時代をも感じ取り方が変わっていきます。そしてそれらは、とても安心をする気分がするものの、なにかは変わっていっても、確かに、ずっとその安心感は、保てるものではありません。引き戻されるのは、癖があるからです。そして人は変わりながらも左右に振られながらバランスを取ります(これについては書かないとならないですね)だから人は自分と出会い、安心をし、そして日常に帰りまたもとに戻り、そうやりながら、いろんなことを変えていくのです。でもそういった自己理解は、人にとって芯がしっかりとできるために、とても大切なものにも思うのです。ーーーーーーーーーこれはその方のセッションではなく、ほかの方の感想です。関係性で不安をお持ちでおられるので、それについてのセッションです。1回目のセッションでした。感想をいただき、許可をいただいて載せています。ただこの感覚が消えてしまうのではとご心配もされておられましたが、それはそれでいいのです。こころは色々見直しながらバランスを取りながら前に進みます。なにかカギはわかっているのですが、要は、本当は、「自分の本当の感情」にご自身でも触れられる方法を探したいのです。昨日はありがとうございます。現状は何も変わっていないのに、焦りがなくなってどこかに旅に行っていた自分が久振りに戻って来た感覚色んな事をごちゃごちゃにして考えず切り離せる感覚彼への執着が減った感覚自分の理想に近づく事が本当に出来るかもしれない感覚がありました。最近、朝起きると死にたくなるような(重いですね)辛く孤独な感覚があったのですが、それも今日はあまりなかったです。不思議な感覚でした。ありがとうございました。ーーーーーーーーーーーー本当の自分に触れ合う時間を提供をしています。http://www.acoreading.com
2016.08.16
お仕事でもなんでも、上手な方と、今がまだまだ伸びしろがある方がおられますよね。そして、何かをうまく成功をさせるためには、「相手の気持をわかっているかどうか」は、重要なものなのかもしれません。相手の(仕事ならばお客さんの)気持をわかることですね。それで、みなさんは、相手の気持ち、と思うものに自分の気持ちを混ぜて感じています。相手の気持だと思っているものは、じつは、「自分は相手がそう感じていると感じている自分の気持ち」なのです。例えば、「相手はこうしたら迷惑だろうな」、であれば、自分の怖さが混じりすぎていることがほとんどです。そのため、もう少し素直にいられる人のほうが、うまくいっている出来事があるかもしれません。相手の要望ではなく、「相手はきっとこれを求めているに違いない」という怖さを混ぜて、相手に与えているからなんだと思います。話変わりまして、男女が一緒に2泊3日過ごす、という番組があるのですが、先日、ノブシコブシの吉村さんと、馬場アナウンサーが一緒に過ごす、というのをしていました。彼は朝ごはんを作られるのが非常に嫌いだ、ということを表明をしていましたが、馬場さんは、たぶんお心づかいもあったのでしょう。朝ごはんを作ってしまったところ、吉村さんはすごい不機嫌になって、イライライライラしてシャワーを浴びて叫ぶ、というような感じで、女性たちの不評を買っていました。でもどうでしょうか。気を遣う女性であると、朝ごはんを作ることがよいことだ、と思って作ると思います。人というのは、一人ひとり、違うものですから、「女性というものはこういうものだ」と思い込んだり、「相手は(常識からいって)こういうのがいいだろう」と思ってもうまくいかないことがあります。そこはやってみて、違ったら、自分の常識をかえる、という方法ではないと、うまくいかないものです。これは恋愛でも当てはまります。しかし、頭の声、「これをしてほしいんだろう」「これはしてほしくないんだろう」というのが決まりすぎている方はうまくいかない場面でどうしたらよいか、わからなくなるようです。自分が何かを心配しすぎて、配慮しすぎるために相手の気持や要望がわからなくなるのと同様に、相手の気持がわからずに、押し付ける、というのも問題があります。相手に役に立つだろうと意見を言っても、相手がぐずぐずしているのであれば、「その人はちょっと違うことがひっかかっている」のですから、相手が聞いてくることに、耳を傾けてください。たいていは、「自分が答えたいこと」を答えていて相手は「違うところにとどまっている」こともあります。「あなたが答えたらよいだろうと思うこと」ではなくてもっとシンプルな質問をしていることが、ほとんどです。相手の気持がわからなくなるのは、「相手はこう思っているだろう、こう思っているはずだ、こういうのが常識だ」という感じ取り方がわからなくさせているのですが、それには、「配慮のし過ぎ」と、「配慮のしなさすぎ」があるという話を、しました。その二つを説明をすると、「相手が迷惑なはずだから」「やってあげないといけないはずだから」という配慮と、「相手にはこれを言えばわかるはず」という、強い気持ちなのだと思います。さて、その双方ともに、「自分の気持ち」が鏡を曇らせています。普段から、自分はどういった傾向があるのかを知っておいてください。「配慮のし過ぎ」か、「相手の気持がわからなくて、積極的に押しすぎ」かです。そして、人に気を遣いすぎるのであれば、「これは私が心配をしていることで相手はどの程度どうしてほしいのかわからないな」ということを知っておくことと、やってうまくいかない配慮は思い切って撤廃をしてもっと明るく役に立つものに変えていくことや、相手が自分のいう事を、理解はしても使わないようであるならば、「相手はもっと違うところに悩んで動けないようだな」ということを知ったうえで、どんどん思い浮かぶこれもあれもいい考えだ、伝えないと、という焦りはやり過ごして、その人にとって本当に役に立つ一歩をかみ砕いて、説明をシンプルにする必要があるかもしれません。http://www.acoreading.com
2016.08.12
それと、この方から質問がありました。「私は母の愛が受けられなかったのに、どうやって愛を学べるのですか?」といったご質問です。 それについてのメールでご連絡差し上げた答えです。(若干それに 付け加えていきます) 母の愛、というのは、とても暖かく、素晴らしいものではあるのですが、 しかし同時に、自分の中に取り戻せるものなのです。 母の愛があると、「自分の中に愛があることに気づきやすい」 のです。母の愛から、私たちは、自分の中にほしかった やさしさを取り出していくきっかけを学べます。 でも、もともと人の中には、愛があって、しかし 「自分と離れてしまうことで」この愛が見出しにくくなります。 そうして、母親から愛されないという苦境があれば、 長くそれが見いだせなくなります。 そのように母親から愛されない子供たちに多くの課題が 残されるのは事実ですが、しかし、 やはり自分の中に取り戻すことができるものです。 動物は平安ですよね、私たちが胎児のときに わたしたちは微生物と同じように、平安なんです。 ただただ泳いでいるのが、普通で。真っ白な悩みがない状態です。 それが愛です。愛に満たされている状態です。 私たちは平安の中にあり これが愛です。そうして、動物であれば、条件を付けずに そばに生き、そして尻尾を振り、お互いがお互いにやさしさを見出していきます。 ただただ安心だからです。安心という基礎があるからです。 でも、「母が愛してくれない、寂しい」と 母親から得ようと思ってそこにしか目がいかなくなる心境に はまってしまうことで、私たちは 長らくのあいだ、「自分の中の愛」を失うのです。 愛の問題は、ただ平安に作り出すことができなくて、 なにか違和感がありながら必死に追い求めることにあるのかもしれません。 まあ理屈はほどほどにして、愛を、経験をしていきましょう。 あなたがお母様からしか得られないと思っている限り そうですよね。でも、事実は、学ぶことができるのです。 あの平安を取り戻して、人と創ることができるのです。 ちなみに、私の母も幼少期、あなたのお母様と似た状態でした。 (母は、育児がどうしてわからなかったようで、私も幼少期は とてもつらい思いを私もしました。) (でも自分が経験をしているからこそ) 自分の中に愛を取り戻すというのはわかりにくいけれど 本当にできるんですよ。^^ 取り戻せば、多くの人々とあたたかな関係を取り戻したり 創りだすことが、できていきます。 今は私も母の愛がわかりますし、理屈ではなく 心から楽しいなと思える関係ではあるのです。 いろんなことが整理されると、「どうしていつも毎度こんなふうにするの?」という 考えもわかなくなりますし、(気にならなくなるので) いろんなことが自分のパズルとしてはまるとき、 人にはいろんなことがわかっていくこともあるのでしょう。 http://www.acoreading.com
2016.08.11
皆さま、こんにちは、 日頃、ブログを読んでくださってありがとうございます。 それで、久しぶりにセッションのことを書いてみたいと思います。 母親との癒着と愛情について、ですね。 なかなか最近は、いろんなことが起きても、それを書いたりせずにいました。 だんだんと、幸せなこと、楽しいことに意識がうつってきていたりしているので、 それから、セッションでの感動はたくさんあるのですが、なかなか文章にするのは、 体力がいって避けていたりもしました。 このセッションについては、ご本人からの許可をいただいたうえで書きます。 その方は、お母様と深い葛藤があります。 何をしても怒鳴られたり、一貫性のない感情をぶつけられるなど、 極度の恐怖心の中で彼女は育っておられています。 そのため、立派な学歴をお持ちになり、 そして、おきれいな方でいらして、しかしいつも つらい思いが抜けなかったり、異性とお付き合いがなかなか 始まらないということが、最初の、ご相談の主訴であったかもしれません。 彼女と接していて、気になったのは、「母親は変えられない」という 深い深いあきらめでした。どんなに記憶に接してそれをイメージでかえても、 「でも現実は、母は変わらない」ということにとても縛られておられました。 セッションを通して、私は、彼女の深い内面での整理にかかわっています。 そしてあるときに、心から、彼女が過去の出来事をイメージでかえられた時がありました。 「ああ、本当にこれは 自分自身が、たとえ母親がかわらなくても、この部分をこうすれば幸せだ」という ような内容であったように思います。このころから、セッションは彼女に 安心感を与えるようになっていった印象があります。 わたしにすればですが、 彼女の中で、変化が始まりました。誰かに愛されている、という 感覚を持てるようになり、絶対に自分は愛されない、という信じ込みから 誰かと心のつながりをもてるようになりました。 その関係は、残念ながら、結婚へつながるものではありませんでした。 しかし、彼女が愛される許可を得られたことは、 とても意義が深かった、と思います。 今回のセッションでは、その異性とうまくいかないことで、 自分は何をしてもきっとだめだ、という強い信じ込みに 戻っていることを整理しなければなりませんでした。 この、なにをしても、わたしだけは幸せになれない、という強い 信じこみは、深い絶望の淵に彼女を常に追いこんでいました。 これは過去、彼女がずっと抱えていた苦しい心境です。 彼女の中で、私は不幸だ、不幸だ、こんなにも、という 思いに苦しめられてきていて、 過去ではずっと鳴り響いてご自身を追い詰めていましたが それを再度整理をするような、そんな印象が私にはありました。 彼女の中で、生きていることはあまりに苦しく、つらいことでした。 そのセッションを通して、彼女は、「お母さんは何をしても変わらない」 =「母親が絶対に変わらないとならない」という強いこだわりというか、 潜在意識上では、「母親が幸せを持ってきてくれない限り嫌だ」という 強い信じ込みのようなものに触れることとなります。 それはあらゆる関係性のなかで、問題があるたびに「私は なぜ私だけこんなに」というように、内向をしていく癖と、つながっていると思います。 みなさんが同じ状況にあっていても、それぞれの信じ込みは違います。 例えば、「母はもう毒母だから、いらない、こんな人」と思っているのであれば、 この方は、母親から離れていこうとしています。 でも、「母がいやだけれど、母のせいで、前に進めない」と感じる 気持が多いのであれば、これはどんなに母親を嫌ってはいても 精神的にはつながりすぎていることがあるのかもしれません。 セッションで、 「母親が私に依存していると思っていましたが、私が母親に依存していることに気づきました。」とおっしゃっていて、実は、母親がいやでそれでも、 母親にやめてくれ、と言っている場合、自分はまだ、気持ちが離れていかない なにかはあることもあるでしょう。 彼女は書き換え(ACRで使う過去の見直し) の中で、「これをしてもいい感じがしない」というように おっしゃいました。書き換えで、その方があまり良い感じがしないものは まだ潜在意識が許していない、あるいは信じていない課題があるものなので、 そこから少しすすめます。そして彼女の中で、「母と私が違う」といったような 書き換えをして、それをご自身で納得がいくものとして、書き換えていかれました。 母親が記憶の中で、「ああ本当にそうね」と動き始める時、 ただのイメージで抱きしめられたりとか、愛を示したり、それはただのイメージです。 でもその方々が本当に、「そう、このイメージは本当にそう、起きるだろう」と 許してくれるものを探すとき、そこに素晴らしい変化があるのだと私は思います。 そして、「これはそう、本当にそう、ああそうだな」と思える記憶の書き換えは 初めてパワーを持ちます。というか、心が相当に楽になることもあります。 彼女の中で、愛は安心感であること、 親がどうであれ、それは自分の中で作り出せることを、 本当の愛を自分自身の中で探せるきっかけになったら素敵なことですよね。 多くの人々が探しても、行きつくことが難しい愛という感覚は、 (自分の中にある愛という感覚は、外に探すものではなくて) じつは心からの安心の中にしか探すことはできません。 そしてそれは、自分自身とつながった時に、 初めて得られるものでもあるのです。 彼女は、「前回のセッションで、幼少の記憶(映像)?の 中の母を消すことができたように思います。母は母のやるべきことを やるために自分の世界に帰ったと言ったと思います。」と メールでお送りくださいました。記憶を単なるイメージでかえることではなく、心がほっとする方向にかえるととてもパワフルです。これからどんどん、人との関係が変わっていくこともあるでしょう。http://www.acoreading.comhttp://www.acoreading.com
2016.08.11
人と人との関係では、過去の出来事をテーマにすることがあるかと 思います。 でも、よい関係性で育った方でも、うまくできないことがありますよね 親子関係がよいか悪いか、よりも、 自分の中にどういう感じ取り方の癖があるかのほうが 人との関係に永享をするとおろもあるのでしょう。 こういったことは、スピリチャルな世界では、 過去生、として扱うのかもしれません。 しかしACRでは、この個人がこの地上に生まれている以上、 自分が成長をする鍵も問題解決のカギもちゃんと渡されているはずですから、 現生の中で解決を図ります。 親子関係が悪くはないのに、うまくいかない事柄の中には、 「その家族に伝わっているやり方がうまくいかない」ということもあります。 例えばその家族では思いやりとして、「これはこうよくないと思う」と あまり言えない、とします。 でもその「個人」はそれぞれ、自分が生きたい姿をもって生まれてきています。 ですから、もし、きちんと接することが心地よいと感じている本質をもっていたら、 親がそれをしてくれないから、あまり自分に向き合ってくれていないから 愛されていないなー、あまり無関心だろうなーと感じていたりします。 つまり、「自分が求めているもの」と相手が違うものを与えてくれたとき、 なんとなく不安になって、なんとなく愛されていない気がします。 もしお子さんが、「そんなに面と向き合うのが自分にとっての資質」ではない場合には、 逆に面と向かってくる家族に生まれると、「無神経で私の 気持なんてどうでもいいんだ」と感じ取ります。 こういった不安や不満はとても小さなものなんです。 だから、小さなときには、ほかの楽しい思い出に紛れ込んでいきます。 でも、大事な関係を築こうと思ったときに、 その欲求不満はその相手に向かってしまいます。 例えば、面と向き合ってほしかったのに、向き合ってくれず きちんと接してくれていない、というのが 欲求不満だったとします。だけれど、それには全然気が付かず、 親が愛してくれているから満足していると 頭では思っています。 でも欲求不満は理想を作ろうとするときに出てきてしまいます。 でも、向き合ってほしいと思っていても、 家族で話してくれたという習慣がなければ、向き合って話すことには 不器用ですから、 そこに問題が生まれてきます。 お友達といて、今日はおなかの具合があまりよくなくて、 脂っこいものを食べたくはないのに、ちゃんと向き合って話をしたら心地よい 個性を持っているのに、それを見てこなかったからできなかったらどうなるでしょう? 「うん、何でもいいよ」と言って全然その人といて楽しめないとか、 なにか相手が「向き合ってくれていない」と感じます。 本当は自分が向き合う個性があるのに、忘れているのに。 そうして、 自分はあれほど、「昨日あんなに大変だって話しているのに(すごく 向き合っているつもり) なぜおなかが変だって気が付かないんだろう? (向き合ってくれないんだろう?」」などと、ほしいものを、 つくりだせないでいるのです。 そうして、ずっとそのことを考え続けて、 しつこくなります。なぜしつこくなるのか? 本当は面と向き合ってほしかったという幼少期の欲求不満があるからです。 なぜそれなのに下手な方法しかできないのか? 人は見てきた方法を自然と使ってしまって、ほかの発想ができないからです。 言いたいことは、よい家族ではあっても、個性の違いがある以上 欲求不満があったりします。その欲求不満を、 理想的な関係を持とうと思ったときに、相手に見てしまう、それが投影です。 そして、その人は、「自分の個性をちゃんと愛してくれる方法」をわからないとならないのに それができずに、しかしそうしてほしい、とこだわる、いう変なことをしている、 ということなんですね。 この、自分が受け入れられたかった姿を見出すことが その人の本質を探すことです。これは本人が気が付かないもので それに触れると、とてもほっとするでしょう? セッションではかなりほっとしますよね。 そして、色々変わっていきますよね。 そして、この、間違った方法だけを使うのの教育をするのが、 行動の見直しです この、間違った方法だけを使ってしまう心の癖を見ていくのが 思い込みや潜在意識のブロックを解消をしていくということです。 http://www.acoreading.com
2016.08.10
そういう方もおられるでしょう? 子育ては、楽しいけれど、大変ですよね、 大丈夫よ。誰でもあることだから。 完璧なお母さんを目指さなくていいんです。 これもあれもしないと不完全な子に育つ、なんて 極端すぎます。できることをして、できないときもあってよくて、 そして何よりもあなたも休みを取ることは とても大切なこと。 「これもあれもしないと」という考え方から 「これはして」「これはしなくてよいかも」という感じ取り方へ それから、栄養学は子育てほど当てはまらないものはありません。 ものすごい小食なのに、ちゃんと立派に育つお子さんは山ほどですし、 小食で小さいのは、中学生ぐらいからようやく身長が伸びる、 という遺伝的な体質もあります。 子育ては1人目がとても大変。それは手を抜けないからです。 2一目、3人目になると手を抜いても大丈夫だと気が付いたり あるいは育児経験者の年配の方にも、頼ってもいいかもしれませんね。 ーーーーーーーーーーーーー 子育てのときには、親がどうであったかを参照にしている面が大きいのです。 そのため、イライラして育てられていると、やっぱり その「感情」がでてきやすいです。 完全ではないからダメなんだ、という極端な感じ取り方は ひょっとしたら、お母様の再現かもしれませんね。^^ なので、感情のプログラムを変えていく必要があるのかもしれません。 http://www.acoreading.com
2016.08.10
もしあなたが、違う世界に生きたい、としたら、 違う人々に出会いたい、としたら、 ほんの少しだけ、リスクを取らないとならないのかもしれません。 今までの考え方の癖で、「相手が受け入れてくれない限り 自分は何かをしない」とか、 「相手が受け入れてくれるように、全部おかしな行動をチェックをして それがいいといえるならば行動をする」という考え方 (恐怖心が操っている考え方)では、 どうしても新しいものを作り出すことができないからです。 考え方として、「これをやってみて、次をやってみる」という考え方を ほんの、ほんの、すこーしだけしてみることが、 それを続けることが、引き寄せの法則にちょっと関係があります。 それにみなさん誤解をしておられるんですが 恐怖心が作り出す、この人もあの人も、こんなにこわいというのって 相手はそれほど思っていないんです。 そのため、自分が作り出している想像の映像と 知らないとならない、というか ちょっとやってみて、安心をしていい、という許可を出すために何をするか と考えることが、安心をして引き寄せる方向で、 やらずにずっと、不安がっている、のであれば 「この不安が私を動かしているなあ」とそこから動かないでおいてください。 そこから動いてしまうのは、「だって真実だから これもあれもしないと」と走り込むような、ずっと考え続けるような 自動的な動き方に支配をされることです。 かといって、「この不安を止めるために、大丈夫だと言い続けよう、とか できる、と言い続けよう、というのは、気分が悪いならば 間違っている方法だからやらないようにね 不安を否定すると変なことになります。 あるけれどあるんだなーで認めてあげる、でもそれはそれ 感情と知ってその怖さががあるな、すごいな、これ、と感じてみる そこに体を動かすなどの、感情を受け入れて何かの作業をする、です。 「この不安が私を動かしているなあ、さて体を動かそう 気を紛らそう、大丈夫だ、ちょっとだけ、ちょっとだけやってみて 気にしない訓練をしよう、小さなことだけでいい、後は心配をしていいか」というのは すごく未来をひらくかもしれませんね。 というか、実は、それができたら、何でも達成できちゃったりして。 ------------ 行動のプログラムを変えていきます。 自分自身に気づきながら http://www.acoreading.com
2016.08.10
お付き合いを何年もしてきて、連絡が減ると、心配だと思います。 その理由を聞いたらいいのか、いけないのか。 悩むところですよね。 さて、大事なのは、 相手の気持は相手が決める、ということです。 理由がわかろうとわかるまいと、相手が決めます。 そこを踏まえないと対応が変になります。 そして、それは、やはり自分が悪いから、ではなく 自然に起きてくることとして、とらえられるかどうかは重要です。 まあ、通常は忙しいだけ、なんてこともよくありますよね。 なーんだ、忙しいんだ、忙しいと連絡が来なくなるんだなーなんて 気が付くこともあります。 近日、あまりメールが来ないから心配、といったところで、 何か距離を取りたくなる明確な理由が帰ってくる、としたら、 彼はまだ、何かを整理をしようとしているのだし、 理由を聞いても、帰ってこないのであれば、 自分の変化に彼が気が付かないでいることもあります。 そういうとき、男性は仕事をしたりして、何かに熱中をしていくと 自分の気持ちがふとわかっていきます。 そういうところで、 もう少し自分の気持ちが変化をしているのに彼自身が気が付く 時間が必要だったり、 もう少し整理に時間が必要なこともあります。 なんとなく別れを決めているときにも やはり返事はかえられないこともあるでしょう。 女性にとってはそれは失礼なことかもしれませんが 男性にとっては、別れを決めてから話し合うのは、あまりしたがらないこともあります。 ということで、聞いても聞かなくても、 少し時間をおいて、みましょう。 いろいろ調整をしたいことがあるならば、メールは 短めがいと思います。 メールの文章がすごく長い人は、自分の思いだけを押し付けてしまうので 恋愛が下手だったりします。 長い文章は「自分の気持ち」ではあるのだけれど 気持だけが大事になりすぎているのかもしれませんし、 自分の気持ちが感情的になればなるほど、案外伝わらないものです。 大事なのは、「理屈」ではなくて、「こうしてみたい」という意欲だけなのかも しれませんしね。「何かあるなら話し合いたいな」とか、 「今後もうまくいったらいいな、と思っている」それで十分ではないでしょうか。 彼が同じ気持ちが少しでもあるならば そのことは話し合わずとも、ちゃんと色々パズルははまることがあります。 相手の気持を何が何でも変えてやる、というのが 過剰になるとストーカー、 自分がどうしたいのか、意思を伝えないままに、 恨みやつらみや負の感情にとらわれてしまうと、 少し相手からは、近づきにくい気は発するかもしれません。 また、「ああ、もうだめだー」と感じがちで 常にあきらめがちだと、片思い、友人以上、恋人未満、 というのが、多くなりますよね。身の回りに。 そういう気力なんだと思います。 自分のことばかり責めて、うまくできないのは、自分のせいだと 考えすぎたりしてしまうのであれば やはり相手にも意思があって、自分とは関係なく色々な選びがあることを 受け止めないと、次の恋愛が始まるのは、遅くはなります。 というのは、自分を責めている方々がそれが改善をすると 彼が見つかることがあるので、相関関係はあると思います。 http://www.acoreading.com
2016.08.05
セッション中に「それは深い内容ですから、ブログに書いてほしい」という依頼を受けて、 、、、忘れちゃったんですよね、内容を。 もう [とりあたま] (と子供たちに言われる) ばかばか、わたし。 それで、ヒントをその方からいただいて、何を私言いましたっけ、ということで メールを差し上げると、 「自分は自分でいいという安心感があればすごくいいのにという思いから、 それを得るにはどうしたらいいですか??という質問をしたように思います。 私が書いたメモには、「自分がやりたいことをやってないから受け入れられない」と 書いてあります。」 なんだけど、セッションのメモを見直しても、私の字は汚いし。(汗) で、記憶をたどるに、その方は会話が上手ではない、ということで それで、お父様との記憶で神社に父親から自分を連れだしてほしくて でも言えてなくて。だから神社に誘ってくれないみたいに怒っていて。 しかし、本当には気が付かないうちに、「受験の話をしたかった」ということに 記憶の中で、確か気が付きました。そうだ、こんな話をしたかったんだ。 と気が付かれたように記憶をしています。 話が上手ではない方々の中には、 「自分が話したいこと」がまったく出てこない方がおられます。 本当にこうしたいな、というのが感じ取れないので 相手との関係で、何かをわからせようとこだわることがあります。 そして話したいのにそれが内容がわからないと、 「なぜ神社に一緒に行ってくれないんだ」みたいなほかのことで すごくこだわることがあります。 だけど、ああ神社に行って受験のこと、話していたいなーと 素直に明るく感じられる感受性を取り戻せた、としたら その人の対人関係はとても変わっていきます。 相手は受け入れてくれない、ほらね ちゃんと聞いてくれない、ほらね、いやだ、という、 感受性から本当の癒しを得て 「ああ、これこうしたいな」と素直に言える感受性へ 暗い世界から明るい世界へ 信じ込んできたつながれない孤独から人とつながる豊かさへ 要は皆さんがこだわることって、本当に話したいことではないから すごく相手にこだわってしまったり。 じっさいに本質がしたいことってシンプルで気軽なことなんですね。 それで、自分は自分でいいのに、というのは 何か謝ることと関係があったように思うんです。 その方が謝りたいとか、でもよく思ってもらえるかな、とか。 たしかそんなことから話をしたのかもしれません。 じつは恋愛が上手な人って、会話が上手な気がするんです。 要容とかそんなことを皆さん気にされるけれど、案外、素敵な彼を連れている人って そんなスーパー何とか、ではなくても、なんてことはよくあるものです。 わたしのいう会話が上手は、技術とか、 何でも言うわがままとかそういうことではなくて、 しかも、言わない選択もあるかもしれません。 例えば、「今日はお味噌汁を食べようかな」「こういうのがいいな」と 自分がよいと思えるものをあたたかく受け止めている人は、 おそらく恋愛が上手です。 しかし、関係のないことをどんどんいうのに とてもシンプルに自分の何かを伝えられない人は、わかってもらえない 元気タイプ、 隠している人々は、何か孤独な人々です。 いつもいつも受け入れられていない感覚が付きまとうかもしれません。 それで謝ることを、もし、「相手がどう思うのかなあ」と思っていると 自分は自分でいていいという許可は出せないんです。 こういう理由で謝りたいな、それが正解だと思うんだ、と思えて 目をちゃんと見て、これってよくなかった、私が謝りたいからご免、 といえる人は、自分が自分でいていい感覚を得ているはずです。 あるいは謝らなくてもよくて、これってこういうので いいよね、言わなくても。とちゃんと自信を持てていることが大事なのです。 短くていいんです。そうだ、これが自分にとって大事なこと。 それをあたたかく大事にしている人は、。とてもさわやかです。 言うことが重要なのではありません。謝る必要がないな これは小さなことであいてをかえって惑わしてしまう、そんな判断をすることもあります。 だから、どちらを選ぶか、何をするか、ではなく、 「自分はこうするとよいと思うなー」と思えて、それにたいして あたたかな感覚を持てる能力が、自分が受け入れられている感覚で その感覚がある人は、引き寄せるんです。受け入れられる、を、引き寄せる、んです。 人にはいろんな欠点もあるけれど、そう、完全じゃない、でも ちゃんと自分がいいなあ、と思うことがのびのびできていて すると、自然と受け止められたることがでてきます。 素直人々は、それを体験をしています。 そんな経験が、自分を受け入れている感覚です。 自分が自分でいられるように、居場所やそうしてくれる相手を人は、求めるけれど、 自分ができないことは、相手にしてもらえることはできません。 自分の心の中で、そういった能力が培われて、そうして そういう人々がやってくるのかもしれません。 ほんのちょっと、ほんのちょっと、これがいいな、って思えるんだよ これを選ぶんだよ、と、心から自分を許しをあたたかく感じていることができれば、 徐々に人との関係を必取り戻していけるものです。 こわければ、これがいいとおもえて怖いけれど 人が怖いけれど、まあいいと思うのを取り戻していこうね そう優しく自分に語りかけるだけでもいいのではありませんか。 これが引き寄せの法則です。まず自分がその感覚を感じている というのが、法則ですよね? ーーーーーーーーーー 潜在意識の誤った無意識を整理します。 http://www.acoreading.com
2016.08.04
うちの息子のセッションをしておりまして、 彼が仕事で動けなくなったので 幼少期の記憶がでてきて、3歳かなんかの時に 絵を描いたのを、ほめられたんですって。 それで、「ほめられた途端にやる気がなくなった」ということで その開放をしました。 結果、仕事のやる気がバリバリとわいてきて やっぱり若い子(23歳)は早いですね、結果がでるのが。 要はこういうことです。彼はこの記憶を忘れていたんだけれど、 「褒められる」=「俺の生き方はダメで、こういう絵をかいたら褒められるんだ」 と、自分を裏切って、「期待をされるとそうしないとならないと 考える癖がでた」ので、 その癖がでると、「もう動きたくない」という習慣を始めた年齢ということで こんなこともあります。 そういえば彼が幼稚園に通いだしてから、彼の描く絵がいきなり変わったのを覚えています。 なので、ほめ上手な方々も、 期待に添わないとならない、と思わせてしまうようなほめ方は ほどほどにね。 例えば、「こういう結果を出してほしいから」そういう、先生とか、 親が、相手にさせたいと思ったものを ほめた場合には、こんなことになりがちです。やる気が勝手なくなる、というか。 例えば字をきれいに書きたくない子供に、字をきれいに書かせたいから、 「字がきれいだねー」なんてほめられたときには、抵抗を示すことがあります。 そもそも、きれいに書きたくない前提なのに、そこが違うよね。 そういったときには、相手が大事にしていることを大事にします。 自分が相手が大事にしているだろうと思うことを大事にするのではなく。 例えば書きなぐりたいのであれば、「すごい、その書き方ものすごくよくない?」 というようにです。すると字を書くのが好きになります。書きなぐって書きなぐって こんなに乱暴にしたかった、というのを受け止めて、 「ちょっと、ここの線をふとくしてみるべかな」みたいだとすんなりいきますよね。 出す結果をほめてしまうと自己不信(結果を出していない自分の努力はだめだ みたいに、自分自身の努力を認められなくなる不信感) が育つので、 「やっていることが面白いんじゃないの」というように 「その人の努力そのものがよい」ということでほめると 子供が伸びる、ということも、心理学では言われています。 セッションでお子さんのセッションは結果が出るのがとても早いんですが また、お子さんをお連れになる方々もおられます。 すると中には、絶対に人に なじまないとおっしゃっている お子さんもお連れになるんですが、 すんなりといきます。 それは、こういった心理をきちんと理解をしておくとよいのだと思います。 ーーーーーーーー 幼少期の心の葛藤を癒します。 http://www.acoreading.com ーーーーーーーーーーーーーーーーー セッションの感想をいただいている皆様、ありがとうございます。 なかなか、ブログに書き込んだりする了解を得たりするのが大変で あるいは、感想をいただいて、ブログ掲載に とてもご同意をしていただいていても、何か粗相があってはならぬと思うばかり (個人情報がきちんと抜けているかなど) 近日はセッションの感想をのせずにおりましたが、ちょっと書いてみました。
2016.08.04
人には、「生命の力」があります。 その人の健康状態を保とうとする力です。 ACRでは、これを深く信頼をしています。 そして、心にも、もちろん、健康状態を保とうとしている 働きがあるので、これを深く学んでいきます。 本日は、才能を開花することと、そしてポジティブとネガティブ というお話をします。 人には個性がある、と知られているようで、実は それを受取れてはいないことが多いのです。 人がどれだけ違うのか、でも頭の観念はそれを一緒くたに まとめようとします。 それは、心理学で、ステレオタイプ、というように、脳が何でも 分類をしてしまう、という考え方で知られています。 さて、ネガティブシンキング、ポジティブシンキングも、実は個性があります。 例えばパーソノロジ― (1960年代ごろに始まった統計学) では、 この、ポジティブに考えるか、ネガティブに考えるかという個性がある、としています。 さて、皆さんにある傾向は、実は欠点と賜物の双方がある 贈り物です。 わたしは、ポジティブに考えるほうが向いていて 「いいさいいさーなんとかなるさぁ」 「ここは悩まないでおこ―、でこれをしようー」と 考えていないと、つらくなるタイプです。 まじめに回答を出そうとすればするほど、空回りをして抜けられなくなる ところがあります。 そういった個性をお持ちであれば、ネガティブな「こういうことが起きてしまうから こう準備を」としていくと、つらくなって、かなり落ち込んでしまいます。 なので、「いいさいいさ、こういうのはこうふうにやっていけばいいんだよね」と 信頼を自分をしてあげたほうが、うまく物事が進みます。 しかし、才能と欠点は二つの面を持つので、 時には、マイナスに向き合って、どの程度ならばマイナスの部分を みて人生を改善する意思を持ってもいいかな、というのを(楽に) しかも思い込みからこれもあれも全部マイナスを考えて、という感じ取り方に 支配されることなく、 考えていかないとならない課題があります。 方や、マイナスの準備をすると、とても生き生きとする方々がおられます(!!) びっくりされると思うんですが、マイナスの思考を個性でお持ちだと 無理なポジティブシンキングを押し付けられると かなり落ち込みます (!!!!) そうして、きちんとしたベースに物事を組ませてあげると とてもうまく人生が流れていきますが 課題としては、変な気分がするネガティブにもこだわろうとしたり 不安から準備をしようとしていないとイライラするので マイナスを使うところ、使わないところをしっかりと自分で 感覚でつかませてあげることだと思います。 そのような方々であれば、マイナスのことをちゃんと感じて、 こう変えられるよ、と考えていくとのびのびとしていきます。 そういった個性の違いがあるのに、教育で 「こうしないとならない」と反対側を人はしてしまっているので そのために、本来の力を発揮できません。 例えばわたしタイプが、「常にマイナスを見て準備をするんだ!!」と おしえられて来たら、いつか動けなくなります 人生が疲弊をしてしまうのですね。 しかし、マイナス思考タイプが、「ポジティブに生きよう!!」なんて 押し付けられても、息苦しさが増してしまいます。 何か見落としがあるようで、不安だとは思います。 その人の個性をしっかり生きることが その時が一番、その人の生命の力が増す、ということは 言えると思います。 ーーーーーーーーーーーーーーーーー 自分の潜在意識の癖を取って きちんとした命のバランスをとるプログラムです http://www.acoreading.com ーーーーーーーーーーーーーー 9月3日、17日にレベル1がございます。 ACRの方法について学びますが レベル10まで受講をされた方々に 7,8名に1,2名ご結婚者がでたり、おもしろいクラスです。 目指すのは、個人の解放と自分の感情のプログラムを学んで 解放をしていくことです。 詳しくは、acrsoudan(a)yahoo.co.jp までお問い合わせください。
2016.08.04
たとえどんなに小さなことからでもあなたは始めることができるあなたは生きがいを感じることもできる。そうやって、あなたは小さな石を岩にかえられるたとえどんなに周りが評価しなくてもあなたは良いと感じる力があるたとえどんなに周りが怖くてもあなたは良いと思ったことを、少しやってみる力がある小さなことでいい、小さなことでいいんだ掃除ができないなら、少し掃いてみるだけでいいそしてその自分の中にあるあたたかさにつながるだけでいいあなたはお母さんやお父さんが、それを否定してくるところをあまりに見すぎたのかもしれないしあなたは、できない人が頑張る姿を嘲笑する姿を見すぎたのかもしれないねでも小さなことから、あなたはできるあなたがあなた自身を裏切らない限りあなたが、「そうだよね、こんな小さなこと、認められないしやっても意味がない」と思わない限り小さな趣味が、あなたを生き生きと輝かすとしたらそれはどんなに意味深いことだったんだろうなのに結果を出さないとならない、と思って自分を裏切ってやめてしまったのかもしれないねそんな毎日が、そんな年月がたくさんのものと友達になることもしらずにもう怖くてもう否定されるのがいやで感じ取れなくなった心を、私は今日、受け入れようその決心があなたの未来を変えることもある----------すみません。書くとお約束をしているものがいくつか、、本当に申し訳ござりませぬでもすべての答えです。本当は、小さなことから始められたらたいていの問題は、「いろいろ自分が自分のためにしてあげていないイライラを他者にぶつけている幻想」だとわかっていきいます。そして癖もわかります。鬱っぽくなる方々は、何か初めてもやめたくなるんですね。人ともめ事を起こすのであれば、周りの人が認めてくれることに集中をしすぎている癖があるのかもしれません。ーーーーーーーーそういった潜在意識の癖を根底から癒します。セッションの中でも、かなり奥深くを見られるセッションではある思います。http://www.acoreading.com
2016.08.03
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